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詩篇42

「わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。 私のうちで思い乱れているのか。 神を待ち望め。 私はなおも神をほめたたえる。 私の救い 私の神を。」詩篇42:11 詩篇の第二巻は「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます(1節)」で始まります。 飢え渇いた鹿にとっては、川の流れこそいのちです。 同じように、飢え渇いたたましいにとっては、生けるいのちの川であるキリストだけが拠り所であり、解決です。 たましいがうなだれている時、思い乱れている時は、「神を待ち望む」時です。 復活されたキリストは、たましいに水を与え、いのちを与えてくださいます。 その水は尽きることがありません。 イースターの朝に、いのちの水の源である主を仰ぎ見て、感謝と喜びをいっぱいに表します! 祈り:復活の主よ、あなたを賛美します。あなたを礼拝します。罪と死ののろいから私を救い出してくださいました。あなたを慕い求めます。感謝をささげます。イエス様、ありがとうございます! アーメン

詩篇41

「幸いなことよ 弱っている者に心を配る人は。 わざわいの日に 主はその人を助け出される。」詩篇41:1 日本では「情けは人のためならず」ということわざがあります。 「人のためにした親切が自分に戻ってくる」という意味ですが、聖書は何千年も前にこの真理に到達しています。 「弱っている人に心を配る人」の様子を、新約聖書では 「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣き(ローマ12:15)」と表現しています。 主が十字架にかかり埋葬され、明日は世界中が喜ぶ復活祭、イースターです。 共に泣いた後、共に喜ぶ準備はできていますか。誰と寄り添い、祈ることができるでしょうか。 祈り:神様、弱っている人の友となってくださったイエス様の愛と復活の力を覚えます。私も、___さんの隣人となれますように。主の十字架に感謝し、死まで通ってくださったことに感謝します。 アーメン

詩篇40

「あなたを慕い求める人たちがみな あなたにあって楽しみ 喜びますように。 あなたの救いを愛する人たちが 『主は大いなる方』と いつも言いますように。」詩篇40:16 聖書に「あはは」というせりふがあるのか、と驚いたことがあります。この詩篇を読んだ時でした。嘲笑する者の声です(15節)。 イエス様が十字架にかかられた日、兵士やユダヤ人指導者、やじ馬たちは「あはは」とあざ笑いました。しかし、イエス様はこの人たちのために十字架上で祈ってくださいました。 復活のイエス・キリストが救い主で永遠のいのちを与える方だと、私たちは知っています。ですから、主イエスを慕い、この方にあって楽しみ喜びます。「主は大いなる方」だと、感謝に満ちて叫びます。 祈り:神様、あなたを慕い求めます。主の救いを愛します。キリストの十字架の苦しみが私のためであったと受け取ります。教会のそばを通る通行人や車の運転手が、十字架に気づき、心に飢え渇きを覚えて主を求めますように。職場や家庭にいる信仰者が、尋ねられた時に聖霊の与える言葉で話すことができますように。アーメン

詩篇39

「私はひたすら黙っていた。  良いことにさえ沈黙した。  そのため私の痛みは激しくなった。」詩篇39:2 昨日に続き、口を制することについて考えさせられます。 1節は「私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないように。口に口輪をはめておこう。悪しき者が私の前にいる間は。」 と、むやみに口を開かないことを述べます。 ところが2節を見ると「ひたすら黙って」「良いことにさえ沈黙した」結果、「痛みは激しくなった」というのです。 真理を真理として言わないことも、むやみに口を開くのと同じくらい良くないことである、ということです。 見ないふり、うわべだけの平和主義者ではなく、真心で接し戒めること、みこころを世の中に向けて発言することも、大切なクリスチャンの使命です。 今日、主が促しておられることは何でしょうか。 祈り:神様、あなたが与えてくださる真理、福音の恵み、励ましを発信できるように助けてください。兄弟姉妹にも、祈って真心からの言葉をかけることができますように。アーメン

