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3月, 2023の投稿を表示しています

ヨブ記19

「私は知っている。 私を贖う方は生きておられ、 ついには、土のちりの上に立たれることを。」ヨブ記19:25 「私を贖う方は生きておられ」 ヨブのこの言葉は、ヘンデルの曲「メサイヤ」の歌詞にも取り入れられています(パート3の冒頭)。 ヨブが、失望の中からこの言葉を述べることができたのは、神の霊の深遠な働きだったと思います。ヨブ自身は意識していたかどうかわかりませんが、ヨブ記に克明に記され、現在の私たちも読むことができます。そして、 メサイヤでは、上の聖句に続き、 1コリント15:20「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者のなかからよみがえられました」 という歌詞が続きます。 私たちは、メシヤがこられたこと、そして贖いを成し遂げられたことを知っています。JSキャンプでは、集会ごとに心からの賛美がささげられました。私たちも「ハレルヤ!(「メサイヤ」の中に、有名な「ハレルヤコーラス」があります)」と歌い、キリストに栄光をお返ししたいですね。 祈り:神様、あなたの救いのご計画は、何と深く大きいものでしょうか。ヨブの口を通して表してくださいました。私も、贖いが完成されたことをこの口で言い表したいです。次の日曜日はしゅろの聖日、キリストが十字架にかかられることを覚える受難週に入ります。ますます十字架の恵みがわかるよう、導いてください。アーメン

ヨブ記18

「下では彼の根が枯れ、 上では枝がしおれる。」ヨブ記18:16 庭の雑草が、そろそろ芽を出してきました。 手や刈払機を使っても、根が残っているのでまた伸びてきます。でも、液体の除草剤を根元にまくと、根が枯れ、しばらくすると葉もしおれてきます(もちろん、別の種が数週間後には芽を出してきて、草刈り作業は続くのですが)。 ビルダデは、悪人がやがてやがて滅びることを語ります。勧善懲悪は気持ちよい考え方ですが、すぐにではないことも心にとめる必要があります。 この世界の不条理は、すぐにはなくなりません。悪者が栄え、弱い人がしいたげられ、信仰者が迫害されていることには心が痛みます。 聖書はやがてキリストが究極の勝利をとられると述べています。その時を待つ私たちです。長く待つのは、主が一人でも多くの人の救いを願っておられるからです、 「マラナタ(主よ、早く来てください)」と祈りつつ、周りの人たちの救いのために、さらに熱くされますように。 祈り:神様、あなたの介入が遅いと思える時があります。でもそれは、あなたの愛に満ちた深いご計画ゆえだと信じます。どうか忍耐を与えてください。弱っている人、しいたげられている人のところへ、あなたの手足として私を遣わしてください。アーメン

ヨブ記17

「神は私を人々の笑いものとされ、 私は顔に唾される者となった。」ヨブ記17:6 ヨブの苦悩は、読んでいると心が痛みます。喪失体験と孤独、体調の悪さと失望とが、彼のセルフイメージをどんどん低くするようです。 他人の「笑いもの」となり「唾される」というのは、周囲から受ける最大級の軽蔑ですね。日本人は恥意識が強いと言われますが、中東の文化も恥と名誉を重くとらえます。財産や家族という名誉も失った彼は、私たちが感じる以上の恥意識にも苦しんだのかもしれません。 そして、ヨブ以上に恥を受けた方のことを思います。 「それから彼らはイエスの顔に唾をかけ、拳で殴った。また、ある者たちはイエスを平手で打って、(マタイ26:67)」 ...公衆の面前で唾をかけられ、からかわれ、さらし者として十字架にかかられたイエス・キリストを思います。どれほどの心身の痛み苦しみだったでしょう。 本来は、私たちがヨブのような、いやイエス様がかかった十字架刑にあい、滅びていく存在だったのです。 それを命がけで防ぎ、私たちを守ってくださったイエス様の愛の大きさに、圧倒される思いです。 祈り:神様、ヨブの痛みはもちろん、私たちが想像できないほどの痛みと苦しみを通ってくださったキリストの愛に圧倒されます。生涯あなたの愛から離れることがないよう、私や霊の兄弟姉妹の心をお守りください。 また、一時的に信仰を忘れたように思える___さんの心を、聖霊様が再び燃やしてください。救いの感謝で心熱くされますように。アーメン

