投稿

1月, 2022の投稿を表示しています

創世記31

「『あなたがご自分の神々をだれかのところで見つけたら、私はその者を生かしておきません。私のところに何があるか、私たちの一族の前で、ご自分で調べてください。そして持って行ってください。』ヤコブは、ラケルが盗んだことを知らなかったのである。」創世記31:32 自信たっぷりのヤコブ。しかし、実はラケルがテラフィムを盗んでいました(19節)。ヤコブは危うく、愛する妻を失うところでした。 自分が正しいと思っても、知らないことや間違えていることがあります。全てを知っておられるのは神のみです。 間違えたときは率直に謝り悔い改め、互いに許しあい違いを楽しめたら、どんなに素晴らしいでしょう。 祈り:神様、あなただけが全てを知っておられることを感謝します。私を勝手な思い込みから解放して下さい。互いの違いを楽しみたいです。何よりも、みことばに聴き、謙遜な思いで歩むことができますように。アーメン

創世記30

「神はラケルに心を留められた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。」創世記30:22 熾烈な競争がレアとラケルの間に続きます。ヤコブや子どもたちへの愛情よりも、ライバル心と所有欲が勝っているとさえ感じられます。 これは他人事ではありません。私たちも、家や車、子どもの成績、自分や配偶者の社会的地位、家系、学歴、能力や賜物を比較し、誇ったり落ち込んだりしがちです。 しかし、「心を留め」与えてくださるのは神だという視点なしに、満たされることはありません。すべては神のもの、私たちは管理をゆだねられているという視点を持つ時に、感謝と深い満足がやってきます。 祈り:主なる神様、あなたが万物の創造者であり所有者であることを覚えて感謝します。私たちを比較のわなから解放し、あなたが与えてくださっている恵みを受けとり、満足できますように。この瞬間の心臓の拍動さえ、あなたの恵みによるものです。感謝し栄光をあなたにお返しします。アーメン

創世記29

「主はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれたが、ラケルは不妊の女であった。」創世記29:31 その地方には、上の娘が先に結婚しなければならないという風習があったようです。でもわずか一週間で妹が同じ人の妻となり、しかも自分より愛されているとわかったら、これほど辛いことはありません。気の毒なレア!でも主は忘れておられませんでした。そして、嫌われているはずのレアから、レビ(レビ人の家系)やユダ(イエスキリストの家系)が生まれたのでした。 祈り:神様、私たちは勝手な理由で他人の好き嫌いをします。誰かのことをを苦々しく感じるなら、私の利己的な面を悔い改めます。どうぞ広い心に造り変えて下さい。また、たとえ誰かに辛く当たられても、主が変わらず愛して下さることを感謝します。この主の愛に憩えますように。アーメン

創世記28

「すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。」創世記28:12 結婚相手を探すとはいえ、実際には兄からの逃亡の旅でした。どんなに心細かったでしょう。しかし、主はどこにいても共にいることを知らせてくださいました。 ヤコブは御使いが「はしご(階段)」を上り下りするのを見ました。私たちにも同じ主がおられ、仲介者キリストを通していつもはしごを上り下りするように祈りが聞き届けられています。 祈り:天の神様、この瞬間もイエス・キリストを通してあなたとホットラインでつながっていることを感謝します。心にあることを素直に話すことができますように。うまく祈れない時は、聖霊様が私に代わってお話しください。兄弟姉妹のそれぞれが、今日も主の臨在を実感できますように。アーメン

