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イザヤ37-38

通読: イザヤ     37–38; コロサイ     3 「おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリアの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、お聞きになったそのことばをとがめられます。あなたは、まだいる残りの者のために祈りの声をあげてください。』」 イザヤ 37:4 危機のときにヒゼキヤ王がしたのは、神の僕イザヤに祈りの要請をすることでした。 実際的な命令も下しましたが、何よりも祈りと神の力が必要なことを、彼はよくわかっていました。 私たちは、危機のときに何に頼るでしょうか。 最近はAIに相談する人が増えているそうです。 調べものや情報には便利ですが、優先順位の上位は神との静まる時間、聖霊の声に耳を傾ける時間です。 上手に技術やAIを使うには、ヒゼキヤ王のように神を第一にすることだと思います。 祈り:神様、私の優先順位を確かにしてください。あなたに頼り、まず祈りから始められますように。アーメン

イザヤ34-36

通読: イザヤ     34–36; コロサイ     2 「弱った手を強め、 よろめく膝をしっかりさせよ。  心騒ぐ者たちに言え。 『強くあれ。恐れるな。 見よ。あなたがたの神が、復讐が、 神の報いがやって来る。 神は来て、あなたがたを救われる。』」イザヤ35:3〜4 今出席している会議のテーマは「Transcend(常識などの枠組みを超える)」です。 日々の信仰生活でも、無理だと諦めたり、期待できなかったりすることがあります。 でも神様は「それを越えて、見えないものを見る」ことを望まれます。 イザヤの預言は、当時の人々には常識の枠組みを越えていたでしょう。 私たちもまた、主にあってみことばの約束を期待します! 祈り:神様、小さい信仰にあなたを閉じ込めてしまうことがありませんように。あなたが全てを超越しておられる方であると告白します。アーメン

イザヤ32-33

通読: イザヤ      32–33;  コロサイ      1 「しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。」イザヤ書 32:15 主の霊が注がれる時、荒地は豊かになり、さびれたところにいのちが芽生えます。 教会のある地域も、これから数年で随分変わっていくでしょう。 祈りが積まれ、少しずつその答えを見せて頂いているのかもしれません。 感謝なことです。 祈り;神様、あなたの回復と恵みが、今日の私たちの周囲にも注がれていることを覚えて感謝します。アーメン

イザヤ30-31

通読:    イザヤ      30–31;  ピリピ  4 「イスラエルの聖なる方、神である主は こう言われた。『立ち返って落ち着いていれば、 あなたがたは救われ、 静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。』 しかし、あなたがたはこれを望まなかった。」イザヤ30:15 「落ち着く」「静かにする」ことがどれほどあるだろうか、と考えさせられました。 心がざわざわしたり、夜中に目覚めて思い煩いで眠れなかったり、ということがあります。 「主に立ち返る」「主に信頼する」ことが、不信仰への処方せんです。 それは主が「あなたがたに恵みを与えようとして待ち、 それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる」方だからです(18節)。 さらに「あなたが右に行くにも左に行くにも、 うしろから「これが道だ。これに歩め」 と言うことばを、あなたの耳は聞く」のです(21節)。 失敗だらけでも、人にどう思われるかが気になっても、主がどう思っておられるかに目を留めるとき、深呼吸をして静まることができます。 祈り:神様、自分の心を見張るのに難しさを覚えます。心があなたからさ迷い出ている時、気づいて静まることを教えてください。早とちりして自分の力で動くことがありませんように。アーメン

イザヤ28-29

通読:      イザヤ      28–29;  ピリピ      3 「ああ、あなたがたは物を逆さに考えている。 陶器師を粘土と同じに見なしてよいだろうか。 造られた者がそれを造った者に 『彼は私を造らなかった』と言い、陶器が陶器師に 『彼にはわきまえがない』と言えるだろうか。」イザヤ29:16 「私の仕事をどうするか、人生をどう歩むか」というテーマはよく聞きます。 でも、自分でデザインする前に「神様は私の仕事を、人生をどうなさりたいか」と考えるでしょうか。 自分を喜ばせるためだけなら、自分の生涯とともに終わります。 しかし、神を喜ばせるためなら、不思議な出会い、偶然では説明できない出来事が起こります。 心の中にも深い満足があるのを発見します。試練にも耐える力を神が与えてくださるという安心感でもあります。 祈り:神様、あなたが望まれる歩みに導いてください。あなたの道が最善の道ですから、みこころに歩めますように。アーメン

イザヤ26-27

通読: イザヤ      26–27;  ピリピ      2 「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」 イザヤ26:3 「志の堅固な者」とは、ただ意志が強い人という意味ではありません。 主に信頼している人、思いが主に向き続けている人のことです。 主のみこころを歩んでいこうとする者は、主が平安で守ってくださいます。 10月の秋晴れの空のように、高く深い平安がありますように。 祈り:神様、あなたを見上げ続ける信仰を与えてください。どんな時にも信頼し、平安を頂けますように。アーメン

イザヤ23-25

通読:    イザヤ      23–25;  ピリピ      1  「主よ、あなたは私の神。 私はあなたをあがめ、御名をほめたたえます。 あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、 まことに、真実に成し遂げられました。」イザヤ25:1 「遠い昔からの不思議なご計画」の中で最もすばらしいのは、イエス・キリストが救いのために来られたことです。 そして、私たちはキリストがもう一度来られるという約束を、やはり「遠い昔からの不思議なご計画」として待っています。 信じ、期待しているでしょうか。聞きあきた、と流してしまわず、主の不思議をじっくり思い巡らしてみませんか。 祈り:神様、あなたの不思議で恵みとあわれみに満ちた計画が、歴史の中で行われていると信じます。私の身の回りにも、主のご計画が満ちていると信じ、その幸いを感謝します。アーメン

イザヤ20-22

通読:      イザヤ      20–22;  エペソ      6  「当時、主はアモツの子イザヤによって、すでにこう語っておられた。「行って、あなたの腰の粗布を解き、あなたの足の履き物を脱げ。」彼はそのようにし、裸になり、裸足で歩いていた。」イザヤ20:2 主の警告は一度ではありません。 国々へのさばきの預言に先だって、イザヤ自らが目に見える警告を届けていました。3年間裸になり裸足で歩いて、「このように捕虜になり連れて行かれる」と伝えたのでした。 何度も向きを変えるチャンスを与えてくださっていたのです。 私たちの暮らしの中で、向きを変えるようにという勧め、警告サインが出ていることはないでしょうか。それが主からのものなら真摯に受け止めましょう。 祈り:神様、私の生活の中で調整が必要なこと、手放すことがあれば教えてください。あなたのサインに気づかせてください。優先順位を正してください。アーメン

イザヤ17-19

通読: イザヤ      17–19;  エペソ      5:17-33 「その日、エジプトの地の真ん中には主のために一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには主のために一つの石の柱が立てられる。」イザヤ19:19 17章はダマスコ、18章はクシュ、19章はエジプト(当時の国々)についての預言(多くは警告とさばき)が語られています。 滅びで終わらないのが、主の預言のすばらしいところです。 人々が悔い改めると、主は希望と回復を与えてくださいます。 「それはエジプトの地で、万軍の主のしるしとなり、証しとなる。彼らが虐げられて主に叫ぶと、主は彼らのために戦い、彼らを救い出す救い主を送られる。  そのようにして主はエジプト人にご自分を示し、その日、エジプト人は主を知る。そしていけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。」(20~21節) 主に頼って今日も歩みましょう。 祈り:神様、あなたの前にへりくだる者を、あなたは邪険になさいません。希望があることに感謝します。落胆している人に希望と励ましを与えてください。人生が終わりでないことを教えてください。アーメン

イザヤ14-16

通読:       イザヤ      14–16;  エペソ      5:1-16 「全地は安らかに憩い、喜びの歌声をあげる。」イザヤ14:7 悪が倒されて平和がやって来たときには、憩いと歌声があがります。 今も、危険を回避したとき、事故や災害から脱出した時、トラブルが解決した時には、人は自然と喜びの声をあげます。私たちはそのように造られています。 そして、この世界が回復された時には、被造物のすべてが喜び叫びます。 私たちは今日、わずかなことしかできないかもしれません。 でも、主のみこころを行うなら、主の前にはわずかなことが一番大きなことになります。 祈り:神様、あなたの回復を待ち望みます。また、日々利用する交通機関の運転手、様々なドライバーやパイロットの上に、主が判断力と守りを与えてくださいますように。アーメン

イザヤ11-13

通読: イザヤ      11–13;  エペソ      4 「この方は主を恐れることを喜びとし、 その目の見るところによってさばかず、 その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって弱い者をさばき、 公正をもって地の貧しい者のために判決を下す。 口のむちで地を打ち、 唇の息で悪しき者を殺す。 正義がその腰の帯となり、 真実がその胴の帯となる。」イザヤ11:3-5 すばらしいキリストのさばき、判決の下し方は、私たちのような先入観や偏見がありません。 また、完全な正義と公正で、弱い者、貧しい者を守ってくださいます。 「強者」「勝ち組」に入っていないと嘆いていませんか。 主はご存知です。 そして、私たちが相対的な比較に惑わされず、主の確かな価値観に根差すことを望んでおられます。 祈り:神様、年度の後半に入ります。上半期の結果や目に見える成果だけにとらわれず、永遠の価値のあるものに目を留めさせてください。アーメン

イザヤ9-10

通読: イザヤ    9–10;  エペソ    3  「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。 ひとりの男の子が私たちに与えられる。 主権はその肩にあり、 その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」イザヤ9:6 イエス・キリストが主であり、「力ある神」「永遠の父」「平和の君」であることはイメージできます。 では「不思議な助言者(ワンダフル・カウンセラー)」はどうでしょうか? これは、キリストの霊である聖霊のご性質だとも言えます。 クリスチャンは、聖霊様というカウンセラーがいつもともにいてくださる、という特権をいただいています。 今日、どんなことを相談していますか。 そして、平安をいただいていますか。 AIやスマホ検索は便利ですが、画面にふれる前に一言、この方に尋ねてみましょう。 短い祈りでもかまいません。今ここにおられる方を意識してみましょう。 祈り:神様、感謝します。聖霊がともにいてくださることを意識して歩ませてください。手元のスマホを見るよる先に、あなたに祈り相談できるよう導いてください。アーメン

イザヤ7-8

通読:    イザヤ    7–8;  エペソ    2  「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」イザヤ7:14 「主が自ら、しるしを与えてくださる」 イザヤは自分の子どもが生まれたのは知っていました。 しかし、もっと大きな預言の成就~救い主キリストの誕生~は見ることがありませんでした。 私たちはすでに起こったことを知っています。 旧約の預言者たち以上に確信と信仰をもって、キリストをほめたたえることができます。 祈り:神様、私の信仰を強くしてください。人でなく、主を見上げて賛美できますように。アーメン 

イザヤ5-6

通読:   イザヤ    5–6;  エペソ    1  「私は主が言われる声を聞いた。『だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。』私は言った。『ここに私がおります。私を遣わしてください。』」イザヤ6:8 年齢、家庭環境、自信のなさなどで、仕事や趣味をあきらめたことがありますか?私はあります。皆さんはどうですか? でも、神の召しは自分の決定ではありません。目に見える境遇とは異なり、思いがけないことも多いのです。 イザヤが呼ばれた時、彼は準備が整っていませんでした。しかし、神に従ったゆえに、神の働きをする器として用いられました。 教会内外で、神様があなたを招いておられるフィールドがありますか。それは無償のさりげない奉仕だったり、小さなボランティアだったりするかもしれません。 神の招きを確信したとき、「ここに私がおります」と応答できますように。 祈り:神様、あなたの促し、招きを聴くことができますように。応答する信仰を 与えてください。アーメン

イザヤ3-4

通読: イザヤ    3–4;  ガラテヤ    6 「その日、主の若枝は麗しいものとなり、栄光となる。地の果実はイスラエルの逃れの者にとって、誇りとなり、輝きとなる。」イザヤ4:2 イザヤのことばが成就した時代、物質的な繁栄と見えるものに信頼していた人たちは涙と悲しみにくれました。 対象的に、「主の若枝は麗しいものとなり、栄光と」なります。それは希望の「誇り」「輝き」です。 キリストが来られたことによって、さらにこの預言は成就しました。 そして、今の私たちにとっても「主の若枝」であるキリストは麗しく、私たちの栄光であり、人生の嵐の中の希望、輝きです。 聖書を調べ、礼拝し、宝石のようなキリストの輝きをご一緒に味わい、体験しましょう。 祈り:神様、キリストの輝き、希望をもっと知り、味わい、体験できますように。私の人生の中で、あなたが宝石のように輝いてください。アーメン

イザヤ1-2

通読: イザヤ    1–2;  ガラテヤ    5 「さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる── たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、 雪のように白くなる。 たとえ、紅のように赤くても、 羊の毛のようになる。」イザヤ1:18 反抗的な民への主のことばでイザヤ書は始まります。 罪を重ねる民に、いったいどんな希望があるだろうかとも思えます。 しかし、神は招いてくださいます。そして、「雪のように白くなる」と言われます。 キリストを通して、私たちはすべての罪が赦されます。その代償はキリストのいのち、十字架の死です。 神様がどんなに恵み深い方か...想像を絶する恵みを、この週末時間を取り、しみじみと思い巡らしてみましょう。 祈り:神様、あなたの恵みと私へのあわれみの大きさ、高さ、深さ、広さに圧倒されます。私を救うためにいのちをかけてくださったキリストの愛に感謝します。アーメン