詩篇38

「まるで私は 耳が聞こえず 口で争わない人のようです。 まことに主よ あなたを私は待ち望んでいます。わが神 主よ あなたが私に答えてくださいます。」詩篇38: 緊張や不安で動悸が激しくなり、心臓が飛び出てしまいそうだという経験は、多くの人にとってあるでしょう。 ダビデも「私の胸は激しく鼓動し(10節)」という状態を通っています。罪の嘆きと体調不良の中にいました。 わーっと叫びたいところです。誰かに愚痴を言いたい気分です。 しかし、ダビデは黙することを学びました。叫ぶ代わりに、愚痴の代わりに、主を待ち望み、主からの答えを聞こうとしました。 敵はあざ笑い高ぶるかもしれません(16節)が、人がどう思おうとも、主がわかってくださるという確信に支えられたのでした。 祈り:神様、私が人よりも主ご自身を待ち望み信頼できるように助けてください。人は思い思いのことを話し、勝手な解釈をします。移り行く意見に振り回されず、祈りながらみこころに沿った決断ができますように。中高生キャンプで一人一人が祈った祈りを、あなたが祝福してください。アーメン

詩篇37

「主によって 人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。 その人は転んでも 倒れ伏すことはない。 主がその人の腕を支えておられるからだ。」詩篇37:23-24 JS(中高生)キャンプの最終日です。進路や将来を祈っている若い人たちが、主の道を歩めますようにと祈ります。 キャンプの恵みの一つは、同じ年代の信仰の友ができることです。私自身も、高校生キャンプで知り合いになった同い年の友だちと、今日でもなお励まし合い、親しく交わりをもっています。主は、信仰の友を通しても歩みを支えてくださいます。 時には、友の忠告は耳に痛いです。しかし、主の真理が語られているなら、「つまずいた」と言わず、素直に受けとる者でありたいです。 「怒ることをやめ 憤りを捨てよ。 腹を立てるな。それはただ悪への道だ。(7節)」 祈り:神様、私の人生の歩みを導いてくださり感謝します。 若い世代の人たちを祝福してください。聖書的な価値観に立って祈り、決断できますように。主の教会を建て上げる、よい友を与えてください。アーメン

詩篇36

「神よ あなたの恵みはなんと尊いことでしょう。 人の子らは 御翼の陰に身を避けます。」詩篇36:7 神に愛された王ダビデでも、その人生は苦労続きでした。 ゴリヤテとの命がけの決闘、サウル王からの逃亡生活、戦いに次ぐ戦い、日々の王政、不倫の罪、子どもの死、神殿建設の却下、息子の反逆...。 外側だけでなく、彼の内面のストレスや悲しみも数知れずありました。 彼の詩篇が愛されるのは、私たちの感情を代弁してくれているからかもしれません。 その中で、彼は心の焦点を主に転換する習慣を教えてくれます。 状況が変わらなくても主の恵みをふと見上げます。 その時、主の御翼がすぐそこにあり、自分を覆っていることに気づくのです。 ダビデ以上に私たちの感情をすべて経験されたのは、人となられたイエス・キリストです。 どんな思いで地上生涯の最後の一週間を歩まれたでしょうか。 押し潰されそうな悲しみ・プレッシャーと、その中で神を見上げて信頼する心とは、私たちのどんな逆境も理解されるお方のものです。 祈り:神様、私のすべての感情を理解してくださる方が私の主であることを感謝します。病気ややむを得ない事情で、礼拝に来たくても来れない___さん、___さんの心の葛藤を思います。主が慰め励まし、信仰を強く保つことができますように。 御翼の陰に主がお守りください。アーメン

詩篇35

「盾と大盾を手に取って 私を助けに来てください。」詩篇35:2 今日から受難週、キリストが十字架への道を歩まれる週です。 「悪意のある証人どもが立ち 私が知らないことを私に問います(11節)」は、イエス様が裁判を受けた時を思い出させます。 私たちも、時に理不尽な状況におかれる時があります。 万策尽きて抗う力もなくなり、ただうずくまるしかない時もあります。 そんな無防備な者を助けに来てくださるのは、主ご自身です。 「盾」はエペソ6章では「信仰の盾」と表現されて出てきます。他の武具同様、私たちのために主が備え与えてくださる武具のひとつです。 主が助けであり、この方以外には解決がないという信仰を頂くなら、私たちがどれほど弱くても主の「盾」の守りがそこにあるという体験をします。 祈り:神様、あなたの守りの盾を感謝します。私の信仰を強め、助けてください。理不尽な状況に疲れはてた時、緊張した時、そして霊の戦いを覚える時、あなたの助けを呼び求めます。 あなたご自身が戦いにすでに勝利され、私たちにすでに武具を備えてくださっていることにも感謝します。アーメン