創世記27

「イサクは、その子に言った。『どうして、こんなに早く見つけることができたのかね、わが子よ。』彼は答えた。『あなたの神、主が私のために、取り計らってくださったのです。』」創世記27:20 約束の子としてアブラハムに与えられたイサク。その家庭も完全ではありませんでした。 父イサク:弟ヤコブが主の選びの器と聞いていたのに、自分が可愛がっている兄のエサウを祝福しようとしました。 母リベカ:イサクをだます作戦を練りました。「のろいは私の身にあるように(13節)」とまで言っています。 兄エサウ:だまされて激怒し、弟を殺そうとしました。彼が迎えたヒッタイト人の妻は、両親の悩みの種となっていました。 弟ヤコブ:ためらいはあったものの、母の言葉に沿って策略を実行しました。そのため逃亡しなければなりませんでした。 共通するのは、全員が自分の感情と判断に頼ったことです。もし誰か一人でも神の前に静まり御声を聴いていたら、違う方法で神の祝福が受け継がれたかもしれません。今日、家族のために、教会のために、学校や職場のために、主の御声を求めます。 祈り:天の神様、あなたの御声を聴きたいです。ざわざわする私の心をあなたが治め、私が御前に静まることができるよう助けて下さい。性急な判断から守り、みこころにかなった判断がができるように助けて下さい。アーメン

創世記26

「主はその夜、彼に現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。』」創世記26:24 …イサクは飢饉にあい、引っ越し、ゲラルでよそ者として住み、妬まれ追い出され、再び引っ越し、井戸を整備するたびにトラブルになり、そのたびに引っ越しました…。悪い出来事だけを抽出すると、このとおり苦労続きです。どこが祝福された人生なのでしょう。 しかし主の目には、私たちが日常直面するトラブルよりも、世代を超えた大きな祝福が見えています。アブラハムとの約束は、彼の死後も確かに続きました。私たちの祈りにも、主なる神様は世代を越えて答えて下さる方です。 祈り:神様、次の世代のために祈ります。私たちの子ども、孫、そのまた子どもがキリストと出会い、十字架の恵みを体験し、神に信頼して人生を歩むことができますように。教会の___さん(顔の浮かぶ人の名前)の子ども、お孫さんが福音を受け取れますように。私たちの祈りが、祝福の遺産となると信じて祈ります。アーメン

創世記25

「ヤコブがエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を侮った。」創世記25:34 疲れた時にふらふらと買い物に行くと、冷静な判断ができず変な買い物をしがちです。 疲れた時や追い込まれた時に、人は正しい判断ができなくなります。この時、エサウは野から帰って来て疲れきっており(29節)、「死にそう」(32節)でした。長子の権利を売るのは、財産や特権の大きな損失を意味していましたが、エサウはわずかな煮物と引き換えにしました。このタイミングですから、少し気の毒な気もします。でもここまで彼が疲れ果てていなければ、長子の権利を譲るのがみこころだとしても、もう少し違ったやり方になっていたのではないかと思います。 祈り:神様、疲れると行き当たりばったりの判断をしがちな私です。自分自身の日々の状態を見張る知恵を与えて下さい。 そして、主にあって愛する____(お名前)さんが今疲れておられます。彼(彼女)が主の元に憩い重荷を下ろすことができますように。回復と深い喜びを主ご自身から豊かに頂くことができますように。アーメン

創世記24

「そうして言った。『私の主人アブラハムの神、主よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。』」創世記24:12 忠実なしもべの姿がここに記されています。 まず主人の祝福を祈っていること(12節)。長年仕えていたので、彼はアブラハムの欠点や弱さも知っていたでしょう。それでも誠実に仕え続け、全財産の管理を任されるほどの(2節)信頼を得ていました。 そして、付け加えることも省くこともなく、経緯そのままを伝える誠実さ(34-49節)。そこには憶測や誤解の入る余地がありません。 私たちも、やがて主から「忠実なしもべよ」と言っていただけるように、このしもべから学び実践できますように。長年の人間関係で相手の嫌なところが見えた時には、非難や愚痴ではなく「祈り」に変えたいと願います。 祈り:主よ、私たちの口を守って下さい。「自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです(ヤコブ1:26)」。大げさなうわさ話や不確かな情報に惑わされず、自分の舌を制御できるよう助けて下さい。聖霊の力で、主に喜ばれる選択を一人ひとりが今日できますように。アーメン

