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I歴代誌25–27

通読:    I歴代誌25–27;  ヨハネ . 9:1-23 「彼らは、下の者も上の者も、達人も弟子も、みな同じように任務のためのくじを引いた。」 I歴代誌25:8 この時、奉仕をする人たちは年齢や地位、役割にかかわらず、平等にくじを引いたのでした。 今も、神の前には全ての人が平等です。 救いも平等なら、やがてさばきも平等に行われます。 祈り:神様、あなたの公平なまなざしを感謝します。アーメン

I歴代誌22–24

通読:   I歴代誌22–24;  ヨハネ . 8:28-59  「そこで、わが子よ、主があなたとともにおられ、主があなたについて語られたとおり、あなたが、あなたの神、主の宮を立派に建て上げることができるように。」Ⅰ歴代誌22:11 自分がしたかったことを他の人がした時、うらやましくなりますか。 「私がやりたかったのに」と。 でも、一人であれもこれもすべてをすることはできません。 特に、主の働きは世代や場所を越えたチームワークなのだと思います。 ダビデは資材を豊富に用意しましたが、自身で神の宮を建てることは許されませんでした。 代わりに、子どものソロモンが建てるのだ、と神様はおっしゃいました。 ダビデは、自らの役割である素材集めに徹しました。 そして、建設そのものはソロモンに託します。 ソロモンは、建設計画の青写真があって、どれほど助かったでしょう。 私たちも、誰かの召しのために素材集めをするダビデのような役回りかもしれません。 主にある誇りを持って、その働きをしていきましょう。 祈り:神様、ゆだねられたことを忠実にして、次世代や他の人が建て上げるための助けとなれますように。私に与えられた奉仕を、主がくださった名誉な働きとして受け取ります。アーメン

I歴代誌19-21

通読:   I歴代誌19–21;  ヨハネ . 8:1-27  「ダビデ王はオルナンに言った。『いや、私はどうしても十分な金額で買いたい。あなたのものを主に献げるわけにはいかない。費用もかけずに全焼のささげ物を献げたくないのだ。』」 I歴代誌21:14 ダビデは、主の宮を建てるために人のものを利用しようとはしませんでした。 自分で正当な対価を払って土地を得ました。 アブラハムも、かつてサラを葬る墓地を対価を払って買いました。 教会の中では互いに支えあっています。 しかし、この世に対してはあかしとなるよう、そして主のものとなるように、常識的な取引が大切な時があります。 一時的に損をしたように思っても、主のために正当な手順をふみ聖別することが、結果としてよいことがあると学びます。 祈り:神様、周囲の方たちを覚えてお祈りします。教会の周辺で予定されている工事の一切に、主が守りと導きを備えてください。教会が鳩のように素直で蛇のように敏くありますように。アーメン

I歴代誌16-18

通読:   I歴代誌16-18  ;  ヨハネ . 7:28-53  「わたしは、わたしの家とわたしの王国の中に、彼をとこしえまでも立たせる。彼の王座はとこしえまでも堅く立つ。」I歴代誌17:14 聖書66巻を繰り返し通読する必要性を、ハガイセミナーを通して改めて学びました。 聖書全体はイエス・キリストをあかしするものであり、救済史としてある程度のスピードで読み全体をつかむことが、信仰者として大切であるという勧めに、なるほどと納得しました。 主は、ダビデの家系が永遠に立つという約束をされました。 それは、ダビデの家系から生まれてくださったキリストにおいて実現しました。 神の約束は、実に何百年というスケールで続いていきます。神の偉大さとスケールの大きさを、聖書を読み通すことで俯瞰することができるのです。 読まないのは勿体ないですね! 祈り:神様、あなたの大きく深いご計画の一端を、聖書を通して私たちに明らかにしてくださり感謝します。まだまだ知らないこと、理解できないことが多いです。あなたの偉大さに、ダビデのようにひれ伏し、心からの感謝と賛美を捧げる者としてください。アーメン

I歴代誌13-15

通読:  I歴代誌13-15 ;  ヨハネ . 7:1-27  「全イスラエルは歓声をあげ、角笛、ラッパ、シンバルを鳴らし、琴と竪琴を響かせて、主の契約の箱を運び上げた。」歴代誌第一 15:28 「急(せ)いては事をし損じる」ということわざがあります。 急いで何かをすると失敗するものだ、と、軽はずみにあわてる行動を戒めるものです。 13~15章は、ダビデが主の契約の箱を運ぶことについて記録されています。 王権と契約の箱とは密接に関連していました。 性急に移動しようとした13章では、神の定めた方法を取りませんでした。 そのため、ウザが箱に触れて死ぬという悲しい結果に終わりました。 15章では、改めてレビ人が招集され、民数記4章に書かれた手順に従って運搬されました。 私たちも、良さそうに見えるから、できそうだから、と、自分の力だけに頼って飛びつくと失敗します。 祈り、心を整え、神のタイミングと方法に期待して歩みましょう。 祈り:神様、あのこと、このことが気がかりで、デボーションよりも先走ってしまいそうになります。まずあなたの前に心静め、与えられた残りの時間であなたが私にせよと言われることに落ち着いて取り組ませてください。アーメン

I歴代誌10–12

通読:   I歴代誌 10–12;  ヨハネ . 6:45-71  「そのとき、御霊が補佐官の長アマサイをおおった。『ダビデよ、私たちはあなたの味方。エッサイの子よ、私たちはあなたとともにいる。平安があるように。あなたに平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。』ダビデは彼らを受け入れ、部隊のかしらとした。」歴代誌第一 12:18 もともと歴代誌は、捕囚から帰還した人々に向けて書かれました。 捕囚の間も帰還してからも、苦しい生活が続いていました。その中で、主が歴史を支配しておられるという励ましを受けたことでしょう。 旧約時代にも、聖霊は豊かに働いておられました。特定の人に臨み、ここではアマサイという人物を通してダビデを、そしてそれを読む読者を励ましています。 まもなくペンテコステです。 聖霊が信じるすべての人に与えられる時代に、私たちは生きています。 主の霊はおどろおどろしいものではなく、励ましと平安を与える方です。この方ともっと親しくなり、日々導きを受け取っていきましょう。 祈り:神様、あなたが与えてくださる平安と励ましを感謝します。聖霊について、その働きについて、純粋な心でもっと理解できるよう助けてください。アーメン 彼らに近い者たちも、イッサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、ろば、らくだ、らば、牛に載せて食べ物を運んで来た。小麦粉の菓子、干しいちじく、干しぶどう、ぶどう酒、油、牛、羊などが数多くあった。イスラエルに喜びがあったからである。( 歴代誌 第一 12:18,40 SKY17 )

I歴代誌7–9

通読:  I歴代誌 7–9;  ヨハネ . 6:22-44 「レビ人の一人、コラ人シャルムの長男とマティテヤは、平たい菓子を作る務めを任された。また、ケハテ族の彼らの同胞のうちには、並べ供えるパンを担当し、安息日ごとに用意する者たちもいた。歴代誌 第一 9:31-32 」 さまざまな主の宮の奉仕がありました。 目立つ奉仕もあれば、ほとんど人目にふれないようなものもありました。 私たちも同じです。目立たない奉仕や働きで、「あの人のようになれない」とがっかりすることがあるかもしれません。 けれども、主がくださった賜物、割り当ててくださった働きなら、それが最もふさわしく、深い喜びの人生になります。 比較のわなにはまらないよう、今日の私が置かれた状況をぐるりと見渡してみましょう。 感謝できることが、一つ、二つと見えてきます。 祈り:神様、あなたの与えてくださったものを喜び受け取ります。他の人のようでなくても、私に与えられた環境と機会を、喜びをもって味わいます。比較のわな、羨みの罪から守ってください。アーメン

I歴代誌4–6

通読:   I歴代誌 4–6;  ヨハネ . 6:1-21 「ユダの子は、ペレツ、ヘツロン、カルミ、フル、ショバル。」  I歴代誌 4:1 「シメオンの子は、...」(4:24) 「イスラエルの長子ルベンの子孫。」(5:1) 「ガドの子孫は、...」(5:11) 「レビの子は、...」(6:1) アブラハムの孫ヤコブ(イスラエル)の子どもたちそれぞれの系図が記されます。 歴代誌は、捕囚で異教徒に支配され、神の民であるという自覚が揺らぎ、礼拝もおろそかになっていた人たちへの励ましでした。 どの部族に属していても、名を呼ばれ、自分のアイデンティティを確認しました。 私たちも、信仰によってアブラハム契約を受け継ぐ者となりました。 周囲の状況がどうあれ、神様は今日も私たちの名を呼んでくださいます。 祈り:神様、自分が何者かわからなくなるような時、孤独の時、あなたが名前を呼んでくださることに感謝します。神の民として歩む励ましを、私にも日々与えてください。アーメン

I歴代誌1-3

通読:  I歴代誌 1–3;  ヨハネ 5:25-47  「アダム、セツ、エノシュ、」 歴代誌 第一 1:1 歴代誌の始まりは系図が延々と続きます。 退屈だなあ…と思うかもしれません。 その初めは最初の人類、アダムです。 ということは、すべての人類に関係があります。 この系図がダビデへとつながり、そこからイエス・キリストの系図へと続きます。 つまり、すべての人の永遠のいのちにも関係があります。 祈り:神様、人類の歴史を貫く神の壮大な救いの計画を覚えて感謝します。アーメン

Ⅱ列王記24–25

通読:Ⅱ列王記24–25; ヨハネ5:1-24 「ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日、バビロンの王エビル・メロダクは、王となったその年のうちにユダの王エホヤキンを牢獄から呼び戻し、優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。」Ⅱ列王記25:27-29 あれだけ神様からの警告があったのに、それを無視して偶像礼拝と退廃に陥った国は滅び、人々はバビロン捕囚となりました。 「神が愛なら、どうしてそんな目にあわせるのだ」と言うでしょうか? 神様は預言者を立てておられました。 それなのに、「王がほしい」と言い出したのは人の側でした。 警告をたびたびなさいました。 それなのに、聞かなかったのも人の側でした。 国が滅びて終わりでしょうか? いえ、この後に回復がやってきます。 神のあわれみは尽きません。 歴代誌では、列王記と同じ時代を信仰と神の宮の視点から再度見ます。 祈り:神様、絶望の中にも主の希望があることを教えてくださり、感謝します。今日直面している難問や試練の中にも脱出の道がある(1コリント10:13)ことを受け取ります。アーメン

Ⅱ列王記22–23

通読: Ⅱ列王記22–23; ヨハネ4:31-54  「主を求めるためにあなたがたを遣わしたユダの王には、こう言いなさい。『...そのとき、あなたは心を痛めて主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──主のことば──。それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。...』」列王記第二 22:18-20 わずか8歳で王になったヨシヤでしたが、その治世は主のこころにかないました。 発見された主のおしえの書を読み、悔い改めて従おうとしました。 その姿勢に、主はヨシアの生涯を守ると言われました。 ともすれば、自分が安泰ならそれでよし、となりそうです。 しかし、ヨシヤは違いました。 さらに続いて、国を主のみこころに沿うよう改革していきました。 「ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。(23:25)」 ヨシヤのように、信仰者として周囲にも、社会にも、主の平和をもたらす者となれますように。 祈り:神様、私を自己中心のわなから救ってください。周囲や社会に平和をつくる者として、あなたのみこころのために用いてください。アーメン

Ⅱ列王記19–21

通読: Ⅱ列王記19–21; ヨハネ4:1-30  「ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取って読み、主の宮に上って行き、それを主の前に広げた。ヒゼキヤは主の前で祈った。」列王記 第二 19:14 クレームや誹謗中傷の手紙やメール、SNSの投稿を受け取ったことがありますか? 文字通り頭がくらくらし、心は傷つきパニックになります。 敵からの手紙を読んだヒゼキヤも、同じような気持ち だったでしょう。 しかも、彼には国を率いる責任がありました。 彼はどうしたか。 「主の宮に上って行き、それを主の前に広げた。ヒゼキヤは主の前で祈った」のでした。 「…主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください」(19:16)と、問題を主の元に持っていき、訴えました。 どうしようもない時、今日も主が聞いて介入してくださいます。 祈り:神様、自分でどうすることもできない辛い時でも、あなたの元にすべて持っていき、心を注ぎ出せることを感謝します。あなたこそ盾です。私を、家族を、教会をお守りください。アーメン

