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12月, 2023の投稿を表示しています

アモス1

「テコア出身の牧者の一人であったアモスのことば。これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて彼が見た幻である。」アモス1: 1 2つのことが浮かびます。 神様は、様々な状況の人を召されるということ。 王や祭司だけでなく、テコアの地で羊飼いだったアモスも召されました。イザヤやエレミヤたちのような長い預言の書は残っていません。でも、神様からの召しを受けて応答しました。そして、誠実に主のことばを受けて、誠実に預言しました。 私たちは、自分が小さな者、とるに足りない者だと思うかもしれません。 でも、私の今の立場、状況も神のご計画の中にあります。 アレックス・チョンという方が、 「私たちには、点の羅列にしか見えない人生の場面場面を生きている。しかし、主はその点と点を線でつなぎ、やがて美しい絵が現れるようにご計画を実現される」と言いました。その通りだと思います。 全貌が見えない、ハプニングだらけの人生だと感じられても、主にとってはハプニングや思い違いはありません。そのことを信じて、今年も感謝をもって閉じましょう。 祈り:神様、あなたが私を今年もご計画と守りのうちに導いてくださいました。感謝します。私には思いがけないこと、理由のわからないことも多々ありました。しかし全てが主によって織り合わされ、あなたの計画が進んでいることを信じて感謝します。アーメン

ヨエル3

「主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。 天も地も震える。 主はその民の避け所、 イスラエルの人々の砦である。」ヨエル3:16 さばきを経なければならない時でさえ、主は人々を忘れてはおられません。 「ほえる」は動物の王、ライオンの咆哮を連想します。主は「天も地も震える」ほどの強さと権威をもっておられます。 一方で主は「民の避け所」「人々の砦」でもあられます。そこに身を寄せれば守られ、安全なシェルターなのです。 この1年、どんなことで主の「強さと権威」を感じましたか。 また、主の元に身を避け、守っていただいたのはどんな時でしたか? 書き出してみてはどうでしょうか。 今年人生の嵐を通ったとしても、主が変わりない方であることを知ったなら、その経験はやがてかけがえのない霊的な宝となります。 祈り:神様、あなたが何よりも強く権威ある方だとほめたたえます。また悩みの時の避け所であることに感謝します。主を近く感じられなかった時でさえ、すでにそこにおられ、私の全てをご存じの主を、ますます深く知りたいです。導いてください。アーメン

ヨエル2

「その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、 老人は夢を見、青年は幻を見る。その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、 わたしの霊を注ぐ。」ヨエル2:28~29 ぺテロはペンテコステの日に聖霊に満たされ、この通りに語りました(使徒2:17~18)。どんな年齢、性別、立場の人にも差別なく主の霊が臨み、教会が生まれました。 それ以来2000年、教会は主の霊に導かれて歩んでいます。あらわれ方は様々で、激しく現れることも、外からはわからないこともあります。しかし、教会は聖霊によって導かれ、歩んでいます。同じ聖霊は、信じる人の内にも住んでおられます。素晴らしいことですね! 「衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。 あなたがたの神、主に立ち返れ。 主は情け深く、あわれみ深い。 怒るのに遅く、恵み豊かで、 わざわいを思い直してくださる(13節)」という主の霊が、いつも共におられるのです。 今年も全ての人がが1歳年を重ねました。衰えを感じる人、先行き不安になる人がいるかもしれません。でも今日の箇所には「老人は夢を見」と書かれています。霊にあっては枯れるどころか、主が見せてくださる夢を見てますます燃やされていきます。 祈り:神様、主の霊で私を満たしてください。 「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ2:20」アーメン

ヨエル1

「嚙みいなごが残した物は、いなごが食い、 いなごが残した物は、バッタが食い、 バッタが残した物は、その若虫が食った。」ヨエル1:4 ヨエル書は、その年代や当時の王が誰かははっきりとわかりません。ただ、1章を読むといなごやバッタのひどい害が出ていたことがわかります。すべてが食いつくされ、ひどい飢饉に陥ることが明らかでした。 数年前にアフリカから中東にかけていなごが大発生し、農作物に大きな被害が出ました。ヨエル書の時代も今も、人間は自然災害の前に無力であることを思いました。 もちろん、自然災害のすべてが主のさばきだというわけではありません。被害にあい困窮する人々に、主はあわれみ深くあられます。私たちも助けが届くようにと切に祈り、ささげます。教会の宣教献金は、こうした所に届くようにと送られています。 今喜んでいますか?それとも、思いがけない試練の中にいますか?喜びを通しても、困難を通しても、私たちが主を見上げること、それが主が最も願われることです。 手を休め、今ほんの少しの時間でも主を見上げて共に祈りましょう。 祈り:神様、私の焦る心や思い煩いを横に置き、今あなたを見上げます。明日のことさえ正確に予測できない私たちです。しかし、主を見上げる者にはあなたは恵み深くあられます。どうか周りに八つ当たりせず、パニックにならず、まずあなたに祈る者とならせてください。アーメン

