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2月, 2022の投稿を表示しています

出エジプト記9

「しかし、このことのために、わたしはあなたを立てておいた。わたしの力をあなたに示すため、そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。」出エジプト9:16 神様にとって、ファラオたちを滅ぼすのは簡単でした。しかし、あえて何度も災害と交渉を繰り返すようにされたのは、主の力が現れ、御名が全地に知らせるためだと言われます(ローマ9:17−18)。エジプトを脱出して荒野を40年放浪するイスラエル人も、これらの出来事を度々思い出したことでしょう。 世界を見ると、なぜこのようなひどい独裁者が存在し、不条理が行われるのかと思うことがあります。神は忘れておられるのではありません。時が来ると、歴史に残るような神様の介入とわざが行われてきました。今も、これからもそうです。諦めずに神に求め続けましょう。 祈り:神様、あなたが歴史を支配し、導かれていることを信じ感謝します。不安なニュースが届く時も、不安を祈りに変えることができますように。世界中の人が主の御名を知ることができますように。私のすぐそばにいる人たちに、主の御名を知らせることができますように。アーメン

出エジプト記8

「ところが、ファラオは一息つけると思うと、心を硬くし、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が言われたとおりであった。」出エジプト記8:15 8章だけでも蛙、ブヨ、アブの災害が続き、エジプト人たちは大変な目にあいました。ファラオはその都度態度を軟化させますが、一息つくと頑固になる、その繰り返しでした。読むと「早く降参すればよいのに、同じことを繰り返しているじゃあないか」と思います。 しかし、この態度は他人事ではないかもしれません。逆境で困った時には熱心に祈るけれど、問題が過ぎ去るとあまり祈らない、その繰り返し...心当たりがあるかもしれません。 そこから脱出するには、感謝の祈りをする習慣が助けになると思います。祈ることがないと思う時には、ずっと前あるいは最近の、感謝できることを主に申し上げる、それも立派な祈りです。同じことを何度も感謝するというのも、これまた素晴らしい姿勢だと思います! 祈り:「わがたましいよ 主をほめたたえよ 主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな(詩篇103:2)」。 神様、これまでの______のことを感謝します。また、最近の______のことも感謝します。そして今日、人生の1ページとなる新しい日を与えてくださったことを感謝します。アーメン

出エジプト記7

「彼らがファラオに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。」出エジプト記7:7 いよいよ、出エジプトに向けてファラオとの対決が始まります。二人は80歳と83歳でした。若くありません。神様がもっと早く用いてくださったら、体力も気力もあるのに、と思います。しかし、これが神様の最善の時でした。王家の一人としてではなく、荒野で40年過ごし神の訓練を受けた上で、モーセは神に用いられたのでした。 私たちは、なぜすぐに神様が動いてくださらないのかと思う時があります。神様はより良いご計画のために時を定め、私たちを訓練し整えてくださいます。同時に、モーセやアロンのように矢面に立ち、神のみこころを行おうとしている人たちのためにも祈る者となれますように。 祈り:神様、私に忍耐を与えてください。そして、神の時が遅く感じられても信頼して待ち、その時には大胆に踏み出すことができますように。 今日、みこころのために行動しようとしている____さんに勇気と大胆さを与えてください。批判でなくへりくだった心で、私も祈り応援できますように。アーメン P.S. ウクライナ情勢が安定しますように。早期解決しますように。国中のクリスチャンが世の光として守られ支えられ、用いられますように。

出エジプト記6

「わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトでの苦役から導き出す者であることを知る。」出エジプト記 6:7 イスラエル人を主が取られた(選ばれた)ように、私たち一人一人を主は取って(選んで)、神の民としてくださいました。そして、丁寧に運び、神の指で教会に植えてくださいました。教会や兄姉にもし不足や不満を感じるなら、神様はあなたや私を、それを主の愛で補うためにこの教会に植えられたのかもしれません。新しい人がキリストと出会うのを助けるために置かれたのかもしれません。 エステル王妃が「この時のため」に置かれたように(エステル4:4)、あなたは今日、神の群れであるこの教会になくてはならない存在です。 祈り:神様、私を深いご計画によってこの教会に植えてくださり感謝します。自分で選んだように思っていますが、実は主の導きとみこころによるのだと信じます。兄姉一人一人も同じように主が合わせてくださったことを覚えます。兄姉に、また新しく来られた方々に、主の愛を流し出す管として用いてください。アーメン