Ⅱ列王記17–18

通読: Ⅱ列王記17–18; ヨハネ. 3:19-36  「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。」Ⅱ列王記18:5 北イスラエルは、とうとうアッシリアによって征服されてしまいます。 一方、南ユダでは同じ頃、主を信頼するヒゼキヤ王が即位しました。 アッシリアが攻めてきてピンチが迫る、というのが今日の箇所です。 (もちろん、ヒゼキヤ王はこの難局を主の助けで乗り越えるのですが...) ヒゼキヤが主の信頼してリーダーシップをとったように、今も信仰によってリーダーシップをとるリーダーが求められています。 ヒゼキヤの建造した水路は、現在まで残っています。 彼の生涯の見習うべき点を、もう少し読んでいきましょう。 祈り:神様、あなたを信頼するリーダーが起こされますように。リーダーシップをゆだねられている信仰者一人一人が主の知恵に満たされ、置かれた場所で祈りつつ仕えることができますように。アーメン

Ⅱ列王記15–16

通読:  Ⅱ 列王記 15–16;  ヨハネ 3:1-18 「主がかつてエフーに告げられたことばは、『あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く』ということであったが、はたして、そのとおりになった。」 Ⅱ 列王記 15:12 北のイスラエル王国と南のユダ王国の王朝史が交互に記されているので、二重に歴史を読んでいる感じがすると思います。 エフーは北イスラエルで28年間王でした(10:36)。バアル崇拝のリーダーたちを滅ぼし ました。歴代誌第二でもまた登場します。 主が彼に約束されたことは、「はたして、そのとおりにな」りました。 王位交代が入り乱れ、国としては弱っていく中で、神のことばは間違いなく成就していきました。 私たちの歩みにも、時に予想外の波瀾万丈な出来事があるかもしれません。 それでも、主は変わりなく治め、私たちを見捨てることはありません。 人が私たちを見捨てたように思っても、この主に期待していれば大丈夫です。 祈り:神様、あなたの約束の確かさを覚えて感謝します。主のご計画と愛は変わらず、私を見捨てることもなさいません。あなたに頼ることができる幸いに感謝します。アーメン

Ⅱ列王記13–14

通読:  Ⅱ 列王記 13–14;  ヨハネ 2 「こうして、エリシャは死んで葬られた。モアブの略奪隊は、年が改まるたびにこの国に侵入していた。」 Ⅱ 列王記 13:20 「ユダの民はみな、当時十六歳であったアザルヤを立てて、その父アマツヤの代わりに王とした。」 Ⅱ 列王記 14:21 預言者エリシャは北王国のイスラエルで働き、死にました。 南王国ユダではアマツヤが死に、アザルヤ(ウジヤ)王が即位しました。イザヤ書に出てくる王です。 「彼(北王国のヤロブアム2世)は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。」(14:25) アミタイの子ヨナとは、ヨナ書に出てくる人物です。 列王記や歴代誌には、様々な人名が出てきます。 旧約聖書の後半にある預言書、その預言者たちのほとんどがこの時代に働きました。 後半の預言書を読む時には、今読んでいる背景があるのだと思い出してみましょう。 困難な中でも神のことばを伝え生き抜いた彼らの姿勢が、今日の私たちへの励ましとなることでしょう。 祈り:神様、昔も今も試練を通った信仰者がいることを覚えます。知的な理解で済ませるのでなく、霊で理解できますように。聖書の励ましを、実生活に適用することを教えてください。アーメン

Ⅱ列王記10–12

通読:  Ⅱ 列王記 10–12;  ヨハネ 1:29-51 「また、工事する者に支払うように金を渡した人々が精算を求められることはなかった。彼らが忠実に働いていたからである。」  Ⅱ 列王記12:15 母の日です。教会ではファミリー礼拝を持ちます。 どんなに平和な時代でも、家庭やコミュニティの中に争いや悲劇が起こることがあります。 反対に、時代がどんなに悪くても、家庭やコミュニティの中に平和をつくることは可能です。 イスラエルとユダの2つの王国に分裂し、悪い時代でした。 それでも、忠実に働く人がいて、金銭的にもクリーンに工事を行いました。 時代がどうであれ、私たちも平和をつくる者となることを求めましょう。 祈り:神様、世の中が暗く問題が多くても、主にある希望の光はいつも輝いています。キリストにあって、その光を反映する者とならせてください。アーメン

Ⅱ列王記7–9

通読:  Ⅱ 列王記 7–9;  ヨハネ . 1:1-28 「しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。」 Ⅱ 列王記8:19 ひとことで言えば、とんでもない王たちの入れ替わりです。 国を堕落させ、滅亡に追い込むような人物も出てきます。 しかし、ダビデとの約束を神様は守られました。 神様は約束を決して破ることがありません。 聖書に書かれている、私たちへの神の約束もまた、真実です。 どのみことばの約束に信頼していますか。 祈り:神様、みことばを握って歩むことができますように。あなたこそ私たちの希望です。「わたしはすでに世に勝った」と言われたイエス様の勝利に感謝します。アーメン

Ⅱ列王記4–6

通読:  Ⅱ 列王記 4–6;  ルカ  24:36-53 「すると彼は、『恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから』と言った。」 Ⅱ 列王記6:16 エリシャが行った奇跡は、イエス・キリストの地上でのわざに通じるところがあります。 4章:油、子どもの癒し、解毒、大人数の給食 5章:ナアマンの癒し 6章:斧の発見、アラム軍の撃退 もっとも、イエス・キリストはご自身が神であり、神の御力で行われました。 対して、エリシャは主の力と霊により、主のみこころを行いました。彼自身の力ではありませんでした。神が、エリシャという人を用いて栄光を現されたのでした。 私たちは、力も能力も限られています。 しかし、無限の力のある主に頼り、祈り求めることはできます。 今日も主は生きておられます。 そして、奇跡や主の不思議なわざも、超自然的に、あるいは人を通して行われています。 あきらめずに祈りましょう。 祈り:神様、あなたは生きておられます。エリシャの時代と変わらず、今もすべてを支配しておられます。主のみこころを行ってください。今日も救われる人が起こされるよう、私たちに熱い願いを起こしてください。トラクトやチラシ、ホームページを用いてください。アーメン

Ⅱ列王記1–3

通読:  Ⅱ 列王記 1–3;  ルカ . 24:1-35 「ヨシャファテは言った。『ここには、主のみこころを求めることができる主の預言者はいないのですか。』すると、イスラエルの王の家来の一人が答えた。『ここには、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です。』」列王記 第二 3:11 ここで、見習うことのできる点がいくつかあります。 ・ヨシャファテ王は、戦いの前に主のみこころを求めた。 ・エリヤは、後継者エリシャを教え、主の働きができるよう訓練していた。 ・エリシャは、主の召しによって立たされ、確信をもって働いていた。 ・家来は、主の預言者として立てられている人物を即答できた。 教会やミニストリーでも、必ず交代の時期はやってきます。 後継者といって軽く扱わず、たとえ頼りなく思えても、主が立てられた器を尊重する謙遜さを身に付けましょう。 また、今はクリスチャン一人一人が主のみこころを求めることができます。 ヨシャファテ王のように、危急の時だからこそ主に求め、みこころに従う態度でいましょう。 祈り:神様、どんな時でもあなたの御顔を求めたいです。変化の時、窮地に立った時、交代の時、あなたのみこころに従う謙遜さと従順さを与えてください。アーメン 「これは主の目には小さなことです。主はモアブをあなたがたの手に渡されます。(3:18 )」

Ⅰ列王記21–22

通読:  Ⅰ 列王記 21–22;  ルカ . 23:26-56 「あなたは、アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間はわざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」 列王記 第一 21:29 ひどいことばかりしてきたアハブに、神様のあわれみがそれでもあることに驚きます。 「7を70倍するまでゆるしなさい」と言われたキリストのことばを思い起こします。 祈り:神様、あなたの忍耐深さとあわれみに感謝します。私が赦されたように、私も他の人をゆるすことができますように。アーメン

Ⅰ列王記19–20

通読:  Ⅰ 列王記 19–20;  ルカ . 23:1-25 「エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て洞穴の入り口に立った。すると声がして、こう言った。『エリヤよ、ここで何をしているのか。』」 Ⅰ 列王記 19:13 バーンアウトして休んでいた時、テレビ音声や大きな音が耳ざわりで困りました。 エリヤが疲れきっている時、偉大な神が細い声で語られたとは、なんと優しく、すべてわかってくださる方でしょうか! エリヤにいきなり次のミッションを命じるのでなく、「ここで何をしているのか」と尋ねてくださる深い配慮も感じます。 エリヤが自分のアイデンティティーと使命を再び確認できるよう、押し付けず導いてくださったのです。 祈り:神様、あなたの優しさと愛は、どんな疲れきっている人でも安らぎを得ることができます。周りの人にこの主を紹介できる機会を与えてください。アーメン

Ⅰ列王記16–18

通読: Ⅰ 列王記 16–18;  ルカ . 22:47-71 「エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。」列王記 第一 17:16 主は、預言者エリヤをまず烏によって養われました。 次いで、名もないやもめによって。 真実な主の備えを体験したことで、彼はいっそう主に信頼したことでしょう。 彼はやがてバアルの預言者と対決しました。 一歩ずつ、主は備えてくださいます。 このやもめも、対決を見ていた民衆もまた、主の偉大さを目の当たりにしました。 私たちにもまた、主は備えてくださいます。 祈り:神様、あなたの備えに信頼したいです。少しずつ体験を通し、みことばを通し、信仰を与えてください。アーメン

Ⅰ列王記14–15

通読:    Ⅰ 列王記 14–15;  ルカ 22:21-46 「アサは父祖ダビデのように、主の目にかなうことを行った。...高き所は取り除かれなかったが、アサの心は生涯、主とともにあり、全きものであった。」列王記 第一 15:11,14 王たちの光と影…。分裂したイスラエル王国とユダ王国、それぞれの王の経緯が列挙されます。 歴史の勉強ではないので、一つ一つを覚える必要はありません。 でも、自分ならどう記録されたいかを考えつつ読むと、今日の生き方、自制することがわかってきます。 祈り:神様、あなたの目にかなう日々を歩めますように。聖書の人物から学ばせてください。アーメン

Ⅰ列王記12–13

通読: Ⅰ 列王記 12–13;  ルカ 22:1-20 「彼は、自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえを献げた。このように、彼はイスラエルの人々のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえを 献げ、香をたいた。」 Ⅰ 列王記 12:28 王国が分裂しました。 ソロモンの側近の知恵を聞かなかったレハブアム王も、偶像礼拝を始めたヤロブアム王も、どっちもどっちです。 ソロモンの栄華の次の代に、早くもこのような堕落が起こりました。 人の心とは、なんと弱く変わりやすいものでしょう。 さらに、争いと偶像礼拝という負の遺産が、次の代にも引き継がれていきます。 今の教会堂が建った時、文字通り命がけで祈りささげた人たちの信仰がありました。 50周年を迎えた今年、前世代のそのような信仰の経緯を知ることができて幸いです。 私たちもまた、次の世代に信仰の遺産を残したいものです。 祈り:神様、前世代の信仰を感謝します。私たちも、主のよくしてくださったことを次の世代に伝えることができますように。アーメン

Ⅰ列王記10–11

通読: Ⅰ 列王記 10–11、  ルカ 21:20-38 「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。」 Ⅰ 列王記11:4 ソロモンほどの知恵のあった王が、女性たちの影響で没落していく様子が記されています。 周囲に敵が起こり、ソロモンの身辺も穏やかでなくなります。 主の警告があった(11:9-10)のに、Finishing well(良い終わりかた)をすることができませんでした。 これは、私たちへの深い教訓です。 Finishing wellの大切さを知り、願い求めること。 素晴らしい才能や業績、知恵や賢さがあっても、人は弱いと知ること。 謙遜に主の警告を聞き、向きを変えること。 祈り:神様、人間の弱さとはかなさを覚えます。与えられているものを感謝して受け取りつつ、キリストから目を離さないように助けてください。アーメン

