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I歴代誌27

「土地を耕して畑仕事をする者たちを管理したのは、ケルブの子エズリ。ぶどう畑を管理したのは、ラマ人シムイ。酒蔵用のぶどう畑の産物を管理したのは、シェファム人ザブディ。」I歴代誌27:26~27 25節以降には、ダビデの耕作地と家畜の管理について書かれています。様々な仕事に携わる人たちが出てきます。 教会の日常管理にも、様々なものがあります。掲示板の張り替え、印刷機のインク交換、灯油の補充、洗剤やコピー用紙の発注、蛍光灯の交換、網戸の破れ直し、おもちゃの消毒、来客のベッドメーキング、木の枝打ち、草刈り、等々。 簡単なことばかりと思うでしょうが、上手な人がするとやはり上手なのです。特に草刈りは、年2回業者の方にお願いすると、見事な仕事で、会堂の害虫がぐんと減ります。 業者さんには、海外からの方もおられます。ダビデの時代と似ていますね。教会では中国語とベトナム語の聖書を用意しています。海外渡航が難しくても、直接宣教の機会が与えられているのです。 祈り:神様、様々な仕事にあなたが目をとめてくださっていることに感謝します。そして、日常生活でも思いがけない人との出会いがあります。その方々の上に、思いがけないキリストとの出会い、神の愛を知る体験がありますように。アーメン

I歴代誌26

「こうして彼らは、下の者も上の者も等しく、その父祖の家ごとに、一つ一つの門についてくじを引いた。」I歴代誌26:11 門衛についての記述です。東西南北の各門、倉、前庭、大路...。ある方角から見れば、正面になる場所、ちょうど裏側で見えない場所があります。日当たりのよいところ、日陰になるところ、通行人の多いところ、少ないところ、様々な条件の違いがありました。 それでも、彼らは上下の別なく等しく、家ごとにくじを引きました。主にあって 割り当てられた門を守りました。 私たちも、地域教会に集っています。教会は神の国を知るきっかけを与える入り口、道に面した門のようなものだと思います。 人間の集まりですから完全な教会はありません。良いところもあれば弱いところもあります。でも、主が私たちを今の教会に呼んでくださり、割り当て植えてくださったことを受け取ります。 祈り:神様、この教会に招いてくださったことに感謝します。欠けや弱さのある人々の集まりです。でも、キリストが頭であり、中心にいてくださることを覚えます。いつもキリストを見上げ、ゆるし合い支え合えますように。今年あった______のことも、主が整え導いてください。アーメン

I歴代誌25

「また、ダビデと軍の長たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、竪琴と琴とシンバルに合わせて預言する者とした。仕事に就いた者の数は、その奉仕にしたがって次のとおりである。」I歴代誌25:1 賛美の奉仕者についてです。 ダビデ自身は王、軍人であると同時にすぐれた音楽家でした。(サウル王が不安定になるたび、ダビデは竪琴を手に取って弾きました;Iサムエル16:23。)多くの詩も作りました。 だから、ダビデは賛美の力がどのようなものかをよくわかっていました。軍事力にまさる大切さを知っていました。 今日でも、賛美の中に主の臨在があること、賛美にともなって預言や癒しのわざが起こることを覚えます。 心をこめて賛美する時、主がそれをささげ物として受け取ってくださいます。同時に、私たち自身が混乱し、どうしてよいかわからない時に、賛美によって心が整えられ、癒しを体験します。 今、目を閉じて、思い浮かぶ賛美を1つ、心をこめて主にささげてみませんか。 祈り:神様、頭の中が忙しさや悩みでいっぱいになってしまうことがあります。突破口は賛美であなたに心を向けることです。今ささげたように、賛美が私の習慣となりますように。アーメン

I歴代誌24

「レビ人の出である書記、ネタンエルの子シェマヤが、王と首長たち、祭司ツァドク、エブヤタルの子アヒメレク、祭司とレビ人の一族のかしらたちの前で、それらを書き記した。エルアザルから一つの父祖の家が選ばれると、イタマルからも一つ選ばれた。」I歴代誌24:6 アロンの子孫たちが組分けされ、くじを引きました。そしてその順番が記録されていきました。書いたものが残っているので、私たちは時代を越えて情報を手にすることができます。 教会でも、文書記録は大切です。毎週の週報を読むと、教会の流れがわかります。総会資料や記念誌は、作成時の人々にも喜ばしいものですが、同時に教会の歩み、歴史として後々の世代のためにも貴重な資料となります。 聖書自体も書かれたものなので、今もこうして神のことばを読むことができます。書くという行為を与えてくださった神様の知恵と恵みに感謝します。 祈り:神様、あなたのことばを手にとって読める恵みに感謝します。この1年もいろんなことがありました。記録や日記、メモを振り返り、あなたの御手を感じることができますように。心に感謝が生まれますように。祈りに覚えた____さん、_____さんに、あなたの答えと導きがあったことにも感謝します。アーメン

I歴代誌23

「安息日、新月の祭り、および例祭ごとに、主に献げられるすべての全焼のささげ物が、主の前に絶えず、定められた数で献げられることについても責任を負う。」I歴代誌23:31 23章からしばらくは、ダビデが任命した人々についての記述です。まず主の宮に仕えるレビ人たちが列挙されます。 主の宮の奉仕には、前で礼拝を司ることだけでなく、捧げ物の量や大きさを計ったり、数を数えたりする係もいました。いわばバックヤードの奉仕で、目立たないかもしれませんが、礼拝になくてはならない働きでした。 掃除、修繕、台所仕事...教会でも見えないところの働きがいろいろとあります。そして、どの働きも、決して小さいものではありません。「あの人のように○○ができない」と落ち込まず、神様が私に願っておられる働きは何か、それを見きわめて喜べますように。 祈り:神様、私を比較や劣等感から自由にしてください。あなたの与えてくださった時間、経験、性格、興味などを用いて、喜びながら宣教の働きに関われますように。アーメン

I歴代誌22

ダビデはソロモンに言った。「わが子よ。私は、わが神、主の御名のために宮を建てる志を持ち続けてきた。  しかし、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたがわたしの名のために家を建ててはならない。わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。』」I歴代誌22:7~8 ダビデがしたいと願っていた宮の建設を主はとどめられ、息子ソロモンに託すようにと言われました。 主を愛し、主のために戦い、王国を確立したダビデ。宮を建てたいと、莫大な建材や資金を集めたダビデ。無念の思いもあったのではと推測したりもします。 モーセも、ダビデも、パウロも、ステパノも、志半ばで生涯を終える、あるいは方向性を変えるように導かれました。 私たちの生涯も、ハッピーエンドの「すべて完了した」とはいかないかもしれません。でも、神様がよしと言われたら、それでよいのだと受け取る姿勢を、主は喜んでくださるのでしょうね。 祈り:神様、思い通りにいかないこと、祈ったのに全然別の方向に物事が進んでがっかりすることがあります。あなたの導きは深淵すぎてわかりませんが、最善だと信じることができるよう、信仰を与えてください。アーメン

I歴代誌21

「ダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、主を呼んだ。主は、全焼のささげ物の祭壇の上に天から火を下し、彼に答えられた。」I歴代誌21:26 1節には「サタンがダビデをそそのかした」と書かれています。第二サムエル記24章でも同じ記事が出てきました。詳細はともかく、サタンの誘惑によりダビデが神のみこころをそこなったことがわかります。 ダビデは祭壇を築き、悔い改めの祈りをしました(26節)。主は火をもって答えられました。罪で断絶された関係が回復しました。 私たちも、罪を悔い改めて祈る時、神との関係が回復されます。神が私たちに近づいてくださいます。御子をさえ惜しまずに与えてくださった神様は、私たちを愛し、一人も滅びることを願わず、関係を回復したいと今も願っておられます。 祈り:神様、あなたの愛と忍耐に感謝します。あなたが私を愛してイエス・キリストを送ってくださったことを覚えます。私の救いのためでした。クリスマスの恵みをかみしめます。今日も礼拝で、感謝と喜びを心から賛美し、あなたをあがめます。 「主は...だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです(2ぺテロ3:9)。」 アーメン 神様、あなたの愛と忍耐に感謝します。

I歴代誌20

「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍勢を率いてアンモン人の地を打ち滅ぼし、ラバに来てこれを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。ヨアブはラバを討って、これを破壊した。」I歴代誌20:1 20章を通して、ダビデの快進撃が続きます。連戦連勝、無敵の王国でした。 しかし、ダビデが「エルサレムにとどまっていた」1節と2節の間に、バテ・シェバとの不適切な関係が起こったのでした(2サムエル11章)。 絶好調に見える裏側に、罪の誘惑や深い闇が忍び寄ることがあります。 「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい(1コリント10:12)。」 年末が近づき、夢中で働く日々かもしれません。でも、そんな時だからこそ、たとえ5分でも10分でも忙しく働く手をとめ、主に心を探っていただけますように。守っていただけますように。 もし悔い改める罪に気づいたら、その場で主に告白し、赦していただきましょう。 祈り:神様、ダビデでさえ罪に陥る弱さがありました。私も弱い者です。あなたに頼り、誘惑から守られ、善悪を判別できるよう助けてください。アーメン

I歴代誌19

「ダビデは、『ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父は私に真実を尽くしてくれたのだから』と言った。そして彼の父の悔やみを言うために、ダビデは使者を送った。ダビデの家来たちがハヌンに悔やみを言うため、アンモン人の地に着いたとき、」I歴代誌19:2 ダビデの誠意と真心は理解してもらえませんでした。 かえって、ダビデが家来たちを偵察に送ったのだと誤解されました。 家来たちはひげを剃り落とされ、衣を半分に切られるという屈辱的な仕打ちを受けました(2サムエル10章にも同じ場面が記録されています)。 私たちにも、同じような経験があるかもしれません。 善意でしたことが、かえって相手の怒りや誤解を招いてしまうと、とても悲しくなります。多くは受け手である相手の問題ですが、傷つきますね。 そんな時、神様からの慰めと共に、理解し祈ってくれる信仰の友の存在が励ましです。 教会が、心から互いに祈り合い、支え合う群れとなれますように。 祈り:神様、今私は_________のことで心悩み傷ついています。あなたの癒しと介入を与えてください。 また、教会の____さん、_____さんを覚えて祈ります。次に会った時には祈り合うことができますように。おしゃべりだけでなく、あなたの解決に期待し励まし合えますように。アーメン

I歴代誌18

「ダビデ王は、それらもまた、彼がすべての異邦の民、すなわちエドム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクのもとから運んで来た銀や金とともに、主のために聖別した。」I歴代誌18:11 ダビデは多くの青銅や金銀を手に入れました。それらは、神殿建設のための聖別された素材となりました。 今日でも、神様は、さまざまな方法で必要を満たしてくださいます。そして、主のために用いる時、さらに必要が与えられる経験を、私たち個人も、教会もします。 教会では、宣教のための必要が先立ちます。そして、その必要が満たされるよう主に祈るという姿勢が大切だと思います。 時に神様は不思議な方法で満たしてくださいます...祈っていた物が与えられたり、海外の方から匿名の献金がささげられたり...。それらを聖別し、主の栄光のために誠実に、責められることなく用いていけますように。 祈り:神様、あなたがすべてを与え、人の心を動かし、必要を満たしてくださることに感謝します。教会の一人一人の生活をお守りください。主の前に誠実に歩む人々に、主の報いとねぎらいが豊かにありますように。アーメン

I歴代誌17

「彼はわたしのために一つの家を建て、わたしは彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。」I歴代誌17:12 主なる神様は、この約束を違わず守られました。ダビデの家は絶えることなく、イエス・キリストへの系図として続いていきました。 イエスの十字架の救いを頂いた私たちも同じです。永遠のいのちはなくなることなく、滅びからの救いはとこしえに有効です。 家族、親戚の家系にも、この救いが入って続いていきますように。 祈り:神様、あなたの真実な約束に感謝します。初穂として救われた___さん、____さんのご家族が救われますように。 そして、私自身にも、家族に福音を分かち合う情熱を与えてください。福音を紹介する自然な機会を、あなたが備えてください。アーメン

I歴代誌16

「ダビデはそこに、主の契約の箱の前にアサフとその兄弟たちをとどめおき、毎日の日課として、常に箱の前で仕えさせた。」I歴代誌16:37  ダビデの任命したアサフ(37節)、ヘマン・エドトン(41節)たちは、詩篇の作者としても知られています。神の箱の前で、主を礼拝する働きが任務でした。 任務には、主に感謝の賛美をささげることも含まれました(7節~)。 私たちには、心が沈み落胆して、感謝や賛美をする気持ちになれない時があります。そこであきらめず、時には感謝の賛美を「任務」として考えてみるとよいかもしれません。 アサフたちも、体調や気分のよい日や悪い日があったはずです。でも変わらず主をほめたたえ仕える任務を果たしました。 私たちも、今日の16章8~36節や、詩篇の感謝の歌を声に出して試しに読んでみるだけ、という日があっても、よいのではないでしょうか。無理に繕わなくても、主はご存じです。そして沈んだ心の私がささげる礼拝や賛美をも、喜んでくださる方です。 祈り:神様、気落ちして、感謝や賛美が表面的に思える日があります。あなたが与えてくださった聖書の賛美を読むことがやっとです。そんな私の心を知ってくださってありがとうございます。弱い私たちですが、教会で互いの弱さを分かち合い、祈り合える信仰の友がいてくれることに感謝します。祈りをさらに開いてください。アーメン

I歴代誌15

「レビ人たちは、モーセが主のことばにしたがって命じたとおり、担い棒を肩に載せて神の箱を担いだ。」I歴代誌15:15 1回目に神の箱を移動しようとした時には、牛車に乗せました。ウザが素手で箱を押さえたので主の怒りがくだったのでした(13章)。 しかし2度目は違いました。レビ族がそれぞれの働きに任命され、身を整え聖め、賛美をしながら神の箱を運び上げました。心を尽くして主の臨在の象徴を喜ぶ姿でした。 今日、私たちの礼拝のスタイルは自由です。大切なのは、心の状態です。神様は心を見られます。たとえオンラインでも、一人でも、心を尽くして礼拝するなら、神様は喜ばれます さらに、教会堂まで来たなら、惰性でも上の空でもなく、与えられた恵みと祝福の機会を大喜びで感謝し、礼拝できますように。 祈り:神様、神の臨在をほめたたえるのは私たちの特権、恵みです。日曜の礼拝、日々の個人礼拝でも、心を注いであなたを礼拝できるよう、導いてください。私の心があなたに集中できますように。アーメン

I歴代誌14

「ダビデが再び神に伺うと、神は彼に仰せられた。『彼らを追って上って行くな。彼らに面と向かわず回り込み、バルサム樹の茂みの前から彼らに向かえ。』」I歴代誌14:14 ダビデは戦いの前に「神に聞き」ました。たとえ王であり、勇士であっても、これ以上に重要なことはありません。そして、「行くな」と言われた時に立ち止まることは、進むよりも勇気がいることかもしれません。 イエス様でさえもよく立ち止まり、父なる神様に祈っておられました。 「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。(マルコ1:35)」 私たちは一日を振り返る時、「何をしたか」に目をとめがちです。しかし、より大切なのは「何をせずに」立ち止まり、祈ったかではないでしょうか。 祈り:神様、慌ただしい毎日です。でも、ばたばたせず、あなたに心を向け、静まって祈れるように助けてください。アーメン

I歴代誌13

「すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。彼が手を箱の上に伸ばしたからである。彼はその場で、神の前で死んだ。」I歴代誌13:10 厳しい箇所です。よかれと思って箱が落ちないように押さえたウザでした。しかし、荷車の運転が任務だった彼にとっては、素手で神の箱を押さえるのはしなくても良いこと、してはいけないことでした。 私がウザだったら、同じようにしてしまったかもしれません。 私たちは忙しくなると、あるいは疲れると、しなくてよいことをしてしまったり、言わなくてよいことを言ってしまったり、失敗をしがちです。 主が、今日するようにと言われることは何か、静まり、霊の耳をすまして聞くことができますように。 祈り:神様、あなたが私にするよう願っておられることに集中し、今日も歩めますように。余計なこと、しなくてよいことを判断できるよう、私の霊の耳を開いてください。私の口をお守りくださり、悪い言葉からも守ってください。 「同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。(ヤコブ2:10)」アーメン

I歴代誌12

「そのとき、御霊が補佐官の長アマサイをおおった。『ダビデよ、私たちはあなたの味方。 エッサイの子よ、 私たちはあなたとともにいる。 平安があるように。 あなたに平安があるように。 あなたを助ける者に平安があるように。 まことにあなたの神はあなたを助ける。』ダビデは彼らを受け入れ、部隊のかしらとした。」I歴代誌12:18 アマサイが御霊に満たされて発した言葉は、ダビデと周囲の人々を励まし、徳を高めるものでした。これまでの背景や見かけの強さよりも、御霊に満たされているかどうかが重要でした。そしてそれは言葉になって表れました。 私たちも今日、御霊に満たされて歩めますように。口から出る言葉が、御霊に満たされ、神に信頼し、人々を励ますものでありますように。 祈り:神様、あなたの御霊で私を満たしてください。あなたの御思いを私の思いとできますように。疲れてストレスがたまっているであろう____さん、____さんをあなたが労い、優しく励まし、覆ってあげてください。言葉を守り、祈りの要請ができますように。アーメン

I歴代誌11

「ダビデはますます大いなる者となり、万軍の主が彼とともにおられた。」I歴代誌11:9 ダビデが王位に着き、エブス(エルサレム)を攻め取り、ダビデの町としました。 ダビデはすぐれた戦士でした。しかし、それだけでは王位が祝福されることはなかったでしょう。 ダビデの祝福の秘訣は「万軍の主がともにおられた」ことでした。そして、主が与えてくださった仲間が彼と共にいたことでした。 かつては、サウル王の息子ヨナタンが、親友として大きな励ましになってくれました。 そして王となってからは「勇士のかしらたち(10節~)」がダビデと共にいて、誠実な役割を果たし、王権を強固にしました。その存在と励ましなしにはダビデは治め続けることができなかったでしょう。 自分の働きは小さく、目立たないとがっかりしていませんか。「何もできない」という声を聞くことがあります。でも、あなたの存在と励ましがあるからこそ、教会はキリストを頭に歩んでいけるのです。 祈り:神様、あなたが与えてくださった信仰の友、霊の兄弟姉妹の存在と励ましに感謝します。 私自身も励まし手、祈り手となれますように。引き下げるような言葉でなく、主にある徳を高め、建て上げる言葉を出すことができますように。アーメン

I歴代誌10

「そこで勇士たちがみな立ち上がり、サウルの亡骸と彼の息子たちの亡骸を取り上げ、これをヤベシュに運んで、彼らの骨をヤベシュにある樫の木の下に葬り、七日間、断食した。」I歴代誌10:12 サウルには自分の力に頼り、王位を脅かす者を恐れるという弱さがありました。ダビデに対してもひどい扱いをしました。 しかし、「主が立てられた王」だったということで、ダビデや勇士たちは最後までサウルに敬意を払い、尊厳を守りました。 私たちを信仰に導き、宣教をしてきた人たちに、どのような態度で接するでしょうか。その人たちは完全ではないし、欠点があるかもしれません。傷つけ、失敗をしたかもしれません。 しかし、主の立てられた器に尊敬を払い、その人たちが平安に生涯を全うできるように祈り願うなら、祝福は相手だけでなく私たちにも返ってきます。 「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい(ルカ6:31)。」 祈り:神様、私を信仰に導き、教え、成長を祈り助けてくださった、宣教師、牧師、働き人たちに感謝します。信仰の先輩に敬意を払い、祝福を祈れるよう、私にきよいくちびると心を与えてください。アーメン

I歴代誌9

「...ユダは、その不信の罪のゆえに、バビロンに捕らえ移されていた。彼らの所有地である彼らの町々に戻って来て最初に住みついたのは、イスラエルの人々、祭司たち、レビ人および宮のしもべたちであった。」I歴代誌9:1~2 系図の総まとめの部分です。 歴代誌の記者は、ユダ王国がバビロン捕囚にあったこと、そして70年が経ち帰還したことを記しています。 危機に瀕し、年月がたったにもかかわらず、明確な系図が途絶えなかったのは、神が守られたからに他なりません。 そしてそれは、今日の私たちのためでした。...なぜなら、救い主がユダの系図の子孫から生まれるという約束を、神様が守られたからです。約束どおりに生まれたキリストは、約束どおりに罪のあがないを成し遂げ、救いの道を完成させてくださいました。 意外に思うかもしれませんが、歴代誌の系図は私たちの人生とおおいに関係があるの です! 祈り:神様、難しく思える旧約聖書を、聖霊の光で読むことができますように。 「聖霊様、聖書のことばがわかるよう助けてください」と祈り心で聖書に親しみたいです。あなたのラブレターであるみことばを、もっと親しく知ることができますように。 「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。(詩篇119:105)」 アーメン

