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詩篇67

「神が私たちを祝福してくださり 地の果てのすべての者が 神を恐れますように。」詩篇67:7 福音宣教と、自らも神の祝福を受けることとは矛盾しないようです。 神の恵みを受け取り、十分に感謝し味わうことで、ますます福音の素晴らしさを分かち合いたいという願いも強くなるのかもしれません。 一昨日、アメリカの友人から小包が届きました。 開けてみると、スタディーバイブル(解説つきの聖書)とカードが入っていました。 なかなか買う決心がつかない私のために買い求め、梱包し、高い送料を払って送ってくれたのでした。 しかも皮装の質の良いものでした。カードには「あなたは神の国の大切な娘よ」と書かれていました。 素敵な贈り物をしてくれた友人に感謝すると共に、神様が彼女を通して恵みと励ましをくださったことを覚えます。そして、私も信仰の友を励ましたい、福音の恵みをもっと分かち合いたい、と思わされました。 神様の恵みと祝福は、私たちの今日という日常に満ち溢れています。 祈り:神様、あなたの恵みと祝福を数えます(詩篇103:2)。今週も______という恵み、______という祝福を頂いていることを感謝します。受けた恵みに感謝し、私も福音の素晴らしさと感動に促されて恵みを流し出していくことができるように。アーメン

詩篇66

「神よ まことに あなたは私たちを試し  銀を精錬するように 私たちを錬られました。」詩篇 66:10 錬ることは銀の割合を純粋にします。クリスチャンも同じです。もちろん、働き人も例外ではありません。神様から錬られるごとに、私たちの動機が探られ、心がどれほど純粋に主に向かうかに変化が訪れます。 「自分が」というのではなく、神の御名がどれほど高められるかに関心が向かっていくのです。自分自身はそのための小さな存在であり、それでも主の手足として使っていただける恵みを実感するようになります。 今日の詩篇の11、12節には 「私たちは 火の中 水の中を通りました。   しかし あなたは私たちを 豊かな所へ導き出してくださいました。」 と、試練には終わりがあり、その後には平安と喜びの豊かさがあることが歌われています。 さらに、後に与えられる報いも保証されています。 「試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします(1ぺテロ1:7)。」 祈り:神様、試練を通して私たちの動機を探ってください。心が精錬され、純金・純銀のように純粋にきよめられたいです。今試練を通っている___さん、___さんに主の平安と大きな報いがありますように。アーメン

詩篇65

「あなたはその年に 御恵みの冠をかぶらせます。 あなたの通られた跡には 油が滴っています。」詩篇65:11 主の恵みと備えへの感謝があふれ出る詩篇です。 「その年に恵みの冠をかぶらせる」とは、とてもすてきな表現ですね。 今生きているこの年に、主が恵みの冠をかぶらせているところを想像してみてください。 元々は収穫感謝の時期に歌われたと考えられていますが、収穫の時期にかぎりません。 日々与えられているもの、備えられている事が、恵みの冠のもとで主によってなされているのだと考えると、毎日がかけがえのない24時間に思えてきます。 祈り:神様、平凡な一日の中にも、恵みが滴り落ちるほどに注がれていることに感謝します。兄弟姉妹の今日一日が、主の恵みの冠を頂いて歩んでいるのだという喜びにあふれますように。恵みの主に感謝します。アーメン

詩篇64

「正しい人は主にあって喜び主に身を避けます。 心の直ぐな人はみな 誇ることができます。」詩篇64:10 悪事を企み、うまくいったと思っている人たちの「内なる思いと心とは 底が知れません(6節)」というほど狡猾で悪賢いものです。 しかし、「神が彼らに矢を射掛けられるので 彼らは不意に傷つきます(7節)」。 人の力では悪事を暴くことが難しいと思われた事柄が、思いがけないところから綻びるのです。 そして「彼らは自らの舌につまずきました。 彼らを見る者はみな 頭を振って嘲ります(8節)」というほどになります。 今日、なんと悪巧みや欺瞞があふれているでしょう。 そうした時には主に身を避けましょう。 やがて、心の真っ直ぐな人は神にあって恵みを誇ることができるよう、ねぎらわれるという約束を信じて、ひとときの嵐が過ぎるのを祈りながら期待しましょう。 祈り:神様、理不尽なことや策略にはまり不当に扱われたことは、あなたがご存じです。復讐は、私ではなくあなたの御手にゆだねます。私に、ただあなたの陰に身を避けることを教えてください。今週も職場、学校、地域、それぞれの場所に出ていく兄姉一人一人をお守りください。アーメン