ホセア14

「あなたがたはことばを用意し、主に立ち返れ。主に言え。『すべての不義を赦し、 良きものを受け入れてください。私たちは唇の果実をささげます。』」ホセア14:2 ホセア書の最後は、神と民の関係が回復され、再び地に美しさと潤い、それに収穫が戻ってくる様子が描写されています。 回復の条件は、人が悔い改めて神に立ち返ることのみです。神様の赦しの大きさと気前の良さには驚きます。 今年の歩みを振り返ると、感謝や喜びの一方で、失敗したこと、恥ずかしいこと、引け目を感じることなどが思い浮かぶかもしれません。もしそうなら、祈りのうちに主の前にそれらを並べてみませんか。主は赦しきよめてくださる方です。 さらに、「唇の果実」である礼拝を心からささげることができるよう、思いを一新していただきましょう。後悔や恥意識からの回復は、私たち自身にはできなくても、神にはできると信じます。 祈り:神様、私の様々な失敗やしがらみから解放してくださる方であることに感謝します。____のことや、____のことを横に置き、あなたに礼拝をささげます。私の口をきよめ、良いものを出す口としてください。祈りとともに主への賛美と礼拝を、私の唇の果実としてささげます。アーメン

ホセア13

「わたしはよみの力から彼らを贖い出し、 死から彼らを贖う。 死よ、おまえのとげはどこにあるのか。 よみよ、おまえの針はどこにあるのか。 あわれみはわたしの目から隠されている。」ホセア13:14 パウロは第一コリント15:55でこの箇所を引用しています。 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おなえのとげはどこにあるのか。」 キリストの力が死にさえも勝利されたことを述べます。 「しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました(15:57)」 さらに、キリストを信じるものには終わりの時に朽ちないからだが与えられることが記されています。 旧約聖書の中に散りばめられた希望の約束を、新約聖書とキリストの光を通して教えられるのは、宝探しのようです。 クリスマスが終わり、今年も残りわずかになりました。この1年、個人デボーション、礼拝や集会、分かち合いを通して、どんなみことばを発見しましたか?どのみことばが、自分の心に宝のように輝いているでしょうか。 祈り:神様、あなたのみことばには、生きて働く力があります。今年の歩みを静かに振り返ります。 今、私の心に宝のように輝いているみことばは___________です。難しく思える時もありますが、聖書を愛し、聖霊の光で心を開いて理解できるよう、続けて導いてください。アーメン

ホセア12

「しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、 あなたの神、主である。 例祭の日のように、 再びあなたを天幕に住まわせる。」ホセア12:9 クリスマスおめでとうございます!約2000年前のベツレヘムでイエス・キリストが誕生されたことを心から喜びます。 「キリスト教は海外の宗教だ」と言われることがあります。しかし、キリストの誕生が今日の私たちと大いに関係あることを、クリスチャンたちは信じています。他人事ではなく「私の信仰、救い」として受け取っています。 もし自分が安全な水を被災地に届けるために外国に行ったとしましょう。そこの人々が「それはよその国のもので、自分達に関係ない」と反応したら、「いえいえ、国を問わずこの水は安全です。あなたがたのために届けに来ました」と言うでしょう。 同様に、キリストが来られたことは、どの国、どの時代の人々にとっても関係ある、大切な事実です。「エジプトの地にいたときから、あなたの神、主である」と言われた神が、今日の「私の神、主」です。 祈り:神様、イエス・キリストを地上に送ってくださり感謝します。ケーキやパーティーだけではありません。キリストによる救いが、今日の私たちへのプレゼントであることを覚えます。聖書に書かれている真理に関心を持ち、もっと知りたいという方が教会の門をたたくことができますように。聖霊様の導きがありますように。アーメン

ホセア11

「エフライムよ。わたしはどうして あなたを引き渡すことができるだろうか。   イスラエルよ。どうして あなたを見捨てることができるだろうか。   どうしてあなたを アデマのように引き渡すことができるだろうか。  どうしてあなたを ツェボイムのようにすることができるだろうか。   わたしの心はわたしのうちで沸き返り、   わたしはあわれみで胸が熱くなっている。」ホセア11:8 主なる神様は、旧約の民を親のように愛し慈しみ、育てて来られました。 彼らは罪をおかし、主に背を向け、間違った道へと進んでいきました。 しかし、神様はそのような民に 「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、 わたしはあわれみで胸が熱くなっている」と言われました。引き渡し、見捨てることはできない、と。 今日の私たちにも、神様は同じ思いでおられます。背を向けて歩んでいる人にも、熱い愛とあわれみをもっておられます。 イエス・キリストの誕生は、私たちを救い出すために神様が計画なさったことが、人間の目にはっきり見えるようになった記念日です。 祈り:神様、あなたの愛と恵みに満ちた救いのご計画を感謝します。イエス・キリストの誕生を心こめてお祝いします。私の周りの人たちが、一人でも多くの人がクリスマスの本当の意味を知ることができますように。世界中の教会で祝われるクリスマスに、主の豊かな臨在がありますように。アーメン