I歴代誌8

「ベニヤミンが生んだのは、その長子ベラ、次男アシュベル、三男アハラフ、 2 四男ノハ、五男ラファ。」I歴代誌8:1~2 アブラハムの子孫はエジプトに移住し、ヨセフの弟だったベニヤミンも大きな部族になりました。 「ベニヤミンは、かみ裂く狼。  朝には獲物を食らい、夕には略奪したものを分ける。(創世記49:27)」 という預言的な祈りのとおり、強い部族でした。 かつてアブラハムが「あなたの子孫は星の数のようになる」と主に言われた時には、まだこんな部族が出るとは到底想像できませんでした。でも彼はそれを信じ、それがアブラハムの義と認められました(創世記15章)。 今私たちは、キリストの十字架が私の罪のあがないだったと信じることで、義と認められます。 祈り:神様、あなたが信じる者を義と認めてくださることに感謝します。私の信仰を強めてください。そして、____さん、____さんがキリストの愛を受けとり、十字架の救いを受けとることができますように。聖霊の促しに答えることができますように。アーメン

I歴代誌7

「彼らの父エフライムは、何日もの間喪に服したので、彼の兄弟たちが来て彼を慰めた。それからエフライムは妻のところに入った。彼女は身ごもって男の子を産んだ。彼はその子をベリアと名づけた。その家がわざわいの渦中にあったからである。」I歴代誌7:22~23 エフライムが喪に服して悲しんだのは、彼の息子二人が殺されたからでした。4章のヤベツだけでなく、ベリアも「わざわい」から派生した、悲しい名前でした。 しかし、エフライム族の系図は悲しみで終わりませんでした。27節まで見ていくと、「その子はヌン、その子はヨシュア」。 そう、モーセの後継者として約束の地に導いたヨシュアが、エフライムの子孫から出てきます。系図は悲しみで終わりませんでした。 私たちの悲しみも、それで終わりではありません。主にあって、いつも希望があることを受けとりましょう。 祈り:神様、最近愛する家族を天に送り、悲しみのうちにある____さん、____さんとそのご家族を覚えます。あなたの御手で抱き、慰めと平安を与えてください。私たちもさらに愛を表すことができますように。アーメン

I歴代誌6

「サムエルはエルカナの子、エルカナはエロハムの子、エロハムはエリエルの子、エリエルはトアハの子、...、コラはイツハルの子、イツハルはケハテの子、ケハテはレビの子、レビはイスラエルの子である。」I歴代誌6:34、38 系図のよいところは、旧約聖書に出てくる人々のルーツをたどることができることです。 サムエルは、母ハンナの祈りがきかれて生まれ、幼い時からシロの神殿で育ち、「主よ、お話しください」と言った人です。 そのサムエルのルーツをたどるとレビに至るのですね。 彼の生まれるずっと前から神様の計画が始まっており、サムエルがその計画の中で用いられたのだとわかります。 私たちも、今の家族、親戚の中で生まれてきたのは、神様の深い計画の中にあります。たとえ私たちに系図がなくても、昭和、明治、江戸...いやもっと前の時代から神様は私たちの人生にご計画をもっていてくださいました。神のよいご計画に沿った歩みが今日もできますように。 祈り:神様、私が生まれてからだけでなく、もっと前からあなたのご計画の中に入れられていたことを受けとります。私の家族・親戚の____さん、_____さんのために祈ります。主の愛を受けとり、イエス・キリストを信じ、あなたのご計画に参加する歩みができますように。教会の兄弟姉妹の各家庭にも祝福と恵みが豊かにありますように。アーメン

I歴代誌5

「彼らはハガル人、およびエトル、ナフィシュ、ノダブと戦いを交えたが、助けを得てこれらに当たったので、ハガル人およびこれとともにいた者はみな彼らの手に渡された。それは、彼らがその戦いのときに神に叫び求めたからである。彼らが神に拠り頼んだので、神は彼らの願いを聞き入れられた。」I歴代誌5:19~20 ワールドカップやオリンピックで、神に祈りをささげるスポーツ選手を見かけます。試合や競技で勝った時、神に栄光を帰す姿は美しいと思います。 一方、普段の生活でどれほど神に祈っているかと考えさせられます。戦争や災害の時はもちろん、小さなハプニングや行き違いに「あの時こうしていれば...」と思うことがないでしょうか。ほんの小さな判断も、もし一瞬祈ってからしていれば失敗が避けられたという経験をします。日常の些細なことも、国のかかわる大きなことも、神への祈りがそこにありますように。 祈り: 「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です(ルカ16:10)。」 神様、日常の小さなことでもあなたに祈って判断できますように。今まで自分で判断して失敗し、傷つけたことがありました。許してください。 最も小さなことにも忠実に生きることができるよう、導いてください。アーメン

I歴代誌4

「ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。』神は彼の願ったことをかなえられた。」I歴代誌4:10 ヤベツの母は、「私が痛みのうちにこの子を産んだから」と、我が子に「痛み(オツェブ)」との語呂合わせで「ヤベツ」という名をつけました(日本語だと「痛み」→「いたく」君くらいでしょうか)。 それでも、ヤベツは主に呼び求め、「大いに祝福してください!地境を広げてください!名前と関係なく、わざわいや痛みから守ってください!」と祈りました。 そして神はそうされました。 ヤベツと同じように、ダビデも詩篇23篇を「まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう」と閉じています(詩篇23:6)。 ~この「追って来る」は、単に後からやって来るという意味ではありません。この単語のヘブル語には、獲物を追いかける猛獣をイメージする、力強い、攻撃的とさえ言えるような意味が込められています。(デイリーブレッド 2022.12.7より)~ 私たちも、あの人のように能力がなくても、この人のように環境に恵まれていなくても、主に呼び求めるものには主が祝福してくださること、いつくしみと恵みが追いかけて来ることを信じ、遠慮なく叫び求めましょう! 祈り:神様、あなたの祝福が主に信頼する者には「追いかけて」くることを信じます。何より、あなた自身が私を呼び、とらえ、離さないでいてくださることに感謝します。私の地境を主にあって広げてください。わざわいから遠ざけ、福音を分かち合うことができるような機会をさらに与えてください。アーメン

I歴代誌3

「ヘブロンで生まれたダビデの子は次のとおりである。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。次男はカルメル人アビガイルによるダニエル。」I歴代誌3:1 ダビデから後の系図が続きます。 アムノン、アブサロム、アドニヤ(2節)、ソロモン(5節)、レハブアム、アサ(10節)、ヒゼキヤ(13節)、ゼデキヤ(16節)、ゼルバベル(19節)...と、捕囚を挟んでも系図が続きます。 私たちにはなじみのうすいイスラエル民族の系図ですが、彼らにとっては私たちが日本史の人名を聞くような感覚ではないかと思います。 王国分裂、捕囚...と困難の中で、消えるかと思えそうなダビデの系図が脈々と続いています。神が約束されたとおり、ダビデの子孫の存在が忘れられていません。 自分が忘れられたような、存在感がないような気持ちになることはありませんか。転職、退職、子どもの独立、配偶者との別れ、引っ越し、社会的に弱い立場...。しかし、主は忘れておられません。かえって、沈黙のような期間の中で、私たちに近く親しく語りかけてくださる方です。この方に期待して今日も歩みましょう。 祈り:神様、政変やスキャンダル、戦争で揺り動かされたイスラエルの歴史です。しかし、あなたはダビデに約束されたとおり、子孫を絶やされませんでした。 私の存在も、あなたは忘れておられません。今日も、あなたのご計画を私の歩みになさってください。暗い気持ちになる時、あなたの導きをいっそう近く教えてください。アーメン

I歴代誌2

「ボアズはオベデを生み、オベデはエッサイを生んだ。エッサイは、長子エリアブ、次男アビナダブ、三男シムア、四男ネタンエル、五男ラダイ、六男オツェム、七男ダビデを生んだ。」I歴代誌2:12~15 系図はイスラエル(ヤコブ)の12人の息子のうち、ユダの子孫つまりユダ族に入ります。今日はダビデが生まれるまでです。 「オベデがエッサイを生み、エッサイがダビデ王を生んだ(マタイ1:5~6)」という、マタイ1章で目にする系図が、より詳細に記されています。 旧約聖書の読み方は「キリストの光で読む」ことだと言われます。系図が時代を下るにつれて、夜明け前の地平線がうっすらと白みかけるように、キリストに至る道備えが少しずつ、でも着実になされていることがわかります。 祈り:神様、キリストを待ち望む人たちの信仰に思いを馳せます。まだ見ぬものを信じ、期待し、何百年も待った人たちの忍耐と信仰を私にも与えてください。 親子であなたに信頼している____ファミリー、____ファミリーに祝福がありますように。 また、家族で初穂となった_____さん、_____さんから、主の恵みが家族親戚に広がり、祝福の基として用いられますように。アーメン

I歴代誌1

「アブラハムはイサクを生んだ。イサクの子は、エサウ、イスラエル。」I歴代誌1:34 歴代誌は、1章から9章まで系図で始まります。延々と人名が並ぶのですが、どこかと似ていませんか? そう、マタイの福音書の書き出しと似ています。やはり系図が並び、イエス・キリストがアダム、そしてダビデの子孫として生まれたことがわかります。 歴代誌はその前半の詳細版のようです。1章1節から2章2節までは、アダムからヤコブ、それに傍系に触れています。 ユダヤ人は系図を大切にしました。そして系図を見ると、イエス・キリストの誕生が預言の通りに備えられていたこと、主のことばがその通りに実現することがわかります。 つい読み飛ばしてしまいそうな人名の羅列ですが、今回は少し立ち止まりながら、1章ずつ味わってみたいと思います。 祈り:神様、あなたのご計画と備えが時代を越えて脈々と受け継がれ、実現することを信じます。系図に出てくるひとりひとりに、各々の人生がありました。そのひとつもあなたの目には隠れていません。今を生きる私の歩み、教会の兄姉ひとりひとりの歩みも、あなたが覚えてくださっていることに感謝します。アーメン

II列王記25

「ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日、バビロンの王エビル・メロダクは、王となったその年のうちにユダの王エホヤキンを牢獄から呼び戻し、 優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。   彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。彼の生活費はその日々の分を、一生の間、いつも王から支給されていた。」II列王記25:27~30 エホヤキン王と人々がバビロンに引いていかれ、捕囚生活の年月が過ぎていました。悲しみの36年が、26節と27節の間にあります。 しかし、列王記は悲しみではなく希望で終わります。そしてそれは、神様がダビデの子孫が続くといういう約束を忘れておられないことの現れです。それを記した列王記の筆者にも、神の真実への信頼が与えられていたことでしょう。 今日の私たちの態度や言葉も、点検したいと思わされます。神の希望、神への信頼を表しているでしょうか。 否定的なことや、人を引き下げるような話題が多いなあと気づくなら、思いと言葉を主が支配し変えてくださるように祈りたいですね。 祈り:神様、あなたに身を寄せる者には、いつも希望があることを覚えます。私の口や思いから、否定的なこと、不信仰な考えを取り去ってください。このアドベントの時期、教会もひとりひとりも、あなたからの平安と感謝の思いで満ちあふれますように。御霊の実が実りますように。アーメン

II列王記24

「そこで主は、カルデア人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アンモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた。ユダを攻めて滅ぼすために彼らを遣わされたのである。主がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。」II列王記24:2 なぜ愛の神が国を「滅ぼした」のか、という疑問を聞くことがあります。愛の神ならば「滅ぼさない」はずでは、と。 その通り、愛の神は滅ぼさずに、ここまで国を保ってくださいました。列挙されている王には悪を行い、主に従わない人物が多くいたにもかかわらず。 悔い改めるよう、預言者たちを送り、何度も何度もメッセージを送られました。 悪い王でも、姿勢を改めたら赦してこられました。まさに「愛の神」です。 一方で、神様は正しいお方であり、罪を見過ごしにすることはできません。「マナセが流した咎のない者の血のためであった(4節)」とあるように、犯した罪の責任を問われます。その意味では「義の神」です。 「愛の神」と「義の神」であるお方が人間を救うため、キリストの十字架という方法を編み出されたのです。今はアドベント(待降節)です。キリストのご降誕の恵みを覚え感謝します。 祈り:神様、あなたの忍耐深さをありがとうございます。罪を見過ごしにできない、しかし私たちを限りなく愛するあなたが、キリストを送ってくださり、私たちを救おうとしてくださいました。まもなくクリスマスです。本当の意味を知る人が多く起こされますように。____さん、____さんをお誘いしようと思います。生涯忘れられない素晴らしいクリスマスの喜びとなりますよう、聖霊様が働いてください。アーメン

II列王記23

「それから王は柱のわきに立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証しと掟を守り、この書物に記されているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみなこの契約に加わった。」II列王記23:3 ヨシヤ王の改革が目覚ましい勢いで進んでいきます。偶像が取り除かれ、主への姿勢が刷新されと、ほっと胸をなでおろすような事柄が列挙されています。 開始にあたり、主の契約の書のことばが読まれました。そして、「主に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして」主の契約のことばを守り実行すると誓いました。王だけでなく民も誓いました。 洗礼式、結婚式、転入式、教職任命式、...で約束(誓い)の時があります。当然のごとく「はい、約束します」と答えますが、それは「誓い」であり、徹底的にそうするという、厳粛な決意をしたということです。 もう一度、自分が「はい、約束します」と答えたことを振り返り、決意を新たにしませんか。 祈り: 神様、あなたが私たちの決意を喜んで受け取ってくださったことに感謝します。弱く、ともすれば約束を忘れてしまいそうになる私たちです。あなたの救いを信じると告白したこと、あなたに従い続けると約束したこと、教会生活を大切にし柔和な心で仕えると決意したことなど、再び思い起こしています。 「神よ 私にきよい心を造り 揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください(詩篇51:10)」。 アーメン

II列王記22

「あなたは、わたしがこの場所とその住民について、これは恐怖のもととなり、ののしりの的となると告げたのを聞いた。そのとき、あなたは心を痛めて主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──主のことば──。」II列王記22:19 今日の箇所も、少し前の礼拝子どもメッセージの箇所でしたね。 8歳で王になったヨシヤ王は、26歳の時に主の巻物を読み、信仰の改革を行いました。民と国の堕落を嘆いて主を求めた時、女預言者フルダを通して神様は答えてくださいました。 ヨシア王に影響を与え、改革のために働いた人々が多くいます。 ・律法の書を渡した大祭司ヒルキヤ ・受け取り、王に読み上げた書記シャファン ・女預言者フルダ ・フルダのところに行った、シャファンの子アヒカム・アクボル・王の家来アサヤ... 信仰の戦いをする時、孤独に思えてもそうではありません。助け手や仲間を神様が与えてくださいます。そして私たちも、信仰の戦いをしている兄弟姉妹のための祈り手・助け手となれますように。 祈り:神様、私に信仰の友を与えてくださって感謝します。特に____さん、____さんの存在は大きな励ましです。また、家庭や職場で孤軍奮闘している____さん、____さんに、信仰の応援者・助け手が与えられますように。私もとりなしの祈り手・助け手とならせてください。アーメン

II列王記21

「マナセは、ユダに罪を犯させて、主の目に悪であることを行わせた罪だけでなく、咎のない者の血まで多量に流したが、それはエルサレムの隅々に満ちるほどであった。」II列王記21:16 ヒゼキヤ王の次に王位についたマナセは、偶像礼拝やまじないを平気で行い、自分の子どもさえささげるほどでした。そして独裁者のようでした。 この悪い王が55年間も治めていたのですから(1節)、ユダ王国の荒廃と堕落が想像できます。 主なる神様は、その様子をすべてご存知でした。 ユダ王国はやがてバビロンに滅ぼされます。その原因は人間の側の罪でした。 これほどの反逆を重ねながらも、神様はすぐに滅ぼさず、まだ悔い改めの余地を与え、待っておられたのでした。 私たちのどんな罪も、神様の前に悔い改めるなら赦されます。犯した罪だけでなく、自分の中にある傾向や罪深い性質も、日々神様の前に告白し、取り扱っていただけますように。 祈り:神様、私の中にある、あなたに喜ばれない性質を悔い改めます。批判的、ぐち、毒舌、短気、猜疑心、被害妄想、過度の不安...。そうした他人の欠点が見えるなら、自分の欠点はそれ以上であることを覚えます。私に、今日もへりくだった謙遜な心を与えてください。 「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。...偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。(マタイ7:3,5)」 アーメン

II列王記20

「イザヤは言った。『次のことが、あなたへの主からのしるしです。主は約束したことを成就されます。影が十度進むか、十度戻るかです。』」II列王記20:9 19章より少し前に戻った出来事が記録されています。 病気が癒されるしるしとして、神は太陽時計の影(時間)を逆戻りさせられました。 時間が前後した記録として、ヨシュア記にも「太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった(ヨシュア10:13)」という内容が出てきます。 ある科学者たちが過去の地球と太陽の動きを計算した時、この2つの記事と矛盾しないことがわかったと言います。 主なる神様は「約束を成就される」方です。時間や天体を支配しておられ、私たちのいのちも支配しておられます。そんな偉大な方なのに、私たちの小さな祈りに耳を傾けていてくださるのです。 祈り:神様、あなたが偉大な方であることを感謝します。そして、天体の動きと同じくらい、私の救いに関心を持ち、キリストを送ってくださいました。そして、私に親しく語りかけてくださることを感謝します。もっとあなたに近づき、心のうちを申し上げ、真実なあなたに頼れますように。アーメン

II列王記19

「ヒゼキヤは主の前で祈った。『ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。』」II列王記19:15 アッシリアに侵攻されるユダ王国。危機的で絶望とも思える時代は、預言者イザヤ、ミカが働いた時代でもありました。 イザヤ・ミカといえば、旧約時代に最も重要なメシア預言をした二人です。 そして、ユダ王国の王も、信仰に立った人物でした。王であるヒゼキヤの反応は 「主の前で祈った」(15節) でした。その結果、神の介入によって状況が変わっていきました。 社会や自分の身辺の暗い状況だけを見て、絶望したり怒ったりしがちな私たちです。しかし、その背後で主の素晴らしいみわざが進んでいます。そのことを信じるのが信仰なのだと教えられます。 祈り:神様、目に見える現象だけで判断しがちな、近視眼な私をゆるしてください。あなたの広く深い、そして良い計画を信じたいです。今週も、あなたが手をとって「恐れるな」と導いてください。アーメン

II列王記18

「民は黙って、彼に一言も答えなかった。『彼に答えるな』というのが、王の命令だったからである。」II列王記18:36 数週間前の礼拝こどもメッセージの箇所、ヒゼキヤ王の時代の記事です。 アッシリアからユダ王国を攻めてきたラブ・シャケは、ひどい言葉を民に向かって叫び、民を混乱させようとしました。ユダの人たちがわかる言語で、 「ヒゼキヤも、主なる神も、ユダ王国を救うことはできない。ヒゼキヤにごまかされるな」という内容を叫びました。 しかし、ヒゼキヤ王は民に沈黙するよう命じており、皆がその命令に従いました。 侮辱され、中傷を受ける時、私たちは自分の正しさを主張したくなります。うまくいく時もあれば、さらに誤解や混乱が生まれることもあります。しかし主はすべて知っておられます。なんという慰めでしょうか。 祈り:神様、ヒゼキヤがすぐれた王と言われるのは、あなたに従い通したからです。周りから攻撃されても侮辱されてもあなたに信頼した、彼のような信仰と忍耐を私にも与えてください。苦しい状況の中にある____さん、____さんに、あなたご自身が助けてくださり、あなたからの忍耐と平安が与えられますように。アーメン

