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5月, 2023の投稿を表示しています

伝道者の書7

「また、人の語ることばを いちいち心に留めてはならない。 しもべがあなたをののしるのを 聞かないようにするために。」伝道者の書7:21 ことばには力があります。ある人から言われて傷ついた言葉が心によみがえり、悲しくなったり腹立たしく思ったりした経験は、誰にでもあると思います。 伝道者の書は「人の語ることばをいちいち心に留めてはならない」と教えます。これは、ののしりや根拠のない批判など、破壊的な言葉から心を守るための知恵です。 次の22節には、 「あなた自身が他人を何度もののしったことを、 あなたの心は知っているのだから」と書かれています。ドキッとしない人は、これまたいないと思います。 箴言の「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ(箴言4:23)」が迫ってきます。心を主にあって守っていただきましょう! 祈り:神様、口は心が考えることを話します。___さんを傷つけたかもしれないことを赦してください。また、私を傷つけた___さんの言葉を、もう心に留めずあなたの御手にゆだねます。 私の口が、あなたの恵みと周囲を建て上げる良い言葉を流せるよう、今日も私の心をきよめ、あなたの愛で満たしてください。アーメン

伝道者の書6

「もし人が百人の子どもを持ち、多くの年月を生き、 彼の年が多くなっても、 彼が良き物に満足することなく、 墓にも葬られなかったなら、 私は言う。彼よりも死産の子のほうがましだと。」伝道者の書6:3 伝道者の書を読んでいると、むなしさについて考えさせられます。 すべてを手に入れ長生きしても、幸せと言えない人がいると言っています。 それは、与えられているものに満足しない時です。 あるいは、「墓に葬られない」時だといいます。 当時は、墓に葬らない人の霊は、行方を知らずさまようという考えがありました。今の日本でも、骨や墓をとても大切にします。そのこだわりの背後には、同じような感覚があるのだと思います。 キリストを信じる者は死んだら天国に行くのだから、肉体そのものはどこに葬られても大丈夫です。 しかし、教会の墓地が日本の言い伝えの中に生きている家族や知人へのあかしとなることもまた、事実です。教会に墓地があること、定期的に記念礼拝を行うことが、大きな安心と信頼、ひいては信仰につながることもあります。 お墓の問題に悩む人が多い昨今、どうにかして永遠のいのちの希望を知ることができますように。キリストにある解決を体験できますように。 祈り:神様、私たち日本人のお墓への思いをも、あなたは愛と救いの恵みに変えることのできる方です。 教会の墓地を、あなたの栄光とあかしに用いてください。多くの教会や信仰者の墓に刻まれた聖句が、主の栄光と永遠への希望を示しますように。 また、お墓のことで悩んでおられる___さん、___さんが、主の導きによりよい選択ができますように。 アーメン

伝道者の書5

「実に神は、すべての人間に富と財を与えてこれを楽しむことを許し、各自が受ける分を受けて自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。」伝道者の書5:19 聖書は、与えられた経済を楽しみ使うことを否定していません。働いて報酬を得ることを「神の賜物」とまで言っています。収入は、自分の力で稼いだ自分のもの、というよりは、神が与えた仕事で神がくださった賜物だ、ととらえています。 収入の多い、少ないにかかわらず、今あるものに満足して過ごす姿は、パウロを思い出させます。彼は「貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。(ピリピ4:12)」と言います。 10節には「金銭を愛する者は金銭に満足しない。 富を愛する者は収益に満足しない。 これもまた空しい」とあります。 額面の多い少ないにとらわれず、神が割り当ててくださる賜物なら、神がそれに応じたやりくりの方法や助けを与えてくださることでしょう(時には金銭以外のものや他者を通しても)...その信仰を持つことを、主は望んでおられます。 みじめな気持ちを持たないで、わたしの知恵があるよ、という主の声が聞こえてきそうです。 祈り:神様、私の日々の経済にもあなたが配慮してくださっていることを信じます。人と比べるのではなく、人間の計算だけでなく、信仰を与えてください。神の財政の原則に信頼し、祈りながら時には大胆に、時には節約して賜物を用いることができますように。アーメン

伝道者の書4

「一人なら打ち負かされても、 二人なら立ち向かえる。 三つ撚りの糸は簡単には切れない。」伝道者の書4:12 結婚式でよくメッセージされる聖句です。結婚が祝福であること、さらに二人が同じ神様の方向を見上げ、主と共に「三つ撚りの糸」のように歩むことの幸いが語られます。 このことは夫婦だけでなく、家族や友人との人間関係においても当てはまります。 そして、信じる者の集まりである教会こそ、まさに三つ撚りの糸の例だと言えます。 キリストが頭であり、定期的に集まって礼拝をささげ、互いのために祈り、励まし、建て上げ合う教会は、弱く見えても強いのです。 ペンテコステの日に聖霊がくだったのも、皆が一つところに集まっている時でした。共に主に祈り礼拝するとき、主のみわざが起こります。 今日のペンテコステ礼拝で、共に礼拝できることが心から楽しみです! 祈り:神様、私に同信の友を与えてくださり感謝します。___さん、____さん、___さん、____さん...。主が共にいてくださる人間関係の幸いを覚え、同じ聖霊が心に住んでおられる方々の存在を感謝し、あなたの栄光が現れますようにと祈ります。アーメン