詩篇63

「神よ あなたは私の神。 私はあなたを切に求めます。   水のない 衰え果てた乾いた地で 私のたましいは あなたに渇き   私の身も あなたをあえぎ求めます。   私は あなたの力と栄光を見るために こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。  あなたの恵みは いのちにもまさるゆえ 私の唇は あなたを賛美します。」      詩篇63:1~3 教会でよく賛美する「主よ あなたは私の神~♪」、「あなたの恵みは いのちにもまさるから 私の唇は 主よ あなたを賛美します♪」の曲を口ずさみたくなります。 この詩篇はダビデがユダの荒野に逃れていた時の歌というのですから、どんな苦境でも賛美と祈りをささげることができると、彼はあかししてくれています。 「それゆえ私は 生けるかぎりあなたをほめたたえ あなたの御名により 両手を上げて祈ります(4節)」というダビデにならって、私たちも今日の礼拝で主を賛美し、手を上げて祈りましょう。 祈り:神様、あなたの恵みは限りなく、あなたの栄光は素晴らしいです。私に口が与えられているのは賛美するため、両手はあなたをたたえるためだと受け取ります。皆で集まる礼拝も、帰宅しての個人礼拝でも、あなたを力一杯賛美することができるよう導いてください。アーメン

詩篇62

「私のたましいは黙って ただ神を待ち望む。 私の救いは神から来る。」詩篇62:1 以前述べたかもしれませんが、いても立ってもいられないような気持ちになった時、 つい無駄な動きをして状況が余計に悪化したり、疲れ果てたりしがちです。 しかし、ダビデはたましいを黙らせることを自分に言い聞かせています。 「私のたましいは黙って」、救いの「神を待ち望む」ように、と。そして実際にそうしました。 命を狙われても、わが岩、わが救い、わがやぐらである神により、「私は決して揺るがされない」(2節)と宣言しています。 私たち夫婦は、昔神学校の先生がおっしゃっていた「肉にある時はなにもするな」 という言葉をしばしば思い出します。 じたばたせず、神を待ち望むことの大切さを教えてくださったのだと思います。 祈り:神様、あなたが私の岩、私の救いであることを覚えて感謝します。思い煩い騒がしく動く私の心を、主にあって静めることを教えてください。黙してあなたを待ち望むことができますように。アーメン

詩篇61

「どうか王のいのちを延ばし その齢を代々に至らせてください。 王が 神の御前でいつまでも 王座に着いているようにしてください。」。」詩篇61:6,7 前半では「私の心が衰え果てるとき 私は地の果てから あなたを呼び求めます。 どうか 及びがたいほど高い岩の上に 私を導いてください」と自分の守りを祈っています。 ところが後半では王のためにも祈っています。 ダビデにとっての王とは誰でしょう? サウルに他なりません! ダビデの命をねらい、ひどい仕打ちをしたサウルのために祝福を祈っているのです。 イエス様も、十字架につけた人々のために祈られました。 私たちも、周りの人はもちろん、自分とそりが合わない人のために何らかの祈りをささげることができるか考えたいと思います。 祈り:神様、私に日々の必要と恵みをお与えくださり感謝します。普段、なかなか祈れない___さんや___さんのために、今日は祝福を祈ります。主が目を留め、その方々の信仰を励まし霊性を強め、あるいは主との出会いを与えてください。 私の苦い心をあなたにおゆだねします。アーメン

詩篇60

「あなたは あなたを恐れる者に 旗を授けられました。 弓から逃れた者をそこに集めるために。  セラ」詩篇60:4 今年は、狭山池の桜を見るためにインバウンドの旅行者が多く訪れていました。 「こんな郊外にまで」と驚きました。 ガイドが持つツアーの旗を目印に、周辺の道路を歩いておられました。 日本語のあまりわからない方もいるようでしたが、旗から目を離さなければ迷わずについていくことができます。 「弓から逃れた者をそこに集めるために」、「あなたを恐れる者に旗を授けられました」とダビデは歌います。弓から逃げた後、安全な場所へ導くための旗です。 神様は、私たちの人生の歩みを旗で導く方のようです。 その旗が見える方向に歩んでいれば、迷うことなく安全です。 もし視界から消えたら、それは旗がないのではなく、私たちの方向が誤っているのです。旗が見える方向に修正することが求められます。 今日も、神様の旗が見えているでしょうか。 祈り:神様、あなたをいつも見ていたいです。みことばに聞き、祈りの中で語られるか細い声を聞くことができますように。ボタンをかけ違えないように、早い段階で修正して向きを変えることができるように導いてください。アーメン