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12月, 2022の投稿を表示しています

I歴代誌27

「土地を耕して畑仕事をする者たちを管理したのは、ケルブの子エズリ。ぶどう畑を管理したのは、ラマ人シムイ。酒蔵用のぶどう畑の産物を管理したのは、シェファム人ザブディ。」I歴代誌27:26~27 25節以降には、ダビデの耕作地と家畜の管理について書かれています。様々な仕事に携わる人たちが出てきます。 教会の日常管理にも、様々なものがあります。掲示板の張り替え、印刷機のインク交換、灯油の補充、洗剤やコピー用紙の発注、蛍光灯の交換、網戸の破れ直し、おもちゃの消毒、来客のベッドメーキング、木の枝打ち、草刈り、等々。 簡単なことばかりと思うでしょうが、上手な人がするとやはり上手なのです。特に草刈りは、年2回業者の方にお願いすると、見事な仕事で、会堂の害虫がぐんと減ります。 業者さんには、海外からの方もおられます。ダビデの時代と似ていますね。教会では中国語とベトナム語の聖書を用意しています。海外渡航が難しくても、直接宣教の機会が与えられているのです。 祈り:神様、様々な仕事にあなたが目をとめてくださっていることに感謝します。そして、日常生活でも思いがけない人との出会いがあります。その方々の上に、思いがけないキリストとの出会い、神の愛を知る体験がありますように。アーメン

I歴代誌26

「こうして彼らは、下の者も上の者も等しく、その父祖の家ごとに、一つ一つの門についてくじを引いた。」I歴代誌26:11 門衛についての記述です。東西南北の各門、倉、前庭、大路...。ある方角から見れば、正面になる場所、ちょうど裏側で見えない場所があります。日当たりのよいところ、日陰になるところ、通行人の多いところ、少ないところ、様々な条件の違いがありました。 それでも、彼らは上下の別なく等しく、家ごとにくじを引きました。主にあって 割り当てられた門を守りました。 私たちも、地域教会に集っています。教会は神の国を知るきっかけを与える入り口、道に面した門のようなものだと思います。 人間の集まりですから完全な教会はありません。良いところもあれば弱いところもあります。でも、主が私たちを今の教会に呼んでくださり、割り当て植えてくださったことを受け取ります。 祈り:神様、この教会に招いてくださったことに感謝します。欠けや弱さのある人々の集まりです。でも、キリストが頭であり、中心にいてくださることを覚えます。いつもキリストを見上げ、ゆるし合い支え合えますように。今年あった______のことも、主が整え導いてください。アーメン

I歴代誌25

「また、ダビデと軍の長たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、竪琴と琴とシンバルに合わせて預言する者とした。仕事に就いた者の数は、その奉仕にしたがって次のとおりである。」I歴代誌25:1 賛美の奉仕者についてです。 ダビデ自身は王、軍人であると同時にすぐれた音楽家でした。(サウル王が不安定になるたび、ダビデは竪琴を手に取って弾きました;Iサムエル16:23。)多くの詩も作りました。 だから、ダビデは賛美の力がどのようなものかをよくわかっていました。軍事力にまさる大切さを知っていました。 今日でも、賛美の中に主の臨在があること、賛美にともなって預言や癒しのわざが起こることを覚えます。 心をこめて賛美する時、主がそれをささげ物として受け取ってくださいます。同時に、私たち自身が混乱し、どうしてよいかわからない時に、賛美によって心が整えられ、癒しを体験します。 今、目を閉じて、思い浮かぶ賛美を1つ、心をこめて主にささげてみませんか。 祈り:神様、頭の中が忙しさや悩みでいっぱいになってしまうことがあります。突破口は賛美であなたに心を向けることです。今ささげたように、賛美が私の習慣となりますように。アーメン

I歴代誌24

「レビ人の出である書記、ネタンエルの子シェマヤが、王と首長たち、祭司ツァドク、エブヤタルの子アヒメレク、祭司とレビ人の一族のかしらたちの前で、それらを書き記した。エルアザルから一つの父祖の家が選ばれると、イタマルからも一つ選ばれた。」I歴代誌24:6 アロンの子孫たちが組分けされ、くじを引きました。そしてその順番が記録されていきました。書いたものが残っているので、私たちは時代を越えて情報を手にすることができます。 教会でも、文書記録は大切です。毎週の週報を読むと、教会の流れがわかります。総会資料や記念誌は、作成時の人々にも喜ばしいものですが、同時に教会の歩み、歴史として後々の世代のためにも貴重な資料となります。 聖書自体も書かれたものなので、今もこうして神のことばを読むことができます。書くという行為を与えてくださった神様の知恵と恵みに感謝します。 祈り:神様、あなたのことばを手にとって読める恵みに感謝します。この1年もいろんなことがありました。記録や日記、メモを振り返り、あなたの御手を感じることができますように。心に感謝が生まれますように。祈りに覚えた____さん、_____さんに、あなたの答えと導きがあったことにも感謝します。アーメン