雅歌6-8

通読: 雅歌  6–8;  ガラテヤ    4 「封印のように、私をあなたの胸に、 封印のように、あなたの腕に押印してください。 愛は死のように強く、 ねたみはよみのように激しいからです。 その炎は火の炎、すさまじい炎です。 大水もその愛を 消すことができません。」雅歌8:6 封印は、たしかにそこにあるという印でもあります。「封印のように押印」されたなら、ずっとそこに留まっています。 私たち自身がキリストの胸に封印されているとするなら、だれがそれを引き離すことができるでしょう。 実際に、主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われました(ヘブル13:5)。 自分の力ではキリストにとどまる自信がなくても、すでに主によって押印されています! 祈り:神様、あなたの愛と約束を感謝します。キリストにとどまることの素晴らしさをより理解できますように、霊の目を開いてください。アーメン

雅歌4-5

通読: 雅歌  4–5;  ガラテヤ    3  「その口は甘美そのもの。あの方のすべてがいとしい。  これが私の愛する方、これが私の恋人です。エルサレムの娘たちよ。」雅歌5:16 男性も女性も、それぞれの美しさを描写しほめたたえます。 「すべてがいとしい」と述べた後、 「これが私の愛する方、これが私の恋人です」と女性は言います。 新改訳だと同じようですが、 「愛する人 my lover」, 「私の友 my friend」としている訳もあります。 夫婦は恋人であり、同時にベストフレンド(大親友)でもあります。 イエス様が私たちを愛し「友」と呼んでくださることも思い出します。 イエス様にすべてを受け入れられ、赦され、親しく祈り交わる幸いを思い、感謝します。 祈り:神様、あなたが上からだけでなく、人としてイエス・キリストを遣わしてくださり感謝します。身近に、友と呼んでくださるすばらしい主の愛を感じることができて幸いです。この恵みを私自身の人間関係にも反映できるよう、導いてください。アーメン

雅歌1-3

通読:    雅歌  1–3;  ガラテヤ    2  「私の愛する方の声がする。 ほら、あの方が来られる。 山を跳び越え、丘の上を跳ねて。私の愛する方は、 かもしかや若い鹿のようです。」雅歌2:8ー9 雅歌は夫婦の愛を歌っていると読めます。でも、夫婦愛にまさるキリストと教会の愛、ひいてはキリストと私たちの愛についての美しさを歌っています。 「主よ、来てください」という願いに答え、主がかもしかや若い鹿のように駆けて来られるなら・・・。 想像しただけですてきな場面です。 しかし、これは現実です。 そして、私たちが「来てください」と願う時、すでにここにいてくださるのです。 眠ることもまどろむこともなく、決して見捨てることもなく、死別することもなく、いつも共にいてくださいます。 祈り:神様、あなたの守りと私への愛を思い、改めて感謝します。主の臨在を覚えつつ、今日も歩ませてください。アーメン

伝道者の書10-12

通読: 伝道者の書    10–12;  ガラテヤ    1 「あなたのパンを水の上に投げよ。 ずっと後の日になって、 あなたはそれを見出す。」伝道者の書11:1 危険の可能性を分散することは広く行われています。 災害対策の備蓄や、金融の投資先なども、一ヶ所でない方が安全だそうです。 伝道にも当てはまるでしょうか。今日の箇所を見ると、「パンを水の上に投げよ」とあります。 一つがうまくいかなくても、水の上に投げ続けるような無駄に思えても、「ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す」のです。 年齢を重ねるにつれて、働きそのものは焦点を定めるものに導かれるかもしれません。 でも同時に、福音の種まきをする場所は、年齢とともに円熟し広がっているともいえます。病院のベッドでさえ、存在がよいあかしになります。 何歳になっても、福音を分かち合うことに「引退」はないのです。 祈り:神様、あなたがくださったよい知らせ、「福音」のたねまきを続けさせてください。思いがけない方法、場所から、種が芽を出し実がなることを楽しみにします。アーメン

伝道者の書7–9

通読: 伝道者の書    7–9; 2  コリント    13 「悪を百回行っても、罪人は長生きしている。しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。」伝道者の書8:12 「悪人がなぜ栄えるのか」と悩む必要はありません。 神を恐れる者は「幸せであることを知ってい」ますが、「悪しき者には幸せがない(13節)」のです。 「順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ(7:14)」。 今、与えられている恵みを感謝して過ごすことと、試練の中でも思い巡らして幸せを見つけることが、知恵の一つなのですね。 祈り:神様、私にくださった歩みの中で、幸いに目をとめ味わうことができますように。周囲との比較から自由にしてください。アーメン

伝道者の書4-6

通読:   伝道者の書   4–6; 2  コリント    12     「貧しくても知恵のある若者は、 忠告を受け入れなくなった 年老いた愚かな王にまさる。 」4:13 ほっとするかもしれません。あるいは、どきっとするかもしれません。 高齢になると衰えてしまう、というわけではありません。 でも、もし「忠告を受け入れなくなった」ほど頑固なら、それは危険信号です。 ただでさえ、年齢を重ねると忠告してくれる人が少なくなります。 勇気をもって言ってくれた忠告の価値を、謙虚になって受けとるようにというアドバイスでもあります。 謙虚に受け取れる人は、知恵のある若者にも劣らない、すてきな存在です。 教会の中にも、そうしたすてきな人生の先輩がいることに感謝します! 祈り:神様、年齢にかかわらず、頑固さや強情さからお守りください。柔らかい心を与えてください。敬老記念礼拝です。教会にいる、主にあって若々しい兄姉を覚えて祝福をお祈りします。アーメン

伝道者の書 1–3

通読:     伝道者の書    1–3; 2  コリント    11:16-33 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」伝道者の書3:11 まもなくシルバーウィークです。楽しみにされている方もおられるでしょう。 計画を立てるのは楽しいものです。 その一方で、計画どおりにいかないこともあります。 私たちの力や予測の及ばないことが、なんとたくさんあることでしょう。 神のご計画も同じです。 私たちの短い生涯ではすべてを知ることはできません。 でも、聖書は「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と述べます。 生まれるのも、死ぬのも、神のご計画の中で持ち運ばれていくと知るなら、そこに後悔はありません。救いも神の恵みなら、日々も神の恵みと守りの中に生かされています。 祈り:神様、あなたのなさることに信頼します。その時も事柄も、祈り信頼する者にとっては守りと恵みに変えられることを体験させてください。アーメン

箴言30-31

通読:    箴言    30–31; 2  コリント    11:1-15 「むなしいことと偽りのことばを、 私から遠ざけてください。 貧しさも富も私に与えず、 ただ、私に定められた分の食物で、 私を養ってください。」箴言30:8 こういう箇所から、キリスト教が清貧だと言われるのかもしれません。 でも、よく考えるとこういうライフスタイルが一番豊かではないでしょうか。 むなしさや偽りから守られ、必要が備えられる人生は、最も平和で喜びがあります。 自分にとってのシンプルで豊かなライフスタイルはどのようなものか、考えてみましょう。そして主に願いましょう。 祈り:神様、聖書にある心豊かで平安な人生の秘訣を、実践することができますように。あなたの教えと導きを日々求めることができますように。アーメン

箴言27-29

通読: 箴言    27–29; 2  コリント    10 「人を恐れると罠にかかる。 しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。」箴言29:25 「あの人に悪いかな」、「こうしたら気分を害するかな」と悩むことがありますか? 気遣いや思いやりは、悪いことではありません。 しかし、自分の立場や安心のために人を恐れるなら、罠にかかることがあります。 「支配者の顔色をうかがう者は多い。 しかし、人をさばくのは主である(26節)」という事実を聖書はリマインドしてくれます。 主がどう思っておられるのか、主が何を願われるのか。地上の支配者の顔色でなく、みこころを求める人は幸いです。 なぜなら、主がさばきぬしであり、私たちを造られ最善を知っておられる方だからです。 祈り:神様、あなたの御顔を求めることができますように。そのように生きた信仰の先輩のあかしからも学ばせてください。アーメン

箴言25-26

通読:    箴言    25–26; 2  コリント    9 「あなたは隣人と争っても、 ほかの人の秘密を漏らしてはならない。」箴言25:9 「忍耐強く説けば、首領も納得する。 柔らかな舌は骨を砕く。」箴言25:15 「自分の霊を制することができない人は、 城壁のない、打ち破られた町。」箴言25:28 箴言は、実際の生活に今日から役立つ知恵で満ちています。 秘密を守ること、忍耐強く丁寧に説明すること、自制すること・・・。 今日、心がけたい知恵は何でしたか?それを発見し、「主よ、助けてください」と祈りましょう。 祈り:神様、箴言の知恵を実践したいです。どうか助けてください。聖霊により頼みながら、今日も歩ませてください。アーメン

箴言22-24

通読:    箴言    22–24; 2  コリント    8 「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。 そうすれば、年老いても、それから離れない。」箴言22:6 教会で、掃除がとても上手な人、料理が得意な人、音楽や絵が大好きな人がいます。 そして、とてもうまくできるのです。 また、好きなこと、やりたいことを仕事にしている人は、いきいきしています。 神様は、ひとりひとりに個性を与え、興味関心を与えてくださいました。 子どもたちや次世代の賜物や興味関心を見いだし、その成長を祈りながら応援するのは、なんと楽しいことでしょう。 受験や競争だけに限定される人生ではなく、社会にはもっと幅広い、もっと豊かなフィールドが広がっています。 もし追い詰められている若いお父さん、お母さんがいたら、リラックスの気づきを与えることができるのも、主の恵みを知っている私たちならではです。 祈り:神様、子育てで葛藤している人、進路で悩んでいる人がいるなら、聖書のことばに慰めと希望を見いだすことができますように。主がお入り用でしたら、小さな私も用いてください。アーメン

箴言19-21

通読: 箴言    19–21; 2  コリント    7 「義と恵みを追い求める者は、 いのちと義と誉れを見出す。」箴言21:21 箴言は、富を得ることを悪とはみなしていません。むしろ、勤勉に働くこと、必要が満たされることを勧めています。 一方で、聖書は神をないがしろにして富や名声に執着することを戒めています。 「義と恵みを追い求める」のは、神の喜ばれる方向に、神の栄光の表れるように、です。 自分のためだけの富、自己中心的な行動ではなく、みことばと祈りによる確信、信仰の先輩の助言などを求めつつの歩みです。 そして、その方向に追い求めた人には主の「いのちと義と誉れ」があります。 祈り:神様、あなたの義と恵みを教えてください。新しい一週間に歩むとき、主の栄光を表すために生きていることを確認します。私を遣わしてください。アーメン

箴言16-18

通読:  13   箴言    16–18; 2  コリント    6  「人は心に自分の道を思い巡らす。 しかし、主が人の歩みを確かにされる。」箴言16:9 計画や目標を立てるのは、悪いことではありません。 むしろ、どのように歩むか祈りながら思い巡らし、書き留めるのは大切です。 けれども、握りしめず主に従うことはもっと大切です。 ある計画は、とてもスムーズにいくでしょう。 でもある計画は、途中で紆余曲折があったり、「待て」が入ったり、思いがけない展開になったりします。 主が最善をなしてくださると信頼しましょう。 時を待ったり、いったん保留にしたり、自分よりもうまくできる人を応援したり、別の角度で関わったり・・・。 千年が一日のようである主は、時に何年も何十年も待ってから計画を再び導かれることさえあります。 祈り:神様、あなたの導きに信頼したいです。祈りながら計画を立て、みことばと祈りをもって時に大胆に、時に慎重に歩めますように。アーメン

箴言13-15

通読: 箴言    13–15; 2  コリント    5 「牛がいなければ飼葉桶はきれいだが、 豊かな収穫は牛の力による。」箴言14:4 先日の木曜集会では、日本の慣習や宗教行事との関わりについて、さまざまな知恵や意見の交換がありました。 今まで気づかなかった視点や、それぞれの葛藤なども率直に分かち合うよいときでした。 神様は、多様な私たちをこうして同じ教会に導き、教会の幅を広げようとされているのだと感謝しました。 「牛」は存在と共に、その個性、エサや排泄物、鳴き声などもついてきます。しかし、その価値は測りしれません。 私たちも、一人一人の背景や歩んできた人生を分かち合い喜び合うことが、はかりしれない価値のある主の豊かさに歩むことなのだと教えられます。 祈り:神様、教会の一人一人のおかれた場所に祝福がありますように。あなたがそれぞれの個性や賜物に応じて派遣されていることを覚え、感謝します。アーメン

箴言10-12

通読:    箴言    10–12; 2  コリント    4 「気前よく施して、なお富む人があり、 正当な支払いを惜しんで、 かえって乏しくなる者がある。  おおらかな人は豊かにされ、 他人を潤す人は自分も潤される。」箴言11:24-25 神にも人にも感謝の気持ちを表すことは大切です。 そして、キリストに似た者となるなら、キリストが気前よい方であるように、私たちも気前よくあることを聖書は勧めます。 といっても、浪費とは異なります。 正当な支払いも惜しまないようにと戒めています。  イエス様が、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」(マタイ22:21)と言われたように、誠実で丁寧な生活を目刺しましょう。 祈り:神様、私の暮らしが誠実で、人にも神にも喜ばれる支出と管理ができるよう助けてください。アーメン

箴言8-9

通読:    箴言    8–9; 2  コリント    3 「わたしは神の傍らで、 これを組み立てる者であった。 わたしは毎日喜び、 いつも御前で楽しんでいた。 主の地、この世界で楽しみ、 人の子らを喜んだ。」箴言8:30-31 この章では「知恵」が語っています。 神の「知恵」とは、神のことばであり、キリストご自身でもあります。 天地創造の時にはすでに存在し、「毎日喜び、いつも御前で楽しんでいた」とあります。 それだけでなく、「主の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んで」くださるのです。 はかりしれない知恵を持ったキリスト、神ご自身が、人を愛し喜んでくださるとは、何という特権でしょう。この方に頼る者は、この方の知恵によって導き守られます。 祈り:神様、どんな困難や試練があっても、あなたの知恵はそれに勝ります。もっとあなたに信頼できますように。私の心にある不安や恐れを手放せるよう助けてください。アーメン

