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ヨブ記38-40

通読:ヨブ記  38–40;  使徒  16:1-21   「ヨブは主に答えた。『ああ、私は取るに足りない者です。あなたに何と口答えできるでしょう。私はただ手を口に当てるばかりです。』」ヨブ記 40:3~4 神の摂理の前には、文句も不平もないこと、 自分を正しいと主張するのもむなしいことを、 ヨブは悟りました。 不完全さを認めた人に、神は恵みを与えてくださいます。 あれもこれもどっちつかずになるよりは、 焦点をしぼって主の望まれることを行うことが大切だと思います。 誕生日ごとに、半年ごとに、自分の進む方向を主に聴き、確認する時間を意識的に持ってみませんか。 祈り:神様、あなたの知恵と望まれる方向性を教えてください。雑多なことで私の小さな心がかき回され、あなたが見えなくなることがありませんように。大切なことを大切にできますように。アーメン

ヨブ記36-37

通読: ヨブ記  36–37;  使徒  15:22-41 「今、光は見ることができない。 それは雨雲の中に輝いている。 しかし、風が吹いて雲を払いのけると、北から黄金の輝きが現れ、 神の周りには恐るべき威厳がある。」ヨブ記37:21-22 雲の上には太陽が輝いている、と神の絶え間ない臨在を語るエリフ。 先が見えない状態の時、それは励ましとなることもあります。 しかし、エリフ自身も神の姿が見えていないのではとも思えます。 神がヨブにかけたいことばをかけておらず、彼自身も神を雲の向こうにしか見えていないからです。 うつの人に「がんばれ、がんばれ」と言うのは逆効果です。 頑張ってきて、これ以上頑張る力がないほど枯渇し、うつになるからです。 良かれと思ったことが逆効果になります。 神の励ましと人の励ましもこれに似ているかもしれません。 自らの限界と不完全さを知ることが、神を見る第一歩ではないでしょうか。 祈り:神様、自分の正しさや理論をふりかざすことがありませんように。謙遜な心を今一度与えてください。知っていると思う者が何も知らないという事実に、目を開かせてください。アーメン

ヨブ記34-35

通読: ヨブ記  34–35;  使徒  15:1-21 「『ヨブは知識もなしに語る。 彼のことばは聡明さに欠けている』と。どうか、ヨブが最後まで試されるように。 彼は不法者のように、ことばを返すからだ。」ヨブ記34:35-36 聡明なはずのエリフも、だんだんヨブを批判する言葉を発するようになりました。 他の3人と同じことを繰り返しています。 疲れもあったでしょう。 しかし、話しているうちにだんだんと感情が高まり、口に制御がきかなくなったのかもしれません。 私たちも、冷静でいようと思います。しかし、言葉数が多くなるにつれて私たちの心の底にある罪深い性質が口から出てしまいます。 ご一緒に、ヤコブの手紙3章の、舌(口から出る言葉)の危険を読み直しましょう。 祈り:神様、失言やことばの失敗を重ねてきました。許してください。傷つけた人に慰めを、愛に満ちた心で徳をたてあげる言葉を与えてください。アーメン

ヨブ記32-33

通読:ヨブ記  32–33;  使徒  14    「なぜ、あなたは神と言い争うのか。 自分のことばに、 神がいちいち答えてくださらないからといって。神はある方法で語り、 また、ほかの方法で語られるが、 人はそれに気づかない。」ヨブ記33:13-14 「神が即答されないから祈っても無駄だ」、という短絡的な思考に陥りがちです。...特に疲れている時には。 ですから、静まり安息することは、神の前に正しいことなのだと教えられます。 私たちが生きているのは忙しくするためではなく、神の栄光を表すためです。 神は彼をあわれんで仰せられる。 「彼を救って、 滅びの穴に下って行かないようにせよ。 わたしは身代金を見出した」と。(33:24) エリフの言葉の「彼」に自分の名前を入れて読んでみましょう。「身代金」はすでにキリストによって支払われています。あくせくしなくても大丈夫です。 祈り:神様、あなたにあって安息することを教えてください。主の素晴らしさを味わい、深い心の喜びと平安を見いだすことができますように。アーメン

ヨブ記30-31

通読: ヨブ記  30–31;  使徒  13:26-52 「神は私の道をご覧にならないだろうか。 私の歩みをすべて数えておられないだろうか。」ヨブ記31:4 ヨブはこれまで自分が正義と善行に歩んできたことを列挙します。 確かに、彼は正しく人格的にもすぐれた人でした。もちろん正しい人は祝福されるでしょう。 しかし、神の恵みは行いだけではありません。 なにもできず、十字架でイエスの横にはりつけられた強盗にも、救いの御手はのばされています。 立派な人ほど、自己義のわなに陥りやすいとも言えます。 恵みを受けた弱い人とも、共に喜べる者になれますように。 祈り:神様、あなたの恵みを感謝します。私が救われたのも恵みによることを覚えます。自分の弱さを棚にあげて他者を裁くことがありませんように。永遠のいのちをいただいた恵みを、共に味わわせてください。アーメン

ヨブ記28-29

通読: ヨブ記  28–29;  使徒  13:1-25  「神は知恵の道をご存じであり、 神こそ、それがある場所を知っておられる。それは、神が地の隅々までを見渡し、 天の下をことごとく見ておられるからだ。」ヨブ記28:23-24 いくつもの用事が重なるときや、判断を迫られる場面が多いとき、「知恵がないなあ」と痛感します。 そして後でくよくよ考えたり反省したりします。 ヨブ記は「神は知恵の道をご存じだ」と明確に述べます。 神は、人間のカウンセラーやすぐれた指導者をはるかにしのぐ方です。 その方に日々祈ってすがることができる幸いに感謝します。 祈り:神様、あなたの知恵と導きが必要です。懸案の○○について、主におゆだねします。導いてください。アーメン

ヨブ記25-27

通読: ヨブ記  25–27;  使徒  12 「見よ、これらは神のみわざの外側にすぎない。 私たちは神についてささやきしか聞いていない。 御力を示す雷を、 だれが理解できるだろうか。」ヨブ記26:14 神様の働きは、時に私たちの想像を越えすぎて、理解できないことがあります。 計画のスケールが大きすぎて、働いておられることが見えないことすらあります。 後ではっと気づくとき、偉大さに畏れを抱きます。 そんな経験があるでしょうか。もしあるなら、素晴らしいあかしです。 祈り:神様、あなたがすべてを支配し、治めておられることを信じます。アーメン

ヨブ記22-24

通読:ヨブ記  22–24;  使徒  11  「今そうでないからといって、 だれが私をまやかし者だと言えるのか。 だれが私のことばをたわごとと見なせるのか。」ヨブ記24:25 「人はうわべを見るが、主は心を見る(サムエル記第一16:7)」ということばを思い出します。 難民キャンプ、ホームレスの人々は、ともすれば「助けてあげる存在」と低く見られがちです。同じ人間なのに。臭いや身なりでも、人を判断しがちです。 いかに、その時のうわべしか見ていないかと思わされます。 ヨブの得てきた信頼も、親切も、すべて人の印象には残らなくなりました。うわべが悲惨だからです。 しかし、主はどんな時もその人の心を見てくださいます。主に造られたかたちとしての人格を尊重してくださいます。 祈り:神様、私たちの認知がいかに表面的なものかを知りました。へりくだって主の前に出ます。アーメン

ヨブ記20-21

通読: ヨブ記 20–21;  使徒  10:24-48  「なぜ悪しき者が生きながらえて 年をとっても、なお力を増し加えるのか。」ヨブ記21:7 ここまででなくても、「信仰のない人が楽しくうまく豊かにやっている。それなのに、私には苦労がやってくる」と聞くことがあります。 苦難の底辺にいたときのヨブの素朴な問いは、私たちの多くによぎる問いかもしれません。 短期的にはそう見えるでしょう。しかし、2つのことが考えられます。 1.第三者が外から見ていては、本当の状況はわからない: 「隣の芝は青い」と言います。よさそうに見えていても、当人はたまらない苦労を抱えていることがあります。表面の印象だけで実情ははかれません。 2.地上の人生だけで終わりではない: 永遠の視点で眺めた時、必ず主の前に立ち裁きを受けることが決まっています。神を否定し、自分勝手に生きていくなら、その報いを必ず受けます。逆に主に信頼した人は、永遠のいのちとよい報いを受けます。 祈り:神様、比較のわなから救ってください。そして永遠の視点、信仰の視点から物事を見ることができますように。アーメン

ヨブ記17-19

通読:    ヨブ記  17–19;  使徒  10:1-23 「私は知っている。 私を贖う方は生きておられ、 ついには、土のちりの上に立たれることを。」ヨブ記  19:25 旧約聖書の中でも、やがて来る希望がこのように明らかに宣言されていることを知ります。 しかもそれが、苦難の真ん中を通っているヨブの口から発せられたというのは驚きです。 彼は苦しいながらも、人生をあきらめていませんでした。 神の働きに期待していました。 私たちの人生観はどうでしょうか。 祈り:神様、あなたに頼る日々の歩み、人生は幸いです。祈りながら優先順位をつけ、与えられた人生をまっとうできますように。祈りつつ今週も歩みます。アーメン

ヨブ記14-16

通読:  .  ヨブ記  14–16;  使徒  9:22-43 「私の友は私を嘲る者たち。 しかし、私の目は神に向かって涙を流します。 その方が、人のために 神にとりなしてくださいますように。 人の子がその友のためにするように。」ヨブ記16:20~21 友人は何度も、ヨブの訴えに付き合ううち、いらいらしてきたのでしょうか。 上から目線で、なんとかなだめよう(あるいは正論を押し付けよう)とします。 しかし、ヨブにとっては 「そのようなことは、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、人をみじめにする慰め手(16:2)」でしかありませんでした。 見舞いに来たのに、励ましになっていませんね。 人のために神にとりなしてくださる方...それがイエス・キリストです。 神に向かって涙を流すとき、真の友となってくださいます。 そしてキリストの霊である聖霊が、信じる人の内に住まれます。 その方がとりなしていてくださるというのは、どれほどの慰めでしょう。 祈り:神様、出口がないような思いで苦しんでいる○○さんを覚えていのります。イエス様がまことの友であり、とりなしの祈りをしてくださる方だとわかりますように。深い慰めと希望を感じることができますように。アーメン

ヨブ記11-13

通読: ヨブ記  11–13;  使徒  9:1-21 「ああ、あなたがたが沈黙を守っていたら、それがあなたがたの知恵となっていただろうに。」ヨブ記13:5 ヨブの友人たちは、ヨブの苦難が罪を犯したからだと考えます。 しかし、苦難=罪の結果 ではありません。 短絡的な因果応報ではないのです。 「正しい人がなぜ苦しみにあうのか」はヨブ記を通じたテーマです。 そして、今日の私たちの問いでもあります。 神の深いご計画を、知り尽くすことができないからです。 それでも、苦難にある人を知ったかぶりで励ましたり教えたりするのは、その人をますます傷つけ苦しめます。 うまく良いことを言えない、と思う必要はありません。 祈り心で「黙して寄り添う」ことが最上の励まし、ということもあります。 ヨブにとってもそうでした。 祈り:神様、苦難を通る人への言葉に、慎重になれますように。「聴く」者にならせてください。まずあなたに聴き、他者の心を聴く者としてください。アーメン

ヨブ記8-10

通読: ヨブ記  8–10;  使徒  8:26-40  「そのとおりであることを、私は確かに知っている。しかし、人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのか。」ヨブ9:2 理想はわかっていても、そうできないところに葛藤がある...。私たちの多くが思うことです。 完璧な人間はいません。 完璧な神様の前に、正しくあり得る人はいないのです。 しかし、キリストが私のために十字架にかかり、彼を救い主と信じる者には義の覆いをかけてくださいました。 「キリストを着る」なら、正しい者とみなされます。 何度考えても、「なぜそこまで」と不思議に思えるほどの、神の素晴らしいあわれみです。 祈り:神様、あなたの計り知れないご計画を感謝します。ただただ一方的な恵みで受け取りました。素晴らしい主をもっと愛したいです。アーメン

ヨブ記5-7

通読: ヨブ記  5–7;  使徒  8:1-25  「 人とは何ものなのでしょう。 あなたがこれを尊び、これに心を留められるとは。」7:17 苦悩の中にあるとき、格好をつけている余裕はありません。 あの(立派だった)ヨブも「ですから、私も自分の口を制することをせず、 霊の苦しみの中で語り、 たましいの苦悩の中で嘆きます(7:11)」と言いました。 神様は、どんな祈りをぶつけても怒られる方ではありません。本音で祈る、心からの祈りを受け入れてくださいます。 それは、神である主が人を造り、人を愛し尊び、心を留め、ご自身とコミュニケーションをとることを喜ばれるからです。 AIに話しかけ、相談にのってもらう人が増えているそうです。うまく用いれば、私たちの生活を助けてくれるでしょう。 しかし、AIには人格がありません。学習させられたことを出力しているにすぎません。 でも、人格を持たれ、誰よりも私たちをよく知って愛してくださる神様に、私たちは話しかけることができるのです。 祈り:神様、あなたともっと親しくなれますように。孤独を感じている人が、主とお出会いできますように。私たちを造り愛してくださる方に、信頼することを教えてください。アーメン 祈り: 「ああ、幸いなことよ、神が叱責するその人は。 だから、全能者の訓戒を拒んではならない。」5:17

