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9月, 2023の投稿を表示しています

エレミヤ43

「ネリヤの子バルクが、あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、私たちをカルデア人の手に渡して、私たちを死なせるか、あるいは、私たちをバビロンへ引いて行かせようとしているのだ。」エレミヤ43:3 エレミヤの右腕になっていたバルクへの濡れ衣です。他者を貶め、ありもしない噂をするのは、人間の罪の性質です。 その上、エレミヤもバラクもエジプトに連れて行かれました。 しかし、彼らは屈しませんでした。主のことばを聞いて従い続けました。 私たちもどんな状況にあっても、主を見上げ、主に祈る者となれますように。他者を傷つける言葉や噂話が聞こえてきても、口だけでなく耳が守られますように。 祈り;神様、極限の状況でも、あなたを見上げ続けることができるように助けてください。今日悲しみ、疲れ、寂しさ、体調不良を感じる方に、一日生きる力を与えてください。格別に___ファミリー、___ファミリー、___さん、___さんに主からの平安と支えがありますように祈ります。アーメン

エレミヤ42

「それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちの神、主の御声に聞き従って幸せを得るためです。」エレミヤ42:6 悲しみが続いても絶望することはないのだと、今日の箇所は教えてくれます。 私たちにとってたとえよくても悪くても「主の御声に聞き従います」と告白しました。民の間に、主に従おうという信仰のリバイバルが起こったからです。 そして、主の声に従うことが、「なぜ」を越えて幸せになる道だという確信が与えられます。 教会の兄姉が召されることの別れは、家族、いやそれ以上に寂しいものがあります。喜びも、信仰の戦いも共にした霊の同志だからです。 ご家族に主からの慰めと励ましがありますように。そして、教会の兄姉にも、慰めがありますように。 祈り;神様、あなたのなさることは時に「なぜ」と思われます。しかし、主の御思いは最善であることに信頼します。主の摂理の中で今日も生かされています。神の家族に感謝します。アーメン

エレミヤ41

「こうして、イシュマエルがミツパから捕らえて来た民のすべては身を翻し、カレアハの子ヨハナンの側についた。」エレミヤ41:14 ゲダルヤが治めて平和が来ると思いきや、イシュマエルがゲダルヤや民を殺し、残った者は捕らわれていました。そこにヨハナンと高官たちがイシュマエルの悪事を聞いてやってきました。 戦乱に伴って、国や地域には混乱が起こり、状況が二転三転します。 世界を見渡すと、今日も同じような状況があります。何が善で何が悪かもわからないくらいです。主イエスが生まれた当時のイスラエルも、ローマ帝国に支配され、混乱と圧政の中にありました。 しかし、その状況で神の救いの計画は確かに進んだのでした。 目を上げて、神が全能のお方であり、どんな状況でも働くことのできる方であることを覚えましょう。 祈り;神様、あなたはどのような状況でも変わらないお方です。暗いニュースや身の回りの状況に一喜一憂する私です。もっと信頼する心を与えてください。アーメン

エレミヤ40

「そこで、ユダヤ人はみな、散らされていたすべての場所からユダの地に帰って来て、ミツパのゲダルヤのもとに行き、非常に多くのぶどう酒と夏の果物を収穫した。」エレミヤ40:12 ゲダルヤはエルサレムが陥落した後、ユダ地方の総督に任命されました。バビロン王国に連れ去られなかった人たちが、彼のもとに集まってきました。そして、畑からぶどうやいちじくなどを収穫しました。 豊作だったようです。戦乱で家や町が荒廃しても、自然の恵みは注がれ続けていました。自然の恵みをくださるのは、もちろん主です。 コロナのパンデミックで緊急事態宣言が出された時、街のにぎわいはやみ、人々は不安になりました。しかし、そのような時にも春は訪れ、山は新緑で美しく、毎日昼と夜があり、川は流れました。 朝晩しのぎやすくなりました。私たちの心が不安な時、庭や近所を散歩してみませんか。小さな花やすずめを見ると、神の恵みがこの瞬間も注がれていることをしみじみ感じることができます。そして、歩きながら近所の祝福を心で祈るなら、それはプレーヤーウォーク(祈りの歩行)です。 祈り: 「空の鳥を看なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます(マタイ6:26)」 神様、もう一度この真理を黙想します。あなたが大きな、そして細やかな恵みを注いでくださっていることを覚えて感謝します。今日も導いてください。落胆したりうつで苦しんだりしている方に、今日希望を与えてください。私の近所の方々に福音が届き、恵みがあふれますように。アーメン