箴言6-7

通読: 箴言    6–7; 2  コリント    2 「私の命令を守って生きよ。 私の教えを、自分の瞳のように守れ。 それを自分の指に結び、 心の板に書き記せ。」箴言7:2-3 箴言には、性的誘惑への忠告が繰り返し出てきます。 それだけ弱い分野だといえます。 でも、誘惑はそれだけではありません。 お酒、ギャンブル、チョコレート、コーヒー、ネット、オンラインゲーム、SNS・・・と、依存性のあるものは身近にあります。 私たちの誰もが無縁ではありません。 神様以上に優先するものがあるなら、心を点検しましょう。 聖書も「神の教えを、自分の瞳のように守れ」「それを自分の指に結び、心の板に書き記せ」と言います。 みことばを指に結び、心の板に書くように、いつも思い出す工夫を考えたいですね! 祈り:神様、あなたのみことばが目に入るように______(工夫)します。あなた以上に依存ししがみつくものがないよう、誤った執着心から解放してください。アーメン

箴言3-5

通読:    箴言    3–5; 2  コリント    1 「心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りに頼るな。 あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。 主があなたの進む道をまっすぐにされる。」箴言3:5-6 箴言は知恵がつまっていて、1日に何章も読むと情報量に圧倒されてしまいます。 同時に、自分が一度に一つのことしか考えられず、豊かな知恵のほんの一部しか覚えていられないことを自覚します。 「自分の悟りに頼るな」、「主に依り頼め」というアドバイスがいかに的確か! 「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。 いのちの泉はこれから湧く。」箴言4:23 今日の心は、何を見ているでしょうか。「自分の悟り」というフィルターを通した、至近距離のものだけでしょうか。それとも、「主に依り頼」んで、見えないものに主の知恵を祈るでしょうか。 祈り:神様、私の心がふらふらしないよう、助けてください。自分の悟りでなく、あなたの知恵と恵みに依り頼む信仰を与えてください。アーメン

箴言1-2

通読: 箴言    1–2; 1  コリント    16 「わが子よ。もしあなたが私のことばを受け入れ、 私の命令をあなたのうちに蓄え、 ...銀のように、これを探し、 隠された宝のように探り出すなら、」箴言2:1~4 「バイブル・ジャーナリング(Bible Journaling)」が静かなブームだそうです。聞いたことがありますか? 聖書を丁寧に読み、余白やメモに教えられたことを書いたり、マーキングしたり、示されたイラストを書いたりして、自分だけのみことばの記録を残していくことです。 英語では、そのための聖書(左右の余白がとても広い)も販売されています。 日本語だとそんな聖書は見かけないかもしれません。でも、同じような気持ちで1節1節を読むことはできます。自分だけのノートを作ったり、付箋を用いたりもできますね。 小学生が国語辞典にいっぱい付箋をはって学ぶように、私たちも聖書に親しみ、そこにある神の知恵、隠された宝を掘り出しましょう! 祈り:神様、聖書にもっと親しめますように。神の知恵に頼り、日々霊の食物をいただいていきいきと歩めますように。アーメン

詩篇 148-150

通読:     詩篇   148–150; 1 コリント   15:29-58 「息のあるものはみな 主をほめたたえよ。 ハレルヤ。」詩篇150:6 詩篇の最後の5つ(146-150篇)は「ハレルヤ」と神をたたえる詩篇です。 生きているものはみな、主をほめたたえよう!と招かれています。 世界中で主をほめたたえる声が起こり、地響きのように聞こえたら、どんなに素晴らしいでしょう。 やがてそれは、イエス・キリストの来臨と回復の時、現実のものとなります。 想像もできないほどの素晴らしいことが、やがて起こります。 毎週の礼拝は、その情景を垣間見るものです。 今日も期待しつつ。 祈り:神様、私も「ハレルヤ」とあなたに賛美します。今日の礼拝も、心から賛美をささげたいです。様々な人が共に集まり礼拝する恵みに感謝します。アーメン

詩篇 146-147

通読: 詩篇   146–147; 1 コリント   15:1-28  「神は馬の力を喜ばず 人の足の速さを好まれない。主を恐れる者と 御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。」詩篇147:10-11 私たちが頼りにする神様とは、人間「が」作ったのではなく、人間「を」造った方です。 そして、目に見える力や能力ではなく、私たちの心を見られる方です。 何かに取り組む時、大きな課題がある時は、静まって主を待ち望み、主を礼拝し、主の力と導きを体験する絶好の機会です。 「心の打ち砕かれた者を癒やし 彼らの傷を包まれる(3節)」主に感謝します。 祈り:神様、あなたの力を頼りにします。自分の常識や経験だけではあなたを喜ばせることはできません。思いがけない主の脱出の道、みこころの道に導いてください。アーメン

詩篇 143-145

通読:    詩篇   143–145; 1 コリント   14:21-40  「朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。」詩篇143:8 今日の箇所(143-145篇)もダビデの賛歌です。 詩篇は祈りの宝庫です。祈り方がわからない時は、詩篇のことばを祈り心でゆっくり朗読してみましょう。 今日のダビデの祈りも、そのまま私たちの祈りとして祈ることができます。 主を待ち望み、「朝にあなたの恵みを聞かせてください」「行くべき道を知らせてください」と願いを主に告白しましょう。 祈り:神様、あなたの恵みを聞かせてください。あなたに信頼しています。私の行くべき道を知らせてください。心からあなたの御顔を仰ぎます。アーメン

詩篇 140-142

通読: 詩篇   140–142; 1 コリント   14:1-20 「主よ 私をよこしまな人から助け出し  暴虐を行う者から守ってください。」詩篇140:1 順境の時にも、逆境の時にも、ダビデと神の距離は離れませんでした。 敵に追われた洞窟の中でも祈りました(142篇)。 そして、罪を犯した後も、彼は背を向けず真正面から悔い改めました。 神もまた、彼に真実を尽くし恵みと守りを与えられました。 私たちの神との距離、そして向きはどうでしょうか。 日曜の子どもメッセージに出てきたアダムとエバのように隠れず、神をまっすぐ向いているでしょうか。 祈り: 神様、正直に素直にあなたに祈り話せますように。嫌なことも感謝なことも、親しく申し上げたいです。アーメン

詩篇137-139

通読: 詩篇 137–139; 1  コリント 13 「神よ 私を探り 私の心を知ってください。 私を調べ 私の思い煩いを知ってください。私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て 私をとこしえの道に導いてください。」詩篇139:23-24 私のあるSNSのアカウントが、知らないうちに乗っ取られたようです。 一瞬頭が真っ白になりました。 祈り、できる範囲の対処をして待機しているところです。 この出来事の後、久しぶりにこの詩篇を読み、考えさせられました。 私の心はどこにあるか、私の思い煩いが何か、主は知っておられます。 そして、どんなことよりも主とともに過ごす時間を大切にするように望まれます。 じたばたせず祈って待つことと、何より大切なことを優先できるかとを問われています。 神はすべてをご存じだから、私よりずっと解決に近いのです。 なすべきことをした後は、神を待ち望むことに集中します。 祈り:神様、あなたを待ち望みます。私の道を教えてください。同時に、しないでよいことは手放すことができるように導いてください。アーメン

詩篇135-136

通読:    詩篇  135–136; 1  コリント  12 「主はすべての肉なる者に食物を与える方。 主の恵みはとこしえまで。」詩篇136:25 進路や導きを考える時、何を優先しますか? 精神的なこと(やりがい、興味や適性など)でしょうか。 あるいは実際面(就職率、収入、余暇時間など)でしょうか。 いろいろありますが、 私たちに食物を与える恵み深い主は、私たちの最善を知っておられます。 信頼し、深呼吸して、主のみ思いを聴けるよう祈っていきましょう。 祈り:神様、あなたの恵みの中を歩みたいです。みことばや明確なしるしを通して語ってください。アーメン

詩篇132-134

通読: 詩篇 132–134; 1  コリント 11:17-34 「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。 兄弟たちが一つになって ともに生きることは。」詩篇133:1 家族や兄弟、教会や信仰者たちの一致は美しい情景です。 それは「頭に注がれた貴い油のよう」(2節)であり、 「ヘルモンからシオンの山々に降りる露のよう」(3節)です。 何よりも、主が「そこにとこしえのいのちの祝福」を命じられたから(3節)です。 身近な人と、うまくいかない人間関係がありますか? すぐには事態は動かないかもしれません。 でも、主が祈りに答えてくださることを信じましょう。 なぜなら、この詩篇にあるように、和解と回復が主のみこころだからです。 祈り:神様、気にかかるあの人との関係を回復させてください。あなたの介入と回復を信じます。アーメン

詩篇129-131

通読:詩篇  129–131; 1  コリント  11:1-16   「主よ 私の心はおごらず 私の目は高ぶりません。 及びもつかない大きなことや奇しいことに 私は足を踏み入れません。」詩篇131:1 クリスチャンは、頼りにされると親身になります。 キリストの愛を表すのはよいことですが、自分の限界を越えるほどやりすぎるなら、立ち止まって考えた方がよいかもしれません。 同じように、私たちが神様の領域にまで踏み込むことのないようにと、この詩篇は教えてくれます。 自分ですべてを支配しコントロールしようとするのでなく、「乳離れした子どもが母親とともにいるように(2節)」主を信頼し、安心して過ごせますように。 祈り:神様、自分の力で握りしめることがありませんように。及ばないことはあなたの御手にゆだね、平安を頂いて歩ませてください。アーメン

詩篇126-128

通読:    詩篇  126–128; 1  コリント  10:19-33 「主が家を建てるのでなければ 建てる者の働きはむなしい。 主が町を守るのでなければ 守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起き 遅く休み 労苦の糧を食べたとしても それはむなしい。 実に 主は愛する者に眠りを与えてくださる。」詩篇127:1-2 残暑の中、少しずつ日暮れが早くなって秋の気配を感じます。 食欲の秋、勉強の秋、読書の秋、スポーツの秋・・・。涼しくなったら何かしようと思います。 私たちの計画も予定も、主がきよめて導いてくださいますように。 主のみこころに進む時、私たちは不思議な平安と守りにおかれます。 祈り:神様、あなたの計画は何でしょうか。その方向に一歩踏み出せるよう、始めることとやめることとを教えてください。 また国内外の災害にあわれ、何日も眠れなかった方々を覚えます。主が今晩よい眠りを与え、疲れをいやしてくださいますように。慰めがありますように。アーメン

詩篇123-125

通読:    詩篇 123–125; 1  コリント 10:1-18 「私たちの助けは 天地を造られた主の御名にある。」詩篇124:8 予想もしなかった問題が持ち上がったり、訳のわからないままトラブルに巻き込まれたりした経験がありますか? 程度の差はあっても、多くの人に心当たりがあると思われます。 「もしも 主が私たちの味方でなかったなら」どうだったでしょうか。 ダビデは困難続きの人生を送りましたが、主に信頼していました。助けが主の御名にあると確信していました。 私たちも「主の御名を呼ぶものは救われる」ことを、ダビデのように日々味わいたいです。 祈り:主よ、あなたは救い主です。今日も、あのこと、このことを助けてください。キリストの御名に信頼します。アーメン

詩篇120-122

通読:    詩篇  120–122; 1  コリント  9 「主はあなたを守る方。 主はあなたの右手をおおう陰。  昼も 日があなたを打つことはなく 夜も 月があなたを打つことはない。 主は すべてのわざわいからあなたを守り あなたのたましいを守られる。」詩篇121:5-7 厳しい残暑が続いています。 昼間に外を歩くと、太陽がじりじりと照りつけ、足元からは照り返しの熱がやってきます。 「昼も日があなたを打つことはなく」が文字通り、守りとして伝わってきます。 さらに主は、まどろむことも眠ることもなく(4節)、24時間365日私たちを見守られる方です。 今日も主のまなざしを覚えて感謝しましょう。 祈り:神様、あなたがいつも見守ってくださり感謝します。主のまなざしに守られて今日も安心して歩みます。アーメン

詩篇119 (2)

通読:    詩篇  119:89-176; 1  コリント  8 「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」詩篇119:105 「みことばの戸が開くと 光が差し 浅はかな者に悟りを与えます。」詩篇119:130 どちらにしようか、どう決めようかと迷う時にはどうしますか? えいっと決めてしまいますか。それともいつまでも決断を先伸ばしにしますか。 判断基準は何でしょう。 聖書は、足と道を照らすように私たちを導いてくれると言います。 みことばはちょうど戸から暗い部屋に差し込む光のようで、「浅はかな者」に悟りを与えてくれると語るのです。 「浅はかな者」という表現が好きです。すべてを見通すことができない、表面だけしかわかっていない私たちに、すべてを隅々までご存じの主が、聖書を通して語りかけてくださいます。 あるときは、みことばそのものが方向を指し示します。 あるときは、私たちに忍耐するよう教えてくれます。 今日、頭の中に懸案があるなら、みことばに答えがあると信頼して求めましょう。 祈り:神様、あなたのみことばから悟りを与えてください。私の今日の光となって導いてください。祈りながら、みことばを黙想しながら主とともに判断できますように。アーメン

詩篇119(1)

通読:    詩篇  119:1-88; 1  コリント  7:20-40 「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。 それにより 私はあなたのおきてを学びました。」詩篇119:71 苦労が後に益になった、という経験をしばしば聞きます。 詩篇の作者は、「苦しみにあったことは幸せでした」と宣言しました。 なぜなら、それによって「主のおきてを学ぶ」ことができたからです。 試練の時、辛い時、あるみことばが心を支え、忍耐を与えてくれたことがありますか。 みことばが生きたものとなり、力があることを体験します。 主の支えと御腕を実際に味わうのです。 祈り:神様、みことばを通してあなたの助けと力を味わいます。通読箇所にぴんと来ない日があっても、みことばが心に蓄積されていくと信じます。日々あなたのことばに触れる習慣を与えてください。アーメン