創世記23

「その後アブラハムは、マムレに面するマクペラの畑地の洞穴に、妻サラを葬った。マムレはヘブロンにあり、カナンの地にある。」創世記23:19 書かれているのは、妻の死を悲しみ、墓地を探すアブラハムの姿だけでしょうか。畑地を高い値段で買わせるヒッタイト人とのやり取りだけでしょうか(彼らの慇懃丁寧な物言いには、からかいが含まれているそうです)。 いいえ。主が与えると約束されたカナンの地に、この瞬間最初の所有地が与えられました。神の約束が一歩前進したのです。そして、墓地には家族代々を葬る習慣がありましたから、子孫も葬りごとにこの地に戻ってくるという未来が現れています。サラの死という悲しみは、大きな大きな主の御手に抱かれていました。 祈り:「主の聖徒たちの死は 主の目に尊い(詩篇116:15)」。神様、どんな悲しみの中にも、あなたの深いご計画があることを信じ受けとります。教会の墓地の他、召天式、納骨式や記念会が、その度ごとあなたの栄光を告げ知らせる時となりますように。私たちの家族親族に、救いとリバイバルを起こしてください。アーメン

創世記22

「御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」創世記22:12 異国の偶像崇拝では子供をささげていました。しかしよりによって、愛の神がアブラハムにそれを要求されるとは。私たちはうろたえ、とまどいますーーもちろん、直前でとどめられ、息子イサクは助かったのですがーー。 これは「何よりも神を愛するか」というアブラハムへの信仰のテストでした。 何とひどい神か、辛すぎる、とつまずきを覚えるかもしれません。しかし、私たちのために、逆に神の側が同じことをしてくださったのです。ひとり子イエスを犠牲にされるという、考えられないほどの痛みと犠牲のゆえに、救いの道が開かれたのです。私だけでなく、あの人この人のためにもです。この原点に戻り、神の愛を受けとり実感することができますように。 祈り:神様、私たちを限りなく愛してくださり感謝します。「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか(ローマ8:32)」。あなたの恵みの中で今日も生きていきます。アーメン

創世記21

「神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。」創世記21:17 直前にハガルは「声をあげて泣いた」のでした。主人の思いのままにされたあげく見捨てられたのですから。不条理で悔しく情けなく、絶望的な状況でした。 ところが神はこの泣き声ではなく、少年の声を聞いた、と言われました。神にはハガルの泣き声も聞こえていましたが、それより大切なことを思い出させて下さったようです。それは彼がアブラハムの息子であり、アブラハムの子孫は増え広がるという神の契約でした。近視眼になりがちな私たちを、神はもっと遠大なみこころへといざなって下さいます。 祈り:神様、目の前の問題にとらわれて一喜一憂する私たちです。あなたのみこころが見えなくなることがあります。どうか私たちの目を開き、ハガルが水を見つけたようにあなたの恵みと導きに気づかせて下さい。今日主の恵みを数えることができますように。アーメン  

創世記20

「アブラハムは、自分の妻サラのことを『これは私の妹です』と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。」創世記20:2 どこかで読んだような…。そう、エジプトに入る時にも、彼は妻に「私の妹だと言ってほしい」(12:13)と言いました。なぜ同じ失敗をするのか、と思います。でも、まさにこれは私たちの姿ではないでしょうか。やめようと思っても、同じパターンで考え行動し、神に喜ばれないことをしてしまいます。私たちは広い心で他人をゆるしているつもりです。しかし、7を70倍するまでゆるされなければならないのは、実は私たち自身です。 祈り:神様、罪深いパターンをつい繰り返してしまう私です。ゆるして下さい。私の思いを、口を、行動を、古い肉の性質から作り替えて下さい。御霊の実(ガラテヤ5:22、23)をいただいて、周りの人や主にある兄弟姉妹を、励まし建て上げる者とならせて下さい。アーメン

