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ルカ24

「それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、」ルカ24:45 そうして、次のことを言われました。 「『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、あなたがたは、これらのことの証人となります。」(46~48節) イエス・キリストこそ、聖書を悟らせてくださる方です。 聖書が難しい、と嘆かず、霊的な目と心を開いていただけるよう願いましょう。 光が差すように、少しずつ主の霊が働いてくださいます。 祈り:神様、聖書を理解したいのに難しいと感じることがあります。知性だけでなく、霊性でわかるように助けてください。私の霊の目を開いてください。アーメン

ルカ23

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。」ルカ23:34 ローマ帝国の遺跡は世界遺産となり、素晴らしい価値があると考えられています。 現代も現役で使われている橋や門すらあるそうです。 しかし、その帝国の支配下で十字架刑が執行されていたのでした。 イエス様が十字架の上でこのように祈られたことを、ともすれば軽く読み流してしまいます。 しかし、私自身が「衣を分けるために、くじを引いた」者の一人であったと考えたことがあるでしょうか。 イエスに無関心、十字架に無関心であったローマの兵隊や大部分の群衆のように、私たちも福音に無関心であった者でした。 それでもイエス様は「父よ、彼らをお赦しください」と祈り招き続けてくださったのです。 祈り:神様、十字架の出来事が今も同じように救いの価値があることを覚えます。イエス様の祈ってくださった愛と時代を超越した恵みに感謝します。アーメン

ルカ22

「食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。』」ルカ22:20 イエス様が十字架で血を流されたことにより、新しい契約がもたらされました。 それは、古い律法によるのではなく、いのちを与え、みずみずしく、解放と自由をもたらすものでした。 新しい契約により、聖霊が自由に働かれ、一人一人に与えられました。 ペンテコステの日、聖霊にある自由を味わい感謝しましょう。 祈り:神様、すべての鎖や罪の束縛から自由にされたことを感謝します。聖霊がくだってくださったことを感謝します。ペンテコステの感動を新たにすることができますように。アーメン

ルカ21

「あの人たちはみな、あり余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」ルカ21:4 再び2レプタ銅貨をささげたやもめの記事が出てきます。 この女性は、この後どうなったでしょうか。 聖書は沈黙していますが、きっとその生活は守られたことでしょう。 なぜなら、イエス様が目を留めてくださったからです。 自分の手にあるものだけを眺めているか、 天の宝を見上げるか、 今日の私の目線はどちらでしょうか。 祈り:神様、私の目線が天を見上げるものとなりますように。アーメン

ルカ20

「律法学者たちと祭司長たちは、このたとえ話が自分たちを指して語られたことに気づいた。それでそのとき、イエスに手をかけて捕らえようとしたが、民を恐れた。」ルカ20:19 律法学者と祭司長たちの特徴は、いつも「人」を恐れたことでした。 人の評価、人の評判、人の歓心をかうことにばかり意識が向いています。 一方、イエス様は「神」を恐れることで一貫しておられます。 ぶれることなく、焦点が定まっていたことがわかります。 私たちの関心はどこにあるでしょうか。 神に喜んでいただくことでしょうか、それとも人情や人の目に偏っているでしょうか。 祈り:神様、私の視点をあなたに定めることができますように。主が喜ばれるかどうかが、私の判断、決断の基準になりますように。今岐路に立たされている___さんが、祈りつつ主のみこころを受け取れるよう、格別の励ましを注いでください。アーメン

ルカ19

「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」ルカ19:10 ザアカイについての記事はわずか10節足らずです。 にもかかわらず、しばしばメッセージで語られ、子どもでもおとなでも印象に残るキリストの出会いについての話です。 情景が浮かびます。 背の低いザアカイ、金持ちだったけれども嫌われており、苦肉の策で木に登った彼の姿は、私たちに共感を与えます。 考えてみれば、誰しもザアカイのような側面があります。 劣等感、不全感、それを埋めようと求めていること、キリストに知られているという喜び、悔い改め、すべてが新しくされたこと、心の一新が行動にも表れること。 「キリストは、失われた私を捜して救うために来られた」という恵みを受け取りましょう。 祈り:神様、私のためにイエス・キリストが地上に来られ、十字架で罪をあがなってくださったことに感謝します。キリストの霊である聖霊によって、今日も導かれていkたいです。アーメン

