投稿

2月, 2023の投稿を表示しています

ネヘミヤ11

「民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな祝福した。」ネヘミヤ11:2 ネヘミヤの人口政策の様子です。エルサレムの町に人口が増えると、町の機能が回復し活気づいてきます。 くじも使われましたが、「自分から進んで」エルサレムに住もうとした人々もいました。その人たちを皆が祝福した、と記されています。 ネヘミヤ記が読む者の心を励ますのは、自発的な態度、困難があってもくじけず神に信頼する姿勢に満ちているからだと思います。私たちも今日の歩みの中、聖霊の促しに対して「自分から進んで」応答する者となれますように。 祈り:神様、私が聖霊の促しに自発的に応答できますように。____のこと、____のことに関して、待つ時か動く時か、あなたの導きに従いたいです。どうか私に素直な心と勇気を与えてください。アーメン

ネヘミヤ10

「この部屋に、イスラエルの子らとレビ人たちは、穀物、新しいぶどう酒、油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の用具があり、また、当番の祭司や門衛や歌い手たちもいる。このようにして私たちは、自分たちの神の宮をなおざりにはしない。」」ネヘミヤ10:39 神の宮にささげ物がささげられ、当番の奉仕者が割り当てられました。 物や行動だけでしょうか。いいえ、その背後には神への思いと感謝が込められていました。 私たちも、愛する家族や友人には、自然に物をあげたり親切にしたりします。それは自然な反応です。同じように、神を愛するなら、その愛が動機となって現れるのだと思います。 人の目や比較ではなく、自分と神様の関係で「なおざりにしない」とはどういうことか、思いめぐらしてみましょう。 祈り:神様、あなたとの関係がさらに親しくなりますように。私が奉仕するとき、ささげるとき、あなたへの愛が動機になりますように。純粋な心を与えてください。アーメン

ネヘミヤ9

「それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、 情け深く、あわれみ深く、 怒るのに遅く、恵み豊かであられ、 彼らをお捨てになりませんでした。」ネヘミヤ9:17 宮と城壁を再建し、罪を悔い改め、歴史を回顧するレビ人の言葉には、万感の思いがこもっていたでしょう。 主は、イスラエルの不信仰を何度も何度も赦されました。荒野でも、分裂した王国でも、捕囚の地でも。罪の結果を刈り取った民を、そのまま見捨てることはなさいませんでした。 愛の神の「それにもかかわらず」というまなざしは、今日の私たちにも向けられています。 幼い頃の失敗、学生時代の失敗、社会人になってからの失敗...。 「どうしてあんなことをしたのだろう」と悔いる時があるでしょうか。繰り返し自責の念にかられるでしょうか。 しかし、罪に気づき、悔い改める祈りをしたなら、神は「それにもかかわらず」赦してくださっています。罪赦された者の恵みを受け取り、応答して歩む者でありますように。 祈り:神様、あなたの「それにもかかわらず」赦してくださった恵みとあわれみを思い起こします。 「ただ、あなただけが主です。(6節)」 「あなたこそ神である主です。(7節)」 どうか「雲の柱、火の柱(19節)」で、私の行くべき道を照らしてください。教会の歩みを導いてください。これまでの歩みにあふれる恵みとあわれみに感謝します。アーメン

ネヘミヤ8

「エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな両手を上げながら『アーメン、アーメン』と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝した。」ネヘミヤ8:6 少し前に読んだエズラ記の人物、エズラが登場します。 人々がそろってみことばを聞く用意ができており、エズラの祈りに合わせて「アーメン、アーメン」つまり「そう思います、同じ思いです」と答えました。 そしてひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝しました。 続いて、長年行われていなかった仮庵の祭りが行われました。 何と麗しい光景でしょう。 KBIのアウトリーチチームのために、心を合わせて祈ることができて幸いでした。共に祈り、共に礼拝できる兄弟姉妹がいることは何と素晴らしい恵みでしょう。 この章ではエズラが前面に記され、ネヘミヤ自身は舞台裏に回っているようです。それでも、両者とも主のご栄光を求め、仕えていたことを思い、重ねて謙遜さを教えられます。 祈り:神様、共に祈り、礼拝し、あなたのご栄光を求める兄弟姉妹を与えてくださり感謝します。毎日、一人一人の顔を思い浮かべてお祈りできますように。特に今日、____さん、_____さんの祝福を祈ります。主の恵みが豊かに注がれますように。アーメン

