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I列王記13

「一人の神の人が、主の命令によってユダからベテルにやって来た。ちょうどそのとき、ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立っていた。」I列王記13:1 名もない、しかし主に忠実な預言者が、主の命令で北王国に遣わされました。勝手な偶像礼拝をするヤロブアム王を戒め、主の命じた通りに南王国に戻ろうとします。 ところが、元預言者だった人の言葉にだまされ、その結果ライオンに殺されてしまったのでした。 忠実な預言者がこんな最期を遂げたとは、何とも気の毒です。でも、彼の死は、神の裁きの厳粛さと警告を、信仰から外れた北王国の人々に発したことでしょう。 日本でも、多くのクリスチャンが迫害を受けました。江戸時代も、大戦中も。善良な人々の殉教は、信仰者だけでなく社会や歴史にインパクトを与えました。 「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える(黙示録2:10)」に望みを置くクリスチャンたちのために祈ります。 祈り:神様、今週も自由に礼拝を守ることができました。この恵みを感謝します。世界の迫害の中で信仰を守る私たちの霊の兄弟姉妹を、今日も励まし勇気づけてください。 教会の中にも、家族のうち一人で信仰を守る方々、職場や学校のプレッシャーを覚える方たちがおられます。あなたが特別に励まし、今の辛い状況を豊かなあかしの場と変えてください。アーメン

I列王記12

「『主はこう言われる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰れ。わたしが、こうなるように仕向けたのだから。』そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。」I列王記12:24 長老の助言を軽んじたレハブアム王の対応をきっかけに、王国が二つに分裂することになりました。レハブアム王とユダ(南王国)はイスラエル(北王国)を攻めようとしましたが、神は預言者シェマヤを通してストップをかけられました。 先には失敗しても、レハブアム王とユダが「主のことばに聞き従」ったのには望みがあります。 一方で、イスラエル(北王国)のヤロブアム王は祭りの日を勝手に定め、偶像礼拝を始めました。先代のソロモン王が晩年とった態度を見ていたからでしょうか。 この箇所は、知らないうちに罪深い影響を受けてしまう危険性を、私たちに教えてくれます。 私たちが後の代に悪い影響を残さないように、信仰のよい遺産を残せるようにと祈ります。 祈り:神様、あなたを慕い求める純粋な信仰をお与えください。私の極端な教えやこの世の影響からお守りください。子どもの成績や家族の昇進を、信仰より重視することがありませんように。信仰の歩みが家族に、そして教会に良い影響を与えることができますように。アーメン

I列王記11

「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。」I列王記11:4 あるワークショップで「あなたは自分の葬儀で、どのような人だと紹介されたいですか」という質問がされました。地上の生涯を終えた時に、どのような生き方をしたと覚えられるかが、その人の人生の真価である、と。 イスラエルの繁栄を築いたソロモンには、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいました。「その妻たちが彼の心を転じた(3節)」と書かれています。彼は外国の女性を愛し、偶像礼拝に陥ったのです。 若い時、主に知恵を頂いたのに。主の宮を建てたのに。国を繁栄に導いたのに。主が二度も警告された(9~10節)のに...。 ソロモンの心変わりは「年をとって」からでした。信仰は、経験を積んだから「もう大丈夫」ではなく、最後まで「主よ、守り導いてください」という祈りなのですね。 祈り:神様、あなたがデザインされた道を進めるよう、今日も守り導いてください。誘惑やこの世の栄光にとらわれず、神の国で価値あるものに目をとめることができますように。教会が業績や人数ではなく、キリストを愛し従うことを優先できますように。アーメン

I列王記10

「全世界は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた。」I列王記10:24 ソロモンの絶頂期の様子が記されています。知恵と知識に加え、物質的にもイスラエルの平和と繁栄が章全体に記述されています。 国内の豊かさだけでなく、国際貿易でも莫大な富を得ました。金銀、衣服、武器、木材、香料、家畜、戦車...。 「ソロモンが所有していた馬は、エジプトとクエから輸入された(28節)」 「馬は銀百五十で買い上げられて、輸入された。同様に、ヒッタイト人のすべての王やアラムの王たちにも、王の商人たちの仲買で輸出された。(29節)」 ...繁栄の中に、陰りがあるとしたらここです。申命記で「ただし王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない(申命記17:16)」と言われました。ソロモンが知らなかったとは思えません。 「これぐらいなら」と思ったのかもしれません。しかし、それが王国の衰退をもたらす遠因となります。 私たちも「これくらいなら大丈夫」とうやむやにしていることがないか、心を探られます。神様がよいと言われる以上にやりすぎていること、突っ走っていることがないかも振り返りたいと思います。 祈り:神様、私の日々にも祝福と必要を与えてくださり感謝します。感謝して受けとると共に、誠実に用いることができますように。あなたの望まれないことまでしていないか、逆に恐れや頑固さですべきことを怠っていないか、私の心を探ってください。そしてあなたの望まれる生き方に導いてください。アーメン