エレミヤ39

「わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちは戦勝品としてあなたのものになる。あなたがわたしに信頼したからだ──主のことば。」エレミヤ39:18 監視の庭で主はエレミヤにこう約束してくださいました。 とうとう、エルサレム陥落の日が来ました。王ゼデキヤの息子たちは殺され、王自身も目をつぶされ足かせをはめられました。 主だった人々は皆、バビロンへ捕囚として連れて行かれました。 ところが、バビロンの親衛隊長ネブザルアダンは、貧しい人々は捕囚に連れて行かず、そのままの場所に畑を与えて残しました。 さらに、バビロン王の命令によってエレミヤは解放され、エレミヤと旧知の仲のゲダルヤの元に返し、残った人々と共に住みました。 悲しみながらも主に信頼し続け、貧しい人と共に住んだエレミヤの姿は、やがて来るキリストの姿を想起させます。 さらに、キリストは私たちを罪の重荷と死から解放し、永遠のいのちを与えて救ってくださいました。父なる神に100%信頼し、謙遜の限りと愛をもって。 祈り:神様、あなたに信頼する者は、どんな状況でも平安を頂けることに感謝します。主にあって愛する兄弟姉妹の___さん、___さん…に、今日も主からの限りない平安がありますように。私にもキリストの平安を満たしてください。アーメン

エレミヤ38

「そこでゼデキヤ王は、ひそかにエレミヤに誓った。『私たちの、このいのちを造られた主は生きておられる。私は決してあなたを殺さない。また、あなたのいのちを狙うあの者たちの手に、あなたを渡すことも絶対にしない。』」エレミヤ38:16 ゼデキヤはユダ王国最後の王で、バビロン王国によって立てられた傀儡政権の王でした。 彼は井戸に沈められたエレミヤが死なないように命令しました。そして、エレミヤから主のみこころも聞きました。それは、バビロンに降伏するようにというものでした。 もしゼデキヤが、主の導きに従い、それを隠さず公にして従っていたら、彼も王国も違った形の最後を迎えていたかもしれません。しかし、ゼデキヤはエレミヤのことばを公にせず、従いもしませんでした。 「主は生きておられる」と言って誓った人物なのに、とても惜しいことです。 私たちも、神のみこころを知りつつも、それを隠したり、自分のやり方を続けたりしていないでしょうか。ゼデキヤのようでなく、主の前にも自分のプライドにも降伏する者となれますように。 祈り:神様、あなたのみこころから歩みを妨げるものを探ってください。プライド、他者の目、恐れ、不安などが妨げとなっているなら、キリストの十字架の前にそれを置きます。私のすべては主の御手の内にあることを信じ、この秋もあなたに信頼します。アーメン

エレミヤ37

「ゼデキヤ王は命じて、エレミヤを監視の庭に入れさせ、都からすべてのパンが絶えるまで、パン屋街から毎日パン一つを彼に与えさせた。こうして、エレミヤは監視の庭にとどまっていた。」エレミヤ37:21 戦乱や災害、国の荒廃は、人の心を荒ませます。エレミヤが悪気なくベニヤミンの地に行ったのに、人々は逃亡だと誤解し、彼を長い間牢屋に入れました。 人間不信と恐れは裏切りや疑心を生みます。主への信仰から離れてしまった場合はなおさらでした。 神のエレミヤへの守りはどうなったのでしょうか。 エレミヤは王に謁見した後「監視の庭」に身柄を移されました。自由ではありませんでしたが、そこでは彼の安全が確保され、毎日パン一つが配給されました。それで、彼は殺されることも飢えることもありませんでした。 不条理に思える拘束の中にも、神の守りの御手を見ます。 今日もし不自由さを感じるならば、エレミヤをはじめ創世記のヨセフ、使徒パウロ、ヨハネの働きが牢獄や流刑地で多く行われていたことを思い出しましょう。 神様の働きは、場所に制限されません。 祈り:神様、私たちの肉体は制限がありますが、あなたには限界がありません。 療養中や看病・介護・育児で思うように出かけられない方々に、主にある豊かな自由な心と希望が与えられますように。そうして、今まで以上に「祈りの勇士」として用いられますように。ベッドから、自宅から、世界に開けた熱い祈りができますように。 信仰ゆえに投獄されている方を励ましてください。今日も地下教会で礼拝を守るクリスチャンたちに、勇気と希望を与えてください。アーメン