I歴代誌23

「安息日、新月の祭り、および例祭ごとに、主に献げられるすべての全焼のささげ物が、主の前に絶えず、定められた数で献げられることについても責任を負う。」I歴代誌23:31 23章からしばらくは、ダビデが任命した人々についての記述です。まず主の宮に仕えるレビ人たちが列挙されます。 主の宮の奉仕には、前で礼拝を司ることだけでなく、捧げ物の量や大きさを計ったり、数を数えたりする係もいました。いわばバックヤードの奉仕で、目立たないかもしれませんが、礼拝になくてはならない働きでした。 掃除、修繕、台所仕事...教会でも見えないところの働きがいろいろとあります。そして、どの働きも、決して小さいものではありません。「あの人のように○○ができない」と落ち込まず、神様が私に願っておられる働きは何か、それを見きわめて喜べますように。 祈り:神様、私を比較や劣等感から自由にしてください。あなたの与えてくださった時間、経験、性格、興味などを用いて、喜びながら宣教の働きに関われますように。アーメン

I歴代誌22

ダビデはソロモンに言った。「わが子よ。私は、わが神、主の御名のために宮を建てる志を持ち続けてきた。  しかし、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたがわたしの名のために家を建ててはならない。わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。』」I歴代誌22:7~8 ダビデがしたいと願っていた宮の建設を主はとどめられ、息子ソロモンに託すようにと言われました。 主を愛し、主のために戦い、王国を確立したダビデ。宮を建てたいと、莫大な建材や資金を集めたダビデ。無念の思いもあったのではと推測したりもします。 モーセも、ダビデも、パウロも、ステパノも、志半ばで生涯を終える、あるいは方向性を変えるように導かれました。 私たちの生涯も、ハッピーエンドの「すべて完了した」とはいかないかもしれません。でも、神様がよしと言われたら、それでよいのだと受け取る姿勢を、主は喜んでくださるのでしょうね。 祈り:神様、思い通りにいかないこと、祈ったのに全然別の方向に物事が進んでがっかりすることがあります。あなたの導きは深淵すぎてわかりませんが、最善だと信じることができるよう、信仰を与えてください。アーメン

I歴代誌21

「ダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、主を呼んだ。主は、全焼のささげ物の祭壇の上に天から火を下し、彼に答えられた。」I歴代誌21:26 1節には「サタンがダビデをそそのかした」と書かれています。第二サムエル記24章でも同じ記事が出てきました。詳細はともかく、サタンの誘惑によりダビデが神のみこころをそこなったことがわかります。 ダビデは祭壇を築き、悔い改めの祈りをしました(26節)。主は火をもって答えられました。罪で断絶された関係が回復しました。 私たちも、罪を悔い改めて祈る時、神との関係が回復されます。神が私たちに近づいてくださいます。御子をさえ惜しまずに与えてくださった神様は、私たちを愛し、一人も滅びることを願わず、関係を回復したいと今も願っておられます。 祈り:神様、あなたの愛と忍耐に感謝します。あなたが私を愛してイエス・キリストを送ってくださったことを覚えます。私の救いのためでした。クリスマスの恵みをかみしめます。今日も礼拝で、感謝と喜びを心から賛美し、あなたをあがめます。 「主は...だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです(2ぺテロ3:9)。」 アーメン 神様、あなたの愛と忍耐に感謝します。

I歴代誌20

「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍勢を率いてアンモン人の地を打ち滅ぼし、ラバに来てこれを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。ヨアブはラバを討って、これを破壊した。」I歴代誌20:1 20章を通して、ダビデの快進撃が続きます。連戦連勝、無敵の王国でした。 しかし、ダビデが「エルサレムにとどまっていた」1節と2節の間に、バテ・シェバとの不適切な関係が起こったのでした(2サムエル11章)。 絶好調に見える裏側に、罪の誘惑や深い闇が忍び寄ることがあります。 「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい(1コリント10:12)。」 年末が近づき、夢中で働く日々かもしれません。でも、そんな時だからこそ、たとえ5分でも10分でも忙しく働く手をとめ、主に心を探っていただけますように。守っていただけますように。 もし悔い改める罪に気づいたら、その場で主に告白し、赦していただきましょう。 祈り:神様、ダビデでさえ罪に陥る弱さがありました。私も弱い者です。あなたに頼り、誘惑から守られ、善悪を判別できるよう助けてください。アーメン

