II列王記25

「ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日、バビロンの王エビル・メロダクは、王となったその年のうちにユダの王エホヤキンを牢獄から呼び戻し、 優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。 
 彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。彼の生活費はその日々の分を、一生の間、いつも王から支給されていた。」II列王記25:27~30

エホヤキン王と人々がバビロンに引いていかれ、捕囚生活の年月が過ぎていました。悲しみの36年が、26節と27節の間にあります。
しかし、列王記は悲しみではなく希望で終わります。そしてそれは、神様がダビデの子孫が続くといういう約束を忘れておられないことの現れです。それを記した列王記の筆者にも、神の真実への信頼が与えられていたことでしょう。

今日の私たちの態度や言葉も、点検したいと思わされます。神の希望、神への信頼を表しているでしょうか。
否定的なことや、人を引き下げるような話題が多いなあと気づくなら、思いと言葉を主が支配し変えてくださるように祈りたいですね。


祈り:神様、あなたに身を寄せる者には、いつも希望があることを覚えます。私の口や思いから、否定的なこと、不信仰な考えを取り去ってください。このアドベントの時期、教会もひとりひとりも、あなたからの平安と感謝の思いで満ちあふれますように。御霊の実が実りますように。アーメン