ルカ18

「あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」ルカ18:14 パリサイ人よりも、胸をたたいて祈っていた取税人が義と認められた、というたとえ話です。 パリサイ人の行いは一見立派でした。ところが、心の中は高ぶっており、自分の義を行いで証明しようとしました。 一方取税人は、自分の心の醜さと罪深さを自覚し、悔い改めと赦しを乞う祈りをしました。 つい他人にいらいらしたり、自分のやり方が正しいと思いがちな時には、肉に任せて自分を高くしている時かもしれません。 「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」という聖書の原則を、心にとめておきたいと思います。 祈り:神様、他人をさばかず、へりくだる心を与えてください。あなたの恵みで赦された罪人であることを思い返し、感謝とあわれみの心をいただきます。アーメン

ルカ17

「同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」ルカ17:10 これだけやったのに報われないなあ、と感じることがありますか。 仕事では、要領のよい同僚がどんどん出世し、後輩の給料が上がっていくのに、自分は取り残されているように思えることがあります。 一生懸命子育てをしても、子どもが反抗してしまうこともあります。 家事も、やってもやっても終わりがありません。 もしかすると、教会の奉仕や信仰生活までも、同じような気持ちになることがあるかもしれません。 しかし、神様に対してするのは喜びが動機であり、恵みへの応答が原動力です。 「私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです」と言えるでしょうか。 もし言えないなら、肉でやり過ぎているか、人の評価を求めているかかもしれません。 心を探り、主が何を望まれるかを共に吟味しましょう。 祈り:神様、一生懸命伝道した___さんの反応がよくなかったり、奉仕が思うように喜ばれなかったりすると落胆してしまいます。あなたの前に、心から仕えるしもべとなりたいです。私の心を探ってください。アーメン

ルカ16

「イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。』」ルカ16:15 「金銭を好むパリサイ人たちは、これらすべてを聞いて、イエスをあざ笑っていた」 (14 節)と書かれています。 当時の教師たちがお金の多少で動いていたのは、神のみこころからずれていることですね。 今も多くの「宗教」でお金目当てと思われるものがあります。 もちろん、お金は日常生活に欠かせないものです。 しかしそれ以上に「主は心を見られる」ということを、私たちイエス・キリストを信じる者は覚えていたいと思います。 たとえつましい生活でも、心を寄せ合い暮らす人々は、周囲にとっての光であり励ましです。 くよくよしないで、与えられているものを感謝し満たしを信じて歩みましょう。 祈り:神様、生活ぶりを比較して落ち込むことがありませんように。自ら働き、主が備えてくださるものを感謝して受け取り、祈りつつ知恵をもって用いていくことの喜びと恵みを一人一人が体験できますように。アーメン

ルカ15

「 だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」ルカ15:32 放蕩息子の弟は、悔い改める罪人のたとえです。 兄息子はいらいらし、不満を父にぶつけました。 しかし、弟息子の悔い改めは、迷っていた1匹の羊のように、あるいはなくした1枚の硬貨のように、天の国では喜びでした。 兄息子のような態度を取りがちな私たちです。 しかし、自分が弟息子だったことと、今や御国の相続人とされていることを思うと、不満の前に感謝を表す者であるようにと気づかされます。 これだけのたとえを用いて、神様は忍耐強く教えてくださっているのです。 祈り:神様、私は感謝の足りない者です。ひがみや妬みの心を造り変えてください。自分の置かれている恵みを感謝し、新しく永遠のいのちを持つ人に寄り添い、ともに喜ぶ者になれますように。アーメン

ルカ14

「 あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。」ルカ14:28 イエス様は、計画や予算を立てることの大切さを否定してはおられません。 私たちの生活や事業が、計画されて持ち運ばれるのは大切なことです。 ただ、ここではさらに一歩進んだことを言われました。 それは主の弟子として従うことについてです。 「 そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません」(33節) と言われました。 自分の財産、つまり人生をかける覚悟ができているのか、と問われたのです。 同じ問いが私たちに投げかけられた時、どのように答えますか。 祈り:神様、キリストの弟子になるための心構えを教えてくださって感謝します。 私に人生の優先順位を正しくつけることを教えてください。アーメン