I列王記9

「主は彼に言われた。『あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目と心は、いつもそこにある』」I列王記9:4 主なる神様からの、なんと力強い返答でしょうか。 自分が成し遂げた事業と祈りへの、最高の報いだったと思います。 しかし、神の祝福を受け続けるかどうかは、それ以上にソロモンの誠実さと信仰の姿勢にかかっていました。 神様がいくら祝福を願われても、神から離れ偶像礼拝をする者に注ぐことはできません。残念ながら、イスラエルの国はこの後堕落していき、祝福から離れていきました。 祈り:神様、あなたのそばにいつも近くあらせてください。生涯の最後まで、あなたから離れることのないように、私の心とたましいを御手に抱き、守ってください。アーメン

I列王記8

「こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。」I列王記8:60 ソロモン王が神殿奉献式で祈った祈りの最後、民を祝福した部分です。 政治家は国民に向かって素晴らしい演説をします。 しかし、ソロモンは主に向かって真心からの祈りをし、民を祝福する祈りで閉じました。 その内容は、イエス様が「地の果てにまで福音を宣べ伝えなさい」と言われたのを連想させます。 ソロモンの祈りの言葉は、そのまま私たちの祈りにもなります。 祈り: イスラエルの神、主よ。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。(23節) 実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。(27節) どのようなわざわい、どのような病気であっても、 だれでも自分の心の痛みを知って 祈るなら、どのような祈り、どのような願いであっても、あなたご自身が、御座が据えられた場所である天で聞いて、赦し、また、かなえてください。(38~39節) 一人ひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心をご存じです。そうして、私たちが生き続ける間、いつもあなたを恐れるようにしてください。(39~40節) こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。(60節)アーメン

I列王記7

「ソロモンは人を遣わして、ツロからヒラムを呼んで来た。彼はナフタリ部族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。ヒラムは青銅の細工物全般について、知恵と英知と知識に満ちていた。彼はソロモン王のもとに来て、その一切の細工を行った。」I列王記7:13~14 今日出てくる「ツロのヒラム」は、5章で出てくる「ツロの王ヒラム」とは別人です。 彼は優れた職人だったことがわかります。手先の技術だけでなく、知恵と英知と知識に満ちていた人物でした。 父をなくし、外国に住んでいた彼の生活は試練も多かったと想像します。しかし、主は彼を忘れておられませんでした。抜擢を通して祖国での事業に関わったのでした。 私たちの境遇が社会的に恵まれなくても、主は決して忘れておられません。主の恵みが注がれ続けていること、主が目を留めてくださっていることを覚えます。 祈り:神様、あなたの恵みは尽きず、日々私の歩みに十分であることに感謝します。不平、不満の多い者をゆるしてください。私の口を守り、あなたへの感謝がもっと出るように助けてください。アーメン

I列王記6

「第四年のジブの月に、主の宮の礎を据え、 第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。」I列王記6:37~38 ソロモンが建てた神殿は、7年がかりで完成しました。金箔や彫刻が隅々まで施され、豪華そのものでした。主ご自身は、人の手で建てたものの中だけに縛られず、天地を治める方です。 それでも、神殿は神様の素晴らしさを示し、人々へのあかしとなりました。 教会堂も同じです。教会は建物ではありませんし、信仰者は物質的な豪華さにとらわれません。 それでも、「この町に教会がある」「十字架が立っている」ということが、まだキリストを知らない人たちへの招きとなり、あかしとして用いられます。 そうした祈り心で教会敷地の掃除や手入れをしてくださっている方々に、主が報いてくださいますように。 祈り: 「主は、天を薄絹のように延べ広げ、これを天幕のように張って住まわれる(イザヤ40:22)」 偉大な主を、私たちがいろんな方法であかしできることに感謝します。言葉を通してはもちろん、祈りながらの会堂掃除、心をこめた草抜き、スリッパを並べることさえも、主に栄光をお返しする思いです。喜びをもって主と主の教会に仕えることができますよう、今週も導いてください。アーメン