エレミヤ36

「エレミヤはバルクに命じた。『私は閉じ込められていて、主の宮に行けない。だから、あなたが行って、あなたが私の口述によって巻物に書き記した主のことばを、断食の日に主の宮で民の耳に読み聞かせよ。また、町々から来るユダ全体の耳にもそれを読み聞かせよ。』」エレミヤ36:5~6 再び書記バルクが登場します。監禁中のエレミヤが主から受けたことばを記し、エレミヤに代わって民のところに届け、それを読みました。エレミヤと共に命の危険に さらされ、隠れなければなりませんでした。 目立たない存在のバルクですが、エレミヤの右腕となり、共にミニストリー(主の働き)を進めました。 私たちは目立たない者かもしれませんが、主の働きのために様々な形で用いられます。「小さい者だから」としり込みせず、主の導きを受けとりましょう。置かれた環境の中で、今日も神の国のために生きるよう、召されています。 祈り:神様、エレミヤのそばにバルクのような存在があったことに励まされます。私が孤独ではないことに感謝します。そして、私もバルクのように、主の働きをする人を支える存在として用いてください。アーメン

エレミヤ35

「実に、レカブの子ヨナダブの子らは、先祖が命じた命令を守ってきたが、この民はわたしに聞かなかった。」エレミヤ35:16 レカブ人は紀元前9世紀に現れた遊牧民で、ぶどう(木も)で作ったものを用いないという生活スタイルを守っていました。 エレミヤがぶどう酒を飲ませようとした時も、飲みませんでした。先祖の教えに従ったからでした。 預言者の忠告に従わないイスラエルとは対照的です。 主なる神様は、こうした民族を実例として用い、イスラエルの民が自らの頑なさと不信仰に気づくようにとされました。 私たちの日常でも周りを見回すと、主からの良い実例が満ちています。 「空の鳥」「野の花」を見ると、神様が養ってくださることがわかります(マタイ6章)。兄弟姉妹のあかしを聞くと、神様が守ってくださるとわかり、励まされます。 不安な時にも、苦しい時にも、すぐそこに神様からの良い実例があります。聖霊の働きに心を開き、そうした例を見せていただけますように。 祈り:神様、自分のことだけ考えていると、主の守りや備えが見えなくなります。どうか私の霊の目を開いてください。主の素晴らしさが世界に、私の日常に満ちていることを発見し、改めて信仰に立つことができますように。アーメン

エレミヤ34

「イスラエルの神、主はこう言われる。『わたしが、あなたがたの先祖をエジプトの地、奴隷の家から導き出した日に、わたしは彼らと契約を結んで言った。』」エレミヤ34:13 エルサレムの人々は、いったん奴隷を解放するという契約をしたのに、心変わりして再び連れ戻して奴隷にしてしまいました。そのことが叱責されています。 かつてエジプトの地で奴隷だった先祖を、主はモーセを通じて脱出させ解放してくださいました。 人は心変わりし、時に約束を破ります。しかし、神は契約(約束)されたことを変えられません。 そして、人は受けた恵みをすぐに忘れます。しかし、神から受けた恵みを忘れず、その恵みを周囲に流すのを主は望んでおられます。 これまでに、神様から受けた恵みを思い起こしてみましょう。 祈り:神様、あなたは私に多くの恵みをくださいました。特に_____のこと、 _____のことは大きな恵みでした。そして、イエス・キリストにより永遠のいのちを約束してくださったことが、何にもかえがたい恵みです。忘れずに感謝できますように。アーメン

エレミヤ33

「『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』」エレミヤ33:3 私たちが祈る時、神様は必ず聞いてくださいます。そして、祈りの答えは私たちが想像しなかった方法であることが多いのです。それを、私たちは「祈りが聞かれなかった」と早とちりしがちです。理解を超えた、大いなることがわからないからです。 エレミヤに「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう」と言われた同じ主は、私たちが 祈る時、同じまなざしで声をかけてくださいます。 今日祈った時、たとえ神の声が聞こえなくてもこの聖句を声を出して読みましょう。「主を呼べ。そうすれば、主は私に答え、私が知らない理解を超えた大いなることを、私に告げてくださる」と、信仰をもって宣言します。 祈り:神様、あなたは地を造り、堅く立てられた主(2節)です。祈りが聞かれるか確信がない時、私に信仰を与えてください。理解を超えたあなたの知恵と方法が、身の周りや家族の小さなことから、日本や世界に至る大きなことにまで及んでいることに感謝します。この平安を、___さん、____さんにも与えてください。アーメン