ヨブ記16

「その方が、人のために 神にとりなしてくださいますように。 人の子がその友のためにするように。」ヨブ記16:21 ヨブの心は追い詰められています。 地上には自分の味方がおらず、神も自分に対して怒っておられる、と感じています。 しかし、天には私を弁護してくれる証人がいる(19節)とも言っています。 その証人は「とりなし」をし、「その友のためにするように」してくださる、と言っています。 ヨブはイエス・キリストの降誕前に生きた人ですが、私たちは文字通り、キリストが天におられる弁護者、証人だと知っています。 その方がいつも私たちのためにとりなしてくださり、私たちを「友」と呼んでくださる方だとも知っています。 たとえ地上でだれにも理解してもらえなくても、イエス・キリストはわかってくださいます。 祈り:神様、私たちがいつもイエス・キリストの御名を通して祈ることができ、感謝します。 イエス様がいつもとりなしていてくださることを覚えます。 「だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。(ローマ8:34)」 アーメン

ヨブ記15

「迷わされて、むなしいことに信頼するな。 その報いはむなしいからだ。」ヨブ記15:31 エリファズの言葉には厳しさと冷淡さも感じますが、同時に真理も含まれています。 むなしいことに信頼するとき、報いもむなしいーー当たり前のことだと思うでしょうか。 しかし、今日もむなしいことに信頼している人が何と多いことか。 財産、健康、社会的地位、業績、近所の噂、インターネットにあふれる情報、アルコール、タバコ、ゲーム...。 大切な愛する家族でさえ、突然死別し、いなくなってしまうことさえあるのです。 頼れるのは地上のものではありません。それは、天と地を支配され、永遠に存在する方、アルファでありオメガである方、主イエス・キリストです。 祈り:神様、ともすれば私も日々見えるものに頼りがちです。私の霊の目を開き、イエス・キリストをまっすぐに見つめることができるよう、助けてください。 「わたしはアルファであり、オメガである(黙示録1:8、21:6、22:13)。」アーメン

ヨブ記14

「木には望みがある。 たとえ切られても、また芽を出し その若枝は絶えることがない。」ヨブ記14:7 数年前、教会の敷地内の大きな木を切って整備しました。日当たりがよくなり、明るくなりました。 斜面の切り株からは、翌年の春にひこばえ(小さな枝)がたくさん出て驚きました。 完全に切り落とされたと思っていた木はまだ生きており、再生しようとしていたのです! 対してヨブは、人間の死後には望みがない、と思っていたようです。 しかし、私たちは知っています。キリストを信じる者には、肉体の死後にも永遠のいのちがあるということを。 洗礼式は、永遠のいのちを信じた人が、その信仰を公に表明する記念の日です。信仰生活をしてきて、自分の洗礼式だけでなく、数々の洗礼式に参加できるのは一番嬉しいことです。天でも大きな喜びがわき上がっていることを思うと、余計嬉しくなりなす。ハレルヤ! 祈り:神様、あなたの恵みを賛美します。キリストが与えてくださった永遠のいのちを共に喜びます。今洗礼を考えておられる___さんに、受ける決心をした____さんに、あなたの限りない恵みが注がれますように。私の家族の___にも、キリストを救い主と受け入れる日が早く来ますように。アーメン

ヨブ記13

「なぜ、あなたは御顔を隠し、 私をあなたの敵と見なされるのですか。」ヨブ記13:24 忍耐強いヨブですら、「神が御顔を隠しておられる」と感じる時がありました。 「なぜですか、どうしてですか」という気持ちが、この章にはにじみ出ています。しかも、話している彼自身の体調は非常に悪かったのです。気の毒なヨブ! ダビデ王も 「どうか 御顔を私に隠さないでください...見放さないでください。見捨てないでください。私の救いの神よ(詩篇27:9)」 と歌っています。神が遠く感じられる時の苦悩がにじみ出ています。 もちろん、実際に神がヨブやダビデ王を見捨てられた訳ではありませんでした。神は彼らをよく知り、彼らを見離すことはありませんでした。 父なる神が見捨てられたのはただひとり、イエス・キリストでした。人類の罪を背負って身代わりとなり、十字架にかかったキリストは 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マタイ27:46.、マルコ15:34)」と言われました。 どれほどの精神的、霊的な苦しみだったことでしょうか。 今はイースター(復活祭)の前の「レント」といわれる期間です。身を慎み、主の十字架への道に思いを馳せる習慣があります。2023年のイースターは4月9日です。ヨブの苦悩をはるかにしのぐキリストの苦しみに思いを馳せ、感謝をこめて祈り過ごす期間となりますように。 祈り:神様、ヨブも大変なところを通りましたが、それ以上の苦しみをイエス・キリストが通ってくださったことを覚えます。それが私に永遠のいのちを与えるためだったことに、感謝で圧倒される思いです。 来る日曜日は、主の愛を知った方が洗礼を受けます。感謝します。あなたの愛にふれられ、人生に希望を見いだす人がさらに起こされますように。アーメン