出エジプト記5

「それでモーセは主のもとに戻り、そして言った。『主よ、なぜ、あなたはこの民をひどい目にあわせられるのですか。いったい、なぜあなたは私を遣わされたのですか。』」出エジプト記5:22 奴隷だったイスラエル人たちは、脱出どころかさらに重い労働を課せられました。 私たちも主の導きと信じて進んだはずなのに、事態がかえって悪くなると感じることがあります。 ある注解書では、神様は私たちに試練を通して次のことを学んでほしいのだと言います。(1)神が最善をなしてくださると信頼すること、(2)その状況でも神をたたえる方法を見いだすこと、(3)神が私たちを見捨てない方だと信じ続けること、(4)神のご計画を見いだすこと(Life Application Bible NIV) 私たちは愚痴や文句を言いたくもなります。それでよいのだと思います。人でなく、神に対して申し上げる限りは。 祈り:「私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります(ヤコブ1:2~4)」。 神様、このみことばには、まだ程遠い者です。けれども、愚痴や文句を家族や教会の兄弟姉妹にではなく、まずあなたに申し上げる者とならせてください。思いのたけをあなたと私の間で話します。私の口を、地上でのやり取りだけでなく、天に向けてもっと使うことができますように。アーメン

出エジプト記4

「主は彼に言われた。『人に口をつけたのはだれか。だれが口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、わたし、主ではないか。』」出エジプト4:11 自信のないモーセに、神様はいくつもの保証を与えてくださいました。 ・杖⇄蛇(2〜4節) ・ツァラアト(6〜7節) ・水⇄血(9節) さらに、 ・雄弁な兄アロンをスポークスマンにし(14〜16節) ・イテロの快諾を得(18節) ・兄アロンが途中まで出向き(27節) ・長老とイスラエル人が信じ(29〜31節)ました。 神様にとっては、イスラエル人を即刻脱出させることもできました。それでもあえてモーセを選び、彼の思いに寄り添い、自信のない所を一つ一つ励まし、確信を与えてくださいました。 私たちの劣等感は何でしょうか。ことあるごとにそれを言い訳にしがちです。でも神様がご自身のご計画をなさるなら、必要な助けが備えられます。私たちがすることは一つ、神様に「はい」と従うことです。 祈り:神様、私は______のことに自信がありません。けれども、あなたが私に望まれることに「はい」と返事できるように助けてください。みこころを求め、必要な助けもあなたご自身が備えられるという信仰を与えてください。アーメン

出エジプト記3

~神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」~出エジプト記3:14 神様がご自身を名乗られた「わたしはある」は、I AM(わたしはある)とともにI Will Be(わたしは未来もいる)の意味も含んでいるそうです。神の御名の「ヤハウェ」も、"HE IS"(その方はおられる)という意味だそうです。 私たちがどこにいても、そしていつでも、「わたしはある」という神様がそこにおられます。うろたえて我を失っても、落胆していても、ひどい孤独に悩まされても、「わたしはある」そして「わたしは未来もいる」と手をとって下さるのです。 私たちも顔をあげ、"HE IS"「ヤハウェ、主、その方はおられる!」と告白しましょう。「主がおられるから大丈夫」と、自分の心に日々語りかけましょう。 祈り:神様。あのこと、このこと、多くの気がかりがあります。私には解決ができませんが、「わたしはいる」と言われるあなたがその真ん中におられることを思い出し、守りと導きを確信します。「ヤハウェ、主、その方はおられる!」と宣言します。 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます(マタイ28:20)」の約束を信じます。アーメン

