投稿

8月, 2023の投稿を表示しています

エレミヤ13

「私はユーフラテス川に行って掘り、隠した場所から帯を取り出した。すると見よ。その帯はぼろぼろになって、何の役にも立たなくなっていた。」エレミヤ13:7 神様は、実物教材を用いて預言の内容を理解しやすくされることがあります。 エレミヤが買って腰に巻いたリネンの帯もそうでした。 外して、ユーフラテス川のほとりにある岩の割れ目に隠すようにとのことでした。 普通、布を野ざらしにすると、傷むのは想像がつきます。その通り、帯はぼろぼろになっていました(7節)。 そのように、神様はユダの国のプライドや高慢をぼろぼろにすると言われました(9節)。それは、彼らの罪ゆえでした。 神様は、帯を身に付けるようにユダの人々を愛してくださっていたのでした(11節)。勝手に離れて行ったのは人々でした。 義である神様は裁きをしないわけにいきません。でも、その背後にはあふれるばかりの愛があることを覚えます。 祈り:神様、あなたは人を愛し、帯を身に着けるようにみそばにおいてくださる方です。警告でさえも、私たちが気づくように示してくださいました。私に従順な、柔らかい心を与えてください。混乱ではなく、平安と静まりの心を与えてください。アーメン

エレミヤ12

「主よ。私があなたと論じても、 あなたのほうが正しいのです。 それでも、私はさばきについて あなたにお聞きしたいのです。 なぜ、悪者の道が栄え、 裏切りを働く者が みな安らかなのですか」エレミヤ12:1 エレミヤの問い、なぜ悪者が栄えるのか(そしてなぜ神は何もなさらないのか)は、旧約聖書によく出てきます(ヨブ21、詩篇73、ハバクク1など)。時折、私たちも感じるかもしれません。 「はっきりした答えは書かれていませんが、やがて悪者は滅び、神の前に正しい人が回復するということが明らかです。信仰者の態度とは、神に信頼することです。とりわけ、自分の人生については。(NKJV Spirit=-filled Bible )」 わからないことは神のミステリーのうちにあり、摂理の中で持ち運ばれるという信仰が、全てを説明しようという試みよりも平安と満足を与えることも多くあります。 やがて天国に行ったら、イエス様に直接聞いてみたいです。 祈り:神様、「なぜですか」と聞きたいことが多くあります。この世の矛盾や理不尽なことに腹立たしく思うこともあります。しかし、あなたが全てを持ち運んでくださること、ご存知であることを覚え、委ねます。あなたにお任せする信仰を与えてください。アーメン

エレミヤ11

それゆえ、主はアナトテの人々について、こう言われる。「彼らはあなたのいのちを狙い、『主の名によって預言するな。われわれの手にかかって、あなたが死なないように』と言っている。」エレミヤ11:21 エレミヤの警告の預言を妨害しようとしたのは、外国ではありませんでした。 「アナトテ」とは、何と、エレミヤの出身地です。 「ベニヤミンの地、アナトテの祭司の一人であったヒルキヤの子エレミヤのことば」(1:1)。 一番理解してほしい人々、わかってくれていると思っていた人々が、エレミヤに反対し命まで狙いました。 私たちも、一番わかってほしい身近な人々から理解してもらえないこと、反対されることがあるかもしれません。辛いですね。 でも、イエス様でさえ、故郷ナザレの人たちからは理解されませんでした。 「イエスご自身、『預言者は自分の故郷では尊ばれない』と証言なさっていた。(ヨハネ4:44)」 しかし、主なる神様はわかってくださいます。そして、エレミヤを守ったように、神に従う者を見捨てることはなく、いつも共にいてくださいます。 祈り:神様、身近な人から見放され、理解されないように思うことがあります。けれども、あなたはすべてを知っておられます。今日、孤独を感じている兄姉がいるなら、あなたの臨在がいっそう強く感じられますように。慰めと励ましを与えてください。アーメン

エレミヤ10

「主の御声に、天では水のざわめきが起こる。 主は地の果てから雲を上らせ、 雨のために稲妻を造り、 ご自分の倉から風を出される。」エレミヤ10:13 先週は毎日のように夕立がありました。黒っぽい雲がだんだん近づき、風が吹いて強い雨と雷がやってきました。その音と落雷の強さに、大自然の力を改めて感じました。 今週の天気はどうなるでしょうか。私たちは予報することはできても、天気そのものを変えることはできません。 しかし聖書は、神様が雲、雨、稲妻、風といった大自然をも治めておられる方だと語ります。 よく賛美する聖歌480番の 「輝く日を仰ぐ時 月星眺むる時 雷鳴り渡る時 まことのみ神を思う」 は、まさしくそのことを歌っています。 祈り:神様、自然は、あなたが造られ支配しておられることに思いを向けます。偉大なお方であるあなたを賛美します。今日も空を見上げる時、山を遠くに見る時、主が全地の王であることを賛美し、祈り心を持てますように。アーメン