詩篇34

「味わい 見つめよ。 主がいつくしみ深い方であることを。 幸いなことよ 主に身を避ける人は。」詩篇34:8 この詩の表題は 「ダビデがアビメレクの前で、頭がおかしくなったかのようにふるまい、彼に追われて去ったときに。(「アビメレク」は1サムエル記21:11~の「アキシュ」のこと)」 です。 ダビデにとってはサウルに追われ、ペリシテの地で気が変になったふりをしなければならず、さらにそこも追われました。 恐れと情けなさの極みの状況を通った後の、心からの告白です。 「味わう」とは、豊かな味をじっくりと口の中に巡らせ、目を閉じ、舌や鼻の感覚を総動員する状態です。 いつくしみ深い主ご自身をそのように思い巡らす時、なんともいえない安心感に浸ります。 辛い状況を通れば通るほど、主のいつくしみの素晴らしさをもっと知っていくのかもしれません。 ぺテロは言っています。 「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。  あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。」  (1ぺテロ2:2~3) 祈り:神様、あなたのいつくしみを感謝します。どんな状況を通ろうとも、あなたに信頼できるように助けてください。職場や学校の人間関係に辛さを覚えている方々を励ましてください。避け所である主に身を寄せることができますように。アーメン

詩篇33

「全地よ 主を恐れよ。 すべて世界に住む者よ 主の御前におののけ。」詩篇33:8 今日の箇所には、「キリスト教国がなぜ戦争をするのか」という問いへの鍵が含まれていると感じます。 その国の為政者は「主の御前におののいて」いるでしょうか。 それとも、自分の都合のよいように宗教を利用しようとしているのでしょうか。 後者のために、様々な問題が起こってくるのだと思います。 主は心を見ておられます。もし利己的な思いなら 「主は 国々のはかりごとを破り もろもろの民の計画をくじかれる(10節)」方です。 歴史をふりかえる時、聖書の預言がそのとおりになり、「主のはかられることは とこしえに立ち みこころの計画は 代々に続く(11節)」ことがわかります。 詩人の「全地よ 主を恐れよ。 すべて世界に住む者よ 主の御前におののけ」という叫びが、今日も全世界に投げかけられています。 祈り:神様、全地を治めるあなたの前にひれ伏します。いつも自分の身の回りのことに気をとられがちですが、世界に目を向けて祈ることができますように。___国に派遣されている____宣教師、___国に派遣されている____宣教師の働きを覚えて祈ります。主が支え励まし、みこころの計画をその地で行ってくださいますように。アーメン

詩篇32

「私は自分の罪をあなたに知らせ 自分の咎を隠しませんでした。 私は言いました。 『私の背きを主に告白しよう』と。 すると あなたは私の罪のとがめを 赦してくださいました。」詩篇32:5 黙っていたときは、骨が疲れきり、一日中うめいていた(3節)と言っています。 それに比べて、罪を告白した喜びは「幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおおわれた人は」(1節)と、なんとすがすがしいことでしょうか。 ダビデは"ビフォー・アフター"のようにその経験を歌います。5節の前後に「セラ」とあるのも、じっくりと思い巡らし、胸がいっぱいになっているのかもしれません。 「それゆえ 敬虔な人はみな祈ります。」(6節) 罪がないのでなく、祈りですぐに罪を告白する人が「敬虔な人」とされるのです。 祈り:神様、罪を告白し悔い改める者を赦してくださり感謝します。もっとあなたに近づきたいです。心の底まで隠さず、全部を探っていただきたいです。私にも教会にも、裏表のない心と態度を与えてください。主の元に、すべてを開示し相談し導きを受け取ります。アーメン

