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II列王記21

「マナセは、ユダに罪を犯させて、主の目に悪であることを行わせた罪だけでなく、咎のない者の血まで多量に流したが、それはエルサレムの隅々に満ちるほどであった。」II列王記21:16 ヒゼキヤ王の次に王位についたマナセは、偶像礼拝やまじないを平気で行い、自分の子どもさえささげるほどでした。そして独裁者のようでした。 この悪い王が55年間も治めていたのですから(1節)、ユダ王国の荒廃と堕落が想像できます。 主なる神様は、その様子をすべてご存知でした。 ユダ王国はやがてバビロンに滅ぼされます。その原因は人間の側の罪でした。 これほどの反逆を重ねながらも、神様はすぐに滅ぼさず、まだ悔い改めの余地を与え、待っておられたのでした。 私たちのどんな罪も、神様の前に悔い改めるなら赦されます。犯した罪だけでなく、自分の中にある傾向や罪深い性質も、日々神様の前に告白し、取り扱っていただけますように。 祈り:神様、私の中にある、あなたに喜ばれない性質を悔い改めます。批判的、ぐち、毒舌、短気、猜疑心、被害妄想、過度の不安...。そうした他人の欠点が見えるなら、自分の欠点はそれ以上であることを覚えます。私に、今日もへりくだった謙遜な心を与えてください。 「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。...偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。(マタイ7:3,5)」 アーメン

II列王記20

「イザヤは言った。『次のことが、あなたへの主からのしるしです。主は約束したことを成就されます。影が十度進むか、十度戻るかです。』」II列王記20:9 19章より少し前に戻った出来事が記録されています。 病気が癒されるしるしとして、神は太陽時計の影(時間)を逆戻りさせられました。 時間が前後した記録として、ヨシュア記にも「太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった(ヨシュア10:13)」という内容が出てきます。 ある科学者たちが過去の地球と太陽の動きを計算した時、この2つの記事と矛盾しないことがわかったと言います。 主なる神様は「約束を成就される」方です。時間や天体を支配しておられ、私たちのいのちも支配しておられます。そんな偉大な方なのに、私たちの小さな祈りに耳を傾けていてくださるのです。 祈り:神様、あなたが偉大な方であることを感謝します。そして、天体の動きと同じくらい、私の救いに関心を持ち、キリストを送ってくださいました。そして、私に親しく語りかけてくださることを感謝します。もっとあなたに近づき、心のうちを申し上げ、真実なあなたに頼れますように。アーメン

II列王記19

「ヒゼキヤは主の前で祈った。『ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。』」II列王記19:15 アッシリアに侵攻されるユダ王国。危機的で絶望とも思える時代は、預言者イザヤ、ミカが働いた時代でもありました。 イザヤ・ミカといえば、旧約時代に最も重要なメシア預言をした二人です。 そして、ユダ王国の王も、信仰に立った人物でした。王であるヒゼキヤの反応は 「主の前で祈った」(15節) でした。その結果、神の介入によって状況が変わっていきました。 社会や自分の身辺の暗い状況だけを見て、絶望したり怒ったりしがちな私たちです。しかし、その背後で主の素晴らしいみわざが進んでいます。そのことを信じるのが信仰なのだと教えられます。 祈り:神様、目に見える現象だけで判断しがちな、近視眼な私をゆるしてください。あなたの広く深い、そして良い計画を信じたいです。今週も、あなたが手をとって「恐れるな」と導いてください。アーメン

II列王記18

「民は黙って、彼に一言も答えなかった。『彼に答えるな』というのが、王の命令だったからである。」II列王記18:36 数週間前の礼拝こどもメッセージの箇所、ヒゼキヤ王の時代の記事です。 アッシリアからユダ王国を攻めてきたラブ・シャケは、ひどい言葉を民に向かって叫び、民を混乱させようとしました。ユダの人たちがわかる言語で、 「ヒゼキヤも、主なる神も、ユダ王国を救うことはできない。ヒゼキヤにごまかされるな」という内容を叫びました。 しかし、ヒゼキヤ王は民に沈黙するよう命じており、皆がその命令に従いました。 侮辱され、中傷を受ける時、私たちは自分の正しさを主張したくなります。うまくいく時もあれば、さらに誤解や混乱が生まれることもあります。しかし主はすべて知っておられます。なんという慰めでしょうか。 祈り:神様、ヒゼキヤがすぐれた王と言われるのは、あなたに従い通したからです。周りから攻撃されても侮辱されてもあなたに信頼した、彼のような信仰と忍耐を私にも与えてください。苦しい状況の中にある____さん、____さんに、あなたご自身が助けてくださり、あなたからの忍耐と平安が与えられますように。アーメン