I列王記5

「ヒラムはソロモンの申し出を聞いて、大いに喜んで言った。『今日、主がほめたたえられますように。主は、この大いなる民を治める、知恵のある子をダビデにお与えになった。』」I列王記5:7 ツロの王ヒラムは、ソロモンの父ダビデの代からのよい友人でした。彼は、ソロモンの神殿建設プロジェクトに協力し、多くのスタッフもその仕事に従事します。 私たちの信仰の歩みでは、信仰者はもちろん、周囲の人の協力と理解という恵みも忘れることができません。礼拝に送り出してくれる家族、好意的に接してくれる地域や職場の人たち、思いがけない助けを申し出てくれる人々。 私たちだけでなく前の世代の信仰者がよい隣人、よい市民として自然なあかしをしてきてくれたからだと感謝を覚えます。私たちは、次の世代にどんな土壌を残せるでしょうか。 祈り:神様、ダビデの信仰と誠実な姿勢が、ソロモンの代でも周囲に影響を与えていたことを知りました。私が今日こうして信仰を守り、クリスチャンとして歩めるのは、前の世代のあかしの実であることを覚え、感謝します。私も次の世代によい遺産を残して歩みたいです。今日も真心と主への愛をもって歩めますように。アーメン

I列王記4

「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。」I列王記4:29 主語は「神」です。神が、知恵と英知と広い心をソロモンに与えられたのです。 私たちの品性に「足りないなあ」「欠けているなあ」と思うものがあるなら、神様に願いましょう。御霊の実は、神からの賜物です。 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。(ガラテヤ5:22~23)」 祈り:神様、私たちをキリストに似た品性を持つ者にしてください。優しく、あわれみ深く、義を愛して善意にあふれ、自制することができますように。今日も思わぬハプニングが起こった時、あなたの平安で対処できるように助けてください。アーメン

I列王記3

「これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。」I列王記3:10 ソロモンは自分のための長寿や富ではなく、王として正しく聞き分け、判断する力を願いました。それが「主のみこころにかなった」、と書かれています。 もし私たちが「あなたに何を与えようか。願え(5節)」と主に言われたら、どう答えるでしょうか。私なら「神様、あなたはどう思われますか。私に必要なものは何ですか」と聞き返すかもしれません。 神様は私たちにとって最善のものをご存じです。それでも、「あなたは何を願うのか」と聞いてくださいます。静まり、じっくり主の前に出る時間を持ちたいと願います。その時、主は私たちの心と歩みが召しにかなっているか、気づきも与えてくださるからです。 祈り:神様、あなたの前に心を静めて出ています。私の心と歩みを探ってください。サタンは「責め立てる者」として私の心を不安にさせます。でもあなたは平安を与えてくださいます。間違ったことは悔い改め、あなたに相談しながら方向転換、軌道修正ができるよう、助けてください。アーメン

I列王記2

「ソロモン王は主にかけて次のように誓った。『アドニヤがこういうことを言ってもなお自分のいのちを失わなかったなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。』」I列王記2:23 アドニヤ、エブヤタル、ヨアブは、ダビデやソロモンに反逆した人々でした。 ある人は追放され、ある人は殺されました。 もっとも、アドニヤはなぜこの発言で死刑になったのか、と初めは思いました。アビシャグと結婚したいと言っただけなのに、と。 注解書を読むと、アビシャグはダビデ王のすぐそばで仕えた女性であり、彼女を妻にすることは再び王権を脅かす原因となりえた、ということがわかりました。発言の背後には、アドニヤの反逆心と王座をねらう試みがあったのでした。ですから、ソロモンの判断は国の安定のために妥当なものでした。この判断で多くの民が戦いや混乱から守られたといえます。 旧約聖書を読む時、こうした事情や状況をふまえると、すでにダビデの遺言を通して神がソロモンに知恵を与え、王座に召したことに納得できます。 祈り:神様、あなたの知恵は深く正しいことに感謝します。聖書の中には、わからないこともたくさんあります。今日のように納得することもあれば、疑問が残ることもあります。けれども、あなたの真実と恵みに信頼します。もっと聖書に親しめるよう、あなたのことばを道しるべとして歩めるよう、日々導いてください。アーメン

I列王記1

王は誓って言った。「主は生きておられる。主は私のたましいをあらゆる苦難から贖い出してくださった。私がイスラエルの神、主にかけて、『必ずあなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に就く』とあなたに誓ったとおり、今日、必ずそのとおりにしよう。」I列王記1:29~30 上に立つ人、とりわけ当時の王は大変な責任を追っていました。「年を重ねて老人になっていた。そのため衣をいくら着せても温まらなかった(1節)」という状態でも、ダビデには王座を狙うアドニヤへの対処と、ソロモンに王位を継承する仕事が残っていました。 年老いてしまったダビデの様子は、王位継承の時期が遅かったとも言えます。しかし王位は死亡によって交代するのが原則で、戦いもないのに生前退位するのは珍しいことでした。 さらに、忠実で賢い側近や家族、預言者の存在があったので、手遅れになる前に王位継承が行われ、内戦や分裂から国が守られました。 私たちは家庭、職場、学校で、みことばの知恵と祈りによりリーダーを支えているでしょうか。自分の感情とみことばが一致しないとき、どちらを優先しているでしょうか。また、リーダーとして主の導きを求め、従う者でしょうか。時には潔く助言を聞き入れ、リーダーシップを分け与えることができているでしょうか。 祈り:神様、あなたのことばである聖書が手元に与えられていることを感謝します。さらに理解が深まり、聖書が私の日々の考えや行動そのものの指針となっていきますように。リーダーであれフォロワーであれ、聖書のことばを大切に、祈りと聖霊の導きに従い歩めるように助けてください。 特に信仰の共同体である教会に、かしらなるキリストの恵みと導きが今日も豊かにありますように。アーメン

