士師記16

「サムソンは主を呼び求めて言った。『「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。』」士師記16:28

ナジル人として選ばれたにもかかわらず、サムソンは奔放に過ごし、選びを軽んじてしまいました。それでペリシテ人に捕らえられ、失明させられ、異教の祭りで見せ物にされました。
サムソンは牢屋で臼をひきながら、何を考えていたのでしょうか。主にどのように祈っていたのでしょうか。聖書はなにも語っていません。
しかし、その最期の祈りに神は答えてくださいました。神殿がペリシテ人の上に落ち、中にいた人は滅びました。

サムソンの後半生は切なく、彼の生涯の行動も手放しで喜べないものです。しかしそんなサムソンをも、神様は最期まで見捨てず用いられました。
信仰の章と言われるヘブル11章にも彼の名が列挙されています。

「...これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても語れば、時間が足りないでしょう。(ヘブル11:32)」


祈り:神様、あなたの深いあわれみを感謝します。あなたがサムソンを見捨てなかったように、私のこれまでの失敗も、あなたを裏切ったことも悲しませたことも、全部ご存知の上で見捨てずにいてくださったことに感謝します。都度悔い改め、あなたの前に正直に出ていくことができますように。
終戦の日を迎えます。戦争の悲しみも憎しみも、私たちの罪の性質がもたらしました。貪欲と高慢、憎しみの心を許してください。

そして、何か心にわだかまりがあり、一時的にあなたから離れようとしている方には、今日あなたの限りなく圧倒的な愛がわかりますように。アーメン