II列王記17

「このようにして、これらの民は主を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。」II列王記17:41 北王国イスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、人々は捕らえ移されました。代わりに周辺国の人がイスラエル王国のあった地に送り込まれます。そこにライオンが出没したので、主を礼拝して解決しようとします。 主の祭司が一人派遣され、どのように礼拝するかを教えます。 これ自体はよかったのですが、人々はイスラエルの神、主だけでなく、同時に自分達の偶像礼拝もやめませんでした。あれもこれも、ご利益のあるものは拝んでおこう、ということだったのでしょう。 日本の状況とよく似ています。しかし、それでは結局自分が中心、自分がよいと思うことを自分が決めて行うことになります。本当に頼れる方がないまま歩み続ける人生を、今も多くの方が歩んでおられます。私たちは、とりなしの祈りをするように導かれていると思います。 祈り:神様、日本の人たちの多くは、どなたが本当に頼れる神かわからないまま、初詣をし、法事を行い、墓参し、パワースポットを巡り、占いを信じます。迷っていることも感じておられないのかもしれません。 あなたがその方々を愛し、十字架にかかってくださったことを知ることができますように。クリスマスがキリストに出会うよい機会になりますように。 「福音を聞いたことがなかった」と言われる方が一人でも少なくなりますように。アーメン

II列王記16

「アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。『私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から救ってください。』」II列王記16:7 最近、68歳でインドへの宣教師となった女性のあかしを読みました。現地でベッドから落ちて背中や頭を強打したり、洪水で危機一髪だったり、パンデミックで空港閉鎖になる最終便を経由して脱出したりと、波瀾万丈なあかしでした。 彼女は困難にあうと、いつも祈ります。ここで死ぬことになっても主にゆだねます、と告白します。そして、神様がどんな方法を通しても最善をなさることに信頼しています。21世紀でも、聖霊が超自然的な方法で働かれるあかしでした。 一方、ユダの王アハズはアッシリア王に助けを求めますが、主なる神の導きと助けを祈ったとは思えません。主の宮から貴金属を取り出してアッシリアに贈ったからです(8節)。一時はうまくいったかに思えますが、北イスラエル王国はやがてアッシリアに滅ぼされ、ユダ王国の勢いも弱っていったのでした。 人間的な助けを求める前に、国をあげて断食し、悔い改めて主に祈っていたなら、歴史は変わっていたかもしれません。 祈り:神様、あなたは今日も生きて働いておられます。人間的な助け、目に見えるものを頼る前に、あなたに祈り求めることができますように。あなたの力と恵みに満ちたご支配とを信じることができますよう、信仰を強めてください。アーメン

II列王記15

「イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。」II列王記15:1 「アザルヤ」とはウジヤ王のことです。ウジヤ王と言えば、イザヤ書6章に 「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た...(イザヤ6:1)」とあり、 私(イザヤ)は主の「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」という声を聞いて、 「ここに私がおります。私を遣わしてください。」 と応答しました(イザヤ6:8)。 今日の列王記第二15章には、虐殺やクーデターといった、ちょうど日本の戦国時代のような状況が書かれています。この上なく暗い時代です。 しかしそのさ中に、主は偉大な預言者を召し、遣わし、何千年も後の私たちにメシア預言として覚えられる預言の働きをゆだねられました。時代が暗くても、主のご計画は止まっているどころか、着々と進んでいます。 祈り:神様、時代や世界が暗くても、あなたが良い方であることに感謝します。私たちの周りにも、暗いニュースや不安な動きが多いですが、あなたに頼り、希望を失わず、信仰を守り、祈りを続けられるように助けてください。アーメン

II列王記14

「彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。」II列王記14:25 列王記では、 北のイスラエル王国 ー 南のユダ王国 ー 北のイスラエル王国 ー 南のユダ王国... のように、王の変遷が並べられています。そして、「ヨアシュ」「ヤロブアム」といった、同じ名前を持った王が複数出てきます。同時代に北も南もヨアシュという王だった時があります。また、ヤロブアムは王国が分裂した時にも「ヤロブアム」王と「レハブアム」王でした(別人です)。 ただし、25節に出てくる預言者「ヨナ」は、旧約聖書のヨナ記、魚に飲み込まれたあの人です。預言書は旧約聖書の後半に出てきますが、それが預言されたのは列王記や歴代誌の時代です。 今日も、同じ名字や名前の牧師や宣教師、クリスチャンのために祈ります。名前は同じでも、一人一人が別の人格であり、神様からそれぞれユニークな召命を受けていることを覚えます。 祈り:神様、同じ名前であっても、あなたは間違われません。そして、一人一人を呼び、召し、用いられることに感謝します。私も、あなたによってユニークな存在として造られました。他人と比較することなく、私に与えられた信仰の道のりを今日も歩めますように。アーメン

II列王記13

「神の人は彼に激怒して言った。『あなたは五回も六回も打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを討って、絶ち滅ぼすことになっただろう。しかし、今は三回だけアラムを討つことになる。』」II列王記13:19 エリシャの病床に、イスラエルの王ヨアシュがやって来ました。そして、アラムとの戦況についての預言を受けました。 当時の中東のまじないや宣託の風習から、王がエリシャのところに行った心境が理解できます。そして、神はエリシャを通して語られました。 対して、今日では聖書の中に約束がいっぱい書かれています。そして、すでに私たちは聖書を入手し、読むことができます。 一国の王よりも、もっと素晴らしいリソースを与えられていることに感謝します。 祈り:神様、あなたのことばである聖書が手元にあることを感謝します。 聖書に親しみ、もっとよくわかるように助けてください。聖霊様が心を開き、理解できるように導いてください。知性と霊性が共に主にあって成長しますように。アーメン

II列王記12

「祭司たちは、民から金を受け取らないことと、神殿の破損の修理に責任を持たないことに同意した。」II列王記12:8 神殿工事の事業は、祭司ではなく王主導で行われることになりました。それで、修理のためにささげられる献金は、王の管理のもと修理に当てられました。 祭司に任せるより、王の主導の方が実行力と迅速さで勝っていたからです。 任務の分担とそれぞれの役割を明らかにすることで、ようやくスムーズに工事が始まりました。工事をする人たちは忠実に働いたと書かれています(15節)。 後に城壁を修理したネヘミヤも、総督であり祭司ではありませんでした。行政で培った経験や技術を、主が用いられたのでした。 教会にも、社会で歩むクリスチャンリーダーの存在がとても大切です。神を愛し、信仰を守る誠実な人格に、人々は口に出さなくても何かを感じます。聖霊がその人の内に宿っておられ、その人が意識していなくても働かれているのです。 祈り:神様、牧師や宣教師だけでなく、一人一人が福音を分かち合う大切な器です。今週も聖霊に満たされて歩めますように。職場や家庭に派遣されている、主にある兄弟姉妹を祝福し用いてください。職場や家庭での宣教師として、福音を分かち合う機会と賢い方法が与えられますように。アーメン

II列王記11

「エホヤダは、主と、王および民との間で、彼らが主の民となるという契約を結ばせ、王と民との間でも契約を結ばせた。」II列王記11:17 祭司エホヤダの改革が始まりました。6年間かくまったヨアシュを王とし、主の前で信仰を守ることを、王にも民にも約束させました。ヨアシュは、祭司エホヤダが指導している間は、正しく歩みました(12:2)。 聖書の神は、契約の神と言われることがあります。 私たちの側は、約束を忘れたり、破ったり、たよりになりません。しかし、神の側は約束したことを必ず守られます。 十字架の救いも、神ご自身が定め守られることだから、私たちの側で自信がなくなっても、疑いが起こっても、大丈夫です。 祈り:神様、あなたの約束が確かであることに感謝します。 救いの確信が揺らぐとき、自信がなくなるとき、あなたが大丈夫と保証してくださっていると思い出させてください。 今教会から離れている____さん、____さんが、これほど恵み深いあなたへの信仰を、もう一度新たにできますように。アーメン

II列王記10

「このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。」II列王記10:28 エフーのやり方は、騙し討ちのような策略なのでわかりにくいかもしれません。バアルの預言者たちを、盛大な集会をすると言って集め、服を着替えさせて目印にし、滅ぼしました。 ただしエフー王は、金の子牛に仕え続けました。なぜでしょう。バアルを根絶やしにした、同一人物なのに。 それは偶像礼拝ではない、とでも思っていたのでしょうか。少しくらいなら大丈夫、と思ったのでしょうか。 32節の「そのころ、主はイスラエルを少しずつ削り始めておられた」は厳然とした結果です。 明らかな偶像を拝むことはしなくても、さまざまな思いにとらわれたり、スマホやテレビ、ゲームばかり見たりという恐れが、私たちにもあります。神様に祈り語るよりも、時間をかけ頼りにしてしまうことがあるならば、エフーと同じ道に歩まないよう願い求めましょう。 祈り:神様、あなた以上に宝物のように握りしめている物事がないか、心を探ってください。あなたの喜ばれる道を日々示し、私の歩みを修正し導いてください。アーメン

II列王記9

帰って来てエフーにこのことを知らせた。するとエフーは言った。「これは、主がそのしもべティシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。『イズレエルの地所で犬がイゼベルの肉を食らい、...」II列王記9:36 エフーのクーデター、ヨラム王とアハズヤ王の死、イゼベルの暗殺と、読むだけでも血なまぐさい、残酷な情景が続きます。この部分だけ読むと、なぜこのような出来事を神は黙って見ておられるのか、と思うかもしれません。 聖書通読のよいところは、ここに至るまでの神の愛と忍耐がわかることです。 ・燃え尽きたエリヤが新たに召しを受けた時点で、エフーが王になることが決まっていました。(1列王記19章) ・悪王アハブが悔い改めた時、神は裁きを彼の死後に延期されました。それが成就した場面です。(1列王記21章) ・罪のないナボテを殺して無理に土地を奪う策略(1列王記21章)、エリヤ暗殺の策略(1列王記19章)、偶像礼拝から離れなかった罪を犯したのはイゼベルでした。 そして、人間の自己中心の罪と、そのゆるしは神の一方的な恵み、十字架のあがないによるものだということを実感させられます。今は、悔い改めと信仰告白の祈りをするだけで、シンプルに祈っただけで救われるとは、私たちは何という恵まれた時代に生きているのでしょうか。 祈り:神様、旧約聖書の記録を読むたびに、私たち人間の罪深さと愚かさを覚えます。こんな私たちをあわれんで、救いの道を開いてくださったあなたの恵みと愛は、何と深いことでしょうか。どうか、____さん、____さんも、一日も早くこの恵みを受け取り、信仰告白と洗礼に導かれますように。アーメン

II列王記8

「しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。」II列王記8:19 今日の章は場面がいくつか変わります。預言者エリシャの暮らしと歩みをうかがい知ることができます。 かつてエリヤが天にあげられるときには「わが父、わが父」と叫んだ駆け出しでしたが、今は神の代弁者として王を相手にしても動じず、淡々と主の奉仕に励みます。 ハザエルが残酷な王となるとわかって、彼は泣きました。しかし、その場で彼を阻止したり、害を加えたりはしませんでした。なぜでしょう。それは、エリシャの職務が預言者だったからです。自分の分を越えていたからです。 私たちは、自分の分を越えてメシヤのようにふるまうことはできません。主に割り当てられたことを忠実に行い、あとは主がしてくださると信頼できるかが問われています。主はダビデとの契約を守られました。今日も、みことばの約束を守られる方です。 祈り:神様、私の悩みや行きすぎる心配を悔い改めます。あなたが全てをご存知であることに、もっともっと安心し信頼できますように。みことばの約束を握り、私に割り当てられた分の働きに焦点を合わせて歩めるよう助けてください。アーメン

II列王記7

「しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、神の人に答えて言った。『たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。』そこで、エリシャは言った。『確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。』」II列王記7:2 不信仰の結果は重いものです。侍従は、民に踏みつけられるという事故にあい、死んでしまいました(17節)。せっかく解放され、食料が受け取れそうだったのに、受けとることはあいrませんでした。 私たち自身も、思わず不信仰の言葉を出してしまうことがあります。また、うわさや陰口を広げようとする人がいた時、厳しく指摘することを控えてしまうことがあります。 主は、私たちの心をじっと見つめておられます。どのように悔い改め、心を変えていただけるでしょうか。民と共に祝福と食料を喜べるような、信仰ある者となれますように。 祈り:神様、あなたの解放をありがとうございます。不信仰な言動をゆるしてください。また、うわさや陰口の好きな___さんのことを苦々しく思います。あなたの適切な取り扱いが____さんにありますように。また私の心から苦みを取り去ってください。アーメン

II列王記6

「そして、エリシャは祈って主に願った。『どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。』主がその若者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。」II列王記6:17 若者は、これまで見えなかったものを見ました!そして、主が守ってくださっていること、孤独でないこと、パニックにならなくてよいこと、勝利が決まっていることを知りました。 この章の始めの斧の記事といい、天の大軍の記事といい、私たちに見えないものを主は見ておられます。「しっかりしなさい、大丈夫だ」という主の声が聞こえるようです。その励ましは、今日の私自身に最も大切なものです。 祈り:神様、あなたにもっと信頼することを教えてください。若者の目を開いたように、私の目を開き、人の声や態度でなく、あなたの声に安心し憩えますように。アーメン

II列王記5

「アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。」II列王記5:2 2節に出てくる「若い娘」は名前もわかりません。捕虜として連れてこられ、ナアマンの妻に仕えていた、不幸に思える背景です。 しかし、この女性がナアマンの秘密(病)を知り、主を求めるよう進言します。そうして、一国の将軍が主のいやしを体験し、信仰を持つに至ったのです! 私たちは、キリスト者として名もない存在かもしれません。しかし、「若い娘」のような間接的に影響を及ぼす働きに、今日召されているかもしれないのです。 いつでも証しの用意ができている者となれますように。 祈り:神様、私たちをあなたの働きに参加するよう招いてくださり、感謝します。必要な時に、私たちが信仰者であることをあかしできるよう助けてください。恥じたり、隠したりするのではなく、説明を求める人には優しく、丁寧に、聖霊の助けによって対応できますように。アーメン

II列王記4

「その子の母親は言った。『主は生きておられます。あなたのたまたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。』エリシャは立ち上がり、彼女の後について行った。」II列王記4:30 旧約聖書は、キリストの影をぼんやりと写す鏡のようなものだと言われます。やがて来られるキリストがどのようなお方か、何をなさるかを示しています。 預言者エリシャは、神の声を代弁し、神のわざを行いました。人間にすぎませんでしたが、やがてイエス・キリストが行ってくださるみわざの影を見ることができます。 ・壺の油が尽きなかった→カナの婚礼で水がぶどう酒に変わった ・もてなしたシュネムの女性(8節~)をねぎらう→香油を注いだ女性へのねぎらい、女性の弟子たちが復活のイエスに最初に出会う ・病や死からの癒しを行ったこと→同じように病気を癒され、ラザロをよみがえらせた ・安全な食物を、お腹いっぱいに与えた→5000人の給食や最後の晩餐など、食事の記事の数々 エリシャの時代も、キリストが来られた時も、今日も、時代や社会は荒れています。罪が満ちています。それでも、真摯に神を求める人には、神は答えてくださり、ご自身のご性質を現してくださいます。 祈り:神様、今日も主ご自身が生きておられ、世界中で働いておられることに感謝します。 私たちの視野が、あなたの姿とみわざをとらえ、驚きと深い平安で満たされますように。 誰も見たことのないこと、聞いたことのないことがみ旨のうちに起こると期待します。アーメン

II列王記3

「ヨシャファテは言った。『ここには、主のみこころを求めることができる主の預言者はいないのですか。』すると、イスラエルの王の家来の一人が答えた。『ここには、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です。』」II列王記3:11 北王国、南王国、エドムの連合軍がモアブと戦おうとしたところ、到着までに予想外の日数がかかり、水がなくなってしまいました。北王国のヨラム王は自暴自棄な言葉を出しますが、南王国のヨシャファテ王は「主のみこころを求めよう」とエリシャを呼びます。結果として、豊かな水が供給されました。 危機に陥った時、私たちの肉の心は「もうだめだ」と叫びます。 しかし、主の目には終わりではありません。そして、主の助けは不思議な方法で与えられます。それを得るために必要なのは、神への信仰を持ち続ける忍耐です。 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です(ヘブル10:36)。」 祈り:神様、あなたが助け主、私の岩、私の救いであることに感謝します。 ピンチの時、人間的な常識だけに流されそうな時、忍耐と信仰を与えてください。 周囲の人からのプレッシャーを受けている____さん、_____さんを、あなたが守り、信仰に固く立てるよう、心を励ましてください。 アーメン

II列王記2

「エリコの預言者の仲間たちは、遠くから彼を見て、『エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている』と言って、彼を迎えに行き、地にひれ伏して礼をした。」II列王記2:15 エリヤは火の戦車、馬と竜巻に乗って天に上げられました。「わが父、わが父...!」と叫び続けたエリシャの寂しさと嘆きに胸が詰まります。 しかし、エリヤに臨んでいた神の霊は、今度はエリシャを通して働かれ始めます。「エリヤの霊」というのは亡霊ではなく、エリヤに臨んでいた神の霊、聖霊の注ぎです。預言者のリーダー的存在として、主にあって歩む働きの継承が、エリヤからエリシャになされていたことがわかります。 親しい家族や友人を失って、気落ちしているでしょうか。子どもの独立や定年で、空虚な気持ちになっているでしょうか。年齢を重ねて自分の弱さに直面していますか。 悲しむことは自然で正しいプロセスです。しかし、神様の計画はそれで終わりではありません。エリシャが立ち上がり、エリヤの後継者として働き始めたように、私たちに割り当てられた主のご計画とミッションはまだまだ続いているのです。 祈り:神様、私が今感じている喪失体験は__________です。ぽっかり空いた心の穴に、聖霊ご自身が入り満たしてください。 最近親しい方との別れを経験したり、環境が大きく変わったりした____さん、____さんに、あなたの限りない慰めと励まし、そして新しい希望と歩みへの光を与えてください。アーメン

II列王記1

「王は、エリヤが告げた主のことばのとおりに死んだ。そしてヨラムが代わって王となった。それはユダの王ヨシャファテの子ヨラムの第二年のことであった。アハズヤには息子がいなかったからである。」II列王記1:17 アハブの死語、アハズヤが北王国の第8代王となりました。転落事故で重体になった時に、主なる神でなく、バアル神を頼りました。 主はエリヤを通してその罪を指摘します。やがて王は主のことばのとおり死にます。それまでに、王の兵隊たちも犠牲になりました。 暗い空気感の漂う第二列王記の始まりです。 しかし、大きな原則を読み取ることができます。それは、主がいのちを支配しておられる方、火を降らせることのできる全能の方だということです。 そして、かつて燃え尽きたエリヤが、この時点までいのちを守られ、主に仕え続けているという希望と守りも読み取ることができます。 祈り:神様、時代が悪くても、その中で誠実に生きる信仰者を覚えてくださり感謝します。私たちが生涯信仰を全うできるよう助けてください。 あなたが人を生かし、あなたの許しなしには息絶えることがないことを覚えて感謝します。病床にある____さん、____さん、そして介護・看護する____さん、____さんとご家族に、今日も希望と平安をお与えください。 アーメン

I列王記22

彼は答えた。 「私は全イスラエルが 山々に散らされているのを見た。 まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。 そのとき主はこう言われた。 『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ 自分の家に無事に帰らせよ。』」I列王記22:17 預言者たちまでが、アハブに都合のよいことしか預言しなくなっていました。 ミカヤによれば、それは悪霊が預言者たちを惑わしたからでした。 不信仰なアハブ王の治めた国は荒れていきました。その人々の様子を、17節では「羊飼いのいない羊の群れのよう」だと記しています。やがてアハブは戦死します。 後にイエス様が来られた時も、 「イエスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた(マルコ6:34)」 と記されています。さまようごく普通の人々を、イエス様は深くあわれんでくださる方です。そして、今日も語りかけてくださる方です。戦争、病気、災害、将来への不安でさまよっている私たちをあわれみ、優しく導いてくださいます。 祈り:あわれみ深い神様、感謝します。今日、あなたの御声を聞くことができますように。不安をあおるような声が内面で聞こえる時、「下がれ、サタン」と命じられたイエス様のお名前の権威で勝利できますように。私を平安の道に今日も導いてください。アーメン

I列王記21

「アハブはこれらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に粗布をまとって断食をした。彼は粗布をまとって伏し、打ちひしがれて歩いた。」I列王記21:27 悪王アハブは、 「アハブのように、自らを裏切って主の目に悪であることを行った者は、だれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたのである(25節)」 と言われたほどでした。 預言者エリヤと主ご自身に敵対し続けた王でしたが、自分と子孫の最後についての預言を受けた時、初めてへりくだりました。 驚くことに、主なる神様はこのように言われました。 「あなたは、アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間はわざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す(29節)」、と。 ただちに滅ぼされてもおかしくない彼の行状でしたが、神様は裁きを延期されます。 なんと忍耐づよく、あわれみ深いお方でしょうか。悔い改める者に、主は今日もあわれみ深くあられます。 祈り: 神様、あなたのあわれみ深い恵みを感謝します。主の前に謝ることがあると気づいたら、ただちにへりくだって悔い改めることができますように。裁く心、妬む思い、すべきだったのにしなかったことなど、私に気づきを与え柔らかい心にしてください。 「あなたがたの心を頑なにしてはならない。メリバでのように 荒野のマサでの日のように。(詩篇95:8)」  アーメン