エレミヤ9

「誇る者は、ただ、これを誇れ。 悟りを得て、わたしを知っていることを。 わたしは主であり、 地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。 まことに、わたしはこれらのことを喜ぶ。 ──主のことば。』」エレミヤ9:24 「私の目が涙の泉であったなら...殺された者たちのために 昼も夜も、泣こうものを(1節)」と、涙の預言者エレミヤは言います。国が滅びて荒廃する情景は、涙なくしては語れませんでした。 何よりも、人々が悔い改めず、「自分の知恵」「自分の力」「自分の富」(23節)とを誇り頼っていたことが、悲しむべきことでした。 エレミヤは「誇る者は、ただ主を知っていることを誇れ」と叫びました。 今日の私たちも、つい「自分の知恵」で判断したり、「自分の力」で行動したり、「自分の富」に安心したりということがあります。知恵、力、富は悪いものではありませんが、主よりも頼っているなら危険信号です。 「誇る者は主を誇れ」(1コリント1:31、2コリント10:17)をもう一度確認し、主に信頼していきましょう。 祈り:神様、あなたが私のすべてを誰よりも知ってくださり感謝します。知恵も力も富も、すべてはあなたからの賜物です。主のご支配と統治を信じます。難しい状況にある___さん、____さんに、主のご介入がありますように。 私も、日々主からの知恵、力、富を頂き、正しく用いることができますよう、助けてください。アーメン

エレミヤ8

「私の悲しみは癒やされず、 私の心は弱り果てている。」エレミヤ8:18 うつ状態の時に思わず口にしそうな言葉ですが、ここでのエレミヤは自己憐憫に陥っているわけではありません。 神の語りかけを聞こうとしないで滅びに向かっている自分の国イスラエルと、そこに 住む人々を思っての義憤が現れているのです。 まことの神を第一とせず、偶像礼拝や軍事力に頼ろうとするイスラエルの姿を、「涙の預言者」として嘆き悲しんだのでした。 今週の木曜集会で「心の偶像(思い込み、キリスト以外に頼りにするもの)」を点検し、福音の約束をいつも握るというテーマで分かち合いました。 イスラエルの姿を反面教師としながら、福音の恵みを受け取り実践する私たちとなれますように。 祈り:神様、聖書を読むと、人々の失敗からも学ぶことができます。愚かな偶像礼拝を避けることができますように。人々のために悲しみとりなし、神の真理を語り続けたエレミヤの嘆きと情熱の姿勢を、日本のために祈る私たちの姿とできるよう、神の愛に感激し、福音を喜ぶ心を今日も与えてください。アーメン

エレミヤ7

「寄留者、孤児、やもめを虐げず、咎なき者の血をこの場所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、わたしはこの場所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住まわせる。」エレミヤ7:6~7 生き方と行いを改めるように(5節)という神様の声に従うことについて、具体的な例も主は示してくださいます。 「寄留者、孤児、やもめ」は、私たちの教会の周りでは ・日本に一時滞在・定住している外国人 ・在日韓国朝鮮人・中国人、中国残留孤児とその子孫 ・日系ブラジル人 ・地域で『よそ者』とみなされがちな人 ・シングルマザーやシングルファザーとその子どもたち ・児童養護施設や親戚の家で育っている子どもたち   等... まだまだおられるかもしれません。 こうした人たちを「虐げず」とは、差別しないことだけでなく、無関心でいないことも含まれると思います。キリストが同じように愛し、救いのために十字架にかかってくださった人たちです。 すぐ近所に住む人たちに福音が届くように祈っていくことも、地域宣教、世界宣教の一歩だと教えられます。秋に備えて、教会でトラクトを準備し始めました。神が備えてくださった方々に届きますように。 祈り:神様、私の住む地域にも多くの「寄留者、孤児、やもめ」に当たる方々がおられます。よい隣人となり、キリストにあって愛することができるよう、豊かな出会いと導きを与えてください。アーメン  