エレミヤ32

「私は、購入証書をネリヤの子バルクに渡した後、主に祈った。『ああ、神、主よ、ご覧ください。あなたは大いなる力と、伸ばされた御腕をもって天と地を造られました。あなたにとって不可能なことは一つもありません。』」エレミヤ32:16~17 アナトテにある畑を買い取り、証書に署名したエレミヤは、購入証書をバラクに渡して「土の器の中にいれて長期間保存せよ」と命じます。 主のことばに従って命じたのでした。 捕囚で異国に引いていかれたら、故郷の土地の売り買いをすることやまっとうな契約をすることはできません。しかし、必ず捕囚の期間が終わり、再び土地取引ができる日がやってくるということを、主はエレミヤの預言を通して約束してくださいました。土の器に入れて保管するのは、永遠ではありませんでした。 あきらめてしまった祈りの課題があるでしょうか。主の目には、まだ計画が進行中かもしれません。「あなたにとって不可能なことは一つもありません」と、エレミヤやマリアのように信頼して祈る者となれますように。 祈り:神様、あなたのご計画は広く深すぎてわかりません。しかし、不可能なことは一つもない、全知全能の主を信じたいです。あきらめや恐れから、私を解放してください。アーメン

エレミヤ31

「彼らのたましいは潤った園のようになり、 もう再び、しぼむことはない。そのとき、若い女は踊って楽しみ、 若い男も年寄りも、ともに楽しむ。 『わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、 彼らの憂いを慰め、楽しませる。』」エレミヤ31:12b~13 厳しい残暑が続きます。夕方、教会の草花に水をやると、植物が潤って元気を取り戻します。 今日の箇所は、バビロン捕囚という試練から回復した民のたましいは、潤った園のように満ち足りるという約束です。そして、若い人も高齢の人も「ともに楽しむ」というのです。 主の教会も、試練を通ってともに泣き、回復されてともに喜ぶ共同体です。 何より「永遠の愛をもって愛し(3節)」てくださった主のまなざしを感じる時、私たちの「悲しみは喜びに、憂いは慰めに」なります。 年齢は関係ありません。今日は「敬老の日」ですが、この日に限らず、教会でいつも年齢を越えた交わりが与えられていることに感謝します。 祈り:神様、教会にあらゆる年代の人が集えることに感謝します。ともに主の前に出て礼拝できることを喜び、楽しみます。キリストにあって永遠のいのちを得た、互いの存在にも感謝します。アーメン

エレミヤ30

「彼らから、感謝の歌と、喜び笑う声が湧き上がる。 わたしは人を増やして、減らすことはない。 わたしが尊く扱うので、 彼らは小さな者ではなくなる。」エレミヤ30:19 捕囚の後のイスラエルの回復を、神様が約束してくださいました。 主なる神様は、たしかにイスラエルをさばかれました。 しかし、それは訓練のためであり、正しく幸せな道に歩んでほしいという愛に裏打ちされていました。 子どもや同僚を訓練する時に、相手の成長や改善につながるようにと考えるのと似ているかもしれません。 それ以上に、神は永遠というスケールで見ておられます。永遠の救いを得てほしいと思ってくださる神のことばを、さらに慕い求めていきましょう。 祈り:神様、あなたの大きく、深く、広い愛を感謝します。私たちに、みことばをさらに読みたいという飢え乾きを起こしてください。敬老礼拝を持てて感謝します。年齢を重ねても、白髪になっても背負ってくださる主を感謝します。 この秋、あなたの愛にふれる人がもっと多く起こされますように。アーメン

エレミヤ29

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29:11 旧約聖書の中で、最も有名なことばの一つかもしれません。多くの人が、このみことばで希望を与えられ、励まされてきました。続く12~14節にも 「あなたがたがわたし(主)に呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。 わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。」 とあります。 もっとも、バビロン捕囚の帰還までには70年かかりました。人の目には長い年月も、主の壮大のご計画の中にあるのだと教えられます。 祈り:神様、70年も祈りの答えを待つことがあることを読みました。すぐに答えがないと、祈りがきかれないと不平を言う私をゆるしてください。_____のことが、主のご計画の中に持ち運ばれているという確信と希望を与えてください。 この週末も兄弟姉妹に主の恵みと平安がありますように。アーメン