I列王記20

ちょうどそのころ、一人の預言者がイスラエルの王アハブに近づいて言った。「主はこう言われる。『あなたは、この大いなる軍勢を見たか。見よ、わたしは今日、これをあなたの手に引き渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る。』」I列王記20:13 悪王アハブの治めるイスラエルの危機に、預言者が送られました。緊張する国際関係の中で、ほっとする場面です。主が北王国であるイスラエルを見捨てなかったことがわかります。 アハブが徹底的に悔い改め、主に従っていれば、この章はもっと明るい結末になっていたでしょう。 人間的には、ベン・ハダドを見逃したのは良い和平策のように思えます。しかし、長い目で見れば、戦いが長期化し、より多くの犠牲者が出ることになったのでした。また、自国民のほしいままに殺した彼がベン・ハダドを見逃したのは、自分の貪欲と気まぐれによるという印象を受けます。 私たちのひとときの感情論、価値観は、長期的な視野を持ちにくいものです。だからこそ、重要な決断は祈り、神のみこころをつかむことが必要です。 祈り:神様、あなたがすべてを支配され、ご計画をお持ちであることに感謝します。四季の移り変わり、宇宙の天体を支配しておられるあなたが、私たちの小さい日常も御手に治めておられることを信じ、信頼します。アーメン

I列王記19

「地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。」I列王記19:12 疲れはてたエリヤは、イゼベルの脅迫から逃げ、荒野で死を願いました。 主は食べ物と休息を与え、40日間かけてホレブの山に彼を導かれました。そこは、かつて劇的な方法で主がモーセに現れた場所でした。 しかし、うつ状態だったエリヤには、風でも地震でも火でもなく、かすかな細い声で優しく現れてくださいました。そして、新たな使命を与えられたのです。 主なる神様は、私たちの状態を誰よりもわかっておられます。そして、一人一人にユニークな方法でご自身を知らせてくださいます。あの人のように劇的な救われ方をしていない、とか、奇蹟や目立ったあかしがない、などと思う必要はありません。 「神様と私」の関係を大切にし、私にとっての信仰のあかしを分かち合う者となれますように。 祈り:神様、あなたが私をよく知っておられ、いつも個人的に関係を持とうとしてくださっていることに感謝します。かすかな御声に応答できますように。他の人と比較するのではなく、私が受けた恵みとあなたの愛をあかしする者となれますように。アーメン

I列王記18

「すると、主の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くした。」I列王記18:38 列王記の中で最も有名な場面かもしれません。エリヤはバアルの預言者と対決し、主によって勝利しました。今日のカルメル山の山頂には、この場面のエリヤ像が立っています。 勇敢な、何も恐れないエリヤ。彼の祈りの答えは、主こそまことの神であり、主にとって不可能なことはないと証明しました。 そして、ひっそり出てきている脇役?のオバデヤの存在も忘れることができません(彼は預言者オバデヤとは別人です)。彼の仲介があってこそ、エリヤはアハブ王と会い、対決へと導かれたのでした。身の危険を承知しながらも主に忠実だった、彼のような人物もまた神は用いておられます。 祈り:神様、一人一人にあなたのご計画と導きがあることに感謝します。目立つ働き、目立たない働き、それぞれの持ち場で、喜んであなたに仕えることができますように。比較のわなから守ってください。アーメン

I列王記17

「エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。」I列王記17:16 堕落した北王国に、預言者と信仰者のキラリと輝く記事が出てきます。 雨が降らないという預言は、アハブ王にとってだけ大変だったのではありません。ツァレファテのやもめ家族や民衆、そして預言したエリヤ自身も餓死の危機に直面しました。ぎりぎりの所で神様が助けてくださったのでした。 トップリーダーがひどい人でも、その国には主を愛する純粋な信仰者がいます。そして苦難に直面しています。戦時中の日本もそうでした。今のロシアも同じです。そのことを忘れず、とりなしの祈りを続けたいと思います。 祈り:神様、あなたの真実を感謝します。ロシア、北朝鮮、イラン、ミャンマー、アフガニスタン...、私たちには理解できない政策をとる国の中に、必死で祈り信仰を守る霊の兄弟姉妹がいることを覚えます。ツァレファテのやもめ家族を養ったように、その人々をお守りください。キリストの希望と日々の必要が備えられますように。主の御名が、かつてないほど広がりますように。アーメン

I列王記16

「...オムリの子アハブはサマリアで二十二年間、イスラエルの王であった。オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行った。」I列王記16:29~30 北王国ではエラ、ジムリ、オムリ、と王が変わっていきます。なかには数日間しか治めない王もいました。その間、南王国ではずっとアサ王でした。 良い王が長く治め、悪い王がすぐに交代するというのならわかりやすいのですが...。 オムリに続く北王国のアハブ王は、これ以上ないほど主に不誠実な王だったのに、22年間も王位につきます。なぜなのか、と首をひねります。 私たちの判断は、見えるもの、数字に現れるものに偏りがちです。しかし、主の深いご計画と摂理があり、決して悪をそのままになさらないこと、真実なものには永遠の報いがあることを信じられるかが、信仰の世界なのだと思わされます。 祈り:神様、あなたのみ思いは、私には深く高すぎてわかりません。しかし、あなたが真実な方であることを信じます。なかなかきかれない祈り、不条理な出来事がある時、あなたが忘れておられないことを信じ信頼できますように。特に今、心に浮かぶ_________のこと、__________のことにあなたのご介入と働きを信じてお祈りします。アーメン

I列王記15

「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、彼のためにエルサレムに一つのともしびを与えて、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。」I列王記15:4 「列王記」という名前のとおり、北王国と南王国の王が並行して記されていくので、「今は北と南、どちらの出来事なのだろう」と意識しながら読むと流れがわかりやすいです(両国の王を表にしたカードもあります)。 ダビデの孫にあたるアビヤム(1節)は良くない王でしたが、主はダビデとの約束を守られ、家系がとだえることはありませんでした。 アビヤムの次に兄弟のアサが王になり、若いうちは主の目にかなう統治を行いました(9~24節)。 私たちは、自分の子や孫のためには熱心に祈ります。 それならば、同じ心で、教会やメンバーの家庭に与えられている、霊の子や孫(これから救われる人も含め)のために祈る者となれます。 礼拝中に幼い子どもが泣いたり声を出したりしても、温かくほほえんで受け入れる、今の雰囲気をとても嬉しく思います。10年、20年先に、彼らが信仰を受け取って霊のリーダーとなっていく姿を想像します。ダビデのように、後に続く信仰の遺産を残し、バトンを渡す者となれますように。 祈り:神様、あなたの恵みと祝福が世代を越えて受け継がれることを感謝します。「ダビデに免じて」と記されているように、「○○○(自分の名前)に免じて」、家族や教会に恵みが注がれ続ける者となれますように。 教会にいる乳幼児、子ども、ユースの____ちゃん、____くん、_____さんをあなたがとらえ、福音をあかしする者にしてください。教会に与えられた素晴らしい存在として、皆で霊を養い育てることができますように。アーメン

I列王記14

「レハブアムとヤロブアムの間には、いつも戦いがあった。」I列王記14:30 分裂したユダ王国とイスラエル王国は、常に対立していたと記録されています。 イスラエル王国が偶像礼拝と勝手な祭司任職をしただけでなく、ユダ王国でも偶像礼拝が行われていました。神殿男娼もおり、性的にも乱れていました(23~24節)。 ユダ王国にはエジプトが攻めて来て、ソロモンの建てた主の宮と王宮から財宝をことごとく奪いました(25~26節)。ソロモン治世の統一と繁栄は、20年たたないうちにあとかたもなくなりました。 それもこれも、人々が主を求めることを忘れ、自分勝手な偶像礼拝をしたからでした。 私たちも、主の良くしてくださったことへの感謝より、目先の問題ばかりが気になりがちです。神様に対してだけでなく、信仰の友や教会の兄弟姉妹の祈りや親切も、すぐに忘れてしまったり、当然のように思ったりしがちです。 当たり前と思わず、思い返すたびに感謝の祈りをささげることができますように。 祈り: 「わがたましいよ 主をほめたたえよ。  主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2) 神様、あなたの良くしてくださった ______のこと、_____のこと、_____のことを今日は特に覚えて感謝します。あなたの愛と恵みをありがとうございます。 そして、あなたが出会わせてくださった信仰者の____さんの_____(祈りや親切)、____さんの_____(祈りや親切)を思い返し、感謝いたします。主からの祝福と報いを、彼(彼女)に注いでください。彼(彼女)の存在を感謝します。アーメン

I列王記13

「一人の神の人が、主の命令によってユダからベテルにやって来た。ちょうどそのとき、ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立っていた。」I列王記13:1 名もない、しかし主に忠実な預言者が、主の命令で北王国に遣わされました。勝手な偶像礼拝をするヤロブアム王を戒め、主の命じた通りに南王国に戻ろうとします。 ところが、元預言者だった人の言葉にだまされ、その結果ライオンに殺されてしまったのでした。 忠実な預言者がこんな最期を遂げたとは、何とも気の毒です。でも、彼の死は、神の裁きの厳粛さと警告を、信仰から外れた北王国の人々に発したことでしょう。 日本でも、多くのクリスチャンが迫害を受けました。江戸時代も、大戦中も。善良な人々の殉教は、信仰者だけでなく社会や歴史にインパクトを与えました。 「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える(黙示録2:10)」に望みを置くクリスチャンたちのために祈ります。 祈り:神様、今週も自由に礼拝を守ることができました。この恵みを感謝します。世界の迫害の中で信仰を守る私たちの霊の兄弟姉妹を、今日も励まし勇気づけてください。 教会の中にも、家族のうち一人で信仰を守る方々、職場や学校のプレッシャーを覚える方たちがおられます。あなたが特別に励まし、今の辛い状況を豊かなあかしの場と変えてください。アーメン

I列王記12

「『主はこう言われる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰れ。わたしが、こうなるように仕向けたのだから。』そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。」I列王記12:24 長老の助言を軽んじたレハブアム王の対応をきっかけに、王国が二つに分裂することになりました。レハブアム王とユダ(南王国)はイスラエル(北王国)を攻めようとしましたが、神は預言者シェマヤを通してストップをかけられました。 先には失敗しても、レハブアム王とユダが「主のことばに聞き従」ったのには望みがあります。 一方で、イスラエル(北王国)のヤロブアム王は祭りの日を勝手に定め、偶像礼拝を始めました。先代のソロモン王が晩年とった態度を見ていたからでしょうか。 この箇所は、知らないうちに罪深い影響を受けてしまう危険性を、私たちに教えてくれます。 私たちが後の代に悪い影響を残さないように、信仰のよい遺産を残せるようにと祈ります。 祈り:神様、あなたを慕い求める純粋な信仰をお与えください。私の極端な教えやこの世の影響からお守りください。子どもの成績や家族の昇進を、信仰より重視することがありませんように。信仰の歩みが家族に、そして教会に良い影響を与えることができますように。アーメン

I列王記11

「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。」I列王記11:4 あるワークショップで「あなたは自分の葬儀で、どのような人だと紹介されたいですか」という質問がされました。地上の生涯を終えた時に、どのような生き方をしたと覚えられるかが、その人の人生の真価である、と。 イスラエルの繁栄を築いたソロモンには、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいました。「その妻たちが彼の心を転じた(3節)」と書かれています。彼は外国の女性を愛し、偶像礼拝に陥ったのです。 若い時、主に知恵を頂いたのに。主の宮を建てたのに。国を繁栄に導いたのに。主が二度も警告された(9~10節)のに...。 ソロモンの心変わりは「年をとって」からでした。信仰は、経験を積んだから「もう大丈夫」ではなく、最後まで「主よ、守り導いてください」という祈りなのですね。 祈り:神様、あなたがデザインされた道を進めるよう、今日も守り導いてください。誘惑やこの世の栄光にとらわれず、神の国で価値あるものに目をとめることができますように。教会が業績や人数ではなく、キリストを愛し従うことを優先できますように。アーメン

I列王記10

「全世界は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた。」I列王記10:24 ソロモンの絶頂期の様子が記されています。知恵と知識に加え、物質的にもイスラエルの平和と繁栄が章全体に記述されています。 国内の豊かさだけでなく、国際貿易でも莫大な富を得ました。金銀、衣服、武器、木材、香料、家畜、戦車...。 「ソロモンが所有していた馬は、エジプトとクエから輸入された(28節)」 「馬は銀百五十で買い上げられて、輸入された。同様に、ヒッタイト人のすべての王やアラムの王たちにも、王の商人たちの仲買で輸出された。(29節)」 ...繁栄の中に、陰りがあるとしたらここです。申命記で「ただし王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない(申命記17:16)」と言われました。ソロモンが知らなかったとは思えません。 「これぐらいなら」と思ったのかもしれません。しかし、それが王国の衰退をもたらす遠因となります。 私たちも「これくらいなら大丈夫」とうやむやにしていることがないか、心を探られます。神様がよいと言われる以上にやりすぎていること、突っ走っていることがないかも振り返りたいと思います。 祈り:神様、私の日々にも祝福と必要を与えてくださり感謝します。感謝して受けとると共に、誠実に用いることができますように。あなたの望まれないことまでしていないか、逆に恐れや頑固さですべきことを怠っていないか、私の心を探ってください。そしてあなたの望まれる生き方に導いてください。アーメン

I列王記9

「主は彼に言われた。『あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目と心は、いつもそこにある』」I列王記9:4 主なる神様からの、なんと力強い返答でしょうか。 自分が成し遂げた事業と祈りへの、最高の報いだったと思います。 しかし、神の祝福を受け続けるかどうかは、それ以上にソロモンの誠実さと信仰の姿勢にかかっていました。 神様がいくら祝福を願われても、神から離れ偶像礼拝をする者に注ぐことはできません。残念ながら、イスラエルの国はこの後堕落していき、祝福から離れていきました。 祈り:神様、あなたのそばにいつも近くあらせてください。生涯の最後まで、あなたから離れることのないように、私の心とたましいを御手に抱き、守ってください。アーメン

I列王記8

「こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。」I列王記8:60 ソロモン王が神殿奉献式で祈った祈りの最後、民を祝福した部分です。 政治家は国民に向かって素晴らしい演説をします。 しかし、ソロモンは主に向かって真心からの祈りをし、民を祝福する祈りで閉じました。 その内容は、イエス様が「地の果てにまで福音を宣べ伝えなさい」と言われたのを連想させます。 ソロモンの祈りの言葉は、そのまま私たちの祈りにもなります。 祈り: イスラエルの神、主よ。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。(23節) 実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。(27節) どのようなわざわい、どのような病気であっても、 だれでも自分の心の痛みを知って 祈るなら、どのような祈り、どのような願いであっても、あなたご自身が、御座が据えられた場所である天で聞いて、赦し、また、かなえてください。(38~39節) 一人ひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心をご存じです。そうして、私たちが生き続ける間、いつもあなたを恐れるようにしてください。(39~40節) こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。(60節)アーメン

I列王記7

「ソロモンは人を遣わして、ツロからヒラムを呼んで来た。彼はナフタリ部族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。ヒラムは青銅の細工物全般について、知恵と英知と知識に満ちていた。彼はソロモン王のもとに来て、その一切の細工を行った。」I列王記7:13~14 今日出てくる「ツロのヒラム」は、5章で出てくる「ツロの王ヒラム」とは別人です。 彼は優れた職人だったことがわかります。手先の技術だけでなく、知恵と英知と知識に満ちていた人物でした。 父をなくし、外国に住んでいた彼の生活は試練も多かったと想像します。しかし、主は彼を忘れておられませんでした。抜擢を通して祖国での事業に関わったのでした。 私たちの境遇が社会的に恵まれなくても、主は決して忘れておられません。主の恵みが注がれ続けていること、主が目を留めてくださっていることを覚えます。 祈り:神様、あなたの恵みは尽きず、日々私の歩みに十分であることに感謝します。不平、不満の多い者をゆるしてください。私の口を守り、あなたへの感謝がもっと出るように助けてください。アーメン

I列王記6

「第四年のジブの月に、主の宮の礎を据え、 第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。」I列王記6:37~38 ソロモンが建てた神殿は、7年がかりで完成しました。金箔や彫刻が隅々まで施され、豪華そのものでした。主ご自身は、人の手で建てたものの中だけに縛られず、天地を治める方です。 それでも、神殿は神様の素晴らしさを示し、人々へのあかしとなりました。 教会堂も同じです。教会は建物ではありませんし、信仰者は物質的な豪華さにとらわれません。 それでも、「この町に教会がある」「十字架が立っている」ということが、まだキリストを知らない人たちへの招きとなり、あかしとして用いられます。 そうした祈り心で教会敷地の掃除や手入れをしてくださっている方々に、主が報いてくださいますように。 祈り: 「主は、天を薄絹のように延べ広げ、これを天幕のように張って住まわれる(イザヤ40:22)」 偉大な主を、私たちがいろんな方法であかしできることに感謝します。言葉を通してはもちろん、祈りながらの会堂掃除、心をこめた草抜き、スリッパを並べることさえも、主に栄光をお返しする思いです。喜びをもって主と主の教会に仕えることができますよう、今週も導いてください。アーメン

I列王記5

「ヒラムはソロモンの申し出を聞いて、大いに喜んで言った。『今日、主がほめたたえられますように。主は、この大いなる民を治める、知恵のある子をダビデにお与えになった。』」I列王記5:7 ツロの王ヒラムは、ソロモンの父ダビデの代からのよい友人でした。彼は、ソロモンの神殿建設プロジェクトに協力し、多くのスタッフもその仕事に従事します。 私たちの信仰の歩みでは、信仰者はもちろん、周囲の人の協力と理解という恵みも忘れることができません。礼拝に送り出してくれる家族、好意的に接してくれる地域や職場の人たち、思いがけない助けを申し出てくれる人々。 私たちだけでなく前の世代の信仰者がよい隣人、よい市民として自然なあかしをしてきてくれたからだと感謝を覚えます。私たちは、次の世代にどんな土壌を残せるでしょうか。 祈り:神様、ダビデの信仰と誠実な姿勢が、ソロモンの代でも周囲に影響を与えていたことを知りました。私が今日こうして信仰を守り、クリスチャンとして歩めるのは、前の世代のあかしの実であることを覚え、感謝します。私も次の世代によい遺産を残して歩みたいです。今日も真心と主への愛をもって歩めますように。アーメン

I列王記4

「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。」I列王記4:29 主語は「神」です。神が、知恵と英知と広い心をソロモンに与えられたのです。 私たちの品性に「足りないなあ」「欠けているなあ」と思うものがあるなら、神様に願いましょう。御霊の実は、神からの賜物です。 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。(ガラテヤ5:22~23)」 祈り:神様、私たちをキリストに似た品性を持つ者にしてください。優しく、あわれみ深く、義を愛して善意にあふれ、自制することができますように。今日も思わぬハプニングが起こった時、あなたの平安で対処できるように助けてください。アーメン

I列王記3

「これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。」I列王記3:10 ソロモンは自分のための長寿や富ではなく、王として正しく聞き分け、判断する力を願いました。それが「主のみこころにかなった」、と書かれています。 もし私たちが「あなたに何を与えようか。願え(5節)」と主に言われたら、どう答えるでしょうか。私なら「神様、あなたはどう思われますか。私に必要なものは何ですか」と聞き返すかもしれません。 神様は私たちにとって最善のものをご存じです。それでも、「あなたは何を願うのか」と聞いてくださいます。静まり、じっくり主の前に出る時間を持ちたいと願います。その時、主は私たちの心と歩みが召しにかなっているか、気づきも与えてくださるからです。 祈り:神様、あなたの前に心を静めて出ています。私の心と歩みを探ってください。サタンは「責め立てる者」として私の心を不安にさせます。でもあなたは平安を与えてくださいます。間違ったことは悔い改め、あなたに相談しながら方向転換、軌道修正ができるよう、助けてください。アーメン