ネヘミヤ7

「私は兄弟ハナニとこの城の長ハナンヤに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナンヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからであった。」ネヘミヤ7:2 エルサレムを治める人の資質は、仕事の手腕だけでなく「誠実」であり、「多くの人にまさって神を恐れ」ることでした。 ネヘミヤ自身は異国の王に仕える高官ですから、社会の厳しさや能力主義の競争をよく知っていました。それでも彼の価値観はぶれませんでした。神を恐れる人格者を選びました。 「会社や世の中の荒波に比べ、教会は甘い」と言われることがあるかもしれません。でも「甘い」のではなく、「神を恐れる」かが基準になっているのだと思います。神を恐れるのは弱さではなく、かえって謙遜さと神の助けに期待する強さです。 神によって立たされた教会、一人一人です。主に愛された者として、キリストにあって胸を張って歩めますように。 祈り:神様、周りの人を見ると劣等感を覚えることがあります。周囲との比較から解放し、あなたを見上げ、あなたを恐れる心を与えてください。キリストにある健康的な自信を持てますように。 「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。(ガラテヤ3:27)」 アーメン *本日(2/23)の午後1~4時、教会の周辺地が漏水工事のため断水となります。来会の際はご注意ください。必要な際は汲み置きの水をお使いください。

ネヘミヤ6

「これらのことはみな、『彼らの工事に対する気力が落ち、工事は中止されるだろう』と考えて、私たちを脅すためであった。 ああ、今、どうか私を力づけてください。」ネヘミヤ6:9 反対者たちは、城壁工事の妨害には気力を落とさせることが一番だ、とよく知っていました。 しかし、ネヘミヤは策略にだまされませんでした。神に祈りながら偽りを見破り、妨害を拒否しました。 ネヘミヤ記には、事実の記述の所々に祈りが挿入されています。この書き方が、ネヘミヤの心そのものだったと思います。実際面での対処を考える時、神様と親しく話しながら判断していったのでしょう。 彼のような行動パターンを、私たちも身につけることができますように。 道を歩くとき、家に入る時、教会に向かう時、神様は何について祈ることを願われるでしょうか。 祈り:神様、この町が主の光で輝きますように。福音の希望で照らされますように。教会が燭台の光のように、あなたのご栄光を表しますように。通路や入口に、平和と平安の霊的な雰囲気が満ちますように。改修の必要なところは丁寧に手入れし、花の手入れをし、神の愛を表せますように。アーメン

ネヘミヤ5

「私は十分考えたうえで、有力者たちや代表者たちを非難して言った。『あなたがたはみな、自分の同胞たちに、利子をつけて金を貸している。』そして大集会を開いて彼らを責め、」ネヘミヤ5:7 腹が立ったら、見さかいもなく怒りをぶちまけることがないでしょうか。非難する時には言葉を選ぶ余裕もないほど、感情に任せがちな私たちです。 ネヘミヤは違いました。「十分考えたうえで」というのは、神に祈りつつよく考えたのでしょう。言葉を選び、非難の論点を整理したので、民がよく納得できるものでした。 また彼は「神を恐れて」自分の利益よりも民全体の利益を求めました。 報酬は、「私の神よ。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください(19節)」と、神に大胆に願っています。 最近、腹の立つ出来事がありましたか?また、自分さえよければ、という態度に出ていませんか。「受けるより与える方が幸いです」というイエス様のおことばを一日思いめぐらしてみましょう。 祈り:神様、短気な私をゆるしてください。よく祈り、言葉を選んで対応できるよう助けてください。また、「自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧み( ピリピ2:4)」ることができるよう、広い心と愛を与えてください。アーメン