エレミヤ28

「平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、本当に主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」エレミヤ28:9 民に平安を預言するハナンヤに、エレミヤは 「アーメン。そのとおりに主がしてくださるように。あなたが預言したことばを主が成就させ、主の宮の器と、すべての捕囚の民をバビロンからこの場所に戻してくださるように(6節)」と言いました。 エレミヤも、エルサレムが早期に回復し、バビロンが滅びたらどんなによいだろうと思いました。しかし、預言をよく吟味する必要も知っていました。 さらに、主から来たことばを曲げずに伝えなければならないこともわかっていました。 聖書を自分の都合のよいところだけつまみぐいするのでなく、神様のご計画とみこころを受けとることができますように。兄弟姉妹に必要な時は愛をもって戒め、何よりそれ以上に愛し、祈ることができますように。 祈り:神様、聖書のことばや兄弟姉妹からの忠告は、時に痛いものです。しかし、それを受け入れる謙遜さと柔らかい心を与えてください。私が忠告する時は、よく祈り、批判ではなく愛をもって穏やかにできますように。主が私の心の王となり、いつも治めてください。アーメン

エレミヤ27

「しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える国を、わたしはその土地にとどまらせる──主のことば──。こうして、人々はその土地を耕し、そこに住む。」エレミヤ27:11 主が語られたのは、バビロンに捕囚(捕虜)になることは、エルサレムにとどまるよりもよい、ということでした。 故郷に帰ることばかり考えず、捕囚としてバビロンにとどまり、「その土地を耕し、そこに住む」つまり腰を据えてそこで日常生活を送ることが主のご計画でした。 災害や戦争で住み慣れた地を離れた人々にとって、こうした聖書の歴史が慰めとなるようにと願います。神様はどこまでもよい方で、悲しみの状況さえもやがて喜びに変えてくださる方です。また、捕囚の70年間にエルサレムの土地も「安息」を得て回復させられた(2歴代誌36:21)のでした。 祈り:神様、主にあっていつも希望があることを感謝します。 原発事故や台風、地震、大雨で避難生活をしている方々を励ましてください。戦争で難民となった方々に希望を与えてください。愛する家族や友人を失った人々に、慰めを与えてください。今週はアフリカ各国で大きな自然災害がありました。救援にあたる方々に豊かな知恵がありますように。アーメン

エレミヤ26

「ただ、もしあなたがたが私を殺すなら、あなたがた自身が咎なき者の血の責任を、自分たちと、この都と、その住民に及ぼすのだということを、はっきり知っておきなさい。なぜなら、本当に主が私をあなたがたのもとに送り、これらすべてのことばをあなたがたの耳に語らせたのですから。」エレミヤ26:15 エレミヤが語ったことばを聞いて、人々は彼を死刑にしようとしました。エレミヤは抵抗せず、ただ「主が言われたことを伝えたのだ」ということは曲げませんでした。 人々は「この人は死刑に当たらない。彼は私たちの神、主の名によって、私たちに語ったのだから(16節)」と判断し、エレミヤは死刑を免れました。 一方、同じような内容を預言していたシェマヤの子ウリヤという人は、エジプトに避難したものの捕えられ、殺されてしまいました。 現代でも、主のために正しいことを述べた人のうち、なぜ助かる人と迫害される人がいるのかと思うことがあります。 そして歴史上、最も正しく、最も迫害され殺されたのがイエス・キリストでした。それは、私たちの罪のゆえ、身代わりとしてでした。 祈り:神様、私たちの罪の大きさを覚えます。罪のないイエス・キリストが身代わりとなって死に、救いの道を開いてくださり感謝します。 今、信仰ゆえに迫害されたり辛い思いをしたりしている人を励ましてください。あなたの守りと脱出の道を与えてください。アーメン

エレミヤ25

「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に主のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。」エレミヤ25:3 エレミヤは、主のことばを23年も伝えたのに人々が耳を傾けず、悪い行いをやめなかったことを語ります。23年間も悔い改めのチャンスがあったのに、あえて従わなかったゆえに、ユダの国が滅んでしまったことがわかります。 もし旧約聖書の神に「さばきの神」「こわい神」というイメージを持つなら、さばきの前にどれだけ警告と向きを変える機会が与えられていたかに目を留めてください。 日曜日の子どもメッセージは「ソドムとゴモラ(創世記19章)」の箇所でした。もし10人でも正しい人がいれば、さばきを免れるところでした。残念ながらそれはかなわず滅ぼされる町ですが、そんな中でもロトの家族は救い出されました。 旧約聖書には、繰り返し「主はあわれみ深く、怒るのに遅い」と出てきます。この あわれみ深い神のご計画は良いものです。 祈り:「主は あわれみ深く 情け深い。 怒るのに遅く 恵み豊かである。(詩篇103:8)」 神様、あなたのあわれみと恵みが、今日の私にも注がれていることを感謝します。あなたを悲しませている点があるなら、気づかせてください。主のご計画の方向へ、向きを変えて出発できますように。アーメン