II列王記17

「このようにして、これらの民は主を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。」II列王記17:41 北王国イスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、人々は捕らえ移されました。代わりに周辺国の人がイスラエル王国のあった地に送り込まれます。そこにライオンが出没したので、主を礼拝して解決しようとします。 主の祭司が一人派遣され、どのように礼拝するかを教えます。 これ自体はよかったのですが、人々はイスラエルの神、主だけでなく、同時に自分達の偶像礼拝もやめませんでした。あれもこれも、ご利益のあるものは拝んでおこう、ということだったのでしょう。 日本の状況とよく似ています。しかし、それでは結局自分が中心、自分がよいと思うことを自分が決めて行うことになります。本当に頼れる方がないまま歩み続ける人生を、今も多くの方が歩んでおられます。私たちは、とりなしの祈りをするように導かれていると思います。 祈り:神様、日本の人たちの多くは、どなたが本当に頼れる神かわからないまま、初詣をし、法事を行い、墓参し、パワースポットを巡り、占いを信じます。迷っていることも感じておられないのかもしれません。 あなたがその方々を愛し、十字架にかかってくださったことを知ることができますように。クリスマスがキリストに出会うよい機会になりますように。 「福音を聞いたことがなかった」と言われる方が一人でも少なくなりますように。アーメン

II列王記16

「アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。『私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から救ってください。』」II列王記16:7 最近、68歳でインドへの宣教師となった女性のあかしを読みました。現地でベッドから落ちて背中や頭を強打したり、洪水で危機一髪だったり、パンデミックで空港閉鎖になる最終便を経由して脱出したりと、波瀾万丈なあかしでした。 彼女は困難にあうと、いつも祈ります。ここで死ぬことになっても主にゆだねます、と告白します。そして、神様がどんな方法を通しても最善をなさることに信頼しています。21世紀でも、聖霊が超自然的な方法で働かれるあかしでした。 一方、ユダの王アハズはアッシリア王に助けを求めますが、主なる神の導きと助けを祈ったとは思えません。主の宮から貴金属を取り出してアッシリアに贈ったからです(8節)。一時はうまくいったかに思えますが、北イスラエル王国はやがてアッシリアに滅ぼされ、ユダ王国の勢いも弱っていったのでした。 人間的な助けを求める前に、国をあげて断食し、悔い改めて主に祈っていたなら、歴史は変わっていたかもしれません。 祈り:神様、あなたは今日も生きて働いておられます。人間的な助け、目に見えるものを頼る前に、あなたに祈り求めることができますように。あなたの力と恵みに満ちたご支配とを信じることができますよう、信仰を強めてください。アーメン

II列王記15

「イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。」II列王記15:1 「アザルヤ」とはウジヤ王のことです。ウジヤ王と言えば、イザヤ書6章に 「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た...(イザヤ6:1)」とあり、 私(イザヤ)は主の「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」という声を聞いて、 「ここに私がおります。私を遣わしてください。」 と応答しました(イザヤ6:8)。 今日の列王記第二15章には、虐殺やクーデターといった、ちょうど日本の戦国時代のような状況が書かれています。この上なく暗い時代です。 しかしそのさ中に、主は偉大な預言者を召し、遣わし、何千年も後の私たちにメシア預言として覚えられる預言の働きをゆだねられました。時代が暗くても、主のご計画は止まっているどころか、着々と進んでいます。 祈り:神様、時代や世界が暗くても、あなたが良い方であることに感謝します。私たちの周りにも、暗いニュースや不安な動きが多いですが、あなたに頼り、希望を失わず、信仰を守り、祈りを続けられるように助けてください。アーメン

