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Ⅱ歴代誌29

「というのも、私たちの先祖は信頼を裏切り、私たちの神、主の目に悪であることを行い、この方を捨て去り、主の御住まいから顔を背けて背を向けたからです。」Ⅱ歴代誌29:6 ヒゼキヤ王の登場にほっとする章です。彼の治世には信仰の姿勢が正され、多くのよい改革が行われました。 礼拝者が非常に多くのささげ物をしたので、 「ただ、祭司たちが少なかったので、すべての全焼のささげ物の皮を剝ぎ尽くすことができなかった。そこで、彼らの兄弟に当たるレビ人が、その役目を終えるまで、またほかの祭司たちが身を聖別するまで助けた。レビ人は、祭司たちよりも直ぐな心をもって、身を聖別したのである(34節)」 という嬉しい悲鳴と、レビ人が祭司を助ける麗しい様子も書かれています。 ヒゼキヤ王の改革の原点は「先祖は(主の)信頼を裏切」った、「主の目に悪であることを行い、この方を捨て去り...」という罪への気づきでした。 私たちに罪を気づかせてくださるのは聖霊様の働きです。自分では正しいと思っていても、間違えていることはあります。へりくだり、主の前に静まり聴くことができますように。 祈り:神様、私に砕かれた柔らかい心を与えてください。気づきを与えてください。そして、気づかないで犯した罪、喜ばれない発言、愛のない態度をゆるしてください。キリストが十字架の愛で愛し赦してくださったことに感謝します。へりくだる心、仕える心、ゆるし合う心を持てるよう、聖霊様が豊かにあわれみ、導いてください。アーメン

Ⅱ歴代誌28

「今、あなたがたはユダとエルサレムの人々を従わせて、自分たちの男女の奴隷にしようとしている。ただ、あなたがた自身も、あなたがたの神、主に対して罪過があるのではないか。」Ⅱ歴代誌28:10 外国だけでなく同胞のイスラエルに攻められたユダの人々は、捕虜となりました。その時、預言者オデデがイスラエルに対し、捕虜を解放するようにと言いました。 ユダには確かに罪があるが、同時にイスラエルにも罪がある、と。 家族や肉親の間、信仰者同士の間で、私たちも自分の欠点を棚にあげることがあるかもしれません。イエス様はこうおっしゃいました。 「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分自身の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。(ルカ6:41)」 「ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。(マタイ5:41)」 今日、主にあって和解ができますように。直接話せなくても、相手の祝福を祈ることができますように。 祈り:神様、____さんと和解したいです。あなたが導いてください。思えば、私も同じような者で、あなたのあわれみで罪赦された者です。____さんの祝福をお祈りします。アーメン

Ⅱ歴代誌27

「彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。ただし、主の神殿に入ることはしなかった。民は依然として滅びに向かっていた。」Ⅱ歴代誌27:2 王が「主の目にかなうことを行った」時代たったのに、なぜ「民は依然として滅びに向かっていた」のでしょう。 ヨタム王は政治的には有能でした。しかし、「主の神殿に入ることはしなかった」とは、主に近づき祈り、礼拝をささげる習慣がなかったことを思わせます。 有能で優れた業績を挙げるのは、立派なことかもしれません。しかし、もっと大事なことは、主の前に砕かれた心でいるかどうかです。 私たちも、仕事や家事が忙しいかもしれません。それでも、私たち自身をまず神にささげて歩むことが、全ての祝福の秘訣です。 祈り:神様、忙しそうな____さん、____さんを覚えて祈ります。健康を支えてください。心を守り、信仰が弱らないように守ってください。 私自身も、主を後ろに忘れて善行に走ることがないように、いつもあなたの思いを聞きながら一つ一つ行動できるように助けてください。 「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。(ローマ12:1)」 アーメン