エレミヤ24

「イスラエルの神、主はこう言う。わたしは、この場所からカルデア人の地に送ったユダの捕囚の民を、この良いいちじくのように、良いものであると見なそう。」エレミヤ24:5 神様は再び実物教材を見せてくださいます。それは、2つのいちじくでした。1つはおいしそうな良いいちじく、もう1つは食べられない悪いいちじくでした。 悪いいちじくは、偽の言葉に惑わされてエルサレムにとどまったり、エジプトに逃げたりした者の末路をたとえていました。 一方、よいいちじくは、捕囚となった人を象徴しています。神様は 「彼らを幸せにしよう...彼らをこの地に帰らせ、建て直して、壊すことなく、植えて、引き抜くことはない(6節)」と約束されました。 敗北と悲しみに見える捕囚がそれで終わりではなく、やがて回復が来ることを主が約束してくださったのでした。 私たちも「なぜ、こんな試練が」と思うことがあるかもしれません。しかし、一歩一歩神様の導きに信頼し従うなら、やがて回復の日がやってきます。苦難の人ヨブや捕囚の民を回復させたように、主は真実なお方です。 祈り:神様、試練や困難の中でも、あなたの真実を知ることができますように。信頼し希望を持ち続けられるように助けてください。今週の一人ひとりの歩みも導いてください。アーメン

エレミヤ23

「見よ、その時代が来る。 ──主のことば── そのとき、わたしは ダビデに一つの正しい若枝を起こす。 彼は王となって治め、栄えて、 この地に公正と義を行う。」エレミヤ23:5 1~8節まではメシア(救い主)についての預言です。「すべての地から集め、元の牧場に帰らせる(3節)」「彼の時代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む(6節)」と、やがて希望の時代がもたらされることを述べています。 一方で、9節以降は偽りを言う預言者たちの罪が指摘されています。今大丈夫だ、と耳に心地よいことを言いますが、それはみこころではありませんでした。 「わたしは近くにいれば、神なのか。...遠くにいれば、神ではないのか。...天にも地にも、わたしは満ちているではないか。」(24節) 近く感じられなくても、すぐに望むような祈りの答えがなくても、神は神です。まやかしに惑わされず、神のことばを受け止め期待しましょう。 祈り:神様、祈りがなかなか答えられない時、あなたが遠く感じられます。でも、信頼し続けられるよう、私に信仰を与えてください。長く祈っている____のこと、____のことに、最善の時に最善の主のご計画があることを信じます。アーメン

エレミヤ22

「あなたが平穏であったときに、 わたしはあなたに語りかけたが、 あなたは『私は聞かない』と言った。 わたしの声に聞き従わないということ、 これが、若いころからのあなたの生き方だった。」エレミヤ22:21 ユダの王に向けて、若い時からの生き方を神様は見ておられました。 神の語りかけがあったのに、それを拒絶してきた王でした。 人生の中で、神が語りかけられる機会があります。 それは順調な時かもしれません。あるいは、病気や失業など、悩んでいる時かもしれません。 それが神からの招きであると感じたなら、答えるかどうかは私たちの選択です。 福音を聞いた人がその招きに答え、キリストを救い主として受け入れることができますように。しがらみや周囲のプレッシャーに左右されず、神と自分との個人的な関係に目を留めることができますように。 祈り:神様、あなたが私たちを愛し、語りかけようとしてくださることを感謝します。___さん、____さんがイエス・キリストを心にお迎えできますように。人生の選択をする____さん、____さんに、主ご自身が明確に語りかけてください。アーメン

エレミヤ21

「あなたは、この民に言え。『主はこう言われる。見よ、わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。』」 エレミヤ21:8 エレミヤは、預言を続けます。ゼデキヤ王は、かつて(ヒゼキヤ王の時代)のように、主がエルサレムの都を助けてくださるのではと期待をもって、エレミヤに尋ねます。しかしエレミヤは、都が滅びると宣べます。 さらに、民に向かっては、いのちの道と死の道のどちらかを選べと告げます。 「 この都にとどまる者は、剣と飢饉と疫病によって死ぬ。  出て行ってあなたがたを囲んでいるカルデア人に降伏する者は生き」る(9節)。 普通はエルサレムが助かるのが生きる道と考えがちです。しかし、主のご計画は逆でした。降伏する方がよいと主は言われました。 時には常識や日常生活、慣れたスタイルという「快適な空間(コンフォート・ゾーン、Comfort Zone)」を出るのがみこころだということがあります。 今日でも、一歩踏み出すこと、主がいなければできない方向に進むのは簡単ではありません。しかしそれが救いの道、いのちの道、祝福の道であるなら、共にいてくださる主に信頼し、祈りながら一歩進みましょう。 祈り:神様、______の選択は私にとって簡単ではありません。でも、あなたの喜ばれる方を選びたいと願っています。よい決断ができるよう助けてください。 教会も兄弟姉妹も、今日主のあとを歩んでいくことができますように。アーメン