Ⅰ列王記 8–9

通読: Ⅰ 列王記  8–9;  ルカ . 21:1-19 「それで私の父ダビデの心にはいつも、イスラエルの神、主の御名のために家を建てたいという思いがあった。」 列王記 第一 8:17 昨日の聖会で引用された聖句の一つでした。 キリストの満ちる教会、それを建て上げることをいつも考えていたご両親のことをあかしされていました。 ソロモンは、父ダビデの願いを自分の思いとしました。 前の世代の方たちが願い祈り続けた教会は、キリストの満ちる主の家です。 だから、私たちもキリストにある教会を愛することをわが思いとし、祈っていきたいのです。 祈り: 神様、キリストのからだである教会を愛し、霊の家族として互いに赦し合う群れとしてください。アーメン

Ⅰ列王記6−7

通読: Ⅰ 列王記 6–7;  ルカ2 0:27-47 「こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させた。」Ⅰ列王記6:14 何気なく書かれた一文の背後に、どれだけの労力と時間、財が費やされたかと思います。 小さな工事や普通の家屋を建てるのにも、私たちはあれこれ悩み、ハプニングに戸惑います。 まして、神殿を建てる大工事となれば尚更です。 淡々と書かれる工事の記録には、主の守りと導きがありました。 今、教会の周辺も工事が始まろうとしています。 規模や目的は違っても、工事の守りと、隣接する教会の存在が主の手に導かれることを信じてお祈りしましょう。 祈り:神様、あなたの守りで一つ一つが進みます。不安や混乱ではなく、主のご計画がなることに信頼します。アーメン

Ⅰ列王記3–5

通読:  Ⅰ 列王記 . 3–5;  ルカ . 20:1-26 「しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」 Ⅰ 列王記5:4-5 主に知恵を願ったソロモンは、その知恵を用いて主の宮、神殿を建てることになりました。 それは、ただ父から命じられたという理由でなく、彼自身も主に感謝して行おうとしたものでした。 この純粋な思いと信仰が、彼の生涯の最後まで続いたら...と読むたびに思います。 私たちも、信仰が揺らいだら原点に戻ることが大切です。 救われた時、召 された時の恵みを思い返すことができますように。 祈り:神様、恵みを忘れてしまいやすいものです。 もう一度原点に戻ります。これから記されるソロモンの心の変遷を反面教師としつつ、信仰にとどまり続けさせてください。アーメン

Ⅰ列王記1-2

通読: Ⅰ列王記1-2、ルカ19:28-48   「主が王とともにおられたように、ソロモンとともにいて、その王座を、わが君ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」 Ⅰ列王記1:37 祭司の祈りは、王の栄えよりも強さよりも、主がともにおられるように、というものです。 私たちは、自分の家族や親しい人に、功績や暮らし向きより、主がともにおられることを第一の価値として願っているでしょうか。 祈り:神様、一時的なものにでなく、永遠に続くものに価値を置くことができるよう、私たちの目を開いてください。点数よりも所有物よりも、もっと大切なものを大切にできますように。アーメン

Ⅱサムエル23–24

通読: Ⅱサムエル23–24; ルカ19:1-27  「ヒッタイト人ウリヤ。 合計三十七人。」Ⅱサムエル23:39 ダビデの生涯で「勇士」と呼ばれた人の名前、功績が列挙されています。 ...三人の勇士はペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、 こう言った。「主よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。」彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士は、そのようなことまでしたのである...(23:16-17) こうした勇士の働きがあったからこそ、ダビデは生き延び、王として治めることができました。 最後の節に、あのバテシェバの夫、「ヒッタイト人ウリヤ」の名が挙げられています。 戦死するよう仕向けられた彼は、王に最後まで忠実だった人です。 切なく、ダビデの汚点のしみのようです。 でも同時に、神が決して彼を忘れてはおられないということも、思い起こさせます。 祈り:神様、生きている時にはねぎらいのないこと、理不尽なことがあります。でも、あなたの目にはすべてが明らかで覚えられていることを感謝します。日本で伝道を続け、今は母国にいる宣教師たちに、あなたの豊かなねぎらいがありますように。アーメン

Ⅱサムエル21–22

通読:Ⅱサムエル21–22; ルカ8:24-43  「主のほかに、だれが神でしょうか。 私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。神は私の力強い砦。 私の道を全きものとされます。主は、私の足を雌鹿のようにし、 高い所に立たせてくださいます。」Ⅱサムエル22:32-34 ダビデの歌ったこのことばは詩篇18篇にも記されています。 王といっても、様々な危機や問題の連続でした。プレッシャーやストレスは、現代の猛烈ビジネスマンに匹敵するかそれ以上です。 ふっと気を抜いた時には、バテシェバを巡る罪を犯してしまいました。 目に見える敵だけでなく、霊的な敵の誘惑とも戦わねばなりませんでした。 そんな彼は、主は「私の力強い砦」だと宣言します。 そして「私の足を雌鹿のように」軽やかに引き上げ、「高い所に立たせてくださいます」と言います。 新年度から1ヶ月、疲れが出ているでしょうか。 霊的なリフレッシュが必要でしょうか。 どんなにストレスがあっても、主はその上から全てを俯瞰しておられます。 祈り:神様、あなたが全てをご存知で、私の今の問題への解決も、もっと大切な人生そのものも支配しておられることに感謝します。一時の問題で視野狭窄に陥らないよう助けてください。「私の足を雌鹿のように」し、砦であるあなたのそばで憩わせてください。アーメン

Ⅱサムエル19–20

通読: Ⅱサムエル19–20; ルカ18:1-23 「こうして、民はみなヨルダン川を渡り、王も渡った。王はバルジライに別れの口づけをして、彼を祝福した。それで、バルジライは自分の町へ帰って行った。Ⅱサムエル19:39 息子アブサロムと戦い、自らの息子が戦死し自分が勝利するという矛盾と悲しみは格別だったでしょう。 しかし、そのような中でも、ダビデは周囲の人々をあわれみ深く扱いました。 自分を呪ったシムイ、戦いに来なかったメフィボシェテをゆるしました。 自分によくしてくれた、高齢のバルジライへの感謝を忘れませんでした。 私たちは、心に悲しみと大きなストレスがある時はそれだけでいっぱいになり、自己憐憫と混乱に陥りやすいものです。 神様の広い視野が私たちを引き上げてくださり、主のよくしてくださったことを覚える者とされますように。 祈り:神様、忙しさや雑事、問題にばかりとらわれることがありませんように。あなたの恵みと良くしてくださったことを思い巡らし、新たな視野を開いて頂けるよう、今日も導いてください。アーメン

Ⅱサムエル16–18

通読: Ⅱサムエル16–18; ルカ17:20-37  「おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」サムエル記 第二 16:12 シムイという人がダビデを非難中傷して呪った時、ダビデはこのように言いました。 今のSNS時代、オンラインでの炎上や誤解は起こります。 そうでなくても、メールや書き込みの言葉に傷ついたことがあるかもしれません。 返信によっては、さらに事態が悪化しかねません。 特に、信仰のこと、聖書に関することについては、今日のダビデの対応を見習いたいものです。 主が心を知っておられること、怒りに任せず冷静でいること、主の祝福と報いを信じることです。 祈り:神様、非難中傷に心乱れ悲しむ者です。主が心を見てくださり、誤解を和らげ、よい解決で報いてください。アーメン

Ⅱサムエル14–15

通読: Ⅱサムエル14–15; ルカ17:1-19 「もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、主が良いと思われることをこの私にしてくださるように。』」サムエル記 第二 15:26 息子アブサロムが反乱を起こし、ダビデは急いで逃げなければなりませんでした。 その時、このように告白しました。 イエス様がゲッセマネで祈られた「みこころがなりますように」ということばを思い出します。 共通点は、神にゆだねるという姿勢です。 それだけではありません。ついてきたガテ人イタイへも配慮します。  「あなたは昨日来たばかりなのに、今日、あなたをわれわれと一緒にさまよわせるのは忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたの兄弟を連れて戻りなさい。恵みとまことがあなたとともにあるように。(15:20)」 砕かれた心、罪の悔い改めを通ってへりくだったダビデの姿勢に学びましょう。 祈り:神様、私にもへりくだりを与えてください。試練も過去への悔い改めも、砕かれた柔らかい心にされ、あなたに近づくために用いてください。アーメン

Ⅱサムエル12–13

通読: Ⅱサムエル12–13; ルカ16 「ダビデはナタンに言った。『私は主の前に罪ある者です。』ナタンはダビデに言った。『主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。』」サムエル記 第二 12:13 ダビデは、罪の結果に直面することにはなりました。 生まれた子はすぐ死にました。 また、ダビデの子どもたちがレイプの当事者となったり、その復讐をし合うという悲劇にも合いました。 もしかすると、自分の過去と重ね合わせ、心痛めたかもしれません。 けれども、ダビデは罪をナタンに指摘され、ただちに主の前に悔い改めました。 それで、主はダビデに赦しを与えられました。 先日、堕胎した女性へのカウンセリングを専門にしているクリスチャンとお会いしました。 罪の呵責と心の傷、トラウマに悩む女性たちが、神の愛を通して完全に解放される姿を見てこられました。 過去の罪を洗いきよめてくださる主のあわれみを感謝します。 祈り:「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。(詩篇51:17」神様、どうか私の心を探ってください。そして悔い改めとゆるしへの感謝で満たしてください。アーメン

Ⅱサムエル9–11

通読: Ⅱサムエル9–11; ルカ15:11-32 「ダビデは言った。『サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。』」サムエル9:1 ダビデはサウルの孫でもあるメフィボシェテに、ヨナタンの家族だという理由で真実を尽くしました。 足が不自由な彼でしたが、何をしたか、しなかったかではなく、ヨナタンへの恵みが彼に及び、王の息子のように王の食卓で食事をするようになりました。 しもべも与えられ、生活が保障されました。 神の救いも、これと同じような一方的な恵みです。 私たちが何をしたからではなく、神を信じたゆえに神の子とされ、御国で神の食卓につけるのです。 祈り:神様、あなたの子どもにしてくださる、主の食卓に招かれるものとしてくださり感謝します。あなたの恵みと親切な心を分かち合う機会を与えてください。アーメン

Ⅱサムエル6–8

通読: Ⅱサムエル6–8; ルカ15:1-10  「ダビデ王は主の前に出て、座して言った。『神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。』」Ⅱサムエル7:18 ダビデは王となり、主のために家を建てようとしました。 自分が杉の家に住んでいるのに、主の家がないではないか、と思いました。 その動機は良いものでした。 しかし、主は逆に、ダビデの家(家系)を堅く立てよう、と言われました。 ダビデは感謝の祈りをささげます。 王であっても、羊飼いであっても、立場や身分にかかわらず主は私たちを治め、恵みを注いでくださる方です。 私たちが悪い点数をとっても、退職しても、社会から取り残されたように感じても、主は変わらず恵みを与えてくださいます。 祈り:神様、「私をここまで導いてくださったとは」なんという恵みでしょう。感謝します。私がどのような状態でも、これからもあなたが導いてくださることを信じます。アーメン

Ⅱサムエル3–5

通読: Ⅱサムエル3–5; ルカ14:25-35 「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」 サムエル記 第二 5:12 サムエル記第一では、サムエルが主の語りかけを聴きました。 サムエル記第二では、ダビデが主にこのように立てられたことを知りました。 私たちには、今日主がどのように語り、今のところに置いてくださっているでしょうか。 そろそろ主にあって移動する時期でしょうか、あるいはじっととどまる時でしょうか。 自分の思い込みで先走ることないよう、あるいは現状維持に固執しないよう、 「主が」どう導いておられるか知ることができるよう、祈りましょう。 祈り:神様、私の人生、そして私の今日という日はあなたのものです。あなたに生かされています。主の日々の導きを受け取ることができるよう、私の霊を養ってください。アーメン

Ⅱサムエル1–2

通読: Ⅱサムエル1–2; ルカ14:1-24  「ダビデは、サウルのため、その息子ヨナタンのために、次の哀歌を歌った。」サムエル記 第二 1:17 戦死した王家のために、ダビデは哀悼の歌を歌います。 大親友のヨナタンのためだけでなく、自分の命を脅かしたサウルのためにもです。 それは「主に油注がれた方(1:14)」という理由でした。 人格や行動によらず、主がその立場に寘かれたからだした。 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。(ローマ13:1)」 「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。(出エジプト20:12)」 同じように、これらの立場の人を敬うよう、主はチャレンジしておられます。 祈り:神様、あなたが立てられた立場にある人を敬うことができるよう、私を整え導いてください。アーメン

