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ミカ7

「しかし、私は主を仰ぎ見、 私の救いの神を待ち望む。 私の神は私の言うことを聞いてくださる。」ミカ7:7 「私の神は私の言うことを聞いてくださる」は、ご利益主義のように聞こえるかもしれません。 しかし、この節の前半から見ると、忍耐して神を信じ待ち望む信仰の姿勢のあらわれだとわかります。 私たちも、神様が祈りと願いに耳を傾けてくださることを信じましょう。たとえ祈ることさえ難しい試練にあっても、共にいてくださる聖霊がうめきとりなしてくださいます。 「私の敵よ、私のことで喜ぶな。 私は倒れても起き上がる。 私は闇の中に座しても、 主が私の光だ。(8節)」 倒れても、闇の中にいるようでも、それで終わりではありません。 罪は悔い改めにより赦されます。そして、どんな苦境や試練の中でも神は見捨てられません。 祈り:神様、倒れている私の手をとって起こしてくださる主、闇の中に輝く光である主を賛美しあがめます。 闇の中にいるような苦境にある___さん、___さんに、イエス・キリストの愛を届けたいと願っています。機会と言葉を与えてください。私らしく、自然な形で福音のあかしができますように。アーメン

ミカ6

「主はあなたに告げられた。 人よ、何が良いことなのか、 主があなたに何を求めておられるのかを。 それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、 へりくだって、 あなたの神とともに歩むことではないか。」ミカ6:8 主が求めておられることは 「公正を行い」 「誠実を愛し」 「へりくだって、あなたの神とともに歩む」 ことです。 とはいえ、私たちは不完全です。公正でありたい、誠実でありたいと願いますが、偏った視点しかもてなかったり、誠実を尽くしたつもりでも他者を傷つけたりします。 へりくだりたいと思っても、心のどこかに比較したい気持ちがあるのかもしれません。 イエス様も「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(マタイ22:37,39)と言われました。 シンプルながら、なんと高い基準でしょうか!できない自分の弱さと限界を知ります。 失敗を悔い改めつつ、主の手にすがってよちよち歩きをする、そんな私たちを主は導いてくださいます。一歩一歩、イエス様の姿を目指して今日もあわれみにすがります。 祈り:神様、私にあなたのみ思いに歩めるよう、今日も助けてください。主と共に歩みたいと切に願います。腹の立つことには、あなたの愛のまなざしを教えてください。誠実でへりくだった歩みをさせてください。____のことも、主の御手にゆだねます。アーメン

ミカ5

「ベツレヘム・エフラテよ、 あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。 だが、あなたからわたしのために イスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、 永遠の昔から定まっている。」ミカ5:2 クリスマスによく読まれる箇所です。イエス・キリストがベツレヘムで生まれる預言は、そのまま成就しました。中心都市エルサレムでなく、近郊の小さな村ベツレヘム。 そして、彼は王宮ではなく家畜小屋で生まれたのでした。 人には弱く取るに足りないと思えても、神の素晴らしい選びにあずかったベツレヘムの記事は、私たちにとっても励ましです。 日本のクリスチャンが少数派だとか、あるいは私たちの教会を「小さな群れ・・・」と卑下する必要はありません。むしろ、神様はこの世の常識とは異なり、弱い者を選び、守り、恵みを与えてくださる方です。 ベツレヘムが神の選びと恵みに預かったように、私たちも選びと恵みに預かっています。この特権を、どうして隠しておけるでしょうか。 祈り: 「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。(ローマ1:16)」 神様、パウロのように、私も福音を恥とせず、恵みを流すことができますように。家族や知人の中で最初の信仰者として選ばれた___さん、___さんに大胆な勇気と主の力を与えてください。私も同じようにしてください。 寒い中、被災地のために働く方々に主の励ましがありますように。現地の教会に、格別の支えがありますように。アーメン

ミカ4

「多くの国々が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。 主はご自分の道を私たちに教えてくださる。 私たちはその道筋を進もう。』それは、シオンからみおしえが、 エルサレムから主のことばが出るからだ。」ミカ4:2 聖書の書かれた当時の舞台は中東です。 しかし、聖書は特定の国のためにだけ書かれた書物ではありません。 そして主である神様も、外国の神様ではありません。 「多くの国々が来て言う」や「もろもろの民(1節)」「多くの民族の間(3節)」などは、世界へのメッセージであることの表れです。 主は今日も、「ご自分の道を私たちに教えてくださ」います。「私たちはその道筋を進もう」と、今日の私たちも宣言し、歩みましょう! 明日は有名なメシア預言の箇所があります。 祈り:神様、時代や国を越えた聖書の真理を感謝します。自分の都合の良いところだけつまみ食いするのではなく、聖書全体の指し示すイエス・キリストをより近く知ることができますように。今日の私の歩みに適用できるよう導いてください。アーメン