ネヘミヤ4

「城壁を築く者たち、荷を担いで運ぶ者たちは、片手で仕事をし、片手に投げ槍を握っていた。」ネヘミヤ4:17 トビヤとサンバラテの悪巧みに対して、ネヘミヤは見張りと防御を指示しました。 何よりも、自信をなくし「城壁を築き直すことなど、私たちにできはしない(10節)」と言っていたユダの人々を、祈りと実際的な戦略で力付けました。 私たちも、困難や戦いが多くて孤立無援だ、と感じることがあるでしょうか。 イエス様は 「いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい(マタイ10:16)」 と弟子に言われました。 賢さと素直さの両面で、難しい局面にも主にあって勝利できますように。 祈り:神様、私に素直で純粋な心と、聖霊による知恵とを与えてください。 今、判断や決断を迫られている____さん、____さんを覚えます。彼らが祈る時に、賢さと素直さの両方が与えられ、難しい局面を主と共に渡ることができますように。来週の感謝総会でも、教会の恵みの歩みを、共に喜び、主に感謝できますように。アーメン

ネヘミヤ3

「その傍らでは、エルサレム地区の残りの半区の長、ハ・ロヘシュの子シャルムが、自分の娘たちと一緒に修復を行った。」ネヘミヤ3:12 「その傍らでは...その傍らでは...」とつながっている3章を読むと、人々があちらでもこちらでも城壁工事に取り組んでいる情景が浮かびます。 12節を読むと、娘(女性)たちも父と共に修復工事をしていたとわかります。 何と美しく、希望のある、主にあって一致した姿でしょうか。 教会の大掃除のたびに、まるでこの章のようだ、と感じます。 それぞれが自発的に、進んで主の宮である教会を整える姿が、並んで城壁工事をした人々の姿に重なります。体調により実際の作業ができない人も、祈りや交わりで支えている姿にも、食事や言葉で支えた城壁工事の裏方の人々を思います。 教会は、霊的な城壁を整え修復し、安心して集える場だという点でも、ネヘミヤ記から学ぶことが多くあるのだと教えられます。 祈り:神様、教会のお一人一人の存在に感謝します。実際面と共に霊的な面も、それぞれが持ち場で主の群れを守り建て上げるよう召されていることを覚えます。主の霊がますます豊かに働いて、心に喜びと主の平安が満ちあふれますように。アーメン

ネヘミヤ2

「王は私に言った。『では、何を望んでいるのか。』私は天の神に祈ってから、王に答えた。」ネヘミヤ2:4~5 当時、王に沈んだ顔を見せるのば禁忌でした。 「これは大変危険なことで、ネヘミヤ自身が『非常に恐れ』たように、いったん陰謀の嫌疑がかけられると処刑もやむなしであった。(成長教案誌 2/19 解説より)」 しかし、王はネヘミヤを気遣い、尋ねてくれました。王の問いに対し、エレミヤはまず主に祈ってから答えました。すると、さらに王は気前よくネヘミヤの望みをきいてくれたのでした。 ネヘミヤ記にはことごとに「まず祈ってから...」という姿勢が出てきます。 すぐ反応したくなる時、一歩とどまり「まず祈ってから...」神の力で心を治めることができますように。 祈り:神様、心さわぐ時、不安になった時、カッとした時、あなたに祈ってから反応できるよう、私の心を治めてください。自分の力では難しいです。聖霊の助けと知恵を与えてください。 「神は混乱の神ではなく、平和の神なのです(1コリント14:33)。」アーメン