I歴代誌19

「ダビデは、『ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父は私に真実を尽くしてくれたのだから』と言った。そして彼の父の悔やみを言うために、ダビデは使者を送った。ダビデの家来たちがハヌンに悔やみを言うため、アンモン人の地に着いたとき、」I歴代誌19:2 ダビデの誠意と真心は理解してもらえませんでした。 かえって、ダビデが家来たちを偵察に送ったのだと誤解されました。 家来たちはひげを剃り落とされ、衣を半分に切られるという屈辱的な仕打ちを受けました(2サムエル10章にも同じ場面が記録されています)。 私たちにも、同じような経験があるかもしれません。 善意でしたことが、かえって相手の怒りや誤解を招いてしまうと、とても悲しくなります。多くは受け手である相手の問題ですが、傷つきますね。 そんな時、神様からの慰めと共に、理解し祈ってくれる信仰の友の存在が励ましです。 教会が、心から互いに祈り合い、支え合う群れとなれますように。 祈り:神様、今私は_________のことで心悩み傷ついています。あなたの癒しと介入を与えてください。 また、教会の____さん、_____さんを覚えて祈ります。次に会った時には祈り合うことができますように。おしゃべりだけでなく、あなたの解決に期待し励まし合えますように。アーメン

I歴代誌18

「ダビデ王は、それらもまた、彼がすべての異邦の民、すなわちエドム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクのもとから運んで来た銀や金とともに、主のために聖別した。」I歴代誌18:11 ダビデは多くの青銅や金銀を手に入れました。それらは、神殿建設のための聖別された素材となりました。 今日でも、神様は、さまざまな方法で必要を満たしてくださいます。そして、主のために用いる時、さらに必要が与えられる経験を、私たち個人も、教会もします。 教会では、宣教のための必要が先立ちます。そして、その必要が満たされるよう主に祈るという姿勢が大切だと思います。 時に神様は不思議な方法で満たしてくださいます...祈っていた物が与えられたり、海外の方から匿名の献金がささげられたり...。それらを聖別し、主の栄光のために誠実に、責められることなく用いていけますように。 祈り:神様、あなたがすべてを与え、人の心を動かし、必要を満たしてくださることに感謝します。教会の一人一人の生活をお守りください。主の前に誠実に歩む人々に、主の報いとねぎらいが豊かにありますように。アーメン

I歴代誌17

「彼はわたしのために一つの家を建て、わたしは彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。」I歴代誌17:12 主なる神様は、この約束を違わず守られました。ダビデの家は絶えることなく、イエス・キリストへの系図として続いていきました。 イエスの十字架の救いを頂いた私たちも同じです。永遠のいのちはなくなることなく、滅びからの救いはとこしえに有効です。 家族、親戚の家系にも、この救いが入って続いていきますように。 祈り:神様、あなたの真実な約束に感謝します。初穂として救われた___さん、____さんのご家族が救われますように。 そして、私自身にも、家族に福音を分かち合う情熱を与えてください。福音を紹介する自然な機会を、あなたが備えてください。アーメン

I歴代誌16

「ダビデはそこに、主の契約の箱の前にアサフとその兄弟たちをとどめおき、毎日の日課として、常に箱の前で仕えさせた。」I歴代誌16:37  ダビデの任命したアサフ(37節)、ヘマン・エドトン(41節)たちは、詩篇の作者としても知られています。神の箱の前で、主を礼拝する働きが任務でした。 任務には、主に感謝の賛美をささげることも含まれました(7節~)。 私たちには、心が沈み落胆して、感謝や賛美をする気持ちになれない時があります。そこであきらめず、時には感謝の賛美を「任務」として考えてみるとよいかもしれません。 アサフたちも、体調や気分のよい日や悪い日があったはずです。でも変わらず主をほめたたえ仕える任務を果たしました。 私たちも、今日の16章8~36節や、詩篇の感謝の歌を声に出して試しに読んでみるだけ、という日があっても、よいのではないでしょうか。無理に繕わなくても、主はご存じです。そして沈んだ心の私がささげる礼拝や賛美をも、喜んでくださる方です。 祈り:神様、気落ちして、感謝や賛美が表面的に思える日があります。あなたが与えてくださった聖書の賛美を読むことがやっとです。そんな私の心を知ってくださってありがとうございます。弱い私たちですが、教会で互いの弱さを分かち合い、祈り合える信仰の友がいてくれることに感謝します。祈りをさらに開いてください。アーメン