詩篇116-118

通読: 詩篇  116–118; 1  コリント  7:1-19  「主が私に良くしてくださったすべてに対し 私は主に何と応えたらよいのでしょう。」116:12 順調な時は、この告白はまあ簡単かもしれません。 では逆境の時は? 詩篇を読むと、やはり感謝の応答に招かれているとわかります。 たとえ死の時も。 「主の聖徒たちの死は 主の目に尊い。」116:15 地上生涯を終える時、両手を広げて迎えてくださる主は、私たちのすべての涙もぬぐってくださる方です。 祈り:神様、あなたの愛と恵みに守られて、人生の道のりをまっとうできますように。小さな子どもたち、高齢の兄弟姉妹たちを格別にお守りください。アーメン

詩篇113-115

通読: 詩篇113-115, 1  コリント6  「あなたがたが祝福されるように。 天と地を造られた方 主によって。」詩篇115:15 主の祝福を求めるなら、主はその願いを様々なかたちでかなえてくださいます。 私たちは感謝して、そのままの姿で受け取ります。 そして、感謝を主に表したいと心から願い、賛美し礼拝します。 教会の奉仕も、宣教も、献金も、しいられてではなく、主への感謝が動機です。 祈り:神様、あなたがよい方であることを覚え、恵みを味わいます。祝福は物質だけでなく、知恵や導き、心の平安や出会い、つながりで与えられることも覚えます。何とたくさんの祝福を日々頂いていることかと感謝します。アーメン

詩篇110-112

通読:   詩篇 110–112; 1  コリント  5 「知恵の初め それは主を恐れること。 これを行う人はみな賢明さを得る。 主の誉れは永遠に立つ。」詩篇111:10 知恵の初めが主を恐れることで、そうする人は賢くなる、ということです。 逆に創造主、私たちの人生の目的を知っておられる方を知らずに生きるのはむなしいとも言えます。 また、この方は罪の贖いのためにイエス・キリストを送り、救いの約束を永遠に守られる方です。 「主は 御民のために贖いを送り ご自分の契約をとこしえに定められた。 主の御名は聖であり 恐れ多い。(9節)」 キリスト誕生のずっと前にこの詩篇が書かれていること自体が、神の知恵であり神の真実さの表れです。 祈り:神様、あなたの約束の確かさを知りました。永遠のいのちの約束、家族の救い、人生の知恵が聖書に詰まっていることに感謝します。みことばからさらに学ばせてください。アーメン

詩篇107–109

通読:  詩篇 107–109; 1 コリント4 「主は彼らを闇と死の陰から導き出し 彼らのかせを打ち砕かれた。  主に感謝せよ。その恵みのゆえに。 人の子らへの奇しいみわざのゆえに。   まことに主は青銅の扉を打ち砕き 鉄のかんぬきをへし折られた。」詩篇107:14-16 刑務所の跡を見学に行ったことがあります。 脱走防止のため、高い柵と頑丈な格子がありました。 こんなに硬いものは、普通の人の力では壊せません。 罪と死の恐怖につながれていた私たちは、ちょうど監獄の中に囚われているようでした。 そして主は、イエス・キリストの十字架を通し、青銅の扉や鉄のかんぬきを砕いて私たちを救ってくださいました。 囚人だった私たちはただただ救出の恵みを受け、釈放されたのです。 この自由を、神様に感謝し味わいましょう! 祈り:神様、罪のなわめから救ってくださり感謝します。あなたの恵みを感謝します。この解放の素晴らしさと恵みをどなたと分かち合えるか、今日も導き教えてください。アーメン

詩篇105-106

通読:詩篇 105–106; 1 コリント 3 「私たちの神 主よ 私たちをお救いください。 国々から私たちを集めてください。 あなたの聖なる御名に感謝し あなたの誉れを勝ち誇るために。」詩篇106:47 反逆や失敗を含めた旧約の人々の歴史と、そこにある神のあわれみと恵みを振り返っています。 詩篇がまとめられた当時は、捕囚でばらばらになった歴史も意識されていました。 「国々から私たちを集めてください・・・あなたの聖なる御名に感謝」するために、という祈りは、毎週礼拝に集う私たちにもあてはまります。 「町々から私たちを集めてください・・・」と。 それは主に感謝し、礼拝をささげるためです。 祈り:神様、国々から集められた民のように、私たちもあちこちから集められる毎週の礼拝に感謝します。あなたの聖なる御名を喜び、感謝します。礼拝の大切さと、信仰者が集まれる喜びを、さらに教えてください。アーメン 「

詩篇103-104 

通読: 詩篇. 103–104; 1 コリント 2  「私の心の思いが みこころにかないますように。 私は 主を喜びます。」詩篇104:34 「心の思い」は「メディテーション meditation」とも表現されています。 じっと思い巡らす時、心に何が浮かぶでしょうか。 否定的なこと、雑多な用事、かなわなかった夢、昨日の失敗・・・ それとも、 神がよくしてくださったこと、主の真実と麗しさ、感謝、将来への希望・・・ でしょうか。 誰にも知られず、自分の中でひそかにメディテートしていることが「みこころにかないますように」。 祈り:神様、私の心の思い、意識を向ける方向が「みこころにかないますように」。 そうした心、思いで過ごしたいです。導いてください。アーメン

詩篇100-102

通読:詩篇 . 100–102; 1  コリント . 1 「しかし 主よ あなたはとこしえに御座に着いておられます。 あなたの呼び名は代々に及びます。」詩篇102:12 表題にはっとさせられます。 「苦しむ者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの。」 嘆きを率直に、主の前に注ぎ出した人の言葉です。 「心が青菜のように打たれてしおれ(4節) 「廃墟のふくろうのよう(6節)」 「眠ることもできず(7節)」 「灰をパンのように食べ 飲み物に涙を混ぜ合わせ(9節)」 など、嘆きが手に取れるようです。 しかし、「しかし(12節)」と彼は考えを改めます。 目を神に向け、「しかし」と神を見ます。 心を一新し、「しかし」と向きを変えることができました。 彼の信仰だけでなく、心を注ぎ出して祈る者に神がすでに答え始められたのだと思います。 私たちの心を注ぎ出す祈りに、神は耳を傾けてくださいます。 祈り:神様、私の今の状況、気にかかることを、心を注いであなたの前に祈ります。あなたの語りかけを聴くことができますように。主に心向けます。アーメン

詩篇97-99

通読:詩篇  97–99;  ローマ 16   「全地よ 主に喜び叫べ。 大声で叫び 喜び歌い ほめ歌を歌え。」詩篇99:4 主の救いと義は「国々の前」に現され、「地の果てのすべての者」に示されました(2~3説)。 キリストが来られて、この詩篇は全世界で事実となっています。 「全地」が主に喜び叫び、 「海とそこに満ちているもの」(7説)、 「もろもろの川」「山」(8説)が喜び歌うこともまた、 主のご計画でありみこころです。 祈り:世界を創造された神様、すべてはあなたの栄光を表すために存在しています。地上の回復が約束されているという希望に感謝します。アーメン

詩篇94-96

通読: 詩篇  94–96;  ローマ 15:14-33 「天は喜び 地は小躍りし 海とそこに満ちているものは 鳴りとどろけ。 12野とそこにあるものはみな 喜び躍れ。 そのとき 森の木々もみな喜び歌う。主の御前で。 13主は必ず来られる。地をさばくために来られる。 主は 義をもって世界を その真実をもって諸国の民をさばかれる。」詩篇96:11-13 今日の詩篇は「神はさばき主」だと教えてくれます。 ただ、そのさばきは主に信頼する者にとっては恐ろしくありません。 むしろ、早く来てほしいと願うようなものです。 94;2「地をさばく方よ 立ち上がってください」 96:13 「主は義をもって世界を その真実をもって諸国の民をさばかれる」 そして、地上とすべてのものは喜びます。災害ではなく、自然界の麗しい喜びと平安が覆います。滅びではなく回復の時です。 祈り:神様、あなたの正しいさばきの時を、私も待ち望みます。虐げられている者への回復と、あなたを賛美する素晴らしい時を期待します。今日、災害や戦乱で苦しむ方に、主の慰めと励ましがありますように。アーメン

詩篇91-93

通読: 詩篇91–93; ローマ15:1-13  「いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。」詩篇91:1 主の隠れ場、陰で守られていると想像すると、安心感がやってきます。 「あなたは恐れない。 夜襲の恐怖も 昼に飛び来る矢も。 6暗闇に忍び寄る疫病も 真昼に荒らす滅びをも。」(5・6説) エペソ1章には「キリストにあって」という表現がしばしば使われています。ある訳では、これを「キリストに包まれて(wrapped)」としています。 全能者の陰にいるとは、神様に優しくラッピングされて、そばに置かれるもののようです。 祈り:神様、キリストを信じる者は、キリストにあって主に近くあるという恵みを思い巡らします。主にあって恐れからの解放が与えられていることに感謝します。アーメン

詩篇89-90

通読:詩篇89–90; ローマ14 「北と南 あなたがこれらを創造されました。 タボルとヘルモンは 御名を高らかに歌います。」 詩篇 89:12 「私たちの齢は七十年。 健やかであっても八十年。 そのほとんどは 労苦とわざわいです。 瞬く間に時は過ぎ 私たちは飛び去ります。」詩篇 90:10 モーセのこの詩を読むと、人生が短くむなしいものに聞こえるでしょうか。 しかし、彼が主に用いられたのは後半生、80歳からのことでした。 また、イエス・キリストの公生涯も30歳からの3年余りでした。 人生は短い。でも、主のご計画を生きるには短すぎない。 「どうか教えてください。自分の日を数えることを。 そうして私たちに 知恵の心を得させてください。」(90:12) 祈り:神様、あなたの与えてくださった人生で、あなたのご計画を 受け取り歩みたいです。何歳であっても、むなしさではなく主にある希望と喜びを味わわせてください。 また、千葉の大雨で被害にあわれた方々、地域に、主の助けと慰めがありますように。アーメン

詩篇87-88

通読: 詩篇  87–88;  ローマ  13  「主が『この者は この都で生まれた』と記して 国々の民を登録される。」詩篇87:6 イエス・キリストを救い主と信じる人は、神の都シオンの住民のようです。 新しく永遠のいのちをもらって、神の国の民として登録されました。 「この者は この都で生まれた」と主ご自身が記録してくださいます。 私たちは地上で生まれて出生届がされたら、戸籍はそのままでは消えません。 (もっとも、住民票は転居のたびに移ります。時に「居所不明」になることもありますが・・・) 神の国の戸籍にも、一度登録されたら抹消されることはありません。 それは神の恵みによります。 自分の生きる意味がわからなくなったら、神によって生かされていることを思い出してください。 天の国の市民として、主にある誇りをもって歩みましょう。 祈り:神様、あなたの一方的な恵みで私に永遠のいのちをくださり、ありがとうございます。天の国の民として登録されていることに感謝します。健康的な誇りをもって、キリストとともに今日も歩みます。アーメン

詩篇84-86

通読: 詩篇 84–86; ローマ 12  「なんと幸いなことでしょう。 その力があなたにあり 心の中にシオンへの大路のある人は。  彼らは涙の谷を過ぎるときも そこを泉の湧く所とします。初めの雨も そこを大いなる祝福でおおいます。」詩篇84:5-6 心の中に行き場がないと、不安でどうしようもありません。無理に蓋をするか、堂々巡りを続けるかです。 しかし、この詩篇には素晴らしい事実が書かれています! 神を知る者には希望があるということ・・・、それは心の中に神の都への大通りがあるからです! 悲しみの涙があっても、それは泉のように尽きない、神のあわれみを体験する場となります。祝福も雨のように降り注ぎます。 今日も、神の元に行く大路が心に与えられていることを思い出しましょう。 祈り:神様、あなたがみもとにいつも招いてくださることに感謝します。私のすべての思い、雑多なものや葛藤も、あなたの元に置きにいきます。アーメン

詩篇81-83

通読: 詩篇 81–83; ローマ11:19-36  「神よ 沈黙していないでください。 黙っていないでください。 神よ 黙り続けないでください。」詩篇83:1 遠藤周作の「沈黙」という作品があります。 日本の禁教時代に、拷問され迫害される信者たちの葛藤を描いたものです。 踏み絵を踏まずに死刑になる人を、神は見過ごされるのか。 踏み絵を踏んだ者は裏切り者なのか、あるいは神は赦してくださるのか。 明確な答えは、作品の中には出てきませんでした。 読者はどう考えるのか、と問われているようです。 詩篇の作者も神が沈黙されてるように感じました。 でも、彼は祈り続けています。 最後には、悪者でさえも神を知ることができるように、ととりなしています。 先の「沈黙」の神の答えの一つは、今日の私たちの存在だと言えます。 あれほど迫害されても、時代がくだり、再び主を信じる者が起こされた。 そして、彼らの壮絶な信仰が驚きをもって発見され、語り継がれ、励ましとなっています。 祈り:神様、あなたが沈黙されていると思える時でも、信頼する心を与えてください。待ち望む忍耐を与えてください。アーメン

詩篇79-80

通読: 詩篇  79–80;  ローマ 11:1-18 「神よ 私たちを元に戻し 御顔を照り輝かせてください。 そうすれば 私たちは救われます。」 詩篇80:3,7 悲しさの中で、アサフは歌います。 逆境の中で、回復を祈ります。 もちろん神はよい方で、よいご計画をお持ちです。 でもそれが見えない時、なかなか来ない時、切実な祈りをすることも私たちには許されています。 涙ながらに心の葛藤や情けなさを叫ぶ時、それも神は受け入れてくださいます。 どうしようもない思いがあるなら、祈りで全てさらけ出し、重荷を御前に置きましょう。 祈り:神様、自分の力ではどうしようもない思いがあります。あなたの前に申し立て、重荷を置きます。主にある心の解放を体験させてください。アーメン