ネヘミヤ1

「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。」ネヘミヤ1:5 エズラ記とネヘミヤ記は、元々一つの書巻だったと言われています。 エズラが霊的な改革をしたのに対して、ネヘミヤは実務家として城壁の再建を主導しました。 実践家としてのネヘミヤとその記録を、「旧約聖書のヤコブ書(新約のヤコブ書は行いの伴う信仰を強調しています)」と呼ぶ人もいるくらいです。 信仰の歩みには心の内面の深い取り扱いと、それが行いへと流れ出すという両面があると教えられます。 昨日、生駒のKBI(関西聖書学院)に行きました。寮で学ぶ学生が、内面的にも実際的にも訓練を受けています。主との深い交わりと聖霊の力によって、やがて牧師、宣教師、教会リーダーとして遣わされていきます。主が召した人たちを、私たちが祈りと実際の支援で支える幸いを覚えます。 主に召された場所で日々仕える教会の一人一人にも、恵みが豊かにありますように。 祈り:天の神様、主よ。あなたは大いなる恐るべき神です。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方です(5節)。 あなたに生涯をささげたいと願う一人ひとりを祝福し、導いてください。フルタイムで教会で働く人、社会との接点に立つ人。それぞれの召しに応じて聖霊が働かれ、満ち溢れてくださいますように。アーメン

エズラ10

「立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」エズラ10:4 エズラの改革について一人がこのように言うと、他の祭司、レビ人、イスラエルの民のリーダーたちが提案に同意し、実行を誓いました。エズラはまだ悲嘆にくれていましたが、周囲で支えるリーダーたちの態度が大きな励ましだったことでしょう。この後、改革が急速に進みました。 「よいリーダーはよいフォロワー(支える人)による」という表現があります。完全なリーダーはいません。しかし、良い支え手とその祈りによって、宣教団体や教会は大きく導かれていきます。教会の頭はキリスト、そして牧会や各部門のリーダーたちだけでなく、支える一人一人の働きによって建て上げられていきます。 祈り:神様、私がよい支え手となれるよう、謙遜な心と祈りによる姿勢を与えてください。裁き合いではなく、神の霊による平安と平和が教会の中にいつもありますように。アーメン

エズラ9

「夕方のささげ物の時刻になって、打ちのめされていた私は立ち上がり、衣と上着を引き裂いたまま、ひざまずき、自分の神、主に向かって手を伸べ広げて、」エズラ9:5 エズラは、民が異国の偶像にかかわる習慣を取り入れてしまったことに大変落胆します。「衣と上着を引き裂き、髪の毛とひげを引き抜き、茫然として座り込んでしまった(3節)」という記述に、彼の落ち込み具合がわかります。 夕方になり、茫然自失だった彼は神に悔い改めの祈りをします。自分自身が罪を犯したわけではなくても、民のためにとりなしをします。かつて荒野で反抗する民のためにとりなしの祈りをしたモーセの姿が重なります。 私たちは、学校や職場、日本や世界のために涙を流してとりなしの祈りをしているでしょうか。教会の課題のために、心をこめて祈っているでしょうか。 ともすれば私たちは自分のことだけで精一杯、近視眼になりがちです。視野を広げて主にとりなしの祈りをささげる者となれますように。 祈り:神様、自分のことだけでなく、とりなしの祈りができるよう、私の心を開いてください。噂やテレビの情報を漫然と受けるだけでなく、心が痛んだら都度祈りに代えることができますよう、導いてください。アーメン

エズラ8

「私たちの神の恵みの御手が私たちの上にあったので」エズラ8:18 「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し」8:22 「私たちの神の御手が私たちの上にあり、...私たちを救い出してくださった。」8:31 エズラ記には「私たちの神の御手」という表現が6回使われています (7:6, 9, 28; 8:18, 22, 31)。人々は断食と祈りをもって願いました。すると、神の御手が恵みと守りを与え続けられました。困難な旅路、困難なプロジェクトにあっても、神の御手は変わらず彼らの上にありました。 主の御顔を仰ぎ求めているでしょうか。そうならば、私たちの一日の上にも神の御手は置かれ続けています。そして主は「神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下」そうとしてくださっています。 祈り:神様、あなたを求める者の上には、御手が置かれ続けていることを覚えて感謝します。今日、ことごとに主の臨在を思い出し、意識しながら過ごせますように。アーメン