I列王記2

「ソロモン王は主にかけて次のように誓った。『アドニヤがこういうことを言ってもなお自分のいのちを失わなかったなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。』」I列王記2:23 アドニヤ、エブヤタル、ヨアブは、ダビデやソロモンに反逆した人々でした。 ある人は追放され、ある人は殺されました。 もっとも、アドニヤはなぜこの発言で死刑になったのか、と初めは思いました。アビシャグと結婚したいと言っただけなのに、と。 注解書を読むと、アビシャグはダビデ王のすぐそばで仕えた女性であり、彼女を妻にすることは再び王権を脅かす原因となりえた、ということがわかりました。発言の背後には、アドニヤの反逆心と王座をねらう試みがあったのでした。ですから、ソロモンの判断は国の安定のために妥当なものでした。この判断で多くの民が戦いや混乱から守られたといえます。 旧約聖書を読む時、こうした事情や状況をふまえると、すでにダビデの遺言を通して神がソロモンに知恵を与え、王座に召したことに納得できます。 祈り:神様、あなたの知恵は深く正しいことに感謝します。聖書の中には、わからないこともたくさんあります。今日のように納得することもあれば、疑問が残ることもあります。けれども、あなたの真実と恵みに信頼します。もっと聖書に親しめるよう、あなたのことばを道しるべとして歩めるよう、日々導いてください。アーメン

I列王記1

王は誓って言った。「主は生きておられる。主は私のたましいをあらゆる苦難から贖い出してくださった。私がイスラエルの神、主にかけて、『必ずあなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に就く』とあなたに誓ったとおり、今日、必ずそのとおりにしよう。」I列王記1:29~30 上に立つ人、とりわけ当時の王は大変な責任を追っていました。「年を重ねて老人になっていた。そのため衣をいくら着せても温まらなかった(1節)」という状態でも、ダビデには王座を狙うアドニヤへの対処と、ソロモンに王位を継承する仕事が残っていました。 年老いてしまったダビデの様子は、王位継承の時期が遅かったとも言えます。しかし王位は死亡によって交代するのが原則で、戦いもないのに生前退位するのは珍しいことでした。 さらに、忠実で賢い側近や家族、預言者の存在があったので、手遅れになる前に王位継承が行われ、内戦や分裂から国が守られました。 私たちは家庭、職場、学校で、みことばの知恵と祈りによりリーダーを支えているでしょうか。自分の感情とみことばが一致しないとき、どちらを優先しているでしょうか。また、リーダーとして主の導きを求め、従う者でしょうか。時には潔く助言を聞き入れ、リーダーシップを分け与えることができているでしょうか。 祈り:神様、あなたのことばである聖書が手元に与えられていることを感謝します。さらに理解が深まり、聖書が私の日々の考えや行動そのものの指針となっていきますように。リーダーであれフォロワーであれ、聖書のことばを大切に、祈りと聖霊の導きに従い歩めるように助けてください。 特に信仰の共同体である教会に、かしらなるキリストの恵みと導きが今日も豊かにありますように。アーメン

Ⅱサムエル24

「ヨアブは王に言った。『あなたの神、主が、この民を百倍にも増やしてくださいますように。わが主、王の目が、親しくこれをご覧になりますように。ところで、わが主、王は、なぜこのようなことを望まれるのですか。』」Ⅱサムエル24:3 当時の中東で行われた人口調査には、税の取り立てなどの他、戦士の数を数える目的があったそうです。もっとも、ダビデには主がついておられ、主が命じるのでなければ人口調査は必要なかったと思われます(ゴリアテと戦った時も(1列王17章)、主の力だけに信頼して勝利したはずです)。 自分の思いで調査を決行した結果、国に災いが臨みました。 側近ヨアブはダビデに中止を進言しました(3節)。そのときは却下したものの、後になって悔い改めた時、ダビデはヨアブの進言を思い出したでしょう。 私たちの周りにも、祈りながら忠告してくれる家族や友がいるならば、その存在を主に感謝することができますように。 祈り:神様、あなたが私の人生に与えてくださった信仰の友を感謝します。ぶつかることや間違えることがあっても、お互いの存在そのものを尊重し、優しい言葉で忠告し建て上げることができますように。アーメン

Ⅱサムエル23

「イスラエルの神は仰せられた。 イスラエルの岩は私に語られた。 『義をもって人を治める者、 神を恐れて治める者。その者は、太陽が昇る朝の光、 雲一つない朝の光のようだ。 雨の後に、地の若草を照らす光のようだ。』」Ⅱサムエル23:3~4 治める者の資質は「神を恐れる」ことだ、とダビデは生涯の最後に言いました。 戦いが強いとか、威厳がある、とかではなく、「神を恐れる」ことだ、と王本人が述べています。 そのように神を愛する王のそばには、忠実な勇士たちがいました。23章の後半には、勇士の名前が列挙されています。そして、最後の39節にはバテシェバの夫だった、あの「ヒッタイト人ウリヤ」の名も挙げられています。ダビデの策略にもかかわらず、最後まで忠実に仕えた彼のことを、人々も、そして神様も覚えておられました。 祈り:神様、どんなに権力や名誉があっても、主を恐れることがなければ空しいことを覚えます。国や政治に、主を知り主に祈るリーダーを起こしてください。私自身も、うわべの信仰ではなく、真心から礼拝する人となれますように。37人の勇士のように、主の勇士として忠実に人生を全うすることができますように。アーメン

Ⅱサムエル22

「主がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを主に歌った。」Ⅱサムエル22:1 戦いが終わり平和がきた、その日にダビデはこの歌を歌いました。 同じ歌が詩篇18篇にも出てきます。 今世界で起こっている戦いや紛争が終わった日、何人のクリスチャンがまず主を賛美し、ほめたたえるでしょうか。 直接の当事国でなくても、祈りに覚え続けている私たちも、その日にはまず主をほめたたえ、ダビデのように感謝する者となれますように。 祈り:主なる神様、あなたは「わが巌、わが砦、わが救い主(2節)」です。 「わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主(3節)」です。 戦いの影響が全世界に広がっています。あなたは苦しみ嘆いている者たちの声を聞いてくださる方です。 私たちの祈りも御耳に届いています。(7節) あなたの介入と解決を切望します。主よ、今週も私たちの祈りの手を上げ、個人の小さいことも世界の大きいことも、あなたに祈り求めて歩みます。これまでよりも、もっとあなたと親しく会話できますように、私を導いてください。アーメン

Ⅱサムエル21

「彼らはサウルとその息子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬り、すべて王が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」Ⅱサムエル21:14 3年の飢饉があり、主はサウルの一族のしたことの責任を問われました。サウルの息子たちは死刑となりました。 屋外にさらされていた息子たちの死体を、母親の一人リツパ(サウルには何人も妻がいた)は現地に滞在して見張り、鳥や獣が荒らさないようにしました。 それを聞いた後、ダビデはサウルとヨナタンの骨を改めて正式な墓地に葬りました。 それまではヤベシュ・ギルアデに持ち運ばれていたのでした。 聖書は淡々と記していますが、息子の遺体を見るリツパの涙と嘆き、ヨナタンを葬る時のダビデの涙があったと思います。イエス・キリストが十字架にかかった時の母マリアの涙と嘆きも、同じく想像に難くありません。 罪がもたらした悲しみと嘆き、そして滅びに至る人間を放っておかれない天の父なる神様の愛。旧約聖書の涙の間も、主なる神様の計画は着々と進んでいました。 祈り:神様、あなたの愛と救いに思いを馳せます。残酷な出来事と涙の繰り返しに、見える旧約聖書の記録ですが、その背後に主の大いなるご計画が進んでいることを覚えます。キリストの光に照らして読み続けます。あなたの恵みを日々教えてください。アーメン

Ⅱサムエル20

この町から、一人の知恵のある女が叫んだ。「聞いてください。聞いてください。ヨアブにこう言ってください。『ここまで近づいてください。あなたにお話ししたいのです。』」Ⅱサムエル20:16 再び、無名ながらも大きな働きをした女性の登場です。大胆にも、彼女はトップリーダーのヨアブと話したいと求めました。そして戦いの目的を尋ね、シェバ一人のために滅ぼされそうになっていた町全体を救いました。 「私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者の一人です(19節)」とヨアブと対等に渡り合い、 「知恵を用いて、民全員のところに行っ(22節)」て、町の人々が力を合わせて解決に向かうようにさせました。素晴らしいリーダーシップです。 主に忠実で、平和を願い、主からの知恵を用いて声をあげる人を、主は用いられます。たとえ若くても、地位がなくても、こうした人の存在が祝福となっていることに目をとめたいと思います。 祈り:神様、この女性のように忠実な信仰と勇気のある人たちを感謝します。年が若くても低く見ないで、その人たちを励まし、協力して、主のみこころを共に歩めるようにしてください。謙遜な心を与えてください。アーメン

Ⅱサムエル19

「こうして、民はみなヨルダン川を渡り、王も渡った。王はバルジライに別れの口づけをして、彼を祝福した。それで、バルジライは自分の町へ帰って行った。」Ⅱサムエル19:39 多くの人名が出てきます。「バルジライ」はダビデを見送りにやってきました。彼は 「たいへん年をとっていて八十歳であった。彼は王がマハナイムにいる間、王を養っていた。非常に裕福な人だったからである。(32節)」 と記されています。老年期にあったけれども、与えられた経済を用いてダビデの危機を支えました。 ダビデは恩人であるバルジライに、一緒にエルサレムに行こうと誘いましたが、彼は自分の余生を故郷で過ごしたいと言いました。そして代わりの人(キムハム)を王につけ、自分は誠実に見送りました。 王であれ偉大なクリスチャンであれ、逆境や危機に陥ることがあります。そんな人がいた時、状況の許す範囲で誠意を尽くし支えることは、結局は神の祝福を得ることになります。 覚えて祈ること、経済的・物質的なサポートをすること、励ましのカードやメールを送ること、休息や回復の場を提供することなど、私にできることは何か、教会にできることを実践できれば幸いです。 祈り:神様、私の日々の生活に必要なものを与えてくださり感謝します。____さん、____さんの状況を聞いて心痛めています。私にできることは何か、教えてください。あなたの伸ばされる御手の先に、私を置いて用いてください。アーメン

Ⅱサムエル18

「王は身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。『わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。』」Ⅱサムエル18:33 戦いの相手、「その長のアブサロムに手荒なことをするな」というのがダビデの指令でした(2節)。でも、リーダーがそのまま勢いを保っていたら、戦いに勝利することができるのでしょうか。捕虜にせよというのでしょうか。難しい注文は、ダビデの心の葛藤そのものでした。 結果としてアブサロムは戦死します。息子を失い、ダビデは非常に悲しみます。それが自分の罪から生じた結果だということも、ダビデは重々承知していたでしょう。 葛藤と罪責感と悔いに泣き叫んだ彼の姿は、私たちの姿に重なります。十字架のあがないで罪赦された私たちですが、かつての罪の影響を見ると、傷跡がうずく時があります。そのたびに、神の前にはすっかり赦されていること、私の痛み以上にキリストが痛みを受けてくださったことを思います。 祈り:神様、十字架のあがないと恵みを感謝します。過去を振り返ると、後悔することだらけです。古傷から生じた結果に心痛む時がありますが、不要な責めとしてサタンの足場になることがありませんように。心を守ってください。アーメン

Ⅱサムエル17

「その人の妻は覆いを持って来て、井戸の口の上に広げ、その上に麦をまき散らしたので、だれにも知られなかった。」Ⅱサムエル17:19 聖書の中には、名前もわからないか、ごく一部に登場するだけなのに重要な役割を担った女性たちが出てきます。将軍ナアマンの妻に仕えた若い女性(Ⅱ列王5章)は、預言者エリシャを通して主人が神と出会うきっかけを作りました。 ラハブ(名前はわかります)はエリコに来た偵察をかくまいます(ヨシュア2章)。シセラを滅ぼしたへベルの妻ヤエルもいます(士師4章)。 そして今日の箇所。ダビデに情報がもたらされなかったら、大変なことになりました。 勇敢な女性たちに、「よくやった」とエールを送りたい思いです。 同時に、小さな者にも目を止めてくださる神様のまなざしを感じます。たとえ名前が覚えられなくても、わずかな力でも、主の望まれる歩みを日々続ける者でありたいと願います。 祈り:神様、あなたのまなざしを感謝します。小さなことに忠実であらせてください。ひそかな所の働きであっても、あなたに栄光を帰すならば喜びと平安があります。家族の介護中である____さん、____さんの働きに主の祝福と力がありますように。アーメン

Ⅱサムエル16

「アブサロムのために屋上に天幕が張られ、アブサロムは全イスラエルの目の前で、父の側女たちのところに入った。」Ⅱサムエル16:22 預言者ナタンがダビデに伝えた主のことば ・剣は、とこしえまでもダビデの家から離れない。 ・ダビデの妻たちが隣人に与えられ、イスラエル全体の前で、妻たちと寝るようになる。  (12:10~12) が現実になりました。今やダビデは都を追われ、実の息子アブサロムが脅威となりました。何もかも失ったに見えるダビデでした。自らの不倫と殺人から生じた身辺の結果とはいえ、所有物のように扱われるダビデの妻たち、そして父への憎しみにかられたアブサロム、政情不安におかれたイスラエルの人々...皆が暗い状況でした。 しかし、神様はこのダビデさえ見捨てませんでした。 罪を悔い改め主に赦された者を、神は見放されません。現実に生じる結果の刈り取り(影響;因果応報ではなく)はするかもしれません。でも、それで終わりではありません。 祈り:神様、私の______の罪を告白し、悔い改めます。十字架の血潮のあがないと赦しを感謝します。現実の状況と私自身の心は、まだその失敗の影響を受けています。しかし、主の目には赦されており、主が癒しと回復をもくださることを信じます。罪悪感や恥意識から私を解放してください。アーメン

Ⅱサムエル15

「アブサロムは、さばきのために王のところにやって来る、すべてのイスラエルの人にこのようにした。アブサロムはイスラエルの人々の心を盗んだ。」Ⅱサムエル15:6 ダビデは息子アブサロムの反逆のため、命がけで苦労することになりました。私たちも、家族の中で反抗があると心痛みます。一番仲良くわかりあえるはずの肉親と心が通じ合う日を祈るばかりです。 一方で、アブサロムは「人々の心を盗んだ」と記されています。 私たち自身もよく見張っていないと「心を盗まれ」てしまう恐れがあります。それは家族の分裂、国の分裂だけでなく教会の分裂、クリスチャンの分裂を引き起こしかねません。小さな教理や習慣の違いをサタンは過度に大きく見せ、寛容になれないようにします。 しかし、主イエス・キリストの十字架のあがないと復活を信じることこそ、私たちが最も重視し大切にしなければならないことです。 うっかり「心を盗まれ」ないよう、主の十字架、福音の恵みから目を離さない者でありますように。 祈り:神様、あなたがくださった恵みを日々味わい、信仰の武具(エペソ6章)を身に付け、心を盗まれず堅く立てますように。また、今子どもや兄弟が反抗し、心痛めている___さん、____さんに励ましと希望が与えられますように。 「キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい(コロサイ2:7)。」 「堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい(1ぺテロ5:9)。」 アーメン

Ⅱサムエル14

「アブサロムは二年間エルサレムに住んでいたが、王の顔を見ることはなかった。 29 アブサロムは、ヨアブを王のところに送ろうとして、ヨアブのもとに人を遣わしたが、彼は来ようとしなかった。アブサロムはもう一度、人を遣わしたが、ヨアブは来ようとしなかった。」Ⅱサムエル14:28~29 コミュニケーションの断絶は心の痛いことです。アブサロムは2年間、王から呼ばれることがありませんでした。ヨアブを呼び出しましたが、彼も来ませんでした。 それで腹いせ(?)に、ヨアブの麦畑に火をつけました。 私たちが人間関係のトラブルで相手に無視される時、どんな行動をとるでしょうか。あきらめる人もいれば、何度も修復しようと相手に接近し、余計にこじらせる人もあります。 私たちの心をすべてご存じなのは主なる神様です。主がせよと言われることをする、しないでいよ、ということをしないのが、最高のアクション、行動です。 「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。(箴言19:21)」 祈り:神様、____さん、_____さんとの人間関係をどうかあなたが取り扱い、回復してください。心の思いをあなたが探り、和らげてください。 教会の中に、兄弟姉妹が与えられていることを感謝します。教会を愛します。あなたの愛に生かされ、互いに仕え合うことができますように。 サタンの攻撃から教会を守ってください。悪い思いや陰口が排除され、いつも純粋な真心で主を賛美し、愛に満ちた共同体として歩ませてください。アーメン

Ⅱサムエル13

「ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。」Ⅱサムエル13:21 アムノン22歳、アブサロム20歳、タマル15歳、ソロモン2歳の時のことでした。アムノンが犯した近親相姦の罪にダビデは激しく怒りました。しかし、律法を執行しませんでした(レビ記18章)。 「人の怒りは神の義を実現しないのです。(ヤコブ1:20)」 アムノンは長男であり、王の跡継ぎの第一候補だったのかもしれません。しかし、ダビデの中途半端な対応により、やがてアムノンは弟アブサロムに殺され、アブサロムもダビデに敵対するようになっていきました。ダビデは息子を二人とも失うことになってしまいます。 私たちの腹立ちや怒りによっては、神の義を実現できません。 同時に、私たちの人情や情けだけでは、神の愛を実現できません。 教会には戒規規定があります(滅多に執行されませんが)。それは憎み裁くためではなく、本人が交わりに再び迎え入れられるための愛の規定である、と説明した牧師がおられました。 神の共同体である教会で悔い改めが明らかになることは、ゆるしと回復のために大切なのですね。 祈り:神様、つい感情に任せて怒り、冷静に戒め回復に導くことには不馴れな者です。赦してください。 あなたの義が、神の共同体である教会で実現しますように。愛をもって悔い改めに導き、主のゆるしの恵みと回復とを体験する場所でありますように。教会を頭なるキリストが導いてください。アーメン

Ⅱサムエル12

「ダビデはナタンに言った。『私は主の前に罪ある者です。』ナタンはダビデに言った。『主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。』」Ⅱサムエル12:13 ナタンに罪を指摘された時、ダビデは言い訳をせず自分の非を認めました。 現実的な罪の刈り取りはすることになりました(生まれる息子の死、身内の敵対)が、悔い改めた彼を主は赦してくださいました。 詩篇51篇は、この時のダビデの祈りです。私たちも、この詩篇を今日の祈りとしたいと思います。 祈り: 「神よ 私をあわれんでください。 あなたの恵みにしたがって。 私の背きをぬぐい去ってください。 あなたの豊かなあわれみによって。(1節) まことに 私は自分の背きを知っています。 私の罪は いつも私の目の前にあります。(3節) ヒソプで私の罪を除いてください。 そうすれば私はきよくなります。 私を洗ってください。 そうすれば 私は雪よりも白くなります。(7節) 神よ 私にきよい心を造り ゆるがない霊を 私のうちに新しくしてください。(10節) 神へのいけにえは 砕かれた霊。 打たれ 砕かれた心。 神よ あなたはそれを蔑まれません。(17節)」アーメン

Ⅱサムエル11

「喪が明けると、ダビデは人を遣わして、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、彼のために息子を産んだ。しかし、ダビデが行ったことは主のみこころを損なった。」Ⅱサムエル11:27 ダビデの浮気と、それを隠蔽するための一部始終が記されています。 ダビデほどの人が...と思いますが、すべての人は神の前に罪人です。 今日も、信頼していたあの人が...という知らせがあります。あんなに信仰熱心だったあの人が...とがっかりすることもあります。 朗報は、神様は悔い改める者を赦してくださるということです。やり直しができるということです。 祈り:「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。(ローマ3:23~24)」 神様、罪人である私を赦して救ってくださり感謝します。これまでの失敗にもやり直しのチャンスを与えてくださり感謝します。 信仰が弱っている___さん、失敗が明らかになった___さんに、主が変わらない方であることが明らかになりますように。あなたの前に悔い改め、もう一度立ちあがることができますように。アーメン