ヨブ記 3–4

通読:ヨブ記  3–4;  使徒  7:44-60 「しかし今、これがあなたに及ぶと、あなたはそれに耐えられない。これがあなたに至ると、あなたはおじ惑う。」 ヨブ記 4:5 元気な頃は、周囲の人や友人をケアし、助言を与え励ましてきたヨブ。 今は彼にも、彼のたましいのケアをしてくれる人が必要でした。 周囲のケアをしてきた人なら、自分自身にもケアが必要なことを自覚しているかもしれません。 カウンセラーのためのカウンセラー、コーチのためのコーチが必要です。 牧師のための牧師も、やはり必要です。 私たちは生身の人間ですから。 時に疲れ、弱さを覚える私たちにとって、相互にケアする信仰の友は貴重な存在ですね。 祈り:神様、私に信仰の友を与えてくださり感謝します。お互いに祈り支え合い、弱さを主の元にともに持っていける友である○○さん、○○さん、..の存在を感謝します!アーメン

ヨブ記 1–2

通読: ヨブ記 1–2; 使徒 7:22-43 「彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられなかった。彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。」ヨブ2:12 妻の他すべてを失い、病気にまでなったヨブでした。 そこに友人たちが「慰めようと、互いに打ち合わせて」来ました。 遠くから見てもヨブとはわからないほどになっていました。 かれらは泣き、嘆きました。 かける言葉もなく、七日間黙してヨブと共に座っていました。 この後対話が続きます。 慰めるどころか、かえってヨブを苦しめるような言葉もありました。 でも、この最初の部分、かけつけて共に泣いたことは、彼らのベストの慰めだったのではと思います。 専門家でなくても、私たちも「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」ことはできます。聖霊の働きとキリストのあわれみの心を頂いて。 祈り:神様、自己中心的で冷たい心から、主の愛と深い共感のできる心を与えてください。比較から生じる優越感や嫉妬から解放され、純粋な心で歩ませてください。アーメン

エステル9-10

通読: エステル記 . 9–10;  使徒  7:1-21    「自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。」 エステル記 9:22 「プリムの祭り」の由来と内容です。 敵からの解放が、毎年喜び祝い、貧しい人々へ手を差し伸べるお祭りの日になりました。 私たちも記念日にお祝いすると共に、感謝を慈善団体への寄付や記念献金で表すことができます。 次の誕生日には試してみませんか。 祈り:神様、生かされていること、罪の支配から解放されたことに感謝します。実際にも感謝を表す者とさせてください。アーメン

エステル6-8

通読: エステル記 6–8;  使徒  6 「こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。」 エステル記 7:10 逆転、胸のすくような見事な展開です。 でもこれがおとぎ話でなく、命のかかった出来事だったということに、身の引き締まる思いです。 神への祈り、そして神のみわざは、命がけです。 イエス・キリストご自身も、いのちをかけて十字架で見事な救いの道を開いてくださいました。 祈り:神様、信仰はファッションでも観念でもなく、いのちのかかった重大なことです。キリストの救いを、素晴らしい人生の一大決断として受け取り分かち合います。アーメン

エステル3-5

通読: エステル記 . 3–5;  使徒  5:22-42 「もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」エステル4:14  世界情勢が変わり、日本の国内が変わり、世代も常識も経済も変わり、先行きが見えない(どの時代も私たちに先行きは見えないのですが)中、何のために生きているのかと思うでしょうか。 エステル記を読む中、私たちが今ここに生きているのは、「このような時のためかもしれない」のです。 ある人はエステルのように、ある人はモルデカイのように、ある人は共に断食し祈った民のように。 名前が残るかどうかは問題ではありません。「その他大勢」 の一人一人の人生はストーリーです。「私は、死ななければならないのでしたら死にます。(4:16)」と覚悟を決める瞬間があります。 神様は、その一つ一つの決断、信仰を覚えてくださっています。 祈り:神様、私たちが信仰に立って行う小さな選択、大きな決断を導いてください。私たちには先を見通すことはできませんが、主に祈り、みことばと確信を頂いて決めることができて感謝します。アーメン

エステル1-2

通読: エステル記 . 1–2;  使徒  5:1-21 「さて、モルデカイが引き取って自分の娘とした、彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」2:15 エステル記の舞台は、バビロン捕囚から3~4代が経ったペルシアです。 エステルは在留異国人で、両親を早くに亡くし、いとこモルデカイの養女となっていました。 育ちは恵まれた境遇ではありませんでしたが、エステルの性格と性質、態度には品格があり、周りの人からも好感のもてるものでした。 私たちには、生育境遇や容姿など、変えられないものがあります。でも、神を愛し従う中で、キリストの品性を身にまとうことができます。素晴らしいと思いませんか? 祈り:神様、私の人格と生き方にイエス・キリストが影響を与えてくださることを感謝します。一歩一歩、良い香りを放つ者となれるよう、今日も導いてください。アーメン

ネヘミヤ12-13

通読: ネヘミヤ記 . 12–13;  使徒  4:23-37 「また私はレビ人に、安息日を聖なるものとするために、彼らが身をきよめ、門の見張りとして来るように命じた。 私の神よ、このことにおいても、どうか私を覚えていてください。そして、あなたの豊かな恵みにしたがって私をあわれんでください。」ネヘミヤ13:22 ネヘミヤは忍耐し、祈り続けました。 あんなに忠誠を約束した人々は、すぐ好き勝手な方向に流れました。妨害する敵の思うつぼのような行動をしました。ネヘミヤにとってはショックと落胆の連続だったかもしれません。 しかし、彼はたゆみなく主を見上げて頼り続けました。「人間に頼るな。鼻で息をする者に(イザヤ2:22)」。人は当てになりませんが、神だけが変わらず真実な方です。 祈り:神様、人にがっかりさせられ、陰口やうわさで人間関係が怖くなっている人にお語りください。あなたこそ変わらない、唯一の真実な方であることがわかりますように。主に頼れば安心できることを体験させてください。アーメン

ネヘミヤ10-11

通読: ネヘミヤ記 . 10–11;  使徒  4:1-22 「彼らの親類のすぐれた人々と歩調を合わせつつ、神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に歩み、私たちの主、主のすべての命令、その定めと掟を守り行うという、次のような、のろいの誓いに加わった。」ネヘミヤ10:29 日本語で「のろいの誓い」というとドキッとしますが、決してしないと決意表明した「のろい」と誓いです。 親類と相談しつつ、どのように律法を守るかをよく吟味し決意したことは、捕囚前後の社会を改革することでした。 もっとも、それを守り続けることは難しく、堕落はたやすいことでした。 私たちも「聖書を必ず○○だけ読もう」「毎日○分祈ろう」と決めても、それを続けることの難しさを知っています。古い良くない習慣をたちきることも、自分の力では難しいのです。 しかし、イエス・キリストはそんな私たちのために十字架で救いを完成されました。そのキリストの霊、聖霊の力が、自分ではどうしようもない悪い習慣や堕落から解放してくださるのです。 祈り:神様、どんな人にも弱さがあり、私自身も自分の限界をいやというほど知ります。聖霊の助けと十字架の解放に日々戻り、頼ることができますように。アーメン

ネヘミヤ7-9

通読: ネヘミヤ記  7–9;  使徒  3 「捕囚から帰って来た全会衆は仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエルの子らはこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。」ネヘミヤ8:17 城壁は、わずか52日で完成しました(6:15)! 人々は喜びの礼拝をささげます。集まり、エズラが律法の書(みことば)を朗読すると「アーメン、アーメン」と礼拝しました。毎日みことばが朗読され、ずっと休止していた主の祭りの準備がされ、これまでの罪を告白して悔い改めました(9:2)。 そして、それらを表した文書に調印しました。 主の前にライフスタイルを整え、主を第一とした時に、平和と喜びが来ます。お金で買うことのできない、心の深いところの平安です。 アメリカとイランの合意が整ったということです。世界に平和が来ますようにという祈りも、私たちが日々ささげるとりなしの祈りです。 祈り:神様、私のライフスタイルを整えることができるよう、助けてください。第一のものを第一にします。人生の目的が主の元にあります。また、平和を祈るものとならせてください。一つの戦争が終わりに向かうことに感謝します。貧困、差別、搾取にあえぐ所に、主の愛と必要が届きますように。私の身の回りの小さなところでも、祈りながら実践できますように。アーメン

ネヘミヤ4-6

通読: ネヘミヤ記 4–6;  使徒  2:22-47 「…ああ、今、どうか私を力づけてください。」ネヘミヤ 6:9 ネヘミヤのうめきのようなこの祈りに、読むたび励まされます。 素晴らしいリーダーや人格者でも、私たちと同じ人間です。問題が降りかかってきた時、うろたえたり腹を立てたりするのは当然です。 「彼らの抗議と、これらのことばを聞いて、激しく腹を立てた」( 5:6) しかし、 「十分考えたうえで、有力者や代表者たちを非難して言った」(5:7) のは、十分祈って考え、責めたのでした。その祈りは、うめきと天を仰いで助けを切望するものだったでしょう。 今日、天を仰いでうめきの祈りをするなら、今日も生きておられる主は聞いていてくださいます。 祈り:神様、今日も私の切なる祈りを聞いていてくださり感謝します。あなた以外に頼るものはありません。万事休すの状態にあっても、絶望して心がしなびないよう、私たち一人ひとりをお守りください。アーメン

ネヘミヤ1-3

通読: ネヘミヤ記 . 1–3;  使徒  2:1-21  「王は私に言った。『では、何を望んでいるのか。』私は天の神に祈ってから、王に答えた。『もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。』」エズラ2:4-5 ネヘミヤは有能な政府の高官でした。彼を一言で表すなら「祈りの人」です。 エルサレムの荒廃を聞いた時、彼はまず「泣き」、「断食して天の神の前に祈った」とあります(1:4)。 王の前でも、心は祈りでした。エルサレム城壁の再建が神からのみこころだと確信し、この後大胆に自分の願いを王に伝えます。 一人の部屋での祈りがあり、瞬間の祈りがあります。 私たちもネヘミヤのように様々な祈りをもって一週間を過ごせますように。 祈り:神様、都度都度に祈る心を与えてください。あなたがどんな時でも共にいてくださり、聞いてくださり、導いてくださる方であることに感謝します。アーメン

エズラ9-10

通読:エズラ記  9–10;  使徒  1  「エズラが神の宮の前でひれ伏して、涙ながらに祈り告白しているとき、男や女や子どもの大会衆がイスラエルのうちから彼のところに集まって来た。民は涙を流して激しく泣いた。」エズラ10:1 いたずらをした子どもの反応には2通りあります。一つは知らないふりをする、あるいは人のせいにする反応。もう一つは、「ごめんなさい!」と非を認め、時には泣きながら謝る反応。 どちらが好ましいかは明らかです。 エズラが指導した当時の人々は、後者の姿勢で父なる神の前に出ました。 そして、そこから「希望」(10:2)が生まれました。 大人になって、素直に非を認めることは難しいですが、勇気をもって決断した人たちには希望が与えられました。 祈り:神様、私もなかなか非を認めにくい者です。柔らかな砕かれた心で、主の前に、また人の前に出ることができますように。アーメン

エズラ記6-8

通読: エズラ記  6–8;  ヨハネ . 21  「すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。」エズラ7:9 6章と7章の間には期間があります。7章でエズラが登場します。 「エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた(7:10)」人でした。 そして、「神の恵みの御手」があったことが繰り返し語られます。 それは、信者でない異国の王にも恵みとあわれみの心を起こさせました。 日本はクリスチャンが少ないと言われます。それでも、教会や聖書に好意的な人たちは多いです。神の恵みの御手は、私たちの身近にも及んでいます。 祈り:神様、主の恵みの御手が私たちにも及んでいることを感謝します。身近な生活の中で、主の恵みを数える心で過ごせるように導いてください。アーメン