II列王記14

「彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。」II列王記14:25 列王記では、 北のイスラエル王国 ー 南のユダ王国 ー 北のイスラエル王国 ー 南のユダ王国... のように、王の変遷が並べられています。そして、「ヨアシュ」「ヤロブアム」といった、同じ名前を持った王が複数出てきます。同時代に北も南もヨアシュという王だった時があります。また、ヤロブアムは王国が分裂した時にも「ヤロブアム」王と「レハブアム」王でした(別人です)。 ただし、25節に出てくる預言者「ヨナ」は、旧約聖書のヨナ記、魚に飲み込まれたあの人です。預言書は旧約聖書の後半に出てきますが、それが預言されたのは列王記や歴代誌の時代です。 今日も、同じ名字や名前の牧師や宣教師、クリスチャンのために祈ります。名前は同じでも、一人一人が別の人格であり、神様からそれぞれユニークな召命を受けていることを覚えます。 祈り:神様、同じ名前であっても、あなたは間違われません。そして、一人一人を呼び、召し、用いられることに感謝します。私も、あなたによってユニークな存在として造られました。他人と比較することなく、私に与えられた信仰の道のりを今日も歩めますように。アーメン

II列王記13

「神の人は彼に激怒して言った。『あなたは五回も六回も打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを討って、絶ち滅ぼすことになっただろう。しかし、今は三回だけアラムを討つことになる。』」II列王記13:19 エリシャの病床に、イスラエルの王ヨアシュがやって来ました。そして、アラムとの戦況についての預言を受けました。 当時の中東のまじないや宣託の風習から、王がエリシャのところに行った心境が理解できます。そして、神はエリシャを通して語られました。 対して、今日では聖書の中に約束がいっぱい書かれています。そして、すでに私たちは聖書を入手し、読むことができます。 一国の王よりも、もっと素晴らしいリソースを与えられていることに感謝します。 祈り:神様、あなたのことばである聖書が手元にあることを感謝します。 聖書に親しみ、もっとよくわかるように助けてください。聖霊様が心を開き、理解できるように導いてください。知性と霊性が共に主にあって成長しますように。アーメン

II列王記12

「祭司たちは、民から金を受け取らないことと、神殿の破損の修理に責任を持たないことに同意した。」II列王記12:8 神殿工事の事業は、祭司ではなく王主導で行われることになりました。それで、修理のためにささげられる献金は、王の管理のもと修理に当てられました。 祭司に任せるより、王の主導の方が実行力と迅速さで勝っていたからです。 任務の分担とそれぞれの役割を明らかにすることで、ようやくスムーズに工事が始まりました。工事をする人たちは忠実に働いたと書かれています(15節)。 後に城壁を修理したネヘミヤも、総督であり祭司ではありませんでした。行政で培った経験や技術を、主が用いられたのでした。 教会にも、社会で歩むクリスチャンリーダーの存在がとても大切です。神を愛し、信仰を守る誠実な人格に、人々は口に出さなくても何かを感じます。聖霊がその人の内に宿っておられ、その人が意識していなくても働かれているのです。 祈り:神様、牧師や宣教師だけでなく、一人一人が福音を分かち合う大切な器です。今週も聖霊に満たされて歩めますように。職場や家庭に派遣されている、主にある兄弟姉妹を祝福し用いてください。職場や家庭での宣教師として、福音を分かち合う機会と賢い方法が与えられますように。アーメン

II列王記11

「エホヤダは、主と、王および民との間で、彼らが主の民となるという契約を結ばせ、王と民との間でも契約を結ばせた。」II列王記11:17 祭司エホヤダの改革が始まりました。6年間かくまったヨアシュを王とし、主の前で信仰を守ることを、王にも民にも約束させました。ヨアシュは、祭司エホヤダが指導している間は、正しく歩みました(12:2)。 聖書の神は、契約の神と言われることがあります。 私たちの側は、約束を忘れたり、破ったり、たよりになりません。しかし、神の側は約束したことを必ず守られます。 十字架の救いも、神ご自身が定め守られることだから、私たちの側で自信がなくなっても、疑いが起こっても、大丈夫です。 祈り:神様、あなたの約束が確かであることに感謝します。 救いの確信が揺らぐとき、自信がなくなるとき、あなたが大丈夫と保証してくださっていると思い出させてください。 今教会から離れている____さん、____さんが、これほど恵み深いあなたへの信仰を、もう一度新たにできますように。アーメン

II列王記10

「このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。」II列王記10:28 エフーのやり方は、騙し討ちのような策略なのでわかりにくいかもしれません。バアルの預言者たちを、盛大な集会をすると言って集め、服を着替えさせて目印にし、滅ぼしました。 ただしエフー王は、金の子牛に仕え続けました。なぜでしょう。バアルを根絶やしにした、同一人物なのに。 それは偶像礼拝ではない、とでも思っていたのでしょうか。少しくらいなら大丈夫、と思ったのでしょうか。 32節の「そのころ、主はイスラエルを少しずつ削り始めておられた」は厳然とした結果です。 明らかな偶像を拝むことはしなくても、さまざまな思いにとらわれたり、スマホやテレビ、ゲームばかり見たりという恐れが、私たちにもあります。神様に祈り語るよりも、時間をかけ頼りにしてしまうことがあるならば、エフーと同じ道に歩まないよう願い求めましょう。 祈り:神様、あなた以上に宝物のように握りしめている物事がないか、心を探ってください。あなたの喜ばれる道を日々示し、私の歩みを修正し導いてください。アーメン