Ⅱ歴代誌26

「神を認めることを教えたゼカリヤが生きていた間、彼は神を求めた。また彼が主を求めていた間、神は彼を栄えるようにされた。」Ⅱ歴代誌26:5 数日前に、別の王ヨアシュについても 「ヨアシュは、祭司エホヤダが生きている間は、主の目にかなうことを行った(24:2)」 と読みました。 王にとって、霊的な助言者がいかに大切であったかがわかります。 王だけでなく、信仰者一人ひとりにとっても、霊的な助言者やメンターは大切です。 牧師や伝道師のこともありますし、同じ信仰に立って歩む兄弟姉妹のこともあります。 耳に痛いことを言われる時もあることでしょう。でも、それが愛と祈りをもってかけられた言葉なら、必ず信仰の成長につながると信じます。 逆に、相手のために愛と祈りをもって、私たちからはっきり言わねばならない場合もあります。それが傲慢やつまずきになるのではなく、お互いの成長と神を見上げる謙遜さにつながりますように。 祈り:神様、謙遜な心を与えてください。信仰者の助言や戒めを、へりくだって受けとることができますように。また、勇気を与えてください。聖霊が促される言葉を、愛をもって吟味し、適切な時に口から出すことができますように。アーメン

Ⅱ歴代誌25

「アマツヤは神の人に言った。『では、イスラエルの部隊に与えた百タラントはどうしたらよいのか。』神の人は答えた。『主は、それよりも多くのものを、あなたにお与えになることができます。』」Ⅱ歴代誌25:9 「無駄遣いをしたくない」というのは、庶民だけでなく国を治める王も同じようです。 雇った10万人のイスラエル部隊を帰すように、と神の人が言った時、ユダ王アマツヤは躊躇しました。すでに100タラントを支払っていました。兵力が少なくなることも心配だったでしょう。 しかし、神の人の答えは「主は、それよりも多くのものを、あなたにお与えになることができます」でした。 私たちが神の導きとわかっていながら躊躇するのは、失うことや損をすることへの恐れがあるかもしれません。しかし、神はそれよりも多くを与えることのできるお方です。 祈り:神様、自分で自分を守ろうと必死になりがちな私です。イエス様が 「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです(マタイ16:25)。」 と言われたように、あなたが与えてくださるお方だともっと信頼できますように。今日も信仰を強めてください。アーメン

Ⅱ歴代誌24

「ヨアシュ王は、ゼカリヤの父エホヤダが自分に尽くしてくれた誠意を心に留めず、かえってその子を殺した。ゼカリヤは死ぬとき、『主がご覧になって、責任を問われますように』と言った。」 Ⅱ 歴代誌  24 : 22 教え導いてくれた祭司エホヤダが死ぬと、ヨアシュは偶像礼拝に陥っていきました。そればかりか、祭司エホヤダの子ゼカリヤを殺しました。 「神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤをおおっ」て( 20 節)いたにもかかわらず、ゼカリヤを逆恨みしたのでした。 ゼカリヤの最後の言葉は「主がご覧になって、責任を問われますように」でした。 主はご覧になっており、聖書に記録が残りました。 イエス様も律法学者に対し、ゼカリヤを殺したのはお前たちだ、と厳しいことばで言われました(マタイ  23 : 35 )。 主は見ておられます。私たちではなく、主が正しい裁きを行なってくださいます。苦い思い、許せない思いがあるなら、主と主の取り扱いに委ねましょう。 祈り:神様、これまでに受けた心ない言葉や取り扱いを思い出すと、心が痛みうずきます。けれども、あなたが全てを知っておられ、正しく裁いてく

Ⅱ歴代誌23

「七年目に、エホヤダは奮い立って、百人隊の長たち、すなわち、エロハムの子アザルヤ、ヨハナンの子イシュマエル、オベデの子アザルヤ、アダヤの子マアセヤ、ジクリの子エリシャファテを連れて来て、自分と契約を結ばせた。」Ⅱ歴代誌23:1 かくまっていたダビデの子孫ヨアシュを王とするため、祭司エホヤダは7年目に行動しました。戦士でも政治家でもなかった彼が、なぜ時宜にかなった的確な情勢判断ができた理由があります。 7年間、彼は主に祈り、尋ねながら主の時を待っていたことでしょう。 7年目に彼が「奮い立っ」たのは、主からの確信と聖霊の助けがあってこそでした。 「神にあって私たちは力ある働き をします。 神こそが 私たちの敵を踏みつけてくださいます。(詩篇108:13)」 今日、テレビやインターネットのニュースよりも、たしかな主の導きを求めているでしょうか。聖霊の促しに従って行動しているでしょうか。神の時を待っているでしょうか。 祈り:神様、私たちの思い込みで勝手な働きをすることがありませんように。 神様、私たちの小さな知性であなたの働きを閉ざしてしまうことがありませんように。 あなたのみこころを待ち望むことを教えてください。 みこころにかなうことを、みこころの時に大胆に実行させてください。アーメン