Ⅱサムエル10

「そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、ひげを半分剃り落とし、衣を半分に切って尻のあたりまでにして送り返した。」Ⅱサムエル10:4 ダビデは、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように」と、純粋な思いで家来たちを遣わしたのでした(2節)。しかし、真意は伝わらず、屈辱的な扱いを受けた上戦いへとつながってしまいました。 日常生活でも、誠意が相手に伝わらず、誤解されたり曲がって解釈されたりすると、心が痛みます。最近、こうした経験をされた方がいらっしゃるでしょうか。本当に辛いですね。 でも、主なる神様は私たちの心の思いをよくご存じです。そして、ダビデが最終的に勝利を治めたのと同様に、神様は私たちに報いを与えてくださることを信じます。 祈り:神様、あなたに頂いた愛を流そうとしましたが、___さんとの間ではうまくいきませんでした。イエス様も、地上で多くの誤解と妬みを受けられました。 あなたが私の心の痛みをわかってくださって感謝します。私の心を慰め、脱出と解決を与えてくださるのはあなたご自身です。みもとに祈りを持っていける幸いを感謝します。アーメン

Ⅱサムエル9

「ダビデは言った。『サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。』」Ⅱサムエル9:1 サウルはダビデをさんざんな目に合わせましたが、息子ヨナタンはダビデのよき理解者、親友でした。その息子で足の不自由なメフィボシェテが見いだされ、ダビデは王の食卓につくように手配します。 ダビデのこの態度は神様の恵みを思い起こさせます。無力な私たちが、神の恵みにより見つけられ、救いの中に入れられたのです。 また、ダビデがヨナタンの真実な友情を忘れなかったことは、私たちが神の恵みを忘れないようにと教えてくれます。 さらに、神様が送ってくれた人々への感謝を忘れないようにとも教えられます。福音を伝えてくれた先輩のクリスチャン、洗礼に導いてくれた教会のリーダーや牧師・宣教師、成長を助け支えてくれた兄弟姉妹・・・。たとえ欠けだらけの人であっても、主は不完全な人を用いて恵みを与え、私たちの歩みを守ってくださったのです。 祈り:神様、私の信仰の歩みをこれまで導き、助けてくださった____師、____さんの存在を感謝します。私から批判する心や欠点ばかり見る傾向を取り去ってください。あなたが地上でご計画を進めるために、弱い者を選び用いられることを覚えます。私自身も滅びても仕方のない者でした。恵みに感謝します。恵みを忘れず日々感謝できますように。アーメン

Ⅱサムエル8

「ダビデ王は、それらもまた、主のために聖別した。彼が征服したすべての国々から取って聖別した銀や金、 12 すなわち、アラム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクから取った物、およびツォバの王、レホブの子ハダドエゼルからの分捕り物と同様にした。」Ⅱサムエル8:11~12 征服した国からの分捕り物だけでなく、他国からの貢ぎ物も「聖別した」ダビデでした。「聖別する」とは主のためにとっておく、主にお返しする行為です。そこに主がおられるという信仰、主こそ勝利や恵みの源泉だという信頼の表れです。 私たちは、私自身はどうでしょうか。一週間を振りかえって、 ・今手元に備わるもの ・与えられた事柄 ・経験した喜び ・試練を通っての守り があるなら、それが神の恵みであると感謝できますように。また、与えられたすべての恵みの源泉が神であることに感謝して、まず「聖別」して豊かにお返しし、また必要のあるところに気前よく与えることができますように。 祈り:神様、あなたの恵みと必要の満たしを感謝します。「聖別」する感謝の心と、あなたを信頼する心をダビデのように与えてください。アーメン

Ⅱサムエル7

「それゆえ、申し上げます。神、主よ、あなたは大いなる方です。まことに、私たちが耳にするすべてにおいて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はいません。」Ⅱサムエル7:22 ダビデは、自分が杉材の良い家に住んでいるのに、主の箱が天幕(テント)の中に置かれているのは忍びないと考え、主のための宮を建てようとしました。 しかし、主は預言者ナタンを通して、 ・ダビデが主の宮を建てなくてもよいこと ・主こそダビデとイスラエルを守り、祝福を与える側であること ・ダビデの王座が永遠に続くこと(メシアの家系) を明らかにされました。 ダビデがするべきことは、主の選びを受け取り、イスラエルの人々を治めることでした。 教会も主に呼ばれた人々の集まりです。その中で、主のために何かしたいと願うのは素晴らしいことです。ただその時に、頭がキリストであることと、主が私たちにせよと言われることをするという姿勢を忘れないでいたいのです。 自分の力で成功したり変わったりするのではなく、主のみこころで教会は導かれていきます。自分の分を越えることがありませんように。ダビデの祈りが私たちの祈りになりますように。 祈り:「神、主よ、あなたは大いなる方です。...あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はいません(22節)。」 私たちを呼び集め、教会を建て上げ、導いてくださるのはキリストご自身です。あなたにせよと言われたことに忠実に、またしもべの心で仕えることができますように。たとえ予想と違う歩みであっても不安に思わず、あなたを信頼し続けることができますように。アーメン

Ⅱサムエル6

「ダビデは、主の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。」Ⅱサムエル6:14 主の箱を最初に運び上げようとした時も、ダビデたちは楽器と共に喜び踊りました(5節)。しかし、箱の運び方が主の定められたやり方ではありませんでした。本来は祭司が担ぐべきところ、荷車で運んでいました。それで牛がよろめき、ウザが手を伸ばし、死んでしまったのでした(7節)。 今回は違いました。主の箱が置かれた家は非常に祝福されていました。そこからダビデの町に移動する際は祭司は主の箱を正しく担ぎ、ダビデたちは歓声と楽器と踊りで賛美をしながら運び上げました。 神様は私たちを祝福しようとなさいます。そのための資源、機会も多く用意しておられます。私たちが主の思いにかない、全身全霊で主を喜び賛美する歩みをするとき、主は喜んで与えてくださいます。・・・それが私たちの神への信頼、信仰です。 祈り:神様、あなたは良い方です。私たちの賛美と礼拝を喜んでくださいます。 あなたにもっと信頼できますように。あなたのみ思いにかなう歩みができますように。今日もお守りください。さらに信仰を与えてください。アーメン

Ⅱサムエル5

「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」Ⅱサムエル5:12 主が自分を王として立ててくださったという自覚が、ダビデにはありました。羊飼いから王宮に召し入れられ、戦士として戦い、逆にサウル王に命を狙われ、逃亡生活を経て王となったことを思い巡らしたことでしょう。また、彼には「主の民のために自分の王国が高められた」ということを理解する、健康的なセルフイメージがありました。 私たちがどん底の経験を通ろうと、主に信頼する者を主は見放されません。 しかし、私たちは絶頂期にある時、主を覚えているでしょうか。 どん底の時に投げやりになって、主を横に押しやっていないでしょうか。 教会に行けなくても、牧師や兄弟姉妹が声をかけてくれなくても、主は私たちを忘れることがありません。日々主につながり歩むことができますように。 祈り:神様、今日は教会になかなか来れない方のためにお祈りします。信仰が守られ、主との親しい関係がいつも続きますように。私たちに何ができるでしょうか。なすべきことをあなたが教えてください。お休みの方が孤独の思いや苦々しい思いから守られますように。____さん、_____さんを祈りに覚え続けます。アーメン

Ⅱサムエル4

「さて、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な息子が一人いた。その子が五歳のときのこと、サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされ、彼の乳母は彼を抱いて逃げた。そのとき、あまりに急いで逃げたので、彼を落としてしまった。そのために足の萎えた者になったのであった。彼の名はメフィボシェテといった。」Ⅱサムエル4:4 1章でサウルとヨナタンの戦死が伝えられた時、幼いメフィボシェテにも足を痛めて生涯が残るという悲劇が起こりました。 しばらくは、ヨナタンの息子であった彼が生きているのかどうかすら、表立って語られることはありませんでした。しかし、神はメフィボシェテを忘れてはおられませんでした(9章)。4章の中にぽつんと1節だけ彼の記述があるのも、まるで「彼は忘れられていない」というしるしのようにも思えます。 神様は、小さな私のことも忘れてはおられません。たとえ寝たきりでも、人々が忘れても、私を造ってくださった主なる神様は、私の存在をいつも気にかけてくださっています。闘病・療養中の方々に、主の励ましと存在の大切さが今日特別にありますように。 祈り:神様、あなたは私たちがどんな状態であろうと愛し、決して忘れることのないお方であることを感謝します。療養中・闘病中の___さん、____さんを覚えてお祈りします。日々あなたの励ましと深い平安、生きる喜びがベッドにあふれますように。主の臨在が豊かに感じられ、霊性がますます深められていきますように。アーメン

IIサムエル3

「民はみな、そして全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った。」IIサムエル3:37 ダビデの作戦だとしたら、イスラエルはダビデに反逆したでしょう。しかしアブネルはダビデの知らないところで殺されたのでした。それが明らかになりました。 私たちは皆罪人なので、人間関係にも難しさが生じます。学校、会社、時に教会の中でも、誤解や憶測が生まれることがあります。辛いところを通りますが、自分の誠実に説明責任を果たした後はじっと神様の介入を待ちたいと思います。焦らず、主を信頼し祈って待つ時に、事態が主によって持ち運ばれていくことに感謝します。 祈り:神様、____さんとの人間関係、____さんとの間に生じた誤解を癒してください。寛容という聖霊の実を私の心に結ばせてください。戒めることはしても、相手にいつまでも腹を立てず赦すことができますように。アーメン

IIサムエル2

「サウルの子イシュ・ボシェテは、四十歳でイスラエルの王となり、二年間、王であった。しかし、ユダの家だけはダビデに従った。」IIサムエル2:10 人々がサウルを丁重に葬り、ダビデは全土の王となり平和がきた、とはなりませんでした。そうなるまでには時間がかかりました。 ダビデはかつてサムエルから油注ぎを受けました。そして2:4ではユダの人々から油注ぎを受け、ユダの王となりました。しかしイシュ・ボシェテがもう一人の王となり、戦闘は続きました。 信仰告白をしたから、洗礼を受けたからといって、すべての状況が手品のように即座にバラ色に変わるわけではありません。神様は少しずつ状況に働かれます。そして、私たちの視点も、神中心のものへと少しずつ変えられていきます。時間がかかります。 忍耐が必要ですが、その忍耐も主が与えてくださいます。 祈り:神様、あなたのご計画と解決に期待します。時間がかかることでも忍耐を与えてください。みことばと聖霊の助けに期待し続けることができるよう、助けてください。今週もお守りください。アーメン

IIサムエル1

「彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また主の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食した。サウルらが剣に倒れたからである。」IIサムエル1:12 サウル王に長年命を狙われたダビデでしたが、王に手をかけることはしませんでした。それは、サウル王は神に油注がれた人物だったと知っていたからでした。 悼み悲しんで泣いたという記述に、ダビデの純粋な心が表れています。 先日はエリザベス女王の葬儀が行われました。多くの人に親しまれた女王でした。 私事ですが、ここ数週間の間に何人かの信仰の友が思いがけなく連続して召されるという経験をしました。 一緒に祈りあったこともあれば、意見が違って苦労したこともありました。でも振り返ると、すべてが主の御手の中にあったことを覚えます。 命もまた、主の御手の中にあり、主の許しなしには雀の一羽ですら地に落ちることがないことに感謝します。 祈り: 「五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。(ルカ12:6~7)」 神様、私たちの生涯も出来事も友情も、あなたの御前に覚えられていることを感謝します。ダビデのような純粋な心で今日も生きていけるよう、助けてください。アーメン

Iサムエル31

「そこで勇士たちはみな立ち上がり、夜通し歩いて行き、サウルの死体と息子たちの死体をベテ・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに帰って来て、そこでそれらを焼いた。」Iサムエル31:12 サウルの死体は城壁でさらし者になっていました。旧約聖書の時代は残酷な場面が出てくるのでいやだ、という声を聞きます。確かに、人間の罪の性質がそのまま現れています。 罪の性質は旧約時代にとどまりません。今まさに起こっているウクライナとロシアの戦争でも、虐殺や拷問が行われています。時代と共に技術は発展したかもしれませんが、人間の罪の性質は何一つ変わっていないのだと思い知ります。 しかし、神の愛の性質もまた、時代を越えて変わりません。そして、2000年前にゴルゴダの丘で十字架にかかり成し遂げられたキリストの救いの効力も変わりません。 昔の出来事ではなく、今日の私と直結する救いです。 祈り:神様、あなたの愛と救いを感謝します。悲しみや苦しみのある世界に、キリストが人として来られ、究極の解決を成し遂げてくださったことを感謝します。希望を失わず、祈り続けることができますように。____さん、____さんもこの救いを受けとることができますように。 「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8)」 アーメン

Iサムエル30

「ダビデは言った。『兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。』」Iサムエル30:23~24 略奪隊を追った600人のうち、200人は疲れきって川のほとりにとどまりました。追撃し勝利した400人は、分捕り物を待機していた200人に分けるのをいやがりました。その時にダビデが言った言葉です。 「主が私たちを守り、略奪隊を私たちの手に渡された」のだから、平等に分けることを命じ、それがイスラエルの慣例となりました。 教会も同じ原則だと思います。豊かに奉仕する人の働きに感謝しています。主が賜物と能力と環境を与え、ご本人も主の恵みに応じて喜んでされている姿は麗しいものです。 そして忘れてはならないのは、教会に注がれる恵みと守りはその人だけにとどまらず、教会全体で喜び感謝するものだということです。牧師や働き人も例外ではなく、教会が共に主を喜び、互いに愛し合うために仕える者だともう一度確認しています。 祈り:神様、あなたがくださる恵みと守りを感謝します。私たちの日々の信仰生活や祈りや奉仕が、自分だけのものではなく、教会の徳を高め、教会の喜びとなり、宣教の広がりにつながっていきますように。アーメン

Iサムエル29

「ダビデとその部下は、翌朝早く、ペリシテ人の地へ帰って行った。ペリシテ人はイズレエルへ上って行った。」Iサムエル29:11 ペリシテ人の領主たちは、ダビデが自軍で戦うのを拒絶しました。なぜなら、戦いの相手はイスラエルであり、ダビデが途中で寝返っては困るからでした。 ダビデは裏切らないつもりでしたが、結果として軍には加わらず、滞在していた町に帰ることとなりました。 ダビデは勇士でした。活躍できる場を奪われてがっかりしたかもしれません。でも、これは神の摂理、あわれみだったと思います。なぜなら、 ・留守の間に町が襲われていて、このタイミングで戻っていなければ家族や町が滅びたかもしれないから(30章) ・戦いに加わったサウル王やヨナタンを、自らの手で戦死させてしまったかもしれないから(31章) です。 思うように機会が与えられず、賜物が発揮できないでしょうか。しようとすることがとどめられ、抑圧されているように感じられているでしょうか。 それでも、今与えられている持ち場に感謝し、今日できることを誠実に行っていきましょう。神様は最善をよくご存じです。 祈り:神様、あなたが私の人生の最善をデザインされる方であることを信じます。あなたの導き、あなたのご計画を歩みたいです。どうぞ私に忍耐と心の深い喜びを与えてください。また、今行き詰まりを感じている____さん、____さんに、あなたの突破口が思いがけない形で与えられますように。 「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているーー主のことばーー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)」 アーメン

Iサムエル28

「サウルは主に伺ったが、主は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。」Iサムエル28:6 サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れました。主に、どのように伺ったのか、詳細はわかりません。もしこのまま断食し、自分のこれまでの姿勢を悔い改めて真剣に祈り続けたなら、この後は違った展開になっていたかもしれません。 残念なことに、サウルは霊媒師に頼ろうとしました。(サムエルの霊が語るという部分の神学的な解釈には深入りしませんが、)自分が滅びるという言葉を聞いて、さらに恐怖に陥りました(20節)。 人に頼るか神に頼るか選択を迫られた時、今日も神に頼る者になれますように。 祈り:神様、たとえ私が地上で孤独でも、あなたはいつも共にいてくださることを感謝します。 「人間に頼るな。鼻で息をする者に。そんな者に、何の値打ちがあるか。(イザヤ2:22)」 主に頼ります。弱い私たちをお助けください。アーメン

Iサムエル27

「ダビデは心の中で言った。『私はいつか、今にサウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地に逃れるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、イスラエルの全領土内で私を捜すのをあきらめ、こうして私は彼の手から逃れられる。』」Iサムエル27:1 ダビデの生涯で、信仰の危機として思い浮かぶのは、バテシェバとの不倫に陥った時です。 しかし、今日のこの箇所も、かなり危うい時であったように思われます。それは、自分の心の中で、悲観的な現状把握と、自分の思いに頼った作戦が行われているからです。神様に祈り尋ねた形跡がありません。 私たちも自問自答し、悩むことが多々あります。しかし、それを祈りとして主の元に持っていかない限り、よい解決はありません。自分でうまくやったと思っても、どこかに足りなさがあります。 逆に主の元に持っていくなら、状況は変わらなくても「祈ってゆだねた」という深い安心感があります。救命ボードに乗ったような、嵐の中での希望と安堵感が与えられます。 祈り:神様、あなたが私の救いであり、私の望みです。どうしようもない思いになった時に、あなたに思いのたけを申し上げ、すがっていきたいです。あなたの深い知恵と尽きない恵みに信頼します。 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。ーー主のことばーー(イザヤ55:8)」アーメン

Iサムエル26

「主は一人ひとりに、その人の正しさと真実に応じて報いてくださいます。主は今日、あなたを私の手に渡されましたが、私は、主に油注がれた方に、この手を下したくはありませんでした。今日、私があなたのいのちを大切にしたように、主は私のいのちを大切にして、すべての苦難から私を救い出してくださいます。」Iサムエル26:23~24 ダビデは、徹底して主のサウルへの油注ぎがあったことを忘れませんでした。たとえ自分が危険な目にあってもサウルに自ら害を加えず、主のなさることに信頼しました。 正当防衛、自分の命を守るため、という感覚に慣れている私たちには「なぜ」と思う部分もあります。聖書の他の部分にも、理解できない所が多くあるかもしれません。とことん調べ、納得しようとするのも悪くはありません。 しかし、わからないことは「まだわからない」まま、ダビデのような態度で、主を信頼して一歩踏み出す時、主の素晴らしさを理詰めでなく「体験」できるのも多くの人のあかしです。 祈り:神様、あなたの真実と素晴らしさを感謝します。聖書がわからない、信じられない、と迷っておられる____さん、____さんが、あなたに信頼することを選び取り、あなたの素晴らしさを体験できますように。信じた時に聖霊による知恵と理解力が与えられることも経験できますように。アーメン

Iサムエル25

「ダビデはアビガイルに言った。『イスラエルの神、主がほめたたえられますように。主は今日、あなたを送り、私に会わせてくださった。』」Iサムエル25:32 夫ナバルがダビデにひどい態度を取ったことを聞き、妻アビガイルは直ちに行動を起こしました。ダビデへの贈り物を用意し、ダビデの前に申し開きをしました。 当時の女性の社会的地位を考えると、今日以上に勇気のある行動でした。そこには、主にある大胆さと、家族や使用人を守ろうとする使命感があったのでしょう。 現在でも、若い人や女性が行動を起こそうとすると、内外の困難にぶつかります。家族や親戚の中でも、つい低く見られがちです。 わがままや自我は、留められるのがよいと思います。でももし、神様からの召しであり使命が促すのなら、困難に耐える力と助けも主が与えてくださると信じます。 「私なんて、どうせ・・・」という内なるささやきが聞こえますか?それは、神様から来ていますか?自分の劣等感や保守的な常識、サタンの策略から来るものかもしれません。 キリストがご自身のいのちと引き換えに与えてくださった罪からの解放と自由を、主の栄光のために用いること、それが私たちの最優先事項になりますように。 祈り:神様、私たちを劣等感やこの世の偏った価値観から解放してください。周りから抑圧された時、怒りではなくアビガイルのような知恵と行動力、そして穏やかな心をもって対応できますように。キリストが私を愛して十字架にかかってくださった恵みを、狭い箱に押し込めることがないように助けてください。アーメン

Iサムエル24

「彼は部下に言った。『私が主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼は主に油注がれた方なのだから。』」Iサムエル24:6 ダビデはこう言って、サウルが洞穴に用を足しに入って来たとき、すぐそばにいたのに害を加えませんでした。 部下たちには、批判やがっかりした気持ちが起こったかもしれません。せっかくのよいチャンスを無駄にし、敵の長を見逃したのですから。 しかし、ダビデの判断基準は「自分のチャンス」ではなく、「主の油注ぎ」でした。主がなさったこと、任命されたことを尊重しました。そして、サウルの上着の裾だけを切り取り、自分には悪意がないことを証明しました。結果として、ダビデの命は守られ、主と人の信頼を得て王になっていきます。 私の判断基準は何でしょうか。目先の状況や判断、それも大切です。しかし、主の油注ぎ、主のご計画が、一時的な見えるものよりも重要であることを忘れないでいたいと願います。今日の状況が思わしくなく気落ちしそうでも、主のご計画は静かに、しかし確実に行われるという希望を持って歩みたいと思います。 祈り:神様、あなたのご計画に信頼し、希望を失わず歩めるよう助けてください。みことばの約束に信頼します。信仰を与えてください。 「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。(第二コリント4:18)」アーメン