出エジプト記2

「神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。」出エジプト記2:24 主は嘆きを聞いてくださる方です。また、ひとときもイスラエル人を忘れておられたわけではありませんでした。 エジプトの王ファラオはイスラエル人の男子を殺そうとしました。しかし、 ・助産婦(1:17) ・モーセの母(2:2) ・姉ミリヤム(2:7) ・ファラオ自身の娘(2:8) によって、イスラエル人の男子モーセの命は救われました。無力に思える女性たちを用いて、神は出エジプトのための計画を進めておられました。 今日も神様は弱い私たちを用いて、ご自身の計画を進めようとしておられます。信仰の一歩が、パズルのピースのように神のみこころの一部として用いられていきます。 祈り:神様、私をあなたのご計画のために用いてください。私にはみこころの全体像は見えませんが、その一部に関わる特権を感謝し受け取ります。今週も主の御思いが何であるか、ことごとに立ち止まり、聖霊様に尋ねながら歩めますように。

出エジプト記1

「助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。」出エジプト記1:21 エジプトでヨセフを知らない王が起こり(8節)、イスラエル人に苦役を課しました。国を救ってもらった歴史が忘れ去られたのでした。人は良くしてもらったことを忘れやすい性質があります(反対に、ちょっと気に入らないことをされると、恨みがましくずっと覚えています)。 対照的に、助産婦たちは神を忘れず、神を恐れて命がけでみこころに歩みました。信仰の勇者は、性別や社会的地位とは無関係です。 祈り: 神様、あなたの良くしてくださったことを感謝します。特にこの1週間は、________さん、________さんを通して、あなたの愛と恵みを感じました。どうぞあなたがこの方々にも良くしてくださいますように。私自身もあなたの愛と恵みを表す器として今週用いてください。アーメン

創世記50

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。」創世記50:20a ヨセフは良く泣きました。50章だけでも、父が息絶えた時(1節、「崩れ落ちて」)、兄弟のことばを聞いた時(17節)。 父の遺体をミイラにする40日、喪の期間の70日、葬儀の7日間と墓地までの往復。きっと数知れず泣いたことでしょう。 「泣く」ことは神様が下さった感情の一つです。泣くことで心の痛みが徐々に和らぎ、次の一歩を踏み出す備えとなります。 愛する人の死を嘆き悲しむ過程(グリーフワーク)は、悲しみからの回復のためには不可欠です。 また、ヨセフが泣いた後で兄たちへの許しの言葉を発したように、多くのクリスチャンたちが涙の後に神のみこころを選び取ってきました。 祈り:神様、悲しみという感情を与えてくださり感謝します。 「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです(マタイ5:4)」。今悲しみの中にある____さんに、慰めが豊かにありますように。 「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る(詩篇126:5)」。今、神様のみこころを選び取ろうと涙を流して決意した___さんに、やがてあなたの喜びが豊かにありますように。

創世記49

「主よ、私はあなたの救いを待ち望む。」創世記49:18 息子のひとりひとりを名指しして、過去や未来にあまりにも即した祈りがされています。親とはいえ、人の能力では到底知り得ないこと(例えば10節の「王権はユダを離れず」)や、「これが祝福?」と言いたくなるような内容も含まれています。 ヤコブは言葉を中断し、18節で主を見上げました。私たちもことごとに主を見上げ、主のまなざしで見ることを期待するよう招かれています。同時に、孤独な人、寂しい人が私たちの心の目に留まったら、イエス様がされるように行動することも、私たちには期待されています。 祈り:神様、あなたの知恵なしには私たちは今日明日のこともわかりません。でもあなたはご存じです。今日の歩みもどうぞ導いてください。また、どなたに私が声をかけ、お手伝いし、あるいはそうっと祈ることを望まれるでしょうか。あなたが私の心の目を開いて気づきを与えてください。アーメン