Ⅱ歴代誌22

「しかし、王の娘エホシェバは、殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し、寝具をしまう小部屋にその子とその乳母を入れた。祭司エホヤダの妻でアハズヤの妹である、ヨラム王の娘エホシェバが、ヨアシュをアタルヤから隠したので、アタルヤは彼を殺せなかった。」Ⅱ歴代誌22:11 ダビデの子孫が皆殺しに合う中、幼いヨアシュが乳母と共に助かります。このあと6年間、主の宮での隠れ家生活が続きます。 この記事を読むたび、ナチスの迫害で隠れ家生活を送った「アンネの日記」の一家を思い出します。それは緊張感と不自由、恐怖の日々でした。 幼少期のヨアシュのことも心配になります。でも、神様は彼を主の宮にかくまい、 守っておられました。そしてこの後、そばにいた祭司エホヤダが大きな役割を果たします。神の摂理と守りの確かさを覚えます。 祈り:神様、あなたが極限状態でも変わらない、確かな錨、盾なるお方であることに感謝します。あなたの約束とご計画が実現することにも感謝します。 思いがけない事態に直面したときも、あなたに信頼する信仰と平安を与えてください。 強い寒波がやって来るそうです。豪雪地帯や、ライフラインに携わる方々に守りがありますように。私たちの歩みもお守りください。アーメン

Ⅱ歴代誌21

「しかし、主はダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると約束されたからである。」Ⅱ歴代誌21:7 父ヨシャファテとは対照的に、主を裏切り、アハブ王と同じ偶像礼拝をし、家臣の殺戮まで行ったヨラム王でした。 それで、戦争には負けました。人生の晩年(30代後半)には悪性の内蔵の病気にかかりました。 勧善懲悪のようでほっとします。しかし、主なる神様はそれで終わりとはされませんでした。 神様は、ダビデとの約束を覚えておられました。それで、ダビデの子孫が続くように時代を越えて守り、あわれみを注ぎ続けてくださいました。 「神は愛です」という聖書を貫くメッセージが、ここにも現れています。 今日も、ご自身を求めて近づく者を、神は決して拒まれません。何でも神に話し、頼っていきましょう。 祈り:愛の神様、あなたをほめたたえます。 「まことに 神である主は太陽 また盾。主は恵みと栄光を与え 誠実に歩む者に良いものを拒まれません。(詩篇84:11)」 今日も祈りながら、あなたを見上げて歩ませてください。あなたが太陽のように道を照らし、盾のように悪から守ってくださる方であることに感謝します。アーメン

Ⅱ歴代誌20

「 ヨシャファテは恐れた。そして心に決めて主を求め、ユダの全土に断食を呼びかけた。ユダの人々は集まって来て、主の助けを求めた。実にユダのすべての町から人々が来て、主を求めたのである。」Ⅱ歴代誌20:3~4 敵が攻めてきて、国が危機に瀕したとき、ヨシャファテが取った行動は 「心に決め」て 主を求めたのでした。 戦いの準備ではなく、避難でもなく、主を求めると決心したのでした。 私たちもさまざまな問題で圧倒されそうになることがあります。 ざわつく心、不安で押し潰されそうになる心。どうにかしなければ、とじたばたしてしまいます。 しかし、主を求めると「心に決め」ることこそ、脱出への近道であり最善の対処だと、今日の箇所から改めて学びます。 祈り:神様、押し寄せる課題や問題に心が揺れ動き、自分の思いで無駄な動きをしてしまいがちです。でも、あなたが全ての状況を支配しておられることを信じ、感謝します。私が「心を決め」て、主を求めることができるよう、助けてください。 試練を通っている____さん、____さんを励ましてください。「心を決めて」主を求めることができますように。アーメン

