投稿

Ⅰ列王記6−7

通読: Ⅰ 列王記 6–7;  ルカ2 0:27-47 「こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させた。」Ⅰ列王記6:14 何気なく書かれた一文の背後に、どれだけの労力と時間、財が費やされたかと思います。 小さな工事や普通の家屋を建てるのにも、私たちはあれこれ悩み、ハプニングに戸惑います。 まして、神殿を建てる大工事となれば尚更です。 淡々と書かれる工事の記録には、主の守りと導きがありました。 今、教会の周辺も工事が始まろうとしています。 規模や目的は違っても、工事の守りと、隣接する教会の存在が主の手に導かれることを信じてお祈りしましょう。 祈り:神様、あなたの守りで一つ一つが進みます。不安や混乱ではなく、主のご計画がなることに信頼します。アーメン

Ⅰ列王記3–5

通読:  Ⅰ 列王記 . 3–5;  ルカ . 20:1-26 「しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」 Ⅰ 列王記5:4-5 主に知恵を願ったソロモンは、その知恵を用いて主の宮、神殿を建てることになりました。 それは、ただ父から命じられたという理由でなく、彼自身も主に感謝して行おうとしたものでした。 この純粋な思いと信仰が、彼の生涯の最後まで続いたら...と読むたびに思います。 私たちも、信仰が揺らいだら原点に戻ることが大切です。 救われた時、召 された時の恵みを思い返すことができますように。 祈り:神様、恵みを忘れてしまいやすいものです。 もう一度原点に戻ります。これから記されるソロモンの心の変遷を反面教師としつつ、信仰にとどまり続けさせてください。アーメン

Ⅰ列王記1-2

通読: Ⅰ列王記1-2、ルカ19:28-48   「主が王とともにおられたように、ソロモンとともにいて、その王座を、わが君ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」 Ⅰ列王記1:37 祭司の祈りは、王の栄えよりも強さよりも、主がともにおられるように、というものです。 私たちは、自分の家族や親しい人に、功績や暮らし向きより、主がともにおられることを第一の価値として願っているでしょうか。 祈り:神様、一時的なものにでなく、永遠に続くものに価値を置くことができるよう、私たちの目を開いてください。点数よりも所有物よりも、もっと大切なものを大切にできますように。アーメン

Ⅱサムエル23–24

通読: Ⅱサムエル23–24; ルカ19:1-27  「ヒッタイト人ウリヤ。 合計三十七人。」Ⅱサムエル23:39 ダビデの生涯で「勇士」と呼ばれた人の名前、功績が列挙されています。 ...三人の勇士はペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、 こう言った。「主よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。」彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士は、そのようなことまでしたのである...(23:16-17) こうした勇士の働きがあったからこそ、ダビデは生き延び、王として治めることができました。 最後の節に、あのバテシェバの夫、「ヒッタイト人ウリヤ」の名が挙げられています。 戦死するよう仕向けられた彼は、王に最後まで忠実だった人です。 切なく、ダビデの汚点のしみのようです。 でも同時に、神が決して彼を忘れてはおられないということも、思い起こさせます。 祈り:神様、生きている時にはねぎらいのないこと、理不尽なことがあります。でも、あなたの目にはすべてが明らかで覚えられていることを感謝します。日本で伝道を続け、今は母国にいる宣教師たちに、あなたの豊かなねぎらいがありますように。アーメン

Ⅱサムエル21–22

通読:Ⅱサムエル21–22; ルカ8:24-43  「主のほかに、だれが神でしょうか。 私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。神は私の力強い砦。 私の道を全きものとされます。主は、私の足を雌鹿のようにし、 高い所に立たせてくださいます。」Ⅱサムエル22:32-34 ダビデの歌ったこのことばは詩篇18篇にも記されています。 王といっても、様々な危機や問題の連続でした。プレッシャーやストレスは、現代の猛烈ビジネスマンに匹敵するかそれ以上です。 ふっと気を抜いた時には、バテシェバを巡る罪を犯してしまいました。 目に見える敵だけでなく、霊的な敵の誘惑とも戦わねばなりませんでした。 そんな彼は、主は「私の力強い砦」だと宣言します。 そして「私の足を雌鹿のように」軽やかに引き上げ、「高い所に立たせてくださいます」と言います。 新年度から1ヶ月、疲れが出ているでしょうか。 霊的なリフレッシュが必要でしょうか。 どんなにストレスがあっても、主はその上から全てを俯瞰しておられます。 祈り:神様、あなたが全てをご存知で、私の今の問題への解決も、もっと大切な人生そのものも支配しておられることに感謝します。一時の問題で視野狭窄に陥らないよう助けてください。「私の足を雌鹿のように」し、砦であるあなたのそばで憩わせてください。アーメン