創世記48

「イスラエルはヨセフに言った。『私は間もなく死ぬだろう。しかし、神はおまえたちとともにおられ、おまえたちを先祖の地に帰してくださる。』」創世記48:21 これはかつて、神様がヤコブ(イスラエル)自身に約束してくださったことでした(カナンの北のベテル、南のべエルシェバで)。 今やその約束が彼の確信となり、人生の終わりに子孫へ遺す言葉となっています。 私たちも、神様が特に語ってくださったみことばを受け取り、生涯の宝物として心に留めたいです。そして肉の子孫はもちろん、キリストにある弟妹、子孫といった次世代の人たちに励ましとして分かち合い、地上の人生を全うできますように。あなたにとって、宝物のみことばは何ですか? 祈り:神様、あなたのみことばの約束を感謝します。救われた恵みとみことばの約束を忘れることなく、感謝を持って次世代に語り告げることができますように。私の生涯の最後の日まで、主の愛と平安に信頼する者となれますように。アーメン 人生のゴールを見据え、天国の備えをされつつある____さん、____さん(心に浮かぶ方々)のために。信仰と平安が、主からいっそう豊かに注がれあふれますように。

創世記47

「それでヨセフは、エジプトのすべての土地をファラオのために買い取った。エジプト人に飢饉が厳しかったので、人々がみな、自分の畑地を売ったからである。こうしてその土地は、ファラオのものとなった。」創世記47:20 ヨセフは仕えていたファラオのために、また人々のために知恵と力を尽くして働きました。 私たちも、普段はさまざまな分野、場所に置かれています。そこで出会う人々と、祈り心で誠実に関わることを主は望まれています。「あなたは、わたしに従いなさい(ヨハネ21:22)」とペテロに言われたキリストのことばを自分へのものとして受け取ります。また、私たちは国のリーダーたちの判断が神のみこころにかないますようにと、とりなしの祈りをする者としても召されています。 祈り:神様、ヨセフのように置かれた場所で、今日も主の愛と知恵を頂いて学び/働き/家事をし/療養します。日本のリーダーたちや、紛争の危機にある世界の国々のリーダーたちが、あなたのご計画を実現するような判断ができますように。私たちをとりなしの祈り手として召してくださり感謝します。アーメン

創世記46

「このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」創世記46:4 若い頃、兄エサウから逃れて北に向かう途中、ベテルで 「わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない(28:15)」と神様は言われました。 高齢になって、今度は南のエジプトに向かう途中、べエル・シェバで「このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る」と神様は言われました。 ヤコブ(イスラエル)の心は、若い頃ベテルで天の梯子を見た時を思い出し、感動でふるえたかもしれません。年老いて遠くに転居するのは肉体的・精神的には容易ではなかったでしょうが、神様が希望を与え続けてくださいました。 主の約束通り、子孫はやがてエジプトからカナンに帰ってきます。 祈り:神様、病気や高齢のために、自宅を離れて施設や病院で過ごしておられる____さんや____さん…(思い浮かぶ方々を覚えて)を覚えます。あなたがいつも共におられ、信仰者として希望と喜びにあふれさせてくださいますように。面会制限が続く中でも、霊にあっては近く、同じ主に祈り礼拝することができる恵みを感謝します。生涯の最後の瞬間まで、あなたの守りを感じ、平安で祝福に満ちた日々がありますように。アーメン

創世記45

「ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。神は私を、ファラオには父とし、その全家には主人とし、またエジプト全土の統治者とされました。」創世記45:8  兄たちの策略によって売りとばされ、奴隷としてエジプトに来たヨセフ。エジプトに来てからも、誤解され、投獄され、苦労続きでした。しかし彼は、すべての背後に神のご計画があったと確信しています。 「あの時、もしこうだったら…」「あのことがなかったら…」と私たちは過去の決断や失敗にくよくよします。反省は悪いことではありません。が、神の前に悔い改めたら、その失敗も神の御手にゆだね、神の御支配に包まれていると信じましょう。神はよい方です。愛する神の子どもたちには、良いご計画を豊かに備えておらる方です。感謝します! 祈り:神様、今ひとたび、_____(心に引っかかっている判断や失敗)をあなたの御手に委ねます。 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています(ローマ8:28)」 を信じます。後悔や罪責感が私を支配することがないよう助けてください。代わりにあなたへの賛美と感謝の祈りで心を満たしてください。アーメン

