士師記21

「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」士師記21:25

士師記の最後は、17:6、18:1、19:1と同様、もの悲しく、混沌とした社会情勢だったとわかる記述で終わっています。
重苦しい出来事の多い士師記でしたが、この書が主によって後世に残されていることが恵みだと言えます。なぜなら、私たちは失敗を通して学ぶからです。

繰り返す失敗の歴史を読みながら、自分自身の心も同じように混沌に陥りやすいことを覚えます。そして、弱さを知るときに謙遜にさせられます。
神様が、それでも私たちを見捨てず、愛し続け、あわれんで、救ってくださったとは、何というあわれみでしょうか。
明日も、主の愛に心から感謝し、賛美する礼拝でありますように。

祈り:神様、あなたの愛とあわれみ、恵みに感謝します。どんな混沌とした社会、混乱した私の心にも、あなたの光が差すとき希望があります。
この希望を受け取り、この週末も過ごします。感謝の応答として礼拝をささげます。礼拝に行きたくても行けない入院療養中の方々、避難中の方々、それを支えるエッセンシャルワーカーの方々に、その場所で神様との確かな交わり、礼拝の時が与えられますように。アーメン