エレミヤ6

「彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒やし、 平安がないのに、 『平安だ、平安だ』と言っている。」エレミヤ6:14 神様は、偽預言者や祭司の言葉を叱責されます。神様のことばを正しく伝えず、状況をあたかも平安であるかのように歪めています。 神様は愛であると同時に、義であるお方です。赦しに満ちておられますが、悪を見過ごしにはなさいません。 私たちの罪をいいかげんにするのではなく、心からの悔い改めをするようにと招いておられます。 自身の身の回りのことも、そして日本の国のことも、「平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている」とならないよう、よく見極め、祈り、悔い改めて神のみこころを知らせる者となれますように。 祈り:神様、私は____についていいかげんでした。悔い改めます。赦してください。新しい方向に歩みます。日本も、この政策やあの対応は、果たしてみこころにかなっているのかと疑問に思うことがあります。信仰者として誠実な態度と行動がとれるよう、勇気と機会を与えてください。アーメン

エレミヤ5

「預言者は偽りの預言をし、 祭司は自分勝手に治め、 わたしの民はそれを愛している。結局、あなたがたはどうするつもりなのか。」エレミヤ5:31 さばく神は恐ろしいと思うでしょうか。主なる神様は、無条件でさばかれる方ではありません。何度も何度も警告を出し、立ち返るようにと招いてくださいます。 ただ、強制されることはなさいません。私たちを愛するがゆえに、自由意思を尊重してくださいます。今日の箇所でも 「結局、あなたがたはどうするつもりなのか」と尋ねておられます。 私たちの身勝手さを嘆きながらも、戻ってくるのを切に望み待っておられる神様のまなざしを覚えて感謝します。 祈り:神様、自分勝手な歩みをしていた私を呼び、ご自身のものとしてくださり感謝します。この恵みを忘れないように歩んでいきたいです。しばらく礼拝を休んでいる___さん、___さんにも日々主の臨在が感じられ、信仰から離れることがないように助けてください。 アーメン

エレミヤ4

「私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。 私の心臓の壁よ、私の心は高鳴り、 私は黙っていられない。 私のたましいが、角笛の音と 戦いの雄叫びを聞いたからだ。」エレミヤ4:19 自分の国が神から離れた歩みをしていること、それゆえ破滅に至ろうとしていることを、エレミヤは声をあげて預言します。 けれども人々は耳を貸そうとはしません。「実に、わたしの民は鈍く、わたしを知らない。愚かな子らで悟ることがない(22節)」と霊的に鈍っていました。 エレミヤは諦めず、神からのことばを伝え続けます。 私たちは、国の高官に向かって預言することはないかもしれません。でも、エレミヤと同じように、自分の国のためにだまっていられない、神のことばを伝えずにはいられないという情熱をもって今日も歩みたいと思います。 祈り:神様、私を今日もこの国に置いてくださり感謝します。国、府、市のリーダーが神のみこころに沿って治めることができますように。私も、近隣の方々に福音を伝え、教会に誘うことができますよう、救霊の情熱を与えてください。アーメン

エレミヤ3

「私たちは恥の中に伏し、 恥辱が私たちの覆いとなっています。 私たちの神、主に対し、 私たちも先祖も、 若いころから今日まで罪の中にいて、 私たちの神、主の御声に聞き従わなかったからです。」エレミヤ3:25 主の声に聞き従わず偶像礼拝に陥ったイスラエルの国に対して、主は 「 背信の子らよ、立ち返れ。 わたしがあなたがたの背信を癒やそう(22節)」と言われました。 今日も同じです。私たちがどんな失敗をしても、神様は「立ち返れ」と声をかけ、悔い改める者を赦してくださる方です。 「今、私たちはあなたのもとに参ります。 あなたこそ、私たちの神、主だからです(22節)」と素直な心で応答する者でありますように。 祈り:神様、あなたの愛とあわれみの大きさを覚えて感謝します。私に、悔い改めることのできる、柔らかい砕かれた心を与えてください。あなたに愛される神の子どもとして、純粋な思いで御前に出ることができますように。アーメン

