Iサムエル14

「民はサウルに言った。『この大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはあり得ません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。』こうして民がヨナタンを救ったので、彼は死ななかった。」Iサムエル14:45

ヨナタンと道具持ちは神に頼りながら戦いました。「多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない(6節)」と勇敢に出て行きました。
一方、サウルは「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ(24節)」と、兵士が食事をするのを禁じました。そこには主に祈って誓った形跡がありません。

ヨナタンが死罪になるかと思われた時、民は「主は生きておられます。あの方(ヨナタン)の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです(45節)」と弁護しました。

見ていないようで、人々は見ています。それが神から出たものか、本人の思いかということも、第三者の方がよく見えることもあります。私たちの今日の思いは神から出たものでしょうか。それとも、自分の思いにすぎないでしょうか。勇気をもって忠告してくれる人のアドバイスに耳を傾ける謙遜な心を持てますように。

祈り:神様、今日行おうとすることが主の御旨にかないますように。兄姉の忠告を受けとるへりくだった心を与えてください。

「あなたがたはむしろ、『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです。(ヤコブ4:15)」 アーメン