ヨブ記12

「知恵と力は神とともにあり、 思慮と英知も神のものだ。」ヨブ記12:13 考えすぎて、わからなくなることがあります。特に未来のことに関してはある程度の予想はできるものの、正確なところはどんなに考えてもわかりません。状況も変化するし、自分自身も変化していくので、人の知恵では予測不可能です。 この3年あまりのパンデミックを、誰が想像できたでしょう。自分の老後のことを、誰が正確に計画できるでしょう。 ヨブの苦しみもまったくの予想外でした。友人はヨブの中に原因を求めましたが、それは的はずれでした。しかし、神はこの苦しみの後のよい結末をご存知でした。 祈り:神様、将来のことを考えると不安がわいてきます。それは、私たちが未来を見渡せない小さい存在だからです。私に、あなたに信頼する心と祈りながら一歩一歩進む勇気を与えてください。知恵と力、思慮と英知はあなたのものです。 アーメン

ヨブ記11

「あなたの一生は真昼よりも輝き、 闇も朝のようになる。」ヨブ記11:17 「正しい人がなぜ苦しみにあうのか」というのは、昔から多くの信仰者を戸惑わせてきました。 神を信じればすべてうまくいくはずなのに、信仰の大先輩が苦労したり、教会が問題に直面したり、不可解に思えることがあります。ヨブ記はそんな人々に「ヨブほどの人でも苦しみにあうのだ」という大きな慰めを与え続けてきました。 逆に、私たちは苦しんでいる人にツォファルのような正論をふりかざし、余計に傷つけていることがあるかもしれません。主を信じる人は、霊的には真昼より輝き、闇から救われたいのちを持っています。 目に見える所を裁く前に、その人の霊にあふれるキリストのいのち、キリストのかたちを見いだすことができますように。十字架にかかって死なれるほど、イエス様に愛されている人であることを覚えることができますように。 祈り:神様、小さな理性で考え、裁きがちな私です。___さんを批判的に見てしまったことをゆるしてください。イエス様が命がけで愛されている大切な存在です。私にへりくだった心とあなたからの愛を増し加えてください。アーメン

ヨブ記10

「恵みをもって私にいのちを与え、 あなたの顧みが私の霊を守りました。」ヨブ記10:12 ヨブほどの人でも神様に愚痴をこぼしているのを読み、同じ弱さを持つことに少しほっとします。 しかし、そんな弱い人間を創造主は 「粘土のようにして造られました(9節)」、「チーズのように固め(10節)」て丁寧に造ってくださいました。 肉体だけでなく、いのちは主の恵みとともに与えられ、霊は顧みによって守られています。 地上の誰一人として、神の見守り、神の愛から外れている人はいません。 その素晴らしい愛を知らせるよう、私が召されている人は誰でしょうか。 祈り:神様、あなたが私にいのちを与え、霊を守ってくださっていることに感謝します。___さん、____さんが主の素晴らしい愛を知ることができますように。私がその人へのあかしに召されているなら、必要な機会と言葉を与えてください。アーメン

ヨブ記9

「そのとおりであることを、 私は確かに知っている。 しかし、人はどのようにして、 神の前に正しくあり得るのか。」ヨブ記9:2 自分で何ができると思っても、神の前には取るに足りないものです。 また、自分が正しいと思っても、人の義だけでは神の前には罪人です。 人間関係のトラブルでは、互いが正しさを主張し、譲らないことが原因であることが多いです。 時には信仰者どうしでも意見が食い違うことが起こります。 しかし、その時に相手を見つめるのではなく、視点を神に移し、共に神を見つめ、祈ることができるのが、信仰者どうしの人間関係の素晴らしいところです。 神の義の前には自分達の義は取るに足りない、というへりくだった謙遜な心を、今日も与えていただけますように。 祈り:神様、私に謙遜な、砕かれた心を与えてください。___さんとの人間関係を平安に導いてください。 「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。(詩篇51:10、新改訳第三版)」アーメン