エズラ3-5

通読: エズラ記  3–5;  ヨハネ  20 「そこでシェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた。」エズラ5:2 教会で大きな取り組みや新しいミニストリーを始める時、必ずといってよいほど問題や攻撃がやってきます。 エズラたち帰還の民が神の宮を再建しようとした時も同じでした。 ...彼らは主を賛美し、感謝しながら 「主はまことにいつくしみ深い。 その恵みはとこしえまでもイスラエルに」 と歌い交わした。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな主を賛美して大声で叫んだ。(3:11) と始めたのに、敵が妨害してしまい、工事が中断していました。 しかし、ゼルバベルとヨシュア(ヨシュア記とは別人)が再び「立ち上がり」ました。また、預言者たちが「一緒にいて」彼らを助けました。 立ち上がる人、そして一緒にいて助ける人がいるなら、主の事業は進んでいきます。今問題に圧倒されているなら、主が助け手を起こしてくださるよう、また自分自身もよい助け手となれるよう祈りましょう。 祈り:神様、問題がきた時、主のみこころなら必ずなると信じる信仰を与えてください。また、その確信に基づいて、立ち上がる人、一緒にいる人とならせてください。教会の各リーダー、一人一人の霊性を強め、励ましてください。アーメン

エズラ記1-2

通読:   エズラ記  1–2;  ヨハネ 19:23-42  「バビロンの王ネブカドネツァルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。」エズラ2:1 エズラ記の始まりは、歴史映画の幕開けのようです。威厳のあるペルシア王の宣言で始まります。しかもそれは、主がかつて約束された通りでした! まさに歴史を動かす神、歴史を支配される神です。神にとって不可能はありません。 帰還する人のリストが2章にあります。しかし、あの12部族の名前は見当たりません。 捕囚の地で細分化され、ルーツがよくわからない人もいました。 生粋のベツレヘム人はわずか123人でした(2:21)。 この後長年にわたって人々の往来や変遷があり、イエス・キリストの生まれる村としてベツレヘムは用いられていきます。 小さくても、目立たない群れでも、神様の摂理とご計画に用いられることがあるのだという恵みを知ります。 祈り:神様、あなたが小さな者にも目を止めてくださることに感謝します。卑下し続けるわなから守ってください。主にある健全なセルフイメージを持ち、あなたの恵みにとどまることができますように。アーメン

Ⅱ歴代誌34-36

通読: Ⅱ歴代誌34–36; ヨハネ19:1-22 「これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」 Ⅱ歴代誌36:21 無理をして休みなく働き続けると、体調を崩してもっと休まなければならなかったという経験がありますか? 神に造られた身体のリズムは、神が最もよく知っておられます。 それで、人に安息日を定められたのでした。 土地をはじめ、被造物のリズムと休息も、神が定められました。 限度を越えると土地はやせ、環境破壊が起こります。 ヨシヤ王の治世の後、国は荒れ、とうとう滅びとバビロン捕囚が起こりました。 「彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の住まいをあわれまれたからである。ところが、彼らは神の使者たちを侮り、そのみことばを蔑み、その預言者たちを笑いものにした」(36:15-16)結果でした。 しかしそれは、地にとっては安息の時、帰還に備えて回復する時でした。 70年後、主の約束通り帰還が始まります。 当初の読者は、直接的に主のあわれみと真実さを悟ったことでしょう。 この主は今も生きておられ、働いておられます。 祈り:神様、一時的な痛みや苦しみも、あなたの恵みにより回復することを感謝します。歩みをふりかえり、あなたのリズムと摂理に謙遜に従えますように。次世代への信仰のバトンを渡すことができますように。アーメン

Ⅱ歴代誌 32–33

通読:  Ⅱ歴代誌  32–33;  ヨハネ 18:19-40 「しかし、彼は苦しみの中で彼の神、主に嘆願し、父祖の神の前に大いにへりくだり、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうしてマナセは、主こそ神であることを知った。」歴代誌 第二 33:12-13 ヒゼキヤとは対照的に、偶像礼拝と身勝手な統治をしたマナセ王でした。 しかし、人生の危機の中で、とうとう彼は悔い改めました。 すると、神は彼の祈りを拒絶することはありませんでした。 今、主を拒絶したり侮辱したりしている人でも、その人が悔い改めるなら神はあわれみ、救ってくださいます。 家族、同僚、友人知人のために、祈り続けましょう。 祈り:神様、あなたの恵みとあわれみは尽きないことを改めて知りました。だからこんな私も救われました。これからも祈ることをあきらめないように、希望を失わないように助けてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 30–31

通読:  Ⅱ歴代誌 30–31;  ヨハネ . 18:1-18 「ヒゼキヤはユダの全地でこのように行い、その神、主の前に、良いこと、正しいこと、真実なことを行った。」  Ⅱ歴代誌 31:20 どんな人の人生も完璧ではありません。 それでも、後世の記者にこのように覚えられる王は幸いです。 今も残るヒゼキヤトンネル(ヒゼキヤが建設した地下水路)は、人々が今日も彼を慕っていることを表しています。 私たちは、生涯をどのように覚えられたいでしょうか。 祈り:神様、あなたの前に真実な人生を歩めますように。アーメン

Ⅱ歴代誌 28–29

通読:  Ⅱ歴代誌  28–29;  ヨハネ 17  「ヒゼキヤ王と高官たちが、ダビデおよび先見者アサフのことばをもって主を賛美するようにレビ人に命じると、彼らは喜びつつ賛美した。そして、一同はひざまずいて伏し拝んだ。」Ⅱ歴代誌29:30 親を反面教師とした王が、ここにいました。 ヒゼキヤは悪王アハズの子であるのに、父親とは異なる姿勢で臨みました。 彼は主の宮をきよめ、賛美とささげものしました。かつての統一王国の王、ダビデの楽器に合わせて、主の歌とラッパが始まりました。 しかも、一同は「喜びつつ」賛美し、礼拝しました。彼らの喜びは主から来ました。 今日も、主を見上げて心から礼拝するとき、不思議な平安と深い喜びが与えられます。問題からひととき目を離し、主を見つめることができますように、と祈りつつ集いましょう。 祈り:神様、様々な問題の中で歩んできました。それでも、今日も礼拝をします。人との比較や目先を見るのでなく、主が支配しておられることを信じることを選び取ります。導き、平安を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 25–27

通読:    Ⅱ歴代誌  25–27;  ヨハネ 16 「しかし、彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は自分の神、主の信頼を裏切った。香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入ったのである。」Ⅱ歴代誌26:16 フィッシング・ウェル・ミニストリーのワング牧師によると、良い終わり方をすることはとても難しいそうです。信仰に立っていたのに、最後はうまく終われなかった、という例が実に多いそうです。 ウジヤ王もその一人でした。初めは良かったのに、強くなると心が高ぶり、ついに滅びを招きました。この記事を読むと、 「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(1コリント10:12)」 のみことばを改めて思い出します。 このとき、「祭司アザルヤが、主に仕える八十人の勇敢な祭司たちとともに入って来(26:17)」ました。 王にとっては、正しいことを言う彼らが煩わしかったでしょう。しかし、こうした人の存在が貴重であることは、聖書があかししています。 私たちも、合わない人、気に入らないことを言う人が身近にいるかもしれません。しかし、それが聖書的で主のこころにかなっているなら、そうした人の存在が私たちを失敗から救ってくれるのかもしれません。 祈り:神様、良い終わり方ができるように助けてください。愛と信仰をもって助言してくれる人を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 23–24

通読: Ⅱ歴代誌  23–24;  ヨハネ  15  「エホヤダは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。死んだとき、彼は百三十歳であった。 16 彼はダビデの町に王たちとともに葬られた。彼がイスラエルにおいて、神とその宮に対して良いことを行ったからである。」Ⅱ歴代誌24:15-16 歴史を描いた小説やドラマは好きですか?時に血なまぐさい戦いのシーンは苦手ですが、昔と今の人間模様が変わらないのは興味深いです。 歴代誌が記録しているのは、日本の戦国時代のような旧約聖書の分裂王国時代です。 食うか食われるか、という時代に、祭司エホヤダの果たした役割は大きいものでした。 国と王が正しい決断をするために助言しただけでなく、「七年目に、エホヤダは奮い立って...(23:1)」と、神の霊により勇敢に行動を起こした人でした。 今の時代、信仰者は万人祭司として召されています。言い換えれば、エホヤダと同じ責任があります。今日、身辺の状況にどのように反応しますか。 祈り:神様、身の回りで起こることについて、祈り判断できるように助けてください。聖霊によって奮い立たせてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 21–22

通読:  Ⅱ歴代誌  21–22;  ヨハネ  14  「しかし、王の娘エホシェバは、殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し、寝具をしまう小部屋にその子とその乳母を入れた。祭司エホヤダの妻でアハズヤの妹である、ヨラム王の娘エホシェバが、ヨアシュをアタルヤから隠したので、アタルヤは彼を殺せなかった。」 Ⅱ歴代誌  22:11 かくれんぼで隠れ、見つかりそうになる時のドキドキを思い出します。息を殺し、探しに来た人があきらめて離れるのを待ちます。それが命がけなら、どんなに緊張しドキドキするでしょう! ユダ王国の悪い時代、ヨアシュっは乳母と小部屋にかくまわれて命拾いをしました。その後も6年間、神殿に身を隠しました。 ニッキー・ガンベルは彼の状態を、「彼の前のモーセのように、また彼の後のイエスのように」と形容しています。 モーセもかごに入れられ、ナイル川に流されて命びろいしました。 イエスもエジプトに逃れ、ヘロデの虐殺から命びろいしました。 彼らは、神の計画がなるために生かされました。 今日、私たちが生かされているのも、神のご計画のうちにあります。 生きがい探しをしているなら、神のご計画という視点をもって人生を眺めましょう。 祈り:神様、私たちが生きているのは、あなたの愛と良いご計画のためであることを感謝します。生きがいを失ってむなしく感じる人がいるなら、主の導きを求め、主にあって生きる希望を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌19–20

通読:  Ⅱ歴代誌 19–20;  ヨハネ . 13:21-38 「彼は民と相談し、主に向かって歌う者たちと、聖なる装いをして賛美する者たちとを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう言うためであった。『主に感謝せよ。 その恵みはとこしえまで。』」Ⅱ歴代誌20:21 ヨシャファテ王が戦いのため最前線に立てたのは、武器を持った者ではありませんでした。 賛美をする者たちでした。 しかも、戦いに際して、作戦会議ではなく国中で断食と祈りを行いました。 ばかばかしいと思いますか?いいえ。その結果、相手には同士討ちが起こり、ヨシャファテ側は流血することなく勝利を治めました。 第一のものを第一にすることを学びます。 私たちは、追い詰められると自分で動きたくなります。しかしその前に、主への賛美と祈りを置くことができるなら幸いです。 祈り:神様、どうしたらよいのかわからなくなる時は、主への賛美と祈りで始めることができますように。主の導きを求める者としてください。アーメン

Ⅱ歴代誌17–18

通読:  Ⅱ歴代誌 17–18;  ヨハネ 13:1-20 「彼(ヨシャファテ)の心は主の道を大いに誇りとし、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。」Ⅱ歴代誌17:6 「ミカヤは答えた。「主は生きておられる。私の神が私に告げられることを、そのまま述べよう。」」Ⅱ歴代誌18:13 「推し」という言葉を知っていますか?「私の推しは○○です」のように使われます。この言葉は近年のものですが、ファンクラブや熱狂的ファンは昔から存在しました。 有名なグループの解散前コンサートは、推し、ファンにとってとても大切な時だったようです。 「私の推しは主です」と言えますか。ヨシャファテ王や預言者ミカヤはそうでした。キリストの弟子たちもそうでした。 また、今日まで多くの人が同じ熱い気持ちで礼拝し、ささげ、時には迫害や殉教の道をたどりました。 人は老い、引退し、やがて変わっていきます。しかし、主は決して変わらず、いつも共にいてくださいます。私たちを愛し、永遠のいのちを与えるこの方こそ「推し」にふさわしい方です。 祈り:神様、私に熱い信仰を与えてください。あなたをより深く知り、愛し、ついていきたいです。その思いをクリスチャン一人一人に与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌15–16

通読: Ⅱ歴代誌 15–16、 ヨハネ  12:27-50 「そのとき、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来て、彼に言った。「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手から逃れたのです。」Ⅱ歴代誌16:7 困った時、誰に相談しますか?頼りになる人たちがいてくれるのは幸いです。 でも、主以上に人に頼るなら、立ち止まって見直すようにと今日の箇所は教えてくれます。 「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。」(16:9) 「心」は何を第一としているでしょうか。2レプタをささげたやもめの、主を愛する心を思いめぐらしましょう。 祈り:神様、あなたの愛と力を過小評価することがないように、もっと聖霊に頼ることを教えてください。主の声を聞き、誰よりも頼りにできるよう、信仰を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌13-14