エレミヤ20

「私が、『主のことばは宣べ伝えない。  もう御名によっては語らない』と思っても、  主のことばは私の心のうちで、 骨の中に閉じ込められて、   燃えさかる火のようになり、   私は内にしまっておくのに耐えられません。 もうできません。」 エレミヤ20:9 都合の悪いことばかり預言するエレミヤは、相手にとっては疎ましい存在でした。 エレミヤは打たれ、足かせにつながれるという目にあいました。 それでも主からのことばを伝えないわけにはいかない、というエレミヤの苦悩と決意が現れています。 彼は、 「主のことばは私の心のうちで、...燃えさかる火のようになり、  私は内にしまっておくのに耐えられません」 と言います。 日本は周りの人に合わせる「同調圧力」が強いと言われます。協調性は大切ですが、人の目を優先するあまり、主のことばを後回しにしたり混ぜ物をしたりすることがないように、身辺を点検してみましょう。 祈り:神様、聖書の原則に従う生活をしたいと願います。周囲の人々からのプレッシャーでみことばをねじまげることや無視することがないよう、助けてください。アーメン

エレミヤ19

「そこでエレミヤは、主が預言のために遣わしたトフェトから帰って、主の宮の庭に立ち、民全体に言った。」エレミヤ19:14 エレミヤはトフェトで、ここが「虐殺の谷」と呼ばれると預言します。 その後彼はエルサレムに帰り、主の宮の庭で民全体に国の滅亡について預言します。 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ。わたしはこの都とすべての町に、わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。彼らがうなじを固くする者となって、わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである。」(15節) 人々に厳しい預言をするエレミヤには、いつも身の危険がありました。 14節以降はバルクが記録したと思われます(バルクについては36章など)。 口述筆記者として忠実な働きをした彼の存在に、エレミヤは励まされ支えられたことでしょう。 主のために危険な働きをする人のために祈りましょう。私たちの祈りが、その働きを支えます。 祈り:神様、地上での主の働きが、日々進んでいることを覚えます。危険な場所で宣教する人たちが、勇敢に主の知恵の方法で、みこころを語ることができますように。主の守りがありますように。アーメン

エレミヤ18

「陶器師が粘土で制作中の器は、彼の手で壊されたが、それは再び、陶器師自身の気に入るほかの器に作り替えられた。」エレミヤ18:4 自分勝手な道に陥っていたイスラエルの国に対して、すべてを支配しているのは主だということが、再び(帯に続いて)実物教材で示されます。 陶器師や粘土のたとえは、私たち日本人にもとてもよくわかります。粘土をこねて形づくるのも、それをやり直すのも、作り手の思い次第です。 神様と被造物の関係も同じです。 私たち一人一人も神様によって造られ、生かされています。私たちを愛する神様は、私たちがみこころにかなう姿になるよう願っておられます。 試練の中にあっても、後に必ず益となると主に信頼しましょう。 祈り:神様、陶器師のようにすべてを造り治めておられる偉大なあなたを賛美します。 私を粘土のようにみこころの姿へと造り変えてください。 試練の中を歩む___さん、____さんに、格別の励ましとよい導きがあるという希望を主ご自身がお与えください。 アーメン

エレミヤ17

「主に信頼する者に祝福があるように。その人は主を頼みとする。その人は、水のほとりに植えられた木。 流れのほとりに根を伸ばし、 暑さが来ても暑さを知らず、 葉は茂って、 日照りの年にも心配なく、 実を結ぶことをやめない。」エレミヤ17:7~8 教会の2023年の年間聖句は詩篇1:2~3です。 「主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。   その人は 流れのほとりに植えられた木。  時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。」  今日の箇所も、同じく「水のほとりに植えられた木」である人が描写されています。 2つを合わせて読むと、「主のおしえを喜びとする」とは「主に信頼する者、主を頼みとする」ことと密接につながるとわかります。 水を根から豊かに吸い上げる木のように、主に信頼し、主のことばを受け取りましょう。主の豊かさのうちにあって、恵みと癒しを受けとる週になりますように。 祈り: 「私を癒やしてください、主よ。そうすれば、私は癒やされます。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。(14節)」 主なる神様、あなたを賛美します。今日特に励ましを必要としている____さん、____さんに主の豊かな恵みと力が豊かに注がれますように。イエス・キリストの お名前によって祝福しお祈りします。アーメン