ヨブ記8

「私たちは昨日からの者で、何も知らない。   私たちの地上の日々は影にすぎないのだ。」ヨブ記8:9 ビルダデの言葉は勧善懲悪的で、すべてにうなずくことはできません。 それでも、いくつかの真理をついています。 私たちは神の前には価値あるものです。 しかし、地上での私たちの肉体は、影のようにはかない存在だともいえます。 筆者の父は大柄で、絶対的な権威を持っていました。ところが数年前に召されると、身体がなくなり、持ち物が整理され、住民票などへの記載もなくなり、文字通り地上の存在が消えていくのだと実感しました。 一方で、晩年に信仰をもち洗礼を受けたこと、一緒に祈ったこと、天国で会えることなど、目に見えない思い出と霊的な確信は確かに残ります。 「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。(第二コリント4:18)」 祈り:神様、私たちの地上での存在ははかないものです。地上での出来事だけでなく、永遠に続く霊的な事柄に、もっと関心を持てますように。まだ永遠のいのちを 知らない____さん、____さんが、一日も早くキリストと出会うことができますように。アーメン

ヨブ記7

「人とは何ものなのでしょう。 あなたがこれを尊び、これに心を留められるとは。」ヨブ記7:17 ヨブの言葉が続きます。 この章では「もういやです。 いつまでも生きたくありません。 かまわないでください。 私の日々は空しいものです(16節)」と弱音をはいた後で、 「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを尊び、これに心を留められるとは」と言っています。 考えてみれば、「人とは何ものなのでしょう」という通り、人間は弱く小さい存在です。それを主なる神が大切に思い、心を留めてくださるとは、本当に不思議なことです。 なぜでしょう。それは、神の愛の深さ、広さ、大きさゆえです。それは御子キリストのいのちとひきかえにするほどの愛です。日曜は漫然と礼拝に行く日ではなく、この神様の偉大な愛をしみじみ思い、感動を毎週新たにする日でありますように。 祈り:神様、小さな、とるに足らない存在の私のことを覚え、愛し、永遠のいのちを与えてくださったことに感動し、心震える思いです。この感動を、ひとりでも多くの人が味わえますように。新しい週、あなたから頂いた愛を流し出す機会を与えてください。アーメン

ヨブ記6

「落胆している者には、友からの友情を。 さもないと、全能者への恐れを捨てるだろう。」ヨブ記6:14 ヨブは友人たちに言い返します。なぜ責めるのか。この辛さをどうしてわかってくれないのか。 15節に兄弟たちが「水無し川」のように裏切ったとあります。イスラエル地方の川は、大雨が降ると地表に激流となって現れますが、雨が降らないと地下を流れ、地表からは見えなくなります。そのように、親しい人は自分への態度を変えたと嘆いているのです。 しかし、全能なる神への信仰は人の態度だけで左右されるものではありません。 イエス様は、「わたしはあなたがたを友と呼びました(ヨハネ15:15)」と言われました。友と言ってくださるお方の霊である聖霊が、いつも私たちと共にいてくださいます。 そして、この方は決して裏切ることなく、かえって裏切られても私たちのためにいのちを捨ててくださったのです。 祈り:神様、私たちがどんなに孤立しても、聖霊が共にいてくださることに感謝します。私を友と呼んでくださる主に感謝します。人の気ままな態度に左右されず、あなたの変わらない真実に目をとめ続けることができますよう、今日の歩みもお守りください。アーメン

ヨブ記5

「神は知恵のある者を、 彼ら自身の悪巧みによって捕らえ、 彼らのねじれたはかりごとは突然終わる。」ヨブ記5:13 エリファズの言葉には律法的、偽善的なところもありますが、真理も含まれています。 パウロは13節を第一コリントの中で引用しました。 「なぜなら、この世の知恵は神の御前では愚かだからです。『神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧みによって捕らえる』と書かれており、(1コリント3:19)」 と、神の知恵がいかにすぐれているかを述べています。 自分自身ではもちきれないような課題、難題があるでしょうか。年度末で、家族の状況の変化や新年度の準備などもあるかもしれません。自分では抱えきれないほどの懸案も、神にとっては難しくないのです。主に重荷をゆだね、主の知恵で導き解決していただけるよう祈りましょう。 祈り:神様、自分の頭であれこれ考えても、前に進みません。あなたに____のこと、_____のことをゆだねます。あなたが持ち運んでください。あなたに重荷をゆだね、安息できますように。アーメン