エレミヤ2

「わたしの民は二つの悪を行った。 いのちの水の泉であるわたしを捨て、 多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。 水を溜めることのできない、 壊れた水溜めを。」エレミヤ2:13 教会のあるこの辺りの地域は、昔から雨が少なくて、ため池が多く作られました。 同じように、中東の乾燥地域では、雨水をためて飲用や生活用水とするために水溜めを用いました。ただ、流れ込んでくる水がないならすぐに干上がってしまいます。また、ひびが入っていると、そこから水がもれて、やはり干上がってしまいます。 湧き水があるのに、あえて水溜めに頼ろうとする人はいません。 しかし、イスラエルが主である神に対してしたことは、それと同じだという宣告がされます。 恵みとあわれみ、祝福の泉である主を捨て、自分の力で世話をしなければならない偶像へと心変わりしてしまったことへの叱責がされます。 私たちも、同じようなことをする恐れがあります。神様よりも頼っているものがあるなら、イスラエルの人たちが陥ったのと同じ状態です。 いのちの泉であるキリストを第一として歩めるようにと、いつも心を見張りましょう。 祈り:神様、あなたの豊かな愛と恵みを忘れることがないように、私の心を守ってください。人や持ち物も大切ですが、主であるあなた以上に頼ることのないよう、気づきを与えてください。 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ6:33)」アーメン

エレミヤ1

「主は私に言われた。『まだ若い、と言うな。 わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、 わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔を恐れるな。 わたしがあなたとともにいて、 あなたを救い出すからだ。 ──主のことば。』」エレミヤ1:7~8 エレミヤは神の召命を受けた時、「まだ若くて、どう語ってよいか分かりません(6節)」と言いました。モーセと同じような返答ですね。 それに対して、神様は「まだ若い、と言うな」と励まされます。神が遣わすところで、神からのことばを語るように、と。 それは、主がともにいてくださるからでした。恐れるな、とここでも神様は言われます。 困難な時代に召しを受けたエレミヤは、主に従い、ひどい目に合いつつも同胞を愛し、涙ながらに預言します。 この愛と忍耐は、キリストに似た性質だともいえます。 エレミヤの働きを読みながら、今日の私たちにも「恐れるな。あなたとともにいる」と声をかけてくださる主に感謝します。 祈り:神様、私を見捨てず、ともにいてくださることに感謝します。主に従い、遣わされる所で主のあかしができますように。教会に、さらに福音を味わい、福音を伝える機会を与えてください。アーメン

イザヤ66

「これらすべては、わたしの手が造った。 それで、これらすべては存在するのだ。 ──主のことば── わたしが目を留める者、それは、 貧しい者、霊の砕かれた者、 わたしのことばにおののく者だ。」イザヤ66:2 ステパノが殉教する前に、イザヤ66章の1、2節を引用しています。 「天はわたしの王座、地はわたしの足台。 あなたがたは、わたしのためにどのような家を建てようとするのか。 ー主のことばー わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。 これらすべては、わたしの手が造ったものではないか。(使徒7:49~50)」 初代教会でも、イザヤ書が愛読され、暗唱されていたことがわかります。 そして、主が目を留める者は「貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ」というのは、イエス様が山上の垂訓で「心の貧しい者は幸いです」と言われたことを思い出します。 66巻の聖書のミニチュアとも言われるイザヤ書66章。新約時代の私たちも、みことばの恵みとキリストを旧約聖書から汲み出し、愛読できますように。明日からはエレミヤ書です。 祈り:神様、変わらないみことばを与えてくださり感謝します。日々、みことばを味わい、愛読し、生活に適用できるよう助けてください。アーメン

イザヤ65

「だから、わたしが創造するものを、 いついつまでも楽しみ喜べ。 見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、 その民を楽しみとする。」イザヤ65:18 台風が通りすぎました。被害が出た場所に回復をお祈りします。 台風の後、教会の庭も入口も、飛んできた小枝や葉やゴミなどが散乱しています。 蝉の死骸やダンゴムシも目につきます。 それらの荒れた場所を掃除し、ゴミを取り除くと、きれいな空間が戻ってほっとします。まるで、穏やかな日常を回復したような気持ちになりました。 聖書には、このすさんだ世界は滅びで終わるのではなく、やがて主なる神がすべてを回復され、新天新地を治められることが描かれています。 主が祝福される、美しく、嬉しく、楽しく、悲しみのない場所です。 神ご自身も共におられ、民を喜び楽しんでくださるというのです。 それがどのようなものか、まだ体験しないうちは想像の域を出ません。 それでも、想像を越えた素晴らしいものであることは確かです。 期待し楽しみにしつつ、今日一日を歩むことができて幸いです。 祈り:神様、台風で被害にあった方を励ましてください。世界各地の災害の場所にいる方を励ましてください。罪と嘆きに満ちた世界に心痛みますが、やがて主の回復があり、新天新地が訪れる希望を感謝します。今日一日の私の歩みにも、永遠の視点を与えてください。アーメン