詩篇77-78

通読: 詩篇 77–78; ローマ10  「しかし 神はあわれみ深く 彼らの咎を赦して 滅ぼされなかった。 怒りを何度も抑えて 憤りのすべてをかき立てられることはなかった。 神は心に留めておられた。 彼らが肉にすぎないことを。 吹けば戻らない風であることを。」詩篇78:38-39 人間ははかない存在です。 大統領でも、首相でも、ノーベル賞受賞者でも、大富豪でも、悪人でも、やがて死んでいきます。 「肉にすぎない」「吹けば戻らない」弱い存在です。 神はあわれみ深い方です。 人を愛し、悔い改めを願われる方です。 その背後の悪、霊的なものに振り回されることを悲しまれる方です。 私たちの周囲も、教会も、日々悪の攻撃にさらされています。 「立っていると思う者は倒れないように(1コリント10:12)」、神のあわれみと守りを願い、目を覚まして祈りましょう。 祈り:神様、あなたのみわざを思い起こすことができますように。みことばを思い巡らすことができますように。今日一日も、私の心をお守りください。アーメン

詩篇74-76

通読: 詩篇74–76; ローマ9:16-33  「昼はあなたのもの 夜もあなたのもの。 あなたは月と太陽を備えられました。 あなたは 地のすべての境を定め 夏と冬を造られました。」詩篇74:16,17 昨日は立秋だそうで、暦の上では秋です。 まだまだ暑いけれども、少しずつ日の入りが早くなり、影が伸びてきていることにも気づきます。 人間には測り知れない知恵と力で、季節が動かされているのを感じます。 今年の夏と冬も神様が与えてくださり、その中で生かされている意味は何でしょうか。 祈り:神様、あなたの摂理と自然の支配に感謝します。 寒い冬が終わり、暑い夏もやがて涼しくなります。当然のように通りすぎず、生かされている者としてあなたを思い歩めますように。アーメン

詩篇72-73

通読:   詩篇  72–73;  ローマ 9:1-15 「神よ あなたのさばきを王に あなたの義を王の子に与えてください。彼が義をもって あなたの民をさばきますように。 公正をもって あなたの苦しむ民を。」詩篇72:1-2 ソロモン王のための、ダビデの祈りです。 神の知恵とあわれみで国を治めることができるように、ととりなしています。 リーダー、政治家、行政や外交の最前線にいる人たちのために、私たちも同じ祈りをささげることができます。 とりなし、膨大な情報やこれまでの経緯をふまえて判断しないといけない彼らの責任の重さを覚えます。 さらに、その判断が将来に大きな影響を及ぼします。 神の知恵でなければ、誰が正しく判断できるでしょう、と思います。 主をまだ知らない人であっても、背後のとりなしの祈りで神がその人を動かしてくださることがあります。 祈り:神様、上に立つ人たちのために祈ります。そのストレスや重責の中、彼らの判断が主に喜ばれ、主のみこころに沿ったものとなりますように。とりなしの祈りをささげます。アーメン

詩篇70-71

通読: 詩篇70–71; ローマ 8:22-39  「私は苦しむ者 貧しい者です。 神よ 私のところに急いでください。 あなたは私の助け 私を救い出す方。 主よ 遅れないでください。」詩篇70:5 「早く、早く」とこの世界は要求します。 ダビデも、そして私自身もそうです。 「『日常』という典礼」の中で、著者は「神に愛されている者として、私は忍耐という難しい習慣を学ばねばなりません」と語ります。 神様のリズムが、あまりにも自分と違うからです。 それでも、神に「早くしてください」と祈ってもよいのです。 私たちの心の願いを、そのまま申し上げることが許されているからです。 祈り:神様、「早くしてください」と祈ります。あの問題、この課題、癒し、回復・・・。祈りながら、あなたのタイミングを忍耐し期待することを学びます。あなたが最善をなさる方であると信頼します。アーメン

詩篇68-69

通読:   詩篇  68–69;  ローマ  8:1-21  「心の貧しい者たちよ 見て喜べ。 神を求める者たちよ あなたがたの心を生かせ。」詩篇69:32 市役所に行くと、立場によって福祉窓口の対応が違います。 支援を提供する側として行く場合は、非常に丁重です。 ところが、支援を受ける側(あるいは家族)として行く場合、かなり横柄な方もおられて悲しくなります。 こちらは同一人物なのですが・・・。 イエス様は、私たちの地上の立場がどうであれ、差別をされない方です。 むしろ、虐げられている人、弱い立場の人に寄り添われました。 そして、かえって「心の貧しい者は幸いだ」とも言われました。 詩篇も、「心の貧しい者たちよ 見て喜べ」と語ります。 その人たちが「神を求める者たち」であるなら、「心を生か」し力を与えてくださいます。 心貧しい者なら、喜ぼうではありませんか。 祈り:神様、弱い立場にある私たちを愛し導いてくださり、感謝します。低くされている人に、主の励ましと慰めを与えてください。アーメン

詩篇66–67

通読:詩篇  66–67;  ローマ  7  「神よ 諸国の民があなたをほめたたえ 諸国の民がみな あなたをほめたたえますように。」詩篇67:3,5 旧約聖書がイスラエル民族のためだけに書かれたというのは誤りです。 メシアの到来を告げる預言は、もちろんイエス・キリストの救いが全世界に及ぶためでした。 この詩篇でも、「諸国の民」「地の果てのすべての者」が神を賛美するようにとあります。 旧約聖書の預言書の中には、周辺の国に向けて警告されている部分もあります。 今の気象警報のように、行動を改め、悔い改めて対処することで避けられたものです。 ひとりも滅びることを願わない、あわれみに満ちた神のご性質を、改めて感じます。 祈り:神様、あなたの愛とあわれみは、旧約時代から全世界に向けられていたことを覚えます。この日本に、主のあわれみが今日も注がれていることを感謝します。アーメン

詩篇63-65

通読:  詩篇63–65; ローマ6 「脂肪と髄をふるまわれたかのように 私のたましいは満ち足りています。喜びにあふれた唇で 私の口はあなたを賛美します。」 詩篇 63:5 今でこそ日本で脂肪や油っこいものは敬遠されがちですが、当時は一番良いもの、ごちそううでした。 モンゴルに行った時にも、骨の周りの髄がごちそうとして出てきました。 そのごちそうを食べたように「たましいが満ち足りる」とは、何と充足した満足な情景でしょうか。 恵みに満たされ、喜びがあふれ出して賛美をささげるのです。 肉体が疲れ果てた時、精神的に疲れ果てた時には、心身の休息が必要です。 たましいを休め滋養をつけるには、脂肪と髄のようなみことばを食べ、主の前に黙想し休息する定期的な習慣が必要です。 どのようにその習慣を定めますか。 祈り:神様、あなたの前に憩い静まる習慣を与えてください。私のたましいがオーバーヒートしないよう、みことばをいつも私の前に置かせてください。あなたの御翼に覆われて歩めますように。アーメン

詩篇60-62

通読: 詩篇 60–62;  ローマ 5  「神にあって 私たちは力ある働きをします。 神が 私たちの敵を踏みつけてくださいます。」詩篇60:12 狭山池の花火に、たくさんの人が訪れていました。 花火の音が力強かったですね。 今日の詩篇の「力ある働きをする」は「勝利を治める」と表現している訳もあります。 どんな働き、どんな勝利を想像しますか? 私たちの本当の勝利は、目に見える活躍や功績ではなく、霊的なキリストにある勝利、罪と死の恐怖からの解放です。 それに基づく日々の歩みが、「神にある力ある働き」だと言えます。 花火は一夜でしたが、キリストの勝利は毎日、永遠です。 祈り:神様、私たちはあなたにあって安全であり、勝利があります。実感できない時もありますが、霊の領域ではすでに完了していると認めます。花火の音以上に力強く働かれる主に感謝します。アーメン

詩篇57-59

通読:   詩篇  57–59;  ローマ  4 「私をあわれんでください。神よ。 私をあわれんでください。 私のたましいは あなたに身を避けていますから。 私は 滅びが過ぎ去るまで 御翼の陰に身を避けます。」詩篇57:1 今日の詩篇は3篇とも、ダビデが苦境にあった時のものとされています。 「あわれんでください」と切に祈る姿を見習いたいと思います。 物理的には危ない状況にあっても、「たましいは あなたに身を避けています」と告白できました。 地震で閉じ込められた人たち、暑い中避難生活をする人たちの苦難を思うと、胸が痛みます。 たましいが「主の御翼の陰」の安全な所にあり、必要が届くように、届ける人にも守りがあるようにと祈ります。 祈り:神様、たましいの安全と平安を与えてくださる方であることに感謝し、あなたのお名前をほめたたえます。どうか生命の危機にさらされている方に助けが届きますように。二次災害や危険なハプニングなく、無事に届けられますように。アーメン

詩篇54-56

通読:詩篇  54–56;  ローマ  3 「あなたの重荷を主にゆだねよ。 主があなたを支えてくださる。 主は決して 正しい者が揺るがされるようにはなさらない。」詩篇55:22 デイキャンプが無事に終わりました。感謝でした。 大人も子どもも福音に変わりはないことを改めて教えられました。 主がささえてくださることの経験、主の守りを体験することも、年齢に関係ないのだと改めて感じたことでした。 祈り:神様、あなたの守りに感謝します。福音は何歳の人にとっても、どんな境遇にあっても、同じ希望をもたらすことを覚えて感謝します。アーメン

詩篇51-53

通読: 詩篇51–53; ローマ2  「神へのいけにえは 砕かれた霊。 打たれ 砕かれた心。 神よ あなたはそれを蔑まれません。」詩篇51:17 キャンプ当日です。 子どもたちより、大人の参加、お手伝いが多くなりました。 とても感謝なことだと思います。 子どもたちのために祈り奉仕する人、自分の子どもに付き添う人、感謝です。 また、興味があるからと参加してくださる方、歓迎です。 子ども向け、大人向けの福音がそれぞれあるわけではありません。 キリストの福音は同じです。 そして、福音はいのちに関わる事柄です。 砕かれへりくだった子どものような心で、共に味わい、受けとり、感謝する一日になりますように。 祈り:神様、キャンプの子どもも大人も、あなたの前にへりくだり福音を味わい受けとる一日となりますように。引き続き、被災地のことも覚えて祈ります。アーメン

詩篇49-50

通読: 詩篇 49–50;  ローマ 1  「しかし 神は私のたましいを贖い出し よみの手から 私を奪い返してくださる。」詩篇49:15 最近、スーパーにお盆のお供えを見かけます。お盆は、死んだ先祖の霊が帰ってくるというのです。 聖書は死後について、違った見解を持ちます。 先祖を敬い、思い返して感謝することは大切です。しかし、死んだ人はたたることもないし、生きている者の行為で天国と地獄の行き先が決まることもありません。 唯一、「神は私のたましいを贖い出し よみの手から 私を奪い返して(地獄に行くことのないようにして)くださる」方です。 「人は死ぬとき 何一つ持って行くことはできず その栄誉も、その人を追って下る(栄誉がついてくる)こともない(17節)」のですが、神を信じることで永遠のいのちが与えられます。 祈り:神様、私は、先祖たちの存在を通して生まれました。あなたの深い摂理によって、今日もこうして生き、永遠のいのちを頂いていることを感謝します。 暑さの中、熊本とその周辺の地震で被害を受けた方たちをお守りください。必要が届きますように。私たちも祈りで支えます。アーメン

詩篇46-48

通読: 詩篇46–48; 使徒 28  「川がある。その豊かな流れは 神の都を喜ばせる。 いと高き方のおられる その聖なる所を。神はそのただ中におられ その都は揺るがない。神は朝明けまでに これを助けられる。」詩篇46:4-5 台風で大きな被害が出た時、詩篇46篇の1~3節は教会への励ましのことばでした。 自然災害だけでなく、戦争や紛争の中にある人たちにも、この詩篇を通して神様の励ましがあふれています。 4節は、同じ水でも洪水ではなく、豊かな流れの川、喜びの水を描写しています。 5節で、神がその真ん中におられる都はゆるがない、とあります。 淀川を電車で渡る時、都市の命綱は水資源で、それを上手に治め利用してきたことを思います。 同じように、神の豊かな恵みと聖霊のあふれる流れが、川のように教会、そして一人一人を潤し生かしてくださいます。 何より、中心に神がおられ、私たちを治めてくださいます。 祈り:神様、あなたが私のただ中に住まれ、豊かな恵みを受け、どのように用いるかも導いてくださいます。与えられている時間や賜物を、豊かな聖霊様の働きにゆだねつつ、主のために用いさせてください。アーメン

詩篇43-45

通読: 詩篇 43–45;  使徒  27:27-44 「すばらしいことばで 私の心は沸き立っている。 王のために私が作った詩を 私は歌おう。 私の舌は巧みな書記の筆。」詩篇45:1 心から賛辞があふれ、舌がペンのように豊かな言葉を紡ぎ出す、そんな詩人の喜びが伝わってきます。 王をほめたたえ、喜びと賛辞にあふれるこの詩篇は、キリストを預言したものとされています(ヘブル1章)。 麗しく、優しさが流れ出て、祝福される方(2節)、 変わらない王座、公平なさばきをし(6節)、 神からの喜びの油注ぎがあり(7節)、 民が世々限りなくほめたたえる方(17節)です。 あなたにとってキリストは、どんな描写でほめたたえる方ですか。 祈り:神様、あなたを賛美する口が与えられていることを覚えます。良いことのためにこの舌を用いることができますように。アーメン

詩篇40-42

通読: 詩篇 40–42;  使徒  27:1-26  「わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。 なぜ 私のうちで思い乱れているのか。  神を待ち望め。 私はなおも神をほめたたえる。私の救い 私の神を。」詩篇42:11 心が疲れてしまったことがありますか? この詩篇では何度も「たましいがうなだれている」という表現がされています。 落胆し、希望を見失いそうになり、混乱で圧倒される様子です。 ダビデは「神を待ち望む」こと、「神をほめたたえる」ことで内面の混乱に対処しました。 一国の王も、平凡な私たちも、自分の心を治めるという同じ課題が与えられています。 ひとりで祈ること、友に話し一緒に祈ってもらうこと、神が与えられた様々な資源を用いること... すべてが望みなしと思える時、望みを与えてくださる主に信頼します。 祈り:神様、私のたましいがうなだれた時、あなたを待ち望みます。脱出の道を与えてくださると信頼し、主とともに通ります。アーメン