伝道者の書3

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」伝道者の書3:11 日本では高齢の方が自分の将来を案じている、そして若い20代、30代の人でも老後の心配をする、すべての年代が老後を心配していると聞いたことがあります。 「老後はどうなるのだろう」だけでなく、「この状況はいつまで続くのだろう」「いつになったら祈りが聞かれるのだろう」という不安は、神様が人に「永遠」という感覚を与えてくださったからだといえます(動物は老後を心配しません)。 神のみわざのすべては見極められなくても、人間に永遠について考える心を与えた神様は、永遠のいのちの価値とそれを得る方法も備えてくださいました。 永遠の価値のあるキリストの救いを、ひとりでも多くの人が心に受け入れ、地上生涯の後のことに平安を持てますように。 祈り:神様、あなたのみわざが「時にかなって美しい」という約束に感謝します。私の将来も、あなたの備えと守りがあると信じます。5月最後の週末、外出を楽しむ人が多くいるでしょう。その中にキリストの十字架のみわざを知り、永遠の平安を受けとる人たちが起こされますように。アーメン

伝道者の書2

「人には、食べたり飲んだりして、自分の労苦に満足を見出すことよりほかに、何も良いことがない。そのようにすることもまた、神の御手によることであると分かっった。」伝道者の書2:24 毎日いきいきと生活している人は素敵ですね。 80代、90代になっても福音の喜びにあふれている伝道者やクリスチャンの方々がおられます。「多く与えられた者はみな、多くを求められ(ルカ12:48)」を体現しておられるのでしょうか、キリストに従い続ける姿に感動します。 同時に、その方たちは長年の人生経験を経つつも、より謙遜に、そして小さいことに感謝して生きておられることに気づきます。 「実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか(25節)」を体現しておられるようです。私たちも同じ姿勢で、自分が楽しんでいることに神の守りの御手があることを覚え、感謝する者となれますように。 祈り:神様、あなたの御手が日々の生活の細部にまで届いていることに感謝します。今日も、小さな感謝の種、主のご栄光の現れに気づかせてください。アーメン

伝道者の書1

「空の空。伝道者は言う。 空の空。すべては空。日の下でどんなに労苦しても、 それが人に何の益になるだろうか。」伝道者の書1:2~3 今日から伝道者の書です。著者はソロモンだと考える人が多いですが、王で富も権力も得たイスラエルの王が「空の空。すべては空」と始めるので、驚いてしまいます。 でも、始まりの数節を通して、私たちが日々生きていることの意味は何か、と改めて問われています。 あくせく働いているなら、(身体は動いていても、考えは)立ち止まり、神様の思いにチューニングを合わせるように(ちょうどラジオの周波数を合わせるように)という促しを感じます。 いくつもの役割や働きに追われているでしょうか。人生の意味を考えた彼のように、これからの数日は立ち止まり、みことばを味わう自宅リトリートの時となりますように。 祈り:神様、あなたが与えてくださった人生を、あなたが願われるような生き方で過ごしたいと願います。目先のことにあくせくするあまり、大切なことを見失うことがありませんように。 進路の導きを祈っている___さん、____さんを、あなたのみこころの道へと導き、信仰を持った素晴らしい歩みを与えてください。アーメン

箴言31

「しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。 彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。」箴言31:10 箴言の最後の章は、女性(レムエルの母)のことばが置かれています。女性が神のことばを教えていることから、これを根拠に女性が教えることを認めた例もあるそうです。 それはともかく、「しっかりした」女性を聖書はよしとしています。容姿やかよわさよりも、「しっかりした」女性が理想だという箴言のことばは、若くても年を重ねても女性の価値が変わらないこと、むしろたくましい存在になっていくようにとの励ましを受けます。 「主を恐れ(30節)」つつ、日々介護をしている女性たち、夫を見送りたくましく一人暮らしをしている女性、困っている人に親切にするあわれみ深い女性たちは...、たくましい、聖書の理想の女性像に近い人たちです。 祈り:神様、信仰者の姉妹たちを覚えて感謝します。介護をする___さん、ひとり暮らしの____さん、親切な____さん、日々働く____さん、...。主を恐れる女性たちの人生に、あなたの祝福と恵みがいっぱいに注がれますように。アーメン