イザヤ64

「ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、 山々はあなたの御前で揺れ動きます。」イザヤ64:1 台風7号が通過しました。だんだんと進路が西よりになり、2018年の台風(Jebi)と似たコースでとても不安になりました。あの時は標識が折れ曲がり、いろんなものが飛散し、教会の建物も大きな被害を受けたのでした。風の音を耳にしながら、風を避ける場所が与えられている恵みを覚えました。 主が来られると、「山々は御前で揺れ動く」とあります。台風よりもずっと大きな権威と力を持ったお方が私たちの神です。なんと嬉しいことでしょうか。 昨日、もう一つ嬉しいことがありました。遠方に引っ越し、入院されたとかでしばらく連絡がとれなかった姉妹が、台風の通り道にある教会を心配して電話をくださったことでした。先日退院なさったそうです。思わぬ嬉しいサプライズでした! 今日も兄弟姉妹と互いに祈りあえる恵みと励ましに、心から感謝します。 祈り:神様、あなたの力と権威の前にひれ伏します。互いに祈り合うことをもっと教えてください。思い煩いや問題を、主の元に持って行くことができますように。アーメン

イザヤ63

「谷に下る家畜のように、 主の御霊が彼らを憩わせた。 このようにして、あなたはご自分の民を導き、 ご自分のために輝かしい名を成されました。」イザヤ63:14 台風の朝ですが、聖書は対照的なゆったりとした場面が出てきます。  主の回復が、出エジプトの回想とともに述べられます。 「谷に下る家畜」のくつろいだ様は、詩篇23篇の羊と羊飼いの姿を連想させます。 御霊にあって、強制的ではなく、くつろいだ中にも喜びが満ちています。 もし羊が喜ぶなら、自分から進んで羊飼いのそばにいたいと思うでしょう。 私たちは、主を喜んでいるでしょうか。御霊に導かれ主の前に出ることを優先するとき、他のものも添えて与えられます。 何となく日々追われ、予定がごちゃごちゃしていると思うなら、思いきって秋からの生活スタイルを主にあって見直してみませんか。礼拝を大切にし、生活のあらゆる面で神を第一としていきましょう。木曜集会、土曜祈祷礼拝、日曜の早朝礼拝・夕拝にも歓迎します。 祈り:神様、主のもとに憩いたいと願います。私の人生の優先順位をもう一度点検します。礼拝を大切にするライフスタイルを取り戻し、大切にできますように。アーメン

イザヤ62

「あなたはもう、『見捨てられた』と言われず、 あなたの土地は 『荒れ果てている』とは言われない。 かえって、あなたは 『わたしの喜びは彼女にある』と呼ばれ、 あなたの国は『夫のある国』と呼ばれる。 それは、主の喜びがあなたにあり、 あなたの国が夫を得るからである。」イザヤ62:4 イスラエルが主の花嫁として、主に喜ばれる国になると語られます。 次の5節にも「花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ」と重ねて書かれています。このイスラエルは主に選ばれた民として旧約時代に用いられています。だから、新約時代では主の教会、クリスチャンたちへの預言でもあります。 新約聖書にも、イエス・キリストと教会とが「花婿」と「花嫁」にたとえられ描写されています(黙示録19章)。 私たち信じる者の集まりが教会です。不完全で弱い者の集まりであっても、主の目には「花嫁」に見える大切な群れです。主が愛される教会を、私もますます愛することができますようにと祈ります。 祈り:神様、何度も反逆し不完全なイスラエルを、あなたが愛して回復されたことを読みました。教会も主が愛し「花嫁」のように思ってくださり感謝します。そこに連なる者としてくださり、ありがとうございます。狭山福音教会を、また日本中、世界中の主の教会を、今日も主の愛で祝福し導いてください。アーメン

イザヤ61

「神である主の霊がわたしの上にある。 貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。 捕らわれ人には解放を、 囚人には釈放を告げ、」イザヤ61:1 直接的にはバビロン捕囚からの解放する王を指していますが、この箇所もメシア預言として、イエス様を通して成就しました。 イエス様は故郷ナザレでこの箇所を読み、「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました(ルカ4:21)」と言われました。 今日も、イエス様が私たちを罪から解放し自由にしてくださった恵みは変わりません。信仰をもって 「私は主にあって大いに楽しみ、 私のたましいも私の神にあって喜ぶ。  主が私に救いの衣を着せ、  正義の外套をまとわせ、  花婿のように栄冠をかぶらせ、  花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。(10節)」 と恵みに応答しましょう!主の守りが今週もありますように。 祈り:神様、あなたにあって私は楽しみ、私のたましいも喜びます。あなたが私に救いの衣、正義の外套を着せてくださったからです。花婿・花嫁のように飾ってくださるからです。 日本は今週、お盆や各種宗教行事が多いです。福音を知らず、漠然と努力で先祖を救おうと考える人々が多くいます。キリストの十字架の救いを、どうか一人でも多くの日本人が知ることができますように。お坊さんたちがイエス・キリストに出会いますように。アーメン