ヨブ記4

「あなたのことばは、つまずいた者を起こし、 くずおれる膝をしっかりさせてきた。 しかし今、これがあなたに及ぶと、 あなたはそれに耐えられない。 これがあなたに至ると、あなたはおじ惑う。」ヨブ記4:4~5 友人エリファズは、ヨブを励まそうとします。動機は良いものでしたが、そこに彼の思う正論だけを主張してしまいます。 ヨブは他者に立派なことを言ってきたが、自分が試練にあうと情けないではないか。 もし正しい者であるなら、滅びるはずがないのだ、と。 これではヨブを励ますどころか、余計に落ち込ませてしまいそうです。 私たちも、ともすれば因果応報のような短絡的な基準に陥りがちです。聖書を知っているだけに、みことばをふりかざして相手をへこませてしまうことはないでしょうか。みことばは剣です。キリストの愛に照らして、正しく用いる知恵をいただけますように。 祈り:神様、理不尽な苦しみの中にある人を覚えます。やみくもに叱責するのではなく、あなたが何を望んでおられるかをわきまえ、愛をもって励まし、戒め、建て上げあうことができますように。 「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(2テモテ4:2)」 アーメン

ヨブ記3

「そのようなことがあった後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日を呪った。」ヨブ記3:1 妻に「神を呪って死になさい(2:9)」と言われたヨブ。 神を呪うことはありませんでしたが、自分がなぜ生まれたのだろうと嘆きます。 私たちも、落胆した時には前が見えなくなってしまいます。ヨブのように、辛い中でなぜ生きているのかと思うかもしれません。私も、同じような思いになったことがあります。暗闇のようでした。そして、自分自身が疲れはてていました。 しかし、そこにも主なる神はおられ、こう言われます。 「闇(4節)」には「光、あれ(創1:3)」と。 「力の萎えた者(17節)」には「憩い」を。 神の全能の力と尽きない恵みに感謝します。 祈り:神様、今日も私の人生にご計画があることを覚えて感謝します。闇の中にいるような試練の時、力なく疲れ果てた時でも、主が共にいてくださることを信じます。___さん、____さんが、そのことを体験できますように。 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます(マタイ11:28)。」 アーメン

ヨブ記2

「彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みが非常に大きいのを見たからである。」ヨブ記2:13 誰かから相談を受け、「うまく慰められなかった」「かける言葉が出てこなかった」ということはありませんか。 ヨブの友人たちも、一言も彼に話しかけることができませんでした。 ヨブの災難と変わり果てた姿を見、声をあげて泣き、服を引き裂きちりをまき散らし、悲しみを表すばかりでした。 ...でも、頭で考え、口先で慰めるより、じっと寄り添い、共に悲しむことが何よりの慰めになることもあります。 パウロはローマ人への手紙で、 「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい(ローマ12:15)」と勧めています。 「大変だね、辛いね」わかってくれる友人がいるなら、幸いですね。 祈り:神様、私の大変さを理解してくれる___さん、___さんという友人を与えてくださり感謝します。私も、共に寄り添える者となれますように。自分の常識や思い込みではなく、直ぐな心で接することができるよう、心をきよめ、聖霊によって成長させてください。アーメン

ヨブ記1

「そして言った。 『私は裸で母の胎から出て来た。 また裸でかしこに帰ろう。 主は与え、主は取られる。 主の御名はほむべきかな。』」ヨブ記1:21 今日からヨブ記です。約40日もかけてじっくり読むことの少ない書物かもしれませんが、ご一緒に読む機会が与えられて嬉しいです。 突然降りかかる数々の災難。今日のストレス尺度では最高レベルでしょう。 ヨブは平然としていたわけではありませんでした。20節を見ると服を引き裂き、頭を剃って地にひれ伏したと書かれています。 悲しみにうちひしがれる中、主の真実にすがり、21節の言葉を絞り出すように出したのかもしれません。 私たちに降りかかる災難は、東日本大震災のように突然やってきます。 突然でなくても、悲しい出来事、特に人との別れや死はやってきます。3月はまさに別れのシーズンですね。私自身もなかなか受け止めきれないと思うことがあります。神様の前に心備えて、ヨブのように告白できたら何と幸いでしょう。 祈り:神様、あなたの摂理の中で別れや死を受け止めることができるよう、助けてください。思いがけない出来事に右往左往してしまいます。あなたに信頼する祈りを告白できる力と信仰も与えてください。 今、愛する肉親を見送ろうとしている___ファミリー、____ファミリーに格別の力と励ましを与えてください。アーメン