ホセア10

「あなたがたは正義の種を蒔き、 誠実の実を刈り入れ、 耕地を開拓せよ。 今が主を求める時だ。 ついに主は来て、 正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」ホセア10:12 「私は○○に植えられた」という表現をする方がおられます。「この地に植えられた」「この教会に植えられた」...そこには、今の所に神様が置いてくださった、それを受け取りじっくり根ざします、という自覚と決意が感じられます。 今日の12節は、植えられた地で「正義の種を蒔き」「誠実の実を刈り入れ」「耕地を開拓せよ」と命じられています。置かれた所で、「今」主を求めよ、というのです。 現状に不足を覚えることがあるでしょうか。 別の場所に行けば、慣れた故郷に戻れば、両親や子どもが○○だったら、教会がこうだったら、牧師やリーダーが誰々みだいだったら...という「たられば」ばかりを追い求めていないでしょうか。 私たちが「植えられた」場所で、「主は来て、正義の雨を降らせる」ことのできる方です。 いよいよクリスマス、私たちの所に来られたイエス・キリストの恵みを思いつつ、クリスマス礼拝に備えましょう! 祈り:神様、現状の足りない所が目につき、他と比較してしまう心をゆるしてください。主が私をここに導き、植えてくださったことを感謝します。ここにも主が来られ、聖霊が満ちあふれてることを覚えます。日本中、世界中でクリスマスの備えをしているクリスチャンを喜びで満たしてください。アーメン

ホセア9

「エフライムの見張りは、私の神とともにいる。 しかし預言者には、すべての道に罠が仕掛けられ、 彼の神の家には憎しみがある。」ホセア9:8 別の聖書訳には、「預言者はエフライムの見張りとして、私の神とともにいる。 しかしすべての道に罠が仕掛けられ、 彼の神の家には憎しみがある」としているものもあります(NIVなど)。 いずれにしても、ホセアのような預言者がイスラエルの国に敵視され、憎まれるということがわかります。 目先の判断で強国に頼り、滅びの運命を自ら選ぼうとする人々の耳には、預言者のことばが煩わしいものとしてしか聞こえません。 フィリップ・ヤンシーの自伝(「光の注がれた場所」)を読みました。お兄さんは反発し、実母と断絶します。関係を修復しようとする著者の努力はなかなか実を結びません。要因の一つは、両者とも自分が悪くないと思い、互いに傷ついていることでした。 自分が正しいと思うとき、私たちも自分が思うよりずっと頑固になるのかもしれません。聖霊が気づきを与え、柔らかい砕かれた心にしてくださいますように。  祈り:神様、私は_______のことがなかなかゆるせません(わだかまりがあります、批判的になります、不条理だと思います)。でも、そのことをあなたの前に起きます。私に柔らかい心を与えてください。頑固な民のようではなく、へりくだって悔い改め、あなたに聴く霊の耳を開いてください。アーメン

ホセア8

「わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、 彼らはこれを他国人のもののように見なす。」ホセア8:12 旧約時代に、イスラエルの民に神様はおしえと戒めを与えてくださいました。ところが人々は、それを自分とは関係ないように(他国人のもののように)扱いました。 何度も警告したのに改めない者をさばかざるを得ない、神様の嘆きが感じられます。 聖書が書かれた場所は主に中近東です。日本人にとって、地名や言語は外国のものかもしれません。しかし、キリストは全人類の罪ために十字架にかかり、復活されました。今日は、聖書のおしえを誰も「他国人のもののように見なす」必要はありません。 パウロはローマ人への手紙の中で 「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。(ローマ1:16)」 と述べています。福音は私や隣の人に救いをもたらす神の力だ、と心から信じているでしょうか。 祈り:神様、あなたは今日の私たちに心から呼び掛けておられます。___さん、___さんがこのクリスマスに福音を受け取ることができますように。 そして、福音がどれほど素晴らしい神の力であるかを、私自身ももっと味わい知ることができますように。アーメン