Iサムエル23

「サウルの息子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた。」Iサムエル23:16 さらっと書いてありますが、ヨナタンがダビデの所に行くのは命の危険がありました。ダビデ側からも、サウル側からも攻撃されかねない戦場へ行き、「神によって」ダビデを励ましたのは驚くべきことだと思います。 ダビデももちろん命の危険に日々直面していました。自分が助けたケイラの人たちが容易にサウルに寝返り、人の心が頼りにならないことを痛感していたでしょう。 しかし、今日の状況にあって、彼は詩篇54篇を作りました。神への信仰が、絶体絶命の難しい状況の中で培われていきました。 私たちも八方塞がりになった時、神を仰ぎ見ることができたら幸いです。神が解決してくださることを信じます。今日はこの詩篇を私たちの祈りと信仰の告白といたします。 祈り: 「神よ あなたの御名によって  私をお救いください。   あなたの力強いみわざによって   私を弁護してください。  神よ 私の祈りを聞いてください。   私の口のことばに耳を傾けてください。   見知らぬ者たちが 私に立ち向かい   横暴な者たちが 私のいのちを求めています。   彼らは神を前にしていないのです。  セラ   見よ 神は私を助ける方。   主は私のいのちを支える方。   神は 私を待ち伏せる者たちに   わざわいをもって報いられます。   あなたの真実によって   彼らを滅ぼしてください。   私は 心からのささげ物をもって   あなたにいけにえを献げます。   主よ あなたの御名に感謝します。   すばらしい御名に。  神がすべての苦難から私を救い出し   私の目が敵を平然と眺めるようになったからです。(詩篇54:1~7)」 アーメン

Iサムエル22

「そして、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。約四百人の者が彼とともにいるようになった。」Iサムエル22:2 ダビデの所には、だんだんと人々が集まってきました。 対照的に、サウルからは人心が離れていきました。 ダビデたちにパンを与えた祭司アヒメレクはサウルに申し開きをしました。王の近衛兵たちも、サウルに命令されてもアヒメレクに手をかけようとはしませんでした。 何よりも、サウルの王権を、主ご自身がストップされたからでした。 世界の政治家を見ても、嫉妬と権力欲にかられ、このサウルのようなふるまいをしている人がいます。中には、ご機嫌取りをする者もいるでしょう。しかし、適任ではないとわかっている人もいます。そして権力の下で苦しんでいる人たちがたくさんいます。神様のみ思いがなされていくように、世界に目を向けて祈りたいと思います。 祈り:神様、あなたは全地の主です。主の祈りの「みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ」を心からの祈りとしてささげます。 圧政に苦しむ人、食糧や水がない人、すべての財産を失い難民になった人、家族を殺された人、拷問を受けた人、行きたくない戦地に派遣された人、自由に礼拝が持てない人、密告の危険にさらされている人...。あなたが共に悲しみ、涙を流してくださる方であることを感謝します。必要な助けを人々に送ってください。 あなたの正義が行われますように。あなたの救いと裁きが地上になりますように。全能の主、神を恐れる指導者が立てられますように。アーメン

Iサムエル21

「ダビデは彼らの前でおかしくなったかのようにふるまい、捕らえられて気が変になったふりをした。彼は門の扉に傷をつけたり、ひげによだれを垂らしたりした。」Iサムエル21:13 逃亡生活中のダビデの記事です。共にいる若者たちのために食料調達をしたり、武器を求めたり、果ては気が狂ったふりをしたりという様子が記録されています。 ダビデは当時20代。逃亡生活は、彼の生涯の中でもどん底の経験の一つでしょう。 しかし、この期間に、ダビデは主に祈り深く交わることを学び、後には詩篇の祈りを残しました。従者のために労するリーダーシップを学び、よい牧者、王の資質を身に着けました。 今、下積みの状態でしょうか。どん底にいるでしょうか。しかし神様は忘れておられません。かえって私たちに辛いと思われる期間に、主は与えた賜物を培い、トレーニングして用いやすい者へと変えてくださるのです。たとえ私たちが気づかなくても、主はご自身のよいご計画をお持ちです。 祈り:神様、あなたが私たちの下積みとも思える期間に、私たちを用いやすい器へと整えてくださることを信じます。忍耐を与えてください。 また現在、試練や訓練の期間を通っている_____さん、_____さんのために、とりなしてお祈りします。主にある希望と忍耐が与えられますように。この期間を通り、主の器として用いられますように。アーメン

Iサムエル20

「子どもが行くと、ダビデは南側から出て来て地にひれ伏し、三度礼をした。二人は口づけし、抱き合って泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。」Iサムエル20:41 自分の王位を求めず、かえって命まで危険にさらしながら、ヨナタンはダビデを守ろうとしました。そして、ダビデを逃がして助けます。 毎朝このように祈りを記しながら、お一人一人の顔を思い浮かべます。しかし、ヨナタンとダビデのような深い友情、愛の配慮には至らないと思わされています。 神様がひとり子を十字架につけるほどに愛された人たち、神のかたちに造られた兄弟姉妹がどれほど大切な存在か、今朝はそのことを特に思い巡らしています。 祈り:神様、あなたが愛されている兄弟姉妹お一人ひとりを感謝します。共に主を見上げて祈り、礼拝できる恵みを感謝します。あなたの愛を頂いた者として、互いに愛し合い、祈り合うことができますように。 「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。 いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。(ヨハネの手紙第一4:11、12)」アーメン

Iサムエル19

「彼もまた衣類を脱ぎ、サムエルの前で預言し、一昼夜、裸のまま倒れていた。このために、『サウルも預言者の一人なのか』と言われるようになった。」Iサムエル19:24 神様の目にはすでに王座にふさわしくないとされたサウルでした。 預言するというのは立派なことのように思えますが、サウルの様子を見ると少し違います。 裸で倒れており、もはやダビデを捕らえることはできなくなりました。また、サムエルの前にも彼の居場所や企みがすべて明らかになりました。 結局、サウルがダビデをつかまえることはできませんでした。このような方法でも、神様はダビデを守ってくださったのだとわかります。 今週も、神様のユニークなお働きと守りが、お一人一人にありますように。来週は敬老礼拝です。教会に与えられている人生の先輩の存在に感謝します。 また、私事で恐縮ですが、今週近所の高齢の方々を訪問することになっています(自治会の仕事)。祈り心で、キリストが愛されたように愛をもてますようにお祈りください。 祈り:神様、あなたの不思議な守り、不思議な導きを感謝します。今週も教会のメンバー、家族、地域や職場の方々に働いてください。私たちがおかれている状況を感謝し、日々キリストの手足として、見える形・見えない形であなたの愛をお届けすることができますように。アーメン

Iサムエル18

「ヨナタンは着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。」Iサムエル18:4 サウルの息子ヨナタンは、ダビデのことを「自分自身のように」愛しました。聖書の中で最も美しい友情の一つは、ヨナタンとダビデの友情だと思います。 上着や武具まで与えるというのは、王位継承がダビデになってもよいという心の現れでした。ヨナタンからは妬みや自己防衛心が感じられません。猜疑心と憎しみにかられた父サウル王とは対照的です。 私たちの心からも、神様が妬みや自己中心の思いを取り去ってくださいますように。神様に愛されているから大丈夫、という健全なセルフイメージをもって、他の人を敬い、祝福を分かち合う者となれますように。 祈り:神様、ヨナタンのような純粋な心を与えてください。兄弟姉妹を敬い、励まし合うことが喜びになりますように。____さん、_____さんのことを特に喜びます。 「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。 それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。(ピリピ2:3~5)」アーメン

Iサムエル17

「ダビデはペリシテ人に言った。『おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。』」Iサムエル17:45 剣、槍、投げ槍のどれも、ダビデは持っていませんでした。羊飼いとしていつも使っていた投げ石で、ゴリヤテを倒しました。 勝利の秘訣は (1)「主の御名によって立ち向かった」(45節) ダビデは万軍の主の御名を宣言しました。 クリスチャンや教会は、一見弱い者の集まりに見えます。この社会の権力、地位、お金に乏しく地味かもしれません。しかし、地上のどんな権力よりもまさっている主が共におられます。主が働かれる時、大きな変化が起こります。 (2)普段の生活で主が訓練し備えてくださった(34節) ダビデの羊飼いとしての日常の中で、ライオンや熊と戦い、羊を救う訓練がされていました。勇気と使命感、そして投げ石の正確なコントロール技術が培われていきました。 私たちも平凡な今日という日の中で、霊的戦いへの訓練を主がさせてくださいます。実際的に必要なスキルや知恵も、霊性に伴って徐々に与えられていきます。 祈り:神様、ご自身が戦いに「救いをもたらされた(47節)」ことを知りました。 霊の戦いの最前線にあって、教会が主の守りによって建てられていることを信じ感謝します。私たちに霊の一致と主の知恵を与えてください。特に今、戦いの中にある___さん、____さんを励まし、あなたご自身の勝利を見ることができますように。アーメン

Iサムエル16

「サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰って行った。」Iサムエル16:13 旧約聖書の中にも、主の霊つまり聖霊が働いておられるのがよくわかります。しかも、超自然的な現れ、目に見える不思議な力やしるしを伴う場面も多くあります。 使徒2章のペンテコステの出来事以来は「聖霊の時代」と言われます。それは、サウルやダビデだけでなく、信じる人々に、もっと一般的に聖霊が働かれるようになったからです。そして、イエス・キリストを信じ、心に聖霊が住まわれる人には、心やその人を変える働きをなさいます。 旧約聖書で特別な人だけに注がれていた特権を私たちも頂いています。 静かに働かれることもあります。私たちに深い平安と忍耐を与え、御霊の実を結ばせてくださるのは、聖霊の働きそのものではないでしょうか。 祈り:神様、あなたの霊が信じる者に与えられることに感謝します。 聖霊の顕著な働きを求める方には確証を与えてください。日々の歩みで、御霊の実を結ばせてください。 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。(ガラテヤ5:22~23)」 アーメン

Iサムエル15

「サウルとその兵たちは、アガグと、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、これらを聖絶しようとしなかった。ただ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのである。」Iサムエル15:9 サウルの弱さは、私たち自身の弱さでもあります。 高級なものを処分するのは勿体ないと思います。また、失敗を誰かのせいにして責任を逃れようとします(サウルは15節で、兵たちのせいにしています)。 「主の前にすべてをささげる」と賛美するとき、その歌詞の意味の重さを感じているでしょうか。時に圧倒されそうになります。 主に香油を注いだ女性のように、一番大切なものは主のもの、主のために気前よい心を与えていただきたいと祈ります。 祈り: 「ある女の人が、非常に高価な香油の入った小さな壺を持って、みもとにやって来た。そして、食卓についておられたイエスの頭に香油を注いだ... 『まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。』(マタイ26:7、13)」 神様、この女性のような心を与えてください。すべてをくださったあなたのために、私も惜しまずささげることができますように。お金だけでなく、握っている思い、プライド、自己中心な心を手放すことができるよう、助けてください。アーメン

Iサムエル14

「民はサウルに言った。『この大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはあり得ません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。』こうして民がヨナタンを救ったので、彼は死ななかった。」Iサムエル14:45 ヨナタンと道具持ちは神に頼りながら戦いました。「多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない(6節)」と勇敢に出て行きました。 一方、サウルは「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ(24節)」と、兵士が食事をするのを禁じました。そこには主に祈って誓った形跡がありません。 ヨナタンが死罪になるかと思われた時、民は「主は生きておられます。あの方(ヨナタン)の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです(45節)」と弁護しました。 見ていないようで、人々は見ています。それが神から出たものか、本人の思いかということも、第三者の方がよく見えることもあります。私たちの今日の思いは神から出たものでしょうか。それとも、自分の思いにすぎないでしょうか。勇気をもって忠告してくれる人のアドバイスに耳を傾ける謙遜な心を持てますように。 祈り:神様、今日行おうとすることが主の御旨にかないますように。兄姉の忠告を受けとるへりくだった心を与えてください。 「あなたがたはむしろ、『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです。(ヤコブ4:15)」 アーメン

Iサムエル13

「サムエルはサウルに言った。『愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。』」Iサムエル13:13 サウルがサムエルを待ちきれなかった気持ちはよくわかります。兵士たちが自分から離れていこうとしていたこと、7日間待ってもサムエルが来なかったことから、自分が代理で全焼のささげ物を献げたのでした。 しかし、主はもうしばらく待つことを彼に望んでおられました。それは神様からサウルへの霊的訓練だったようにも思えます。 もし彼が自分の力に頼らず、神の介入をひとことでも祈ったら、結果は違ってきたでしょう。 私たちの「主よ、いつまでですか」という叫びも、自分のつぶやきではなく祈りとなる時、神が遅すぎることなく(ぎりぎりかもしれませんが)介入してくださると信じる信仰が与えられますように。 祈り:神様、あなたが道を作ってくださることを信じたいです。 自分の力や視野に頼らず、神様のダイナミックな働きを待ち望むことができますように。 ♪主は道を造られる(God Will Make a Way, Don Moen) 「主は道を 日々造られる  何もないように 思える時でも 主は御手で 御元で支え   新しい明日(あす)へ 主は道を造られる 天地が滅び失せても  主の言葉は落ちず 荒野(あらの)に道を 砂漠に川を   今日も造られる」 アーメン

Iサムエル12

「ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。」Iサムエル12:24 イスラエルの人たちは、「私たちは、王を求めることによって、私たちのあらゆる罪の上に悪を加えてしまったからです(19節)」と言いました。しかし、向きを変えて真摯な姿勢で主に仕えること、自分もとりなしの祈りを続けることをサムエルは語ります。 時々「洗礼を受けた後、神様を忘れて好き勝手なことをしたから、もう救われないのでは」と心配する声を聞きます。しかし、神様は救いを取り去られることはありません。それどころか、忍耐強く、その人が向きを変えて戻ってくることを待っておられます。 祈り:神様、今日は教会から一時的に離れている人のために祈ります。一人で信仰が弱ってしまいそうな人たちに、あなたが忍耐強く待ってくださっていることがわかりますように。____さん、_____さんを覚えて祈ります。アーメン

Iサムエル11

「サムエルは民に言った。『さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。』民はみなギルガルに行き、ギルガルで、主の前にサウルを王とした。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。」Iサムエル11:14~15 入学、就職、結婚...何かが始まる時はわくわくし、嬉しくなります。周りもお祝いします。 そして、よい形で始めるのと同じくらい大切なことは、「よい終わり方をする」ということです。イスラエル全体が喜んでサウルを王としたにもかかわらず、残念なことに、サウルはよい終わり方をしませんでした(今後その様子が出てきます)。 今、何かを始めようとしていますか?何かに没頭していますか?やがて、それらをどのような形で終えたいですか。やがて何かを終える時、利己的でなく、謙遜に階段を降り、寂しさにも耐えることができるでしょうか。 (デイビッド・ワング師の「最後まで走り抜け(Finishing Well)」という本には、聖書からの終わり方の例が多く出ており、考えさせられます。) 祈り:神様、始まりと同時に終わりがあることを静かに思い巡らしています。何かを終える時にこそ、私たちの人格と霊性が問われます。どうか、あなたからの日々の訓練と導きによって私たちを整えてください。聖書の例から、よく学ぶことができますように。始める時も、終わる時も、あなたからの確信と導きを与えてください。アーメン

Iサムエル10

「主の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。」Iサムエル10:6 今週の木曜集会では、アルファコース第9回「聖霊の働き」のビデオを視聴しました。その中で「聖霊は、何も変えずにすべてを変える」という表現があったのが印象的でした。外側の見かけに目立った変化はなくても、住んでいる場所や家族や仕事に何も変化はなくても、私たちの内側が聖霊によって大きく変えられるのです。 そうして、弱い者が聖霊によって強くされ、主のみこころを大胆に歩むことができたら、こんな幸いなことはありません。 祈り: 「『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と番軍の主は言われる(ゼカリヤ4:6)。」 神様、目に見えるところは弱く力も能力もなくても、あなたに信頼します。あなたが私に望まれる歩みを、今日も聖霊の力と助けによってできますように。人はうわべや先入観で判断しますが、主は心を見られます。私のうちに、きよい、純粋な心を与えてください。アーメン

Iサムエル9

「サムエルがサウルを見るやいなや、主は彼に告げられた。『さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ。』」Iサムエル9:17 こんな風に神の声がはっきり聞こえたらよいのに、と思います。今日でも、まれに同じように神の語りかけを聞いた人がいます。 しかし、サムエルの時代と異なり、今は旧新約聖書が与えられています。その中のことばに親しむことで、神の語りかけを日々聞くことができます。信じる人の内に住まわれる聖霊も語ってくださいます。当時よりも、誰もが神の声を聞く機会が与えられているとも言えます。 祈り:神様、聖書や内住の聖霊様が与えられていることに感謝します。心を開いて、みことばからの語りかけを受けとることができますように。 「言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです(ルカ12:12)。」 アーメン

Iサムエル8

「彼らが、『私たちをさばく王を私たちに与えてください』と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。」Iサムエル8:6 サムエルもまた、子育てには苦労したようです。息子たちは「利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げて(3節)」いました。それで民は祭司ではなく別の王を立ててほしいと言ったのでした。 サムエルは、これまでの奉仕が拒絶されたように感じたかもしれません。心外に感じた彼はしかし、民に対して怒ったりどなったりしませんでした。その思いを祈りに変え、主の元に持っていきました。 主はサムエルに、「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから(7節)」と答えてくださいました。サムエルではなく、主が民の批判を受け止めてくださったのでした。 教会の奉仕や人間関係で批判に合うとき、すべてを自分だけで対応せず(もちろん至らなさは悔い改めますが)、主の元にそれを持っていくことで、燃えつきや過度の落胆から守られます。 また、教会のリーダーや働き人、奉仕者が支えられ、いつも主と親しい関係が持てるよう、互いに祈りに覚えたいです。 祈り:神様、私たちが問題や批判を自分の思いだけで処理せず、主に祈り、悔い改め、主の御手に導かれるように助けてください。教会のリーダー、働き人、奉仕者である____さん、_____さんが今日も主に頼り、祈りと聖霊に助けられて歩めますようにとりなし、お祈りします。  アーメン

Iサムエル7

「サムエルは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私たちを助けてくださった』と言った。」Iサムエル7:12 もう随分前のことですが、知人のクリスチャンがご自宅を「エベン・エゼル」と名付けられました。様々な困難を通ったけれども、主がここまで助けてくださったという感謝をこめられたのでした。とても素敵なあかしだと思ったことでした。 「エベン・エゼル」は「助けの石」という意味です。私たちは、主が助けてくださったことをどのように記念し、感謝しているでしょうか。 礼拝でも、一週間の主の助けを「エベン・エゼル」として毎週覚える者になりたいと願います。 祈り:神様、あなたの恵みと助けを覚えることができますように。不平ではなく感謝を表すことができますよううに。問題の中にあるとき、あなたの助けを今日も信じ求めます。アーメン

Iサムエル6

「雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後について行った。」Iサムエル6:12 主の箱がイスラエルのしかるべき場所に戻るのを、誰もが望んでいました。敵であったペリシテ人も、国境まで行って見届けました。 現在は主の箱はありません。なぜなら、イエス・キリストを救い主と信じて心の戸を開けるなら、キリストがそこに入ってくださり、キリストの霊、つまり聖霊が信じる人の心に住まれるからです。主の箱のそばにいかなくても、どこででも祈り礼拝することができるようになったからです。 せっかく住まわれている聖霊を忘れることがないように。心の片隅に追いやって無視することがないように。聖霊の小さな声を聞き分け、自分の声と区別できるように祈りたいと思います。 祈り:神様、信じる者の心に聖霊が共にいてくださり感謝します。時々存在を忘れそうになることを許してください。聖霊の導きに敏感になれるよう、私の霊の耳を開いてください。 「主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、『サムエル、サムエル』と呼ばれた。サムエルは『お話しください。しもべは聞いております』と言った。(Iサムエル3:10)」    アーメン