ルカ13

「それはからし種に似ています。ある人がそれを取って自分の庭に蒔くと、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」ルカ13:19 神の国は、はじめはからし種のように小さくても、だんだんと成長して大木のようになります。 パン種(イースト)も、パン全体を膨らませます。 イエス様のたとえはわかりやすいですね。 そして、私たちに神の国のイメージを与えてくれます。 しかも、成長させてくださるのは主ご自身です。 私たちにゆだねられているのは、神の国の福音を分かち合うこと、そして神の前に純粋な信仰を持つことです。 祈り:神様、神の国が大きくなる約束を信じます。純粋な信仰を与えてください。今信仰がぐらぐらしそうな人がおられたら、主がどれほど真実で信頼できる方であるかを実感できますように。アーメン

ルカ12

「あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるのです。」ルカ12:34 教会の月間会計報告の横に、この聖句が書かれています。 「宝」とは自分にとって価値のあるもの、そこに私たちの「心」があるということです。 「自分のために、天に、すり切れない財布を作り、尽きることのない宝を積みなさい。天では盗人が近寄ることも、虫が食い荒らすこともありません」(33節)とも イエス様は言われました。 自分のためだけにためこもうとしていませんか。ささげる姿勢、天に宝を積む人は、心もそこにあるのです。 祈り:神様、私の心を探ってください。どこに宝があるのか、自分自身の心を見張ることができますように。アーメン

ルカ11

「ですから、自分のうちの光が闇にならないように気をつけなさい。」ルカ11:35 肉体の目のことではなく、心の目が健やかであるようにとイエス様は教えられました。 外側をいくら立派に装っていても、内側が汚れた思いや貪欲でいっぱいになっているなら、神の望まれるライフスタイルではないというのです(39節)。 せっかく心に救いを得たのなら、その感謝と感激がしぼまないうちに、応答を実践しく私たちでありたいと思います。 イエス様はひとつの例として、貧しい人たちへの「施し」、つまり持っているものを分け与えることを挙げられました。 今日の私たちは、どのように分け与えることができるでしょうか。 直接与えることはもちろん、献金を送ること、祈りに覚えること、時間を使うこと、話を聞くことなど、私たちの与えられているものを分け与えることができます。 祈り:神様、。あなたの恵みに応答し、それを実践するものとさせてください。律法や規則でなく、自発的な思いで気前よく与え、共に喜ぶ者とならせてください。アーメン

ルカ10

「その後、主は別に七十二人を指名して、ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた。」ルカ10:1 ルカ10章を改めて読むと、何と様々な記事がぎっしり詰まった章だろうか、と驚きます。 「収穫は多いが、働き手が少ない」と人々を遣わされたこと、平安の子、黄金律、良いサマリア人のたとえ、マリアとマルタ姉妹・・・。 その1節には、主が行かれる予定の場所に、「先に」72人の弟子を使わしたとあります。 イエス様が先頭に立ってすべてなさるのではなく、私たちを任命し、主の権威を与えて派遣してくださるのです。主が責任を取ってくださり、私たちは主の手足として遣わされていきます。 ある人は大きな町へ、別の人は寒村へ。 でもどちらも、主が同じように召してくださいました。 人同士の比較は意味がありません。 召してくださった主がよしと言われたら、それで良いのです。 祈り:神様、目立つもの、華やかな働きなどに目がとまり、自分の奉仕が小さいものに思えます。しかし、あなたの召しに従っているならそれが一番確かな道です。へこまず、たゆまず、今日も歩ませてください。アーメン

ルカ9

「十二人は出て行って、村から村へと巡りながら、いたるところで福音を宣べ伝え、癒やしを行った。」ルカ9:6 「旅には何も持って行かないようにしなさい。杖も袋もパンも金もです。また下着も、それぞれ二枚持ってはいけません。」ルカ9:3 遣わされた場所で弟子たちは福音を宣べ伝え、癒やしを行いました。 その旅には、必要以外のものを持っていかないようにとイエス様は諭されました。 その理由には ・神以外の持ち物に頼ることがないように。 ・身軽に導かれた場所に移動できるように。 ・もてなす側の人の信仰が、もてなしによって成長するため。 など、いろいろな側面があります。 私たちも、様々なしがらみや不要なものに囲まれて生活していることはないでしょおうか。 それらが幸せよりも不安と執着を呼んでいるなら、ライフスタイルを見直す時期かもしれません。 神の国と神の義を第一にするとき、神が養ってくださるという信仰をもって歩めますように。 祈り:神様、私の信仰を強めてください。あなたに信頼し、他のものに執着する心から守ってください。アーメン