ホセア7

「エフライムは愚かな鳩のようで、良識がない。 エジプトを呼び求め、アッシリアに飛んで行く。」ホセア7:11  初代ローマ皇帝アウグストゥスの別荘が最近発掘されたそうです。クリスマスの記事「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た(ルカ2:1)」の人物です。 悪名高いヘロデ王は地方を治めましたが、アウグストゥスはそれよりも上位の、ローマ帝国全体の支配者でした。 それほど権力があった人の建物でさえ、ベスピオ火山の噴火で埋もれてしまい、21世紀になってやっと掘り起こされるという有り様です。 この章では「エフライム」=旧約のイスラエルの民が、主なる神よりも強い国に頼ろうとしたことを戒めています。 私たちは、つい見える人のことばに頼り、影響されてしまいます。しかし、それが主のみ思いを反映しているかと、一呼吸置いて考えてみましょう。 「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。(マタイ10:28)」 祈り:神様、人は有限です。しかし、あなたは時代を越えて存在され、力ある方です。その方が私を愛し、かけがえのない存在として今日も扱ってくださる特権に感謝します。みことばにますます信頼できますように。アーメン

ホセア6

「私たちは知ろう。 主を知ることを切に追い求めよう。 主は暁のように確かに現れ、 大雨のように私たちのところに来られる。 地を潤す、後の雨のように。」ホセア6:3 注解書には、 「ホセア書は神の愛の心を明らかにしている。神はご自身の民を、罪の暗闇から輝く光へと移したいと願われる。神のさばきの背後に、繰り返し回復の約束が述べられる。神は、私たちとの関係に非常な価値をおかれているのだ」と解説されています。 ホセアの時代だけでなく、今日の私たちとの関係にも、神様は非常な価値を置いてくださっています。 その主への応答として、私たちは3節のように「主を知ることを切に追い求め」る者でありたいです。「主よ、今日も来てください。癒し、回復してください。新たな歩みを与えてください」と祈りながら一日を始めましょう。 祈り:神様、あなたが私との関係に価値を置いてくださり感謝します。クリスマス、年末が近づいてきました。楽しみと同時に用事も多く、あわただしい気持ちになります。主を忘れることがないように助けてください。買い物にも、郵便局や銀行にも、診察や送迎にも、職場や教室にも、私の心がいつもあなたと共に移動できますように。アーメン

ホセア5

「エフライムは虐げられ、 さばかれて打ち砕かれる。 彼が自ら進んで 人の決め事に従って歩んだからだ。」ホセア5:11 子どもの進路や願い(自分が子どもだった時も含めて)に関して、親子で意見が食い違ったことがありますか? 意見が違っても、子どもを本当に愛する親なら、子どもが望むように歩んでいくのを見守ることでしょう(たとえ苦労が目に見えていても)。 万一子どもが失敗し、ぼろぼろになって帰ってきたらどうでしょう。親は「ごめんなさい、未熟だった」と謝るなら受け入れるのだと思います。 神様はどんな親よりも私たちを愛してくださいます。 それゆえ、民がどうしても願うやり方にお任せになりました。 「彼が自ら進んで人の決め事に 従って歩んだからだ」ということばの背後に、胸を痛めながらも民を愛され見守っている、そんな神のみ思いが感じられます。 やがて国が滅び、ちりぢりになっても、偶像礼拝から離れた時に回復を与えてくださいました(もちろん民は悲しみを通り、その後でした)。 入学、就職、結婚、介護、子育て...を、神抜きでもできるのかもしれません。しかし、神は最善をご存じで、私たちにそれを与えたいと思っておられます。 自分一人で祈ると共に、教会の人たちや信仰の友にも祈ってもらいましょう。互いに祈りあう所に、恵みがいっそう豊かに注がれます。 祈り:神様、あなたの深い愛を覚えます。今まで、___に関しては、自分で決めて祈らずにきました。でも、これからはあなたに聞いていけますように。共に祈り合える信仰の友が与えられていることにも感謝します。アーメン

ホセア4

「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。 あなたが知識を退けたので、 わたしもあなたを退け、わたしの祭司としない。 あなたがあなたの神のおしえを忘れたので、 わたしもまた、あなたの子らを忘れる。」ホセア4:6  今日の4章には厳しいことばが並びます。北王国(「イスラエル」「エフライム」も同じ)に向かって、偶像礼拝に陥るのが姦淫(浮気)だと責めています。 「知識」とは、頭がよいとか物知りだということではありません。主のおしえを心に留め、従う心が「知識がある」ということです。北王国は、せっかく祭司の役割を果たす国として選ばれたのに、その恵みを拒否して悔い改めようとしなかったのでした。 神様は義なる方ですが、同時に愛と恵みに満ちた方です。 その方にここまで言わせてしまうのが、私たちの罪の本質なのだと知ります。 罪を赦された者として、主から離れず生きていきたいと思います。 祈り:神様、聖書の厳しいことばは、私たちが的はずれな罪の生活に逆戻りしないための戒めです。赦された恵みを味わいます。信仰が弱っている人たちの心に、今日聖霊の火が再び燃やされますように。神には不可能なことがないという約束を信じます。アーメン