創世記19

「彼はためらっていた。するとその人たちは、彼の手と彼の妻の手と、二人の娘の手をつかんだ。これは、彼に対する主のあわれみによることである。その人たちは彼を連れ出し、町の外で一息つかせた。」創世記19:16 悪が満ち、罪深い風習で乱れていたソドムとゴモラの町で、ロトの常識も流されそうになっていました(8節)。それでも、彼のいくらかの信仰とアブラハムの祈りを、神は覚えておられました。 アブラハムは煙の上がる町を見ました。正しい人が10人もいなくてショックだったでしょう。ロトの安否も気がかりだったはずです。そんな中でも彼の祈りは聞かれ、ロトは生きていました。 祈り:あわれみ深い神様、あなたの愛と忍耐を感謝します。ソドムとゴモラと同じように滅びるしかなかった、罪深い私たちを救って下さいました。その背後には誰かの祈り、手をとって下さる神の愛がありました。福音を受け入れるかどうかは、いのちがかかる厳粛な事柄です。この事実を覚えつつ、今日--------さんのために背後で祈らせて下さい。アーメン

創世記18

「また彼は言った。『わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。』すると言われた。『滅ぼしはしない。その十人のゆえに。』」創世記18:32 ソドムとゴモラが滅ぼされると聞いたアブラハムは、その町にせめて 50人、45人、40人、…10人でも正しい人がいれば滅ぼさないで下さいと主に嘆願し、聞き入れられました。甥のロト家族のいる町のためにとりなしたのでした。 私たちが家族や地域のために祈る祈りは、今日も神に覚えられています(主はサラの心さえ読み取られる方だから、拙い言葉で祈っても心配いりません)。 トンガ噴火をきっかけに、震災の経験がフラッシュバックされている方たちのためにも神様の守りを祈ります。 祈り:神様、あなたが私たちをとりなし手として今の家庭、地域、職場、学校、病院…に置いておられることを受け取ります。今いる場所、これから出向く場所に、救いと神の祝福がありますように。遠くても、心にとまる__(地域)のためにも祈ります。私にとって苦手な人のためにも祈れるよう、力と助けを与えて下さい。主が今日も兄弟姉妹を励まし送り出して下さい。アーメン

創世記17

「あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。」創世記17:11 チェックリストに✔︎をつけると気持ちがよいです。でもチェックマークを書くこと自体が重要なのではなく、内容そのものが完了したということが最も大切です。 それと同じで、見える身体の割礼よりも大切なのは「心の包皮に割礼を施す(申命記10:16)」ことです。パウロも「外見上のからだの割礼が割礼ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼(ローマ2:27〜28)」だと説明しています。 キリストを救い主と信じ、罪を悔い改めて新しいいのちを得た人は、御霊による心の割礼を受けています。 祈り:イエス様を救い主と信じた時に、私は主のものとされ、救いが完了していることを感謝します。今週もこの恵みを生きることができますように。見えるものだけに気が取られそうな時には、聖霊様が私の心の目を開き、本当に大切なことに気づかせてください。アーメン

創世記16

「そして言った。『サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。』すると彼女は言った。『私の女主人サライのもとから逃げているのです。』」創世記16:8 「あなたはどこから来て、どこへ行くのか」。主は全てご存知なのに、あえてハガルに尋ねてくださいました。ハガルの言葉を聞いた後「女主人のもとに帰りなさい。そして身を低くしなさい」と言われました。ハガルが思いを神の前に出した時、神様はみこころを語ってくださいました。神様は私たちにも同じく、親しい対話を持ちたいと望んでおられます。 祈り:神様、私たちの痛みを知ってくださり感謝します。ひどい扱いを受けたり、悲しみでどうしようもなく絶望的な思いになったり、疲れ果てたりした時、「どこから来て、どこへ行くのか」と尋ねてくださる主と深く対話できますように。そして、今疲れ痛んでいる___さん(名前を入れてください)の上に、神様の計り知れないいやしと平安が臨みますように。アーメン

創世記15

「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」創世記15:6 アブラムが主の目にかなうことをしたから、素晴らしい人格だったから、ではなく、主の約束を信じたことが「神にとっての義」となりました。 福音はまさしくそうです。キリストを自分の救い主だと信じるだけで神の前に義と認められます。よい行いや品性は、義と認められ救われた喜びからやってきます。 主を見上げて共に成長の途上にある者たちの集まりが教会です。牧師も役員もリーダーも、信仰生活の長い人も短い人も、完全な人はいません。不完全なお互いを、神のゆるしを受け取ってゆるし合える、これもまた恵みです。 祈り:神様、信じるだけで救われたことを感謝します。あなたの大きなゆるしを受け取りました。私たちも互いにゆるし合い、主にあって励まし建て上げる教会として歩めますように。頭であるイエス様を見つめ続けさせてください。アーメン