詩篇31

「私の時は御手の中にあります。 私を救い出してください。 敵の手から 追い迫る者の手から。」詩篇31:15 先日、和歌山県でロケット「カイロス」の打ち上げが試みられました。 残念ながら延期、失敗となりましたが、「カイロス」という名前に心ひかれました。 「カイロス」とは「時」という意味ですが、単なる年月日や時間の長さではなく、「予定されていたその時、タイミング」というニュアンスがあります。 聖書でも、単純な時間の流れと、神の時である「カイロス」とは使い分けられています。 人は、人生を「○○年」という単純な時の流れで理解しようとしがちです。 しかし、人生が神の御手の中にあることを覚える時、人生の「この時」「あの時」は神のご計画の「時」だと知るのです。 神がいざなってくださる歩みなら、どんなに若くても、逆にどんなに高齢になっても、神の「時」に用いてくださるという希望がわいてきます。 祈り:神様、あなたの時「カイロス」を信じます。人生を後ろ向きに自己評価する姿勢を悔い改めます。あなたに信頼し、主の時の中で歩む日々が一番平安です。今日も御手の中で歩んでいきます。導いてください。アーメン

詩篇30

「まことに 御怒りは束の間 いのちは恩寵のうちにある。 夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。」詩篇30:5 この詩篇は冒頭に「家をささげる歌」とあります。 自分の家も車も主のもの、今日住まうことができるのは主の恵みです。 先日の礼拝ゲストが 「どの詩篇でも、ダビデは心をこめて主を賛美した」と言われました。 試練や主の訓練がない訳ではありません。 しかし、主は本質的に「恩寵」つまりあわれみと恵みに満ちた方です。 夕暮れには涙することがあっても、朝明けには喜びの叫びを与えてくださる方です。 主を賛美し、心から礼拝をささげる者として歩みたいと願います。 祈り:神様、あなたをほめ歌います。あなたのお名前を賛美します。 「夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある」と信じます。 今日、心にかかっている____のこと、____の問題は、すでに主が御手のうちに扱っておられると宣言し、感謝します。アーメン

詩篇29

「主は 大洪水の前から 御座に着いておられる。 主は とこしえに 王座に着いておられる。」詩篇29:10 「雷鳴」「木を引き裂く」「荒野を揺さぶる」ほどに力強い主の声。大自然を支配し、威厳のある創造主が、私の小さな祈りに耳を傾けてくださるとは、なんという光栄でしょうか。 主は偉大なゆえに、どんなに小さな声も聞き取ってくださいます。同時に、主ご自身が細いかすかな声で語られることもあります。 「...に違いない」「こうあるべき」という人の狭い常識にとらわれない方です。 今視野が狭くなっていることはないでしょうか。問題から目を離し、主を見上げて主の偉大な、あるいはかすかな御声を聞くことができるように祈りましょう。 祈り:神様、あなたは全地の造り主で全能の方であることをほめたたえます。私の霊の耳を開いてください。狭い了見を押し付けることなく、とりなしの祈り手となることができるように助けてください。悩みの中にある___さんにも、主がやさしくお語りくださり、導いてください。アーメン

詩篇28

「どうか御民を救ってください。 あなたのゆずりの民を祝福してください。 どうか彼らの羊飼いとなって いつまでも彼らを携え導いてください。」詩篇28:9 旧約時代の王は、政治のトップとして国を治め導く役割を果たしました。 一言では表せないほどの重い責任が、王の上にはありました。 旧約聖書を読むと、よい王様ばかりではありません。神への信頼を離れた時に、トップの王が国を正しく導くことが難しくなってしまったことを示しています。 ダビデは「主は私の羊飼い」と信頼し、主こそ民を正しく導く方だと知っていました。 「高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい」(1テモテ2:1)と聖書は語ります。主に信頼し、祈りながら責任を果たす人たちが、この国にもますます起こされていくよう祈ります。 祈り:神様、私たちの町、会社、学校、地域、府、国に与えられているリーダーを間感謝します。主を恐れ信頼する責任者がこれからも起こされていきますように。社会に影響を持つ人たちが、たましいの羊飼いである主に祈りながら決断できますように。アーメン