箴言30

「むなしいことと偽りのことばを、 私から遠ざけてください。 貧しさも富も私に与えず、 ただ、私に定められた分の食物で、 私を養ってください。」箴言30:8 「貧しさ」や「富(裕福さ)」でなく、必要なものだけがある生活がよい、と述べています。続く9節には 「私が満腹してあなたを否み、『主とはだれだ』と言わないように。 また、私が貧しくなって盗みをし、 私の神の御名を汚すことのないように」 と続きます。 貧しさが困ることは容易に理解できます。しかし、富のせいで困っている人も多くいます。 断捨離、ゴミ屋敷問題...が言われて久しいです。いかに多くの人が、増えすぎた物や事に囲まれ困っていることでしょう。豊かなはずが、神を見失い、所有物さえどうしてよいかわからなくなる危険があることを、箴言は教えてくれます。 神様に頼り、祈りながら所有物や財産を管理するなら、知恵と節度ある麗しい生活ができることを思いつつ、暮らし方を再点検できますように。 祈り:神様、あなたが万物の所有者であることを覚えます。私が託された分を賢く管理できるように知恵を与えてください。「受けるより与える方が幸いです」とあるように、感謝し、適切に用い備え、循環させ、あなたの御名がほめたたえられるような使い方ができますように。アーメン

箴言29

「人を恐れると罠にかかる。 しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。」箴言29:25 「あの人がどう思うだろうか」「この人に嫌われないだろうか」 人の顔色を見て行動すると、何の根拠もないその人の気分に左右されてしまいます。 その人を喜ばせようとすると、別の人が気分を害したり傷ついたりすることさえあります。 ニュースで報道される賄賂や粉飾決算も、人を恐れて取り繕うとすることから起こります。何とかしようとして、罠にかかってしまうのです。 私たちの行動原理は「主を喜ばせるか」どうかであると聖書は教えてくれます。 「舞台に立つ時、キリストがただ一人の聴衆であると思うようにしています。キリストが喜んでくださりさえすれば、成功なのです」と言った人もいます。 人生の救い、永遠のいのちを与えるのは人ではなく、神のみができることです。主を恐れ信頼する歩みができますように。 祈り:神様、私は人の目や評価が気になり、恐れてしまいがちな者です。人を恐れてはらはらするのでなく、主であるあなたを見つめ、聖書の原則を思い出すことができるように助けてください。教会の一人一人が置かれている所に難しい人間関係があるなら、主にあって解決に至らせてください。アーメン

箴言28

「忠実な人は多くの祝福を得る。 しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない。」箴言28:20 「忠実な」という言葉から、どんなイメージを抱くでしょうか。 聖書の言う「忠実な」には、「しっかりとした、安定した、堅く、専念した、着実な」というニュアンスがあるようです。 ただ「指示待ち」ではなく、すすんで自発的に方向を定め、貧しい人や困っている人を見放さず、自己中心ではない姿が浮かんできます。 聖書の元々の「忠実な」は「アーメン(私も全く同感です)」という言葉とも仲間だそうです。正しい方向に同感である、そちらを選びとるという姿勢が感じられます。 今週も、神のみこころの方向に進めますように。もしボタンのかけ違いを感じる部分があるなら、正しい方向に舵をきることができますように。 祈り:神様、今週も私を「忠実な」歩みに導いてください。修正する面があれば教えてください。 今進路に迷っている___さん、___さんに、主の道を開き、みこころを明確に示してください。アーメン

箴言27

「鉄は鉄によって研がれ、 人はその友によって研がれる。」箴言27:17 人間関係に問題や葛藤はつきものですが、人は人を通して訓練され、整えられていきます。 欠点がぶつかり修正されていくというだけではありません。良いところが、鉄を研ぐようにより鋭く、より磨かれ伸ばされていくこともあります。 信仰者どうしの交わりも同様です。一昨日は大阪日本橋キリスト教会に伺い、幸いな時を過ごしました。 交わりは、お互いの励ましはもちろん、神の栄光を願うものでした。その場に参加できなかった兄姉にも祝福を持ち帰り、その祝福が流れていくことを信じます。 主にあって、ひとつ心で祈りあえる友の存在に感謝します。 祈り:神様、あなたがいつも共にいてくださることに感謝します。 信仰の友を与えてくださり、生い立ちや性格は違っても、ひとつ心で同じ主に祈り、主を礼拝し、神の栄光のためにと願うことができる幸いに感謝します。アーメン

箴言26

「薪がなければ火が消えるように、 陰口をたたく者がいなければ争いはやむ。」箴言26:20 学校でも職場でも家庭でも、時には教会でも、意見や考え方の相違から対立?が起こることがあります。 違い自体は悪いことではありません。それが反目や分裂を引き起こす時、トラブルとなり互いに傷つけあうことになります。 解決の糸口は「陰口をたたく者がいない」ことだ、と箴言は教えます。 ある人が陰口を控えることもあれば、陰口を言う人自身が取り去られることもあるでしょう。 表と裏を作りやすい人間の性質です。でも、二枚舌が神様に喜ばれないことだということを、肝に命じたいと思います。 祈り:神様、裏でこそこそと陰口を言うことが、すべてのトラブルの根であると学びました。今日、私自身が「陰口をたたく者」とならないよう、心と口をお守りください。もし陰口やうわさをしがちな人がいるなら、気づきを与えてください。サタンが混乱させようとしても、キリストの御名と力によって、教会を愛でお守りください。アーメン  