通読: Ⅱ歴代誌13-14、ヨハネ12:1-26  「アサは自分の神、主を呼び求めて言った。『主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に向かって来ました。主よ、あなたは私たちの神です。人間が、あなたに力を行使することのないようにしてください。』」Ⅱ歴代誌14:11 アサ王は治世の前半、主に祈りながら治めました。 それで、危機を経験したときも揺らぎませんでした。 もっとも、聖書は当時の文脈を理解しながら読む必要があるわけで、 戦争が良いというわけではありません。 名前だけで、キリストの福音を理解しない「自称クリスチャン」が海外の政治リーダーの中にもいるのは残念です。 また、信仰を自分の政治イデオロギーの道具に利用することも本末転倒です。 イエス様は「平和をつくる者は幸いです」と言われました。 祈り:神様、信仰が戦争や紛争の道具に用いることがありませんように。イエス様の姿は、平和と柔和、寛容でした。私にも聖霊の実を結ばせてください。尋ねる人には、優しく、親切に、主の霊によって説明できますように。アーメン

Ⅱ歴代誌10-12

通読: Ⅱ歴代誌10-12、ヨハネ11:30-57  「主が、彼らのへりくだった様子をご覧になると、シェマヤに次のような主のことばがあった。『彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与える。わたしの憤りがシシャクの手を通してエルサレムに注がれることはない。』」Ⅱ歴代誌12:7 レハブアムは良い王ではありませんでした。 長老の助言に従わず、若者たちの勢い(ノリ?)に従い、王国の分裂を引き起こしました。 しかし、神は預言者シェマヤを通して警告や助言を与えてくださいました(11:2-4, 12:5)。 ダビデやソロモン、そして信仰に立つ預言者や人々の祈りに応え、語りかけることをやめないでいてくださったのです。 さらに王がへりくだると、神は守りと助けを与えてくださました。 神様の忍耐深さと愛には圧倒されます。 反抗する者に対する恵み深さを知った私たちも、反抗期の子どもたちや批判的な人たちに、もっとおおらかで広い心を持てるよう、主に助けていただきましょう。 祈り:「われらに罪をおかす者を われらがゆるすごとく われらの罪をも ゆるしたまえ」と主の祈りにあります。神様、あなたが私をゆるしてくださったゆえに、私もゆるす者となれるよう、狭い心を造り変えてください。○○さんをゆるしたいですから、心の苦みを取り去ってください。アーメン

Ⅱ歴代誌7-9

通読: Ⅱ歴代誌7-9、ヨハネ11:1-29  「わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす。」Ⅱ歴代誌7:14 捕囚から荒れた故郷に帰り、生活を再建していた民にとって、これは希望のことばでした。 「人の罪の故に土地が荒れ果てる、と聖書は繰り返し語っています。 現在、地球温暖化の影響で砂漠化が進み、海面が上昇するなどして、人や他の生き物が住めない地域が急拡大しています。それに加えて、紛争や戦争、貧困と自然災害によって飢饉が広がっています。大地が癒されるために、人類に何が求められているでしょうか。」(聖書を読む会『歴代誌』より) 今の世界情勢、そして国内の戦前を思わせる空気感、邪魔な運動を排斥しようとする動きなどに、危うさを感じます。 このような時こそ、主の名で呼ばれている信仰者が、へりくだって悔い改めの祈りをささげるように召されています。 祈り:神様、あなたの前にへりくだって祈ります。国内外で罪ゆえに起こる、紛争や破壊をとどめてください。SNSの中傷や、従わない者を邪魔者として排斥するような全体主義の動きをとどめてください。アーメン

Ⅱ歴代誌4-6

通読: Ⅱ歴代誌4-6、ヨハネ10:24-42  「ラッパを吹き鳴らす者たち、歌い手たちが、まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルと様々な楽器を奏でて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた。」Ⅱ歴代誌5:13 神殿が完成すると、ソロモンは契約の箱を運び込みました。そして賛美をささげました。 「まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた」とは、何と美しい光景でしょう。 賛美に神はこたえてくださいました。 「祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。」(5:14) 賛美できないと思える時こそ、意志を用いて「賛美をしてみる」という選択をしましょう。 自分では感じなくても、そこに聖霊が働かれ、神の栄光が表されます。 祈り:神様、嬉しい時も、到底賛美できないと思える時にも、あなたを見上げ待ち望むことに気づかせてください。イエス様が疲れた人を招いてくださったことに感謝します。私もそこに憩うことを選びます。アーメン

Ⅱ歴代誌1-3

通読: Ⅱ歴代誌1-3、ヨハネ10:1-23 「ソロモンは、エルサレムのモリヤの山で主の宮の建築を始めた。そこは、主が父ダビデにご自分を現され、ダビデが準備していた場所で、エブス人オルナンの打ち場があったところである。」 Ⅱ歴代誌3:1 金剛山の登山口に行く時、いつも千早赤阪村の「森屋」という交差点を通ります。 通るたびに同じ発音の「モリヤの山」を思い出します。 エルサレムのモリヤの山は、旧約聖書の重要な場所です。 アブラハムがイサクをささげるために行った場所で、徹底的な従順を学びました。 また、ダビデが正当な対価を払ってオルナンから土地を買った所でした。 そして今、そこにソロモンが神殿を立てようとしています。神がいなければできない、大変な事業でした。ソロモンは神への信頼を学びました。 定点観測のように、聖書の出来事と人々への神のレッスンが行われています。 私たちは、同じ所で日々寝起きしているかもしれません。 平凡に見えても、そこが神からさまざまなレッスンを受ける特別な場所として与えられていることを信じます。 祈り:神様、平凡な日々の風景の場所で、主が導き訓練し、大切な信仰のレッスンを与えてくださることを信じ感謝します。アーメン

I歴代誌28–29

通読: I歴代誌28–29; ヨハネ 9:24-41 「ダビデ王は全会衆に言った。『わが子ソロモンは、神が選ばれた、ただ一人の者であるが、まだ若く力もない。しかしこの工事は大きい。なぜなら、この宮は人のためではなく、神である主のためのものだからである。』」歴代誌 第一 29:1 王となるソロモンのことを、ダビデは「まだ若く力もない」と言いました。 それに比べて、神殿建設は一大プロジェクトでした。 謙遜になり、民の協力がなければできない、ということを示そうとしたのでしょう。 同時に、ダビデが自分の財産を工事のためにささげたこともわかります。 「そのうえ、私は、私の神の宮に対する喜びとして、聖なる宮のために準備したすべてのものに加えて、自分の宝としていた金銀を、私の神の宮のために献げる。」(29:3) 「そうして、今日、自ら進んで、その手にあふれるほど主に献げる者はいないか」(29:5) とチャレンジしました。 リーダーがまず見本を示し、続く人たちが同じようにできるように整えました。 ここに、聖書的なリーダーシップのあり方を見ることができます。 祈り:神様、ダビデの姿勢を学びました。イエス様ご自身が、まず先頭に立って仕えることをなさいました。私も謙遜に仕える者となりたいです。今立てられているリーダーたちのことも覚えてお祈りします。私がよいフォロワー(従う者)にもなれますように。アーメン

I歴代誌25–27

通読:    I歴代誌25–27;  ヨハネ . 9:1-23 「彼らは、下の者も上の者も、達人も弟子も、みな同じように任務のためのくじを引いた。」 I歴代誌25:8 この時、奉仕をする人たちは年齢や地位、役割にかかわらず、平等にくじを引いたのでした。 今も、神の前には全ての人が平等です。 救いも平等なら、やがてさばきも平等に行われます。 祈り:神様、あなたの公平なまなざしを感謝します。アーメン

I歴代誌22–24

通読:   I歴代誌22–24;  ヨハネ . 8:28-59  「そこで、わが子よ、主があなたとともにおられ、主があなたについて語られたとおり、あなたが、あなたの神、主の宮を立派に建て上げることができるように。」Ⅰ歴代誌22:11 自分がしたかったことを他の人がした時、うらやましくなりますか。 「私がやりたかったのに」と。 でも、一人であれもこれもすべてをすることはできません。 特に、主の働きは世代や場所を越えたチームワークなのだと思います。 ダビデは資材を豊富に用意しましたが、自身で神の宮を建てることは許されませんでした。 代わりに、子どものソロモンが建てるのだ、と神様はおっしゃいました。 ダビデは、自らの役割である素材集めに徹しました。 そして、建設そのものはソロモンに託します。 ソロモンは、建設計画の青写真があって、どれほど助かったでしょう。 私たちも、誰かの召しのために素材集めをするダビデのような役回りかもしれません。 主にある誇りを持って、その働きをしていきましょう。 祈り:神様、ゆだねられたことを忠実にして、次世代や他の人が建て上げるための助けとなれますように。私に与えられた奉仕を、主がくださった名誉な働きとして受け取ります。アーメン

I歴代誌19-21

通読:   I歴代誌19–21;  ヨハネ . 8:1-27  「ダビデ王はオルナンに言った。『いや、私はどうしても十分な金額で買いたい。あなたのものを主に献げるわけにはいかない。費用もかけずに全焼のささげ物を献げたくないのだ。』」 I歴代誌21:14 ダビデは、主の宮を建てるために人のものを利用しようとはしませんでした。 自分で正当な対価を払って土地を得ました。 アブラハムも、かつてサラを葬る墓地を対価を払って買いました。 教会の中では互いに支えあっています。 しかし、この世に対してはあかしとなるよう、そして主のものとなるように、常識的な取引が大切な時があります。 一時的に損をしたように思っても、主のために正当な手順をふみ聖別することが、結果としてよいことがあると学びます。 祈り:神様、周囲の方たちを覚えてお祈りします。教会の周辺で予定されている工事の一切に、主が守りと導きを備えてください。教会が鳩のように素直で蛇のように敏くありますように。アーメン

I歴代誌16-18

通読:   I歴代誌16-18  ;  ヨハネ . 7:28-53  「わたしは、わたしの家とわたしの王国の中に、彼をとこしえまでも立たせる。彼の王座はとこしえまでも堅く立つ。」I歴代誌17:14 聖書66巻を繰り返し通読する必要性を、ハガイセミナーを通して改めて学びました。 聖書全体はイエス・キリストをあかしするものであり、救済史としてある程度のスピードで読み全体をつかむことが、信仰者として大切であるという勧めに、なるほどと納得しました。 主は、ダビデの家系が永遠に立つという約束をされました。 それは、ダビデの家系から生まれてくださったキリストにおいて実現しました。 神の約束は、実に何百年というスケールで続いていきます。神の偉大さとスケールの大きさを、聖書を読み通すことで俯瞰することができるのです。 読まないのは勿体ないですね! 祈り:神様、あなたの大きく深いご計画の一端を、聖書を通して私たちに明らかにしてくださり感謝します。まだまだ知らないこと、理解できないことが多いです。あなたの偉大さに、ダビデのようにひれ伏し、心からの感謝と賛美を捧げる者としてください。アーメン

I歴代誌13-15

通読:  I歴代誌13-15 ;  ヨハネ . 7:1-27  「全イスラエルは歓声をあげ、角笛、ラッパ、シンバルを鳴らし、琴と竪琴を響かせて、主の契約の箱を運び上げた。」歴代誌第一 15:28 「急(せ)いては事をし損じる」ということわざがあります。 急いで何かをすると失敗するものだ、と、軽はずみにあわてる行動を戒めるものです。 13~15章は、ダビデが主の契約の箱を運ぶことについて記録されています。 王権と契約の箱とは密接に関連していました。 性急に移動しようとした13章では、神の定めた方法を取りませんでした。 そのため、ウザが箱に触れて死ぬという悲しい結果に終わりました。 15章では、改めてレビ人が招集され、民数記4章に書かれた手順に従って運搬されました。 私たちも、良さそうに見えるから、できそうだから、と、自分の力だけに頼って飛びつくと失敗します。 祈り、心を整え、神のタイミングと方法に期待して歩みましょう。 祈り:神様、あのこと、このことが気がかりで、デボーションよりも先走ってしまいそうになります。まずあなたの前に心静め、与えられた残りの時間であなたが私にせよと言われることに落ち着いて取り組ませてください。アーメン

I歴代誌10–12

通読:   I歴代誌 10–12;  ヨハネ . 6:45-71  「そのとき、御霊が補佐官の長アマサイをおおった。『ダビデよ、私たちはあなたの味方。エッサイの子よ、私たちはあなたとともにいる。平安があるように。あなたに平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。』ダビデは彼らを受け入れ、部隊のかしらとした。」歴代誌第一 12:18 もともと歴代誌は、捕囚から帰還した人々に向けて書かれました。 捕囚の間も帰還してからも、苦しい生活が続いていました。その中で、主が歴史を支配しておられるという励ましを受けたことでしょう。 旧約時代にも、聖霊は豊かに働いておられました。特定の人に臨み、ここではアマサイという人物を通してダビデを、そしてそれを読む読者を励ましています。 まもなくペンテコステです。 聖霊が信じるすべての人に与えられる時代に、私たちは生きています。 主の霊はおどろおどろしいものではなく、励ましと平安を与える方です。この方ともっと親しくなり、日々導きを受け取っていきましょう。 祈り:神様、あなたが与えてくださる平安と励ましを感謝します。聖霊について、その働きについて、純粋な心でもっと理解できるよう助けてください。アーメン 彼らに近い者たちも、イッサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、ろば、らくだ、らば、牛に載せて食べ物を運んで来た。小麦粉の菓子、干しいちじく、干しぶどう、ぶどう酒、油、牛、羊などが数多くあった。イスラエルに喜びがあったからである。( 歴代誌 第一 12:18,40 SKY17 )