エズラ7

「私たちの父祖の神、主がほめたたえられますように。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、」エズラ7:27 ペルシアの政策は、支配している民族の自由を認め、反乱を防ぎ統治しようというものでした。イスラエルの人々にとっては、それが故郷エルサレムへの帰還と宮の再建につながったのでした。 主なる神様は、信仰者はもちろん、それ以外からも好意的な人々をも起こし、ご自身の栄光のために用いられます。 私たちの親戚、職場、近所の人々の中にも、好意的に接してくださる方がおられます。その方たちに主の祝福があるように、キリストの愛がはっきりと感じられるよう、私たちも祈りに覚えましょう。 祈り:神様、あなたはどんな人の心もよく知っておられます。私の周囲で信仰に好意的な____さん、____さんを感謝します。教会の近隣の____さん、_____さんを感謝します。どうぞ「平安の子(ルカ10:6)」として、主が導いてください。アーメン

エズラ6

「そして彼らは七日間、喜びをもって種なしパンの祭りを守った。これは、主が彼らを喜ばせ、またアッシリアの王の心を彼らに向けて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。」エズラ6:22 悪巧みによる報告を受け、ダレイオス王は過去の文書を調査させました。そして、宮の再建工事をやめさせるどころか、逆に誰も工事の邪魔をしてはならない、という決定をしました。 疑いが晴れ、悪巧みは打ち砕かれました。ついに宮は完成し、かつての豪華さはないものの、ソロモンの建てた神殿よりも長い年月にわたって残りました。 私たちに神様が与えたプロジェクトをやり遂げるのは嬉しいことです。しかし、完成そのものにまさって、神が正しいことを知り、真実な方であることを味わうのは、なんと幸いなことでしょう。個人の仕事もそうですし、教会の歩みもそうです。 主が一歩一歩導いてくださること、イエス・キリストが私の主、教会の頭であることを覚えて感謝します。 祈り:神様、あなたの真実と愛はとこしえに変わらないことに感謝します。個人の生活、教会、この世界をも、あなたが主権を持っておられます。私たちが良い管理者として、あなたが願われることに歩めるよう、今週も導いてください。 思いがけないハプニングの中にも、主の良いご計画がなされることを期待します。愛する兄弟姉妹の一週間が、主の恵みのうちに導かれますように。アーメン

エズラ5

「さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤという二人の預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に対して、自分たちの上におられるイスラエルの神の御名によって預言した。そこでシェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた。」エズラ5:1~2 宮の工事は、悪巧みのせいで何年も中止されていました。当時はインフレだったという説もあり(ハガイ1:6)、人々の生活も苦しかったようです。自分の生活だけで精一杯で、再建工事どころではない、という感じでしょうか。 その時、預言者のハガイとゼカリヤが神のことばを分かち合い、工事を再開するように励ましました。 「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか(ハガイ1:4)」と。工事は再開され、預言者たちを通して神の励ましを受け、工事が進んでいきました。 かつて、会堂を一人掃除する男性の姿を知ったある宣教師が、この箇所を引用しておられました。自分の仕事や趣味に時間を取りたいところなのに、人知れず仕えている姿は神の目に麗しい、と。 建物の維持管理は、それ自体が目的ではなく、私たちの神への愛と礼拝の姿勢の現れです。また、聖書のことば、祈りによる言葉で励ますことは、神の家族を建て上げる大切な働きです。 祈り:神様、預言者を通したことばで工事が再開したように、私たちも互いの徳を高め建て上げ合う言葉を発することができますように。また、教会の見えないところでの働きや奉仕をする方々に、主ご自身が言い知れない喜びを与え、豊かに報いてくださいますように。アーメン

エズラ4

「すると、その地の民はユダの民の気力を失わせようとし、脅して建てさせないようにした。」エズラ4:4 順調にいくはずだった再建工事に、近隣の民の邪魔が入りました。 しかも、買収や嘘の内容の文書を遠く離れた王に送り、工事を中止させるという悪質なものでした。 私たちも、時に誤解されたり悪口を言われたりすることがあるかもしれません。事実でないこともあたかも本当であるかのように噂されて、傷つくことがあります。 歴史上、最も誤解され理不尽な扱いを受けられたのは、他でもない主イエス・キリストです。罪のない方が十字架で死罪になり、私たちの罪の身代わりとなってくださいました。キリストは、私たちのどんな苦しみや痛みも理解してくださる方です。 祈り: 「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。(ヘブル4:15)」 神様、私の悔しい気持ちや傷ついた経験を、キリストが理解してくださることを感謝します。反対に、私の愛のなかった言動をゆるしてください。傷つけた人の心もいやしてください。アーメン