ホセア3

「その後で、イスラエルの子らは帰って来て、自分たちの神である主と、自分たちの王ダビデを尋ね求める。そして終わりの日には、主とそのすばらしさにおののく。」ホセア3:5 ホセアが再び妻を買い戻す姿は、4節の 「これは、イスラエルの子らが、これから長く、王もなく、首長もなく、いけにえも石の柱もないところに、エポデもテラフィムもないところにとどまる」ことを示したものでした。 この通りに、イスラエルの民は捕囚により大切な故郷や所有物を失いました。 しかし同時に、偶像や悪い習慣も手放すことになりました。そして回復を経験したのです。 私たちにとっても、痛みを伴う別離は、同時に大切なものを取り戻す機会でもあります。ちょうど濁った水が澄むように、霊の曇りが取り除かれ、主をまっすぐ見上げる時が与えられます。 今まで握りしめていたことは何でしょう。周りの人に忖度し、遠慮し、信仰がポケットの奥に丸めて入っているなら、涙の経験は神の恵みを全身全霊で味わう、素晴らしいプロセスに変えられ得ます。 祈り:神様、あなた以外のものに絡み取られそうな、弱い私を助けてください。手放す信仰を与えてください。最近環境が変わった人、体調を崩した人、人生の転機を迎えた人を覚えます。主が私を、___さんを、___さんを、どこまでも愛してくださることに感謝します。アーメン 偶像や罪深い習慣からも自由になり、やがて主を求める民として帰還する、という

ホセア2

「わたしは永遠に、あなたと契りを結ぶ。 義とさばきと、恵みとあわれみをもって、 あなたと契りを結ぶ。真実をもって、あなたと契りを結ぶ。 このとき、あなたは主を知る。」ホセア2:19~20 厳しいさばきが語られた後、14節からは一転して回復のことばが続きます。 「優しく彼女に語ろう(14節)」「あなたはわたしを『私の夫』と呼び(16節)」...。 もし当時の王たちや人々が、ホセアやイザヤの預言に真剣に耳を傾けて悔い改めていたら、歴史は違ったかもしれません。後代に生きる私たちはそう思います。 今日の私たちはどうでしょうか。完成した聖書が与えられており、日本では信仰の自由も保証されています。その恵みに感謝し、みことばに真剣に耳を傾ける者でありますように。 祈り:神様、あなたが義とさばきと、恵みとあわれみをもって、永遠のいのちの約束を与えてくださいました。イエス・キリストを送り、十字架と復活を通して恵みのわざを完成してくださり感謝します。真実な主の約束を、今日も抱きつつ歩みます。アーメン

ホセア1

「主がホセアに語られたことのはじめ。 主はホセアに言われた。『行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は主に背を向け、淫行にふけっているからだ。』」ホセア1:2 ホセアは、イスラエルが北王国と南王国に分かれていた時代の預言者です。イザヤと同じ頃に生きた人でした。 予想外の主のことばで始まります。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ」と。神様が、どこまでもイスラエルや人々を見捨てないことを象徴しているようです。 やがて来るさばきは厳然たるものでした。が、それで終わりではありませんでした。 「ユダの人々とイスラエルの人々は 一つに集められ、 一人のかしらを立てて その地から上って来る。 まことに、イズレエルの日は大いなるものとなる。」 神様の回復があることが、はやくも宣言されています。 神様がどんな人でもご自身のために用いられること、主のご計画にはいつも希望があることを教えられます。 祈り:神様、退廃的・絶望的に見える状況でも、主のご計画が進められることを感謝します。戦場や廃墟となっている地に、あなたの栄光と回復がもたらされますように。 私たちの周りにも、やけっぱちになって自暴自棄に陥っている人がいます。私も、時に暗い気持ちや罪深い思いに陥ります。神様、あなたが暗闇に光を注いでください。アーメン

ダニエル12

「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」ダニエル12:13 聖書は世の終わりが来ること、そして神が最終的なさばきをなさることを述べます。 「今は終末の時代だ」と言われることもあります。 イエス様がいつ来られてもよいように備えをしておくことは大切です。しかし、「天を見上げてただ待っていよう」という投げやりな歩みは、聖書的ではありません。 ダニエルは、少年時代に捕虜としてバビロンに連れてこられました。 これから起こることや終末に関する幻を見ました。 バビロンとペルシアに仕え、時にはライオンの穴に投げ込まれるという生命の危機にさらされました。 その中でも誠実さと神への信仰を保ち、生涯を終えました。 私たちも生涯の最後まで神と「歩み」ましょう。 祈り:神様、不安になるようなニュースや噂を聞いても動揺せず、変わらない主を信頼できますように。私の生涯を通して主の導きと守りを信じ、歩んでいきたいです。 「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。(詩篇119:105)」 アーメン