箴言25

「あなたを憎む者が飢えているなら、 パンを食べさせ、 渇いているなら、水を飲ませよ。なぜなら、あなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになり、 主があなたに報いてくださるからだ。」箴言25:21~22 憎む者に復讐するのではなく、主が報いてくださるのだということです。ローマ12:20でも引用されています。 かつて、「頭上に燃える炭火を積む」とは、熱い炭で相手を痛い目に遭わせることかな、と思っていました。でもそうではないようです。憎む者自身が誠実な扱いを受けて恥じ入り、悔い改めるようにということです。 自分に辛く当たる人が苦労すると「いい気味だ」と胸のつかえがとれたような気持ちになりがちです。しかし聖書は、あくまで愛を貫くように、復讐は神にゆだねるように、と教えます。 身をもって見本を示し、教えてくださったのがイエス・キリストです。「WWJD(What Would Jesus Do? イエス様ならどうするだろうか)」という問いに照らしながら、今日も判断ができますように。 祈り:イエス様が愛の見本を示してくださり、感謝します。その姿にならうことができるよう、今日も私の心と態度を助けてください。 急に暑くなりました。身体の弱さを覚える兄弟姉妹を熱中症から守り、健康を支えてください。性格や好みの違う兄弟姉妹にも、今日いっそう主の健康と祝福がありますように。アーメン

箴言24

「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、 あなたの力は弱い。」箴言24:10 困難に直面すると、へこたれてやる気を失いそうな時がありますか?私にはあります。 しかし、聖書は「苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い」直訳では「力は狭い」と教えます。 「力が狭い」とはどういうことでしょう。もし、自分のできる範囲、わかる範囲だけで対応しようとしたら、限られた弱い力しかなく、「力が狭い」のだと思います。 そうではなく、神の力と知恵に頼り、希望を失わないなら「力が広い」と言えます。 24章には、 ・正しい人は七度倒れても、また起き上がる。(16節) ・それ(知恵)を見つけるなら、あなたには将来があり、 あなたの望みが断たれることはない。(14節) ともあります。主の助けのあるところには、希望と将来があります。主の目から見た今の困難は、私たちが「平安な義の実を結ぶ(ヘブル12:11)」ためのよい訓練となりえることに期待します。 祈り:神様、あなたの深遠なご計画の中で、今日も生かされていることに感謝します。気落ちして信仰を失わないよう、___さん、___さん、そして私自身を励ましてください。直面している困難を通して練り、「平安な義の実を結ぶ」者としてください。アーメン

箴言23

「わが子よ。よく聞いて、知恵を得よ。 あなたの心が道をまっすぐ進むようにせよ。」箴言23:19 親に「子どもをその道にふさわしく教えよ」というだけでなく、子どもの側も心して歩むようにと教えられています。 成人した大人自身も、誰かの子どもとして生まれました。また、キリストを信じる者は誰でも神の子どもです。 ですから、この戒めは今日の私たちにも当てはまる原則です。 「よく聞いて」とあります。知恵を得、みこころにかなった判断をするには「聞く」ことが大切なのだと教えられます。パウロもローマ人への手紙の中で 「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです(ローマ10:17)」 と書いています。神のことばを聞き、素直な心でみこころを知ることができますように。 祈り:神様、私に純粋で素直な心を与えてください。___に腹が立ったり、批判的になったりすることがあります。自分の先入観やわがままから生じる気持ちでしたら、良くないものを取り去ってください。日々あなたの愛を頂き、流す者としてください。何よりも主ご自身を愛し、みことばへの渇きを与えてください。アーメン

箴言22

「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。 そうすれば、年老いても、それから離れない。」箴言22:6 親どうしの会話では、ともすれば塾、模試、偏差値の高い学校、有名な会社、人並み、高収入...が良い、という前提で話が進みます。いつの間にか信仰者もその価値観に飲み込まれ、子どもにもそれを当てはめたくなります。 しかし、有名な会社に入ったからといって、一生幸せなわけではありません。もっと大事なことは、神様が子どもにどんな特性、賜物を与えているかを見いだすことです。神のデザインした最善のコースをゆがめてしまい、子ども本人が苦労することがないようにと、まず大人たちの価値観を点検することを戒めているように思います。 また、教会の子どもたちの育ちを、暖かい眼差しで祈り見守る私たちでありたいと思います。結果が出るには長くかかるかもしれません。でも、神様の計画してくださった道を子どもたちが見いだせるよう、長い目で祈り続けることができますように。 祈り:神様、教会に来ている子どもたち、これまで来ていた子どもたちを覚えて祈ります。ユース・大学生・専門学校生の___さん、____さん...、中高生の___さん、___さん、...、小学生の___ちゃん、____ちゃん、...、乳幼児の___ちゃん、___ちゃん、...、神様と人に愛されていることがわかりますように。神様が計画しておられる道を歩むことができますように。アーメン