I歴代誌15

「レビ人たちは、モーセが主のことばにしたがって命じたとおり、担い棒を肩に載せて神の箱を担いだ。」I歴代誌15:15 1回目に神の箱を移動しようとした時には、牛車に乗せました。ウザが素手で箱を押さえたので主の怒りがくだったのでした(13章)。 しかし2度目は違いました。レビ族がそれぞれの働きに任命され、身を整え聖め、賛美をしながら神の箱を運び上げました。心を尽くして主の臨在の象徴を喜ぶ姿でした。 今日、私たちの礼拝のスタイルは自由です。大切なのは、心の状態です。神様は心を見られます。たとえオンラインでも、一人でも、心を尽くして礼拝するなら、神様は喜ばれます さらに、教会堂まで来たなら、惰性でも上の空でもなく、与えられた恵みと祝福の機会を大喜びで感謝し、礼拝できますように。 祈り:神様、神の臨在をほめたたえるのは私たちの特権、恵みです。日曜の礼拝、日々の個人礼拝でも、心を注いであなたを礼拝できるよう、導いてください。私の心があなたに集中できますように。アーメン

I歴代誌14

「ダビデが再び神に伺うと、神は彼に仰せられた。『彼らを追って上って行くな。彼らに面と向かわず回り込み、バルサム樹の茂みの前から彼らに向かえ。』」I歴代誌14:14 ダビデは戦いの前に「神に聞き」ました。たとえ王であり、勇士であっても、これ以上に重要なことはありません。そして、「行くな」と言われた時に立ち止まることは、進むよりも勇気がいることかもしれません。 イエス様でさえもよく立ち止まり、父なる神様に祈っておられました。 「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。(マルコ1:35)」 私たちは一日を振り返る時、「何をしたか」に目をとめがちです。しかし、より大切なのは「何をせずに」立ち止まり、祈ったかではないでしょうか。 祈り:神様、慌ただしい毎日です。でも、ばたばたせず、あなたに心を向け、静まって祈れるように助けてください。アーメン

I歴代誌13

「すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。彼が手を箱の上に伸ばしたからである。彼はその場で、神の前で死んだ。」I歴代誌13:10 厳しい箇所です。よかれと思って箱が落ちないように押さえたウザでした。しかし、荷車の運転が任務だった彼にとっては、素手で神の箱を押さえるのはしなくても良いこと、してはいけないことでした。 私がウザだったら、同じようにしてしまったかもしれません。 私たちは忙しくなると、あるいは疲れると、しなくてよいことをしてしまったり、言わなくてよいことを言ってしまったり、失敗をしがちです。 主が、今日するようにと言われることは何か、静まり、霊の耳をすまして聞くことができますように。 祈り:神様、あなたが私にするよう願っておられることに集中し、今日も歩めますように。余計なこと、しなくてよいことを判断できるよう、私の霊の耳を開いてください。私の口をお守りくださり、悪い言葉からも守ってください。 「同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。(ヤコブ2:10)」アーメン

I歴代誌12

「そのとき、御霊が補佐官の長アマサイをおおった。『ダビデよ、私たちはあなたの味方。 エッサイの子よ、 私たちはあなたとともにいる。 平安があるように。 あなたに平安があるように。 あなたを助ける者に平安があるように。 まことにあなたの神はあなたを助ける。』ダビデは彼らを受け入れ、部隊のかしらとした。」I歴代誌12:18 アマサイが御霊に満たされて発した言葉は、ダビデと周囲の人々を励まし、徳を高めるものでした。これまでの背景や見かけの強さよりも、御霊に満たされているかどうかが重要でした。そしてそれは言葉になって表れました。 私たちも今日、御霊に満たされて歩めますように。口から出る言葉が、御霊に満たされ、神に信頼し、人々を励ますものでありますように。 祈り:神様、あなたの御霊で私を満たしてください。あなたの御思いを私の思いとできますように。疲れてストレスがたまっているであろう____さん、____さんをあなたが労い、優しく励まし、覆ってあげてください。言葉を守り、祈りの要請ができますように。アーメン

I歴代誌11

「ダビデはますます大いなる者となり、万軍の主が彼とともにおられた。」I歴代誌11:9 ダビデが王位に着き、エブス(エルサレム)を攻め取り、ダビデの町としました。 ダビデはすぐれた戦士でした。しかし、それだけでは王位が祝福されることはなかったでしょう。 ダビデの祝福の秘訣は「万軍の主がともにおられた」ことでした。そして、主が与えてくださった仲間が彼と共にいたことでした。 かつては、サウル王の息子ヨナタンが、親友として大きな励ましになってくれました。 そして王となってからは「勇士のかしらたち(10節~)」がダビデと共にいて、誠実な役割を果たし、王権を強固にしました。その存在と励ましなしにはダビデは治め続けることができなかったでしょう。 自分の働きは小さく、目立たないとがっかりしていませんか。「何もできない」という声を聞くことがあります。でも、あなたの存在と励ましがあるからこそ、教会はキリストを頭に歩んでいけるのです。 祈り:神様、あなたが与えてくださった信仰の友、霊の兄弟姉妹の存在と励ましに感謝します。 私自身も励まし手、祈り手となれますように。引き下げるような言葉でなく、主にある徳を高め、建て上げる言葉を出すことができますように。アーメン