イザヤ60

「見よ、闇が地をおおっている。 暗黒が諸国の民を。 しかし、あなたの上には主が輝き、 主の栄光があなたの上に現れる。」イザヤ60:2 数日前に、ハワイ・マウイ島の大規模な火災のニュースがありました。ハリケーンの風で森林火災が住宅にまで広がり、多くの人が家を失い、ハワイ王国の都だったラハイナという町が焼失しました。 自然災害の多い日本に住む者として、他人事とは思えませんでした。失意の底にある人のために、迅速な助けが及ぶようにとお祈りします。 イザヤ60章には苦難からの救い、主の栄光の現れが宣言されています。 「あなたの太陽はもう沈むことがなく、 あなたの月は陰ることがない。 主があなたの永遠の光となり、 あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。(20節)」 どんなに暗い世界に生きていても、永遠という視点で見るなら、主の民には絶望で終わることがありません。嘆きや悲しみはやがて過ぎ去り、主の栄光は太陽や月をしのぐ輝きとなります。 祈り:神様、あなたが永遠の光、栄光であることを感謝します。災害や戦争で家族や家を失った人、避難所や仮設住宅で住む人に、必要な物資と助けが届きますように。台風の進路や大雨の地域のクリスチャンや教会を支えてください。主の希望の光として用いてください。アーメン

イザヤ59

「主は人がいないのを見て、 とりなす者がいないことに啞然とされた。 それで、ご自分の御腕で救いをもたらし、 ご自分の義を支えとされた。」イザヤ59:16 59章を読むと、私たちの魂の救いと同じ構成になっています。 1~8節 神から離れている状態 9~15節 罪の告白 16~21節 主のあがない、救い主 神から離れていた私が罪を悔い改め、キリストを救い主として受け入れるなら、主が罪をゆるし永遠のいのちを与えてくださる、という経緯と共通しています。 人はいくら努力しても自分で自分を救うことはできません。それで、神ご自身が救うために来られ、義と愛を両立されたのでした。旧約聖書を読み、驚くべき福音のわざを改めて確認する恵みに感謝します。 祈り:神様、聖書はすべて、キリストを指し示すものであることに感謝します。主の素晴らしい救いの恵みにあずかったものとして、この恵みを日々感謝とともに思い起こす者、分かち合う者とならせてください。アーメン

イザヤ58

「わたしの好む断食とはこれではないか。 悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、 虐げられた者たちを自由の身とし、 すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にあなたのパンを分け与え、 家のない貧しい人々を家に入れ、 裸の人を見てこれに着せ、 あなたの肉親を顧みることではないか。」イザヤ58:6~7 信仰は立派そうに見せるだけでなく、心を伴って実践することが大切だと教えられます。 断食という行為はしていても、その動機を主は問われます。主を愛し、主の手足となって困っている人を助ける心を願っておられます。 イエス様は「断食していることが、人にではなく、隠れたところにおられるあなたの父に見えるためです」(マタイ6:18)と言われました。 今日も主の手足となって愛を表している人たちに、祝福がありますように。 祈り:神様、あなたの愛に感謝します。日々看病、介護、ケアを実践している___さん、__さん、___さんを、あなたがどれほど喜んでおられるでしょうか。豊かなねぎらいがありますように。私も主の愛を流す器となれますように。アーメン

イザヤ57

「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、 その名が聖である方が、こう仰せられる。『わたしは、高く聖なる所に住み、 砕かれた人、へりくだった人とともに住む。 へりくだった人たちの霊を生かし、 砕かれた人たちの心を生かすためである。』」イザヤ57:15 愛の神様は、叱責の後に必ず慰めと希望を語ってくださいます。この章も、悔い改め、神の前にへりくだった人にはいやしと回復があることが述べられています。 生きていく上で、衣食住の必要はあります。お金の必要もあります。そのすべてが神から与えられ、神が守ってくださることを信じているでしょうか。 家庭の経済をうまく回すのも、自分の知恵では限界があります。よかれと思って計算しても、それがかえって裏目に出ることさえあります。 無駄遣いを自制し、本当に必要なものに気前よく使うためにも、神の前に心砕かれ、へりくだって神の知恵を求めましょう。 祈り:神様、この世界も世界にあるものも、すべてがあなたのものです。すべての所有者であり創造者であるあなたの前にへりくだります。今、経済的なことで悩んでいる____さんを、あなたの知恵で満たしてください。 私も、神の国を第一にすることが、すべての満たしの秘訣だということを日々経験できますように。感謝と喜びで満たされますように。アーメン