Ⅱ歴代誌19

「彼はさばき人たちにこう言った。『あなたがたは自分のすることに注意しなさい。あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだからだ。この方は、さばきが行われるとき、あなたがたとともにおられる。』」Ⅱ歴代誌19:6 ヨシャファテは各地にさばき人(裁判官)を置きました。そして、公平なさばきをするように、不正、えこひいき、賄賂を禁じます(7節)。主がともにおられ、主のためにさばくのだ、と言って任命しました。 私たちの周囲にも、さまざまな不正、差別、矛盾があります。 自分の人格のいたらなさ、社会的な正義感の限界を見る時、問題の難しさを感じます。 しかし、クリスチャンの良心とは、主のみこころがこの地に行われるよう、主とともに問題に対応することです。自分が優れているとか、立派な人であるかというより、主が共におられるのかが大切です。 祈り:神様、あなたが私の周りの問題を誰よりもよく知っておられ、見ておられることにほっとします。あなたが手を伸ばしたいと思っておられるところに、教会の一人ひとりを送ってください。私たちの力や能力でなく、あなたのみ思いに従い、あなたの解決を見せてください。アーメン

Ⅱ歴代誌18

「彼は答えた。『私は全イスラエルが山々に散らされているのを見た。まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。そのとき主はこう言われた。「彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ。」』」Ⅱ歴代誌18:16 ミカヤの預言は、イスラエルの王にとっては耳の痛い言葉でした。が、真理でした。 福音書を書いたマルコは同じ表現を用いて、イエス様のまなざしを描写しました。 「イエスは船から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた。(マルコ6:34)」 主は、私たちと周りの人たちを「羊飼いのいない羊の群れのように」あわれみ、愛のまなざしを注いでくださる方です。 イエス様は、今日も私たちをあわれみ、霊的な渇きをいやしてくださり、深い必要を満たしてくださる方です。迷っている羊の群れの羊たちが、よい牧者であるキリストを見いだしますように。 祈り:神様、あなたの深いあわれみと愛に感謝します。あなたを知らず、人生の不安と戦っている周囲の方々が、キリストこそ救い主だとわかりますように。 私自身にも、日々深い平安を与えてください。今日もあなたの元に憩います。アーメン

Ⅱ歴代誌17

「彼らはユダで教えた。主の律法の書を携え、ユダのすべての町を巡回して、民の間で教えた。」Ⅱ歴代誌17:9 ヨシャファテ王が遣わした高官とレビ人は、国中を回って主のことばを教えました。 テレビも印刷もなかった時代ですから、時間をかけ、一つ一つの場所を巡回していったのでした。草の根活動のように小さな積み重ねですが、それが一番効果的でした。 イエス様も同じように、各地を回って教えられました。 私たちにも、小さな福音の働きがゆだねられています。目立たなくても、ある時思いがけない人にあかしでき、その人が導かれてやがてイエス様と出会うかもしれません。そう思うと、散歩も買い物も通勤も、祈りの歩行になります。 祈り: 「イエスは彼らに言われた。『さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。』(マルコ1:38)」 イエス様、あなたのお心を私の心とできますように。____さん、_____さんの救いを長く祈っています。それと共に、今日思いがけなく出会う方々に福音が届きますように。聖霊の働きに敏感にならせてください。アーメン

Ⅱ歴代誌16

「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。これから、あなたには数々の戦いが起こるでしょう。」Ⅱ歴代誌16:9 アサ王は後半生で失敗をしました。それは、主でなくアラムの王に頼ったことが始まりでした。厳しいですね。私たちも似たような思いになりがちです。 神様は信じる者の心がご自身と一つであるように、と願われます。1回だけでなく、生涯ずっとそうあってほしいのです。私たちが今日、主の思いを自分の心とできるように。明日、主の思いを自分の心とできるように。あさっても、来週も、来月も、来年も...。 祈り:神様、今日あなたのみ思いを私の思いとできますように。 あなたが愛し、救いたいと願われている____さん、_____さんの救いを私も願います。 あなたが愛を届けたいと思っておられる友人の____さん、近所の____さんに、私も主の愛を届けたいです。 どうぞ状況を開き、悪魔の妨げを除き、主と共にそこに行けますように。アーメン

Ⅱ歴代誌15

「しかし、あなたがたは勇気を出しなさい。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いがあるからです。」」Ⅱ歴代誌15:7 オデデの子アザルヤという人に神の霊が臨みました。そしてアサ王の前で預言しました。この言葉を聞いて、王や「人々はどれほど励まされたことでしょうか。 私たちも、神のことばを通して、また主にある兄弟姉妹の言葉によって励まされます。私たち自身も信仰に立ち、祈りによる言葉で兄弟姉妹を励ますことができますように。 祈り:神様、勇気を出しなさい、落胆してはなりませんと、あなたがみことばや信仰の友を通して語ってくださることに感謝します。私の口も、主にある言葉を励ましを語ることができますように。今日も心と口を守り導いてください。アーメン