詩篇37-39

通読: . 詩篇37–39; 使徒 26 「主によって 人の歩みは確かにされる。 主はその人の道を喜ばれる。 その人は転んでも 倒れ伏すことはない。 主がその人の腕を支えておられるからだ。」詩篇37: 23-24 「正しい人は、主の導きに従って歩みます。主はその一歩一歩をお喜びになるのです。 たとえ倒れても、それで終わりではありません。主がしっかり支えておられるからです。」(リビングバイブル) 「倒れてもそれで終わりではない」というのは、かつて燃え尽き、もう立てないと思った私にとって、希望の光となることばでした。 そして、不完全な者が主に導いて頂くことの大切さを改めて学びました。 私たちは、一足でゴールに着くことはありません。人生はよちよち歩きのような、少しずつの歩みです。 主がその一歩一歩を喜んでくださる、そんな歩みをしたいと願います。 この夏、ご一緒に歩みをふりかえり、これからの方向を主に導いて頂くよう祈りませんか。 「あなたの道を主にゆだねよ。 主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(5節) 祈り:神様、あなたの道を歩ませてください。向きが違う時には、転んでも主が立たせ、あなたの望まれるところに導いてください。アーメン

詩篇35-36

通読: 詩篇 35–36;  使徒  25 「神よ あなたの恵みはなんと尊いことでしょう。 人の子らは 御翼の陰に身を避けます。」詩篇36:7 暑い日が続きます。昼間は、涼しい所に避難したくなります。 屋根があり、陰があるところです。 神様の恵みは、まるで涼しい日陰を作る屋根のように私たちを覆います。 自分の力でふんばらなくても、平安と安息の中で主に持ち運ばれていきます。 無理をしていることがありませんか。主にゆだねて、主がしてほしいと望まれていることを、恵みの中でさせていただきましょう。 祈り:神様、あなたの恵みは私の日々の生活にも及んでいます。今日の恵みを数え、肩の力を抜いて主とともに歩めますように。アーメン

詩篇33-34

通読: 詩篇 33–34;  使徒  24 「私はあらゆるときに 主をほめたたえる。 私の口には いつも主への賛美がある。」詩篇34:1 ダビデがピンチに陥っていたことは、表題を見るとわかります。 サウルに追われ、アビメレクの前でおかしくなったかのようにふるまい、見破られて追われた時のものです。 彼はのんきに「主をほめたたえ」ていたわけではありません。 「助けてください」とすがるしかない状況でした。 それでも「いつも主への賛美」をするよう、自分の心に言い聞かせ、それを宣言しました。 どうしようもない内外の状況でも、そこに埋没すると不安が増大し、恐れと心配で心が支配されます。 主を賛美すること、主をほめたたえることは、自らの心を取り扱うことでもあります。 悩みや不安から目を離して主を見上げ、心の深いところまで開け渡す時、主の恵みと平安のスペースが開きます。 祈り:神様、あなたの恵みと真実に目を留めます。危機の時の救いは主にあります。私が肉で行うものを取り除き、霊の目を開かせ、持ち運んでください。アーメン

詩篇31-32

通読:    詩篇  31–32;  使徒  23:16-35  「主よ 私はあなたに身を避けています。 私が決して恥を見ないようにしてください。 あなたの義によって 私を助け出してください。」詩篇31:1 「主よ 私が恥を見ないようにしてください。 私はあなたを呼び求めていますから。」31:17 「恥 (shame)」は、私たち日本に住む者にとって、よく理解できる感覚です。 というより、とても影響があり、避けたいものです。 ダビデは恥を見ないよう、主に呼び求めました。 私たちも、同じように呼び求めてよいのだと思います。 キリストご自身が最も恥を受け、十字架にかかってくださったことを思いつつ。 祈り:神様、私が恥を見ないよう守ってください。同時に、人の目ではなく、あなたを知ることを第一に求めることができますように。アーメン

詩篇29-30

通読: 詩篇 29–30;  使徒  23:1-15  「私のたましいが あなたをほめ歌い 押し黙ることがないために。 私の神 主よ 私はとこしえまでも あなたに感謝します。」詩篇30:12 「家(あるいは宮)をささげる歌」と表題にあります。大切なものを主にささげ、賛美する詩篇です。 主を心から賛美できず、「押し黙る」ようなことはありませんか。 もしそうなら、何が障害になっているのでしょうか。 そのものを手放し、主に心向けることができるよう祈りませんか。 祈り:神様、良いことであっても、手放すことを学ばねばならないときがあります。あなたより大切にするものがありませんように。私の心が、いつも主を賛美できますように。アーメン

詩篇26-28

通読: 詩篇 26–28; 使徒 22 「たとえ 私に対して陣営が張られても私の心は恐れない。たとえ 私に対して戦いが起こってもそれにも私は動じない。 」詩篇27:3 歴史ドラマで、城をぐるりと囲まれた戦国武将が出てくると、どんな気持ちだったかとあれこれ想像します。 ダビデも似た状況を経験しながら、しかしこのように宣言しました。 平静の秘訣は次の節です。 「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り 主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために。」(4節) 見えるものと見えないもの。 どちらに目を留めますか。 祈り:神様、見えるものにではなく、見えないものに目を留めることができるよう導いてください。アーメン

詩篇23-25

通読: 詩篇 23–25; 使徒 21:18-40 「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。」詩篇23:4 手術前の同意書に、家族としてサインをします。考えられる合併症に「死亡」とあります。確率は低いけれども、ゼロではない。 ダビデはもっと緊迫した中を通りました。 死の陰が濃く迫る中、慰めは主のむちと杖、主が私を導いてくださるという信仰でした。 手術に限らず、日々私たちの死の確率はゼロではありません。急病や事故、怪我や災害など、日常も死と隣り合わせだとも言えます。 今日も主にあって生かされていることを覚えつつ。 祈り:神様、あなたのむちとあなたの杖で、今日も私を導いてください。闘病中の方、手術を控えた方、リハビリ中の方にも、主の慰めと励ましが豊かに臨みますように。アーメン

詩篇20-22

通読: 詩篇 20–22; 使徒 21:1-17 「しかし 私は虫けらです。人間ではありません。 人のそしりの的 民の蔑みの的です。」詩篇22:6 イエス様の十字架の苦難を預言した詩篇です。 ここまで貶められ、人からも見下げられて十字架にかかった苦難は想像以上です。 もはや人間でもない、「虫けら」とまで無価値の状態になられたお方がイエス様です。 先日、非常に横柄でこちらの非を指摘する(ように聞こえた)電話対応を受けました。気持ちが落ち込み、自分の価値がなくなったような気分になりました。 そんなこともイエス様はわかってくださるお方です。しかも、その方が私たちの主、全能の神様です! 祈り:神様、弱さを知ってくださる方であることを感謝します。落胆し、自分の価値を見失いそうになる時もあなたは見捨てず、何よりもイエス様ご自身が苦難を通ってくださったことに感謝します。アーメン

詩篇18-19

通読: 詩篇 18–19; 使徒 20:17-38  「だれが 自分の過ちを悟ることができるでしょう。 どうか 隠れた罪から私を解き放ってください。」詩篇19:12 誰もが神の前に罪人であるのと同様、知らずに犯している罪があります。 気づかずに人を傷つけたり、隠れた動機(恐れ、過去の傷、競争心、比較、その他無意識のもの)に動かされたり...。 知らなかったとしても、神の前に罪であることに変わりありません。 「隠れた罪から私を解き放ってください」というのは、すべての人の祈りとなります。 祈り:神様、隠れた罪から私を解き放ってください。十字架の血潮で、それらが許されることを感謝します。気づきが与えられた時には、すぐに柔らかい心で悔い改めることができますように。アーメン

詩篇16-17

通読: 詩篇 16–17; 使徒 20:1-16  「私はいつも 主を前にしています。 主が私の右におられるので 私は揺るがされることがありません。」詩篇16:8 昨日に続き、揺るがされない人についてです。 ダビデは「いつも主を前に」し、「主が私の右におられるので」揺るがされないと言いました。 周りを主が取り囲んでくださっているのです。 私にとっては、病院や保健室のベッドのカーテンをぐるりと閉めると、その中で安心して療養できるイメージです。 自分の力だけで立ち向かわなくてよいのです。 主はいのちを与え、守り、平安を与えてくださるのです。 祈り:神様、今日も、そして永遠までも、あなたの守りが現実であることを覚えます。ハプニングが起こっても、あなたにすがり頼れることを覚えます。アーメン

詩篇13-15

通読: 詩篇  13–15; 使徒 19:21-41 「...このように行う人は 決して揺るがされない。」詩篇15:3 状況や人の言葉で心乱れることがあるでしょうか。 詩篇は「揺るがされない」のはどのような人か、あげています。要約すると、次のとおりです。 ・主の前に誠実に歩み、信仰を実践し、真実を語る人(2節) ・否定的な言葉や陰口を言わない人(3節) ・主の評価に従い、目先の損得で動かない人(4節) ・金銭にクリーンで、人の不幸に乗じて儲けようとしない人(5節) 主が導いてくださいますように。 祈り:神様、私の態度を支配してください。否定的なことを考え口にする悪からお守りください。私自身からも、そして教会の中からも、主に喜ばれないものを除き去ってください。アーメン

詩篇 10-12

通読:    詩篇  10–12; 使徒 19:1-20  「主よ あなたは貧しい者たちの願いを 聞いてくださいます。 あなたは彼らの心を強くし 耳を傾けてくださいます。」詩篇10:17 神が願いを聞いてくれるという希望があります。 では、どのくらいこの神に向かって願いを述べているでしょうか。 自分の周りのことだけ、時々思い立ったら、というのはあまりにもったいないですね。 自分や家族のこと、知人友人のこと、地域、社会や体制、日本、世界・・・ 信仰者の祈りは範囲を限定しなくてよいのです。 どんなことを今日、祈りますか。 祈り:神様、あなたに向かってもっと祈り、話したいです。あなたのみ顔をあおぎます。祈りへと導いてください。アーメン

詩篇7-9

通読: 詩篇  7–9; 使徒 18 「あなたの指のわざである あなたの天 あなたが整えられた月や星を見るに 人とは何ものなのでしょう。 あなたが心に留められるとは。 人の子とはいったい何ものなのでしょう。 あなたが顧みてくださるとは。」詩篇8:3-4 創造主のわざである広大な天と月や星を見ると、人はちっぽけで、何十億分の1の私など取るに足りないと思えます。 しかし神は、そんな私のことを愛し、目を注いでくださいます。 私の髪の毛の数、私の心の思いまで読み取られます。 夏の夜空を眺めて、七夕どころのスケールではない神の全知全能の素晴らしさを思いめぐらしませんか。 祈り:神様、あなたの素晴らしさを覚えます。どうぞ私の心を知り、私を導いてください。アーメン

詩篇 4–6

通読: 詩篇  4–6; 使徒 17:16-34  「平安のうちに私は身を横たえ すぐ眠りにつきます。 主よ ただあなただけが 安らかに 私を住まわせてくださいます。」詩篇4:8 ~弦楽器に合わせて。 「主よ 朝明けに 私の声を聞いてください。 朝明けに 私はあなたの御前に備えをし 仰ぎ望みます。」詩篇5:3 ~フルートに合わせて。 メンターの一人が「人生のリズムを大切にね。漫然と同じことをしていては、リズムがとれませんよ。」とアドバイスしてくれたことがあります。 ダビデは主の平安のうちに眠ると言い、この詩を弦楽器に合わせるよう指定しました。ゆったりとしたリズム、静かな呼吸と耳をすまして主の臨在を感じる時間です。 一方、早朝にはフルートの明るい音色に合わせて、今日も主を見上げて歩むという、霊の備えとスタートのリズムです。 私たち、あなたの一日、一週間、一ヶ月、一年・・・の過ごし方を、神様はどのように願っておられるでしょうか。 祈り:神様、あなたが私に願われるリズムを教えてください。惰性でなく、いつも新鮮な喜びと感謝で満たしてください。アーメン

詩篇 1-3

通読: 詩篇1-3、使徒17:1-15 「私は身を横たえて眠り また目を覚ます。 主が私を支えてくださるから。」詩篇3:5 実の子アブサロムに裏切られただけでも辛いのに、それが過去の自分の罪に由来するというなら、普通はおちおち寝ていられないと思われます。 しかし、主が盾となって支え守ってくださるので、ダビデは安眠できると賛美します。 昔から、奈良や京都のように四方を山で囲まれた町は安全でした。 同じように、主が私の回りを囲んでくださると想像してみましょう。 今日、何が心を揺るがしていますか。 重荷を自分の力で抱え続けることがありませんように。 祈り:神様、今日も重荷をキリストの元にゆだねます。批判や問題が来るとき、私の心を守り、謙遜に対応できますように。アーメン

ヨブ記41-42

通読: ヨブ記  41–42;  使徒  16:22-40   「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにされた。さらに主はヨブの財産をすべて、二倍にされた。」ヨブ記42:10 ある宣教団体が「マッチング・グラントMatching Grant」を行っていました。ある気前のよい寄付者が、誰かが捧げたら私もその同額を捧げます、と約束したそうです。それで、あなたの献金が宣教団体には2倍となる、という取り組みでした。 神様はこの寄付者以上に気前のよい方です。 なぜなら、すべての持ち主、全能者だからです。 「あなたには、すべてのことができること、 どのような計画も不可能ではないことを、 私は知りました。」(42:2) なぜ苦難があるのか・・・その答えは全能者の神がお持ちで、ある部分はわかるけれどある部分は私たちの理解が及ばないものでしょう。 しかし、ヨブ記の結末は、主はよいお方、信頼に足るお方だという確証を与えています。 祈り:神様、あなたがよい方であり、「すべてのことができること、どのような計画も不可能でないこと」を信じます。アーメン