ダニエル11

「彼に代わって、一人の卑劣な者が起こる。彼には国の権威は与えられないが、不意にやって来て、巧みなことばを使って国を奪い取る。」ダニエル11:21 ダニエルはこれから起こることを示されました。 近未来では、ペルシアからキリストの誕生の前までの国々の栄枯盛衰に関するものでした。さらに、終わりの時代に起こることも暗示しています。 「一人の卑劣な者」はアンティオコス・エピファネス(4世)で、紀元前2世紀のセレウコス朝シリアの王で、ユダヤを支配におさめた時にこの預言が実現しました。 歴史が聖書の預言どおりに動いたことから、聖書が真実だと信じることができます。 やがて起こる反キリストは、彼のような者だとも言われます。 誰が反キリストか、とか、どの国が何を示す、とか、私たちの想像は諸説別れるでしょう。 しかし、聖書の指し示すイエス・キリストが救い主であり、彼に信頼する人は失望することがなく、永遠のいのちを与えられるということは確かです。ゆるがない約束に感謝します。 祈り:神様、聖書が真実であることを再確認しました。聖書に書いてある約束をもっと知り、あなたに全く信頼する者となりたいです。難しく感じる部分は聖霊の光に便りながら読むことができますように。アーメン

ダニエル10

「その方は言った。『特別に愛されている人よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。』その方が私にそう言ったとき、私は奮い立って言った。『わが主よ、お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。』」ダニエル10:19 ティグリス川のほとりにいたとき、ダニエルだけにこの幻が示されました。一緒にいた人には見えませんでしたが、恐怖で逃げてしまいました(7節)。 ダニエルは、主の使いのことばをひとりで聞きます。 聖書には主の使いと出会い、話した人の記事が他にもあります。 ヨシュアは主の軍の将と出会い、顔を地に付けて伏し拝み、履き物を脱ぎました(ヨシュア5:14-15)。 ナザレ村のマリアはガブリエルに「あなたは身ごもって男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」と言われました(ルカ1章)。 皆初めは驚き戸惑いますが、主のことばを聞いて受け取ります。それゆえ、主の働きに参加する者となりました。 私たちも、日々みことばに聞き、主の語りかけを受け取る者となれますように。 祈り:神様。聖書に出てくる人々も、驚き戸惑いつつも主のことばを聞き受け取りました。私も同じような心を持ちたいです。導いてください。 このアドベントの時期、処女降誕や復活がを信じられないという人たちにも、あなたが語りかけてくださいますように。アーメン

ダニエル9

「私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている都をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです」ダニエル9:18 エレミヤの預言 (エレミヤ 25:11–12)によって、ダニエルは捕囚が70年間だと悟りました(2節)。彼の次の反応は、断食して祈ることでした。自分のためだけでなく、民に代わって悔い改め、とりなし、大胆に願い、あわれみを請いました。 同様に、イエス・キリストは私たちに代わって罪のゆるしのために十字架にかかってくださいました。 そして、聖霊なる神は私たちがどう祈ってよいかわからない時にも、とりなしてくださいます(ローマ8:26)。 私たちも、周囲の人々のために、また世界や国のために、人々に代わって祈るよう召されています。祈り方がわからなくても、聖霊に信頼して静まり、心に浮かぶことを ゆっくりと主に申し上げていきませんか。 祈り:神様、今あなたの前に静まっています。目を閉じて思い巡らすと、____のことが心にかかります。____をどうしたらよいのか、私にはわかりません。主の解決を求めます。また、_____について悔い改めます。あなたのあわれみを注いでください。あわれみに満ちた神様に感謝します。 「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。(テトス3:5)」 アーメン 

ダニエル8

「私ダニエルは、何日かの間病気になったままでいた。その後、起きて王の事務を執った。しかし、私はこの幻のことで驚きすくんでいた。それを理解できなかったのである。」ダニエル8:27 ダニエルに、別の幻が示されました。それは、今の国が滅びた後のことでした。 「雄やぎ(5節以降)」はギリシアのアレクサンドロス大王を指しています。非常に強い王国でしたが、やがて4つに分裂します。 高校生の頃、歴史で起こったこととこの幻が同じであると教えてもらい、「聖書って本当なんだ!」と改めて驚いたことでした。 ダニエルは幻の途中で失神したり、後にも何日か寝込みました。預言者も一人の人間、全身全霊で主の幻を見聞きしたのだろうと思います。 クリスマスの時期、各地を宣教のために飛び回る伝道者やクリスチャンのために、また各教会で奉仕している人たちのために霊肉の守りと強めを祈りましょう。 祈り:神様、あなたが世界を治め、歴史を支配しておられることに感謝します。福音を行って伝える人、サポートする人、とりなし祈る人。それぞれの召しと役割を受け取り、主のみこころを行うことができますように。アーメン