Ⅰサムエル30–31

通読: Ⅰサムエル30–31; ルカ13:23-35  「ダビデは言った。『兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。... 戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。』」Ⅰサムエル30:23-24 ダビデの部下のうち、疲れ切って川を渡れなかったのが200人、追撃を続けたのが400人でした。同じ報酬は不公平に思うかもしれません。 でも、ダビデは待機した200人にも、また帰ってからユダの長老たちにも、戦利品を気前よく分け与えました。 ぶどう園のたとえを思い出します。 早朝から働いた人にも、午後遅くからの人にも、主人は同じ賃金を払いました。 神様の気前よさは、このような性質です。 自分の成功や業績を気前よく分け与え、何より主にお返しできるよう祈りたいと思います。 祈り:神様、すべてはあなたのものです。私たちが任された物質も、才能や技術も、すべて主から発しています。ダビデのような気前良い態度を与えてください。アーメン

Ⅰサムエル27–29

通読: Ⅰサムエル27–29; ルカ13:1-22  「ダビデとその部下は、翌朝早く、ペリシテ人の地へ帰って行った。ペリシテ人はイズレエルへ上って行った。」Ⅰサムエル29:11 ペリシテ側についてイスラエルと戦うために、ダビデと部下たちは出ていきました。 ダビデも忠誠を示しました。 ところが、ぺリシテ人の領主たちのは、ダビデが裏切るのではと反対しました。 それで、ダビデたちは引き返すことになりました。 これも神の守りと言えます。 自分の民と戦うことが避けられました。 また、その土地にとどまっている家族に危機が及んでいたので、早急に救う必要がありました(戻ってみてわかります、30章~)。 私たちも、自分の知らないところで、神の守りとご計画がなされていることを信じ感謝しましょう。 祈り:神様、あなたの守りと確かな采配を感謝します。私の思いを越えて主のご計画があることを信じ、祈り続けます。アーメン

Ⅰサムエル25–26

通読: Ⅰサムエル25–26; ルカ12:32–59 「ダビデはアビガイルに言った。『イスラエルの神、主がほめたたえられますように。主は今日、あなたを送り、私に会わせてくださった。』」Ⅰサムエル25:32 絶妙なタイミングでアビガイルとダビデは出会いました。 急いでパンや肉の準備をした時のアビガイルは、必死に間に合うよう祈っていたことでしょう。 ダビデのこの反応は、彼女の力だけではなく主が引き出してくださったといえます。 新年度、どんな出会いがありましたか? うまくいきそうな出会いも、まだ不安だらけの出会いも、 最善のタイミングを知っておられる主に信頼し、期待しましょう。 祈り:神様、自分で計画したと思っても予想外のことが起こります。 主に祈りながら、主のタイミングと出会いに期待します。今日も一日導いてください。 慣れない職場やクラスにいる人たちの不安な心に、主の導きと平安がありますように。アーメン

Ⅰサムエル22–24

通読: Ⅰサムエル22–24; ルカ12:1-31 「サウルの息子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた。」 Ⅰサムエル23:16 ダビデの逃亡生活の中で、一番励まされたとも言えるのはヨナタンの存在だったかもしれません。 しかも、単なる戦術とか物資の援助ではなく、じかに彼のところに来て、祈りで神によって励ましてくれたのでした。 母が入院生活をしていると、真心で足を運んでくれる親戚のさりげない愛がありがたいものです。 そして、信仰の友に心をこめて祈られていることがどれだけ励ましか、よくわかります。 ヨナタンのように、他の人を神によって励ます者となれたら素晴らしいですね。 祈り:神様、みことばと祈りによって励ます者とならせてください。口先だけでなく、行いと愛をもって真心から接することができますように。アーメン

Ⅰサムエル19–21

通読: Ⅰサムエル19–21; ルカ11:29-54 「サウルは、ダビデを殺すと、息子ヨナタンやすべての家来に告げた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。」Ⅰサムエル19:1 王子ヨナタンの寛容で謙遜な人格により、ダビデの命は救われました。 自分以上に王位に相応しい人物を、妬まず助けることができたヨナタンの品性は、キリストの謙遜な品性を思い起こさせます。 また、危急の時にも主を信頼して叫び求める人には、主の恵みと助けがあることを覚えます。 祈り:神様、ヨナタンのように謙遜さと愛を聖霊の実として結ぶことができるよう、私を取り扱って造り変えてください。またダビデのように、焦らず、諦めず、主を待ち望む者になれますように今日も導いてください。アーメン

Ⅰサムエル17–18

通読: Ⅰサムエル17–18; ルカ11:1-28 「ダビデはペリシテ人に言った。『おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。』」サムエル記 第一 17:45 自分はダメだ、と思うような瞬間、どうしようもない不安や罪責感が湧き出る瞬間がありますか? もしかすると、それは霊的な戦いかもしれません。 霊的な攻撃には、霊的な武具と備えで対応する必要があります。 それは、主の御名を掲げることです。 ゴリヤテに向かったダビデのように。 主はすでに勝利をとっておられます。 もう恐れず、自分ではなくキリストに目を向けましょう。 祈り:神様、私の弱さ、心の貧しさ、失敗を、すべて知ってくださり感謝します。新年度のペースにまだ慣れません。あなたの慰めと励ましで、この週末も安息し備えたいです。導いてください。アーメン

Ⅰサムエル15–16

通読:  Ⅰサムエル15–16; ルカ10:25-42  「主はサムエルに言われた。『彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』」 Ⅰサムエル16:7 ある人を覚えて祈り、福音を分かち合い、気にかけて親切にしてきたのに、その人が離れていったり無関心だったりして、裏切られたような気持ちになったことがありますか? サウル王に対するサムエルの落胆も、同じような状態だったでしょう。 「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。(15:11) 神様、なぜですか!と、サムエルは思いを主にぶつけたと思われます。 その嘆きを主は怒らず受け入れてくださいます。 主はサムエルに言われた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。(16:1) サウルが間違った選択をしてみこころからそれていっても、サムエルの失敗ではありませんでした。 主は新たなミッションを与えてくださいます。 そして、サウルのような「容貌や背の高さ」ではなく、「心を見る」ことを示してくださいました。 家族や友のために祈り誠実に接してきた人を、主がさらに広い霊的な畑へと導いてくださいます。 収穫のためにたゆまず祈り続けましょう。 祈り:神様、あなたのわざに期待します。一喜一憂せず、あきらめず、祈り続けられるように助けてください。アーメン

Ⅰサムエル13–14

通読: Ⅰサムエル13–14; ルカ10:1-24  「サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた。」Ⅰサムエル13:1 サウルは2年間の間にいくつもの失敗をしました。 ・サムエルを待たずに全焼のささげ者を献げたこと(13:9) ・兵士たちに食べるなという愚かな禁止令を出したこと(14:24) ・危うく自分の息子を殺すような誓いを立てたこと(14:39) 傍目には失敗と見えなかったかもしれません。 なぜなら、それは体面を保つためのものだったからです。 しかし、神を後回しにし、神より人の目を気にした彼の軽はずみな言動は、王の交代という結果になりました。 実力がなかったからではありません。 霊的な部分、見えない部分を大切にしなかったからです。 霊的な事柄は、良くも悪くも私たちの人生に影響を及ぼします。 主の事柄、霊的な歩みを見つめ大切にできますように。 祈り:神様、一時しのぎの自分の思いでなく、主が望まれることを見させてください。ある時は待ち、手放し、ある時は思い切って前進できるよう、みことばと聖霊の語りかけを受け取る者とならせてください。アーメン

Ⅰサムエル10–12

通読: Ⅰサムエル10–12; ルカ9:37-62 「ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。」Ⅰサムエル12:24 民の気ままと不信仰を目の当たりにしつつも、サムエルは主が言われたことに従いました。 民に対し、彼は忍耐深く戒めています。 それは、サムエル自身が神のみわざと真実さを体験してきたからです。 神の計画と備えは、映画や推理小説の絶妙なプロット(筋書き)よりももっと素晴らしく、私たちには到底理解できないものです。 サムエルはそれに信頼しました。 私たちも、今見えなくても神の筋書きに信頼し、失望せずに祈り続けましょう。 祈り:神様、混沌とする世界情勢や国内の問題への解決を祈ります。主の計画が行われていきますように。また、私の人生にも最も幸いな筋書きを、あなたが一番よく知っておられます。私の自我や罪がそれをとどめることのないよう、探ってください。アーメン

Ⅰサムエル記7–9

通読: Ⅰサムエル記7–9; ルカ9:18-36 「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて告げておられた。」サムエル記9:15 サムエルの働きは、国のリーダーから、神と王との橋渡し役に変化しようとしていました。 はじめは葛藤しつつも、神の指示に従い、民に告げサウルに告げたサムエルでした。 サムエルの立場は変化しても、神との親しさは変わりませんでした。 仕事や教会での役割が変わり、自分が重要でなくなったような錯覚にとらわれていませんか。 決してそんなことはありません。 神との関係はより親密になり、違った角度のさらにユニークな仕え方へと召されていくと信じます。 祈り:神様、私の行く道をいつも導き、希望と主にあるやりがいで満たしてください。信仰の歩みの豊かさを味わわせてください。アーメン

Ⅰサムエル4–6

通読: Ⅰサムエル4–6; ルカ9:1-17  「彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその椅子から門のそばにあおむけに倒れ、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。エリは四十年間、イスラエルをさばいた。」 サムエル記 第一 4:18 エリの息子は死に、エリ自身も倒れて死にました。 主の箱が奪われ、返されるまでの記事が続きます。 暗い時代です。 だからといって、主がいなくなられたわけではありません。 主はおられ、情勢と動向を支配しておられます。 今、暗い中を歩んでいても、主がすべてを知ってくださっているとは慰めです。 祈り:神様、世界の状況も私の周りも暗く思え、気がかりが多くあります。そんな中でも主が変わらないこと、すべてご存知であることが慰めであり、私の生きる意味です。今週も導いてください。アーメン

Ⅰサムエル1–3

通読: Ⅰサムエル1–3、ルカ8:26-56  「さてサムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼いしもべとして、主の前に仕えていた。」Ⅰサムエル1:18 母ハンナは、彼のために毎年小さな上着を作って届けました(1:19)。 幼いサムエルの姿は、どんなにかわいかったことでしょう。 ひたすら可愛かったサムエルは成長し、神の声を聞き、やがて民全体のリーダーとなりました。 子どもには、主にあって無限の可能性があります。 教会にも幼い子どもが来ます。 時に汚したり、手がかかったりするかもしれません。 しかし、幼い時に聞いたこと、経験したことがその子どもの人格を形作っていきます。 イエスの十字架と復活を聞いた子どもは、それを心に蓄積して大人になり、人生を歩みます。 そう考えると、1回1回の子どもメッセージは、子どもに霊的な財産を分かち合うことになりますね。 イースターおめでとうございます! 祈り:神様、子どもたちの柔らかい心に、主の愛と福音が届きますように。大人も子どもも、みことばを共に味わい受けとるイースターの一日を導いてください。アーメン

ルツ記1–4

通読: ルツ記1–4、ルカ8:1-25  「主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」ルツ記 2:12 ボアズの言葉に、落ち穂広いをしていたルツはどれほど慰められたことでしょう。 しかもそれは単なるほめ言葉ではなく、「主が報いてくださるように」という祈りにも代えた言葉でした。 イエス様も十字架の上で人々のために祈られました。 木曜集会で、「祈っています」と言われると嬉しい、というあかしを聞きました。 社交辞令でなく、本当に祈ることがわかるからだと思います。 とりなしの祈りの力を覚えます。 祈り:神様、家族の____、地域の_____、職場や学校の_____、その他周囲の人々_____のために、名前をあげて祈ります。祈り続けられるよう助けてください。アーメン

士師記19–21

通読: 士師記19–21、ルカ7:31-50  「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」士師記21:25 王のない人々を、主が直接導いておられました。 しかし神を認めないなら、王なく、神なく、 価値観とモラルの堕落、国の衰退へと進んでいきます。 ギブアの町の乱れは、まるでソドムとゴモラそっくりです。 そこからベニヤミン族との内戦が起こりました。 国と同じく、私たち個人の歩みも神抜きだと同じように混乱します。 「彼らは何をしているか分かっていないのです(ルカ23:34)」とイエス・キリストは十字架の上で祈られました。 私たちの心の王をイエス・キリストと認める時、混乱を治める方が働きはじめてくださいます。 祈り:神様、イエス・キリストの十字架の身代わりで私は救われました。毎日の生活で、あなたを心にお迎えしていることを意識させてください。私の心をキリストの平和が支配しますように。アーメン