ヨブ記38-40

通読:ヨブ記  38–40;  使徒  16:1-21   「ヨブは主に答えた。『ああ、私は取るに足りない者です。あなたに何と口答えできるでしょう。私はただ手を口に当てるばかりです。』」ヨブ記 40:3~4 神の摂理の前には、文句も不平もないこと、 自分を正しいと主張するのもむなしいことを、 ヨブは悟りました。 不完全さを認めた人に、神は恵みを与えてくださいます。 あれもこれもどっちつかずになるよりは、 焦点をしぼって主の望まれることを行うことが大切だと思います。 誕生日ごとに、半年ごとに、自分の進む方向を主に聴き、確認する時間を意識的に持ってみませんか。 祈り:神様、あなたの知恵と望まれる方向性を教えてください。雑多なことで私の小さな心がかき回され、あなたが見えなくなることがありませんように。大切なことを大切にできますように。アーメン

ヨブ記36-37

通読: ヨブ記  36–37;  使徒  15:22-41 「今、光は見ることができない。 それは雨雲の中に輝いている。 しかし、風が吹いて雲を払いのけると、北から黄金の輝きが現れ、 神の周りには恐るべき威厳がある。」ヨブ記37:21-22 雲の上には太陽が輝いている、と神の絶え間ない臨在を語るエリフ。 先が見えない状態の時、それは励ましとなることもあります。 しかし、エリフ自身も神の姿が見えていないのではとも思えます。 神がヨブにかけたいことばをかけておらず、彼自身も神を雲の向こうにしか見えていないからです。 うつの人に「がんばれ、がんばれ」と言うのは逆効果です。 頑張ってきて、これ以上頑張る力がないほど枯渇し、うつになるからです。 良かれと思ったことが逆効果になります。 神の励ましと人の励ましもこれに似ているかもしれません。 自らの限界と不完全さを知ることが、神を見る第一歩ではないでしょうか。 祈り:神様、自分の正しさや理論をふりかざすことがありませんように。謙遜な心を今一度与えてください。知っていると思う者が何も知らないという事実に、目を開かせてください。アーメン

ヨブ記34-35

通読: ヨブ記  34–35;  使徒  15:1-21 「『ヨブは知識もなしに語る。 彼のことばは聡明さに欠けている』と。どうか、ヨブが最後まで試されるように。 彼は不法者のように、ことばを返すからだ。」ヨブ記34:35-36 聡明なはずのエリフも、だんだんヨブを批判する言葉を発するようになりました。 他の3人と同じことを繰り返しています。 疲れもあったでしょう。 しかし、話しているうちにだんだんと感情が高まり、口に制御がきかなくなったのかもしれません。 私たちも、冷静でいようと思います。しかし、言葉数が多くなるにつれて私たちの心の底にある罪深い性質が口から出てしまいます。 ご一緒に、ヤコブの手紙3章の、舌(口から出る言葉)の危険を読み直しましょう。 祈り:神様、失言やことばの失敗を重ねてきました。許してください。傷つけた人に慰めを、愛に満ちた心で徳をたてあげる言葉を与えてください。アーメン

ヨブ記32-33

通読:ヨブ記  32–33;  使徒  14    「なぜ、あなたは神と言い争うのか。 自分のことばに、 神がいちいち答えてくださらないからといって。神はある方法で語り、 また、ほかの方法で語られるが、 人はそれに気づかない。」ヨブ記33:13-14 「神が即答されないから祈っても無駄だ」、という短絡的な思考に陥りがちです。...特に疲れている時には。 ですから、静まり安息することは、神の前に正しいことなのだと教えられます。 私たちが生きているのは忙しくするためではなく、神の栄光を表すためです。 神は彼をあわれんで仰せられる。 「彼を救って、 滅びの穴に下って行かないようにせよ。 わたしは身代金を見出した」と。(33:24) エリフの言葉の「彼」に自分の名前を入れて読んでみましょう。「身代金」はすでにキリストによって支払われています。あくせくしなくても大丈夫です。 祈り:神様、あなたにあって安息することを教えてください。主の素晴らしさを味わい、深い心の喜びと平安を見いだすことができますように。アーメン

ヨブ記30-31

通読: ヨブ記  30–31;  使徒  13:26-52 「神は私の道をご覧にならないだろうか。 私の歩みをすべて数えておられないだろうか。」ヨブ記31:4 ヨブはこれまで自分が正義と善行に歩んできたことを列挙します。 確かに、彼は正しく人格的にもすぐれた人でした。もちろん正しい人は祝福されるでしょう。 しかし、神の恵みは行いだけではありません。 なにもできず、十字架でイエスの横にはりつけられた強盗にも、救いの御手はのばされています。 立派な人ほど、自己義のわなに陥りやすいとも言えます。 恵みを受けた弱い人とも、共に喜べる者になれますように。 祈り:神様、あなたの恵みを感謝します。私が救われたのも恵みによることを覚えます。自分の弱さを棚にあげて他者を裁くことがありませんように。永遠のいのちをいただいた恵みを、共に味わわせてください。アーメン

ヨブ記28-29

通読: ヨブ記  28–29;  使徒  13:1-25  「神は知恵の道をご存じであり、 神こそ、それがある場所を知っておられる。それは、神が地の隅々までを見渡し、 天の下をことごとく見ておられるからだ。」ヨブ記28:23-24 いくつもの用事が重なるときや、判断を迫られる場面が多いとき、「知恵がないなあ」と痛感します。 そして後でくよくよ考えたり反省したりします。 ヨブ記は「神は知恵の道をご存じだ」と明確に述べます。 神は、人間のカウンセラーやすぐれた指導者をはるかにしのぐ方です。 その方に日々祈ってすがることができる幸いに感謝します。 祈り:神様、あなたの知恵と導きが必要です。懸案の○○について、主におゆだねします。導いてください。アーメン

ヨブ記25-27

通読: ヨブ記  25–27;  使徒  12 「見よ、これらは神のみわざの外側にすぎない。 私たちは神についてささやきしか聞いていない。 御力を示す雷を、 だれが理解できるだろうか。」ヨブ記26:14 神様の働きは、時に私たちの想像を越えすぎて、理解できないことがあります。 計画のスケールが大きすぎて、働いておられることが見えないことすらあります。 後ではっと気づくとき、偉大さに畏れを抱きます。 そんな経験があるでしょうか。もしあるなら、素晴らしいあかしです。 祈り:神様、あなたがすべてを支配し、治めておられることを信じます。アーメン

ヨブ記22-24

通読:ヨブ記  22–24;  使徒  11  「今そうでないからといって、 だれが私をまやかし者だと言えるのか。 だれが私のことばをたわごとと見なせるのか。」ヨブ記24:25 「人はうわべを見るが、主は心を見る(サムエル記第一16:7)」ということばを思い出します。 難民キャンプ、ホームレスの人々は、ともすれば「助けてあげる存在」と低く見られがちです。同じ人間なのに。臭いや身なりでも、人を判断しがちです。 いかに、その時のうわべしか見ていないかと思わされます。 ヨブの得てきた信頼も、親切も、すべて人の印象には残らなくなりました。うわべが悲惨だからです。 しかし、主はどんな時もその人の心を見てくださいます。主に造られたかたちとしての人格を尊重してくださいます。 祈り:神様、私たちの認知がいかに表面的なものかを知りました。へりくだって主の前に出ます。アーメン

ヨブ記20-21

通読: ヨブ記 20–21;  使徒  10:24-48  「なぜ悪しき者が生きながらえて 年をとっても、なお力を増し加えるのか。」ヨブ記21:7 ここまででなくても、「信仰のない人が楽しくうまく豊かにやっている。それなのに、私には苦労がやってくる」と聞くことがあります。 苦難の底辺にいたときのヨブの素朴な問いは、私たちの多くによぎる問いかもしれません。 短期的にはそう見えるでしょう。しかし、2つのことが考えられます。 1.第三者が外から見ていては、本当の状況はわからない: 「隣の芝は青い」と言います。よさそうに見えていても、当人はたまらない苦労を抱えていることがあります。表面の印象だけで実情ははかれません。 2.地上の人生だけで終わりではない: 永遠の視点で眺めた時、必ず主の前に立ち裁きを受けることが決まっています。神を否定し、自分勝手に生きていくなら、その報いを必ず受けます。逆に主に信頼した人は、永遠のいのちとよい報いを受けます。 祈り:神様、比較のわなから救ってください。そして永遠の視点、信仰の視点から物事を見ることができますように。アーメン

ヨブ記17-19

通読:    ヨブ記  17–19;  使徒  10:1-23 「私は知っている。 私を贖う方は生きておられ、 ついには、土のちりの上に立たれることを。」ヨブ記  19:25 旧約聖書の中でも、やがて来る希望がこのように明らかに宣言されていることを知ります。 しかもそれが、苦難の真ん中を通っているヨブの口から発せられたというのは驚きです。 彼は苦しいながらも、人生をあきらめていませんでした。 神の働きに期待していました。 私たちの人生観はどうでしょうか。 祈り:神様、あなたに頼る日々の歩み、人生は幸いです。祈りながら優先順位をつけ、与えられた人生をまっとうできますように。祈りつつ今週も歩みます。アーメン

ヨブ記14-16

通読:  .  ヨブ記  14–16;  使徒  9:22-43 「私の友は私を嘲る者たち。 しかし、私の目は神に向かって涙を流します。 その方が、人のために 神にとりなしてくださいますように。 人の子がその友のためにするように。」ヨブ記16:20~21 友人は何度も、ヨブの訴えに付き合ううち、いらいらしてきたのでしょうか。 上から目線で、なんとかなだめよう(あるいは正論を押し付けよう)とします。 しかし、ヨブにとっては 「そのようなことは、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、人をみじめにする慰め手(16:2)」でしかありませんでした。 見舞いに来たのに、励ましになっていませんね。 人のために神にとりなしてくださる方...それがイエス・キリストです。 神に向かって涙を流すとき、真の友となってくださいます。 そしてキリストの霊である聖霊が、信じる人の内に住まれます。 その方がとりなしていてくださるというのは、どれほどの慰めでしょう。 祈り:神様、出口がないような思いで苦しんでいる○○さんを覚えていのります。イエス様がまことの友であり、とりなしの祈りをしてくださる方だとわかりますように。深い慰めと希望を感じることができますように。アーメン

ヨブ記11-13

通読: ヨブ記  11–13;  使徒  9:1-21 「ああ、あなたがたが沈黙を守っていたら、それがあなたがたの知恵となっていただろうに。」ヨブ記13:5 ヨブの友人たちは、ヨブの苦難が罪を犯したからだと考えます。 しかし、苦難=罪の結果 ではありません。 短絡的な因果応報ではないのです。 「正しい人がなぜ苦しみにあうのか」はヨブ記を通じたテーマです。 そして、今日の私たちの問いでもあります。 神の深いご計画を、知り尽くすことができないからです。 それでも、苦難にある人を知ったかぶりで励ましたり教えたりするのは、その人をますます傷つけ苦しめます。 うまく良いことを言えない、と思う必要はありません。 祈り心で「黙して寄り添う」ことが最上の励まし、ということもあります。 ヨブにとってもそうでした。 祈り:神様、苦難を通る人への言葉に、慎重になれますように。「聴く」者にならせてください。まずあなたに聴き、他者の心を聴く者としてください。アーメン

ヨブ記8-10

通読: ヨブ記  8–10;  使徒  8:26-40  「そのとおりであることを、私は確かに知っている。しかし、人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのか。」ヨブ9:2 理想はわかっていても、そうできないところに葛藤がある...。私たちの多くが思うことです。 完璧な人間はいません。 完璧な神様の前に、正しくあり得る人はいないのです。 しかし、キリストが私のために十字架にかかり、彼を救い主と信じる者には義の覆いをかけてくださいました。 「キリストを着る」なら、正しい者とみなされます。 何度考えても、「なぜそこまで」と不思議に思えるほどの、神の素晴らしいあわれみです。 祈り:神様、あなたの計り知れないご計画を感謝します。ただただ一方的な恵みで受け取りました。素晴らしい主をもっと愛したいです。アーメン

ヨブ記5-7

通読: ヨブ記  5–7;  使徒  8:1-25  「 人とは何ものなのでしょう。 あなたがこれを尊び、これに心を留められるとは。」7:17 苦悩の中にあるとき、格好をつけている余裕はありません。 あの(立派だった)ヨブも「ですから、私も自分の口を制することをせず、 霊の苦しみの中で語り、 たましいの苦悩の中で嘆きます(7:11)」と言いました。 神様は、どんな祈りをぶつけても怒られる方ではありません。本音で祈る、心からの祈りを受け入れてくださいます。 それは、神である主が人を造り、人を愛し尊び、心を留め、ご自身とコミュニケーションをとることを喜ばれるからです。 AIに話しかけ、相談にのってもらう人が増えているそうです。うまく用いれば、私たちの生活を助けてくれるでしょう。 しかし、AIには人格がありません。学習させられたことを出力しているにすぎません。 でも、人格を持たれ、誰よりも私たちをよく知って愛してくださる神様に、私たちは話しかけることができるのです。 祈り:神様、あなたともっと親しくなれますように。孤独を感じている人が、主とお出会いできますように。私たちを造り愛してくださる方に、信頼することを教えてください。アーメン 祈り: 「ああ、幸いなことよ、神が叱責するその人は。 だから、全能者の訓戒を拒んではならない。」5:17