ダニエル7

「しかしそれは『年を経た方』が来られるまでのことであり、いと高き方の聖徒たちのためにさばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ時期が来た。」ダニエル7:22 7章は5~6章より前のことです。ダニエルは夢と幻を見ました。不気味な獣や象徴的な表現が出てきます。これから起こることの預言だとわかりますが、具体的にどれが何を指すかは、学者の間でも諸説あるようです。 今日も○○の国だとか、反キリストは□□のことを指すとか、さまざまな論が飛び交います。時には意見の相違でつまずく人もあります。 議論は悪いことではありませんが、信仰者が教団教派を越えて一致するには、聖書の明らかなメッセージでは一致し、そこからぶれないことだと思います。 この章では、最終的に主を信じる者(聖徒たち)のためにさばきが行われ、彼らが国を受け継ぐと書かれています。 また、イエス・キリストが救い主として地上に来られ、十字架で私たちの罪のあがないがなされ、信じる人には永遠のいのちが与えられることもわかります。 ダニエルも「私ダニエルは、いろいろと思い巡らして動揺し、顔色が変わった。しかし、私はこのことを心にとどめた(28節)」と述べています。今わからなくても、真実な愛の神様は良い方であることに信頼しましょう。 祈り:神様、私は難しいことはよくわかりません。でも、いつもあなたの十字架の愛とみことばの約束に立ちたいと願っています。みことばを思い巡らしつつ、私たち信仰者に与えられる恵みの約束に希望を置いて今日も過ごせますように。アーメン

ダニエル6

「私はここに命じる。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震えおののけ。  この方こそ生ける神、 永遠におられる方。  その国は滅びることなく、 その主権はいつまでも続く。 この方は人を救い、助け出し、  天においても、地においても、  しるしと奇跡を行われる。  実に、獅子の手からダニエルを救い出された。」ダニエル6:26~27 今度はダニエルに生命の危機がやってきました。王以外の、天の神を拝んだということでライオンの穴に投げ込まれました。 しかし、神様はダニエルを助け出されました。王は、ダニエルの信じる神について上のように書き送りました。 ダニエルを陥れるためのたくらみが、逆に異国にまで主の御名とみわざを知らせる結果となりました。 今、試練に直面しているでしょうか。問題の前に頭を抱え、しゃがみこんでしまうかもしれません。 しかし、神様はその逆境でさえ用いることのできる方です。暗闇に光を、失望に希望を与えることのできる方が私たちの神様です。ダニエルを救った神が、私たちの神様です。自分のことだけでなく、失意や難しさの中にある兄弟姉妹のためにも祈りましょう。 祈り: 主よ、あなたは「人を救い、助け出し、天においても、地においても、しるしと奇跡を行われる(27節)」方です。 今の状況が必ず主によって持ち運ばれるという、あなたに信頼する心を与えてください。 難しい状況を通っている___さん、___さんにも主にあって今日希望と励ましがありますように。アーメン

ダニエル5

「その子であるベルシャツァル王よ、あなたはこれらのことをすべて知っていながら、心を低くしませんでした。」ダニエル5:22 父ネブカドネツァル王が高ぶってさばきを受けたことを、子であるベルシャツァル王は知っていました。それなのに、ダニエルの信じる神を過小評価しました。頑固でした。 彼らが宴会で偶像礼拝をしていると、人間の手の指が現れて「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」という文字を書きました。 動揺と恐怖の中、ダニエルが呼ばれました。ダニエルは厳しいことばを告げます。 「これらのことをすべて知っていながら、心を低くしませんでした」と。 書かれた文字の意味は 「神が王の治世を数えて終わらせた。王は秤で量られて、目方の足りないことがわかった。国は分割され、メディアとペルシアに与えられる」 でした。 新約聖書では「『今日』と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい(ヘブル3:13)」と勧められています。 各々自分の頑固な心や先入観を悔い改め、励まし合う群れとなれますように。 クリスマスの時期、教会に新しい方が来られるかもしれません。心地よい仲間で固まるのではなく、愛とホスピタリティで主を求める方々を歓迎できますように。 祈り:神様、みことばを愛し従いたいです。心を柔らかくし、あなたの願われるところに私を置いてください。初めて教会に来られる方、祈りを必要としている方に寄り添い、私が日々受けている主の愛を流し出す者となれますように。アーメン