創世記14

「また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。」創世記14:18 メルキゼデクはサレム(「平和」、シャローム。エルサレム)の王であり祭司でした。彼は後に来られる救い主の「型」と言われ、キリストがどんなお方かを示しています(ヘブル7:1~2)。彼の「型」から、キリストが平和の王であり祭司であるということがわかります。 メルキゼデクが自覚していたかどうかにかかわらず、彼は救い主を指し示す者として用いられました。私たちも自分では気づかない時(弱く落胆している時でも!)、思いがけない主のご用に用いられているのかもしれません。 祈り:神様、あなたの恵みを感謝します。私たちの存在が主の前に覚えられていることを感謝します。キリストの香りを放つ者として、日々整え導いてください。アーメン

創世記13

「その地は、彼らが一緒に住むのに十分ではなかった。所有するものが多すぎて、一緒に住めなかったのである。」創世記13: 6 両者が共に住むには家畜の数が多すぎたのでしょう。「生前整理」「断捨離」が流行する日本でも、物を持ちすぎても手放せず、手を焼いている人のなんと多いことか。アブラムが、ロトに住む場所を先に選ばせたこと、その気前の良さは神様に信頼していたゆえでしょう。全ては究極的には神の所有物で、私たちは管理者だという事実を忘れないでいたいものです。 祈り:主よ、「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。私が満腹してあなたを否み、『主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように(箴言30:8〜9)」。アーメン

創世記12

「アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。」創世記12:4 主の祝福の約束を信じ、住み慣れた土地から旅立ったアブラム(アブラハム)。75歳で大きな決断でした。一方で、エジプトでは自分が殺されないよう保身策を練るといった弱さもあり、少しホッとします。ともあれ、主のことばに信頼している時の彼は勇気があり、立派で大胆です。私たちはどうでしょうか。 祈り:  神様、あなたのことばは真実であり、約束を必ず果たされることを感謝します。アブラムが約束を信じて従ったように、私たちもみことばの約束を信じて決断し、従えますよう助けてください。今日もあなたと共に一歩ずつ歩みます。アーメン

創世記11

「それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことばを混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたからである。」創世記11:9   塔を建てるのは、人間が「自分たちのために」「名をあげよう」(4節)と、自分の力で「企てること」(6節)でした。そこに高慢があったがゆえに、神によってことばの混乱と離散が起こされました。悲しい記事ですが、悲しみに終わらないのが神様の素晴らしさです。人々が全地に散らされたのも、やがて福音が全地に広がるために神が用いられたと、カイロスコースで学びました。悲しみも主にあって良いことに用いられます!こうしたことを経て、明日はいよいよアブラムの登場です。 祈り:神様、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう(ヤコブ4:15)」と宣言して生きていけますように。みこころを歩む一日が一番幸せだと、愛する兄弟姉妹も私自身も今週実感できますように。アーメン

創世記10

「以上が、それぞれの家系による、国民ごとの、ノアの子孫の諸氏族である。大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出たのである。」創世記10:32 4章に続く系図の章で、一見つまらなく思えます。でも想像してみましょう。大洪水の後、ノアの家族はポツンと地上に降り立ったのでした。やがて子孫が増え、国々が分かれ出ることなど考えられなかったかもしれません。でも神様の「生めよ、増えよ、地に満ちよ」というみこころはその通りになったのでした。 私たちも、家族や友人の救いが想像できないかもしれません。でも次回礼拝の空席に気づいたら、そこに家族や友人が座っている様子を思い浮かべてみてください。そして、実際には今もそこに聖霊がおられることを思い、希望を持ち続けていたいのです。 祈り:神様、あなたのみこころは私たちの考え及ばないスケールで実現することを知りました。私たちは狭い視野でしか見られません。落胆しないで、家族や友人がキリストに出会うよう、また私自身の信仰の成長を祈り続けさせて下さい。アーメン