士師記16–18

通読: 士師記16–18、ルカ 7:1-30 「サムソンは主を呼び求めて言った。『神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。…』」士師記 16:28  サムソンも、士師記のミカ(預言者ミカとは別人)も、なぜそんな愚かなことを、と思えます。 しかし、それは第三者として客観視できるからです。 自分がその時代に生きていて、愛する者からの圧力があったら、やはり葛藤するのではないでしょうか。 いえ、現代でも、愛する人から迫られたら、あるいは自分の欲が高じたら、私たちだって失敗しやすい弱い者です。 だから、日々神を認め、みことばと聖霊の光で生活することが大切です。 新年度、生活リズムが変わる人も多い時です。 このような時だからこそ、デボーションを一日の優先順位に入れ、主に導かれて共に歩みましょう。 祈り:神様、あなたのあわれみに感謝します。環境が変わる時だからこそ、変わらないみことばと聖霊に導かれて一つ一つを決めることができますように。今日も導いてください。アーメン

士師記13–15

通読: 士師記13–15、ルカ6:27-49 「このとき、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。」士師記 14:6 奔放なサムソンの言動は、わがままで未熟な人格のようです。 しかし激しい主の霊に動かされた時に(14:6,19; 15:14...)、常識を越えたことを成し、結果として20年も人々を治めることができました。 獅子を引き裂く力も、聖霊により与えられました。 自分自身の未熟な人格に悩んでいますか? そう、サタンはひたすら責め立てます。 「あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています(1ベテロ5;8)」 けれどもこの時、獅子を引き裂く聖霊の力が、霊の次元でも勝利を治められたと思い出しましょう。 祈り:神様、あなたが勝利してくださいました。聖霊の力で覆ってください。責め立てる者から救い出してください。アーメン

士師記11–12

通読: 士師記11–12、ルカ 6:1-26  「エフタがミツパの自分の家に帰ると、エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もなかった。」士師記11:34 非常にショッキングな光景です。 それは、エフタが主に「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、・・・無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます(11:30-31)」 と誓ってしまったからでした。 誓う必要はありませんでした。神の求めでもありませんでした。 自主的に(あるいは自分勝手に)誓願を立ててしまったのでした。 その結果は、一人娘を失うことになりました。 もしかすると、彼は調子に乗っていたのかもしれません。 必死だったのかもしれません。 しかし、神様は人間をいけにえにすることは、決して求められません。 唯一、身代わりのいのちを捧げてくださったのは神ご自身、イエス・キリストです。 それがどれほど例外的で大きな犠牲だったのか、それほどまでの愛をご自身が注いでくださったのです。 祈り:神様、あなたの愛の大きさに感謝します。一人一人を愛し、救いたいと思ってくださいました。生きる意欲を失って自死を願う方が主の愛に触れ、希望を見出せますように。アーメン

士師記 9–10

通読: 士師記 9–10、ルカ5:17-39   「彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。」10:16 主はあわれみ深い方です。「見るに忍びない」と思ってくださる方です。 今日の前半では、弱い者が思いがけなく用いられました。 「そのとき、一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。(9:53)」 また、人々が呼び求めるたびに助け手を送られました。 たとえ、人が自分勝手に罪を犯し堕落していったとしても、神は「見るに忍びない」のです。 旧約のこの時代だけではありません。 全人類が罪に支配されるのを「見るに忍びない」と、救いの計画を実現してくださいました。 イエス・キリストは弱い姿で地上に来られました。十字架にかかられる時も、弱い姿でした。 しかし、そこに素晴らしい解放と救いへの道が、みこころによって成し遂げられました。 祈り:神様、あなたが今日も人々がイエス・キリストにある救いを知らないのを「見るに忍びない」と思っておられることを受けとります。イースター前のこの時期、イースターの素晴らしい意味を分かち合うことができますように。アーメン

士師記7-8

通読:士師記7-8、ルカ5:1-16   「しかしギデオンは彼らに言った。『私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。主があなたがたを治められます。』」士師記8:23 ギデオンの大勝利よりも、主が主権をとっておられると断言し、神を最優先にしたことこそ彼が勇士と言われるゆえんです。 もっとも、彼にも失敗はありました。やがて彼はたくさんの妻を持ち、生まれた息子の一人がやがて家族中をかき回し、国にも悲劇をもたらしました(8:31)。 一つの勝利が人生の価値や幸せを決めるわけではありません。 しがみついている過去の栄光が、かえって油断や足かせになることもあります。 素のままの自分で神の前に出ましょう。 プライドやしがらみが頑固な心を生んでいるなら、それを手放せるように祈りましょう。 祈り:神様、手放しであなたの元に駆け込みます。本当に必要なもの、大切なものを霊の目で見せてください。恥やプライドでかたくなな心になることがないように助けてください。アーメン

士師記4-6

通読: 士師記4-6、ルカ4:31-44   「主の使いが彼に現れて言った。『力ある勇士よ、主があなたとともにおられる』。」士師記 6:12 ギデオンは敵を恐れながら農作業をしていました。 「勇士よ」と呼ばれるにはあまりにも等身大の、弱さのある人でした。 その後、しるしを何度も求めることも、慎重で怖がりだとわかります。 しかし、主が召され「主があなたとともにおられる」ことが、ギデオンが勇士であることの一番の証拠です。 ニッキー・ガンベルの、ひび割れた容器で水を汲む人の例話があります。 二つのつぼがあり、一つは割れていない完璧な容器、もう一つはひび割れた容器でした。 棒の両端に二つの容器をつけ、肩にかけて農夫は水を運びました。 ひび割れた容器からは、せっかくくんだ水がぽたぽた漏れています。 ところが、しばらくして あぜ道の片側にだけ、きれいな花が咲き始めました。 なぜでしょう。 それは、ひび割れた容器から落ちた水で養われたからでした。 このように、欠けのある者でも、いや欠けがあるからこそ、主にあって用いられるのです。 祈り:神様、立派過ぎるリーダーばかりでなく、ギデオンのような人物を召し、主のご用に用いてくださることを覚えます。今週を振り返ると、あんなこと、こんなこと、失敗が多くありました。それでも、主が見捨てない方であることを感謝します。悔い改め、再び主に手を引かれ、慰めを受けて前を向きます。アーメン

士師記1-3

通読: 士師記1-3、ルカ4:1-30    「ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、民は主に仕えた。 ...主が彼らのためにさばきつかさを起こしたとき、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさが生きている間、彼らを敵の手から救われた。これは、圧迫し、虐げる者を前にして彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。」士師記 2:7,18 人は当てになりません。あんなに苦労して旅をし、約束の場所にたどりついた民は、ヨシュアと長老たちが死ぬと、すぐに堕落してしまいました。 しかし、神のあわれみによって士師が起こされ、主に立ち返ると国が平穏になりました。 はじめの士師オテニエルは、実はヨシュアの義理の息子でした。 「カレブの同族ケナズの子オテニエルがそれを攻め取ったので、カレブは娘アクサを彼に妻として与えた。」(ヨシュア記15:17、士師記1:13) すでに神様は、よい計画を進めておられました。 私たちも、行き詰まりを感じて前に進めないと感じます。でも、「すでに神様は」備えてくださるお方です。 祈り:神様、あなたのよいご計画に信頼します。心がどうしようもなく行き詰まった時にも、脱出の道をすでに備えてくださっていることを信じます(第一コリント10:13)。アーメン

ヨシュア記22-24

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通読: ヨシュア記22-24、ルカ3  「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」ヨシュア記 24:15 10代、20代の頃と異なり、限られた体力をどのように使うか工夫が必要になりました。 大切なものにエネルギーを集中させるために、優先順位が問われます。 もっとも、その順位は自分の思いだけではうまくつけられません。思い込みだったり自分のこだわりに過ぎなかったりします。 一方で、神が導き順位をつけさせてくださるなら、思いがけなくはかどり、何より喜びがあります。 神がそうさせてくださるのです。 きっとヨシュアもそうだったでしょう。 彼の信仰は素晴らしいですが、そうさせてくださったのもまた主であることを覚えます。 祈り:神様、私が自分の力でやったと言うのでなく、主がそうさせてくださったと力強く言えますように。 今日の歩みを導き、主が私に望まれることをさせてください。アーメン

ヨシュア記19-21

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通読: ヨシュア記19-21、ルカ2:25-52  「地を地域ごとに相続地として割り当て終えたとき、イスラエルの子らは、自分たちの間に一つの相続地をヌンの子ヨシュアに与えた。主の命により、ヨシュアが求めた町、すなわち、エフライムの山地にあるティムナテ・セラフを彼に与えた。彼は町を建てて、そこに住んだ。」 ヨシュア記 19:49-50 すべての部族への割り当てが終わった後で、ヨシュアは自身の相続地を与えられました。 聖書のリーダー観は、仕えるリーダーです。 自分がいちばん先に得をしようというのではありません。また、自分がいちばん豊かになるというのでもありません。 イエス・キリストが、その模範を示してくださいました。 十字架への道を進んで通ってくださった、真のリーダー、導き手の姿です。 祈り:神様、私の利己主義的な部分を悔い改めます。イエス様の足跡にならいたいです。私の人格を日々きよめ、造り変えてください。アーメン

ヨシュア記16-18

通読:  ヨシュア記16-18、ルカ2:1-24 「山地もあなたのものとしなければならない。それが森だとしても切り開いて、その隅々まであなたのものとしなさい。カナン人が鉄の戦車を持っていても、強くても、あなたは彼らを追い払わなければならない。」ヨシュア記 17:18 イエス・キリストは、戦争や殺人を肯定されていません。 旧約聖書もキリストの光に照らして読むことが必要です。 旧約の記事は、新約時代を生きる者にとっての実物教材であったということがわかります。 今日の箇所からは、神が約束通り与えてくださる方であること、与えられた領域をよく見張り、余計なものや神に喜ばれないものは取り除くようにと学ぶことができます。 心のすべてはキリストの十字架によって買い取られました。 その中に、誘惑や罪の余計な性質を見るなら、神に取り扱っていただきましょう。 祈り:神様、あなたにあって自由と解放が与えられたことを感謝します。自分勝手に元の習慣に戻ることがないよう、主の光でいつも照らしてください。アーメン

ヨシュア記13-15

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通読: ヨシュア13-15、ルカ1:57-80  「私とともに上って行った私の兄弟たちは民の心をくじきました。しかし私は、私の神、主に従い通しました。」ヨシュア記 14:8 「ご覧ください。イスラエルが荒野を歩んでいたときに、主がこのことばをモーセに語って以来四十五年、主は語られたとおりに私を生かしてくださいました。ご覧ください。今日、私は八十五歳です。」ヨシュア記 14:10 カレブは40歳で偵察隊の一人としてカナンを調査しました。 不信仰な他の10人とは異なり、カレブはヨシュアと共に信仰に立ちました。 ヨシュアとは、いわば45年来の同志、同僚でした。 そして85歳の今も、ヨシュアと変わらぬ信仰を語り合えます。 カレブの姿から、人生の終わりまで信仰に立つ人が真の勇者だと学びます。 信仰が揺るぎそうな時、荒野をあきらめずに旅し続けたカレブの豊かな人生と幸いを思い出しましょう。 祈り:神様、最後まで主を信じ従う人生を歩ませてください。アーメン

ヨシュア記10–12

通読: ヨシュア記 . 10–12;  ルカ . 1:39-56 「ヨシュアはすべて主がモーセに告げられたとおりに、その地をことごとく奪い取った。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族への割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに与えた。そして、その地に戦争はやんだ。」ヨシュア記11:23 ある注解には次のようにあります。 「イエスなら、ヨシュアの軍事、戦いは、現代のどの人にとっても模範となるものではないと説明したであろう。」 では、戦いの記述がなぜ旧約聖書に載っているのでしょうか。 注解は続きます。 「しかしながら、その勝利という一つの側面は、神がイエスの死と復活を通してもたらすことになる、偉大で全く異なるタイプの勝利の予兆であり、影である。」 全く異なるタイプの勝利とは、暗闇の力との戦い、霊的な勝利です。 心の中の、また見えない領域の戦いに、私たちは日々さらされています。逃げることはできません。 都度イエス・キリストの御名を掲げるとき、都度勝利があることを覚えましょう。 祈り:神様、私の心の中に恐れ、疑い、不安が生じる時、キリストの名を呼び求め宣言します。勝利の主に感謝します!アーメン