Ⅱサムエル24

「ヨアブは王に言った。『あなたの神、主が、この民を百倍にも増やしてくださいますように。わが主、王の目が、親しくこれをご覧になりますように。ところで、わが主、王は、なぜこのようなことを望まれるのですか。』」Ⅱサムエル24:3 当時の中東で行われた人口調査には、税の取り立てなどの他、戦士の数を数える目的があったそうです。もっとも、ダビデには主がついておられ、主が命じるのでなければ人口調査は必要なかったと思われます(ゴリアテと戦った時も(1列王17章)、主の力だけに信頼して勝利したはずです)。 自分の思いで調査を決行した結果、国に災いが臨みました。 側近ヨアブはダビデに中止を進言しました(3節)。そのときは却下したものの、後になって悔い改めた時、ダビデはヨアブの進言を思い出したでしょう。 私たちの周りにも、祈りながら忠告してくれる家族や友がいるならば、その存在を主に感謝することができますように。 祈り:神様、あなたが私の人生に与えてくださった信仰の友を感謝します。ぶつかることや間違えることがあっても、お互いの存在そのものを尊重し、優しい言葉で忠告し建て上げることができますように。アーメン

Ⅱサムエル23

「イスラエルの神は仰せられた。 イスラエルの岩は私に語られた。 『義をもって人を治める者、 神を恐れて治める者。その者は、太陽が昇る朝の光、 雲一つない朝の光のようだ。 雨の後に、地の若草を照らす光のようだ。』」Ⅱサムエル23:3~4 治める者の資質は「神を恐れる」ことだ、とダビデは生涯の最後に言いました。 戦いが強いとか、威厳がある、とかではなく、「神を恐れる」ことだ、と王本人が述べています。 そのように神を愛する王のそばには、忠実な勇士たちがいました。23章の後半には、勇士の名前が列挙されています。そして、最後の39節にはバテシェバの夫だった、あの「ヒッタイト人ウリヤ」の名も挙げられています。ダビデの策略にもかかわらず、最後まで忠実に仕えた彼のことを、人々も、そして神様も覚えておられました。 祈り:神様、どんなに権力や名誉があっても、主を恐れることがなければ空しいことを覚えます。国や政治に、主を知り主に祈るリーダーを起こしてください。私自身も、うわべの信仰ではなく、真心から礼拝する人となれますように。37人の勇士のように、主の勇士として忠実に人生を全うすることができますように。アーメン

Ⅱサムエル22

「主がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを主に歌った。」Ⅱサムエル22:1 戦いが終わり平和がきた、その日にダビデはこの歌を歌いました。 同じ歌が詩篇18篇にも出てきます。 今世界で起こっている戦いや紛争が終わった日、何人のクリスチャンがまず主を賛美し、ほめたたえるでしょうか。 直接の当事国でなくても、祈りに覚え続けている私たちも、その日にはまず主をほめたたえ、ダビデのように感謝する者となれますように。 祈り:主なる神様、あなたは「わが巌、わが砦、わが救い主(2節)」です。 「わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主(3節)」です。 戦いの影響が全世界に広がっています。あなたは苦しみ嘆いている者たちの声を聞いてくださる方です。 私たちの祈りも御耳に届いています。(7節) あなたの介入と解決を切望します。主よ、今週も私たちの祈りの手を上げ、個人の小さいことも世界の大きいことも、あなたに祈り求めて歩みます。これまでよりも、もっとあなたと親しく会話できますように、私を導いてください。アーメン