エステル10

「実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。」エステル10:3 クセルクセス王が苦役を課した(1節)というのは、彼の権力の大きさを表しています。強大な権力のある王の次にはモルデカイがいた、というのは驚きです。 彼は誠実な人柄で、同胞に尊敬され愛されました。 また、人々の幸福と平和を求めました。 きっかけは、孤児になったエステルを見捨てず、養い育てたことでした。 一人のためにした誠実が、やがて国全体を任されることにつながりました。 私たちも今日ゆだねられている働きを、小さいものでも誠実に、主のために心をこめてできますように。 祈り:神様、あなたが私に割り当ててくださった働きを、いやいやではなく祈り心をこめて、丁寧にできますように。イエス様が 「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です(ルカ16:10)」 と言われたことに感謝します。小さなことに忠実であらせてください。アーメン

エステル9

「それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。」エステル9:21~22 「悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった」という劇的な主の介入は、早すぎもせず、遅すぎもしない、ちょうどその日に、ジャスト・タイミングで起こりました(1節「まさにその日に」)。 神様の助けがなかなか来ないと思うことがあります。「主よ、いつまでですか」と叫ぶことがあります。しかし、まさにその時、主は介入され働かれます。振り返ったときに、早すぎも遅すぎもせず、神の最善の時であることを学びます。 イスラエルでは、今も毎年プリムの祝いが行われています。2023年はちょうど今週、3月7日~8日でした。旧約聖書だけを信じるユダヤ教徒が、イエス・キリストこそ約束のメシアだと信じることができますように。 祈り:神様、あなたのタイミングに信頼します。ちょうど良いとき、まさにその時に、あなたが介入され祈りに答えてくださることに感謝します。 ベスト・タイミングで地上に来られ、救いの道を開いてくださったイエス・キリストを、ユダヤ教徒の人々が信じることができますように。私の家族や親戚の、無宗教・他宗教の____さん、____さんが信じることができますように。 東日本大震災で愛する家族を突然失った方々にも、主の慰めと助けが届きますように。 アーメン

エステル8

「モルデカイはクセルクセス王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、その書簡を、御用馬の早馬に乗る急使に託して送った。」エステル8:10 ユダヤ人を救う良い知らせは、急使が早馬に乗って全国に届けました。 その知らせを聞いた人たちは、どれほど嬉しかったでしょう! 私たちは、もっと良い知らせを持っています。それはキリストの福音であり、永遠のいのちを得る知らせです。 昨日はKBIの卒業派遣式でした。卒業・修了生たちが、急使のように福音を携え、日本と世界の各地に出て行きます。 同じように、私たちも一人一人が福音を携える急使です。今いるこの場所で、福音の良い知らせが周囲の人に届きますように! 祈り:神様、家族・親戚の___さん、___さん、____さん、____さん、____さんを救ってください。 近所の____さん、____さん、職場の____さん、____さん、いつもお世話になる____さん、____さんを救ってください。 今日も、福音の良い知らせを携えて出て行きます。自然なかたちで分かち合う機会を与えてください。アーメン

エステル7

「王妃エステルは答えた。『王様。もしも私があなた様のご好意を受けることができ、また王様がよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。』」エステル7:3 エステルは王に向かって大胆に命乞いをします。王はその願いを聞き入れます。そして悪巧みをしたハマンは滅ぼされました。エステル記の中でも、最も胸のつかえがとれるような「正義は勝つ」という場面です。 キリストは、私たちのために父なる神に命乞いをしてくださいました。永遠に続くいのちのために、です。 エステル記のユダヤ民族は悪いことはしませんでしたが、私たちは神の前には罪人でした。それなのに、もっと価値あるいのちが与えられました。 この重みと価値を、どのくらい実感しているでしょうか。実感していたら、福音を 知らない人に何とかして伝えたくなります。一度でも、どんな形でも、生涯で福音をきくチャンスに出会えますように。 祈り:神様、福音の意味と価値を、いま一度かみしめます。私がこの価値を心から実感し、まだ福音を知らない方々に紹介することができますように。キリストが命がけでくださった素晴らしいプレゼントを、一人でも多くの人が受け取れますように。アーメン