ヨシュア記7–9

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通読: ヨシュア記 . 7–9;  ルカ . 1:21-38 「そこで人々は彼らのヨシュア記7–9の一部を受け取った。しかし、主の指示を求めなかった。」ヨシュア記9:14 今週何かしようとする前に祈れましたか? それとも後でしまった、と思ったでしょうか。 私はいつも失敗だらけです。 アカンの罪とアイへの戦い、ギブオンにいたヒビ人とのやり取りは、残念ながら当初から本質を識別することはできませんでした。 それは主に尋ねなかったからでした。 今の世界も、感情と政治家の思惑だけではうまくいきません。 だからこそ、私たちはとりなしの祈り手に召されています。 いつも共にいてくださる聖霊様はカウンセラーです。ことあるごとに相談できますように。 祈り:神様、あなたの声をもっと聴くことができますように。そして、この国や世界のためにもっと祈る者とならせてください。アーメン

ヨシュア記4–6

通読: ヨシュア記 . 4–6;  ルカ . 1:1-20 「マナは、彼らがその地の産物を食べた翌日からやみ、イスラエルの子らがマナを得ることはもうなかった。その年、彼らはカナンの地で収穫した物を食べた。」ヨシュア記5:12 神様は、必要なものを必要な時に与えてくださいます。そのことを信じます! そして主は、ヨシュアに必要なこと、すなわちリーダーの確信と主との個人的な出会いを与えられました。 「主の軍の将はヨシュアに言った。『あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。』そこで、ヨシュアはそのようにした。( 5:15)」 この主は、私たちにも個人的に出会ってくださるイエス・キリストです! 祈り:神様、あなたとの個人的な出会いを感謝します。日々祈りを通してあなたに必要を申し上げ、満たされる経験を与えてください。アーメン

ヨシュア記1-3

通読: ヨシュア1-3、マルコ16 「あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」ヨシュア1:5 卒業式シーズンです。 小中高校で、自分のすぐ上の学年が卒業した時、なんともいえず寂しくぎこちない気持ちになりました。 それは、最高学年になるにはあまりに頼りない、自分の弱さへの不安だったかもしれません。 今日から、モーセからリーダーシップを引き継いだヨシュアが中心となります。 人間的には不安だったでしょう。 しかし、神様は繰り返し「強くあれ。雄々しくあれ」と語られます。 そして、ともにいるから大丈夫だと何度も言われました。 1章5節の「あなた」に自分の名前を入れて読んでみてください。 今日も神様は、同じ約束を私やあなたにくださいます。 祈り:神様、あなたが私を決して見捨てず、見放さない方であることを信じます。ひとりぼっちで判断する必要がないことを感謝します。あなたの判断についていきます。アーメン

申命記32-34

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通読:申命記32-34、マルコ15:26-47 そして主は彼に言われた。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに『あなたの子孫に与える』と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。」 申命記 34:4 秋から植えていた早咲きのチューリップがつぼみをつけました。 もうすぐ咲きそうで、開花が楽しみです。 冬の間、ずっと花の咲くのを待っていたからです。 ところで、人生の歩みも、花の咲くような結果に価値をおきがちです。 約束の地に入ることこそ一番のクライマックス、報酬と考えます。 目標としてきたことだからです。 しかし、神はモーセの生涯を目的地の直前までと定められました。 「その場所で、主のしもべモーセは主の命によりモアブの地で死んだ(34:5)」のでした。 あれほど入りたかったのに、最終的には主のご意思に従ったことこそ、モーセが信仰の人と言われる所以だと思います。 私たちは花が咲くのをなんとしても見たいでしょうか。 それとも、つぼみのままでも、主にお捧げすることができるでしょうか。 祈り:神様、あなたのお考えは深くて私には理解が及ばないことがあります。自分の思いと違う時、モーセのように従いたいです。主がよい方であると信頼できるよう助けてください。アーメン

申命記30–31

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通読: 申命記 . 30–31;  マルコ . 15:1-25 「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」申命記 31:6 私事ですが、このところ体調がよくありませんでした。 季節の変わり目で、自律神経の不調だと思われます。 エネルギーがなく、判断力が落ち、何もかもがうまくいかない気がしました。 失敗だらけでも「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」という励ましを、自分のものとして受け取ろうと思います。 「まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。(30:14)」 遠い空のかなたではなく、今日もみことばはすぐ近くにあります。 祈り:神様、あなたが共にいてくださり、日々みことばで養ってくださることを感謝します。私が弱いとき、あなたの強さがより輝き出ますように。アーメン

申命記28–29

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通読: 申命記 . 28–29;  マルコ . 14:54-72 「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。」 申命記 29:29 だから、現されたことは神を見上げればよく、 隠されていることも神の御手にあるから安心です。 祈り:神様、異動やまだ見えない不安に心が揺れる時、すべてがあなたの手のうちにあると思い出させてください。アーメン

申命記26-27

通読: 申命記26-27、マルコ14:27-53   「今日、主は、あなたに約束したとおり、あなたが主のすべての命令を守り主の宝の民となること、」申命記26:18 あかしです。 数日前に、新しく来日予定の宣教師のビザ手続きに先立って、 現在の宣教師と共に入国管理局に行き、書類申請に付き添うことがありました。 少し離れた安い駐車場に停め、急いで向かいました。 現在の宣教師はすでに列に並んでいて、書留切手を買ってくるよう頼まれた時です。 財布がないことに気づきました。 駐車場までは確かにあったのです。 車に戻って探しましたがありません。 道で落としたようです。 祈りつつ、「日本といってもいろんな国、文化の人たちがいる場所だから、戻ってこないかもしれない」と思いました。 交番に行って遺失物届を出しました。 半時間ほど、内容や私の個人情報などを尋ねられました。 すると・・・奥の部屋から保管された財布を警官が持って来てくれました。 散歩中の人が届けてくれたそうです。 お礼はいらないとのこと。 硬貨やカード1枚も失われず、すべてそのままでした。 奇跡だと思いました。 私たちは、与えられているものの一部を初物、あるいは感謝の表れとして主にささげます。 しかし、主はすべてを所有し、すべてをご存知です。 財布を受け取った時、主が「私はすべて知っていたよ。そして、あなたのことを宝のように愛しているよ」と語ってくださったように感じました。 主は、旧約の民を「主の宝の民」と表現されました。今のクリスチャン一人一人も「宝の民」という眼差しで見てくださっています。 祈り:神様、私のことをすべて知り、宝のように愛して大切に思ってくださっていることをありがとうございます。あなたの眼差しを感じる日も、感じられない日も、あなたは変わらず愛してくださっていることを感謝します。アーメン

申命記23-25

通読:  申命記23-25、マルコ14:1-26  「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを覚えていなければならない。それゆえ私はあなたに、このことをせよと命じる。」申命記24:22 記憶にとどまるようにと、記念されていることは色々あります。 誕生日や記念日のように喜ばしいこともあれば、 地震や原爆投下日のように辛いメモリアルもあります。 聖書は、人々がエジプトの奴隷生活でどれほど苦労したかを覚えているようにと述べます。 それは、虐げられた人に対してあわれみ深く、寛容であるようにです。 主ご自身もあわれみ深い方です。 祈り:神様、あなたのあわれみ深さに感謝します。私たちも苦境の中でも主のあわれみを思い返し、恵み深いあなたの愛を分かち合うことができますように。アーメン

申命記20-22

通読:   申命記20-22、マルコ13:21-37    「あなたがたが戦いに臨むときには、祭司が進み出て民に語りかけ、」申命記20:2 「あなたが、ある町を攻略しようとしてその町に近づいたときには、まず降伏を勧めなさい。」20:10 戦いに際しては、司令官でも王でもなく、祭司が激励をします。 また町のリーダーが、それぞれの事情を勘案するように語りかけます。 相手方とも、まず平和的な解決を求めます。 22章まで、事件の処理や女性の保護などについても語られます。 やみくもに傷つけ合うことを避け、人格を尊重する姿勢は、国家間だけでなく私たちにも必要です。 家族の中での失言や不誠実について、悔い改めと和解が広く行われますように。 祈り: 神様、心の戦いについて思い巡らしています。主にあって平静と安心を得るよう、柔らかくしてください。強硬に走る肉の頑固さ、固さを砕いてください。アーメン

申命記17-19

通読:  申命記17-19、マルコ13:1-20 「その王国の王座に就いたら、レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。」申命記17:18~19 王が間違った方向に行かないための秘訣は、主の教えを手元において一生学び続けることです。 聖書の知恵は今も生きています。 国々のリーダーがそこから学ぶことができるよう、またリーダーだけでなくすべての人が聖書の神に出会うよう祈りましょう。 祈り:神様、国々のトップの人が主のみこころを求め、へりくだって平和を目指すことができますように。災害や試練にある人たちが、聖書の神に出会い、慰めを受けますように。アーメン

申命記14-16

通読:申命記14-16、マルコ12:28-44  「必ず彼に与えなさい。また、与えるとき物惜しみをしてはならない。このことのゆえに、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださるからである。」申命記15:10 聖書の神様は、気前の良い方です。 7年目に、同胞に貸したものを帳消しにせよと言われます。 貸した人が損じゃないか、と思います。 しかし、主に従う人には「主が必ずあなたを祝福されるので、あなたのうちには貧しい人がいなくなるであろう」(15:5)と約束します。 また困った人、貧しい人を助けるようにも命じておられます。 信仰者や教会が、海外宣教の働きや緊急支援にささげるのは、この気前のよい主のみこころを果たすことだ、と信じます。 自分の損得だけ考えるなら、せっかくの祝福を体験できないままになることもありえます。 祈り:神様、あなたの気前のよさで、私はたくさんのものをいただきました。何より、永遠のいのちを信じるだけで、ただでいただきました。感謝します。私も気前よくささげることができるよう、主にある大胆さと勇気を与えてください。アーメン

申命記11-13

通読:申命記11-13、マルコ12:1-27  あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。13:4 主に従うことがいかに大切で幸せになる秘訣かが、繰り返し民に語られています。 人間がいかに感謝を忘れやすい存在かの現れでもあります。 私たちにも心当たりがあります。 でも、自分がじかに通った経験は、単に聞いたことよりもはっきり覚えています。 戦争や災害を伝える「語り部」の話は、それを体験したからこそ聞き手の心にいっそう響きます。 「これら主がなさった偉大なみわざのすべてを自分の目で見たのは、あなたがたである(11:7)」と荒野でモーセは民を励まします。あかし人、主のみわざの語り部になるように、と。 私たちも、キリストの救いを体験しました。その語り部、あかしとしてどんな人でも体験を伝えることができます。 祈り:神様、私の救いの体験、信仰の体験を伝えたいです。つたなくても、聖霊が共にいて働いてくださり、相手の心に届けてくださると信じます。アーメン

申命記8-10

通読:申命記8-10、マルコ11:19-33 「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを知らなければならない。」申命記 8:5 私たちの信じる聖書の神様は、人格をもった方です。ロボットのように機械的に処理したり、切り捨てたりする方ではありません。 「あなたがたの神、主は神の神、主の主、偉大で力があり、恐ろしい神。えこひいきをせず、賄賂を取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる。」(10:17-18) 「恐ろしい」恐れるべき偉大な方であると同時に、弱いものには優しくあわれみ深い方です。 そのような方だから、親が子を訓練するように、私たちのために訓練されることがあります。 それは私たちの成長のため、私たちの益となるためです。 祈り:神様、あなたの訓練を受け取り、成長の糧とさせてください。辛い時あなたに頼り、信頼し、呼び求めることを教えてください。アーメン

申命記5-7

通読: 申命記5-7、マルコ11:1-18   「主はこの契約を私たちの先祖と結ばれたのではなく、今日ここに生きている私たち一人ひとりと結ばれたのである。」申命記 5:3 主の約束は、旧約の時代を越えて今もよいものであることに変わりありません。 「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(5:10) 「彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るようになってほしい。そうすれば、彼らもその子孫も永久に幸せになる。」(5:29) 「それで主は、私たちがこのすべての掟を行い、自分たちの神である主を恐れるように命じられたのである。今日のように、いつまでも私たちが幸せになり、私たちが生かされるためである。」(6:24) 私たちの幸せを願ってくださる主に感謝します。 祈り:神様、あなたの教えは私たちを愛するがゆえのものです。聖書の約束がよくわかり、信仰のチャレンジに応答できますよう導いてください。アーメン