詩篇27

「待ち望め 主を。  雄々しくあれ。心を強くせよ。  待ち望め 主を。」詩篇27:14 かつて京都にいた頃、夏の間にこの詩篇を暗唱しようという取り組みがありました。 皆で1節ずつ覚え、礼拝メッセージも少しずつ講解されていったのを覚えています。 なかでも、宣教師の先生が「日本語の暗唱にチャレンジします」と一生懸命口ずさんで練習されていたのが印象的でした。 この詩の最後は「待ち望め 主を」と繰り返されています。 信仰者は、どんなこともただ待つだけでなく、望みをもって待つことができます。それは、主は良い方で、いつも良いご計画を持っておられると信じているからです。 祈り: 神様、あなたに信頼し、あなたの希望のご計画を信じて待ち望みます。 体調の回復を待っている方、新年度の導きを待っている方に、主の良いご計画がなりますように。アーメン

詩篇26

「主よ 私は愛します。 あなたの住まいのある所 あなたの栄光のとどまる所を。」詩篇26:8 教会には掃除や営繕、様々な連絡・関係の調整といった、表からは見えない事柄が多くあります。 いろいろな方が主と主の教会を愛し、それらを担っておられます。 ダビデも主の住まいにいることを愛しました。 失敗もありましたが、気づいた時にはすぐに主の前に出て悔い改めました。 「誠実に歩む」とは、そのような歩みです。 不完全な私たちが主に赦され、誠実に歩む歩みに入れられている恵みに感謝します。 祈り:神様、私たちを恵みのうちに赦し誠実な歩みへと導いてくださり、感謝します。もし、やり直しがきかないと思い、主や教会から離れている人がいるなら、もう一度回復させてくださる主の前に出ることができますように。私たちも、神様の愛と義の中で、祈り続けることができますように。アーメン 

詩篇25

「私のたましいを守り 私を救い出してください。 私が恥を見ないようにしてください。 私はあなたに身を避けます。」詩篇25:20 ダビデは主の恵みと慈しみに期待しています。 「主はいつくしみ深く正しくあられます(8節)」と宣言しながら。 王であるキリストは、支配するためでなく仕えるために人となって来られました。 罪から解放し、自由にし、ご自身を救い主と信じる者には聖霊がいつも共にいるようにしてくださいました。 また、主は「待ち望む者がだれも恥を見(2節)」ないようにしてくださいます。 代わりに、キリストが十字架で誰よりも恥を受けてくださったからです。 私のどんな感情も恥もこの方はわかってくださり、解決してくださる方です。 死ぬことを覚悟して、私のためにエルサレムに入り、十字架に向かってくださった方です。 祈り:神様、キリストがすべてを理解しあわれんでくださる方であることに感謝します。私が今感じている恥意識や自意識過剰の思いは_______________から来ています。その思い煩いをあなたの前に置きます。主の癒しと解決を待ち望みます。日本には恥意識で苦しんでいる方が多くおられます。キリストがすべてを背負って解放してくださる方だと知ることができますように。アーメン

詩篇24

「門よ おまえたちの頭を上げよ。 永遠の戸よ 上がれ。 栄光の王が入って来られる。」詩篇24:7・9 栄光の王が都の門に来ると、門は頭を上げ、戸を上げます。 想像してみてください。 門の厳重なロックがいっせいにガチャンと大きな音を立てて外れます。幕が上がるように戸が上がります。荘厳で感動的な光景です。 キリストが再び来られる時に、王を迎えるこのような光景が広がるでしょう。 私たちが罪の牢獄から自由にされた時にも、解放の門が上がりました。 そして毎回の礼拝でも、私たちは頭を上げ、心の戸を上げてキリストを心の深い深いところまでお迎えします。 祈り:神様、あなたの栄光をたたえます。素晴らしい主が、私たちの心の奥までお入りください。私の心を光で照らしてください。キリストを求めて来会しておられる___さん、___さんに、あなたとの確かな出会いがありますように。疲れて信仰が弱っている___さん、___さんに、あなたの励ましと力が心に注がれますように。アーメン