イザヤ56

「わたしの聖なる山に来させて、 わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。 彼らの全焼のささげ物やいけにえは、 わたしの祭壇の上で受け入れられる。 なぜならわたしの家は、 あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。」イザヤ56:7 主の回復が続きます。イスラエルの民だけでなく、 「主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった異国の民(6節)」も招かれます。 「なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ」と主が言ってくださいます。 日本人でも、高齢でも、幼くても、女性でも、貧しくても、地位や学歴がなくても、どんな立場の人でも主の祈りの家で「楽しませ」て頂けるのは、何という幸いでしょう。 祈り:神様、すべての人が救いに招かれていることに感謝します。社会的に弱い立場にある___さん、____さんの救いをお祈りします。また、____さん、_____さん、____さんが、今日も主とともに楽しめますように。アーメン

イザヤ55

「天が地よりも高いように、 わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、 わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」イザヤ55:9 良かれと思ってしたことが裏目に出たり、人から拒絶されたりすると、がっかりします。時には心が折れそうになります。 しかし、短期的な結果だけを見ていてはわからないこともあります。 神様の道は私たちの道とは異なる(8節)こと、高い(9節)ことに思いを向けるなら、一時的な落胆がかえって後に益として用いられるという希望が出てきます。 キリストの十字架も、一時的に落胆するような出来事でしたが、後に素晴らしいことだとわかりました。 先週、がっかりするようなことがありましたか?神様はその出来事を私たちの思いを越えて扱うことのできる方です。 祈り:神様、あなたの思いが私の及びもつかないほど高く、素晴らしいものであると信じます。うまくいかなかった____のことを、主が御手のうちに持ち運び、益としてください。 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28 )」 アーメン

イザヤ54

「あなたの天幕の場所を広げ、 住まいの幕を惜しみなく張り、 綱を長くし、杭を強固にせよ。」イザヤ54:2 直接的には、荒れ果てたエルサレムが捕囚の後に再び回復することが預言されています。 現代の私たちにとっても、この章は希望を与えてくれます。 人生の様々な領域において、悲しみやトラウマをどのように乗り越えることができるかのヒントを得ることができます。 荒れ果てた町のようになっている領域が、神のあわれみと励ましによって、少しずつ、しかし確実に回復できるのだということを教えられます。 涙をふいて、イエス様に手をとって立たせて頂き、もう一度天幕をはっていきましょう。背中をまるめて小さいものを作る必要はありません。かつて失敗した領域でも、今度は天幕を「広げ」「惜しみなく」「長く」「強固に」してよいのだと、共におられる主は励ましてくださいます。 祈り:神様、私がかつて失敗してしまった人生の出来事や領域をあなたにゆだねます。回復させてくださる主のあわれみにすがります。町を建て直すように、____のこと、_____のことについて、主と共に天幕をはらせてください。自由と喜びが主のものであることに感謝します。アーメン

イザヤ53

「彼は自分のたましいの 激しい苦しみのあとを見て、満足する。 わたしの正しいしもべは、 その知識によって多くの人を義とし、 彼らの咎を負う。」イザヤ53:11 イザヤ53章はメシア預言で最も有名な章でしょう。 「彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った(4節)」 「彼は私たちの背きのために刺され...彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた(5節)」 と、キリストの十字架の救いが描かれています。 肉体的な苦しみだけでなく、11節の「たましいの激しい苦しみ」を受けてくださったことを今日は思い巡らしています。「わが神、わが神、どうしてお見捨てになったのですか」という思いは想像もつかないほどです。しかし、「その知識」すなわち神への「従順」を通して、私たちが義とされました。 「すなわち、ちょうど一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、一人の従順によって多くの人が義人とされるのです。」(ローマ5:19) 祈り:神様、キリストの十字架のあがないで、私が義とされたことを感謝します。罪の滅びから救い出してくださり、ありがとうございます。キャンプに参加した子どもたちがこの真理を心に覚え、受け取ることができますように。アーメン