II列王記9

帰って来てエフーにこのことを知らせた。するとエフーは言った。「これは、主がそのしもべティシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。『イズレエルの地所で犬がイゼベルの肉を食らい、...」II列王記9:36 エフーのクーデター、ヨラム王とアハズヤ王の死、イゼベルの暗殺と、読むだけでも血なまぐさい、残酷な情景が続きます。この部分だけ読むと、なぜこのような出来事を神は黙って見ておられるのか、と思うかもしれません。 聖書通読のよいところは、ここに至るまでの神の愛と忍耐がわかることです。 ・燃え尽きたエリヤが新たに召しを受けた時点で、エフーが王になることが決まっていました。(1列王記19章) ・悪王アハブが悔い改めた時、神は裁きを彼の死後に延期されました。それが成就した場面です。(1列王記21章) ・罪のないナボテを殺して無理に土地を奪う策略(1列王記21章)、エリヤ暗殺の策略(1列王記19章)、偶像礼拝から離れなかった罪を犯したのはイゼベルでした。 そして、人間の自己中心の罪と、そのゆるしは神の一方的な恵み、十字架のあがないによるものだということを実感させられます。今は、悔い改めと信仰告白の祈りをするだけで、シンプルに祈っただけで救われるとは、私たちは何という恵まれた時代に生きているのでしょうか。 祈り:神様、旧約聖書の記録を読むたびに、私たち人間の罪深さと愚かさを覚えます。こんな私たちをあわれんで、救いの道を開いてくださったあなたの恵みと愛は、何と深いことでしょうか。どうか、____さん、____さんも、一日も早くこの恵みを受け取り、信仰告白と洗礼に導かれますように。アーメン

II列王記8

「しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。」II列王記8:19 今日の章は場面がいくつか変わります。預言者エリシャの暮らしと歩みをうかがい知ることができます。 かつてエリヤが天にあげられるときには「わが父、わが父」と叫んだ駆け出しでしたが、今は神の代弁者として王を相手にしても動じず、淡々と主の奉仕に励みます。 ハザエルが残酷な王となるとわかって、彼は泣きました。しかし、その場で彼を阻止したり、害を加えたりはしませんでした。なぜでしょう。それは、エリシャの職務が預言者だったからです。自分の分を越えていたからです。 私たちは、自分の分を越えてメシヤのようにふるまうことはできません。主に割り当てられたことを忠実に行い、あとは主がしてくださると信頼できるかが問われています。主はダビデとの契約を守られました。今日も、みことばの約束を守られる方です。 祈り:神様、私の悩みや行きすぎる心配を悔い改めます。あなたが全てをご存知であることに、もっともっと安心し信頼できますように。みことばの約束を握り、私に割り当てられた分の働きに焦点を合わせて歩めるよう助けてください。アーメン

II列王記7

「しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、神の人に答えて言った。『たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。』そこで、エリシャは言った。『確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。』」II列王記7:2 不信仰の結果は重いものです。侍従は、民に踏みつけられるという事故にあい、死んでしまいました(17節)。せっかく解放され、食料が受け取れそうだったのに、受けとることはあいrませんでした。 私たち自身も、思わず不信仰の言葉を出してしまうことがあります。また、うわさや陰口を広げようとする人がいた時、厳しく指摘することを控えてしまうことがあります。 主は、私たちの心をじっと見つめておられます。どのように悔い改め、心を変えていただけるでしょうか。民と共に祝福と食料を喜べるような、信仰ある者となれますように。 祈り:神様、あなたの解放をありがとうございます。不信仰な言動をゆるしてください。また、うわさや陰口の好きな___さんのことを苦々しく思います。あなたの適切な取り扱いが____さんにありますように。また私の心から苦みを取り去ってください。アーメン