詩篇23

「主は私の羊飼い。 私は乏しいことがありません。」詩篇23:1 有名な詩篇です。主は羊飼いのように私を導いてくださる方、 イエス・キリストご自身が「わたしは良い羊飼いです」と言われました。 「乏しいことがない」の「乏しさ」とは何でしょうか。 お金や物質がないことを「乏しい」と表現しますが、それだけではないと思います。 頼れる友がいないことや学びのないこと、生きがいを失うことも「乏しい」と言えます。福音を知らない時の私は「乏しい」歩みでした。 キリストは私を「友」と呼んでくださいました(ヨハネ15:15)。 そして「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎを得ます(マタイ11:29)」とも言われました。 さらに、私たちはパウロと同様「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です(ピリピ1:21)」と言えるようにと目指します。キリストが生きがい、人生の意味そのものとなります。 祈り:神様、福音の豊かさ、キリストの満ち満ちたご臨在の中に入れてくださり感謝します。キリストに養われる羊として、私は乏しいことがありません。いつもその信仰に立てるように手をとり、導いてください。アーメン

詩篇22

「わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。 私を救わず 遠く離れておられるのですか。 私のうめきのことばにもかかわらず。」詩篇22:1 昨日のこどもメッセージは「ゲッセマネの祈り」でした。十字架にかかられる前に、イエス様が父なる神に向かって必死で祈りをささげられた夜のことでした。 その後捕らえられ、十字架にかけられました。十字架の上でのことばの一つが今日の聖句でした。 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と。 イエス様はそれだけでなく、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(ルカ23:34)とも祈ってくださいました。 想像を絶する苦痛の中にありながら、徹底的に人を愛しあわれんでくださった主イエス・キリスト。 この方を「地の果てのすべての者が 思い起こし 主に帰って来ますように。 国々のあらゆる部族も あなたの御前にひれ伏しますように。(27節)」 祈り:神様、あなたの愛とあわれみのご計画を感謝します。ひとり子を地上に送ってくださり、苦痛を伴う計画をあなたご自身で完成してくださいました。 今年も、あの大きな震災の日がやってきました。あなたは、地震で人生が一変してしまった人の心に寄り添い、希望を与えてくださる方です。感謝します。 世界中のすべての者が主に帰って来ますように。あらゆる部族があなたの御前にひれ伏して、感謝と賛美をささげることができますように。アーメン

詩篇21

「あなたは 幸いに至る祝福をもって彼を迎え 頭に純金の冠を置かれます。」詩篇21:3 天国に行った時、主がどのように迎えてくださると思いますか。 今日の詩篇には、神に信頼する王が祝福される情景が描かれています。 これは、主に生涯従い通した信仰者が、やがて主の元で祝福を受ける様子と重なるとも言えます。 涙と共に主に従う決断をしたこと。友人や親戚からの同調圧力に屈せず、みことばの約束を信じたこと。聖霊の促しに降伏し、自我を十字架につけたこと。すべてを主は覚えておられます。 先週はKBIの卒業派遣式でした。派遣される一人一人の「主に信頼しているので いと高き方の恵みにあって揺るぎません(7節)」という告白を見る思いでした。 私たちも恵みによって神の王子、王女とされました。主ご自身を見上げて、純粋な心で今週も歩み出せますように。 祈り:神様、あなたの恵みははかりしれません。罪の中を歩んでいた私を救い、神の子どもとして御国に迎えてくださることに感謝します。 地上の見えるものにではなく、見えないものに霊の目を向けることができますように。やがてあなたがくださる冠を目指して生きていきます。日々の歩みを導いてください。アーメン 祈り: 「王は 主に信頼しているので いと高き方の恵みにあって揺るぎません。」詩篇21:7

詩篇20

「ある者は戦車を ある者は馬を求める。 しかし私たちは 私たちの神 主の御名を呼び求める。」詩篇20:7 5節までは王のためのとりなしの祈りです。 その後、信仰の宣言とも言えることばが続きます。 目に見えるいかにも強そうな戦車や馬よりも、神である主のお名前を呼び求めることこそ、勝利につながるのだと。 今日、何に救いを求めていますか。老後の安定は貯金や保険、社会保障、不動産によるのでしょうか。あるいは、主が共にいてくださることによるでしょうか。 先輩の信仰者たちも、今日の私たちと同じようなチャレンジを受けたはずです。 そして、多くの人が「主に頼るなら主がよくしてくださる」という証しを残して生涯を全うしました。 どんな生涯を全うしたいですか。きりのない不安にさいなまれる人生より、最後まで主に頼り通すあかしを遺産として残したいと願います。 祈り:神様、見えるもの、計算できるものばかりに意識をとらわれることがありませんように。見えないもの、主の目に価値あるものに気づかせてください。あなたの守りを信じて感謝します。あなたの約束による平安と知恵を今日も与えてください。アーメン