Ⅱ歴代誌14

「アサは自分の神、主を呼び求めて言った。『主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に向かって来ました。主よ、あなたは私たちの神です。人間が、あなたに力を行使することのないようにしてください。』」Ⅱ歴代誌14:11 ある地域の活動に参加するよう頼まれました。そこでは、大切な活動だけでなく、付随する多くの前例(偶像礼拝ではないのですが)が大切にされていますが、私には重いものでした。 まさに、この祈りを祈りながら対応しているところです。お祈りいただければ幸いです。 一人ひとり、似た経験があるかもしれません。共に祈れることに感謝します。 祈り:神様、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。アーメン

Ⅱ歴代誌13

「しかし、私たちにとっては、主が私たちの神であり、この方を捨てなかった。また、主に仕える祭司たちはアロンの子らであり、レビ人も務めを果たしている。」Ⅱ歴代誌13:10 不完全なところもあったアビヤ(列王記ではアビヤム)王ですが、ここでは主への信仰に立つことが正しいのだ、と主張しています。 勝手に金の子牛を作り、祭司職でない者を祭司にした北王国は敗北します。 今日の私たちも、つい主なる神以外のものに頼ったり、自分の力を過信したりしがちです。同じメッセージが心に届きます。 祈り:神様、つい自分勝手な判断に頼り、失敗してしまうことがあります。あなたの御顔を見上げることを忘れませんように。 礼拝に集う方に、今週も新しい力を与えてください。オンラインで守る方に、同じ恵みを与えてください。教会がキリストのからだであることに感謝します。アーメン

Ⅱ歴代誌12

「王がへりくだったとき、主の怒りは彼を離れ、主は徹底的に滅ぼすことはされなかった。ユダにも良いことがあったのである。」Ⅱ歴代誌12:12 王とユダ王国の同じパターンの繰り返しです。王が高ぶると国が危機に瀕し、王がへりくだると、神の赦しがあり、国も回復します。主がイスラエルを実物教材として用いられ、罪の深刻さと赦しの必要性を説明してくださっているようです。 それにしても、王は重い責任を負っています。自分の信仰、判断が、国全体を左右するからです。 今日も国、組織、家庭、教会、団体のリーダーを覚えて祈りましょう。 祈り:神様、リーダーたちのために祈ります。主なる神様を知ることができますように。孤独な立場にあり、日々重要な判断をし、批判にさらされる彼らが、主に頼りながら歩めますように。福音を分かち合う人がそばに送られますように。 「そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。(1テモテ2:1)」 アーメン

Ⅱ歴代誌11

「彼らは三年の間、ユダの王権を強固にし、ソロモンの子レハブアムに力添えをした。三年の間、彼らがダビデとソロモンの道に歩んだからである。」Ⅱ歴代誌11:17 レハブアムは失敗もしましたが、主に従って歩んだ時期もありました。 その時、「イスラエル全土の祭司たちとレビ人たちは、すべての地域から出て来て、彼の側につ(13節)」き、 「イスラエルの全部族のなかから、イスラエルの神、主を尋ね求めようと心に決めた者たちが、...主にいけにえを献げるためエルサレムに来た(16節)」のでした。 彼がこの後も常に主に従っていたら、どんなに幸いだったでしょうか。 失敗しても、主を求め、主に尋ね従う時、回復があります。 一度離れたから、信仰がゆらいだからとあきらめず、回復させてくださる主の元に戻り、憩いましょう。 祈り:神様、あなたのあわれみと尽きない愛に感謝します。失敗しても戻って来る者を拒まず、悔い改めに導き、回復させてくださることを信じます。 信仰を疑い、教会を離れている_____さん、_____さんに、今日主の愛が強く感じられ、主の元に戻りたいという願いが起こされますように。 「私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。(イザヤ55:7)」アーメン