II列王記6

「そして、エリシャは祈って主に願った。『どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。』主がその若者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。」II列王記6:17 若者は、これまで見えなかったものを見ました!そして、主が守ってくださっていること、孤独でないこと、パニックにならなくてよいこと、勝利が決まっていることを知りました。 この章の始めの斧の記事といい、天の大軍の記事といい、私たちに見えないものを主は見ておられます。「しっかりしなさい、大丈夫だ」という主の声が聞こえるようです。その励ましは、今日の私自身に最も大切なものです。 祈り:神様、あなたにもっと信頼することを教えてください。若者の目を開いたように、私の目を開き、人の声や態度でなく、あなたの声に安心し憩えますように。アーメン

II列王記5

「アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。」II列王記5:2 2節に出てくる「若い娘」は名前もわかりません。捕虜として連れてこられ、ナアマンの妻に仕えていた、不幸に思える背景です。 しかし、この女性がナアマンの秘密(病)を知り、主を求めるよう進言します。そうして、一国の将軍が主のいやしを体験し、信仰を持つに至ったのです! 私たちは、キリスト者として名もない存在かもしれません。しかし、「若い娘」のような間接的に影響を及ぼす働きに、今日召されているかもしれないのです。 いつでも証しの用意ができている者となれますように。 祈り:神様、私たちをあなたの働きに参加するよう招いてくださり、感謝します。必要な時に、私たちが信仰者であることをあかしできるよう助けてください。恥じたり、隠したりするのではなく、説明を求める人には優しく、丁寧に、聖霊の助けによって対応できますように。アーメン

II列王記4

「その子の母親は言った。『主は生きておられます。あなたのたまたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。』エリシャは立ち上がり、彼女の後について行った。」II列王記4:30 旧約聖書は、キリストの影をぼんやりと写す鏡のようなものだと言われます。やがて来られるキリストがどのようなお方か、何をなさるかを示しています。 預言者エリシャは、神の声を代弁し、神のわざを行いました。人間にすぎませんでしたが、やがてイエス・キリストが行ってくださるみわざの影を見ることができます。 ・壺の油が尽きなかった→カナの婚礼で水がぶどう酒に変わった ・もてなしたシュネムの女性(8節~)をねぎらう→香油を注いだ女性へのねぎらい、女性の弟子たちが復活のイエスに最初に出会う ・病や死からの癒しを行ったこと→同じように病気を癒され、ラザロをよみがえらせた ・安全な食物を、お腹いっぱいに与えた→5000人の給食や最後の晩餐など、食事の記事の数々 エリシャの時代も、キリストが来られた時も、今日も、時代や社会は荒れています。罪が満ちています。それでも、真摯に神を求める人には、神は答えてくださり、ご自身のご性質を現してくださいます。 祈り:神様、今日も主ご自身が生きておられ、世界中で働いておられることに感謝します。 私たちの視野が、あなたの姿とみわざをとらえ、驚きと深い平安で満たされますように。 誰も見たことのないこと、聞いたことのないことがみ旨のうちに起こると期待します。アーメン

II列王記3

「ヨシャファテは言った。『ここには、主のみこころを求めることができる主の預言者はいないのですか。』すると、イスラエルの王の家来の一人が答えた。『ここには、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です。』」II列王記3:11 北王国、南王国、エドムの連合軍がモアブと戦おうとしたところ、到着までに予想外の日数がかかり、水がなくなってしまいました。北王国のヨラム王は自暴自棄な言葉を出しますが、南王国のヨシャファテ王は「主のみこころを求めよう」とエリシャを呼びます。結果として、豊かな水が供給されました。 危機に陥った時、私たちの肉の心は「もうだめだ」と叫びます。 しかし、主の目には終わりではありません。そして、主の助けは不思議な方法で与えられます。それを得るために必要なのは、神への信仰を持ち続ける忍耐です。 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です(ヘブル10:36)。」 祈り:神様、あなたが助け主、私の岩、私の救いであることに感謝します。 ピンチの時、人間的な常識だけに流されそうな時、忍耐と信仰を与えてください。 周囲の人からのプレッシャーを受けている____さん、_____さんを、あなたが守り、信仰に固く立てるよう、心を励ましてください。 アーメン