Ⅱサムエル21

「彼らはサウルとその息子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬り、すべて王が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」Ⅱサムエル21:14 3年の飢饉があり、主はサウルの一族のしたことの責任を問われました。サウルの息子たちは死刑となりました。 屋外にさらされていた息子たちの死体を、母親の一人リツパ(サウルには何人も妻がいた)は現地に滞在して見張り、鳥や獣が荒らさないようにしました。 それを聞いた後、ダビデはサウルとヨナタンの骨を改めて正式な墓地に葬りました。 それまではヤベシュ・ギルアデに持ち運ばれていたのでした。 聖書は淡々と記していますが、息子の遺体を見るリツパの涙と嘆き、ヨナタンを葬る時のダビデの涙があったと思います。イエス・キリストが十字架にかかった時の母マリアの涙と嘆きも、同じく想像に難くありません。 罪がもたらした悲しみと嘆き、そして滅びに至る人間を放っておかれない天の父なる神様の愛。旧約聖書の涙の間も、主なる神様の計画は着々と進んでいました。 祈り:神様、あなたの愛と救いに思いを馳せます。残酷な出来事と涙の繰り返しに、見える旧約聖書の記録ですが、その背後に主の大いなるご計画が進んでいることを覚えます。キリストの光に照らして読み続けます。あなたの恵みを日々教えてください。アーメン

Ⅱサムエル20

この町から、一人の知恵のある女が叫んだ。「聞いてください。聞いてください。ヨアブにこう言ってください。『ここまで近づいてください。あなたにお話ししたいのです。』」Ⅱサムエル20:16 再び、無名ながらも大きな働きをした女性の登場です。大胆にも、彼女はトップリーダーのヨアブと話したいと求めました。そして戦いの目的を尋ね、シェバ一人のために滅ぼされそうになっていた町全体を救いました。 「私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者の一人です(19節)」とヨアブと対等に渡り合い、 「知恵を用いて、民全員のところに行っ(22節)」て、町の人々が力を合わせて解決に向かうようにさせました。素晴らしいリーダーシップです。 主に忠実で、平和を願い、主からの知恵を用いて声をあげる人を、主は用いられます。たとえ若くても、地位がなくても、こうした人の存在が祝福となっていることに目をとめたいと思います。 祈り:神様、この女性のように忠実な信仰と勇気のある人たちを感謝します。年が若くても低く見ないで、その人たちを励まし、協力して、主のみこころを共に歩めるようにしてください。謙遜な心を与えてください。アーメン

Ⅱサムエル19

「こうして、民はみなヨルダン川を渡り、王も渡った。王はバルジライに別れの口づけをして、彼を祝福した。それで、バルジライは自分の町へ帰って行った。」Ⅱサムエル19:39 多くの人名が出てきます。「バルジライ」はダビデを見送りにやってきました。彼は 「たいへん年をとっていて八十歳であった。彼は王がマハナイムにいる間、王を養っていた。非常に裕福な人だったからである。(32節)」 と記されています。老年期にあったけれども、与えられた経済を用いてダビデの危機を支えました。 ダビデは恩人であるバルジライに、一緒にエルサレムに行こうと誘いましたが、彼は自分の余生を故郷で過ごしたいと言いました。そして代わりの人(キムハム)を王につけ、自分は誠実に見送りました。 王であれ偉大なクリスチャンであれ、逆境や危機に陥ることがあります。そんな人がいた時、状況の許す範囲で誠意を尽くし支えることは、結局は神の祝福を得ることになります。 覚えて祈ること、経済的・物質的なサポートをすること、励ましのカードやメールを送ること、休息や回復の場を提供することなど、私にできることは何か、教会にできることを実践できれば幸いです。 祈り:神様、私の日々の生活に必要なものを与えてくださり感謝します。____さん、____さんの状況を聞いて心痛めています。私にできることは何か、教えてください。あなたの伸ばされる御手の先に、私を置いて用いてください。アーメン

Ⅱサムエル18

「王は身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。『わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。』」Ⅱサムエル18:33 戦いの相手、「その長のアブサロムに手荒なことをするな」というのがダビデの指令でした(2節)。でも、リーダーがそのまま勢いを保っていたら、戦いに勝利することができるのでしょうか。捕虜にせよというのでしょうか。難しい注文は、ダビデの心の葛藤そのものでした。 結果としてアブサロムは戦死します。息子を失い、ダビデは非常に悲しみます。それが自分の罪から生じた結果だということも、ダビデは重々承知していたでしょう。 葛藤と罪責感と悔いに泣き叫んだ彼の姿は、私たちの姿に重なります。十字架のあがないで罪赦された私たちですが、かつての罪の影響を見ると、傷跡がうずく時があります。そのたびに、神の前にはすっかり赦されていること、私の痛み以上にキリストが痛みを受けてくださったことを思います。 祈り:神様、十字架のあがないと恵みを感謝します。過去を振り返ると、後悔することだらけです。古傷から生じた結果に心痛む時がありますが、不要な責めとしてサタンの足場になることがありませんように。心を守ってください。アーメン