エステル6

「その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。」エステル6:1 モルデカイ個人にとっても、危機一髪の状況が迫っていました。その前夜、どういうわけか王は眠れず、年代記を読ませました。そしてモルデカイに栄誉を与えるようにと命じ、ハマンとの形勢が徐々に逆転してきます。 王が眠れなかったこと、それがきっかけでした。神の御手が背後にあり、小さなことが決定的な状況の変化につながっていきました。 私たちの日常でも小さな変化を主が起こし、それを通して語りかけておられることがあります。見過ごすか見過ごさないかは、私たちの霊性にかかっています。主の声に耳を傾けようとしているのか、立ち止まらず流れていくのか。主の声を聞き、主の御手に気づく者であれますように。 祈り:神様、この世界があなたの恵みで満ちていることに感謝します。今日の歩みの中であなたの働きとみわざに気づくことができるよう、私の霊の目、霊の耳を開いてください。信仰の弱っている___さん、____さんを励まし、霊のリバイバルを与えてください。アーメン

エステル5

「王が、中庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を得た。王は手にしている金の笏をエステルに差し伸ばした。エステルは近寄って、その笏の先に触れた。」エステル5:2 三日目に王の中庭に出ていったエステル。王妃の衣装を着て、死刑も覚悟しての行動でした。心の中で、あるいは小声で祈りながらの行動だったでしょう。 王は許してくれました。そして好意的に話しかけてくれました。まだ最終目的は果たしていませんが、第一段階は成功です。 神様は、私たちに一気にすべての道を開かれないかもしれません。一歩ずつ、踏みしめ進むように門を開かれることも多いです。 主の開かれるところに信頼し、信仰をもって歩めますように。 祈り:神様、あなたの開いてくださる門を一歩一歩進ませてください。先を見ようと焦りすぎることがありませんように。特に、海外渡航や来日を控えるクリスチャンのビザが適切な時期に、適切な方法で発給されますように。申請中の____さん、____さんを励まし導いてください。アーメン

エステル4

「もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」エステル4:14 先日牧師会で、山崎龍一先生から日本の教会史について語ってくださいました。 第二次世界大戦の当時、教会が沈黙したために治安維持法ができ、沈黙したために礼拝の中で天皇崇拝を強要され、沈黙したために弾圧を受けた経緯がありました。 再び同じことを繰り返さないよう、現在の諸課題に知恵をもって対処することが大切だ、と学びました。 モルデカイは「沈黙を守るなら、別のところから助けと救いが起こる」「しかし、あなたも、あなたの父のいえも滅びるだろう」と言いました。 さらに、「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない」とエステルを励まします。そして彼女は、命がけで行動することを決心します。 私たちが、知恵をもって発信し、声をあげることができるのはどんなことでしょうか。 祈り:神様、私の今週の歩みが無自覚に周囲に迎合するものでなく、目を覚ましてあなたのみこころを選びとるものでありますように。あなたの道とあなたの正しさを、あるときには優しく、あるときには勇気をもって証しできるよう助けてください。アーメン

エステル3

「急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はスサの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒を酌み交わしていたが、スサの都は混乱に陥った。」エステル3:15 ハマンの悪巧みにより、ユダヤ人を滅ぼす法令が発布されました。 都が混乱に陥っているのに、王とハマンは酒宴をしていた、と書かれています。混乱の当事者なのに、他人事のような態度ですね。 今日も、世界には自己中心的な政治家や経済リーダーがいます。 批判するのは簡単ですが、私たち自身をふり返る時、私たちも世界の災害や戦争、干ばつや食料不足で苦しむ人たちの痛みに無関心になっていないでしょうか。 自分の生活さえよければOK、といった態度になっているなら悔い改め、祈りに覚える者となりましょう。 私たちは神からこの地上の「よい管理者」としての管理を任されているのですから(創世記1章)。 祈り:神様、先日の世界祈祷日には台湾を覚えて祈りました。あなたが与えてくださった環境や資源を守り管理するためにも知恵を祈りました。 私が、自分のことだけでなく、痛んでいる世界の人々のために心から祈る者となれますように。人々を愛し、あなたに託された分を果たすことができますように。アーメン