II列王記2

「エリコの預言者の仲間たちは、遠くから彼を見て、『エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている』と言って、彼を迎えに行き、地にひれ伏して礼をした。」II列王記2:15 エリヤは火の戦車、馬と竜巻に乗って天に上げられました。「わが父、わが父...!」と叫び続けたエリシャの寂しさと嘆きに胸が詰まります。 しかし、エリヤに臨んでいた神の霊は、今度はエリシャを通して働かれ始めます。「エリヤの霊」というのは亡霊ではなく、エリヤに臨んでいた神の霊、聖霊の注ぎです。預言者のリーダー的存在として、主にあって歩む働きの継承が、エリヤからエリシャになされていたことがわかります。 親しい家族や友人を失って、気落ちしているでしょうか。子どもの独立や定年で、空虚な気持ちになっているでしょうか。年齢を重ねて自分の弱さに直面していますか。 悲しむことは自然で正しいプロセスです。しかし、神様の計画はそれで終わりではありません。エリシャが立ち上がり、エリヤの後継者として働き始めたように、私たちに割り当てられた主のご計画とミッションはまだまだ続いているのです。 祈り:神様、私が今感じている喪失体験は__________です。ぽっかり空いた心の穴に、聖霊ご自身が入り満たしてください。 最近親しい方との別れを経験したり、環境が大きく変わったりした____さん、____さんに、あなたの限りない慰めと励まし、そして新しい希望と歩みへの光を与えてください。アーメン

II列王記1

「王は、エリヤが告げた主のことばのとおりに死んだ。そしてヨラムが代わって王となった。それはユダの王ヨシャファテの子ヨラムの第二年のことであった。アハズヤには息子がいなかったからである。」II列王記1:17 アハブの死語、アハズヤが北王国の第8代王となりました。転落事故で重体になった時に、主なる神でなく、バアル神を頼りました。 主はエリヤを通してその罪を指摘します。やがて王は主のことばのとおり死にます。それまでに、王の兵隊たちも犠牲になりました。 暗い空気感の漂う第二列王記の始まりです。 しかし、大きな原則を読み取ることができます。それは、主がいのちを支配しておられる方、火を降らせることのできる全能の方だということです。 そして、かつて燃え尽きたエリヤが、この時点までいのちを守られ、主に仕え続けているという希望と守りも読み取ることができます。 祈り:神様、時代が悪くても、その中で誠実に生きる信仰者を覚えてくださり感謝します。私たちが生涯信仰を全うできるよう助けてください。 あなたが人を生かし、あなたの許しなしには息絶えることがないことを覚えて感謝します。病床にある____さん、____さん、そして介護・看護する____さん、____さんとご家族に、今日も希望と平安をお与えください。 アーメン

I列王記22

彼は答えた。 「私は全イスラエルが 山々に散らされているのを見た。 まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。 そのとき主はこう言われた。 『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ 自分の家に無事に帰らせよ。』」I列王記22:17 預言者たちまでが、アハブに都合のよいことしか預言しなくなっていました。 ミカヤによれば、それは悪霊が預言者たちを惑わしたからでした。 不信仰なアハブ王の治めた国は荒れていきました。その人々の様子を、17節では「羊飼いのいない羊の群れのよう」だと記しています。やがてアハブは戦死します。 後にイエス様が来られた時も、 「イエスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた(マルコ6:34)」 と記されています。さまようごく普通の人々を、イエス様は深くあわれんでくださる方です。そして、今日も語りかけてくださる方です。戦争、病気、災害、将来への不安でさまよっている私たちをあわれみ、優しく導いてくださいます。 祈り:あわれみ深い神様、感謝します。今日、あなたの御声を聞くことができますように。不安をあおるような声が内面で聞こえる時、「下がれ、サタン」と命じられたイエス様のお名前の権威で勝利できますように。私を平安の道に今日も導いてください。アーメン

I列王記21

「アハブはこれらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に粗布をまとって断食をした。彼は粗布をまとって伏し、打ちひしがれて歩いた。」I列王記21:27 悪王アハブは、 「アハブのように、自らを裏切って主の目に悪であることを行った者は、だれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたのである(25節)」 と言われたほどでした。 預言者エリヤと主ご自身に敵対し続けた王でしたが、自分と子孫の最後についての預言を受けた時、初めてへりくだりました。 驚くことに、主なる神様はこのように言われました。 「あなたは、アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間はわざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す(29節)」、と。 ただちに滅ぼされてもおかしくない彼の行状でしたが、神様は裁きを延期されます。 なんと忍耐づよく、あわれみ深いお方でしょうか。悔い改める者に、主は今日もあわれみ深くあられます。 祈り: 神様、あなたのあわれみ深い恵みを感謝します。主の前に謝ることがあると気づいたら、ただちにへりくだって悔い改めることができますように。裁く心、妬む思い、すべきだったのにしなかったことなど、私に気づきを与え柔らかい心にしてください。 「あなたがたの心を頑なにしてはならない。メリバでのように 荒野のマサでの日のように。(詩篇95:8)」  アーメン