箴言21

「王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。 主はみこころのままに、その向きを変えられる。」箴言21:1 教会員の中には、日曜日の朝は家を出るまでの準備や、あれこれ家庭の段取りがある方も多くおられるでしょう。用事が多すぎたり、もしかすると時には家族に嫌みを言われたり、せっかく礼拝に行こうとしているのに、かえって暗い気持ちになることだってあるかもしれません。 重い心で教会に着きます。正直なところ期待ができないかもしれません。それでも、ひとまず礼拝に出ます。すると不思議なことが起こります。徐々に心が落ち着き、整い、平安になってきます。主が心を変えてくださるのです。 国を治める王様の心でも主の手の中にあり、主がその心を支配してみこころのままに変えられるというのが今日のみことばです。 王だけでなく、こんなに頑固な私の心も変え、信じる心にし、永遠のいのちを与えてくださったのですから、「神にとって不可能なことはありません」と告白します! 祈り:神様、わがままで自己中心的な私の心を変えてくださり感謝します。今日、葛藤しながら礼拝に集う方がおられるなら、主が慰め、励まし、新しい力と希望に満たして送り出してください。主を賛美することは私たちの力です、と告白します。 今、懸命に準備をし、礼拝に出席しようとしている___さん、___さん、___さん,....のことをあなたが喜び、見守り、愛しておられることを実感できますように。祝福が豊かに注がれますように。アーメン

箴言20

「『悪に報いてやろう』と言ってはならない。 主を待ち望め。主があなたを救われる。」箴言20:22 悔しい思いをしたことのない人はいないでしょう。幼い子どもでも、友達や兄弟とのけんかで悔しくなって腹を立て、やり返しているのを見かけます。 しかし、聖書は、復讐は神がなさると教えています。 「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。『復讐はわたしのもの。わたしが報復する。』主はそう言われます。(ローマ12:19)」 自分で報復しようとすると、された以上にやり返してしまう私たちです。上手に復讐することができません。国同士の争いがエスカレートするのも、過度の報復が繰り返されるからだと言えるでしょう。 箴言は「主を待ち望め」、そうすれば「主があなたを救われる」と述べます。 自分が当事者になると、状況や程度を正確に把握できない私たちです。特に、誤解されたり中傷やうわさが生じたりすると、かっとなって冷静さを失いがちです。しかし、良識ある周囲の人や、何より主ご自身は状況をよく知っておられます。 もし今、悔しさと不条理さに心騒ぐなら、主を待ち望む力が与えられますように。第三者の判断をあおぐ冷静さと、祈りの応援をお願いする信仰を働かせつつ、主の時を待ち望めますように。 祈り:神様、あなたがすべてをわかってくださることに感謝します。悔しい気持ちも、心痛む気持ちも、主の元に持っていき、ゆだねます。 苦しい状況にある___さんのために、また状況そのものに、主が働いて解決してくださいますように。___さんの心が支えられますように。 アーメン

箴言19

「貧しい者に施しをするのは、主に貸すこと。 主がその行いに報いてくださる。」箴言19:17 欧米の実業家やセレブの中には、利益の1割を社会や慈善活動のためにささげる人たちがいます。貧しい所に還元することで、結果的に自分にも報いがあり、事業が守られるということを経験的に理解しているようです。 日本でも、私財を投じて障がい者の財団を作った実業家や、奨学金で貧しい学生を応援する企業があります。そうした話を聞くたび、「主の祝福がありますように」と心温まる思いで祈ります。 今日の箇所の「貧しい者」も、家族や親戚だけでなく、もっと広く国や世界規模を見渡すことができるでしょう。 また、「貧しさ」は経済的なものに限りません。「福音が届いていない貧しさ(Gospel Poverty)」に置かれている人が何と多くいることか。いくら外側が満たされても、内側には空虚さをかかえ、心の貧困状態に置かれている人が、私たちの周りには多くいます。 私たちの人生の歩みで、そうした方たちにどのように寄り添い、福音の希望を伝えることができるでしょうか。 祈り:神様、あなたが世界を支配され、みこころにかなうすべての行いや支援を知っておられることに感謝します。私自身もこれまで多く受けてきました。 あなたが手を伸ばしたいと思われる所に、愛の投資ができますように。___や____のことが今日は心に留まります。 教会や宣教団体を通して、あるいは個人的に、さらに助けささげる者としてください。アーメン