Ⅱサムエル19–20

通読: Ⅱサムエル19–20; ルカ18:1-23 「こうして、民はみなヨルダン川を渡り、王も渡った。王はバルジライに別れの口づけをして、彼を祝福した。それで、バルジライは自分の町へ帰って行った。Ⅱサムエル19:39 息子アブサロムと戦い、自らの息子が戦死し自分が勝利するという矛盾と悲しみは格別だったでしょう。 しかし、そのような中でも、ダビデは周囲の人々をあわれみ深く扱いました。 自分を呪ったシムイ、戦いに来なかったメフィボシェテをゆるしました。 自分によくしてくれた、高齢のバルジライへの感謝を忘れませんでした。 私たちは、心に悲しみと大きなストレスがある時はそれだけでいっぱいになり、自己憐憫と混乱に陥りやすいものです。 神様の広い視野が私たちを引き上げてくださり、主のよくしてくださったことを覚える者とされますように。 祈り:神様、忙しさや雑事、問題にばかりとらわれることがありませんように。あなたの恵みと良くしてくださったことを思い巡らし、新たな視野を開いて頂けるよう、今日も導いてください。アーメン

Ⅱサムエル16–18

通読: Ⅱサムエル16–18; ルカ17:20-37  「おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」サムエル記 第二 16:12 シムイという人がダビデを非難中傷して呪った時、ダビデはこのように言いました。 今のSNS時代、オンラインでの炎上や誤解は起こります。 そうでなくても、メールや書き込みの言葉に傷ついたことがあるかもしれません。 返信によっては、さらに事態が悪化しかねません。 特に、信仰のこと、聖書に関することについては、今日のダビデの対応を見習いたいものです。 主が心を知っておられること、怒りに任せず冷静でいること、主の祝福と報いを信じることです。 祈り:神様、非難中傷に心乱れ悲しむ者です。主が心を見てくださり、誤解を和らげ、よい解決で報いてください。アーメン

Ⅱサムエル14–15

通読: Ⅱサムエル14–15; ルカ17:1-19 「もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、主が良いと思われることをこの私にしてくださるように。』」サムエル記 第二 15:26 息子アブサロムが反乱を起こし、ダビデは急いで逃げなければなりませんでした。 その時、このように告白しました。 イエス様がゲッセマネで祈られた「みこころがなりますように」ということばを思い出します。 共通点は、神にゆだねるという姿勢です。 それだけではありません。ついてきたガテ人イタイへも配慮します。  「あなたは昨日来たばかりなのに、今日、あなたをわれわれと一緒にさまよわせるのは忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたの兄弟を連れて戻りなさい。恵みとまことがあなたとともにあるように。(15:20)」 砕かれた心、罪の悔い改めを通ってへりくだったダビデの姿勢に学びましょう。 祈り:神様、私にもへりくだりを与えてください。試練も過去への悔い改めも、砕かれた柔らかい心にされ、あなたに近づくために用いてください。アーメン

Ⅱサムエル12–13

通読: Ⅱサムエル12–13; ルカ16 「ダビデはナタンに言った。『私は主の前に罪ある者です。』ナタンはダビデに言った。『主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。』」サムエル記 第二 12:13 ダビデは、罪の結果に直面することにはなりました。 生まれた子はすぐ死にました。 また、ダビデの子どもたちがレイプの当事者となったり、その復讐をし合うという悲劇にも合いました。 もしかすると、自分の過去と重ね合わせ、心痛めたかもしれません。 けれども、ダビデは罪をナタンに指摘され、ただちに主の前に悔い改めました。 それで、主はダビデに赦しを与えられました。 先日、堕胎した女性へのカウンセリングを専門にしているクリスチャンとお会いしました。 罪の呵責と心の傷、トラウマに悩む女性たちが、神の愛を通して完全に解放される姿を見てこられました。 過去の罪を洗いきよめてくださる主のあわれみを感謝します。 祈り:「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。(詩篇51:17」神様、どうか私の心を探ってください。そして悔い改めとゆるしへの感謝で満たしてください。アーメン

Ⅱサムエル9–11

通読: Ⅱサムエル9–11; ルカ15:11-32 「ダビデは言った。『サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。』」サムエル9:1 ダビデはサウルの孫でもあるメフィボシェテに、ヨナタンの家族だという理由で真実を尽くしました。 足が不自由な彼でしたが、何をしたか、しなかったかではなく、ヨナタンへの恵みが彼に及び、王の息子のように王の食卓で食事をするようになりました。 しもべも与えられ、生活が保障されました。 神の救いも、これと同じような一方的な恵みです。 私たちが何をしたからではなく、神を信じたゆえに神の子とされ、御国で神の食卓につけるのです。 祈り:神様、あなたの子どもにしてくださる、主の食卓に招かれるものとしてくださり感謝します。あなたの恵みと親切な心を分かち合う機会を与えてください。アーメン