I歴代誌10

「そこで勇士たちがみな立ち上がり、サウルの亡骸と彼の息子たちの亡骸を取り上げ、これをヤベシュに運んで、彼らの骨をヤベシュにある樫の木の下に葬り、七日間、断食した。」I歴代誌10:12 サウルには自分の力に頼り、王位を脅かす者を恐れるという弱さがありました。ダビデに対してもひどい扱いをしました。 しかし、「主が立てられた王」だったということで、ダビデや勇士たちは最後までサウルに敬意を払い、尊厳を守りました。 私たちを信仰に導き、宣教をしてきた人たちに、どのような態度で接するでしょうか。その人たちは完全ではないし、欠点があるかもしれません。傷つけ、失敗をしたかもしれません。 しかし、主の立てられた器に尊敬を払い、その人たちが平安に生涯を全うできるように祈り願うなら、祝福は相手だけでなく私たちにも返ってきます。 「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい(ルカ6:31)。」 祈り:神様、私を信仰に導き、教え、成長を祈り助けてくださった、宣教師、牧師、働き人たちに感謝します。信仰の先輩に敬意を払い、祝福を祈れるよう、私にきよいくちびると心を与えてください。アーメン

I歴代誌9

「...ユダは、その不信の罪のゆえに、バビロンに捕らえ移されていた。彼らの所有地である彼らの町々に戻って来て最初に住みついたのは、イスラエルの人々、祭司たち、レビ人および宮のしもべたちであった。」I歴代誌9:1~2 系図の総まとめの部分です。 歴代誌の記者は、ユダ王国がバビロン捕囚にあったこと、そして70年が経ち帰還したことを記しています。 危機に瀕し、年月がたったにもかかわらず、明確な系図が途絶えなかったのは、神が守られたからに他なりません。 そしてそれは、今日の私たちのためでした。...なぜなら、救い主がユダの系図の子孫から生まれるという約束を、神様が守られたからです。約束どおりに生まれたキリストは、約束どおりに罪のあがないを成し遂げ、救いの道を完成させてくださいました。 意外に思うかもしれませんが、歴代誌の系図は私たちの人生とおおいに関係があるの です! 祈り:神様、難しく思える旧約聖書を、聖霊の光で読むことができますように。 「聖霊様、聖書のことばがわかるよう助けてください」と祈り心で聖書に親しみたいです。あなたのラブレターであるみことばを、もっと親しく知ることができますように。 「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。(詩篇119:105)」 アーメン

I歴代誌8

「ベニヤミンが生んだのは、その長子ベラ、次男アシュベル、三男アハラフ、 2 四男ノハ、五男ラファ。」I歴代誌8:1~2 アブラハムの子孫はエジプトに移住し、ヨセフの弟だったベニヤミンも大きな部族になりました。 「ベニヤミンは、かみ裂く狼。  朝には獲物を食らい、夕には略奪したものを分ける。(創世記49:27)」 という預言的な祈りのとおり、強い部族でした。 かつてアブラハムが「あなたの子孫は星の数のようになる」と主に言われた時には、まだこんな部族が出るとは到底想像できませんでした。でも彼はそれを信じ、それがアブラハムの義と認められました(創世記15章)。 今私たちは、キリストの十字架が私の罪のあがないだったと信じることで、義と認められます。 祈り:神様、あなたが信じる者を義と認めてくださることに感謝します。私の信仰を強めてください。そして、____さん、____さんがキリストの愛を受けとり、十字架の救いを受けとることができますように。聖霊の促しに答えることができますように。アーメン