詩篇19

「天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。」詩篇19:1 日差しが明るくなってきました。空を見上げてこの節を思い巡らしてみませんか。 青い空の端から端までが、神のみわざをほめたたえているとしたら。夜の星空すべてが、神の栄光を賛美しているとしたら。 神を礼拝し賛美しているのは私たちだけではありません。大自然の被造物もまことの神の栄光を表していると思うと、私たちは決して孤独な信仰者ではありません。 そして、大自然さえも従わせるお方が人となってこの地上に来てくださったとは、何という謙遜、何という愛だろうかと驚くのです。 祈り:神様、感謝します。キリストは大自然や宇宙まで造られ治めているお方なのに、私を救うために人となり、十字架にかかってくださいました。私も大空を見上げながら、心を尽くしてあなたを賛美し礼拝します。アーメン

詩篇18

「主は私を広いところに導き出し 私を助け出してくださいました。 主が私を喜びとされたからです。」詩篇18:19 私は狭い場所が苦手です。エレベーターでも洞穴でも。明るく広い場所に出るとほっとして、深呼吸できる思いです。 ダビデの状況はもっと深刻でした。敵に追われ、命を狙われていました。 18篇は、そんな状況から救い出された時の賛歌です。主の力強い御手、みわざが綿々と賛美されています。 岩であり、地を揺るがせ、天を押し曲げて来られる方。雹や雷鳴に表される主の「鼻の荒い息吹」。 同じ力強い全能の主が、私たちとも共にいてくださいます。私たちにとっての大きな恐れや悩みも、この方には小さく、解決可能なものばかりです。 祈り:神様、私には____の悩みや_____の葛藤があります。あなたの力強い御手でそれらをつかんでください。解決をあなたの方法にゆだねます。主にあって、私は広いところに導き出され、安心して深呼吸をします。感謝します。アーメン

詩篇17

「瞳のように私を守り 御翼の陰にかくまってください。」詩篇17:8 ヘンリ・ナウエンは次のように書いています。 「...わたしがパン屋で働いていたとき、ちょっとした難くせをつけられたり、時たまいらいらさせられたりして、わたしは深い憂鬱な気分にまっさかさまに突き落とされたのです。...わたしは自分が崩れていくのに気がついて、なんと些細なことで心の平安を失い、自分のまわりの世界を冷静に見られなくなるのだろうか、と全く驚いたのです。ああ、わたしは何と傷つきやすいことか。」(『イエスの示す道』pp.113~114) 私たちは傷つきやすく、神なしにはその反動で恨みや憎しみに苛まれてしまいます。 しかし、神は私たちを「瞳のように」守り、「御翼の陰に」かくまってくださいます。 神の元に身を寄せましょう。心ない言葉や攻撃があっても、主がかくまってくださる私たちの内面は静けさを保つのです。 祈り:神様、無防備な心は傷つきやすく痛みます。しかしあなたが私を瞳のようにかくまい守ってくださり、そこは守りと平安の場所であることに感謝します。主の元に身を避けます。傷心の中にある____さん、____さんに、格別の主の守りと励ましがありますように。アーメン

詩篇16

「私はほめたたえます。助言を下さる主を。 実に 夜ごとに内なる思いが私を教えます。」詩篇16:7 ダビデには、生涯にわたって課題が数限りなくありました。失敗や悩み、そして重い責任を負った人でした。 しかし彼は、内なる思いに主が働き、助けてくださることを知っていました。それゆえ主をほめたたえることができました。 夜寝る前に考え事をして、眠れなくなることはありませんか。自分の知恵や思考では限界があり、解決がないまま同じことを堂々巡りすることさえあります。 そんな時、「助言を下さる主」に祈りで重荷を話しゆだね、考えを手放して切り替えることをこの詩篇から教えられます。 聖霊が助け教え、私たちを導いてくださることに期待しましょう。 祈り:神様、私の悩みをあなたにゆだねます。あなたの知恵、あなたの解決に期待し、思い煩いを手放します。導いてください。アーメン