I列王記20

ちょうどそのころ、一人の預言者がイスラエルの王アハブに近づいて言った。「主はこう言われる。『あなたは、この大いなる軍勢を見たか。見よ、わたしは今日、これをあなたの手に引き渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る。』」I列王記20:13 悪王アハブの治めるイスラエルの危機に、預言者が送られました。緊張する国際関係の中で、ほっとする場面です。主が北王国であるイスラエルを見捨てなかったことがわかります。 アハブが徹底的に悔い改め、主に従っていれば、この章はもっと明るい結末になっていたでしょう。 人間的には、ベン・ハダドを見逃したのは良い和平策のように思えます。しかし、長い目で見れば、戦いが長期化し、より多くの犠牲者が出ることになったのでした。また、自国民のほしいままに殺した彼がベン・ハダドを見逃したのは、自分の貪欲と気まぐれによるという印象を受けます。 私たちのひとときの感情論、価値観は、長期的な視野を持ちにくいものです。だからこそ、重要な決断は祈り、神のみこころをつかむことが必要です。 祈り:神様、あなたがすべてを支配され、ご計画をお持ちであることに感謝します。四季の移り変わり、宇宙の天体を支配しておられるあなたが、私たちの小さい日常も御手に治めておられることを信じ、信頼します。アーメン

I列王記19

「地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。」I列王記19:12 疲れはてたエリヤは、イゼベルの脅迫から逃げ、荒野で死を願いました。 主は食べ物と休息を与え、40日間かけてホレブの山に彼を導かれました。そこは、かつて劇的な方法で主がモーセに現れた場所でした。 しかし、うつ状態だったエリヤには、風でも地震でも火でもなく、かすかな細い声で優しく現れてくださいました。そして、新たな使命を与えられたのです。 主なる神様は、私たちの状態を誰よりもわかっておられます。そして、一人一人にユニークな方法でご自身を知らせてくださいます。あの人のように劇的な救われ方をしていない、とか、奇蹟や目立ったあかしがない、などと思う必要はありません。 「神様と私」の関係を大切にし、私にとっての信仰のあかしを分かち合う者となれますように。 祈り:神様、あなたが私をよく知っておられ、いつも個人的に関係を持とうとしてくださっていることに感謝します。かすかな御声に応答できますように。他の人と比較するのではなく、私が受けた恵みとあなたの愛をあかしする者となれますように。アーメン

I列王記18

「すると、主の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くした。」I列王記18:38 列王記の中で最も有名な場面かもしれません。エリヤはバアルの預言者と対決し、主によって勝利しました。今日のカルメル山の山頂には、この場面のエリヤ像が立っています。 勇敢な、何も恐れないエリヤ。彼の祈りの答えは、主こそまことの神であり、主にとって不可能なことはないと証明しました。 そして、ひっそり出てきている脇役?のオバデヤの存在も忘れることができません(彼は預言者オバデヤとは別人です)。彼の仲介があってこそ、エリヤはアハブ王と会い、対決へと導かれたのでした。身の危険を承知しながらも主に忠実だった、彼のような人物もまた神は用いておられます。 祈り:神様、一人一人にあなたのご計画と導きがあることに感謝します。目立つ働き、目立たない働き、それぞれの持ち場で、喜んであなたに仕えることができますように。比較のわなから守ってください。アーメン

I列王記17

「エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。」I列王記17:16 堕落した北王国に、預言者と信仰者のキラリと輝く記事が出てきます。 雨が降らないという預言は、アハブ王にとってだけ大変だったのではありません。ツァレファテのやもめ家族や民衆、そして預言したエリヤ自身も餓死の危機に直面しました。ぎりぎりの所で神様が助けてくださったのでした。 トップリーダーがひどい人でも、その国には主を愛する純粋な信仰者がいます。そして苦難に直面しています。戦時中の日本もそうでした。今のロシアも同じです。そのことを忘れず、とりなしの祈りを続けたいと思います。 祈り:神様、あなたの真実を感謝します。ロシア、北朝鮮、イラン、ミャンマー、アフガニスタン...、私たちには理解できない政策をとる国の中に、必死で祈り信仰を守る霊の兄弟姉妹がいることを覚えます。ツァレファテのやもめ家族を養ったように、その人々をお守りください。キリストの希望と日々の必要が備えられますように。主の御名が、かつてないほど広がりますように。アーメン