創世記44

「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。」創世記44:23 兄たちの変化、中でもユダの誠実な申し開きと身代わりの覚悟に驚きます。創世記の中でも美しい場面の一つです。父への愛、罪の償い、弟の救いが動機でした。 「愛、償い、救い」の身代わりといえば、イエス・キリストの十字架の死は、人類史上最大のものでした。そして、私と直接関わりのある身代わりでした。兄ユダの言動が感動的なら、キリストのなさったことはどれほど感動的なことでしょうか。 祈り: 神様、十字架の愛と救い、そのためにキリストが払われた代償を感謝します。忘れっぽい私たちが、いつもその原点に戻れますように。今日も心からの礼拝を、あなたにお捧げすることができますように。アーメン

創世記43

「全能の神が、その方の前でおまえたちをあわれんでくださるように。そして、もう一人の兄弟とベニヤミンをおまえたちに渡してくださるように。私も、息子を失うときには失うのだ。」創世記43:14 息子たちをエジプトに送り出すと決意したイスラエル(ヤコブ)は、乳香と蜜、薬品、ピスタチオナッツとアーモンド(美味しそう!)というエジプトには珍しい物品と、前回の手違いを返すべく二倍の銀を持たせました。もはや、だましたり策略を練ったりするかつてのヤコブの姿はここにはありません。 そして「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな(ヨブ1:21)」というヨブと同じ信仰を示しています。自分の計画や知恵でなく、主のあわれみと守りに信頼するという信仰が、生涯をかけてヤコブの中に培われていったのです。 私たちの内にも同じ神様が働かれ、信仰を成長させてくださいます。あの人やこの人と比べなくても、神を求める者には神ご自身が守り訓練し、信仰の熟練者へと導いてくださいます。 祈り:神様、難しい判断を迫られた時、あたふたしないで主のみこころに沿った選択をさせてください。人に相談する前に、祈ってみことばから知恵をいただけますように。特に、試練の中にある______さん(心に思い浮かぶ兄姉の名前)に、神様の豊かな知恵と導きが今日与えられますように。アーメン

創世記42

「彼らは互いに言った。「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。」 創世記42:21 窮地に陥った時に、その人の考えていること、本音が出ます。兄たちは、ヨセフを売った罪責感が20年以上経っても消えていませんでした。このままの状況なら、父親に秘密を持ったまま一生罪責感とともに歩んだかもしれません。 キリストは罪をすべて取り除くことのできる方です。もちろん、罪を犯したという事実は残りますが、重荷は十字架によって洗われ、たとえ自分の心が責めたとしても、もう罪責感のなわめからは自由にされたのです。外科手術をした傷跡は残るものの、病気そのものは治って健康であるのと似ています。 心がいまだ責められるなら、今日もうひとたび十字架で解放されたことを宣言し、ゆるしの恵みを互いに受けとりましょう。 祈り:神様、キリストの十字架により、私の罪も、罪責感もすべて赦されたことを感謝します。もう_____(それぞれ気になること)の罪の奴隷にならなくてよいことを今日もう一度確認しました。十字架による罪や律法からの解放を宣言します。キリストの内に憩い、安息をいただいて歩めますように。アーメン

創世記41

「ファラオは人を遣わして、ヨセフを呼び寄せた。人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。ヨセフはひげを剃り、着替えをして、ファラオの前に出た。」創世記41:14 これは、ヨセフが献酌官長に忘れられ2年が過ぎたある日のことでした。突然せかされてファラオの前に引き出されます。 神様は気まぐれなのでしょうか。いいえ、最善のタイミングを備えておられたのです。私たちは、神様に忘れられているのでは、と考えてしまうことがあります。しかし事実は決してそうではありません。 救いも神の時があります。ある人のために何十年も祈っているが、一向に救われる気配がない。ところが、40年以上たったある日、入院中の思いもよらない時に信仰告白をした、ということがありました(後で腰が抜けるくらい驚きました。父です)。 人間はイライラして待ち、一方で急かされては戸惑います。しかし、神様の時は時計やカレンダーに限定されないダイナミックな、そして愛に満ちた最善のタイミングです。 祈り:神様、すべてにあなたの最善の時があると信じます。この聖句を、あなたのご支配に信頼する、私の祈りとして告白します。 「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。(伝道者の書3:1〜2)」 アーメン