I歴代誌7–9

通読:  I歴代誌 7–9;  ヨハネ . 6:22-44 「レビ人の一人、コラ人シャルムの長男とマティテヤは、平たい菓子を作る務めを任された。また、ケハテ族の彼らの同胞のうちには、並べ供えるパンを担当し、安息日ごとに用意する者たちもいた。歴代誌 第一 9:31-32 」 さまざまな主の宮の奉仕がありました。 目立つ奉仕もあれば、ほとんど人目にふれないようなものもありました。 私たちも同じです。目立たない奉仕や働きで、「あの人のようになれない」とがっかりすることがあるかもしれません。 けれども、主がくださった賜物、割り当ててくださった働きなら、それが最もふさわしく、深い喜びの人生になります。 比較のわなにはまらないよう、今日の私が置かれた状況をぐるりと見渡してみましょう。 感謝できることが、一つ、二つと見えてきます。 祈り:神様、あなたの与えてくださったものを喜び受け取ります。他の人のようでなくても、私に与えられた環境と機会を、喜びをもって味わいます。比較のわな、羨みの罪から守ってください。アーメン

I歴代誌4–6

通読:   I歴代誌 4–6;  ヨハネ . 6:1-21 「ユダの子は、ペレツ、ヘツロン、カルミ、フル、ショバル。」  I歴代誌 4:1 「シメオンの子は、...」(4:24) 「イスラエルの長子ルベンの子孫。」(5:1) 「ガドの子孫は、...」(5:11) 「レビの子は、...」(6:1) アブラハムの孫ヤコブ(イスラエル)の子どもたちそれぞれの系図が記されます。 歴代誌は、捕囚で異教徒に支配され、神の民であるという自覚が揺らぎ、礼拝もおろそかになっていた人たちへの励ましでした。 どの部族に属していても、名を呼ばれ、自分のアイデンティティを確認しました。 私たちも、信仰によってアブラハム契約を受け継ぐ者となりました。 周囲の状況がどうあれ、神様は今日も私たちの名を呼んでくださいます。 祈り:神様、自分が何者かわからなくなるような時、孤独の時、あなたが名前を呼んでくださることに感謝します。神の民として歩む励ましを、私にも日々与えてください。アーメン

I歴代誌1-3

通読:  I歴代誌 1–3;  ヨハネ 5:25-47  「アダム、セツ、エノシュ、」 歴代誌 第一 1:1 歴代誌の始まりは系図が延々と続きます。 退屈だなあ…と思うかもしれません。 その初めは最初の人類、アダムです。 ということは、すべての人類に関係があります。 この系図がダビデへとつながり、そこからイエス・キリストの系図へと続きます。 つまり、すべての人の永遠のいのちにも関係があります。 祈り:神様、人類の歴史を貫く神の壮大な救いの計画を覚えて感謝します。アーメン

Ⅱ列王記24–25

通読:Ⅱ列王記24–25; ヨハネ5:1-24 「ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日、バビロンの王エビル・メロダクは、王となったその年のうちにユダの王エホヤキンを牢獄から呼び戻し、優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。」Ⅱ列王記25:27-29 あれだけ神様からの警告があったのに、それを無視して偶像礼拝と退廃に陥った国は滅び、人々はバビロン捕囚となりました。 「神が愛なら、どうしてそんな目にあわせるのだ」と言うでしょうか? 神様は預言者を立てておられました。 それなのに、「王がほしい」と言い出したのは人の側でした。 警告をたびたびなさいました。 それなのに、聞かなかったのも人の側でした。 国が滅びて終わりでしょうか? いえ、この後に回復がやってきます。 神のあわれみは尽きません。 歴代誌では、列王記と同じ時代を信仰と神の宮の視点から再度見ます。 祈り:神様、絶望の中にも主の希望があることを教えてくださり、感謝します。今日直面している難問や試練の中にも脱出の道がある(1コリント10:13)ことを受け取ります。アーメン

Ⅱ列王記22–23

通読: Ⅱ列王記22–23; ヨハネ4:31-54  「主を求めるためにあなたがたを遣わしたユダの王には、こう言いなさい。『...そのとき、あなたは心を痛めて主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──主のことば──。それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。...』」列王記第二 22:18-20 わずか8歳で王になったヨシヤでしたが、その治世は主のこころにかないました。 発見された主のおしえの書を読み、悔い改めて従おうとしました。 その姿勢に、主はヨシアの生涯を守ると言われました。 ともすれば、自分が安泰ならそれでよし、となりそうです。 しかし、ヨシヤは違いました。 さらに続いて、国を主のみこころに沿うよう改革していきました。 「ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。(23:25)」 ヨシヤのように、信仰者として周囲にも、社会にも、主の平和をもたらす者となれますように。 祈り:神様、私を自己中心のわなから救ってください。周囲や社会に平和をつくる者として、あなたのみこころのために用いてください。アーメン

Ⅱ列王記19–21

通読: Ⅱ列王記19–21; ヨハネ4:1-30  「ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取って読み、主の宮に上って行き、それを主の前に広げた。ヒゼキヤは主の前で祈った。」列王記 第二 19:14 クレームや誹謗中傷の手紙やメール、SNSの投稿を受け取ったことがありますか? 文字通り頭がくらくらし、心は傷つきパニックになります。 敵からの手紙を読んだヒゼキヤも、同じような気持ち だったでしょう。 しかも、彼には国を率いる責任がありました。 彼はどうしたか。 「主の宮に上って行き、それを主の前に広げた。ヒゼキヤは主の前で祈った」のでした。 「…主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください」(19:16)と、問題を主の元に持っていき、訴えました。 どうしようもない時、今日も主が聞いて介入してくださいます。 祈り:神様、自分でどうすることもできない辛い時でも、あなたの元にすべて持っていき、心を注ぎ出せることを感謝します。あなたこそ盾です。私を、家族を、教会をお守りください。アーメン

Ⅱ列王記17–18

通読: Ⅱ列王記17–18; ヨハネ. 3:19-36  「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。」Ⅱ列王記18:5 北イスラエルは、とうとうアッシリアによって征服されてしまいます。 一方、南ユダでは同じ頃、主を信頼するヒゼキヤ王が即位しました。 アッシリアが攻めてきてピンチが迫る、というのが今日の箇所です。 (もちろん、ヒゼキヤ王はこの難局を主の助けで乗り越えるのですが...) ヒゼキヤが主の信頼してリーダーシップをとったように、今も信仰によってリーダーシップをとるリーダーが求められています。 ヒゼキヤの建造した水路は、現在まで残っています。 彼の生涯の見習うべき点を、もう少し読んでいきましょう。 祈り:神様、あなたを信頼するリーダーが起こされますように。リーダーシップをゆだねられている信仰者一人一人が主の知恵に満たされ、置かれた場所で祈りつつ仕えることができますように。アーメン

Ⅱ列王記15–16

通読:  Ⅱ 列王記 15–16;  ヨハネ 3:1-18 「主がかつてエフーに告げられたことばは、『あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く』ということであったが、はたして、そのとおりになった。」 Ⅱ 列王記 15:12 北のイスラエル王国と南のユダ王国の王朝史が交互に記されているので、二重に歴史を読んでいる感じがすると思います。 エフーは北イスラエルで28年間王でした(10:36)。バアル崇拝のリーダーたちを滅ぼし ました。歴代誌第二でもまた登場します。 主が彼に約束されたことは、「はたして、そのとおりにな」りました。 王位交代が入り乱れ、国としては弱っていく中で、神のことばは間違いなく成就していきました。 私たちの歩みにも、時に予想外の波瀾万丈な出来事があるかもしれません。 それでも、主は変わりなく治め、私たちを見捨てることはありません。 人が私たちを見捨てたように思っても、この主に期待していれば大丈夫です。 祈り:神様、あなたの約束の確かさを覚えて感謝します。主のご計画と愛は変わらず、私を見捨てることもなさいません。あなたに頼ることができる幸いに感謝します。アーメン

Ⅱ列王記13–14

通読:  Ⅱ 列王記 13–14;  ヨハネ 2 「こうして、エリシャは死んで葬られた。モアブの略奪隊は、年が改まるたびにこの国に侵入していた。」 Ⅱ 列王記 13:20 「ユダの民はみな、当時十六歳であったアザルヤを立てて、その父アマツヤの代わりに王とした。」 Ⅱ 列王記 14:21 預言者エリシャは北王国のイスラエルで働き、死にました。 南王国ユダではアマツヤが死に、アザルヤ(ウジヤ)王が即位しました。イザヤ書に出てくる王です。 「彼(北王国のヤロブアム2世)は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。」(14:25) アミタイの子ヨナとは、ヨナ書に出てくる人物です。 列王記や歴代誌には、様々な人名が出てきます。 旧約聖書の後半にある預言書、その預言者たちのほとんどがこの時代に働きました。 後半の預言書を読む時には、今読んでいる背景があるのだと思い出してみましょう。 困難な中でも神のことばを伝え生き抜いた彼らの姿勢が、今日の私たちへの励ましとなることでしょう。 祈り:神様、昔も今も試練を通った信仰者がいることを覚えます。知的な理解で済ませるのでなく、霊で理解できますように。聖書の励ましを、実生活に適用することを教えてください。アーメン

Ⅱ列王記10–12

通読:  Ⅱ 列王記 10–12;  ヨハネ 1:29-51 「また、工事する者に支払うように金を渡した人々が精算を求められることはなかった。彼らが忠実に働いていたからである。」  Ⅱ 列王記12:15 母の日です。教会ではファミリー礼拝を持ちます。 どんなに平和な時代でも、家庭やコミュニティの中に争いや悲劇が起こることがあります。 反対に、時代がどんなに悪くても、家庭やコミュニティの中に平和をつくることは可能です。 イスラエルとユダの2つの王国に分裂し、悪い時代でした。 それでも、忠実に働く人がいて、金銭的にもクリーンに工事を行いました。 時代がどうであれ、私たちも平和をつくる者となることを求めましょう。 祈り:神様、世の中が暗く問題が多くても、主にある希望の光はいつも輝いています。キリストにあって、その光を反映する者とならせてください。アーメン

Ⅱ列王記7–9

通読:  Ⅱ 列王記 7–9;  ヨハネ . 1:1-28 「しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。」 Ⅱ 列王記8:19 ひとことで言えば、とんでもない王たちの入れ替わりです。 国を堕落させ、滅亡に追い込むような人物も出てきます。 しかし、ダビデとの約束を神様は守られました。 神様は約束を決して破ることがありません。 聖書に書かれている、私たちへの神の約束もまた、真実です。 どのみことばの約束に信頼していますか。 祈り:神様、みことばを握って歩むことができますように。あなたこそ私たちの希望です。「わたしはすでに世に勝った」と言われたイエス様の勝利に感謝します。アーメン

Ⅱ列王記4–6

通読:  Ⅱ 列王記 4–6;  ルカ  24:36-53 「すると彼は、『恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから』と言った。」 Ⅱ 列王記6:16 エリシャが行った奇跡は、イエス・キリストの地上でのわざに通じるところがあります。 4章:油、子どもの癒し、解毒、大人数の給食 5章:ナアマンの癒し 6章:斧の発見、アラム軍の撃退 もっとも、イエス・キリストはご自身が神であり、神の御力で行われました。 対して、エリシャは主の力と霊により、主のみこころを行いました。彼自身の力ではありませんでした。神が、エリシャという人を用いて栄光を現されたのでした。 私たちは、力も能力も限られています。 しかし、無限の力のある主に頼り、祈り求めることはできます。 今日も主は生きておられます。 そして、奇跡や主の不思議なわざも、超自然的に、あるいは人を通して行われています。 あきらめずに祈りましょう。 祈り:神様、あなたは生きておられます。エリシャの時代と変わらず、今もすべてを支配しておられます。主のみこころを行ってください。今日も救われる人が起こされるよう、私たちに熱い願いを起こしてください。トラクトやチラシ、ホームページを用いてください。アーメン

Ⅱ列王記1–3

通読:  Ⅱ 列王記 1–3;  ルカ . 24:1-35 「ヨシャファテは言った。『ここには、主のみこころを求めることができる主の預言者はいないのですか。』すると、イスラエルの王の家来の一人が答えた。『ここには、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です。』」列王記 第二 3:11 ここで、見習うことのできる点がいくつかあります。 ・ヨシャファテ王は、戦いの前に主のみこころを求めた。 ・エリヤは、後継者エリシャを教え、主の働きができるよう訓練していた。 ・エリシャは、主の召しによって立たされ、確信をもって働いていた。 ・家来は、主の預言者として立てられている人物を即答できた。 教会やミニストリーでも、必ず交代の時期はやってきます。 後継者といって軽く扱わず、たとえ頼りなく思えても、主が立てられた器を尊重する謙遜さを身に付けましょう。 また、今はクリスチャン一人一人が主のみこころを求めることができます。 ヨシャファテ王のように、危急の時だからこそ主に求め、みこころに従う態度でいましょう。 祈り:神様、どんな時でもあなたの御顔を求めたいです。変化の時、窮地に立った時、交代の時、あなたのみこころに従う謙遜さと従順さを与えてください。アーメン 「これは主の目には小さなことです。主はモアブをあなたがたの手に渡されます。(3:18 )」