エステル2

「このことがモルデカイの知るところとなり、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。」エステル2:22 エステルは王の目にかない、王妃として召し入れられました。彼女の誠実な人柄、欲のない姿勢が王だけでなく、世話役にも好意を与えました。モルデカイの教えも守っていました。 ある時王の暗殺計画が持ち上がり、モルデカイとエステルを通して明るみになりました。いきさつが記録に残され、それが後にモルデカイとユダヤ人を救うことになります。 誠実な生き方を、神は祝福してくださいます。その時には何も起こらなくても、神には覚えられています。文句や皮肉でなく、誠実な言葉を聖霊の助けによって出せますように。 祈り:神様、私を聖霊で満たしてください。私の心を造り変えてください。主にあって、人格も言葉も御霊の実を結ぶことができますように。 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。(ガラテヤ5:22~23)」アーメン

エステル1

「」エステル1: きらびやかな王宮の内装(6節)や盛大な宴会の様子で始まるエステル記は、当時のペルシア王国の繁栄を物語っています。 「神」の名が一切出て来ず、短編小説のように読める書巻なので、ともすればさっと読んで終わりがちです。が、この場面の背後には神の御手が確かにあります。 どのようにエステルが王宮に近づくか、策略を阻止するかは、まさに神のご計画でした。 私たちも今日、それぞれの場所で過ごします。悩みのある家庭、トラブルのある職場かもしれません。しかし、その場面設定の背後に神がおられることを信じ、神の御手が働いていることを信じましょう。 教会のおかれている地域、町内のためにもお祈りください。神様の采配があるのだと信じると共に、祈りで支えられる必要を覚えています。主のよいご計画がなりますように。 祈り:神様、あなたがおられないように見える時にも、あなたは確かにおられ、状況をすべて支配し、導いてくださる方です。今日も一日あなたに信頼できますように。教会の近隣地域、各々の住んでいる___地域にも主の平安とみわざがなされますように。アーメン

ネヘミヤ13

「...私の神よ、このことにおいても、どうか私を覚えていてください。そして、あなたの豊かな恵みにしたがって私をあわれんでください。」ネヘミヤ13:22 ネヘミヤは、神のおしえに人々が立ち返るために様々な働きをしました。不公平や不正が行われないようにも注意を払いました。 彼の行動力の源は、神への祈りと神に喜ばれることでした。報酬は人からでなく、神から与えられることを望みました。 13章には「神よ、私を覚えていてください」という願いが3回も出てきます。「私をあわれんでください」「いつくしんでください」と神に願っています。 この神との親しい関係が、驚くべき実行力の動機になったのでした。 私たちも、人の評価が得られない奉仕や働きが多いかもしれません。しかし神は知っておられます。そして、「神様、あなたはわかってくださいますね。どうか、私を覚えて報いてください」と祈る特権を与えられています。 祈り:神様、あなたを愛します。あなたに喜ばれ、あなたに「よくやった」と言われる生き方がしたいです。人に理解されず評価されなくても、あなたが見ていてくださり感謝します。あなたを愛し、日々忍耐強く仕えている____さん、____さんに、あなたの豊かなねぎらいがありますように。アーメン

ネヘミヤ12

「彼らはその日、数多くのいけにえを献げて喜んだ。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜んだので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」ネヘミヤ12:43 城壁の奉献式にあたって、感謝の歌をささげる聖歌隊が整えられました。 それに加えて、女も子どもも民が喜びの声をあげました。エルサレムから遠くはなれた場所まで、その声は届きました。 何と素晴らしい情景でしょう。 毎週の礼拝でも、賛美奉仕者だけでなく皆がささげる賛美は、主のもとに届いています。 福音の喜びの知らせは、エルサレムから遠く離れた私たちにまで届きました。私たちの喜びの声は、どこに届けられるでしょうか。地理的に遠いところだけでなく、近くにいても心理的・状況的に遠い人のところにも届けられますように。 祈り:神様、あなたに救われた喜びをかみしめます。私たちの賛美と感謝が、遠く海外だけでなく、すぐそばで孤独を感じている人たち、人生に絶望している人たちにも届きますように。トラクトやふとした出会い、ハプニングを用いてあかしの機会にしてください。 大阪狭山市をはじめ各々の住んでいる地域で、私たちを地の塩、世の光として用いてください。アーメン