ルカ8

「ですから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまで取り上げられるからです。」ルカ8:18 取り上げられてしまう人はかわいそうに聞こえますが、これはイエス様の恵みに満ちたことばだといえます。 注意して聞く、というのは、ただ自分のためだけに聞くのでなく、これから福音を宣べ伝える人々のためにも聞くということです。 そして、正しく理解しなかった真理は失われてしまうが、実践される真理は増え広がっていくことも教えられています。 私たちは聖書のこと、イエス・キリストのことを聞いています。自分のためだけでなく、家族をはじめ周囲の人々に分かち合えるようになることを、主は望んでおられます。 分かち合う時、福音の恵みがさらに自分の中にも周囲にも増え広がり、恵みが何倍にもなることを体験します。 祈り:神様、あなたの愛と恵みについて聞いたことを分かち合えるよう、助け導いてください。この地域に主の福音と恵みがあふれ流れていきますように。アーメン

ルカ7

「ですから、私自身があなた様のもとに伺うのも、ふさわしいとは思いませんでした。ただ、おことばを下さい。そうして私のしもべを癒やしてください。」ルカ7:7 もうずいぶん前のことですが、メイドさんのいるお宅に伺ったことがあります。 柔らかい物腰で話される主人でしたが、メイドさんには端的にすべきことを命じておられました。 メイドさんを見下すのではなく、権威を持って言葉を発しておられたのでした。 百人隊長も権威についてよく理解していました。そして、イエス様のことばにはたしかな権威と効力があることを信じていました。 それがイエス様を驚かせるほどの彼の信仰でした。 私たちも、イエス様のことばには権威と効力があることを、百人隊長のように信じて歩みましょう。 祈り:天の神様、みことばには力があること、そのことばの基であるキリストこそ私たちの主であることを認めます。今日も信仰によって歩ませてください。アーメン

ルカ6

「さばいてはいけません。そうすれば、あなたがたもさばかれません。人を不義に定めてはいけません。そうすれば、あなたがたも不義に定められません。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦されます。」ルカ6:37 イエス様は、さばかないことと赦すこととを勧められました。 そして「父があわれみ深いように、あわれみ深くなりなさい」とも。 それは他者のためではなく、自分のためであると教えてくださったのです。 さらに、気前よく与えることも祝福になると言われました。 昨日はシンガポールチームが訪問してくださいました。 彼らの時間や資源のささげ方にはっとさせられます。 彼らが豊かで満ち足りているように思えるのは、神様がすべてを知って報いておられるからなのだと学ばされます。ささげ方を学ぶ良い機会でもありました。 祈り:神様、あなたが私に委ねてくださった資源を賢く管理させてください。つまらない心でさばいたりねたんだりすることから、心を自由にし、天国人としての歩みに導いてください。アーメン

ルカ5

「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」ルカ5:11 「するとレビは、すべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った。」ルカ5:28 シモン(ぺテロ)、ヤコブ、ヨハネ、そしてレビ(マタイ)が弟子となった経緯が記されています。 「すべてを捨てて」と繰り返されています。 イエスの弟子となるために、彼らは収入を得る手立てを捨てました。 また、自分の住み慣れた快適な場所(コンフォートゾーン)から一歩踏み出しました。 アーティストやスポーツ選手のファンになったことがありますか? 熱狂的なファンがどこまでもついて行く姿を思い浮かべてください。 イエス様に従うのは、それ以上の理由と意味があります。 永遠のいのちを与え、福音をもたらす方だからです。 古ぼけた過去の話ではなく、今日の私たちに生きて関わってくださる方です。 祈り:神様、弟子たちがすべてを捨てて従うほどの福音の価値を、私もかみしめ共有したいです。自分だけの快適な生活を求めるのではなく、主に従う日々を味わわせてください。アーメン