Ⅰ列王記21–22

通読:  Ⅰ 列王記 21–22;  ルカ . 23:26-56 「あなたは、アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間はわざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」 列王記 第一 21:29 ひどいことばかりしてきたアハブに、神様のあわれみがそれでもあることに驚きます。 「7を70倍するまでゆるしなさい」と言われたキリストのことばを思い起こします。 祈り:神様、あなたの忍耐深さとあわれみに感謝します。私が赦されたように、私も他の人をゆるすことができますように。アーメン

Ⅰ列王記19–20

通読:  Ⅰ 列王記 19–20;  ルカ . 23:1-25 「エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て洞穴の入り口に立った。すると声がして、こう言った。『エリヤよ、ここで何をしているのか。』」 Ⅰ 列王記 19:13 バーンアウトして休んでいた時、テレビ音声や大きな音が耳ざわりで困りました。 エリヤが疲れきっている時、偉大な神が細い声で語られたとは、なんと優しく、すべてわかってくださる方でしょうか! エリヤにいきなり次のミッションを命じるのでなく、「ここで何をしているのか」と尋ねてくださる深い配慮も感じます。 エリヤが自分のアイデンティティーと使命を再び確認できるよう、押し付けず導いてくださったのです。 祈り:神様、あなたの優しさと愛は、どんな疲れきっている人でも安らぎを得ることができます。周りの人にこの主を紹介できる機会を与えてください。アーメン

Ⅰ列王記16–18

通読: Ⅰ 列王記 16–18;  ルカ . 22:47-71 「エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。」列王記 第一 17:16 主は、預言者エリヤをまず烏によって養われました。 次いで、名もないやもめによって。 真実な主の備えを体験したことで、彼はいっそう主に信頼したことでしょう。 彼はやがてバアルの預言者と対決しました。 一歩ずつ、主は備えてくださいます。 このやもめも、対決を見ていた民衆もまた、主の偉大さを目の当たりにしました。 私たちにもまた、主は備えてくださいます。 祈り:神様、あなたの備えに信頼したいです。少しずつ体験を通し、みことばを通し、信仰を与えてください。アーメン

Ⅰ列王記14–15

通読:    Ⅰ 列王記 14–15;  ルカ 22:21-46 「アサは父祖ダビデのように、主の目にかなうことを行った。...高き所は取り除かれなかったが、アサの心は生涯、主とともにあり、全きものであった。」列王記 第一 15:11,14 王たちの光と影…。分裂したイスラエル王国とユダ王国、それぞれの王の経緯が列挙されます。 歴史の勉強ではないので、一つ一つを覚える必要はありません。 でも、自分ならどう記録されたいかを考えつつ読むと、今日の生き方、自制することがわかってきます。 祈り:神様、あなたの目にかなう日々を歩めますように。聖書の人物から学ばせてください。アーメン

Ⅰ列王記12–13

通読: Ⅰ 列王記 12–13;  ルカ 22:1-20 「彼は、自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえを献げた。このように、彼はイスラエルの人々のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえを 献げ、香をたいた。」 Ⅰ 列王記 12:28 王国が分裂しました。 ソロモンの側近の知恵を聞かなかったレハブアム王も、偶像礼拝を始めたヤロブアム王も、どっちもどっちです。 ソロモンの栄華の次の代に、早くもこのような堕落が起こりました。 人の心とは、なんと弱く変わりやすいものでしょう。 さらに、争いと偶像礼拝という負の遺産が、次の代にも引き継がれていきます。 今の教会堂が建った時、文字通り命がけで祈りささげた人たちの信仰がありました。 50周年を迎えた今年、前世代のそのような信仰の経緯を知ることができて幸いです。 私たちもまた、次の世代に信仰の遺産を残したいものです。 祈り:神様、前世代の信仰を感謝します。私たちも、主のよくしてくださったことを次の世代に伝えることができますように。アーメン

Ⅰ列王記10–11

通読: Ⅰ 列王記 10–11、  ルカ 21:20-38 「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。」 Ⅰ 列王記11:4 ソロモンほどの知恵のあった王が、女性たちの影響で没落していく様子が記されています。 周囲に敵が起こり、ソロモンの身辺も穏やかでなくなります。 主の警告があった(11:9-10)のに、Finishing well(良い終わりかた)をすることができませんでした。 これは、私たちへの深い教訓です。 Finishing wellの大切さを知り、願い求めること。 素晴らしい才能や業績、知恵や賢さがあっても、人は弱いと知ること。 謙遜に主の警告を聞き、向きを変えること。 祈り:神様、人間の弱さとはかなさを覚えます。与えられているものを感謝して受け取りつつ、キリストから目を離さないように助けてください。アーメン

Ⅰ列王記 8–9

通読: Ⅰ 列王記  8–9;  ルカ . 21:1-19 「それで私の父ダビデの心にはいつも、イスラエルの神、主の御名のために家を建てたいという思いがあった。」 列王記 第一 8:17 昨日の聖会で引用された聖句の一つでした。 キリストの満ちる教会、それを建て上げることをいつも考えていたご両親のことをあかしされていました。 ソロモンは、父ダビデの願いを自分の思いとしました。 前の世代の方たちが願い祈り続けた教会は、キリストの満ちる主の家です。 だから、私たちもキリストにある教会を愛することをわが思いとし、祈っていきたいのです。 祈り: 神様、キリストのからだである教会を愛し、霊の家族として互いに赦し合う群れとしてください。アーメン

Ⅰ列王記6−7

通読: Ⅰ 列王記 6–7;  ルカ2 0:27-47 「こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させた。」Ⅰ列王記6:14 何気なく書かれた一文の背後に、どれだけの労力と時間、財が費やされたかと思います。 小さな工事や普通の家屋を建てるのにも、私たちはあれこれ悩み、ハプニングに戸惑います。 まして、神殿を建てる大工事となれば尚更です。 淡々と書かれる工事の記録には、主の守りと導きがありました。 今、教会の周辺も工事が始まろうとしています。 規模や目的は違っても、工事の守りと、隣接する教会の存在が主の手に導かれることを信じてお祈りしましょう。 祈り:神様、あなたの守りで一つ一つが進みます。不安や混乱ではなく、主のご計画がなることに信頼します。アーメン

Ⅰ列王記3–5

通読:  Ⅰ 列王記 . 3–5;  ルカ . 20:1-26 「しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」 Ⅰ 列王記5:4-5 主に知恵を願ったソロモンは、その知恵を用いて主の宮、神殿を建てることになりました。 それは、ただ父から命じられたという理由でなく、彼自身も主に感謝して行おうとしたものでした。 この純粋な思いと信仰が、彼の生涯の最後まで続いたら...と読むたびに思います。 私たちも、信仰が揺らいだら原点に戻ることが大切です。 救われた時、召 された時の恵みを思い返すことができますように。 祈り:神様、恵みを忘れてしまいやすいものです。 もう一度原点に戻ります。これから記されるソロモンの心の変遷を反面教師としつつ、信仰にとどまり続けさせてください。アーメン

Ⅰ列王記1-2

通読: Ⅰ列王記1-2、ルカ19:28-48   「主が王とともにおられたように、ソロモンとともにいて、その王座を、わが君ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」 Ⅰ列王記1:37 祭司の祈りは、王の栄えよりも強さよりも、主がともにおられるように、というものです。 私たちは、自分の家族や親しい人に、功績や暮らし向きより、主がともにおられることを第一の価値として願っているでしょうか。 祈り:神様、一時的なものにでなく、永遠に続くものに価値を置くことができるよう、私たちの目を開いてください。点数よりも所有物よりも、もっと大切なものを大切にできますように。アーメン

Ⅱサムエル23–24

通読: Ⅱサムエル23–24; ルカ19:1-27  「ヒッタイト人ウリヤ。 合計三十七人。」Ⅱサムエル23:39 ダビデの生涯で「勇士」と呼ばれた人の名前、功績が列挙されています。 ...三人の勇士はペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、 こう言った。「主よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。」彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士は、そのようなことまでしたのである...(23:16-17) こうした勇士の働きがあったからこそ、ダビデは生き延び、王として治めることができました。 最後の節に、あのバテシェバの夫、「ヒッタイト人ウリヤ」の名が挙げられています。 戦死するよう仕向けられた彼は、王に最後まで忠実だった人です。 切なく、ダビデの汚点のしみのようです。 でも同時に、神が決して彼を忘れてはおられないということも、思い起こさせます。 祈り:神様、生きている時にはねぎらいのないこと、理不尽なことがあります。でも、あなたの目にはすべてが明らかで覚えられていることを感謝します。日本で伝道を続け、今は母国にいる宣教師たちに、あなたの豊かなねぎらいがありますように。アーメン

Ⅱサムエル21–22

通読:Ⅱサムエル21–22; ルカ8:24-43  「主のほかに、だれが神でしょうか。 私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。神は私の力強い砦。 私の道を全きものとされます。主は、私の足を雌鹿のようにし、 高い所に立たせてくださいます。」Ⅱサムエル22:32-34 ダビデの歌ったこのことばは詩篇18篇にも記されています。 王といっても、様々な危機や問題の連続でした。プレッシャーやストレスは、現代の猛烈ビジネスマンに匹敵するかそれ以上です。 ふっと気を抜いた時には、バテシェバを巡る罪を犯してしまいました。 目に見える敵だけでなく、霊的な敵の誘惑とも戦わねばなりませんでした。 そんな彼は、主は「私の力強い砦」だと宣言します。 そして「私の足を雌鹿のように」軽やかに引き上げ、「高い所に立たせてくださいます」と言います。 新年度から1ヶ月、疲れが出ているでしょうか。 霊的なリフレッシュが必要でしょうか。 どんなにストレスがあっても、主はその上から全てを俯瞰しておられます。 祈り:神様、あなたが全てをご存知で、私の今の問題への解決も、もっと大切な人生そのものも支配しておられることに感謝します。一時の問題で視野狭窄に陥らないよう助けてください。「私の足を雌鹿のように」し、砦であるあなたのそばで憩わせてください。アーメン

Ⅱサムエル19–20

通読: Ⅱサムエル19–20; ルカ18:1-23 「こうして、民はみなヨルダン川を渡り、王も渡った。王はバルジライに別れの口づけをして、彼を祝福した。それで、バルジライは自分の町へ帰って行った。Ⅱサムエル19:39 息子アブサロムと戦い、自らの息子が戦死し自分が勝利するという矛盾と悲しみは格別だったでしょう。 しかし、そのような中でも、ダビデは周囲の人々をあわれみ深く扱いました。 自分を呪ったシムイ、戦いに来なかったメフィボシェテをゆるしました。 自分によくしてくれた、高齢のバルジライへの感謝を忘れませんでした。 私たちは、心に悲しみと大きなストレスがある時はそれだけでいっぱいになり、自己憐憫と混乱に陥りやすいものです。 神様の広い視野が私たちを引き上げてくださり、主のよくしてくださったことを覚える者とされますように。 祈り:神様、忙しさや雑事、問題にばかりとらわれることがありませんように。あなたの恵みと良くしてくださったことを思い巡らし、新たな視野を開いて頂けるよう、今日も導いてください。アーメン

Ⅱサムエル16–18

通読: Ⅱサムエル16–18; ルカ17:20-37  「おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」サムエル記 第二 16:12 シムイという人がダビデを非難中傷して呪った時、ダビデはこのように言いました。 今のSNS時代、オンラインでの炎上や誤解は起こります。 そうでなくても、メールや書き込みの言葉に傷ついたことがあるかもしれません。 返信によっては、さらに事態が悪化しかねません。 特に、信仰のこと、聖書に関することについては、今日のダビデの対応を見習いたいものです。 主が心を知っておられること、怒りに任せず冷静でいること、主の祝福と報いを信じることです。 祈り:神様、非難中傷に心乱れ悲しむ者です。主が心を見てくださり、誤解を和らげ、よい解決で報いてください。アーメン