I列王記16

「...オムリの子アハブはサマリアで二十二年間、イスラエルの王であった。オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行った。」I列王記16:29~30 北王国ではエラ、ジムリ、オムリ、と王が変わっていきます。なかには数日間しか治めない王もいました。その間、南王国ではずっとアサ王でした。 良い王が長く治め、悪い王がすぐに交代するというのならわかりやすいのですが...。 オムリに続く北王国のアハブ王は、これ以上ないほど主に不誠実な王だったのに、22年間も王位につきます。なぜなのか、と首をひねります。 私たちの判断は、見えるもの、数字に現れるものに偏りがちです。しかし、主の深いご計画と摂理があり、決して悪をそのままになさらないこと、真実なものには永遠の報いがあることを信じられるかが、信仰の世界なのだと思わされます。 祈り:神様、あなたのみ思いは、私には深く高すぎてわかりません。しかし、あなたが真実な方であることを信じます。なかなかきかれない祈り、不条理な出来事がある時、あなたが忘れておられないことを信じ信頼できますように。特に今、心に浮かぶ_________のこと、__________のことにあなたのご介入と働きを信じてお祈りします。アーメン

I列王記15

「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、彼のためにエルサレムに一つのともしびを与えて、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。」I列王記15:4 「列王記」という名前のとおり、北王国と南王国の王が並行して記されていくので、「今は北と南、どちらの出来事なのだろう」と意識しながら読むと流れがわかりやすいです(両国の王を表にしたカードもあります)。 ダビデの孫にあたるアビヤム(1節)は良くない王でしたが、主はダビデとの約束を守られ、家系がとだえることはありませんでした。 アビヤムの次に兄弟のアサが王になり、若いうちは主の目にかなう統治を行いました(9~24節)。 私たちは、自分の子や孫のためには熱心に祈ります。 それならば、同じ心で、教会やメンバーの家庭に与えられている、霊の子や孫(これから救われる人も含め)のために祈る者となれます。 礼拝中に幼い子どもが泣いたり声を出したりしても、温かくほほえんで受け入れる、今の雰囲気をとても嬉しく思います。10年、20年先に、彼らが信仰を受け取って霊のリーダーとなっていく姿を想像します。ダビデのように、後に続く信仰の遺産を残し、バトンを渡す者となれますように。 祈り:神様、あなたの恵みと祝福が世代を越えて受け継がれることを感謝します。「ダビデに免じて」と記されているように、「○○○(自分の名前)に免じて」、家族や教会に恵みが注がれ続ける者となれますように。 教会にいる乳幼児、子ども、ユースの____ちゃん、____くん、_____さんをあなたがとらえ、福音をあかしする者にしてください。教会に与えられた素晴らしい存在として、皆で霊を養い育てることができますように。アーメン

I列王記14

「レハブアムとヤロブアムの間には、いつも戦いがあった。」I列王記14:30 分裂したユダ王国とイスラエル王国は、常に対立していたと記録されています。 イスラエル王国が偶像礼拝と勝手な祭司任職をしただけでなく、ユダ王国でも偶像礼拝が行われていました。神殿男娼もおり、性的にも乱れていました(23~24節)。 ユダ王国にはエジプトが攻めて来て、ソロモンの建てた主の宮と王宮から財宝をことごとく奪いました(25~26節)。ソロモン治世の統一と繁栄は、20年たたないうちにあとかたもなくなりました。 それもこれも、人々が主を求めることを忘れ、自分勝手な偶像礼拝をしたからでした。 私たちも、主の良くしてくださったことへの感謝より、目先の問題ばかりが気になりがちです。神様に対してだけでなく、信仰の友や教会の兄弟姉妹の祈りや親切も、すぐに忘れてしまったり、当然のように思ったりしがちです。 当たり前と思わず、思い返すたびに感謝の祈りをささげることができますように。 祈り: 「わがたましいよ 主をほめたたえよ。  主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2) 神様、あなたの良くしてくださった ______のこと、_____のこと、_____のことを今日は特に覚えて感謝します。あなたの愛と恵みをありがとうございます。 そして、あなたが出会わせてくださった信仰者の____さんの_____(祈りや親切)、____さんの_____(祈りや親切)を思い返し、感謝いたします。主からの祝福と報いを、彼(彼女)に注いでください。彼(彼女)の存在を感謝します。アーメン