I歴代誌7

「彼らの父エフライムは、何日もの間喪に服したので、彼の兄弟たちが来て彼を慰めた。それからエフライムは妻のところに入った。彼女は身ごもって男の子を産んだ。彼はその子をベリアと名づけた。その家がわざわいの渦中にあったからである。」I歴代誌7:22~23 エフライムが喪に服して悲しんだのは、彼の息子二人が殺されたからでした。4章のヤベツだけでなく、ベリアも「わざわい」から派生した、悲しい名前でした。 しかし、エフライム族の系図は悲しみで終わりませんでした。27節まで見ていくと、「その子はヌン、その子はヨシュア」。 そう、モーセの後継者として約束の地に導いたヨシュアが、エフライムの子孫から出てきます。系図は悲しみで終わりませんでした。 私たちの悲しみも、それで終わりではありません。主にあって、いつも希望があることを受けとりましょう。 祈り:神様、最近愛する家族を天に送り、悲しみのうちにある____さん、____さんとそのご家族を覚えます。あなたの御手で抱き、慰めと平安を与えてください。私たちもさらに愛を表すことができますように。アーメン

I歴代誌6

「サムエルはエルカナの子、エルカナはエロハムの子、エロハムはエリエルの子、エリエルはトアハの子、...、コラはイツハルの子、イツハルはケハテの子、ケハテはレビの子、レビはイスラエルの子である。」I歴代誌6:34、38 系図のよいところは、旧約聖書に出てくる人々のルーツをたどることができることです。 サムエルは、母ハンナの祈りがきかれて生まれ、幼い時からシロの神殿で育ち、「主よ、お話しください」と言った人です。 そのサムエルのルーツをたどるとレビに至るのですね。 彼の生まれるずっと前から神様の計画が始まっており、サムエルがその計画の中で用いられたのだとわかります。 私たちも、今の家族、親戚の中で生まれてきたのは、神様の深い計画の中にあります。たとえ私たちに系図がなくても、昭和、明治、江戸...いやもっと前の時代から神様は私たちの人生にご計画をもっていてくださいました。神のよいご計画に沿った歩みが今日もできますように。 祈り:神様、私が生まれてからだけでなく、もっと前からあなたのご計画の中に入れられていたことを受けとります。私の家族・親戚の____さん、_____さんのために祈ります。主の愛を受けとり、イエス・キリストを信じ、あなたのご計画に参加する歩みができますように。教会の兄弟姉妹の各家庭にも祝福と恵みが豊かにありますように。アーメン

I歴代誌5

「彼らはハガル人、およびエトル、ナフィシュ、ノダブと戦いを交えたが、助けを得てこれらに当たったので、ハガル人およびこれとともにいた者はみな彼らの手に渡された。それは、彼らがその戦いのときに神に叫び求めたからである。彼らが神に拠り頼んだので、神は彼らの願いを聞き入れられた。」I歴代誌5:19~20 ワールドカップやオリンピックで、神に祈りをささげるスポーツ選手を見かけます。試合や競技で勝った時、神に栄光を帰す姿は美しいと思います。 一方、普段の生活でどれほど神に祈っているかと考えさせられます。戦争や災害の時はもちろん、小さなハプニングや行き違いに「あの時こうしていれば...」と思うことがないでしょうか。ほんの小さな判断も、もし一瞬祈ってからしていれば失敗が避けられたという経験をします。日常の些細なことも、国のかかわる大きなことも、神への祈りがそこにありますように。 祈り: 「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です(ルカ16:10)。」 神様、日常の小さなことでもあなたに祈って判断できますように。今まで自分で判断して失敗し、傷つけたことがありました。許してください。 最も小さなことにも忠実に生きることができるよう、導いてください。アーメン

I歴代誌4

「ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。』神は彼の願ったことをかなえられた。」I歴代誌4:10 ヤベツの母は、「私が痛みのうちにこの子を産んだから」と、我が子に「痛み(オツェブ)」との語呂合わせで「ヤベツ」という名をつけました(日本語だと「痛み」→「いたく」君くらいでしょうか)。 それでも、ヤベツは主に呼び求め、「大いに祝福してください!地境を広げてください!名前と関係なく、わざわいや痛みから守ってください!」と祈りました。 そして神はそうされました。 ヤベツと同じように、ダビデも詩篇23篇を「まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう」と閉じています(詩篇23:6)。 ~この「追って来る」は、単に後からやって来るという意味ではありません。この単語のヘブル語には、獲物を追いかける猛獣をイメージする、力強い、攻撃的とさえ言えるような意味が込められています。(デイリーブレッド 2022.12.7より)~ 私たちも、あの人のように能力がなくても、この人のように環境に恵まれていなくても、主に呼び求めるものには主が祝福してくださること、いつくしみと恵みが追いかけて来ることを信じ、遠慮なく叫び求めましょう! 祈り:神様、あなたの祝福が主に信頼する者には「追いかけて」くることを信じます。何より、あなた自身が私を呼び、とらえ、離さないでいてくださることに感謝します。私の地境を主にあって広げてください。わざわいから遠ざけ、福音を分かち合うことができるような機会をさらに与えてください。アーメン