Ⅱサムエル14–15

通読: Ⅱサムエル14–15; ルカ17:1-19 「もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、主が良いと思われることをこの私にしてくださるように。』」サムエル記 第二 15:26 息子アブサロムが反乱を起こし、ダビデは急いで逃げなければなりませんでした。 その時、このように告白しました。 イエス様がゲッセマネで祈られた「みこころがなりますように」ということばを思い出します。 共通点は、神にゆだねるという姿勢です。 それだけではありません。ついてきたガテ人イタイへも配慮します。  「あなたは昨日来たばかりなのに、今日、あなたをわれわれと一緒にさまよわせるのは忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたの兄弟を連れて戻りなさい。恵みとまことがあなたとともにあるように。(15:20)」 砕かれた心、罪の悔い改めを通ってへりくだったダビデの姿勢に学びましょう。 祈り:神様、私にもへりくだりを与えてください。試練も過去への悔い改めも、砕かれた柔らかい心にされ、あなたに近づくために用いてください。アーメン

Ⅱサムエル12–13

通読: Ⅱサムエル12–13; ルカ16 「ダビデはナタンに言った。『私は主の前に罪ある者です。』ナタンはダビデに言った。『主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。』」サムエル記 第二 12:13 ダビデは、罪の結果に直面することにはなりました。 生まれた子はすぐ死にました。 また、ダビデの子どもたちがレイプの当事者となったり、その復讐をし合うという悲劇にも合いました。 もしかすると、自分の過去と重ね合わせ、心痛めたかもしれません。 けれども、ダビデは罪をナタンに指摘され、ただちに主の前に悔い改めました。 それで、主はダビデに赦しを与えられました。 先日、堕胎した女性へのカウンセリングを専門にしているクリスチャンとお会いしました。 罪の呵責と心の傷、トラウマに悩む女性たちが、神の愛を通して完全に解放される姿を見てこられました。 過去の罪を洗いきよめてくださる主のあわれみを感謝します。 祈り:「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。(詩篇51:17」神様、どうか私の心を探ってください。そして悔い改めとゆるしへの感謝で満たしてください。アーメン

Ⅱサムエル9–11

通読: Ⅱサムエル9–11; ルカ15:11-32 「ダビデは言った。『サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。』」サムエル9:1 ダビデはサウルの孫でもあるメフィボシェテに、ヨナタンの家族だという理由で真実を尽くしました。 足が不自由な彼でしたが、何をしたか、しなかったかではなく、ヨナタンへの恵みが彼に及び、王の息子のように王の食卓で食事をするようになりました。 しもべも与えられ、生活が保障されました。 神の救いも、これと同じような一方的な恵みです。 私たちが何をしたからではなく、神を信じたゆえに神の子とされ、御国で神の食卓につけるのです。 祈り:神様、あなたの子どもにしてくださる、主の食卓に招かれるものとしてくださり感謝します。あなたの恵みと親切な心を分かち合う機会を与えてください。アーメン

Ⅱサムエル6–8

通読: Ⅱサムエル6–8; ルカ15:1-10  「ダビデ王は主の前に出て、座して言った。『神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。』」Ⅱサムエル7:18 ダビデは王となり、主のために家を建てようとしました。 自分が杉の家に住んでいるのに、主の家がないではないか、と思いました。 その動機は良いものでした。 しかし、主は逆に、ダビデの家(家系)を堅く立てよう、と言われました。 ダビデは感謝の祈りをささげます。 王であっても、羊飼いであっても、立場や身分にかかわらず主は私たちを治め、恵みを注いでくださる方です。 私たちが悪い点数をとっても、退職しても、社会から取り残されたように感じても、主は変わらず恵みを与えてくださいます。 祈り:神様、「私をここまで導いてくださったとは」なんという恵みでしょう。感謝します。私がどのような状態でも、これからもあなたが導いてくださることを信じます。アーメン

Ⅱサムエル3–5

通読: Ⅱサムエル3–5; ルカ14:25-35 「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」 サムエル記 第二 5:12 サムエル記第一では、サムエルが主の語りかけを聴きました。 サムエル記第二では、ダビデが主にこのように立てられたことを知りました。 私たちには、今日主がどのように語り、今のところに置いてくださっているでしょうか。 そろそろ主にあって移動する時期でしょうか、あるいはじっととどまる時でしょうか。 自分の思い込みで先走ることないよう、あるいは現状維持に固執しないよう、 「主が」どう導いておられるか知ることができるよう、祈りましょう。 祈り:神様、私の人生、そして私の今日という日はあなたのものです。あなたに生かされています。主の日々の導きを受け取ることができるよう、私の霊を養ってください。アーメン

Ⅱサムエル1–2

通読: Ⅱサムエル1–2; ルカ14:1-24  「ダビデは、サウルのため、その息子ヨナタンのために、次の哀歌を歌った。」サムエル記 第二 1:17 戦死した王家のために、ダビデは哀悼の歌を歌います。 大親友のヨナタンのためだけでなく、自分の命を脅かしたサウルのためにもです。 それは「主に油注がれた方(1:14)」という理由でした。 人格や行動によらず、主がその立場に寘かれたからだした。 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。(ローマ13:1)」 「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。(出エジプト20:12)」 同じように、これらの立場の人を敬うよう、主はチャレンジしておられます。 祈り:神様、あなたが立てられた立場にある人を敬うことができるよう、私を整え導いてください。アーメン

Ⅰサムエル30–31

通読: Ⅰサムエル30–31; ルカ13:23-35  「ダビデは言った。『兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。... 戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。』」Ⅰサムエル30:23-24 ダビデの部下のうち、疲れ切って川を渡れなかったのが200人、追撃を続けたのが400人でした。同じ報酬は不公平に思うかもしれません。 でも、ダビデは待機した200人にも、また帰ってからユダの長老たちにも、戦利品を気前よく分け与えました。 ぶどう園のたとえを思い出します。 早朝から働いた人にも、午後遅くからの人にも、主人は同じ賃金を払いました。 神様の気前よさは、このような性質です。 自分の成功や業績を気前よく分け与え、何より主にお返しできるよう祈りたいと思います。 祈り:神様、すべてはあなたのものです。私たちが任された物質も、才能や技術も、すべて主から発しています。ダビデのような気前良い態度を与えてください。アーメン

Ⅰサムエル27–29

通読: Ⅰサムエル27–29; ルカ13:1-22  「ダビデとその部下は、翌朝早く、ペリシテ人の地へ帰って行った。ペリシテ人はイズレエルへ上って行った。」Ⅰサムエル29:11 ペリシテ側についてイスラエルと戦うために、ダビデと部下たちは出ていきました。 ダビデも忠誠を示しました。 ところが、ぺリシテ人の領主たちのは、ダビデが裏切るのではと反対しました。 それで、ダビデたちは引き返すことになりました。 これも神の守りと言えます。 自分の民と戦うことが避けられました。 また、その土地にとどまっている家族に危機が及んでいたので、早急に救う必要がありました(戻ってみてわかります、30章~)。 私たちも、自分の知らないところで、神の守りとご計画がなされていることを信じ感謝しましょう。 祈り:神様、あなたの守りと確かな采配を感謝します。私の思いを越えて主のご計画があることを信じ、祈り続けます。アーメン

Ⅰサムエル25–26

通読: Ⅰサムエル25–26; ルカ12:32–59 「ダビデはアビガイルに言った。『イスラエルの神、主がほめたたえられますように。主は今日、あなたを送り、私に会わせてくださった。』」Ⅰサムエル25:32 絶妙なタイミングでアビガイルとダビデは出会いました。 急いでパンや肉の準備をした時のアビガイルは、必死に間に合うよう祈っていたことでしょう。 ダビデのこの反応は、彼女の力だけではなく主が引き出してくださったといえます。 新年度、どんな出会いがありましたか? うまくいきそうな出会いも、まだ不安だらけの出会いも、 最善のタイミングを知っておられる主に信頼し、期待しましょう。 祈り:神様、自分で計画したと思っても予想外のことが起こります。 主に祈りながら、主のタイミングと出会いに期待します。今日も一日導いてください。 慣れない職場やクラスにいる人たちの不安な心に、主の導きと平安がありますように。アーメン

Ⅰサムエル22–24

通読: Ⅰサムエル22–24; ルカ12:1-31 「サウルの息子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた。」 Ⅰサムエル23:16 ダビデの逃亡生活の中で、一番励まされたとも言えるのはヨナタンの存在だったかもしれません。 しかも、単なる戦術とか物資の援助ではなく、じかに彼のところに来て、祈りで神によって励ましてくれたのでした。 母が入院生活をしていると、真心で足を運んでくれる親戚のさりげない愛がありがたいものです。 そして、信仰の友に心をこめて祈られていることがどれだけ励ましか、よくわかります。 ヨナタンのように、他の人を神によって励ます者となれたら素晴らしいですね。 祈り:神様、みことばと祈りによって励ます者とならせてください。口先だけでなく、行いと愛をもって真心から接することができますように。アーメン

Ⅰサムエル19–21

通読: Ⅰサムエル19–21; ルカ11:29-54 「サウルは、ダビデを殺すと、息子ヨナタンやすべての家来に告げた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。」Ⅰサムエル19:1 王子ヨナタンの寛容で謙遜な人格により、ダビデの命は救われました。 自分以上に王位に相応しい人物を、妬まず助けることができたヨナタンの品性は、キリストの謙遜な品性を思い起こさせます。 また、危急の時にも主を信頼して叫び求める人には、主の恵みと助けがあることを覚えます。 祈り:神様、ヨナタンのように謙遜さと愛を聖霊の実として結ぶことができるよう、私を取り扱って造り変えてください。またダビデのように、焦らず、諦めず、主を待ち望む者になれますように今日も導いてください。アーメン

Ⅰサムエル17–18

通読: Ⅰサムエル17–18; ルカ11:1-28 「ダビデはペリシテ人に言った。『おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。』」サムエル記 第一 17:45 自分はダメだ、と思うような瞬間、どうしようもない不安や罪責感が湧き出る瞬間がありますか? もしかすると、それは霊的な戦いかもしれません。 霊的な攻撃には、霊的な武具と備えで対応する必要があります。 それは、主の御名を掲げることです。 ゴリヤテに向かったダビデのように。 主はすでに勝利をとっておられます。 もう恐れず、自分ではなくキリストに目を向けましょう。 祈り:神様、私の弱さ、心の貧しさ、失敗を、すべて知ってくださり感謝します。新年度のペースにまだ慣れません。あなたの慰めと励ましで、この週末も安息し備えたいです。導いてください。アーメン

Ⅰサムエル15–16

通読:  Ⅰサムエル15–16; ルカ10:25-42  「主はサムエルに言われた。『彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』」 Ⅰサムエル16:7 ある人を覚えて祈り、福音を分かち合い、気にかけて親切にしてきたのに、その人が離れていったり無関心だったりして、裏切られたような気持ちになったことがありますか? サウル王に対するサムエルの落胆も、同じような状態だったでしょう。 「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。(15:11) 神様、なぜですか!と、サムエルは思いを主にぶつけたと思われます。 その嘆きを主は怒らず受け入れてくださいます。 主はサムエルに言われた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。(16:1) サウルが間違った選択をしてみこころからそれていっても、サムエルの失敗ではありませんでした。 主は新たなミッションを与えてくださいます。 そして、サウルのような「容貌や背の高さ」ではなく、「心を見る」ことを示してくださいました。 家族や友のために祈り誠実に接してきた人を、主がさらに広い霊的な畑へと導いてくださいます。 収穫のためにたゆまず祈り続けましょう。 祈り:神様、あなたのわざに期待します。一喜一憂せず、あきらめず、祈り続けられるように助けてください。アーメン

Ⅰサムエル13–14

通読: Ⅰサムエル13–14; ルカ10:1-24  「サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた。」Ⅰサムエル13:1 サウルは2年間の間にいくつもの失敗をしました。 ・サムエルを待たずに全焼のささげ者を献げたこと(13:9) ・兵士たちに食べるなという愚かな禁止令を出したこと(14:24) ・危うく自分の息子を殺すような誓いを立てたこと(14:39) 傍目には失敗と見えなかったかもしれません。 なぜなら、それは体面を保つためのものだったからです。 しかし、神を後回しにし、神より人の目を気にした彼の軽はずみな言動は、王の交代という結果になりました。 実力がなかったからではありません。 霊的な部分、見えない部分を大切にしなかったからです。 霊的な事柄は、良くも悪くも私たちの人生に影響を及ぼします。 主の事柄、霊的な歩みを見つめ大切にできますように。 祈り:神様、一時しのぎの自分の思いでなく、主が望まれることを見させてください。ある時は待ち、手放し、ある時は思い切って前進できるよう、みことばと聖霊の語りかけを受け取る者とならせてください。アーメン