Ⅱサムエル17

「その人の妻は覆いを持って来て、井戸の口の上に広げ、その上に麦をまき散らしたので、だれにも知られなかった。」Ⅱサムエル17:19 聖書の中には、名前もわからないか、ごく一部に登場するだけなのに重要な役割を担った女性たちが出てきます。将軍ナアマンの妻に仕えた若い女性(Ⅱ列王5章)は、預言者エリシャを通して主人が神と出会うきっかけを作りました。 ラハブ(名前はわかります)はエリコに来た偵察をかくまいます(ヨシュア2章)。シセラを滅ぼしたへベルの妻ヤエルもいます(士師4章)。 そして今日の箇所。ダビデに情報がもたらされなかったら、大変なことになりました。 勇敢な女性たちに、「よくやった」とエールを送りたい思いです。 同時に、小さな者にも目を止めてくださる神様のまなざしを感じます。たとえ名前が覚えられなくても、わずかな力でも、主の望まれる歩みを日々続ける者でありたいと願います。 祈り:神様、あなたのまなざしを感謝します。小さなことに忠実であらせてください。ひそかな所の働きであっても、あなたに栄光を帰すならば喜びと平安があります。家族の介護中である____さん、____さんの働きに主の祝福と力がありますように。アーメン

Ⅱサムエル16

「アブサロムのために屋上に天幕が張られ、アブサロムは全イスラエルの目の前で、父の側女たちのところに入った。」Ⅱサムエル16:22 預言者ナタンがダビデに伝えた主のことば ・剣は、とこしえまでもダビデの家から離れない。 ・ダビデの妻たちが隣人に与えられ、イスラエル全体の前で、妻たちと寝るようになる。  (12:10~12) が現実になりました。今やダビデは都を追われ、実の息子アブサロムが脅威となりました。何もかも失ったに見えるダビデでした。自らの不倫と殺人から生じた身辺の結果とはいえ、所有物のように扱われるダビデの妻たち、そして父への憎しみにかられたアブサロム、政情不安におかれたイスラエルの人々...皆が暗い状況でした。 しかし、神様はこのダビデさえ見捨てませんでした。 罪を悔い改め主に赦された者を、神は見放されません。現実に生じる結果の刈り取り(影響;因果応報ではなく)はするかもしれません。でも、それで終わりではありません。 祈り:神様、私の______の罪を告白し、悔い改めます。十字架の血潮のあがないと赦しを感謝します。現実の状況と私自身の心は、まだその失敗の影響を受けています。しかし、主の目には赦されており、主が癒しと回復をもくださることを信じます。罪悪感や恥意識から私を解放してください。アーメン

Ⅱサムエル15

「アブサロムは、さばきのために王のところにやって来る、すべてのイスラエルの人にこのようにした。アブサロムはイスラエルの人々の心を盗んだ。」Ⅱサムエル15:6 ダビデは息子アブサロムの反逆のため、命がけで苦労することになりました。私たちも、家族の中で反抗があると心痛みます。一番仲良くわかりあえるはずの肉親と心が通じ合う日を祈るばかりです。 一方で、アブサロムは「人々の心を盗んだ」と記されています。 私たち自身もよく見張っていないと「心を盗まれ」てしまう恐れがあります。それは家族の分裂、国の分裂だけでなく教会の分裂、クリスチャンの分裂を引き起こしかねません。小さな教理や習慣の違いをサタンは過度に大きく見せ、寛容になれないようにします。 しかし、主イエス・キリストの十字架のあがないと復活を信じることこそ、私たちが最も重視し大切にしなければならないことです。 うっかり「心を盗まれ」ないよう、主の十字架、福音の恵みから目を離さない者でありますように。 祈り:神様、あなたがくださった恵みを日々味わい、信仰の武具(エペソ6章)を身に付け、心を盗まれず堅く立てますように。また、今子どもや兄弟が反抗し、心痛めている___さん、____さんに励ましと希望が与えられますように。 「キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい(コロサイ2:7)。」 「堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい(1ぺテロ5:9)。」 アーメン

Ⅱサムエル14

「アブサロムは二年間エルサレムに住んでいたが、王の顔を見ることはなかった。 29 アブサロムは、ヨアブを王のところに送ろうとして、ヨアブのもとに人を遣わしたが、彼は来ようとしなかった。アブサロムはもう一度、人を遣わしたが、ヨアブは来ようとしなかった。」Ⅱサムエル14:28~29 コミュニケーションの断絶は心の痛いことです。アブサロムは2年間、王から呼ばれることがありませんでした。ヨアブを呼び出しましたが、彼も来ませんでした。 それで腹いせ(?)に、ヨアブの麦畑に火をつけました。 私たちが人間関係のトラブルで相手に無視される時、どんな行動をとるでしょうか。あきらめる人もいれば、何度も修復しようと相手に接近し、余計にこじらせる人もあります。 私たちの心をすべてご存じなのは主なる神様です。主がせよと言われることをする、しないでいよ、ということをしないのが、最高のアクション、行動です。 「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。(箴言19:21)」 祈り:神様、____さん、_____さんとの人間関係をどうかあなたが取り扱い、回復してください。心の思いをあなたが探り、和らげてください。 教会の中に、兄弟姉妹が与えられていることを感謝します。教会を愛します。あなたの愛に生かされ、互いに仕え合うことができますように。 サタンの攻撃から教会を守ってください。悪い思いや陰口が排除され、いつも純粋な真心で主を賛美し、愛に満ちた共同体として歩ませてください。アーメン