イザヤ52

「良い知らせを伝える人の足は、 山々の上にあって、なんと美しいことか。 平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、 救いを告げ知らせ、 『あなたの神は王であられる』と シオンに言う人の足は。」イザヤ52:7 パウロはローマ10:15でこの節を引用しています。福音を伝えることがいかに素晴らしいことかを、そして伝える人がいなければ聞くことができないということを訴えています。 罪を犯した人間をあがなうために、キリストはしもべとなって来てくださいました。 「見よ、わたしのしもべは栄える。 彼は高められて上げられ、きわめて高くなる。多くの者があなたを見て驚き恐れたように、 その顔だちは損なわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。(13~14節)」 と、むち打たれ、いばらの冠をかぶされ、十字架で死んでくださいました。 もしその素晴らしさがマンネリ化していたら、何ともったいないことでしょう。 毎日、毎日、福音の恵みが新鮮なものとして実感できますように! 祈り:神様、福音のすばらしさを日々味わえますように。その感謝が毎日を生きる動機となりますように。アーメン

イザヤ51

「主に贖われた者たちは帰って来る。 彼らは喜び歌いながらシオンに入り、 その頭には、とこしえの喜びを戴く。 楽しみと喜びがついて来て、 悲しみと嘆きは逃げ去る。」イザヤ51:11 イザヤ35:10にも同じ聖句が出てきます。35章では穏やかで平和な光景が前後に出てきました。今日の51章では、壮大な主の御腕と救いが描かれています。 「目覚めよ、目覚めよ。力をまとえ、主の御腕よ(9節)」 「海の底に道を設け」た主(10節) 「天を延べ広げ、地の基を定め」た主(13節) と、すべてを治めておられる偉大なお方が私たちの主だと確認します。 この方の前には、どんな悩みも小さなことだとわかります。これ以上に頼れる、素晴らしい方は他にありません。 心が暗くなるようなニュースや、思うように進まないことがあっても、このお方に身を寄せ、抱いていただき、守りのうちに今日も一日を過ごしましょう。 祈り:神様、日々流れる暗いニュースや、大阪近辺で起こる出来事、私の周りの問題や悩みをすべて主の元におきます。必要以上に噂やメディアに惑わされることがありませんように。あなたのみことばが、すべての情報より信頼できることに感謝します。アーメン

イザヤ50

「神である主は、私に弟子の舌を与え、 疲れた者をことばで励ますことを教え、 朝ごとに私を呼び覚まし、 私の耳を呼び覚まして、 私が弟子として聞くようにされる。」イザヤ50:4 イエス様がまさにこうしたお方でした。疲れた人には「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と励まし、いつも父なる神の声を聞いて過ごされました。 信仰者も、同じように神様に呼ばれています。「弟子の舌」は自分の栄誉でなく主の栄光のために用い、疲れた人々に福音の慰めと希望の励ましを伝えるよう召されています。 自分の知恵では限界があります。しかし「神に聞」き聖霊の促しに従う時、上からの知恵が与えられます。今日はデイキャンプです。ただ行事を消化するのではなく、子どもたちの霊にふれる一日となりますように。 祈り:神様、私も主の「弟子」として励ましの言葉を与える者としてください。今日しか福音を聞けない子どもがいるかもしれません。あなたが与えてくださる機会を、上からの知恵で用いることができますように。「弟子」として謙遜な仕える心を与えてください。 「しかし、上からの知恵は、まず第一に清いものです。それから、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。(ヤコブ3:17)」 アーメン

イザヤ49

「見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。 あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」イザヤ49:17 イスラエルの人たちは国を追われ、捕囚の身となり、みじめな状態になります。しかし、主なる神様ははっきりと「見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ」と言われます。 手のひらにはっきり刻まれたものは、消えることがありません。同じように、神様は決してイスラエルの人々を忘れないと言ってくださったのでした。 私たちは先の見えない試練や闘病、介護、後遺症などで忍耐がいるとき、「神はどこにおられるのか」と嘆きがちです。 しかし、今日も同じように主は「あなたを手のひらに刻んだ」と、信仰者を覚えていてくださいます。主の手のひらに刻まれ、主の御手に握られているから、この地上でどんなことがあっても大丈夫です。主の手のひらから落ちることはありません。 祈り:神様、先が見えなくても、驚くようなことがあっても、いつもあなたが私を覚えていてくださり感謝します。主のご計画に従って持ち運んでください。たくさんのことでパニックにならないよう、助けてください。今______の重荷を主の元に置きます。アーメン