Ⅱ歴代誌10

「若者たちの助言どおりに民に答えた。『私はおまえたちのくびきを重くする。私はそれをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのなら、私はサソリを使う。』」Ⅱ歴代誌10:14 ソロモンの頃から、税や徴用は重かったようです。私たちも、昨今の値上がりなどの状況から、民の苦しい気持ちが想像できます。 レハブアムは未熟だったのでしょうか。あるいは、若い人の意見が魅力的に思えたのでしょうか。父ソロモンから、思慮深くあれと教えられていなかったのでしょうか。 あるいは、思慮深かったからこそ、2つのグループに相談したのでしょうか。 どの意見を採用するにしても、その前にひとこと祈っていれば、結果は違ったでしょう。 私たちも、どんな小さなことでも(買い物でも、メール送信でも!)、ひとこと祈ってから行う習慣が身につきますように。 祈り:神様、今日もいろんなことが起こります。聖書を読む前だけでなく、運転する前、意見を言う前、発信する前、支出する前、祈ることができますように。あなたを忘れて、自分の感情に任せて失敗することからお守りください。 アーメン

Ⅱ歴代誌9

「地上のすべての王は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた。」Ⅱ歴代誌9:23 シェバの女王はじめ、世界中の王がソロモンの所にやってきました。それは、彼が神から授けられた知恵を聞くためでした。 こうして、ソロモンに知恵を与えた神ご自身の栄光が表されました。 私たちに能力や得意なことがあるなら、育った環境や与えられた機会を含め、神からの賜物であり、神の栄光に使うためであることを思い返しましょう。 歴代誌の記者は、晩年のソロモンが神から離れてしまったことを書いていません。 しかし、神を忘れた王と王国は、不安定な情勢に陥ります。人の力ではなく、神により頼むときに、平和が保たれていたのでした。 祈り:神様、愛する兄弟姉妹が今日しようとしていること、決断しようとしていることが、あなたのみこころにかない、イエス・キリストとその御名に栄光をお返しするものでありますように。 ____さん、_____さんの導きについてもお祈りします。 「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。(黙示録5:12)」 アーメン

Ⅱ歴代誌8

「ソロモンが主の宮と自分の宮殿を二十年かけて建て終えたとき、ソロモンは、ヒラムが彼に返した町々を建て直し、そこにイスラエル人を住まわせた。」Ⅱ歴代誌8:1~2 ソロモンの工事は、なんと20年もかかりました。重機がなかった時代といえ大工事です。 教会の周りでも、病院の新築工事や店舗・集合住宅の建て替え工事が行われています。ほとんど進み具合が見えないようでも、少しずつ、確実に設計図に基づいて工事が進んでいきます。 主なる神様は、私たちの内なる人を少しずつ変え、成長させてくださいます。聖化の過程とよばれます。一朝一夕ではなく、10年、20年、生涯を通じて、神の霊の宮である私たちを建設してくださいます。 祈り:神様、私たちと聖霊様がいつも共にいてくださることに感謝します。 聖霊様をお入れする私たちを、神の宮として工事し、聖霊の実を結ぶものとしてください。 「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。(第一コリント6:19)」 アーメン

Ⅱ歴代誌7

「わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす。」Ⅱ歴代誌7:14 この節は、歴代誌の中で最も有名なことばだと思われます。 パンデミックの始まった年には、13節「わたしが天を閉ざして雨が降らなくなったり、あるいはわたしがバッタに命じてこの地を食い尽くさせたりして、わたしがわたしの民に対して疫病を送ったときには」と合わせて、祈りとして引用されるのをよく見聞きしました。 「祈り方を学ぶ最良の方法は、祈ることだ」と言われます(参照: NKJV Spirit-Filled Life Bible )。 祈りが苦手だな、と思ったら、今年も聖書のことばで祈ることから始めてみませんか。 祈り:神様、 私は今、あなたの前にへりくだり、祈りをささげています。 あなたの顔を慕い求めます。悪の道から立ち返りたいです。 どうか主なるあなたが、親しく天から聞いてください。 私の罪を赦し、私たちの地を癒やしてください。 アーメン