Ⅱサムエル13

「ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。」Ⅱサムエル13:21 アムノン22歳、アブサロム20歳、タマル15歳、ソロモン2歳の時のことでした。アムノンが犯した近親相姦の罪にダビデは激しく怒りました。しかし、律法を執行しませんでした(レビ記18章)。 「人の怒りは神の義を実現しないのです。(ヤコブ1:20)」 アムノンは長男であり、王の跡継ぎの第一候補だったのかもしれません。しかし、ダビデの中途半端な対応により、やがてアムノンは弟アブサロムに殺され、アブサロムもダビデに敵対するようになっていきました。ダビデは息子を二人とも失うことになってしまいます。 私たちの腹立ちや怒りによっては、神の義を実現できません。 同時に、私たちの人情や情けだけでは、神の愛を実現できません。 教会には戒規規定があります(滅多に執行されませんが)。それは憎み裁くためではなく、本人が交わりに再び迎え入れられるための愛の規定である、と説明した牧師がおられました。 神の共同体である教会で悔い改めが明らかになることは、ゆるしと回復のために大切なのですね。 祈り:神様、つい感情に任せて怒り、冷静に戒め回復に導くことには不馴れな者です。赦してください。 あなたの義が、神の共同体である教会で実現しますように。愛をもって悔い改めに導き、主のゆるしの恵みと回復とを体験する場所でありますように。教会を頭なるキリストが導いてください。アーメン

Ⅱサムエル12

「ダビデはナタンに言った。『私は主の前に罪ある者です。』ナタンはダビデに言った。『主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。』」Ⅱサムエル12:13 ナタンに罪を指摘された時、ダビデは言い訳をせず自分の非を認めました。 現実的な罪の刈り取りはすることになりました(生まれる息子の死、身内の敵対)が、悔い改めた彼を主は赦してくださいました。 詩篇51篇は、この時のダビデの祈りです。私たちも、この詩篇を今日の祈りとしたいと思います。 祈り: 「神よ 私をあわれんでください。 あなたの恵みにしたがって。 私の背きをぬぐい去ってください。 あなたの豊かなあわれみによって。(1節) まことに 私は自分の背きを知っています。 私の罪は いつも私の目の前にあります。(3節) ヒソプで私の罪を除いてください。 そうすれば私はきよくなります。 私を洗ってください。 そうすれば 私は雪よりも白くなります。(7節) 神よ 私にきよい心を造り ゆるがない霊を 私のうちに新しくしてください。(10節) 神へのいけにえは 砕かれた霊。 打たれ 砕かれた心。 神よ あなたはそれを蔑まれません。(17節)」アーメン

Ⅱサムエル11

「喪が明けると、ダビデは人を遣わして、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、彼のために息子を産んだ。しかし、ダビデが行ったことは主のみこころを損なった。」Ⅱサムエル11:27 ダビデの浮気と、それを隠蔽するための一部始終が記されています。 ダビデほどの人が...と思いますが、すべての人は神の前に罪人です。 今日も、信頼していたあの人が...という知らせがあります。あんなに信仰熱心だったあの人が...とがっかりすることもあります。 朗報は、神様は悔い改める者を赦してくださるということです。やり直しができるということです。 祈り:「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。(ローマ3:23~24)」 神様、罪人である私を赦して救ってくださり感謝します。これまでの失敗にもやり直しのチャンスを与えてくださり感謝します。 信仰が弱っている___さん、失敗が明らかになった___さんに、主が変わらない方であることが明らかになりますように。あなたの前に悔い改め、もう一度立ちあがることができますように。アーメン