創世記40

「二人は答えた。『私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。』ヨセフは言った。『解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。』」創世記40:8 ヨセフは「夢を話してください」と不安な二人を促しました。そして「解き明かしは、神のなさること」だと言いました。ここに私たちの範囲と神様の範囲を学びます。私たちはキリストを紹介し、その人がキリストに心を向けるきっかけを提供します。しかし、救いを行なわれるのは主ご自身です。私たちの分を果たしたら、聖霊の働きを望みつつ主のみわざに期待します。 祈り:神様、コロナウイルス流行の波の中、いっそう不安の中にいる人が多くおられます。福音が今こそ必要です。主の平安を頂いた私たちがうろたえることがありませんように。「平安あれ」と言われた主と出会うきっかけとして、私をお使いください。アーメン

創世記39

「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」創世記39:21 「主は彼(ヨセフ)とともにおられ」という表現が何度も出てきます(2、3、21、23節)。神がともにいてくださる祝福はヨセフ自身だけでなく、周りの人への祝福ともなっていきます。 教会は弱く小さな群れに見えても、その一人一人が接する方々はかなりの数になります。主がともにおられる人の存在自体が、その方たちにとって祝福です。今週行く所、出会う人(病院や、スーパーでさえも)に、私を主の祝福を通す管として用いてくださいと、祈り心で入っていきたい思いになります。 祈り:神様、いつもともにいてくださり感謝します。今週電話する時、メールを送る時、病院に行く時、買い物をする時、散歩をする時、一瞬立ち止まって「この場所に、出会う方に、主の恵みと祝福がありますように」と祈らせてください。生活のあらゆる場面に主の臨在を意識することができますように。アーメン

創世記38

「ユダはこれを調べて言った。『あの女は私よりも正しい。私が彼女をわが子シェラに与えなかったせいだ。』彼は二度と彼女を知ろうとはしなかった。」創世記38:26 ユダは嫁タマルに対して、当時のやもめが生きていくための手当てをしませんでした。自分の買春を棚に上げ、タマルの売春を一方的に責めて殺そうとまでしました。 イエス様は「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか(マタイ7:3)」と言われました。他人の「ちり」が見えたなら、自分に「梁」があるかもしれません。そのことを自戒し、謙遜な思いになれたらと思います。 祈り:神様、周りの人のあら探し、批判をしそうになる時、自分のもっと不完全な姿に気づかせてください。私の口を愚痴や悪口から守ってください。あなたがいのちをかけて救って下さった人々をさらに愛し、福音を紹介するためにこの口を用いてください。アーメン

創世記37

「兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。」創世記37:11 今日でも、ねたみや憎しみが大きな事件を起こします。兄たちはヨセフを売り飛ばし、父には野獣に殺されたと偽りの報告をして、この件は終わったかに見えました。 しかし、罪は自分の心が覚えています。そして、自分がいかにねたみや憎しみに支配されていたかも。 後に窮地に立たされ、ヨセフの兄たちは「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。(42:21)」と言いました。ずっと、苦い記憶は残っていたのです。 私たちを罪の責めから解放するのは、キリストの十字架の贖いです。悔い改めて赦された恵みに押し出され、他者を許すことができます。それはまた、私たちの心を恨みやこだわりから解放します。 祈り: 神様、十字架の恵みを感謝します。キリストにある兄弟姉妹を与えてくださり感謝します。教会を、共に祈り悔い改め、許し許された者の喜びがますます流れ出す共同体としてください。アーメン

創世記36

「これは、セイルの山地にいたエドム人の先祖エサウの系図である。」創世記36:9 カナンの女性と結婚し、両親の悩みの種となったこと(26:24~25)など、エサウが気ままに過ごしたのが神の目にはどうだったか、また弟ヤコブと和解したことが神の祝福に結び付いたのか、詳細はわかりません。しかし、エサウがエドム人の先祖となり、一つの国が彼から生まれたことははっきりしています。 かつて母リベカに 「二つの国があなたの胎内にあり、 二つの国民があなたから分かれ出る(25:23)」 と言われた神様の約束が、確かに実現しています。リベカはもちろん、エサウもヤコブもすでに生涯を終えた後で成就したのです。 「見えないものを見えるもののように待ち望んでごらん。わたしは約束を必ず果たすのだよ」という主の声が聞こえてくるようです。 祈り:神様、あなたのみことばの約束を信じます。特に_____(聖書箇所)という約束に期待します。私に忍耐を与えてください。あなたの方法、あなたの時に、そのことを実現なさってください。アーメン