Ⅱ歴代誌6

「それにしても、神は、はたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。」Ⅱ歴代誌6:18 「つまらないものですが」「たいしたことはできませんが」という表現を、私たち日本人は使います。建前から言う人もいるでしょうが、本当に自分の至らなさ、不十分さを思って使う人もいます。 ソロモンも、心から「天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです」と言いました。 主なる神様の偉大さに、本音でこの言葉が出てきたのだと思います。 それに続いて、どんな人でも悔い改めて祈るなら、主が聞いて赦してくださるという確信を持った祈りが続きます。 今日、主の限りない赦しをどれだけ信じているでしょうか。 祈り:神様、あなたの素晴らしさと赦しの恵みを思い巡らしています。私が今までに失敗した、______のことや_______のことも、あなたは全てご存知です。その上で、悔い改めて祈る者には完全な赦しを与えてくださることに感謝します。 サタンが責め立ててきても、十字架の元に身を避ければ安全だと語ってくださり、ありがとうございます。罪責感から解放し、自由にしてくださり感謝します。アーメン

Ⅱ歴代誌5

「ラッパを吹き鳴らす者たち、歌い手たちが、まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルと様々な楽器を奏でて声をあげ、『主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで』と主に向かって賛美した。そのとき、雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた。」Ⅱ歴代誌5:13 「まるで一人のように一致して」...賛美の素晴らしい光景が浮かびます。 礼拝で賛美をささげる時、この箇所を思い出すことがあります。 技術の上手さでも声の良さでもなく、歌詞の意味をかみしめ、心から賛美する時に、天では私たちの賛美が、同じように受け取られていることを確信します。 毎週の礼拝が惰性ではなく、新しい心で参加するかけがえのない時となりますように。 祈り:神様、様々な一週間を終えて、私たちは礼拝に集います。あなたに心を向け、あなたを愛する一つ思いで賛美をささげます。あなたの栄光がソロモンの宮に満ちたのと同じように、会堂に満ちあふれますように。アーメン

Ⅱ歴代誌4

「王は、ヨルダンの低地、スコテとツェレダの間の粘土の地でこれらを鋳造した。」Ⅱ歴代誌4:17 神の宮の建設についての記述が続きます(列王記第一7章にも詳述)。宮そのものはモリヤの山(3:1、エルサレム、現在岩のドームのある所)に建てられていきましたが、什器や道具は離れた場所でも作られました。 青銅の柱や壺、格子細工、洗盤や道具類は、粘土がとれる低地で鋳造されました。適切な炉があったのでしょうか。 現地の人たちは、そこで主の宮の進捗状況や設計を目の当たりにすることはありませんでした。しかし、宮になくてはならない、重要な物品がそこで作られていました。 下積みのような奉仕をしたり、忘れ去られたような場所で仕えたりすることがあるでしょうか。全貌が見えない時には辛く感じるかもしれません。しかし、主のご計画の中では、重要な働きであることを覚えます。 祈り:神様、地味で人目にふれない働きであっても、あなたのご計画に参加しているという喜びを与えてください。 日本の過疎地で働くクリスチャン、働き人を励ましてください。世界の迫害地域で、顔も出せず宣教報告も自由にできないクリスチャンを励ましてください。特に_____、_____の主にある兄弟姉妹を、今日特に力づけ励ましてください。アーメン

Ⅱ歴代誌3

「ソロモンが建築を始めたのは、その治世の第四年、第二の月の二日であった。」Ⅱ歴代誌3:2 神殿建設は、ソロモンが王位についてすぐではありませんでした。まる3年ほどは準備期間でした。王としての統治、国の政治・宗教的リーダーとのコミュニケーション、周囲の国々との外交などを軌道に乗せる期間が必要だったのかもしれません。 神様が私たちに与えてくださったビジョンも、すぐには実現しないかもしれません。私たちが思うよりも時間をかけ、丁寧に、神様が状況や必要を整えてくださることが多々あります。 しかし神の時(カイロス)が来たなら、事態が一気に動くこともあります。 教会も同じです。弱く、小さい者の集まりでも、私たちの思いを超えて主が変化に導かれることがあります。その時、どのくらい主に従順に、また心が柔軟になれるでしょうか。 祈り:神様、今年教会にも家庭や職場にも、あなたの導きと働きを期待します。 待つことにも、変化することにも、柔軟な心を与えてください。「思いがけないところにおられる神」に驚きながらも信頼できるよう、信仰を強めてください。アーメン