詩篇15

「舌をもって中傷せず 友人に悪を行わず 隣人へのそしりを口にしない人。」詩篇15:3 SNSでだれもが発信できる時代です。便利で良いことも多くある反面、心ない言葉で傷つけたりデマが広がったりするトラブルも続発しています。 詩篇15篇を読むと、モラルの基準を教えられます。表裏なく誠実であること、他者への中傷や悪口を言わない人(2~3節)。損になっても約束を守る人(4節)。賄賂を受けない人(5節)...。 他人への誠実さを主は喜ばれます。気に入らない人を軽々しく引き下げるのは罪深い反応です。かえって祈りと誠実をもって対応できますように。主が喜ばれ、ご自身の臨在をもって祝福してくださいますように。 祈り:神様、私たちの弱い感情や至らない行動を赦してください。あなたの御前に悔い改め、誠実を尽くしたいです。SNS悪用の危険から、子どもや若い人たちをお守りください。SNSやインターネットでいじめにあったり傷ついたりしている人に、主の愛の希望が届きますように。アーメン

詩篇14

「愚か者は心の中で『神はいない』と言う。 彼らは腐っていて 忌まわしいことを行う。 善を行う者はいない。」詩篇14:1 パウロは、この詩篇をローマ書で引用しています。 「義人はいない。ひとりもいない。...善を行う者はいない。だれ一人いない(ローマ3:10-12)」 人間はひとり残らず罪人であることを表しています。だからこそ、イエス・キリストの救いが必要なのです。 「ああ イスラエルの救いがシオンから来るように(7節)」の叫びは、キリストの十字架によって実現しました。しかも旧約のイスラエルにだけでなく、世界中の民にとっての救いとなってくださいました。 イースターを控えた受難節と呼ばれる期間、キリストの十字架の血潮を特に覚えて静まりと悔い改めの期間を過ごしたいと願います。今日の聖餐式でも、その思いを主の前にささげ祈りましょう。 祈り:神様、私たちはだれ一人義人ではありませんでした。ただ、あなたの十字架の血潮により「義と認められ(ローマ3:24)」たことを心から感謝します。___さん、____さんがキリストを明確に救い主として受けとれますように。アーメン

詩篇13

「主よ いつまでですか。 あなたは私を永久にお忘れになるのですか。 いつまで 御顔を私からお隠しになるのですか。」詩篇13:1 ダビデは祈りの答えをなかなか見られず、このように叫びました。 神様の前に、どんな感情も包み隠さず出しました。 無礼でしょうか?いいえ、大丈夫です。 神様の前にいつも率直だったからこそ、ダビデは感謝も悔い改めも幼子のように実行しました。そして神様も、ダビデの子孫を通して約束の救い主を送ってくださいました。 ダビデはこうも叫んでいます。 「私はあなたの恵みに拠り頼みます。 私の心はあなたの救いを喜びます。 私は主に歌を歌います。 主が私に良くしてくださいましたから。(5~6節)」 どんなことでも打ち明けられる関係が、神様との関係になっているでしょうか。 祈り:神様、私の感情も叫びも聞いてくださることに感謝します。あなたはすでに全てをご存じですが、______のことを打ち明けます。 また、_____の答えを待つのはいつまででしょうか。あなたの答えを待ち望んでいます。あなたの恵みに拠り頼みます。主が私に良くしてくださいましたから。アーメン

詩篇12

「主のことばは 混じり気のないことば。 土の炉で七度試され 純化された銀。」詩篇12:6 「本音と建前」に、日本人ならほとんどの人がその場面を思い浮かべることができそうです。仲が良さそうでも、裏では陰口を言う人を見かけることさえあります。 今日の詩篇は「人は互いにむなしいことを話し へつらいの唇と 二心で話します(2節)」と語っています。 しかし、主のことばは「雑じり気のないことば(6節)」です。それは何度も精錬された貴金属のように純粋です。そして、うそ偽りのない約束です。 祈り:神様、あなたが「へつらいの唇と傲慢の舌を ことごとく断ち切ってくださいますように(3節)」。裏切られ、人間不信に陥っている者の避け所となってくださり感謝します。 あなたは「彼らを守られ 今の代からとこしえまでも 彼らを保」る神です(7節)。どうか励まし支えてください。私にも純粋な心と舌を与えてください。アーメン