I歴代誌3

「ヘブロンで生まれたダビデの子は次のとおりである。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。次男はカルメル人アビガイルによるダニエル。」I歴代誌3:1 ダビデから後の系図が続きます。 アムノン、アブサロム、アドニヤ(2節)、ソロモン(5節)、レハブアム、アサ(10節)、ヒゼキヤ(13節)、ゼデキヤ(16節)、ゼルバベル(19節)...と、捕囚を挟んでも系図が続きます。 私たちにはなじみのうすいイスラエル民族の系図ですが、彼らにとっては私たちが日本史の人名を聞くような感覚ではないかと思います。 王国分裂、捕囚...と困難の中で、消えるかと思えそうなダビデの系図が脈々と続いています。神が約束されたとおり、ダビデの子孫の存在が忘れられていません。 自分が忘れられたような、存在感がないような気持ちになることはありませんか。転職、退職、子どもの独立、配偶者との別れ、引っ越し、社会的に弱い立場...。しかし、主は忘れておられません。かえって、沈黙のような期間の中で、私たちに近く親しく語りかけてくださる方です。この方に期待して今日も歩みましょう。 祈り:神様、政変やスキャンダル、戦争で揺り動かされたイスラエルの歴史です。しかし、あなたはダビデに約束されたとおり、子孫を絶やされませんでした。 私の存在も、あなたは忘れておられません。今日も、あなたのご計画を私の歩みになさってください。暗い気持ちになる時、あなたの導きをいっそう近く教えてください。アーメン

I歴代誌2

「ボアズはオベデを生み、オベデはエッサイを生んだ。エッサイは、長子エリアブ、次男アビナダブ、三男シムア、四男ネタンエル、五男ラダイ、六男オツェム、七男ダビデを生んだ。」I歴代誌2:12~15 系図はイスラエル(ヤコブ)の12人の息子のうち、ユダの子孫つまりユダ族に入ります。今日はダビデが生まれるまでです。 「オベデがエッサイを生み、エッサイがダビデ王を生んだ(マタイ1:5~6)」という、マタイ1章で目にする系図が、より詳細に記されています。 旧約聖書の読み方は「キリストの光で読む」ことだと言われます。系図が時代を下るにつれて、夜明け前の地平線がうっすらと白みかけるように、キリストに至る道備えが少しずつ、でも着実になされていることがわかります。 祈り:神様、キリストを待ち望む人たちの信仰に思いを馳せます。まだ見ぬものを信じ、期待し、何百年も待った人たちの忍耐と信仰を私にも与えてください。 親子であなたに信頼している____ファミリー、____ファミリーに祝福がありますように。 また、家族で初穂となった_____さん、_____さんから、主の恵みが家族親戚に広がり、祝福の基として用いられますように。アーメン

I歴代誌1

「アブラハムはイサクを生んだ。イサクの子は、エサウ、イスラエル。」I歴代誌1:34 歴代誌は、1章から9章まで系図で始まります。延々と人名が並ぶのですが、どこかと似ていませんか? そう、マタイの福音書の書き出しと似ています。やはり系図が並び、イエス・キリストがアダム、そしてダビデの子孫として生まれたことがわかります。 歴代誌はその前半の詳細版のようです。1章1節から2章2節までは、アダムからヤコブ、それに傍系に触れています。 ユダヤ人は系図を大切にしました。そして系図を見ると、イエス・キリストの誕生が預言の通りに備えられていたこと、主のことばがその通りに実現することがわかります。 つい読み飛ばしてしまいそうな人名の羅列ですが、今回は少し立ち止まりながら、1章ずつ味わってみたいと思います。 祈り:神様、あなたのご計画と備えが時代を越えて脈々と受け継がれ、実現することを信じます。系図に出てくるひとりひとりに、各々の人生がありました。そのひとつもあなたの目には隠れていません。今を生きる私の歩み、教会の兄姉ひとりひとりの歩みも、あなたが覚えてくださっていることに感謝します。アーメン

II列王記25

「ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日、バビロンの王エビル・メロダクは、王となったその年のうちにユダの王エホヤキンを牢獄から呼び戻し、 優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。   彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。彼の生活費はその日々の分を、一生の間、いつも王から支給されていた。」II列王記25:27~30 エホヤキン王と人々がバビロンに引いていかれ、捕囚生活の年月が過ぎていました。悲しみの36年が、26節と27節の間にあります。 しかし、列王記は悲しみではなく希望で終わります。そしてそれは、神様がダビデの子孫が続くといういう約束を忘れておられないことの現れです。それを記した列王記の筆者にも、神の真実への信頼が与えられていたことでしょう。 今日の私たちの態度や言葉も、点検したいと思わされます。神の希望、神への信頼を表しているでしょうか。 否定的なことや、人を引き下げるような話題が多いなあと気づくなら、思いと言葉を主が支配し変えてくださるように祈りたいですね。 祈り:神様、あなたに身を寄せる者には、いつも希望があることを覚えます。私の口や思いから、否定的なこと、不信仰な考えを取り去ってください。このアドベントの時期、教会もひとりひとりも、あなたからの平安と感謝の思いで満ちあふれますように。御霊の実が実りますように。アーメン