箴言18

「人の霊は病苦も忍ぶ。 しかし、打ちひしがれた霊はだれが担えるだろう。」箴言18:14 けがや病気をした時、肉体そのものも痛みますが、精神的にも同じくらい辛いものです。回復が見通せず落ち込んだり、気力が衰えたり、不安になったり、と。 うつやこころの不調は目に見えませんが、やはり深刻な影響をもたらします。 どんなに医学が進んでも、科学的な治療や薬だけではよくならないことが多くあります。 落胆し打ちひしがれた霊も同じです。人の力ではどうしようもない心を、イエス様はよく知っておられました。そして、そうした心に解放と平安をもたらすために来られました。 「主の霊がわたしの上にある。 貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。 捕らわれ人には解放を、 目の見えない人には目の開かれることを告げ、 虐げられている人を自由の身とし、 主の恵みの年を告げるために。(ルカ4:18~19)」 「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。(マタイ5:4)」 どうしようもない心、コントロールできない感情に、イエス・キリストの平安と励ましがありますように。 祈り:神様、私の心の深い思いを知ってくださり感謝します。私自身も気づいていないような動機や背景があるかもしれません。あなたが平安をもたらし、解放と自由と慰めを与えてくださると信じます。疲れた心にあなたの愛と恵みを注いでください。今日一日の歩みをお助けください。アーメン

箴言17

「銀にはるつぼ、金には炉、 人の心を試すのは主。」箴言17:3 興味深いコラムを読みました。 銀は摂氏893度、金は1064度で溶けます。では両方とも炉で熱すればよいのではと考えますが、溶解温度よりうんと高くしてしまうと、冷える前に金属の組成が壊れてしまいます。また、溶かす過程で酸素と触れるのは最小限にした方がよく、それぞれの金属に合った温度で注意深く溶かす必要があります。(参照:NIV, Curlutral Backgrounds Study Bible) やみくもに温度を上げるのではなく、金属の性質をよく知った専門家が精錬することで、品質のよい作品ができるという訳です。 私たちのことを一番よく知っておられる神様は、私たちを精錬する方法や精錬後の仕上がりを熟知しておられます。精錬中は辛くても、それは苦しめるためではなく、私たちが成熟した信仰と人格に造り変えられるためです。 詩篇にも「神よ まことに あなたは 私たちを試し 銀を精錬するように 私たちを練られました。(詩篇66::10)」 とあります。 今、信仰の訓練を通っている人たちのために祈りで支えましょう。また、聖書学校で器作りの訓練を受けている人たちのためにも祈りましょう。 祈り:神様、あなたが私のことをよく知り、適した時期に適した方法で精錬してくださっていることに感謝します。試練が続いている___さん、___さんのことを覚えます。あなたのご計画と恵みのうちに励まし支えてください。 今週末から、また神学生の派遣が始まります。各教会に派遣される人たちが、主にあってよい経験ができますように。私たちの教会でも、よい交わりと祝福となることに期待し感謝して祈ります。アーメン

箴言16

「白髪は栄えの冠。 それは正義の道に見出される。」箴言16:31 9月の敬老礼拝でよく読まれる聖句です。 聖書は年を取ることを否定的に見ていません。また、年を重ねた人を低く扱うこともしません。むしろ、 「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。(レビ記19:32)」 と命じているくらいです。 もっとも、年齢とともに陥りがちな、頑固さや思いこみ、短気を聖書は戒めています。 「怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の霊を治める者は町を攻め取る者にまさる。(32節)」 聖書の教える「怒りを遅く」「自分の霊を治める」高齢者にはすぐにはなれません。今日から日々少しずつでも、みことばから教えられ、主に頼りつつ、すてきな高齢者を目指して、老いを恐れず励みましょう! 祈り:神様、年上の信仰者である___さん、___さんの存在に感謝します。私も年を重ねたら___さんのような歩みをしたいです。頑固にならず、主にあって霊を日々新たに造りかえてください。柔軟な心、謙遜な態度を日々教えてください。アーメン

箴言15

「野菜を食べて愛し合うのは、 肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」箴言15:17 富自体を聖書は否定していません。しかし、お金が神や人間関係に優先することがないようにと教えています。 「肥えた牛(贅沢なごちそう)」があっても憎み合うならば、「野菜(粗食)」で仲が良い方がよいという格言は、戒めであると同時に慰めでもあります。たとえ経済的につつましい生活をしていても、お金で買えない大切な人間関係が与えられていると確認できるからです。 直前の16節には「わずかな物を持って主を恐れることは、 豊かな財宝を持って混乱するよりも良い」とあります。イエス・キリストを信じて永遠のいのちを持っているなら、地上の富や一時的な華やかさに執着しなくてもよくなります。「断捨離」が流行語となって久しいですが、一番のシンプルライフは主を知ることから始まります。 祈り:神様、あなたのくださった永遠のいのちを感謝します。また、今私に与えられている物にも感謝します。祈りながら、与えられているものをあなたの栄光のために用いることができますように。___さん、___さんの生活が今日も守られますように。今週、励ましが必要な方への気づきと祈りができますように。アーメン