エズラ3

「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。」エズラ3:12 主の宮の基礎が出来た時、祭司やレビ人と民は主を賛美し、大声で喜び叫びました。 一方、破壊前のソロモン神殿を知っている人たちは大声で泣きました。おそらく、かつての豪華さと目の前の工事中のありさまを比べたのでしょう。 人間的には、みすぼらしく弱く思えました。しかし、主は預言者ハガイを通して 「銀はわたしのもの。金もわたしのもの。ーー万軍の主のことばーー  この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる。ーー万軍の主は言われるーー  この場所にわたしは平和を与える。ーー万軍の主のことば。(ハガイ2:8~9)」 と言われました。 年齢が上がってきて、若い頃のような力や勢いがない、と感じるでしょうか。 人生これから先、しぼんでいくように感じるでしょうか。 いえいえ、霊の子どもや孫を育み、祈り励まし、信仰者として生き方であかしするという働きにまだまだ召されています。 多くの高齢(70歳以上)の人が勇敢にバビロンからエルサレムへの旅をし、再建工事の現場に立ち会った記事は、大きな励ましですね。 祈り:神様、人生の先輩、信仰の先輩である____さん、____さん、____さんの存在に感謝します。主を愛し続けた人生の歩みが、教会を励ましています。この冬も、引き続き健康が支えられますように。 まだ主と出会っていない親族や近隣の高齢の方々にも、イエス様の愛がわかりますように。アーメン

エズラ2

「こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌い手、門衛、宮のしもべたち、すなわち、全イスラエルは自分の元の町々に住んだ。」エズラ2:70 42360人(64節)が、バビロンからエルサレムに移動しました。捕囚としてひいて来られた時も大変な道のりだったでしょうが、帰還するときも長い道のりでした。 それでも、今回の旅には希望がありました。何よりも、主の宮を建て直すという使命がありました。70節では「全イスラエルは自分の元の町々に住んだ」と書かれています。感慨深かったでしょう。 2011年の震災以来自宅に帰れないままの方々や教会、災害や戦争で被害を受けた方々と教会を覚え、慰めと励まし、帰る日が早く来ますようにと祈ります。 祈り:神様、家に帰れず避難生活を続ける方々、家族や財産すべてを失った方々を覚えます。あなたの励ましと必要が行き渡りますように。日本の災害はもちろん、トルコ地震、ウクライナの戦争、ミャンマーのクーデターで被災した方々を助け、深くあわれみ励ましてください。私たちも祈り支える者とならせてください。アーメン

エズラ1

「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。」エズラ1:5 バビロン捕囚からの帰還が許され、エルサレムと神殿の回復が始まります。 新年から教会に置いてあったシクラメンが、先日からの寒波ですっかり弱りきっていました。花がぐったりし、「もうだめかなあ」と思っていました。 ところが、あるお花屋さんが書かれた記事を見つけました。 「花をまとめてポニーテールのように紐でくくり、すきまからぬるま湯を根元にたっぷりやり、新聞紙で蜂ごとすっぽりくるんでまる1日置く」というものでした。 半信半疑で試したところ、本当に回復したのでした! シクラメンの復活がこんなに嬉しいなら、キリストの復活はもっと素晴らしいのだ、と教えられました。 同時に、弱りきった花のように私たちが弱り果てていても、神は回復させてくださる方だ、ということも教えられました。 70年も捕囚になっていたユダヤの民でさえ、神は忘れず回復させてくださったのでした。 祈り:神様、弱った心をあなたが回復してくださることを信じます。 そして、滅びるはずだった私たちを十字架と復活のわざであがない、主のものとして回復してくださったキリストをほめたたえます。アーメン