Iサムエル5

「次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた。」Iサムエル5:4 主の箱を奪って得意になっていたのもつかの間、ペリシテ人の町では信じられないようなことが連続して起こりました。結局、この箱をイスラエルに返却しようという話になります。 主なる神様は、イスラエルだけの神ではありません。ペリシテ人の国でも、今日の日本でも、世界中でも同じように力あるわざができる方です。この神様に向かって祈ることができる幸いを覚えます。 祈り:神様、あなたがどんな場所でも神様であることを感謝します。世界の約3分の1の人たちがイエス・キリストを信じています。しかし、あなたのことを一度も聞いたことのない方々も多くおられます。日本でも同じです。今週も、あなたが与えてくださる出会いに感謝し、キリストの愛を分かち合うことができるよう導いてください。アーメン

Iサムエル4

「彼女は、『栄光がイスラエルから去った』と言って、その子をイ・カボデと名づけた。これは、神の箱が奪われたこと、また、しゅうとと夫のことを指したのであった。」Iサムエル4:21 イスラエルは敗れ、神の箱は奪われ、エリと息子たちは死にました。人々の罪と不信は、時にその刈り取りもすることになります。 エリの義理の娘は絶望してこのように言い残したのかもしれません。しかし、本当にこれで終わりでしょうか。 いいえ。サムエルは生きていました。また、イスラエルの中に悔い改めと信仰の刷新が起こりました。やがて主の箱は戻され、イスラエルの新しい歴史が続いていきます(7章以降)。 今絶望的に見える情勢、状況があったとしても、神様を見上げてとりなし、祈り続けるなら、神様は決して見放されません。そして、生きておられる主は、今日もご自身のよいわざをなさいます。時には、悪い状況をも用いてご自身の栄光を表してくださいます。 祈り:神様、世界も私の周りも、課題が山積みの昨今です。悩みは尽きないと思えます。でも、あなたがすべてをご存じで、あなたが決して見捨てることのない方であることに感謝します。今後の見通しが立たないように思える時、あなたの希望と平安を与えてください。____さん、_____さんに「大丈夫だ」とあなたが今日、直接語りかけ、励ましてください。アーメン

Iサムエル3

「主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、『サムエル、サムエル』と呼ばれた。サムエルは『お話しください。しもべは聞いております』と言った。」 Iサムエル3:10 サムエルは少年でしたが、神は語られました。 エリは老人で、息子たちは不誠実でしたが、神はエリを用いてサムエルを育てられました。 当時主のことばはほとんどありませんでしたが、神様はその時語られました。 「どうせ」「だって」「まだ」というあきらめや常識は、主の前には関係ないのだとわかります。私たちが小さくても、失敗だらけでも、周りの人と違っても、主は働いてくださいます。 祈り:神様、私たちが弱くて欠点だらけでも、あなたが呼んでくださるなら応答できますよう助けてください。一歩踏み出す勇気と従う心を与えてください。アーメン

Iサムエル2

「ハンナは祈った。『私の心は主にあって大いに喜び、 私の角は主によって高く上がります。 私の口は敵に向かって大きく開きます。 私があなたの救いを喜ぶからです。主のように聖なる方はいません。 まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。 私たちの神のような岩はありません』。」Iサムエル2:1〜2 ハンナの祈りはマリアの賛歌のようでもあり、ダビデの詩篇のようでもあります。 祈りは願い事だけではなく、信仰告白や神様への賛美も含めたものです。うまく祈れないと思う時には、聖句をゆっくり読んで告白し、心合わせて祈りとすることができます。このハンナの祈りや詩篇で祈ることも、主は喜んでくださいます。 祈り: 主なる神様、私の心はあなたにあって喜びます。 私の口は敵に向かって大きく開きます。 私があなたの救いを喜ぶからです。 あなたのように聖なる方はいません。 まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。 私の神のような岩はありません。 アーメン  “O Lord, my heart rejoices in You. When my enemies come against me, I smile and rejoice in Your salvation. There is no one holy like You, and there is none besides You. There is no rock like You, my God! ” (Praying the Word, 1 Samuel 2:1-2, Spirit-Filled Life Study Bible)

Iサムエル1

「彼女は、『はしためが、あなたのご好意を受けられますように』と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。」Iサムエル1:18 ハンナは痛む心の思いを主にそのまま打ち明け、祈りました。その後エリと言葉を交わしました。彼女の食欲は回復し、顔も明るくなりました。 この時、まだ祈りの答えは目に見える形ではありませんでした。サムエルが生まれるのは翌年でした。それでも、信仰と励ましの言葉によって、彼女は祈りが聞かれたと確信したのでした。 祈りに主が耳を傾け、聞いてくださっている、という確信があるでしょうか。みこころがなると、主の時、主のやり方を待つことができるでしょうか。 「ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(マルコ11:24)」 祈り:神様、ハンナのように、あなたに正直な思いを打ち明けて祈ることができますように。あなたが聞いてくださっていると確信し、安心できますように。 まだ聞かれていない祈りは、あなたの時と方法があることを信じます。自分の思ったとおりの答え方でなくても、あなたが最善をなされると信頼できる信仰を与えてください。アーメン

ルツ記4

「近所の女たちは、『ナオミに男の子が生まれた』と言って、その子に名をつけた。彼女たちはその名をオベデと呼んだ。オベデは、ダビデの父であるエッサイの父となった。」ルツ記4:17 嘆きと悲しみでベツレヘムに戻ってきたナオミに、神様は深い計画を持っておられました。未亡人で外国人、落ち穂拾いをするほど貧しかったルツに、神様は目をとめてくださいました。 想像もしなかったボアズとの結婚を通して、ダビデの祖先となりました。もっと時代が下り、救い主イエス・キリストが人として来られた家族の祖先となりました(マタイ1:5・16)。 今の悲しみと試練の向こうにも、主のよいご計画があること、主が決して私たちを見捨てない方であることを信じます。 祈り:神様、あなたのよいご計画を信じて感謝します。あなたを愛し信じる者には希望があることを感謝します。_____さん、_____さんにあなたの希望が今日心を励まし、慰め、導きとなりますように。 「あなたは、わたしが主であることを知る。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない(イザヤ49:23)。」 アーメン

ルツ記3

「今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、それでよいでしょう。その人に親類の役目を果たしてもらいましょう。もし、その人が親類の役目を果たすことを望まないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられます。さあ、朝までお休みなさい。」ルツ記3:13 ボアズもルツも、誠実な人物でした。ルツは姑の指示に従い、かなりの年長者ボアズは買い戻しの権利を法律どおりの手順をふんで用いようとしました。 何よりも「主は生きておられます」という言葉に、きよい品性を覚えます。 「主の前に静まる」(片岡伸光著)という本の「夜の床で主を思う」という章が印象的でした。夜中に寝苦しくて目覚める時、眠れないことを嘆く前に、短い祈りのだととらえられたら幸いです。「主は生きておられます」と小声で言うだけでも、私たちの信仰の宣言となります。 祈り:神様、驚いた時、当惑した時にも、あなたへの信頼の言葉が出てくるように助けてください。揺れ動く私の心を守り、あなたの平安と知恵を求める品性を与えてください。アーメン

ルツ記2

「ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。」ルツ記2:3 神様の備えと配慮を感じます。 ルツと同じように、私たちの日々の中でも偶然のように思えたことが、後で振り返ると神様の深いご計画の一部として用いられていたことがあります(逆に「これはすごい!」と興奮したことがその場限りのこともありますが)。 何よりも「主があなたがたとともにおられますように」(4節)とあいさつするボアズが、悪い時代の中でも信仰の姿勢を持つ誠実な人だったことにほっとします。 祈り:神様、私の人生にもあなたの采配があることを覚えて感謝します。あなたのご計画のために私自身も用いてください。ボアズのような誠実なあわれみ深い人格へと、聖霊の働きによって整えられ、御霊の実を結ばせてください。今週もあなたと共に仕事や学校、病院、地域に出ていきます。あなたが前を進んでくださいますから、その後をついて行かせてください。アーメン

ルツ記1

「ルツは言った。『お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。』」ルツ記1:16 ルツとナオミの喪失は大きなものでした。その中で、ルツは自分の住み慣れた環境を離れ、義母ナオミと共にベツレヘムに行くという決断をします。 士師(さばきつかさ)の治めていた暗い時代、しかも隣国モアブでの出来事でした。その中で、家庭の中に温かい愛情が流れていたことを読むとほっとします。 そして何より、「あなたの神は私の神」という信仰(漠然としたものだったかもしれませんが)が表明されたことも、希望を感じさせます。 祈り:神様、あなたの元には、どんな時にも希望があることに感謝します。 特別に、最近ご家族と死別された_____さん、_____さんに主の慰めと平安がありますようにお祈りします。また、家族との別離を経験し、信仰に立ち続けておられる_____さん、_____さんの存在を感謝します。ルツのように、励ましの器として主のご栄光のためにますます用いられますように。アーメン

士師記21

「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」士師記21:25 士師記の最後は、17:6、18:1、19:1と同様、もの悲しく、混沌とした社会情勢だったとわかる記述で終わっています。 重苦しい出来事の多い士師記でしたが、この書が主によって後世に残されていることが恵みだと言えます。なぜなら、私たちは失敗を通して学ぶからです。 繰り返す失敗の歴史を読みながら、自分自身の心も同じように混沌に陥りやすいことを覚えます。そして、弱さを知るときに謙遜にさせられます。 神様が、それでも私たちを見捨てず、愛し続け、あわれんで、救ってくださったとは、何というあわれみでしょうか。 明日も、主の愛に心から感謝し、賛美する礼拝でありますように。 祈り:神様、あなたの愛とあわれみ、恵みに感謝します。どんな混沌とした社会、混乱した私の心にも、あなたの光が差すとき希望があります。 この希望を受け取り、この週末も過ごします。感謝の応答として礼拝をささげます。礼拝に行きたくても行けない入院療養中の方々、避難中の方々、それを支えるエッセンシャルワーカーの方々に、その場所で神様との確かな交わり、礼拝の時が与えられますように。アーメン

士師記20

「また当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていたーー」士師記20:28a ピネハスが祭司だったことから、士師記のこの記述は時代順ではなく、ヨシュアの死後ほどなく起こったとも考えられるそうです。そうだとしたら、あまりにも早く人々の生活が乱れ、内紛が起こったことに驚きます。 同時に、人は過去の恵みを忘れ、信仰がさめやすい弱い者であることを知ります。私たちも、神様がしてくださった恵みを忘れて、つい問題ばかりに目を留めがちです。人間レベルでは問題であっても、神のご計画はもっと高く、もっと深いところにあるという信仰と希望が与えられるようにと祈ります。 祈り: 「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い(イザヤ55:9)。」 神様、あなたのご計画は私たちの思いをはるかに越えた良きものだと信じます。今、試練の中にある____さん、_____さんを覚えてお祈りします。主にある忍耐と希望をあなたが与え、励ましてください。兄姉の人間関係を祝福してください。噂話や悪口から守ってください。祈りに代えることができますように。アーメン

士師記19

「それを見た者はみな、『イスラエルの子らがエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考え、相談し、意見を述べよ』と言った。」士師記19:20 読むと気が重くなるような記事が続きます。レビ人の側女の死、堕落しきったギブアの町...。そして、この章をいっそう暗くしているのは、主を求めて祈る記述が出てこないからです。せめて、同じ事態の中で彼らが主に叫び求めていたら、と思います。 最近の私たちの周りにも、暗いニュースが続きます。それらを聞いて嘆くだけではなく、主の前にその嘆きを持っていくことが私たちの務めであり、幸いでもあります。 今日の情勢の中に、「そこで主の民は祈った」という一行が加えられますように。 祈り:神様、現代の ・_________ ・_________ のために祈ります。あなたが難しい事態を治めてください。あなたが痛ましい事件で傷ついた人々の心を癒してください。あなたが絶望的に見える状況を打破してください。私たちに平安と勇気を与えてください。 「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました(ヨハネ16:33)」 イエス様の宣言を感謝します。アーメン

士師記18

「祭司の心は躍った。彼はエポデとテラフィムと彫像を取り、この人々の中に入って行った。」士師記18:20 祭司の心はなぜ踊ったのでしょうかーーそれは、自分がより良い条件で働けると思ったからでした。一個人でなく部族全体の祭司になるのは、いわゆる「出世」「抜擢」と思えたのです。 しかし、彼が神に聞いた形跡はありません。祈った形跡も聖書には出てきません。それどころか、自分の心の踊るままに、しかも用具や偶像まで勝手に持ち出しました。 心探られ、身が引き締まる思いです。私は、自分の心の踊るままに任せたことがないだろうか、と。神に聞いているという確信があるだろうか、と。 人の目に良いと見えることでも、神のご計画から外れたことには注意して立ち止まる者でありたいです。一時の熱意や情に流されず、神の導きを今日冷静に受け取ることができますように。 祈り:神様、あなたのご計画と導きは確かです。あなたに信頼し、あなたの声に従い進めますように。 今日は特に____さん、____さんを覚えて祈ります。今まであまり気の合わない人です。しかし、あなたのご計画のうちに出会ったと信じます。彼ら(彼女ら)のために祈り、あなたの愛で愛せるように助けてください。アーメン

士師記17

「このミカという人には神の宮があった。彼はエポデとテラフィムを作り、その息子の一人を任命して、自分の祭司としていた。」士師記17:5 家の中に宮・祭司の着るエポデ・テラフィムを作り、勝手に自分の祭司を任命するほど、この頃のイスラエルにはカナンの異教の風習が入り込んでいました。 読みながら、やれやれとため息が出るかもしれません。 私たちも日本という国に住み、さまざまな風習に囲まれて暮らしています。死者の霊が帰ってくると言われるお盆や、仏壇・仏像などに囲まれています。 聖書を信じるなら、天国の希望、永遠のいのちを得て再会する希望があります。また、主なる神様だけを礼拝するので、人の作った偶像は不要です。 同時に、キリストと出会う前の方に対しては、まずその方々を愛することから始めたいのです。そして、心の寂しさ、悲しさを慰めてくださる方がイエス・キリストだとわかるよう、聖霊の働きを祈りたいです。 異教の風習に影響を受けるのではなく、影響を与える者として、さりげない態度や言葉を主が用いてくださいますように。 祈り:神様、お盆休みの時期、さまざまな日本の風習を目にしました。自分も家族もなんとか救われたいと願う方々が、あなたこそ確かなゆるぎない救い主だと知ることができますように。 数少ないクリスチャンとして、この国の救いを信じて祈りたいです。あきらめないで祈り続ける信仰を与えてください。アーメン

士師記16

「サムソンは主を呼び求めて言った。『「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。』」士師記16:28 ナジル人として選ばれたにもかかわらず、サムソンは奔放に過ごし、選びを軽んじてしまいました。それでペリシテ人に捕らえられ、失明させられ、異教の祭りで見せ物にされました。 サムソンは牢屋で臼をひきながら、何を考えていたのでしょうか。主にどのように祈っていたのでしょうか。聖書はなにも語っていません。 しかし、その最期の祈りに神は答えてくださいました。神殿がペリシテ人の上に落ち、中にいた人は滅びました。 サムソンの後半生は切なく、彼の生涯の行動も手放しで喜べないものです。しかしそんなサムソンをも、神様は最期まで見捨てず用いられました。 信仰の章と言われるヘブル11章にも彼の名が列挙されています。 「...これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても語れば、時間が足りないでしょう。(ヘブル11:32)」 祈り:神様、あなたの深いあわれみを感謝します。あなたがサムソンを見捨てなかったように、私のこれまでの失敗も、あなたを裏切ったことも悲しませたことも、全部ご存知の上で見捨てずにいてくださったことに感謝します。都度悔い改め、あなたの前に正直に出ていくことができますように。 終戦の日を迎えます。戦争の悲しみも憎しみも、私たちの罪の性質がもたらしました。貪欲と高慢、憎しみの心を許してください。 そして、何か心にわだかまりがあり、一時的にあなたから離れようとしている方には、今日あなたの限りなく圧倒的な愛がわかりますように。アーメン

士師記15

「そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主を呼び求めて言った。『あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。しかし今、私は喉が渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。』」士師記15:18 超自然的な力を与えられ、ペリシテ人を倒していくサムソン。子どもの頃に見た、アニメのヒーローのような戦い方です。しかし、何かが足りませんでした。力任せに行動する彼は、聖書のリーダーにしては、祈る姿が出てこないなあ、と思っていました。 今日の18節で、ようやく彼が主に叫ぶ姿が出てきてほっとしました。(聖書記者が書いていないだけで、実際は祈っていたのかもしれませんが。) 私自身も、祈りなくして咄嗟に対応し、失敗したことを思い出します。 日常の買い物や電話、批判的な相手の言葉や態度への対応...。私たちは、生活のあらゆるところに主をお迎えし、主の助けを頂く者でありたいと願います。 祈り:神様、どんな時も共にいてくださり感謝します。あなたに相談しつつ、助けを求めつつ、今日一日歩めますように。今、気にかかっているのは________のことです。あなたのみこころを教え、導いてください。アーメン

士師記14

「そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民を三十人打ち殺し、彼らからはぎ取って、謎を明かした者たちにその晴れ着をやり、怒りに燃えて父の家に帰った。」士師記14:19 もし現在サムソンが生きていて、仮に私の上司だったら苦労しただろうな...と思います。 たしかに、イスラエルを率いるさばきつかさとしては、未熟な面が目立ちます。激しい性格で怒りに燃えたり、奔放で両親の忠告を聞かなかったりします。 けれども、そんな彼を主は用いられました。「主によること(4節)」、「主の霊が激しくサムソンの上に下った(19節)」と、背後には主の働きがありました。 この後、サムソンは大きな失敗と屈辱を経てイスラエルを解放します。 どんなリーダーでも完全な人はいません。そして、主はどんな不完全な人をも用いることがおできになり、その人を造り変えながら訓練され、(時にはサムソンのように命に代えて)ご自身の計画を成し遂げていかれます。 祈り:神様、私自身の未熟さや足りなさにもかかわらず、愛してくださり感謝します。 また、牧師や教会リーダーの不完全さを知りながらも、愛し祈りに覚えてくださる兄姉の心の広さと謙遜さに感謝します。 どうか、主が私の内面を訓練し、きよめてください。霊性を成長させてください。御霊の実(ガラテヤ5:22~23)を結ぶ者となれますように。アーメン

士師記13

「主の使いは彼に言った。『なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。』」士師記13:18 主の使いは「不思議」と名乗りました。そして、マノア夫婦は全焼のいけにえを通して主のなさる「不思議なこと」を見ました(19節)。 妻の名前は記されていません。しかし、とても魅力的な人物です。 彼女は主の使いに最初に会ったとき、そのことを夫に分かち合いました。二度目は夫を呼びに行きました。それで、夫婦で神の使いと話し、ヤギのいけにえをささげて主の不思議なわざを見ることができました。 さらに、主を見たから死ぬのでは、と恐れる夫を励ましています(23節)。 聖書には、目立たないけれど神を恐れて誠実に歩んだ人、神に用いられた人が出てきます。神様のご計画のために、ひっそりと名脇役のように、神が用いられた人と出会うのは、通読の恵みのひとつです。 祈り:神様、あなたが様々な人をお用いになることを感謝します。マノアの妻のように、主との出会いを分かち合い、周りの人も主と出会うことができますように。すぐに信じてもらえなくても、時間がかかっても、神様の時に期待して救いを祈り続けます。あなたの約束を実現してください。アーメン

士師記12

その人に、「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺した。こうしてそのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。士師記12:6 エフライムとギルアデとの戦いで多くの人が犠牲になりました。悲しい記事が続きます。エフライム人かどうかを、「シボレテ」を「s」と発音するか「sh」と発音するかで見分けたのでした。 ウクライナ語とロシア語の発音には、似ているけれどこうした違いがあるそうです。同系統の言語を持ち、互いの国にルーツを持つ人が多く住む場所に、早く平和が訪れるようにと祈ります。 私たちの住む日本にも方言があり、少しの違いで地元出身かそうでないかがわかります。同じ日本語なのに、自然と聞き分けているのですね。今週は帰省や旅行をされる方も多いことでしょう。故郷の方々、そして普段故郷を離れて暮らしている方を覚えて祈りたいと思います。 祈り:神様、実家を離れて暮らしている方々を覚えます。特に独り暮らしで孤独を感じる時、文化や習慣の違いを覚える時、主の愛と励ましが注がれますように。また、夏休みの帰省や旅行で家族が共に過ごす機会を祝福してください。自然な形で、あるいは生き方を通して、福音を分かち合うことができますように。希望が家族に与えられますように。 アーメン

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