創世記9

「虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い起こそう。」創世記9:16 ひと月ほど前、久しぶりに二重の虹を見ました。くっきりと七色が見えました。神様が契約のしるしに立てられた虹は、もっと美しかったことでしょう。 私たちは大切なことを忘れないよう、紙に書いて家の目立つところに貼っておくことがあります。 「わたしはそれを見て…思い起こそう」と言われた神様は、もちろん虹がなくても契約を覚えておられる方です。むしろ人間がしっかりと覚えていられるように、しるしを置いてくださったのでした。 祈り:神様、忘れっぽい私たちのことをよく知ってくださり感謝します。主のよくしてくださったことを忘れがちであることを許してください。聖書に書かれている約束を知り、それを生活の中で思い起こせるように、今日一日も助けてください。アーメン。

創世記8

「神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。」創世記8:1 神様は洪水のわざに忙しくてノアを忘れておられたのでしょうか。いいえ。沈黙しておられるように思えても、舟が座礁しないように、漂流物に当たって転覆しないように、常に覚えて守っておられました。ノアも状況を知るために、舟の中にいた鳥を用いて工夫しました。舟から出て最初のささげ物を献げましたが(20節)、それも主が舟に乗せるよう命じ備えてくださっていたのでした。 祈り:神様、あなたが沈黙されているように感じることがあります。でも、決して私たちを忘れておられないことを信じ感謝します。 私に与えられている健康、持ち物、仕事、能力、賜物は、全てあなたが備えてくださいました。喜んでささげ、賢く管理し、楽しんで用いて主の栄光を現せますよう、今日も助けてください。アーメン

創世記7

「入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は彼のうしろの戸を閉ざされた。」創世記7:16 神の裁きは厳粛な事実ですが、主が定めた方法の内にある人は救われます。箱舟の戸の内にいた人は救われました。子羊の血を塗った門の中にいた人は救われました(出エジプト記)。そして、キリストの十字架が自分の罪のためだったと信じる人も救われます。箱舟の戸も、子羊の血も、十字架も、神様の深い愛とあわれみに満ちた方法です。 祈り:神様、あなたの深い愛と恵みを感謝します。十字架の救いが、私たちの安全な救いの保証です。私の周りでキリストの救いを求める方と出会わせてください。直接話すか、トラクトをお渡しするか、教会に誘うか、祈り始めるか、あなたの望まれる方法に従うことができますように。アーメン

創世記6

「しかし、ノアは主の心にかなっていた…ノアは正しい人で、彼の世代の中にあて全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」創世記6:8−9 罪の本質は「自己中心」だと、少し前の礼拝メッセージで聞きました。6章では自己中心に陥った人々が堕落した様子が記されています。人の目には勇士だった「ネフィリム(体格の大きな人、巨人)」も、ヘブル語では「堕落した者」です。 その中でもノアは「主の心にかなっていた」「神とともに歩んだ」と対照的です。賢かったからでも、強かったからでも、偉業を成し遂げたからでもありません(まだ箱舟を作る前です)。ノアの「神中心」の日々が神様に喜ばれたからです。私たちの平凡な歩みも、神様は覚えていてくださいます。 祈り:神様、私たちの思いや生き方を全て知っていてくださり感謝します。教会の一人ひとりが神中心に歩めますように。今日何か決める時には、あなたと共に判断できますように。神中心の一日となるよう助けてください。アーメン

