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使徒3

「そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。」使徒3:20 キリストは神のひとり子であり、父なる神のしもべとして来られました。 そして、信じる人のうちにキリストの霊である聖霊を送ってくださいます。 さらに、終わりの時に王として再び来られます。 王様として迎える日の情景を思い浮かべると、心踊ります。 祈り:神様、キリストの来臨の恵み、再臨の望みに感謝します。あなたにより近く歩めますように。アーメン

使徒2

「そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」使徒2:46~47 3千人がクリスチャンになっても、劇的な奇跡が行われても、教会は華々しい「成果」だけの集まりではありません。 「心を一つに」すること、 「喜びと真心をもって」交わりをすること、 「神を賛美」すること、 「民全体から好意を持たれていた」ことが、 教会の麗しい姿です。 イエス様が言われたように、この世から分かつのではなく、この世にあって主の守りのうちを歩むのが教会であり、クリスチャン生活です。 この初代教会のスピリットは今日まで変わりません。 祈り:神様、私たちの教会を、初代教会に見られる麗しい姿としてください。私の心を探り、霊において一致できるように助けてください。アーメン

使徒1

「そしてこう言った。『ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。』」使徒1:11 昔から、「○月○日に災害が起こる」とか「○○になる」というデマは尽きませんでした。 人々の不安や心配をあおり、社会がパニックになることもあったようです。 実際のところは、誰も思っていないタイミングで災害が発生することが多いのです。 聖書はキリストの再臨について「いつ」とは語っていません。 しかし、イエス様が天に上って行くのを見たのと同じように、また来られるーー これは確かなことです。 思わぬタイミングでも、日々心を整え期待できる者でありますように。 祈り:神様、イエス様の再臨は恐ろしいものではなく、希望と喜びに満ちた時です。その日まで、私の生き方、信仰、証しを導き教えてください。アーメン

ヨハネ21

「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。」ヨハネ21:25 ヨハネの福音書の最後の部分は、なんとかして信じてほしいという弟子ヨハネの熱意が感じられます。 書かれた証しが真実だということを証言していること(24節)、そして世界が記録を収めきれないほど多くのことをイエス様がなさったこと(25節)を述べます。 弟子ヨハネは、やがて福音のために島流しに会います。 しかし、そこで黙想し思い巡らしたイエス様の姿と今も生きておられる希望は、彼を励まし続けたでしょう。 やがてもう一度イエス様が来られるという希望の黙示録も、彼の証しに生きた人生を通して主が与えてくださったものです。 祈り:神様、弟子ヨハネは証しの生涯を送りました。私はどのように証しをし、主の足跡を歩むことができるでしょうか。功績でもタイトルでもなく、主の証し人、キリストに従う者としてのアイデンティティを日々確認して歩めるよう、導いてください。アーメン

ヨハネ20

「イエスは再び彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。』」ヨハネ20:21 イエス様が言われたことばをどのように受け取っているか、問われます。 はじめの「平安があなたがたにあるように」は感謝して受け取れます。 しかし、後半の「わたしもあなたがたを遣わします」という宣言は見落としがちです。 受けるばかりでなく「与える」ことを主は望まれます。 そのひとつが「遣わされる」ことです。 大それたことではなく、今日すぐそばにいる隣人に、あるいは久しぶりに会った友人に、私たちは遣わされていると言えます。 その人に寄り添うことが、主の恵みの福音が広がるきっかけかもしれません。 祈り:神様、今週私が話しかける人、連絡をとる人を教えてください。あるいは祈りながら時を待つべきでしょうか。主の導きに従います。アーメン

ヨハネ19

「これを目撃した者が証ししている。それは、あなたがたも信じるようになるためである。その証しは真実であり、その人は自分が真実を話していることを知っている。」ヨハネ19:35 ヨハネは十字架のそばに立っていました。そして、イエスの母マリアの世話をするようにと託されました(26~27節)。 彼は見たものとして証ししました。 他にも、恐る恐る信仰を表明する人が出てきました。 ユダヤ人を恐れて信仰を隠していたアリマタヤのヨセフは、思いきってイエスのからだを自分の墓に入れることを願い出ました。 夜こっそりイエスのところに来たニコデモは、イエスのからだに塗る香料をたっぷり持ってきました。 失敗、敗北でしかないと思えた十字架のもとに、勝利の兆しをヨハネはほのめかして記述しています。 世界を見渡しても、信仰を抑圧され、敗北したかに見える地域があります。 しかし、その迫害の中に大きなリバイバルが起こっている国や地域があることを覚えます。 祈り:神様、キリストのもとに平安と勝利があります。どうか迫害の中にある地域と信仰者を励ましてください。また、日本の中でも家族や地域の因習の中で信仰を守る一人一人に、格別の守りと証しを与えてください。アーメン

ヨハネ18

「ピラトはイエスに言った。『真理とは何なのか。』 こう言ってから、再びユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。『私はあの人に何の罪も認めない。』」ヨハネ18:38 ピラトはイエスに罪がないことを知っていました。真理についても関心を持ちました。 しかし、真理よりも自己保身を求めました。 それゆえに、使徒信条で「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と言われるように、無実のイエスを十字架刑にした者として名前が残ってしまいました。 自己保身のために歪めているものがないでしょうか。 また、無実の罪で虐待され拷問されている、クリスチャンや少数民族のためにも祈りたいと思わされます。 祈り:神様、自己保身に走り、他者のせいにしたり事実をゆがめたりする私の傾向をゆるしてください。また、今日も抑圧され生命の危機に脅かされている信仰者や少数民族に、福音による励ましと主の超自然的な守りがありますように。私にも祈ることを教えてください。アーメン

ヨハネ17

「わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」ヨハネ17:15 十字架にかかる前に、イエス様がこれほどまでに心を注ぎ、私たちのために熱心に祈ってくださったことは注目に値します。 「彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです(21節)」 「あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです(26節)」 そして、 「わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです(15節)」と祈ってくださいました。 今日もイエス様が変わらないこと、共にいて下さることがわかります。 また、神の愛が信じる者のうちにいつも注がれているので、私たちにそれを流し出すよう望まれていることも確認できます。 祈り:神様、あなたがどれほど世を愛し、私を愛して下さったかを覚えて感謝します。苦難があっても守られるよう、今日も助けてください。私の霊と心を主にあって支えてください。 アーメン