Ⅱサムエル10

「そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、ひげを半分剃り落とし、衣を半分に切って尻のあたりまでにして送り返した。」Ⅱサムエル10:4 ダビデは、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように」と、純粋な思いで家来たちを遣わしたのでした(2節)。しかし、真意は伝わらず、屈辱的な扱いを受けた上戦いへとつながってしまいました。 日常生活でも、誠意が相手に伝わらず、誤解されたり曲がって解釈されたりすると、心が痛みます。最近、こうした経験をされた方がいらっしゃるでしょうか。本当に辛いですね。 でも、主なる神様は私たちの心の思いをよくご存じです。そして、ダビデが最終的に勝利を治めたのと同様に、神様は私たちに報いを与えてくださることを信じます。 祈り:神様、あなたに頂いた愛を流そうとしましたが、___さんとの間ではうまくいきませんでした。イエス様も、地上で多くの誤解と妬みを受けられました。 あなたが私の心の痛みをわかってくださって感謝します。私の心を慰め、脱出と解決を与えてくださるのはあなたご自身です。みもとに祈りを持っていける幸いを感謝します。アーメン

Ⅱサムエル9

「ダビデは言った。『サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。』」Ⅱサムエル9:1 サウルはダビデをさんざんな目に合わせましたが、息子ヨナタンはダビデのよき理解者、親友でした。その息子で足の不自由なメフィボシェテが見いだされ、ダビデは王の食卓につくように手配します。 ダビデのこの態度は神様の恵みを思い起こさせます。無力な私たちが、神の恵みにより見つけられ、救いの中に入れられたのです。 また、ダビデがヨナタンの真実な友情を忘れなかったことは、私たちが神の恵みを忘れないようにと教えてくれます。 さらに、神様が送ってくれた人々への感謝を忘れないようにとも教えられます。福音を伝えてくれた先輩のクリスチャン、洗礼に導いてくれた教会のリーダーや牧師・宣教師、成長を助け支えてくれた兄弟姉妹・・・。たとえ欠けだらけの人であっても、主は不完全な人を用いて恵みを与え、私たちの歩みを守ってくださったのです。 祈り:神様、私の信仰の歩みをこれまで導き、助けてくださった____師、____さんの存在を感謝します。私から批判する心や欠点ばかり見る傾向を取り去ってください。あなたが地上でご計画を進めるために、弱い者を選び用いられることを覚えます。私自身も滅びても仕方のない者でした。恵みに感謝します。恵みを忘れず日々感謝できますように。アーメン

Ⅱサムエル8

「ダビデ王は、それらもまた、主のために聖別した。彼が征服したすべての国々から取って聖別した銀や金、 12 すなわち、アラム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクから取った物、およびツォバの王、レホブの子ハダドエゼルからの分捕り物と同様にした。」Ⅱサムエル8:11~12 征服した国からの分捕り物だけでなく、他国からの貢ぎ物も「聖別した」ダビデでした。「聖別する」とは主のためにとっておく、主にお返しする行為です。そこに主がおられるという信仰、主こそ勝利や恵みの源泉だという信頼の表れです。 私たちは、私自身はどうでしょうか。一週間を振りかえって、 ・今手元に備わるもの ・与えられた事柄 ・経験した喜び ・試練を通っての守り があるなら、それが神の恵みであると感謝できますように。また、与えられたすべての恵みの源泉が神であることに感謝して、まず「聖別」して豊かにお返しし、また必要のあるところに気前よく与えることができますように。 祈り:神様、あなたの恵みと必要の満たしを感謝します。「聖別」する感謝の心と、あなたを信頼する心をダビデのように与えてください。アーメン

Ⅱサムエル7

「それゆえ、申し上げます。神、主よ、あなたは大いなる方です。まことに、私たちが耳にするすべてにおいて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はいません。」Ⅱサムエル7:22 ダビデは、自分が杉材の良い家に住んでいるのに、主の箱が天幕(テント)の中に置かれているのは忍びないと考え、主のための宮を建てようとしました。 しかし、主は預言者ナタンを通して、 ・ダビデが主の宮を建てなくてもよいこと ・主こそダビデとイスラエルを守り、祝福を与える側であること ・ダビデの王座が永遠に続くこと(メシアの家系) を明らかにされました。 ダビデがするべきことは、主の選びを受け取り、イスラエルの人々を治めることでした。 教会も主に呼ばれた人々の集まりです。その中で、主のために何かしたいと願うのは素晴らしいことです。ただその時に、頭がキリストであることと、主が私たちにせよと言われることをするという姿勢を忘れないでいたいのです。 自分の力で成功したり変わったりするのではなく、主のみこころで教会は導かれていきます。自分の分を越えることがありませんように。ダビデの祈りが私たちの祈りになりますように。 祈り:「神、主よ、あなたは大いなる方です。...あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はいません(22節)。」 私たちを呼び集め、教会を建て上げ、導いてくださるのはキリストご自身です。あなたにせよと言われたことに忠実に、またしもべの心で仕えることができますように。たとえ予想と違う歩みであっても不安に思わず、あなたを信頼し続けることができますように。アーメン