創世記5

「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」創世記5:24 アダムからノアまで、人名が並びます。年齢が文字通りか象徴的なのかには諸説あるものの、「こうして彼は死んだ」という記載が続きます。しかしエノクは例外でした。神が彼を取られたので「いなくなった」のでした。 罪が入り、堕落した世界で生まれ死んでいく人間。一見空しく同じ結末の繰り返しです。しかし、エノクにされたように、神様はみこころに応じて昔も今も生きて働き、私たちの生き方の全てをご存じです。「人間の歴史」と思っているものの背後には、常に神のご計画と支配があることを覚えます。 祈り:神様、あなたは私の日々の歩みにいつも目を留め、全てを知っていて下さることを感謝します。「私の人生」と思っているものを「神が私の上に働かれる歴史」として捉えさせてください。喜ぶ時も、悲しむ時も、そこに神の指のわざを感じさせてください。切り傷に軟膏を塗るように、もし落胆したら、私の心にあなたの指をふれて癒してください。アーメン

創世記4

「セツにもまた、男の子が生まれた。セツは彼の名をエノシュと呼んだ。そのころ、人々は主の名を呼ぶことを始めた。」創世記4:26 聖書に初めて出てくる兄弟が殺し合いをするとは!しかも、原因はささげ物を巡ってのカインの嫉妬と怒りでした。その身勝手さには、思わず読むのをやめたくなる位です。そんなカインに、神様はしるしをつけられ(15節)ました。さらに最後の節で人々が「主の名を呼ぶことを始めた」(26節)のは希望です。 祈り:神様、人間の罪深さを改めて思います。逆恨みによる殺人や放火、その他悲しい出来事が最近も日々起こっています。聞くたびに心が痛みますが、そんな時、主の名を呼んで祈りに変えることができますように。クリスチャンがこの社会で世の光として、とりなしの祈りをする者と召されていることを覚えます。アーメン

創世記3

「 わたしは敵意を、おまえと女の間に、 おまえの子孫と女の子孫の間に置く。 彼はおまえの頭を打ち、 おまえは彼のかかとを打つ。」創世記3:15 読み飛ばしてしまいかねない程のわずか6節(1〜6節)の間に、人類にとって決定的な出来事が書かれています。それは罪でした。その時はまさか罪に至るとは思えないほどの巧妙な流れでした。 私たちの日常も、「つい口がすべって」とか「今やろうと思っていたところで」と言い訳できそうな失敗で満ちているのではないでしょうか。 本当に惨めで弱い私たち人間ですが、罪の直後に15節で「原福音」と言われる救いの計画が、神様によって示されています。これまた、なんとあわれみ深く、深淵な計画でしょうか。そしてこの福音はイエス・キリストによって実現します。 祈り:神様、したくないことをついしてしまう、罪深いことをつい言ってしまう私たちです。許してください。こんな私たちのために、あなたが十字架の救いを提示し、実行してくださいました。あわれみにより罪を赦された者が、あなたに導かれた教会で共に主に賛美と礼拝をささげられることに感謝します。アーメン

創世記2

「人は言った。 『これこそ、ついに私の骨からの骨、 私の肉からの肉。 これを女と名づけよう。 男から取られたのだから。』」創世記2:23 ヘブル語では女は「イシャ」、男は「イシュ」と発音の似た言葉です。アダムが喜んで名づけている様子がわかります。神様は、人を他者との関わりを持って生きるようにされました。私たちは時には人間関係で大きな問題を抱えることもありますが、一方で人間関係を通して大きな祝福を受けます。さらに豊かな関係を築くために、どのような祈りと実践ができるか思い巡らしてみたいと思います。 祈り: 創造主なる神様、あなたが意図されたように、与えられた人間関係を祝福してください。霊の家族である教会の交わりを与えてくださり感謝します。周囲の人と豊かな人間関係を築くための愛と知恵、忍耐を与えてください。

創世記1

「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。」 創世記1:31 神が天と地を創造され、それは「非常に良かった」のでした。昨日読んだ黙示録の新天新地と同じく、主ご自身の御心のみがなる世界には欠けがなく、麗しくきらめいています。そんな世界の中に私たちが生きていてほしいというのが、神のみ思いです。十字架の血潮で、私たち自身も雪のように白く洗ってくださったキリストをあがめます。 祈り:主よ、新しいまっさらな年を与えてくださり感謝します。私たちの新年に、主の御心だけがなりますように。主の足あとが一歩ずつ刻まれることを期待します。