箴言14

「牛がいなければ飼葉桶はきれいだが、 豊かな収穫は牛の力による。」箴言14:4 箴言には、人間関係の知恵がたくさんつまっています。ある注解書によれば、忍耐、平安、誠実さ、リーダーシップ、あわれみの心、勤勉、プライド、ねたみ、頑固さ、社会参加...と、約50種類もの分類がされています。 4節は、力を合わせることで収穫を得ると教えます。ただし、「飼葉桶」は汚れます。問題が生じたり、心を砕いてケアをしたりする必要が出てきます。 伝道集会を企画する時、教会で何かをする時、課題や問題が生じてもあわてる必要がないとも教えられます。 それらを見ないふりをするのではなく、飼葉桶を掃除するように、えさを運んで入れるように、率先してへりくだり、仕える心を持つように、とも教えられます。 「知恵のある者は慎重で、悪を避けるが、 愚かな者は怒りやすく、自信が強い(16節)」 「穏やかな心は、からだのいのち。 ねたみは骨をむしばむ(30節)」 なども、今日の私たちにそのまま適用できる教えですね。 祈り:神様、人間関係の原則をたくさん教えてくださり感謝します。あなたの教えを忘れ、自我に任せがちな私をゆるしてください。同信の兄弟姉妹を愛し、へりくだって仕え合う心を与えてください。アーメン

箴言13

「正しい人の光は輝き、 悪しき者のともしびは消える。」箴言13:9 今日の箇所を読みながら、先日浜松に行った時のことを思い出しています。 個人的なあかしですが、浜松でマーシュ宣教師の召天記念礼拝に出席しました。今年の大河ドラマの影響もあり、駅前は大変な人出でした。 宣教師はこの町のためにどんな気持ちで祈り晩年の宣教をしたのだろうかと思いながら、市街が一望できる高いビルに登ってみました。 45階からは、徳川家康が合戦で勝利したところや、天下統一に関わる史跡の数々が見えます。観光名所になっているようでした。 家康の天下統一に比べたら、宣教師が小さな街角で福音を語ったことは多くの人の目には取るに足りないことかもしれません。 しかし、天から見下ろす神の目には異なる映り方をしているはずです。主の召しに従い、滅びる人のために涙を流し、福音を一人一人に語り続けた宣教師の働きは、家康の業績よりもその地に「輝き」、価値のあるものとして覚えられることでしょう。 「正しい人の光は輝き」の光は、私たちにとっては福音の光です。私自身の栄光ではなく、私や教会を通してキリストのご栄光が流れ出ますように。 祈り:神様、私を福音の光を流す者としてください。 「キリストにはかえられません  有名な人になることも  人のほめる言葉も この心を引きません(聖歌521番2節)」 一時的な世の価値観よりも、永遠の価値に目を止めることができますように。生涯の最後まで、キリストご自身から離れないように守ってください。アーメン

箴言12

「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし、知恵のある人の舌は人を癒やす」箴言12:18 箴言には対句がよく出てきます。よい例と悪い例が並べられていて、心がけたいことと反面教師のように戒めてくれることとが出てきます。良いとされることに励むこともできれば、悪いとされることを避けるということもできます。 言葉についての知恵が多いことにも気づきます。 「知恵のある人の舌は人を癒やす」というのは素晴らしいですね。実際に、クリスチャンの先輩や友からの言葉で慰められ癒されることがあります。このようになりたいと教えられます。 一方で、「軽率に話して人を剣で刺す」ことは極力したくありません。それには「軽率に話す」ことを避けるようにいう知恵が語られています。感情に任せてベラベラ言いたい時、少しでも良いから「黙する」ことができますように。聖霊が心を治めて下さいますように。 祈り;神様、あなたが下さった口と言葉を正しく用いることができますように。心がいっぱいになって、口から軽率な言葉があふれそうになる時があります。ゆるしてください。そして、私の心をお守りください。聖霊様に、私の心の王座にもっと広く。もっと大きく住んでいただけますように。アーメン