創世記35

「私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこに、苦難の日に私に答え、私が歩んだ道でともにいてくださった神に、祭壇を築こう。」創世記35:3 過去を振り返るのは後悔するためではなく、その道のりの中に神の恵みとあわれみを確認するためだと言えます。その時は気づかなくても、苦難の時は神の愛と臨在が表された時です。改めて振り返ると、新たな気づきがあります。ヤコブが祭壇を築いたように、心に感謝の記念碑を、一つ一つ築いていきませんか。 祈り: 主なる神様、私が最も困難を通っていた時は、あなたの恵みとあわれみが最も注がれた時でした。この感謝を私のあかしとして分かち合うことができますように。 今人生に絶望している方(身近にいたら具体的な名前)に、何とかして私の受け取ったキリストの希望を届けたいです。自死の多いこの国をあわれんでください。アーメン

創世記34

「ヤコブの息子たちは、シェケムが自分たちの妹ディナを汚したので、シェケムとその父ハモルをだまそうとして、」創世記34:13 ある本*は「父が父なら、またその息子も」とコメントしています。父ヤコブの対応のしかたを息子たちも身に付けてしまったということでしょうか。何より、神抜きで自分達の判断をしてしまったことが失策でした(34章には「神」という言葉が出てきません)。神に怒りを訴えていたら、相談していたら、違う展開になっていたでしょう。 ーー祈りについてもっともよく用いられる表現は、「神との対話」でしょう。対話であるとは、自問自答ではないという意味です。**ーー 今日私が「自問自答」をやめ、神に判断を仰ぐことは何でしょうか。 祈り:全知全能の神様、_______について自問自答をやめます。あなたにゆだねたいです。ひとりでは難しそうなら、_____さん(人名)に / ____(あるいは場所)で、一緒に祈ってもらいます。祈りの友を与えてくださり感謝します。アーメン * NIV Study Bible, Zondervan **来住英俊「詩編で祈る」、女子パウロ会

創世記33

「エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた。」創世記33:4 身構えたヤコブが受けたのは、何と兄エサウのハグと和解でした。あれこれ画策する前から、主がすでにエサウの心に働き、殺意を兄弟愛に変えて下さったのでした。私たちが難しく思う局面を、主は変えることのできる方です。家族間でも、国々の外交関係でも。 祈り: 主なる神様、祈り心でこの賛美をささげます。___________について(←各自入れてください)私のたましいがあなたに信頼できるよう、信仰を与えてください。 「信頼せよ わがたましい イエスは考えてくださってる  恐れるな 御手にゆだねよ イエスは最善を知っている  全ては御手の中 全ては御手の中  神がわれと共に 御手にゆだねよ」(「♪信頼せよ」)     アーメン

創世記32

「彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。」創世記32:31 故郷でエサウに再会するにあたり、ヤコブは周到な計画を練ります。 ・使いを送る(3節) ・一行を2グループに分ける(7−8節):リスク分散 ・贈り物(13節〜) しかし、主が格闘に来られるとは全く想定外でした!ももの関節が外れては、走ることも逃げることもできません。「降参」です。あとは主に委ねるしかありません。 主は私たちが「降参」するしかないような状況を許されることがあります。それは自分のこだわりや小さな計画を手放し、主に委ねるためかもしれません。同時にその「降参」は、素晴らしい主の働きを見る始まりでもあります。 祈り:「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する(箴言19:21)」。神様、このみことばを宣言します。あなたの介入に期待します。自分の思いだけがぐるぐる心で回り続けませんように。あなたが私たちの知恵を越え、突破口を開いてくださることを信じ感謝します。難しい局面にいる兄姉に、今日圧倒的な主の平安が臨みますように。アーメン