Ⅱサムエル6–8

通読: Ⅱサムエル6–8; ルカ15:1-10  「ダビデ王は主の前に出て、座して言った。『神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。』」Ⅱサムエル7:18 ダビデは王となり、主のために家を建てようとしました。 自分が杉の家に住んでいるのに、主の家がないではないか、と思いました。 その動機は良いものでした。 しかし、主は逆に、ダビデの家(家系)を堅く立てよう、と言われました。 ダビデは感謝の祈りをささげます。 王であっても、羊飼いであっても、立場や身分にかかわらず主は私たちを治め、恵みを注いでくださる方です。 私たちが悪い点数をとっても、退職しても、社会から取り残されたように感じても、主は変わらず恵みを与えてくださいます。 祈り:神様、「私をここまで導いてくださったとは」なんという恵みでしょう。感謝します。私がどのような状態でも、これからもあなたが導いてくださることを信じます。アーメン

Ⅱサムエル3–5

通読: Ⅱサムエル3–5; ルカ14:25-35 「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」 サムエル記 第二 5:12 サムエル記第一では、サムエルが主の語りかけを聴きました。 サムエル記第二では、ダビデが主にこのように立てられたことを知りました。 私たちには、今日主がどのように語り、今のところに置いてくださっているでしょうか。 そろそろ主にあって移動する時期でしょうか、あるいはじっととどまる時でしょうか。 自分の思い込みで先走ることないよう、あるいは現状維持に固執しないよう、 「主が」どう導いておられるか知ることができるよう、祈りましょう。 祈り:神様、私の人生、そして私の今日という日はあなたのものです。あなたに生かされています。主の日々の導きを受け取ることができるよう、私の霊を養ってください。アーメン

Ⅱサムエル1–2

通読: Ⅱサムエル1–2; ルカ14:1-24  「ダビデは、サウルのため、その息子ヨナタンのために、次の哀歌を歌った。」サムエル記 第二 1:17 戦死した王家のために、ダビデは哀悼の歌を歌います。 大親友のヨナタンのためだけでなく、自分の命を脅かしたサウルのためにもです。 それは「主に油注がれた方(1:14)」という理由でした。 人格や行動によらず、主がその立場に寘かれたからだした。 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。(ローマ13:1)」 「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。(出エジプト20:12)」 同じように、これらの立場の人を敬うよう、主はチャレンジしておられます。 祈り:神様、あなたが立てられた立場にある人を敬うことができるよう、私を整え導いてください。アーメン

Ⅰサムエル30–31

通読: Ⅰサムエル30–31; ルカ13:23-35  「ダビデは言った。『兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。... 戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。』」Ⅰサムエル30:23-24 ダビデの部下のうち、疲れ切って川を渡れなかったのが200人、追撃を続けたのが400人でした。同じ報酬は不公平に思うかもしれません。 でも、ダビデは待機した200人にも、また帰ってからユダの長老たちにも、戦利品を気前よく分け与えました。 ぶどう園のたとえを思い出します。 早朝から働いた人にも、午後遅くからの人にも、主人は同じ賃金を払いました。 神様の気前よさは、このような性質です。 自分の成功や業績を気前よく分け与え、何より主にお返しできるよう祈りたいと思います。 祈り:神様、すべてはあなたのものです。私たちが任された物質も、才能や技術も、すべて主から発しています。ダビデのような気前良い態度を与えてください。アーメン

Ⅰサムエル27–29

通読: Ⅰサムエル27–29; ルカ13:1-22  「ダビデとその部下は、翌朝早く、ペリシテ人の地へ帰って行った。ペリシテ人はイズレエルへ上って行った。」Ⅰサムエル29:11 ペリシテ側についてイスラエルと戦うために、ダビデと部下たちは出ていきました。 ダビデも忠誠を示しました。 ところが、ぺリシテ人の領主たちのは、ダビデが裏切るのではと反対しました。 それで、ダビデたちは引き返すことになりました。 これも神の守りと言えます。 自分の民と戦うことが避けられました。 また、その土地にとどまっている家族に危機が及んでいたので、早急に救う必要がありました(戻ってみてわかります、30章~)。 私たちも、自分の知らないところで、神の守りとご計画がなされていることを信じ感謝しましょう。 祈り:神様、あなたの守りと確かな采配を感謝します。私の思いを越えて主のご計画があることを信じ、祈り続けます。アーメン