Ⅱ歴代誌2

「またヒラムは言った。『天と地を造られたイスラエルの神、主がほめたたえられますように。主はダビデ王に知恵のある子を与え、思慮と悟りを授けて、主のための宮と、自分の王国のための宮殿を建てさせられます。』」Ⅱ歴代誌2:12 ソロモンは主の宮を建てるにあたり、隣国ツロの王ヒラムに援助を求めます。彼は快諾しました。 ダビデの時代から親交があったという理由もあるでしょう。しかし、このヒラム王の気前のよさと純粋さに目がとまります。隣国が栄えるのを喜び、共に主をあがめ、妬みがありません。 私たちも、友人や親戚の幸せを共に喜んでいるでしょうか。近隣の教会が祝福されるのを喜んでいるでしょうか。比較のわなから解放され、共に喜ぶ者となれますように。私たちも十分な祝福を主から頂いているのですから。 祈り:神様、あなたが私を恵みで満たしてくださっていることに感謝します。他の人が祝福されているのを、共に心から喜べますように。 「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい(ローマ12:15)。」 アーメン

Ⅱ歴代誌1

「その夜、神はソロモンに現れて仰せられた。『あなたに何を与えようか。願え。』」Ⅱ歴代誌1:7 ソロモンは神からの知恵と知識を願いました(10節、I列王記3章の並行記事)。神は喜ばれ、その通りにしてくださいました。 昨日、「責任感と信仰との違い」という記事を読みました。行きすぎた責任感ではなく、信仰を持とうという励ましの記事でした。それによると、 ・信仰は、聖霊の力により最善を尽くしたら、結果を神にゆだねること ・過度の責任感は、私たちの力の及ばない結果までも、自分のせいだと責任をとろうとすること だそうです。 もし、ソロモンが過度の責任感だけで王座についていたら、燃え尽きてしまったことでしょう。そうではなく、神の知恵と知識により、国は平和になり、神の宮が建設されたのでした。私たちはどちらでしょうか?責任感だけでしょうか、信仰が伴っているでしょうか。 祈り:神様、私たちが信仰に立てますように。日々の歩み、家族の世話、様々な必要についても、過度の責任感から解放してください。教会にも、あなたの知恵と新鮮な風を吹き入れてください。これまで思い浮かばなかったようなあなたの方法を通じて、今年も福音が広がっていきますように。 「しかし、このことは、『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった』と書いてあるとおりでした。(1コリント2:9)」  アーメン

I歴代誌29

「このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう、私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。」I歴代誌29:14 ダビデは神の宮のために建材や貴金属を用意しました。 それに加え、自分の財産の中から多くをささげました。 それにならって、民のリーダーたちも、「あふれるほど」自発的にささげました。 それを見た民は喜びました。 ダビデも喜びました。そして感謝の祈りをささげます。 「私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます(13節)」に続き、そもそも神がすべての所有者だと祈ります。 今日も、 ・私に属するすべてのものが神の所有物であること ・自発的にささげるときに、自分も周りも祝福されること であることを覚えます。 祈り:神様、私が手にする全てはあなたのものです。良い管理者となれますように。恐れや不安からではなく、神ご自身に喜んでささげる器となれますように。祝福を流す者となれますように。アーメン

I歴代誌28

「設計図は、すべて御霊によって彼に示された。すなわち、主の宮の庭のこと、周囲のすべての脇部屋のこと、神の宮の宝物倉のこと、聖なるささげ物の宝物倉のこと、」I歴代誌28:12 ダビデは王として大きな責任を持つ日々の中、詩篇の数々を見るとわかるように、神と親しく交わり祈っていました。 28章ではソロモンに主の宮の建設を指示しています。材料だけでなく、詳細な設計図もすでに用意されていました。それは、すべて聖霊によって示されたものでした。 同じように、神様は一人ひとりの歩みの設計図を持っておられます。その設計図を知るのは、やはり聖霊によってです。みことばを心を開いて受け取り、祈りによって示していただき、みこころを歩めますように。 祈り:神様、新年を迎えました。主にある兄弟姉妹と共に、この年を歩める幸いに感謝します。主にあって愛する________________________________________________________(思い浮かぶ限りの信仰の友の名前)さんに、あなたの祝福とみこころがなりますように。それぞれにあなたがご計画くださった、人生の設計図を一歩一歩明らかにしてください。 「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているーー主のことばーー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)」   アーメン