エレミヤ16

「さらに、あなたがた自身が、自分たちの先祖以上に悪事を働き、しかも、見よ、それぞれ頑なで悪い心のままに歩み、わたしに聞かないでいる。」エレミヤ16: 12 わざわいが来るのは、先祖の不信仰(11節)だけではなく、今の世代の「あなたがた自身が」罪をおかし、頑固な心で歩んでいるからだ、と神は言われました。 聖書の神様のさばきは、先祖でも子孫でもなく、その人自身にかかっています。その人が砕かれた心で悔い改めるなら、先祖が悪くてもわざわいを思い直してくださるです。日本人にありがちな「先祖のたたり」という考え方ではありません。 また、滅ぼして終わりでもありません。主である神様は 「それゆえ、見よ、わたしは彼らに知らせる。 今度こそ彼らに、 わたしの手、わたしの力を知らせる。 そのとき彼らは、 わたしの名が主であることを知る(21節)」と言われる方です。私たちを戒め、平安を得るための矯正と訓練を願われる方なのです。 キリストを信じるかどうかも、あなた個人の決断にかかっています。先祖や代々の宗教の有無ではありません。神様は「あなた自身はどうか」と問いかけておられます。 祈り:神様、あなたが私との個人的なかかわり、関係に関心を持っておられることに感謝します。「あなた自身はどうなのか」と聞いてくださる神様、新しい週も私に歩む道を教え導いてください。アーメン

エレミヤ15

「主よ、あなたはよくご存じです。 私を思い起こし、私を顧み、 迫害する者たちに、私のために復讐してください。 あなたの御怒りを遅くして、 私を取り去らないでください。 私があなたのためにそしりを受けていることを 知ってください。」エレミヤ15:15 孤独と同胞からの迫害の中で、エレミヤは主のことばを語り続け、主に信頼し続けました。 日本では表向きの迫害はないかもしれません。 けれども、回りが偶像礼拝をする中、自分一人がキリスト者だという場面は結構あります。その中でどのように振る舞うか、いつも知恵を求めて切に祈らされますね。 周囲の目が厳しいという点では、もしかするとイスラムの国で信仰を守るのと似ているのかもしれないとさえ、考えさせられます。 互いに祈り支え合う、神の家族の存在に感謝します。 何より、主がいつも守り、励まし、導いてくださることに感謝します。 祈り:神様、普段の家庭や職場でひとり信仰を守っている___さん、___さんを覚えます。異国で仕えたダニエルのように、あなたの知恵と守りがあり、その場所で誠実に働くことができますように。その姿にあなたの栄光があらわれますように。アーメン

エレミヤ14

「国々の空しい神々の中に、 大雨を降らせる者がいるでしょうか。 それとも、天が夕立を降らせるのでしょうか。 私たちの神、主よ、 それは、あなたではありませんか。 私たちはあなたを待ち望みます。 あなたが、これらすべてをなさるからです。」エレミヤ14:22 エレミヤの嘆きと真剣な祈りの声が聞こえてくるようです。 14章では、日照りで水不足だった当時の様子がわかります。人々は困っていました。 しかし残念なことに、主の前に出て悔い改めませんでした。 かえって「戦争も飢饉も起こらない」と言う偽預言者に耳を傾けました。 エレミヤは耳を貸さない人々に主のことばを語り、自身も民のために悔い改めの祈りをします。 耳障りのよいことは喜んで聞くけれど、そうでないことー従順、悔い改め、自己犠牲、裁き、永遠の滅びなどー には耳をふさぐという傾向が、私たちにもあるかもしれません。 聖書に書かれていることを真摯に受け止め、都合の良いことも悪いことも主の前に差し出す謙遜な者となれますように。 祈り: 「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。(詩篇51:17)」 神様、私の心の______を、あなたに差し出します。どうか私を探り、戒め、癒し、へりくだった者にしてください。 いつも祈りと主の真実なことばへの愛が、いつも私に、そして教会に満ちあふれますように。アーメン