申命記3-4

通読: 申命記3-4、マルコ10:32-52  「ヨシュアに命じ、彼を力づけ、彼を励ませ。彼がこの民の先頭に立って渡って行き、あなたが見るあの地を彼らに受け継がせるからだ。」3:28 リーダーとして長年仕えたモーセ。 しかし、約束の地に自らが入ることはできませんでした。 代わりに次のリーダー、ヨシュアがその祝福にあずかりました。 モーセは神の目には充分果たした、それでよしとされたのでした。 直接の成果を受けることができない時、私たちは複雑な気持ちになります。 神がよしと言われるなら、目に見える手柄や成果は次世代に譲る用意ができているでしょうか。 なかなか難しいチャレンジです。 その神に従ったモーセは、やはり信仰の勇者だと言えます。 祈り:神様、モーセのような信仰の姿勢を与えてください。謙遜に、また次世代の祝福のために祈る者となれますように。アーメン

申命記1-2

通読: 申命記1-2、マルコ10:1-31     「事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」申命記 2:7 旧約聖書の歴史は、神の守りの歴史でもあります。 滅びてしまいそうな民を、神が御手をもって守られました。 特に荒野での四十年、「何一つ欠けたものがなかった」のには驚嘆します。 また、神様はアブラハムとの契約を守られました。 たとえば2:5に 「彼らに戦いを仕掛けてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほどさえも、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイルの山を、彼の所有地として与えたからである。」 とあるように、該当する民とはぶつからないようにと命じられました。 私たちの人生の旅も、神は守ってくださいます。 なぜなら、私たちが信じているのは同じ聖書の神様だからです。 旧約聖書と変わらず、私たちを今日も見守ってくださいます。 祈り:神様、あなたに守られて人生の旅をしていきます。 新年度を前に、環境の変化に直面している信仰の友をお守りください。まだ知らない道、登ったことのない山にも、主が共にいて導いてくださることを感謝します。アーメン

民数記34-36

通読: 民数記34-36、マルコ9:30-50  「これらは、エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、主がモーセを通してイスラエルの子らに命じられた命令と定めである。」民数記36:13 長かった民数記も終わりです。通読お疲れ様でした! この主の命令と定めが、オフィスや定住地でなく、モアブの草原で与えられたことに注目します。 いわゆる現場で、まだ途上でこのような大切なことが語られたのです。 私たちが日々雑事に追われる中でも、神は語ろうとしておられます。 大切なことを聞き逃さないように、そして祈りの必要をつかめるように願いましょう。 祈り:神様、あなたは今日も語られます。引退してからとか休暇中にとか、言い訳をしないよう助けてください。 戦争で危険にさらされる人、不安になる人、戦地にいる人をお助けください。主の平和が速やかに来ますように。格別にイランの教会とクリスチャンたちを守り励ましてください。アーメン

民数記31-33

通読: 民数記31-33、マルコ9:1-29   「祭司アロンは主の命によりホル山に登り、そこで死んだ。それは、イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四十年目の第五の月の一日であった。」民数記33:38 家族の終末期医療(どこまで延命するか)について、医療スタッフと話す機会がありました。 また、エンディングノートにも、自分の人生の終わり方の希望を書くところがあります。 ただ、どんなに希望していても、いのちは人が完全にコントロールすることはできません。それは神の領域です。 旧約のイスラエルの民は、困難な中で主の計画を歩みました。 ガド族とルベン族は、最後まで従うことを約束しました。 アロンは神の命令で山に登り、そこで生涯を終えました。 生涯の最後までキリストに従う決心ができていますか? 祈り:神様、あなたについて行く人生は幸いです。たとえ苦労や困難があっても、主が見捨てず、共にいてくださること、脱出の道を備えてくださることを信じます。生涯の最後まで導いてください。アーメン

民数記28-30

通読: 民数記28-30、マルコ8:22-38  「イスラエルの子らに命じて彼らに言え。 あなたがたは、わたしのための食物、わたしへのささげ物を、わたしへの食物のささげ物、芳ばしい香りとして、定められた時に確実にわたしに献げなければならない。」民数記28:2 「芳ばしい香り」として、どれほどの動物や穀物が焼かれささげられたか、想像もつきません。 たとえとして適切かどうかわかりませんが…、 焼肉屋さんが何十軒も並んでいるようなにおいが、立ち込めていたと想像します。 イエス・キリストにより、これらの規定は不要になりました。 しかし、どれほどの規模があがないのために必要だったか、私たちが知る助けになります。 「こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません。 これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。」 コロサイ人への手紙 2:16-17 祈り:神様、私たちの暮らしとは無縁のように思える箇所が、聖書として与えられている意味がわかりますように。キリストの福音の素晴らしさが、日常生活の実感となりますように。 同時に、世界の戦争や迫害で苦しむ人々のために祈る者となれますように。アーメン

民数記26-27

通読: 民数記26-27、マルコ8:1-21 「アムラムの妻の名はヨケベデで、レビの娘であった。彼女はエジプトでレビに生まれた者で、アムラムにアロンとモーセと彼らの姉ミリアムを産んだ。」民数記26:59 レビ族の、モーセの母についての記述です。 モーセが生まれた時には、殺しきれずにかごに入れて水に流しました。 ファラオの娘がモーセを見つけた時、姉ミリアムの機転で乳母としてモーセを養育することになりました。 王子になったモーセがエジプト人を殺して逃亡した時、もし彼女が生きていたらひどく悲しんだでしょう。 しかし、アロン、モーセ、ミリアムの3人は、百万人を越える民をエジプトから脱出させるリーダーとなりました。 ヨケベデは死に、アロンとミリアムももう死んでいました。 約束の地を前に、モーセも間もなく死のうとしています。 誰がこのような生涯を想像できたでしょう。 神のご計画ははかり知れません。 同じ神は、私たちの人生にも、そして家族の人生にも、私たちの想像できない計画を持っておられます。 その計画は、私たちのいなくなった後で実現することもあります。 祈り:神様、あなたのご計画は大きくて及びもつきません。でも、あなたが良い方であること、約束を果たされる真実な方であることを覚え、信頼します。今週もあなたに聞きながら、一歩一歩歩めますように。アーメン

民数記23-25

通読: 民数記23-25、マルコ7:14-37  「バラムはイスラエルを祝福することが主の目にかなうのを見て、これまでのようにまじないを求めに行くことをせず、その顔を荒野に向けた。」民数記 24:1 バラムという人は、まじないなど、主に喜ばれないことをしていました。 それでも、主の霊が臨んだ時だけ、彼は主の目にかなう言葉を告げます。 「...ヤコブから一つの星が進み出る。 イスラエルから一本の杖が起こり、 モアブのこめかみを、 すべてのセツの子らの064脳天を打ち砕く。(24:17)」 メシアの預言さえしています。 なぜこのような人物を神が用いられたのか、私たちの常識で説明することは難しいdえす。 新約聖書ではバラムは非難されています(2ぺテロ2:15、ユダ11、黙示録2:14)。 それでも、神の知恵は人の知恵に勝っています。 反面教師にしつつ、自分の先入観の危うさと神の知恵の深さとを考えさせられます。 祈り:神様、私の勝手な思い込みや先入観を取り除いてください。弱く思える人でも主は用いることができます。みこころかどうか、聖霊により頼んで判別できますように。アーメン

民数記20-22

通読: 民数記20-22、マルコ7:1-13  「すると主はモーセに言われた。『あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。』」民数記 21:8 プリズン・ミニストリー(刑務所伝道の働き)のあかし本を読んでいます。 刑務所の塀の中で、キリストに出会った囚人は変えられていきます。 きれいごとではなく、社会復帰や再犯防止には、多大な労力が自他ともに払われます。 それでも、キリストにあって新しい人生をやり直そうと志す人を支えていきます。 「仰ぎ見れば生きる」というこの箇所を、イエス様は引用されました。 「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ 3:14-15) 「人の子」つまりキリストにあって、塀の上を見上げていた人がキリストを見上げるようになりました。 私たちも、成績、収入、社会的地位の上ばかり見る者から、まずイエスご自身を仰ぎ見る者へと変えられました。 祈り:神様、今日も主を仰ぎ見ます。落胆するような状況、難しい局面に立たされても、いや立たされる時だからこそ、十字架のキリストを見上げて助けを求めます。アーメン

民数記17-19

通読: 民数記17-19、マルコ6:30-56  「祭司は自分の衣服を洗い、からだに水を浴びる。その後、宿営に入ることができる。しかし、この祭司は夕方まで汚れる。」 民数記 19:7 母が入院している病院の中で、どうしても好きになれない臭いがありました。 マスク越しでも感じられ、家に帰ってからも鼻の奥に残るような気がします。 臭いは目には見えないけれど、洗い流されない限り残ります。 罪も同じで、きよめられない限りまとわりつきます。 祭司はいけにえをささげる時、動物の血や生肉の臭いがついたでしょう。 衣服を洗い、水浴びをするのには、臭いを流す意味もあったと思います。 キリストが私たちの罪を洗い流し、きよめてくださいました。 もうまつわりつく罪のけがれた臭いを恐れる必要はありません。 感謝します。 祈り:神様、様々な実物教材を使って教え示してくださり、感謝します。悪臭をはなつ罪のけがれが、キリストによって洗い流され、きよめられたことの素晴らしさを覚えます。アーメン

民数記15-16

通読: 民数記15-16、マルコ6:1-29  「彼が死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、主の罰は終わった。」民数記 16:48  安息日を破った者、そしてモーセに反逆したコラたちは即座に滅びました。 それだけでなく、不満をぶちまけた者たちにもさばきが行われました。 旧約の記事を読むと、厳しすぎると思うかもしれません。 しかし、昔も今も、主の義の前には小さな罪も罪には変わりありません。 本来は言い訳も申し開きもできないものです。 民が滅ぼされようとした時に、アロンが間に立ちました。 なだめの仲介者としての、祭司の働きを見ます。 キリストが仲介者となってくださったから、私たちは安心して過ごすことができます。 キリストがご自身をささげ、私たちの身代わりになってくださった大きな犠牲を、 このレントの時期に黙想したいと思います。 祈り:神様、キリストが間にたってご自身をささげてくださり、さばきを免れたことを覚えます。私のために、十字架の上でその身をささげてくださり感謝します。アーメン

民数記12-14

通読: 民数記12-14、マルコ5:21-43  「ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」 民数記 14:9 かつて、ハガイセミナーを率いておられたリーダーが私にアドバイスをくださいました。 「あなたの問題は語学力ではない。真の問題は『恐れ』だ」と。 自分の資源や能力のなさに、私たちは無理だと思います。 しかし、その奥には主に信頼しきれない恐れと不信仰があります。 旧約の民も、相手の体格や武力を自分と比較して恐れました。主のみこころは、すっかり抜け落ちていました。 主がともにおられる、恐れてはならない、と励ますリーダー、また私たち自身でありたいと思います。 祈り:神様、私の不信仰と恐れを悔い改めます。 「あなたのみこころなら」という信仰と信頼に立てますように。アーメン

民数記9-11

通読: 民数記9-11、マルコ5:1-20  「雲が長い間、幕屋の上にとどまるときには、イスラエルの子らは主への務めを守って、旅立たなかった。また、雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。 ...二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって、去らなければ、イスラエルの子らは宿営を続けて旅立たなかった。しかし、雲が上ったときは旅立った。」民数記 9:19-20,22 民がいかに戦いに備えていったかがわかります。 主は軍の長、その号令に従って行動するよう、訓練されていきました。 雲で示される出発と待機の印に、理屈でなく従順に従いました。 それが敵に対して強くなる秘訣でした。 私たちは、主の「待て」のサインにどれだけ従えるでしょうか。 つい不安になり、自分の感覚で動きたくなります。 しかし、主の導きこそ、敵に立ち向かう最善の方法です。 焦らず、待機という戦術を学びましょう。 祈り:神様、あなたが確かな導きをしてくださいます。私の肉の焦りから解放してください。主と共に一歩高い信仰の世界に入れてください。アーメン