Ⅱ歴代誌36

「これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」Ⅱ歴代誌36:21 ユダ王国の滅亡とバビロン捕囚の様子が記録されています。主の前に反逆を重ね、自らが招いた悲しい結果でした。 しかし、それで終わりではありません。神の回復の約束が、すでに同じ章に出てきます(続くエズラ1章とも重複しています)。 そして、悲しみの70年という期間にも、ユダの地が安息し回復するという良いことが始まっています。 今悲しみと嘆きの中にあっても、主の回復のご計画がすでに始まっていることを信じましょう。そして、悲しみの中にある兄弟姉妹のために祈る一人ひとりであることに感謝を覚えます。 祈り:神様、どんな状況の中でも、あなたのあわれみが注がれていることに感謝します。____さん、_____さんの試練の中にもあなたが励まし、力を与えてください。教会が、分かち合い祈り合える安心な場、交わりとなりますように。アーメン

Ⅱ歴代誌35

「預言者サムエルの時代以来、イスラエルでこのような過越のいけにえが献げられたことはなかった。イスラエルのどの王も、ここでヨシヤが、祭司とレビ人、そこにいた全ユダとイスラエル、そしてエルサレムの住民とともに献げたような過越のいけにえを献げたことはなかった。」Ⅱ歴代誌35:18 ヨシヤ王の改革のクライマックスでした。「預言者サムエルの時代」、つまりイスラエルの統一王国以来、一番盛大な主への過越の祭りが行われました。 ところで、旧約聖書の後半部にある預言書は、前半の歴史書の時代に送られた預言者の預言です。 信仰を貫いたヨシヤ王を記念して、あのエレミヤは哀歌を作りました(25節)。 歴史の流れの中に王や預言者を織物のように織り込み、縦糸横糸のように旧約聖書に記録してくださった神様の知恵と愛を、こんな所からも感じます。聖書は読めば読むほど、新しい発見、確認する恵みで満ち満ちています。 祈り:神様、あなたが今日もみことばを通して語ってくださることに感謝します。お一人一人が神の愛と知恵をみことばから見いだし、聖霊に励まされて歩めますように。 「ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。(ローマ11:33)」 アーメン

Ⅱ歴代誌34

「彼らが、主の宮に携え入れられていた金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤは、モーセを通して示された主の律法の書を見つけた。」Ⅱ歴代誌34:14 祭司ヒルキヤ→書記シャファン→ヨシヤ王 と届けられた書物は、王の真摯な悔い改めと国全体の宗教改革を導きました。 モーセの代に受け取り、一時は宮で誇りをかぶり忘れ去られていた主の教えが、生きたことばとして語りかけたのでした。 聖書のことばも同じです。時代を越えて人の心に届き、霊を目覚めさせ、悔い改めと神への信仰に導く力があります。印刷本でもアプリでも手軽に手に入りますが、その価値ははかり知れず、人生を変える力があります。 祈り: 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます(ヘブル4:12)。」 神様、あなたもあなたのことばも生きていて、私たちの心を探り見分け、真実を明らかにされることに感謝します。忘れていること、誤解していることがあれば気づきを与え、あなたの解決と恵みで満たしてください。アーメン

Ⅱ歴代誌33

「しかし、彼は苦しみの中で彼の神、主に嘆願し、父祖の神の前に大いにへりくだり、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうしてマナセは、主こそ神であることを知った。」Ⅱ歴代誌33:12-13 今苦しみ、心の痛みと悩みで「万事休す」という状況にある方がいらっしゃるでしょうか。しかし、主にとって手遅れということはありません。 マナセ王は主に対して悪を重ねました。にもかかわらず、「主に嘆願し」「大いにへりくだり」「神に祈った」時、神の助けを経験しました。 全能の神、全地を治める神がおられ、私たちの祈りに耳を傾けてくださるとは、何と素晴らしいことでしょう。大きな問題、小さな問題、すべて主の元に持っていきましょう。 祈り:神様、感謝します。うろたえるような出来事でも、あなたの目に難しくはないことに感謝します。今月は教会の感謝総会がもたれます。一人ひとり、あなたに感謝をささげて備えることができますように。リーダーたちにも霊の一致を与え、たえずキリストの後ろを歩めますように。力強い御手で教会を悪の力からお守りください。アーメン