II列王記24

「そこで主は、カルデア人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アンモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた。ユダを攻めて滅ぼすために彼らを遣わされたのである。主がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。」II列王記24:2 なぜ愛の神が国を「滅ぼした」のか、という疑問を聞くことがあります。愛の神ならば「滅ぼさない」はずでは、と。 その通り、愛の神は滅ぼさずに、ここまで国を保ってくださいました。列挙されている王には悪を行い、主に従わない人物が多くいたにもかかわらず。 悔い改めるよう、預言者たちを送り、何度も何度もメッセージを送られました。 悪い王でも、姿勢を改めたら赦してこられました。まさに「愛の神」です。 一方で、神様は正しいお方であり、罪を見過ごしにすることはできません。「マナセが流した咎のない者の血のためであった(4節)」とあるように、犯した罪の責任を問われます。その意味では「義の神」です。 「愛の神」と「義の神」であるお方が人間を救うため、キリストの十字架という方法を編み出されたのです。今はアドベント(待降節)です。キリストのご降誕の恵みを覚え感謝します。 祈り:神様、あなたの忍耐深さをありがとうございます。罪を見過ごしにできない、しかし私たちを限りなく愛するあなたが、キリストを送ってくださり、私たちを救おうとしてくださいました。まもなくクリスマスです。本当の意味を知る人が多く起こされますように。____さん、____さんをお誘いしようと思います。生涯忘れられない素晴らしいクリスマスの喜びとなりますよう、聖霊様が働いてください。アーメン

II列王記23

「それから王は柱のわきに立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証しと掟を守り、この書物に記されているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみなこの契約に加わった。」II列王記23:3 ヨシヤ王の改革が目覚ましい勢いで進んでいきます。偶像が取り除かれ、主への姿勢が刷新されと、ほっと胸をなでおろすような事柄が列挙されています。 開始にあたり、主の契約の書のことばが読まれました。そして、「主に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして」主の契約のことばを守り実行すると誓いました。王だけでなく民も誓いました。 洗礼式、結婚式、転入式、教職任命式、...で約束(誓い)の時があります。当然のごとく「はい、約束します」と答えますが、それは「誓い」であり、徹底的にそうするという、厳粛な決意をしたということです。 もう一度、自分が「はい、約束します」と答えたことを振り返り、決意を新たにしませんか。 祈り: 神様、あなたが私たちの決意を喜んで受け取ってくださったことに感謝します。弱く、ともすれば約束を忘れてしまいそうになる私たちです。あなたの救いを信じると告白したこと、あなたに従い続けると約束したこと、教会生活を大切にし柔和な心で仕えると決意したことなど、再び思い起こしています。 「神よ 私にきよい心を造り 揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください(詩篇51:10)」。 アーメン

II列王記22

「あなたは、わたしがこの場所とその住民について、これは恐怖のもととなり、ののしりの的となると告げたのを聞いた。そのとき、あなたは心を痛めて主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──主のことば──。」II列王記22:19 今日の箇所も、少し前の礼拝子どもメッセージの箇所でしたね。 8歳で王になったヨシヤ王は、26歳の時に主の巻物を読み、信仰の改革を行いました。民と国の堕落を嘆いて主を求めた時、女預言者フルダを通して神様は答えてくださいました。 ヨシア王に影響を与え、改革のために働いた人々が多くいます。 ・律法の書を渡した大祭司ヒルキヤ ・受け取り、王に読み上げた書記シャファン ・女預言者フルダ ・フルダのところに行った、シャファンの子アヒカム・アクボル・王の家来アサヤ... 信仰の戦いをする時、孤独に思えてもそうではありません。助け手や仲間を神様が与えてくださいます。そして私たちも、信仰の戦いをしている兄弟姉妹のための祈り手・助け手となれますように。 祈り:神様、私に信仰の友を与えてくださって感謝します。特に____さん、____さんの存在は大きな励ましです。また、家庭や職場で孤軍奮闘している____さん、____さんに、信仰の応援者・助け手が与えられますように。私もとりなしの祈り手・助け手とならせてください。アーメン