箴言11

「気前よく施して、なお富む人があり、 正当な支払いを惜しんで、 かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は豊かにされ、 他人を潤す人は自分も潤される。」箴言11: 24~25 今日は、私たち夫婦を育ててくれた宣教師の召天記念礼拝に出席します。気前のよい方で、人生も持ち物も、主と日本人のためにささげられました。 しばしば、主にあって気前のよい方に出会います。すべては神様からお預かりしているものだから、適切に流し、必要なところに与えるのは当然だという気持ちで、大胆に喜んで与えます。その姿勢には教え励まされ、刺激を受けます。 あるコラムを読みました。 「...与える(ささげる)のは、種をまくことに似ている。 ・種をまかなければ、刈り取りもない。種をまけば、それ以上の収穫がある。 ・種をまかずにしまっていると、収穫は増えるどころか減る。 ・霊的な寛大さ、気前のよさこそ、霊的な肥沃、すなわち霊的物質的な富をもたらす。 ・与え続けることは、すでにまかれた種に水やりをし、収穫を増し加えることである。」  (NKJV Spirit-filled Bible, Third ed., Kingdom Dynamics Proverb 11:24-26) 考えてみれば、神ご自身が気前のよい方です。私のために、神様はどれだけ投資し、与え、備え続けておられるでしょうか。キリストはご自身のいのちさえ、私のために与えてくださったのです。 キリストの似姿になりたいと思うなら、キリストの気前のよさにもならいたいと願います。 世界の痛みや必要のため、教会が地域の福音宣教をより分かち合えるため、主のために働く方々を支え励ますため、私自身ももっとささげる者になれますように。 祈り:神様、あなたは徹底的に与える方です。自分が受けることや富むことばかりを願う宗教が巷にはありますが、あなたは正反対の方です。 愛し、恵み、与え、備えてくださる、気前のよい神様に、私がどのように応答できるか教えてください。「他人を潤し自分も潤される」という主の法則に感謝します。 「一人ひとり、いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。(第二コリント9:7)」 アーメン

箴言10

「主は正しい人を飢えさせず、 悪しき者の欲を突き放される。」箴言10:3 キリストを救い主と信じた人には、主が罪を赦し、義人つまり「正しい人」とみなしてくださいます。 最近のニュースは物価が上がり、卵が不足し...と不安をあおるような事柄に満ちています。それでも、スーパーには食材が並び、私たちの多くは食べ物を日々手に入れることができます。世界には1日1ドル以下で生きている人が多くいる中、並外れた恵み、豊かな暮らしをしている私たちです。老後不安や教育費の不安などは、次元の違う贅沢な悩みなのかもしれません。 「主は正しい人を飢えさせず」というのは、何と幸いなことでしょうか。物質的な満たしも大切ですが、それ以上に霊的に飢えることがない恵みを覚えます。 もしうつむきがちになっていたら、顔を上げ、霊の目で永遠という視点から今日の歩みを眺めてみませんか。恵みと感謝が、ここにも、そこにも、どの人にもきっと見つかると信じます。 祈り:神様、どんなに満たされていても不安が尽きない私たちです。でも、主が御腕で抱き「大丈夫だ」と言ってくださいますから、感謝します。 特に、先行きに不安を覚えている____さん、____さんに平安を与えてください。あなたが格別に守ってくださり、豊かな平安と不思議に備えられる体験ができますように。何よりも、永遠のいのちの価値を喜びとともに味わえますように。 「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が涌き出ます。(ヨハネ4:14)。」 アーメン

箴言9

「嘲る者を叱るな。彼があなたを憎まないために。 知恵のある者を叱れ。彼はあなたを愛する。」箴言9:8 「耳に痛いことを言われるうちが花だ」と聞いたことがあります。注意されなくなったら、それは見込みがないとあきらめられているのかもしれません。 年齢が上がるに従って、忠告や戒めをしてくれる人は少なくなりがちなので、身が引き締まる思いです。 私たちも人をよく見て戒めるように、と勧められています。 ある人は、逆ギレして感情的になり、私たちの悪口を言いふらすかもしれません。 一方で、真摯に受け止める柔らかい心の人もいます。その人は「知恵のある人」で、やがて忠告してくれた人に感謝します。 「知恵の初め」は「主を恐れること(10節)」です。主を恐れる人は、愛ある叱責を受け入れることができます。忠告してくれる人は、主が送ってくれたかけがえのない存在だと感謝できますように。 祈り:神様、主を恐れる___さんの歩みが、主にあってさらに成長し祝福されますように。また___(自分の名前)自身も、愛をもって忠告してくれる人の言葉を、感情的にならず謙遜に、またみことばに照らして受けとることができますように。アーメン

箴言8

「知恵は呼びかけないだろうか。  英知はその声をあげないだろうか。」箴言8:1 4月30日のTV「ライフ・ライン」で、本田路津子さんが自分にとって「歌うことの意味」を問われ、 「讃美歌・聖歌を歌うのは、私にとって祈りです」と答えておられました。 讃美歌や聖歌には、作った人が神に教えられ体験した祈りがこめられています。祈り心で歌うなら、神を知り、人々を慰め励ますために用いられるのだなと思いました。 主である神様は、私たちに聖書のことばをくださいました。そこには神の愛と知恵がこめられています。ですから聖霊の知恵と導きによって読む時、そこにこめられた神のメッセージが届いてきます。そして、神に心を開いた者が知恵を見いだせるよう、私たちに向かって「呼びかけ」ているのです。 祈り:神様、あなたの愛と知恵が、聖書の中にぎっしりつまっています。心を開き、聖霊様に教えてくださいと祈ります。聖霊の光でみことばを照らし、導いてください。連休の中、いつものように働く兄弟姉妹、家事や介護を続ける兄弟姉妹に、格別の支えと主の力が注がれますように。アーメン