民数記7-8

通読: 民数記7-8、マルコ4:21-41   「モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある『宥めの蓋』の上から、すなわち二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。」民数記 7:89 「主と語る」というのは、自分だけが話すのではありません。 モーセのように「御声を聞い」ていくことが大切です。 もし、自分の声と思いが邪魔をしてしまうことがあるなら、御声を聞くどんな工夫ができるでしょうか。 祈り:神様、あなたに聞くことができますように。みことばやメッセージを通し、心に響く語りかけを通し、また信仰者の交わりを通し、主の語りかけを聞いていきたいです。アーメン

民数記4-6

通読: 民数記4-6、マルコ4:1-20  「彼らは主の命により、モーセを通して任じられ、それぞれその奉仕とその運ぶ物を受け持った。主がモーセに命じた、主によって登録された者たちである。」民数記4:49 4章では会見の天幕で奉仕をする人たちについて、 5章では償いの規定と、不貞の罪かどうかの判断(罪がなければ心配はいらない)、 6章ではナジル人の聖別、そしてアロンの祝福の祈り が記されています。今の礼拝にも、同じ要素が含まれています。 4章では、天幕でそれぞれの役割を果たしたことに、礼拝や教会でのさまざまな役割により、ともにキリストのからだを建て上げる姿を覚えます。 5章からは、礼拝での悔い改めと、罪の大きさを考えさせられます。もし責められるところがなければ、安心していられます。 キリストがすべての罪を償から解放してくださった恵みを改めて思います。 6章の祈りは、今も祝祷で読まれ祈られています。 祈り:神様、それぞれがからだの部分として、教会を建て上げるよう召されていることを受け取ります。不完全な者が、キリストの恵みによって罪を赦され、祝福を受ける者とされたことを感謝します。アーメン

民数記1-3

通読: 民数記1-3、マルコ3   「さて、モーセとアロンは、これら指名された者たちを伴い、 第二の月の一日に全会衆を召集した。そこで氏族ごと、一族ごとに、二十歳以上の者の名を一人ひとり数えて、その家族表で本人を確認した。 主がモーセに命じられたように、モーセはシナイの荒野で彼らを登録した。」民数記1:17~19 ニッキー・ガンベルは、自らのデボーションガイドの中で、旧約の各書を次のように描写しています(意訳)。 「...出エジプト記で、神の民は解放された人々として表されました。レビ記では聖なる人々として表されました。民数記では戦いに備える力として表されています。 ...イエス・キリストというレンズを通して読むとき、クリスチャン生活は霊的な戦いだと言えます。」 今日の箇所を読むと、民の数を数えたのは荒野ででした。 旅の目的地で落ち着いてからではなく、戦いの直前でもなく、道中でした。 「旅の最中では流動的ではありませんか」と言わず、神の命じられたタイミングでした。 霊的な備えも同じだと言えます。 周囲の状況が落ち着いてからではなく、戦いがいつ起こっても向かえるように、今備えを始めるのです。エペソ6章で、日々神の武具を身につけるように列挙されているとおりです。 民数記を通して、さらに霊的戦いへの備えを確認することを期待します。 祈り:神様、荒野で一人一人が数えられたように、。私もあなたの目に数えられていることを感謝します。霊的な攻撃は周囲からも、私自身の内面でもやってきます。個人も教会も、さらにみことばと神の霊に強められて歩めますように。アーメン

レビ記26-27

通読: レビ記26-27、マルコ2      「もし、あなたがたがわたしの掟に従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、わたしは時にかなってあなたがたに雨を与える。それにより地は産物を出し、畑の木々はその実を結ぶ。...あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、安らかに自分たちの地に住む。また、わたしはその地に平和を与える。...」 レビ記 26:3、4、6 レビ記の煩雑(に思える)な決まりは何のためだったでしょうか。 今日の箇所を読むと、それは人の幸せのためだったとわかります。 聖書の神は、私たちを愛し恵みたいと思われる方です。 私たち人間を丁寧に創造され、扱ってくださるお方です。 下の規定も、今の社会制度でなじみのある原則です。 「イスラエルの子らに告げよ。人が人間の評価額にしたがって主に特別な誓願を立てるときには、その評価額を次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男子なら、その評価額は聖所のシェケルで銀五十シェケル。...六十歳以上なら、男子の評価額は十五シェケル、女子は十シェケル。その人が落ちぶれていて評価額を払えないなら、その人を祭司の前に立たせ、祭司が彼の評価をする。...」レビ記 27:2-3,7-8 シルバーや子どもには負担が低く、また困窮している人には事情に合わせて額が決められます。 イエス・キリストが十字架にかかり、律法から解放してくださった今、レビ記の規定を私たちが文字通り守る必要はありません。 でも、そこに流れる原則と神の愛を学ぶことは現代でも大切だと言えます。 祈り:神様、なぜこのような命令が与えられたのかを知りました。創造主のデザインにかなって歩むことが幸せの秘訣です。みこころを歩めるよう、これからも導いてください。アーメン

レビ記25

通読: レビ記25、マルコ1:23-45 「あなたがたは五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰る。」レビ記 25:10 50年目はヨベル(またはジュビリー Jubilee)の年です。 解放の宣言と安息の一年です。 耕作しない、借りが免除になるというのは、一方では感謝ですが、もう一方では信仰が試されます。 必要が満たされるのか。 これからやっていけるのか。 主への信頼が真に問われる時です。 狭山福音教会は50年、主の守りで歩んできました。 もう一度それを確認し、原点にかえって主への信頼を強くしましょう。そうして、次の歩みに踏み出しましょう。 祈り:神様、あなたの守りを感謝します。教会にも、私個人の歩みにも、主がともにいてくださいました。将来への漠然とした不安や不信仰を、主の足元におきます。導いてくださることを信じます。アーメン

レビ記23-24

通読: レビ記23-24、マルコ1:1-22  「最初の日に、あなたがたは自分たちのために、美しい木の実、なつめ椰子の葉と茂った木の大枝、また川辺の柳を取り、七日間、あなたがたの神、主の前で喜び楽しむ。」レビ記 23:40 今日の箇所を読むと、厳しいだけでない、多彩で豊かな主にある生活が旧約時代でさえ行われていたことがわかります。 儀式的なささげものや集会ではありませんでした。 七日間も「主の前で喜び楽しむ」ことがゆるされています。 キリストによって解放された私たちの信仰生活は、本来もっと自由と喜びに満ちているのだと思います。 礼拝や集会に参加することも、単なる儀式ではありません。 主の前で喜び楽しむ要素があります。 感謝総会も同じでした。主の守りと恵みを見る、「喜び楽しむ」時でした。 祈り:神様、あなたの守りと恵みに感謝します。あなたの前で喜び楽しむ機会が、いっそう与えられていることを覚えます。悔い改めゆるされた恵みをともに味わう、霊の家族を祝福してください。アーメン

レビ記21-22

通読:  レビ記21-22、マタイ28  「彼らは淫行で汚れている女を妻としてはならない。また夫から離縁された女を妻としてはならない。祭司は神に対して聖だからである。」レビ記 21:7 祭司への基準が続きます。 祭司は「あなたの神のパンを献げる(21:8)」 ために、聖別されていたからです。 一方で、後の預言者ホセアには不思議な召しが与えられました。 「…主はホセアに言われた。『行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は主に背を向け、淫行にふけっているからだ。』(ホセア1:2)」 どちらも、私たちもは遠い存在に思えます。 しかし、神様のきよさとあわれみとが私たちの思いや常識を越えたものだということを知ります。 よくわからないことはわからない、として読むことも、聖書を読む上での謙遜な態度です。 祈り:神様、あなたのみこころが理解できないことがあります。でも、あなたがきよく、同時にあわれみ深いよい方だと信じます。信仰を与え続けてください。アーメン

レビ記19-20

通読:  レビ記19-20、マタイ27:51-66 「あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。」レビ記19:18 イエス様は、重要な命令として「隣人を自分自身のように愛しなさい(ルカ10:27)」と言われました。 ささげものや食物規定はキリストの十字架で全うされました。 しかし、モラルに関するもので、新約聖書でも継続しているものは、時代を越えて適用されています。 老人への尊敬、寄留者への配慮(32-33節)も、隣人を愛することのあらわれです。 感謝総会が終わり、主の群れの歩みをふりかえりました。教会も、この原則を実践するときに祝福されます。 祈り:神様、私たちが愛されてきたことを確認しました。私たちに隣人を愛する心を与えてください。小さなことでも、あなたの愛を頂き実践できますように。アーメン

レビ記17-18

通読: レビ記17-18、マタイ27:27-50 「実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。」レビ記 17:11 定められたやり方で血をささげるようにとの規定です。 18章では、エジプトやカナンの乱れた風習に流されてはならないと教えられます。 「あの人もやっているから」「皆がしている、『普通』のことだ」という言い訳は通用しません。 今もSNSの誹謗中傷の書き込みや、学校のいじめに加担させようとする圧力があります。 しかし、人がどう思うかより、神がどう望まれるかにより関心を持つ生き方が、今日の私たちにも求められています。 祈り:神様、困難な時代です。SNSやAIの影響が大きい中、傷ついている人が多くいます。主の慰めと癒しを与えてください。 また、同調圧力に屈してしまわないよう、みことばを握り歩む勇気を私にも与えてください。アーメン

レビ記15-16

通読: レビ記15-16、マタイ27:1-26 「八日目に彼女は自分のために山鳩二羽か家鳩のひな二羽を取り、それらを会見の天幕の入り口の祭司のところに持って行く。」レビ記 15:29 「アロンは、自分のための罪のきよめのささげ物である雄牛を献げ、自分と自分の家族のために宥めを行う。」 レビ記 16:6 ごく普通の男女も、幕屋で主のもとに近づく大祭司も、きよめのささげものが必要でした。しかも毎回! 身分、性別、貧富などにかかわらず、どの人もきよめられなければなりません。 ローマ3:23-24には 「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」 とあります。 すべての人が罪人でした。 ところが、それをすべて支払ってくださったのが、イエス・キリストだったのです。 莫大な動物の犠牲でも支払いきれないほどの素晴らしいことを、いのちをかけて私たちにプレゼントしてくださいました。 祈り:神様、想像がつかないほどの価が、キリストにより支払われたのだとわかりました。そして、救いのがどんな人にも提供されるという、あなたの気前の良さにも驚いています。理解が及ばないほどの、あなたの愛と恵みに感謝します。アーメン

レビ記14

通読: レビ記14、マタイ26:51-75  「祭司は雄の子羊一匹を取り、それを油一ログと一緒に献げて代償のささげ物とし、それを奉献物として主の前で揺り動かす。」レビ記 14:12 ツァラアトからの癒しはひと苦労でした。 動物や鳥、油、水…どれほどの手間がかかったことでしょう。 また、祭司の仕事がきれい事で済まないこともわかります。 患部を間近で調べ、動物の鳴き声と血を浴び、生ぐさい臭いをかぎ、時には有害なカビの広がる家を訪問しました。 祭司も民も、その繰り返しでした。 イエス・キリストは、完全な癒しと回復をもたらす方です。 ご自身をとらえに来た者をさえ、癒された方です。 (ペテロが大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落としたとき、イエスは「やめなさい」と言われ、耳を癒されました。マタイ 26:51-52、ルカ22:51) この方の完全な癒しにより、私たちは救いと無限の繰り返しからの解放を得ました。 祈り:神様、罪の悪循環をキリストの十字架で断ち切ってくださり、感謝します。 解放と癒しの大きさを今日もじっくり思い巡らします。アーメン

レビ記13

通読: レビ記13、マタイ26:26-50 「祭司は七日目に再び彼を調べる。もし患部が薄れ、その患部が皮膚に広がっていなければ、祭司は彼をきよいと宣言する。それは、かさぶたである。彼は自分の衣服を洗う。こうして彼はきよくなる。」 レビ記 13:6  ツァラアトという皮膚病について、きよめに至る規定が続きます。 神様は何を教えたかったのでしょうか? 身体の健康だけでしょうか? 今日の私たちは、この規定を通し、 内面も汚れが感染し広がること、 きよめられる必要があることを学びます。 イエス様はこう言われました。 「外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。人の中から出て来るものが、人を汚すのです。」マルコ7:15 内面は、イエス様のあがないによらなければきよめられません。 また、日々霊的な健康を調べ、問題があるなら永遠の大祭司であるキリストに診て頂きましょう。 祈り:神様、霊の健康にもっと関心を持てますように。外面だけでなく内面の衛生状態に気づかせてください。アーメン

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