ミカ3

「しかし、私には力が満ちている。 主の霊によって、公正と勇気に満ちている。 ヤコブにはその背きを、 イスラエルにはその罪を告げる。」ミカ3:8 周りの占い師たちや偽預言者たちは権力になびき、人々に気に入られるようなことばかりを述べていました。 一方、ミカは人々の背きの罪を告げました。 それは彼が強かったからでしょうか?知恵や才能に恵まれていたからでしょうか? 聖書はそうは語っていません。 彼に力が満ちているのも、公正と勇気に満ちているのも、「主の霊によって」だったと述べています。 私たちが自分の狭い見識や自己義で人を裁くことは、聖書の勧めることではありません。 しかし「主の霊」「聖霊」が働かれるなら、愛に根差しつつも人に罪への気づきを与える言葉や機会が与えられます。神の深いみ思いを反映するのは、私たちの怒りや衝動ではなく、聖書と神の霊の働きによるのです。 祈り:神様、私は人を恐れ、あるいは怒りに任せて失敗することがあります。___さんや___さんを傷つけたことをゆるしてください。ますます主の助けにより忍耐を持ち、愛に根差した祈り心を与えてください。アーメン

ミカ2

「ヤコブよ。 わたしは、あなたを必ずみな集め、 イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。 わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、 牧場の中の群れのように、一つに集める。 こうして、人々のざわめきが起こる。」ミカ2:12 さばきの警告の後、11~12節では回復の約束が告げられます。 しかも、人々がばらばらに脱出するのではありません。 「囲いの中の羊のように」「牧場の中の群れのように」まとまって導かれるのです。一つに集められ、「人々のざわめき」つまり人々が互いに混み合うように共に歩む回復です。 戦争や災害の後、集落が崩壊することが大きな問題になっています。 共同体で生きる存在として、神様は人をデザインされたからです。地域コミュニティを失うと、行き場を失い弱ってしまう人が出てきます。 教会は、霊的な家族として神様が置いてくださった共同体です。人の集まりである限り、完璧な存在ではありません。しかし、完全な神様の臨在を共に仰ぎ、共に賛美し礼拝する時、主の栄光とみわざの中で共に歩む恵みがあります。 祈り:神様、あなたは十字架によって私のいのちを回復してくださいました。回復された人々を教会に集めてくださり、共にあなたを礼拝する者としてくださり感謝します。共に回復された兄姉の存在を感謝し、主の愛で愛します。アーメン

ミカ1

「これはみな、ヤコブの背きのゆえ、イスラエルの家の罪のゆえだ。『ヤコブの背きとは何か。 サマリアではないか。 ユダの高き所とは何か。 エルサレムではないか。』」ミカ1: 5 旧約聖書の後半には、なぜ同じような預言書が長々と続くのでしょう。難しいし、自分と関係ないことばかり、と思うかもしれません。 しかし、預言書には当時だけでなく、今日の私たち、あるいはこれからの希望について記されている部分が多くあります。 今日の部分は、私たち人間の罪の大きさを教えてくれます。「ヤコブ」「イスラエルの家」はどちらも神の民のことです。本来は「ユダの高き所」つまり礼拝所のあった当時の「エルサレム」で主なる神を礼拝するべきでした。 それなのに「サマリア」で偶像礼拝に陥ったのが罪である、ということです。 何度も何度も教えられても、主なる神をすぐに忘れ、別のものを神としてしまう、それが人間の愚かさであり「的外れ」の罪の本質です。 だから繰り返し預言者を送り、主に立ち返るようにと呼びかけられたのです。 今日の私たちにも、主は生きて呼びかけておられます。 祈り:神様、あなたの呼びかけに応答したいです。私の霊の耳を開き、あなたに喜ばれることと喜ばれないことを区別できるように導いてください。 ____さん、____さんも、イエス・キリストを救い主として受け入れ、愛の主の呼びかけに答えることができますように。アーメン