Ⅰサムエル10–12

通読: Ⅰサムエル10–12; ルカ9:37-62 「ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。」Ⅰサムエル12:24 民の気ままと不信仰を目の当たりにしつつも、サムエルは主が言われたことに従いました。 民に対し、彼は忍耐深く戒めています。 それは、サムエル自身が神のみわざと真実さを体験してきたからです。 神の計画と備えは、映画や推理小説の絶妙なプロット(筋書き)よりももっと素晴らしく、私たちには到底理解できないものです。 サムエルはそれに信頼しました。 私たちも、今見えなくても神の筋書きに信頼し、失望せずに祈り続けましょう。 祈り:神様、混沌とする世界情勢や国内の問題への解決を祈ります。主の計画が行われていきますように。また、私の人生にも最も幸いな筋書きを、あなたが一番よく知っておられます。私の自我や罪がそれをとどめることのないよう、探ってください。アーメン

Ⅰサムエル記7–9

通読: Ⅰサムエル記7–9; ルカ9:18-36 「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて告げておられた。」サムエル記9:15 サムエルの働きは、国のリーダーから、神と王との橋渡し役に変化しようとしていました。 はじめは葛藤しつつも、神の指示に従い、民に告げサウルに告げたサムエルでした。 サムエルの立場は変化しても、神との親しさは変わりませんでした。 仕事や教会での役割が変わり、自分が重要でなくなったような錯覚にとらわれていませんか。 決してそんなことはありません。 神との関係はより親密になり、違った角度のさらにユニークな仕え方へと召されていくと信じます。 祈り:神様、私の行く道をいつも導き、希望と主にあるやりがいで満たしてください。信仰の歩みの豊かさを味わわせてください。アーメン

Ⅰサムエル4–6

通読: Ⅰサムエル4–6; ルカ9:1-17  「彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその椅子から門のそばにあおむけに倒れ、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。エリは四十年間、イスラエルをさばいた。」 サムエル記 第一 4:18 エリの息子は死に、エリ自身も倒れて死にました。 主の箱が奪われ、返されるまでの記事が続きます。 暗い時代です。 だからといって、主がいなくなられたわけではありません。 主はおられ、情勢と動向を支配しておられます。 今、暗い中を歩んでいても、主がすべてを知ってくださっているとは慰めです。 祈り:神様、世界の状況も私の周りも暗く思え、気がかりが多くあります。そんな中でも主が変わらないこと、すべてご存知であることが慰めであり、私の生きる意味です。今週も導いてください。アーメン

Ⅰサムエル1–3

通読: Ⅰサムエル1–3、ルカ8:26-56  「さてサムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼いしもべとして、主の前に仕えていた。」Ⅰサムエル1:18 母ハンナは、彼のために毎年小さな上着を作って届けました(1:19)。 幼いサムエルの姿は、どんなにかわいかったことでしょう。 ひたすら可愛かったサムエルは成長し、神の声を聞き、やがて民全体のリーダーとなりました。 子どもには、主にあって無限の可能性があります。 教会にも幼い子どもが来ます。 時に汚したり、手がかかったりするかもしれません。 しかし、幼い時に聞いたこと、経験したことがその子どもの人格を形作っていきます。 イエスの十字架と復活を聞いた子どもは、それを心に蓄積して大人になり、人生を歩みます。 そう考えると、1回1回の子どもメッセージは、子どもに霊的な財産を分かち合うことになりますね。 イースターおめでとうございます! 祈り:神様、子どもたちの柔らかい心に、主の愛と福音が届きますように。大人も子どもも、みことばを共に味わい受けとるイースターの一日を導いてください。アーメン

ルツ記1–4

通読: ルツ記1–4、ルカ8:1-25  「主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」ルツ記 2:12 ボアズの言葉に、落ち穂広いをしていたルツはどれほど慰められたことでしょう。 しかもそれは単なるほめ言葉ではなく、「主が報いてくださるように」という祈りにも代えた言葉でした。 イエス様も十字架の上で人々のために祈られました。 木曜集会で、「祈っています」と言われると嬉しい、というあかしを聞きました。 社交辞令でなく、本当に祈ることがわかるからだと思います。 とりなしの祈りの力を覚えます。 祈り:神様、家族の____、地域の_____、職場や学校の_____、その他周囲の人々_____のために、名前をあげて祈ります。祈り続けられるよう助けてください。アーメン

士師記19–21

通読: 士師記19–21、ルカ7:31-50  「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」士師記21:25 王のない人々を、主が直接導いておられました。 しかし神を認めないなら、王なく、神なく、 価値観とモラルの堕落、国の衰退へと進んでいきます。 ギブアの町の乱れは、まるでソドムとゴモラそっくりです。 そこからベニヤミン族との内戦が起こりました。 国と同じく、私たち個人の歩みも神抜きだと同じように混乱します。 「彼らは何をしているか分かっていないのです(ルカ23:34)」とイエス・キリストは十字架の上で祈られました。 私たちの心の王をイエス・キリストと認める時、混乱を治める方が働きはじめてくださいます。 祈り:神様、イエス・キリストの十字架の身代わりで私は救われました。毎日の生活で、あなたを心にお迎えしていることを意識させてください。私の心をキリストの平和が支配しますように。アーメン

士師記16–18

通読: 士師記16–18、ルカ 7:1-30 「サムソンは主を呼び求めて言った。『神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。…』」士師記 16:28  サムソンも、士師記のミカ(預言者ミカとは別人)も、なぜそんな愚かなことを、と思えます。 しかし、それは第三者として客観視できるからです。 自分がその時代に生きていて、愛する者からの圧力があったら、やはり葛藤するのではないでしょうか。 いえ、現代でも、愛する人から迫られたら、あるいは自分の欲が高じたら、私たちだって失敗しやすい弱い者です。 だから、日々神を認め、みことばと聖霊の光で生活することが大切です。 新年度、生活リズムが変わる人も多い時です。 このような時だからこそ、デボーションを一日の優先順位に入れ、主に導かれて共に歩みましょう。 祈り:神様、あなたのあわれみに感謝します。環境が変わる時だからこそ、変わらないみことばと聖霊に導かれて一つ一つを決めることができますように。今日も導いてください。アーメン

士師記13–15

通読: 士師記13–15、ルカ6:27-49 「このとき、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。」士師記 14:6 奔放なサムソンの言動は、わがままで未熟な人格のようです。 しかし激しい主の霊に動かされた時に(14:6,19; 15:14...)、常識を越えたことを成し、結果として20年も人々を治めることができました。 獅子を引き裂く力も、聖霊により与えられました。 自分自身の未熟な人格に悩んでいますか? そう、サタンはひたすら責め立てます。 「あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています(1ベテロ5;8)」 けれどもこの時、獅子を引き裂く聖霊の力が、霊の次元でも勝利を治められたと思い出しましょう。 祈り:神様、あなたが勝利してくださいました。聖霊の力で覆ってください。責め立てる者から救い出してください。アーメン

士師記11–12

通読: 士師記11–12、ルカ 6:1-26  「エフタがミツパの自分の家に帰ると、エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もなかった。」士師記11:34 非常にショッキングな光景です。 それは、エフタが主に「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、・・・無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます(11:30-31)」 と誓ってしまったからでした。 誓う必要はありませんでした。神の求めでもありませんでした。 自主的に(あるいは自分勝手に)誓願を立ててしまったのでした。 その結果は、一人娘を失うことになりました。 もしかすると、彼は調子に乗っていたのかもしれません。 必死だったのかもしれません。 しかし、神様は人間をいけにえにすることは、決して求められません。 唯一、身代わりのいのちを捧げてくださったのは神ご自身、イエス・キリストです。 それがどれほど例外的で大きな犠牲だったのか、それほどまでの愛をご自身が注いでくださったのです。 祈り:神様、あなたの愛の大きさに感謝します。一人一人を愛し、救いたいと思ってくださいました。生きる意欲を失って自死を願う方が主の愛に触れ、希望を見出せますように。アーメン

士師記 9–10

通読: 士師記 9–10、ルカ5:17-39   「彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。」10:16 主はあわれみ深い方です。「見るに忍びない」と思ってくださる方です。 今日の前半では、弱い者が思いがけなく用いられました。 「そのとき、一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。(9:53)」 また、人々が呼び求めるたびに助け手を送られました。 たとえ、人が自分勝手に罪を犯し堕落していったとしても、神は「見るに忍びない」のです。 旧約のこの時代だけではありません。 全人類が罪に支配されるのを「見るに忍びない」と、救いの計画を実現してくださいました。 イエス・キリストは弱い姿で地上に来られました。十字架にかかられる時も、弱い姿でした。 しかし、そこに素晴らしい解放と救いへの道が、みこころによって成し遂げられました。 祈り:神様、あなたが今日も人々がイエス・キリストにある救いを知らないのを「見るに忍びない」と思っておられることを受けとります。イースター前のこの時期、イースターの素晴らしい意味を分かち合うことができますように。アーメン

士師記7-8

通読:士師記7-8、ルカ5:1-16   「しかしギデオンは彼らに言った。『私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。主があなたがたを治められます。』」士師記8:23 ギデオンの大勝利よりも、主が主権をとっておられると断言し、神を最優先にしたことこそ彼が勇士と言われるゆえんです。 もっとも、彼にも失敗はありました。やがて彼はたくさんの妻を持ち、生まれた息子の一人がやがて家族中をかき回し、国にも悲劇をもたらしました(8:31)。 一つの勝利が人生の価値や幸せを決めるわけではありません。 しがみついている過去の栄光が、かえって油断や足かせになることもあります。 素のままの自分で神の前に出ましょう。 プライドやしがらみが頑固な心を生んでいるなら、それを手放せるように祈りましょう。 祈り:神様、手放しであなたの元に駆け込みます。本当に必要なもの、大切なものを霊の目で見せてください。恥やプライドでかたくなな心になることがないように助けてください。アーメン

士師記4-6

通読: 士師記4-6、ルカ4:31-44   「主の使いが彼に現れて言った。『力ある勇士よ、主があなたとともにおられる』。」士師記 6:12 ギデオンは敵を恐れながら農作業をしていました。 「勇士よ」と呼ばれるにはあまりにも等身大の、弱さのある人でした。 その後、しるしを何度も求めることも、慎重で怖がりだとわかります。 しかし、主が召され「主があなたとともにおられる」ことが、ギデオンが勇士であることの一番の証拠です。 ニッキー・ガンベルの、ひび割れた容器で水を汲む人の例話があります。 二つのつぼがあり、一つは割れていない完璧な容器、もう一つはひび割れた容器でした。 棒の両端に二つの容器をつけ、肩にかけて農夫は水を運びました。 ひび割れた容器からは、せっかくくんだ水がぽたぽた漏れています。 ところが、しばらくして あぜ道の片側にだけ、きれいな花が咲き始めました。 なぜでしょう。 それは、ひび割れた容器から落ちた水で養われたからでした。 このように、欠けのある者でも、いや欠けがあるからこそ、主にあって用いられるのです。 祈り:神様、立派過ぎるリーダーばかりでなく、ギデオンのような人物を召し、主のご用に用いてくださることを覚えます。今週を振り返ると、あんなこと、こんなこと、失敗が多くありました。それでも、主が見捨てない方であることを感謝します。悔い改め、再び主に手を引かれ、慰めを受けて前を向きます。アーメン

士師記1-3

通読: 士師記1-3、ルカ4:1-30    「ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、民は主に仕えた。 ...主が彼らのためにさばきつかさを起こしたとき、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさが生きている間、彼らを敵の手から救われた。これは、圧迫し、虐げる者を前にして彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。」士師記 2:7,18 人は当てになりません。あんなに苦労して旅をし、約束の場所にたどりついた民は、ヨシュアと長老たちが死ぬと、すぐに堕落してしまいました。 しかし、神のあわれみによって士師が起こされ、主に立ち返ると国が平穏になりました。 はじめの士師オテニエルは、実はヨシュアの義理の息子でした。 「カレブの同族ケナズの子オテニエルがそれを攻め取ったので、カレブは娘アクサを彼に妻として与えた。」(ヨシュア記15:17、士師記1:13) すでに神様は、よい計画を進めておられました。 私たちも、行き詰まりを感じて前に進めないと感じます。でも、「すでに神様は」備えてくださるお方です。 祈り:神様、あなたのよいご計画に信頼します。心がどうしようもなく行き詰まった時にも、脱出の道をすでに備えてくださっていることを信じます(第一コリント10:13)。アーメン

ヨシュア記22-24

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通読: ヨシュア記22-24、ルカ3  「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」ヨシュア記 24:15 10代、20代の頃と異なり、限られた体力をどのように使うか工夫が必要になりました。 大切なものにエネルギーを集中させるために、優先順位が問われます。 もっとも、その順位は自分の思いだけではうまくつけられません。思い込みだったり自分のこだわりに過ぎなかったりします。 一方で、神が導き順位をつけさせてくださるなら、思いがけなくはかどり、何より喜びがあります。 神がそうさせてくださるのです。 きっとヨシュアもそうだったでしょう。 彼の信仰は素晴らしいですが、そうさせてくださったのもまた主であることを覚えます。 祈り:神様、私が自分の力でやったと言うのでなく、主がそうさせてくださったと力強く言えますように。 今日の歩みを導き、主が私に望まれることをさせてください。アーメン

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