Ⅱ歴代誌32

「強くあれ。雄々しくあれ。アッシリアの王や、彼とともにいるすべての大軍を恐れてはならない。おののいてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が、私たちとともにいてくださるからである。」Ⅱ歴代誌32:7 ヒゼキヤ王の治世で、最大とも言える危機がやって来ました。内心は不安があったと思います。 しかし、王は信仰に立ちました。そして、口から出る言葉に信仰を表し、行動を起こしました。そばに預言者イザヤもいました。 王と預言者、勇士たち、民たちが祈り、励まし合い、信仰の宣言をしていく姿は、教会の姿そのものだと思います。私たちが互いに祈り、励まし合い、信仰に立って歩む教会は、この世の中でキリストの光を放っていく存在です。 祈り:神様、教会のお一人ひとりの顔を思い浮かべ、感謝の祈りをささげます。弱さや違いも主にあって用いられます。あなたの共同体としてキリストの栄光を反映する存在であることに感謝します。ますます主にある兄弟姉妹を愛する心を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌31

「ツァドク家の祭司の長アザルヤが、彼に答えて言った。『人々が奉納物を主の宮に携えて来ることを始めてから、食べて満ち足り、たくさん残るようになりました。主が御民を祝福されたので、その残りがこんなにたくさんあるのです。』」Ⅱ歴代誌31:10 麗しい情景が目に浮かぶ章です。ヒゼキヤは主への礼拝を大切にするよう体制を整え、自ら豊かにささげました(2~3節)。 民も喜んで十分の一をささげました。祭司とレビ人は主の働きに専念できるよう、その一部から必要が与えられました。 それだけではありません。ささげた民自身にも、主の祝福が豊かに注がれました(10節)。管理に当たる人たちにも、適正な分配がされました。主の前に連鎖的によい循環が起こり、祝福と喜びが国に満ちました。 神様の祝福の法則を見ることができます。 「ヒゼキヤはユダの全地でこのように行い、その神、主の前に、良いこと、正しいこと、真実なことを行った(20節)」と、聖書は神の前での王の態度を評価しています。 祈り:神様、あなたの前に心を尽くして礼拝できますように。自発的にささげる喜びと、あなたの祝福の法則を正しく理解できますように。 「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。(第二コリント9:7)」 アーメン

Ⅱ歴代誌30

「また、ユダには神の御手が臨んで、人々の心を一つにし、主のことばどおり、王とその高官たちの命令が実行された。」Ⅱ歴代誌30:12 人々の心が一つになるとは難しいことです。日常の職場や学校、政治を見ても、様々な反対意見や不和があります。 異なる性質や環境に生きる人々が、様々な価値観、考え方、意見を持つのは当然です。何より創造主である神様が、人間をバラエティーに富んだ存在として造ってくださったので、違いがあるのは想定済みです。 ただ、主の前に霊的な事柄で一致するのが必要な場面があります。たとえばイエス・キリストが救い主であること、神のことばは真実であることに、私たちは一致するよう招かれています。 「神の御手が臨」む時、私たちはへりくだって心一つにさせられます。「主のことばどおり」に選び行うことができるようになります。 教会の感謝総会の月になりました。互いの細かい違いを尊重しつつ、キリストが教会の頭であること、教会がたえず主に導かれて歩むことに感謝する月となりますように。 祈り:神様、教会に共に召し出され、集められた一人ひとりに感謝します。若くても高齢でも、弱くても強くても、かけがえのない方々との出会いと交わりに感謝します。何よりも、集めてくださったキリストをほめたたえます。多様な私たちですが、いつも主をまっすぐ見つめ、主を愛することに一致できますように。アーメン