ダニエル4

「今、私ネブカドネツァルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である。」ダニエル4:37 天の神の偉大さを知りながらも、ネブカドネツァル王は自分のプライドに頼りました。その結果、ダニエルの預言どおり気がふれ、獣のようになって過ごしました。 その期間が終わった時、ようやく天の神を神と認めました。 私たちは、ネブカドネツァル王ほど頑固ではないと思いたいです。しかし、正直になって心の中を探ると、なかなか手放せないプライドやこだわり、自己義、習慣があるかもしれません。 もしもそうした心を発見したとしても、神様はあわれみ深い方です。素直に認め、助けを求めるものをないがしろにはされません。今日神様の前に出て、そのままを申し上げ、主の御手にゆだねましょう。 祈り:神様、私の心の中にある____や_____の思いを、今あなたの前に告白します。自分ではどうすることもできません。あなたのあわれみと力で、私の心を一新してください。キリストの心を私の心とできるよう導いてください。アーメン

ダニエル3

「しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」ダニエル3:18 偶像礼拝をしなかったシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは王の怒りを買い、火の中に投げ込まれました。神は3人と共におられ、彼らを助けられました。 「火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ(25節)」と王に言わせた奇跡は、神でなければできないことでした。 そんな奇跡を見聞きしたり体験したりできたらよいのに、と思います。 一方で、願ったとおりにならない場合もあります。迫害され殉教すること、病や障がいが癒されないことなど...。 「たとえそうでなくても」神を信じることができるでしょうか。ダニエル書の3人はその信仰に立っていました。 祈り:神様、祈りが思ったようにきかれない時、不信仰になりそうな私です。助けてください。あなたが無視しておられるのではなく、もっともっと深い摂理と愛ゆえであることがわかりますように。家族を突然失った方、障がいや病を持って生きていく方に、いっそうキリストの恵みと愛が注がれますように。アーメン

ダニエル2

「しかし天に秘密を明らかにするひとりの神がおられます。この方が終わりの日に起こることをネブカドネツァル王に示されたのです。あなたの夢、寝床であなたの頭に浮かんだ幻は次のとおりです。」ダニエル2:28 王が見た夢の解き明かしは、国中のどんな知者や占い師たちにもできないことでした。ところが捕虜のダニエルが、彼ならできる、と連れてこられました(25節)。 ダニエルはきっぱりと言います。自分ではなく、「天に秘密を明らかにするひとりの神がおられます」と。その解き明かしは、これから起こることを告げたものでした。 王は満足し、ダニエルを高い位につけました。 歴史の記録の中では、ある日の出来事でした。しかし、神の偉大さとやがて来るメシア、神の国の永続は、歴史を越えて今日の私たちにも迫ってきます。 ダニエルに秘密を教えた神こそ、私たちが日々礼拝する神その方です。 祈り:神様、あなたの存在を過小評価しないように助けてください。何千年も前におられた神は、今日も生きて働かれる神です。偉大な神様に、親しく近づき祈れる特権を、もっとかみしめることができますように。アーメン

ダニエル1

「神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるようにされた。」ダニエル1:9 バビロン捕囚で連れてこられた捕虜の中に、王族や貴族が何人かいました(3節)。 「その身に何の欠陥もなく、容姿が良く、あらゆる知恵に秀で、知識に通じ、洞察力に富み、王の宮廷に仕えるにふさわしく、また、カルデア人の文学とことばを教えるにふさわしい少年たち」でした(4節)。 今風に言えば「ルックスが良く、頭が良く、思慮深く、品があり、将来有望な男子たち」でしょうか。 ダニエルと友人たちはそのような少年でした。 しかし、彼らが素晴らしかったのは、まっすぐな信仰を持っていたことでした。 神は捕囚となった彼らを、「宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるように(9節)」されました。ダニエルたちの背後には、神の守りと恵みがありました。 どこに行っても、どんな祝福があっても、その背後には神の恵みがあります。ここまで主が良くしてくださったことを思い出しつつ、この1年を振りかえりたいものです。 祈り:神様、この1年もいろんな変化がありました。その背後に主の摂理と恵みがいつもあったことを覚えて感謝します。 今日は特に_____のこと、_____のことに感謝します。 「わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」  アーメン

エゼキエル48

「町の周囲は一万八千キュビト。この町の名は、その日から『主はそこにおられる』となる。」エゼキエル48:35 40章から続いた新しい都の様子が、最後に「主はそこにおられる」と呼ばれると締め括られています。 おごそかで豪華な神殿、それぞれの部族の割り当て地、放牧地、門などが、数量とともに記されました。しかし何より、そこに主がおられ、主とともにいることが一番素晴らしいことです。 私たちにとっても、最も素晴らしいことは計測不可能です。 心の平安や満足は、誰かが代わりに計測することができません。そして神の愛も、莫大すぎて人間の知恵を越えています。 「...その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。(エペソ3:18-19)」 祈り:神様、あなたの大きすぎる愛に感謝します。ひとり子イエス・キリストを地上に送り救いを成し遂げるという愛を、今年のアドベントにしみじみと思い巡らし、感謝できますように。日本中、世界中の教会のクリスマスを祝福してください。アーメン