ヨブ記 3–4

通読:ヨブ記  3–4;  使徒  7:44-60 「しかし今、これがあなたに及ぶと、あなたはそれに耐えられない。これがあなたに至ると、あなたはおじ惑う。」 ヨブ記 4:5 元気な頃は、周囲の人や友人をケアし、助言を与え励ましてきたヨブ。 今は彼にも、彼のたましいのケアをしてくれる人が必要でした。 周囲のケアをしてきた人なら、自分自身にもケアが必要なことを自覚しているかもしれません。 カウンセラーのためのカウンセラー、コーチのためのコーチが必要です。 牧師のための牧師も、やはり必要です。 私たちは生身の人間ですから。 時に疲れ、弱さを覚える私たちにとって、相互にケアする信仰の友は貴重な存在ですね。 祈り:神様、私に信仰の友を与えてくださり感謝します。お互いに祈り支え合い、弱さを主の元にともに持っていける友である○○さん、○○さん、..の存在を感謝します!アーメン

ヨブ記 1–2

通読: ヨブ記 1–2; 使徒 7:22-43 「彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられなかった。彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。」ヨブ2:12 妻の他すべてを失い、病気にまでなったヨブでした。 そこに友人たちが「慰めようと、互いに打ち合わせて」来ました。 遠くから見てもヨブとはわからないほどになっていました。 かれらは泣き、嘆きました。 かける言葉もなく、七日間黙してヨブと共に座っていました。 この後対話が続きます。 慰めるどころか、かえってヨブを苦しめるような言葉もありました。 でも、この最初の部分、かけつけて共に泣いたことは、彼らのベストの慰めだったのではと思います。 専門家でなくても、私たちも「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」ことはできます。聖霊の働きとキリストのあわれみの心を頂いて。 祈り:神様、自己中心的で冷たい心から、主の愛と深い共感のできる心を与えてください。比較から生じる優越感や嫉妬から解放され、純粋な心で歩ませてください。アーメン

エステル9-10

通読: エステル記 . 9–10;  使徒  7:1-21    「自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。」 エステル記 9:22 「プリムの祭り」の由来と内容です。 敵からの解放が、毎年喜び祝い、貧しい人々へ手を差し伸べるお祭りの日になりました。 私たちも記念日にお祝いすると共に、感謝を慈善団体への寄付や記念献金で表すことができます。 次の誕生日には試してみませんか。 祈り:神様、生かされていること、罪の支配から解放されたことに感謝します。実際にも感謝を表す者とさせてください。アーメン

エステル6-8

通読: エステル記 6–8;  使徒  6 「こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。」 エステル記 7:10 逆転、胸のすくような見事な展開です。 でもこれがおとぎ話でなく、命のかかった出来事だったということに、身の引き締まる思いです。 神への祈り、そして神のみわざは、命がけです。 イエス・キリストご自身も、いのちをかけて十字架で見事な救いの道を開いてくださいました。 祈り:神様、信仰はファッションでも観念でもなく、いのちのかかった重大なことです。キリストの救いを、素晴らしい人生の一大決断として受け取り分かち合います。アーメン

エステル3-5

通読: エステル記 . 3–5;  使徒  5:22-42 「もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」エステル4:14  世界情勢が変わり、日本の国内が変わり、世代も常識も経済も変わり、先行きが見えない(どの時代も私たちに先行きは見えないのですが)中、何のために生きているのかと思うでしょうか。 エステル記を読む中、私たちが今ここに生きているのは、「このような時のためかもしれない」のです。 ある人はエステルのように、ある人はモルデカイのように、ある人は共に断食し祈った民のように。 名前が残るかどうかは問題ではありません。「その他大勢」 の一人一人の人生はストーリーです。「私は、死ななければならないのでしたら死にます。(4:16)」と覚悟を決める瞬間があります。 神様は、その一つ一つの決断、信仰を覚えてくださっています。 祈り:神様、私たちが信仰に立って行う小さな選択、大きな決断を導いてください。私たちには先を見通すことはできませんが、主に祈り、みことばと確信を頂いて決めることができて感謝します。アーメン

エステル1-2

通読: エステル記 . 1–2;  使徒  5:1-21 「さて、モルデカイが引き取って自分の娘とした、彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」2:15 エステル記の舞台は、バビロン捕囚から3~4代が経ったペルシアです。 エステルは在留異国人で、両親を早くに亡くし、いとこモルデカイの養女となっていました。 育ちは恵まれた境遇ではありませんでしたが、エステルの性格と性質、態度には品格があり、周りの人からも好感のもてるものでした。 私たちには、生育境遇や容姿など、変えられないものがあります。でも、神を愛し従う中で、キリストの品性を身にまとうことができます。素晴らしいと思いませんか? 祈り:神様、私の人格と生き方にイエス・キリストが影響を与えてくださることを感謝します。一歩一歩、良い香りを放つ者となれるよう、今日も導いてください。アーメン

ネヘミヤ12-13

通読: ネヘミヤ記 . 12–13;  使徒  4:23-37 「また私はレビ人に、安息日を聖なるものとするために、彼らが身をきよめ、門の見張りとして来るように命じた。 私の神よ、このことにおいても、どうか私を覚えていてください。そして、あなたの豊かな恵みにしたがって私をあわれんでください。」ネヘミヤ13:22 ネヘミヤは忍耐し、祈り続けました。 あんなに忠誠を約束した人々は、すぐ好き勝手な方向に流れました。妨害する敵の思うつぼのような行動をしました。ネヘミヤにとってはショックと落胆の連続だったかもしれません。 しかし、彼はたゆみなく主を見上げて頼り続けました。「人間に頼るな。鼻で息をする者に(イザヤ2:22)」。人は当てになりませんが、神だけが変わらず真実な方です。 祈り:神様、人にがっかりさせられ、陰口やうわさで人間関係が怖くなっている人にお語りください。あなたこそ変わらない、唯一の真実な方であることがわかりますように。主に頼れば安心できることを体験させてください。アーメン

ネヘミヤ10-11

通読: ネヘミヤ記 . 10–11;  使徒  4:1-22 「彼らの親類のすぐれた人々と歩調を合わせつつ、神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に歩み、私たちの主、主のすべての命令、その定めと掟を守り行うという、次のような、のろいの誓いに加わった。」ネヘミヤ10:29 日本語で「のろいの誓い」というとドキッとしますが、決してしないと決意表明した「のろい」と誓いです。 親類と相談しつつ、どのように律法を守るかをよく吟味し決意したことは、捕囚前後の社会を改革することでした。 もっとも、それを守り続けることは難しく、堕落はたやすいことでした。 私たちも「聖書を必ず○○だけ読もう」「毎日○分祈ろう」と決めても、それを続けることの難しさを知っています。古い良くない習慣をたちきることも、自分の力では難しいのです。 しかし、イエス・キリストはそんな私たちのために十字架で救いを完成されました。そのキリストの霊、聖霊の力が、自分ではどうしようもない悪い習慣や堕落から解放してくださるのです。 祈り:神様、どんな人にも弱さがあり、私自身も自分の限界をいやというほど知ります。聖霊の助けと十字架の解放に日々戻り、頼ることができますように。アーメン

ネヘミヤ7-9

通読: ネヘミヤ記  7–9;  使徒  3 「捕囚から帰って来た全会衆は仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエルの子らはこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。」ネヘミヤ8:17 城壁は、わずか52日で完成しました(6:15)! 人々は喜びの礼拝をささげます。集まり、エズラが律法の書(みことば)を朗読すると「アーメン、アーメン」と礼拝しました。毎日みことばが朗読され、ずっと休止していた主の祭りの準備がされ、これまでの罪を告白して悔い改めました(9:2)。 そして、それらを表した文書に調印しました。 主の前にライフスタイルを整え、主を第一とした時に、平和と喜びが来ます。お金で買うことのできない、心の深いところの平安です。 アメリカとイランの合意が整ったということです。世界に平和が来ますようにという祈りも、私たちが日々ささげるとりなしの祈りです。 祈り:神様、私のライフスタイルを整えることができるよう、助けてください。第一のものを第一にします。人生の目的が主の元にあります。また、平和を祈るものとならせてください。一つの戦争が終わりに向かうことに感謝します。貧困、差別、搾取にあえぐ所に、主の愛と必要が届きますように。私の身の回りの小さなところでも、祈りながら実践できますように。アーメン

ネヘミヤ4-6

通読: ネヘミヤ記 4–6;  使徒  2:22-47 「…ああ、今、どうか私を力づけてください。」ネヘミヤ 6:9 ネヘミヤのうめきのようなこの祈りに、読むたび励まされます。 素晴らしいリーダーや人格者でも、私たちと同じ人間です。問題が降りかかってきた時、うろたえたり腹を立てたりするのは当然です。 「彼らの抗議と、これらのことばを聞いて、激しく腹を立てた」( 5:6) しかし、 「十分考えたうえで、有力者や代表者たちを非難して言った」(5:7) のは、十分祈って考え、責めたのでした。その祈りは、うめきと天を仰いで助けを切望するものだったでしょう。 今日、天を仰いでうめきの祈りをするなら、今日も生きておられる主は聞いていてくださいます。 祈り:神様、今日も私の切なる祈りを聞いていてくださり感謝します。あなた以外に頼るものはありません。万事休すの状態にあっても、絶望して心がしなびないよう、私たち一人ひとりをお守りください。アーメン

ネヘミヤ1-3

通読: ネヘミヤ記 . 1–3;  使徒  2:1-21  「王は私に言った。『では、何を望んでいるのか。』私は天の神に祈ってから、王に答えた。『もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。』」エズラ2:4-5 ネヘミヤは有能な政府の高官でした。彼を一言で表すなら「祈りの人」です。 エルサレムの荒廃を聞いた時、彼はまず「泣き」、「断食して天の神の前に祈った」とあります(1:4)。 王の前でも、心は祈りでした。エルサレム城壁の再建が神からのみこころだと確信し、この後大胆に自分の願いを王に伝えます。 一人の部屋での祈りがあり、瞬間の祈りがあります。 私たちもネヘミヤのように様々な祈りをもって一週間を過ごせますように。 祈り:神様、都度都度に祈る心を与えてください。あなたがどんな時でも共にいてくださり、聞いてくださり、導いてくださる方であることに感謝します。アーメン

エズラ9-10

通読:エズラ記  9–10;  使徒  1  「エズラが神の宮の前でひれ伏して、涙ながらに祈り告白しているとき、男や女や子どもの大会衆がイスラエルのうちから彼のところに集まって来た。民は涙を流して激しく泣いた。」エズラ10:1 いたずらをした子どもの反応には2通りあります。一つは知らないふりをする、あるいは人のせいにする反応。もう一つは、「ごめんなさい!」と非を認め、時には泣きながら謝る反応。 どちらが好ましいかは明らかです。 エズラが指導した当時の人々は、後者の姿勢で父なる神の前に出ました。 そして、そこから「希望」(10:2)が生まれました。 大人になって、素直に非を認めることは難しいですが、勇気をもって決断した人たちには希望が与えられました。 祈り:神様、私もなかなか非を認めにくい者です。柔らかな砕かれた心で、主の前に、また人の前に出ることができますように。アーメン

エズラ記6-8

通読: エズラ記  6–8;  ヨハネ . 21  「すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。」エズラ7:9 6章と7章の間には期間があります。7章でエズラが登場します。 「エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた(7:10)」人でした。 そして、「神の恵みの御手」があったことが繰り返し語られます。 それは、信者でない異国の王にも恵みとあわれみの心を起こさせました。 日本はクリスチャンが少ないと言われます。それでも、教会や聖書に好意的な人たちは多いです。神の恵みの御手は、私たちの身近にも及んでいます。 祈り:神様、主の恵みの御手が私たちにも及んでいることを感謝します。身近な生活の中で、主の恵みを数える心で過ごせるように導いてください。アーメン

エズラ3-5

通読: エズラ記  3–5;  ヨハネ  20 「そこでシェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた。」エズラ5:2 教会で大きな取り組みや新しいミニストリーを始める時、必ずといってよいほど問題や攻撃がやってきます。 エズラたち帰還の民が神の宮を再建しようとした時も同じでした。 ...彼らは主を賛美し、感謝しながら 「主はまことにいつくしみ深い。 その恵みはとこしえまでもイスラエルに」 と歌い交わした。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな主を賛美して大声で叫んだ。(3:11) と始めたのに、敵が妨害してしまい、工事が中断していました。 しかし、ゼルバベルとヨシュア(ヨシュア記とは別人)が再び「立ち上がり」ました。また、預言者たちが「一緒にいて」彼らを助けました。 立ち上がる人、そして一緒にいて助ける人がいるなら、主の事業は進んでいきます。今問題に圧倒されているなら、主が助け手を起こしてくださるよう、また自分自身もよい助け手となれるよう祈りましょう。 祈り:神様、問題がきた時、主のみこころなら必ずなると信じる信仰を与えてください。また、その確信に基づいて、立ち上がる人、一緒にいる人とならせてください。教会の各リーダー、一人一人の霊性を強め、励ましてください。アーメン

エズラ記1-2

通読:   エズラ記  1–2;  ヨハネ 19:23-42  「バビロンの王ネブカドネツァルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。」エズラ2:1 エズラ記の始まりは、歴史映画の幕開けのようです。威厳のあるペルシア王の宣言で始まります。しかもそれは、主がかつて約束された通りでした! まさに歴史を動かす神、歴史を支配される神です。神にとって不可能はありません。 帰還する人のリストが2章にあります。しかし、あの12部族の名前は見当たりません。 捕囚の地で細分化され、ルーツがよくわからない人もいました。 生粋のベツレヘム人はわずか123人でした(2:21)。 この後長年にわたって人々の往来や変遷があり、イエス・キリストの生まれる村としてベツレヘムは用いられていきます。 小さくても、目立たない群れでも、神様の摂理とご計画に用いられることがあるのだという恵みを知ります。 祈り:神様、あなたが小さな者にも目を止めてくださることに感謝します。卑下し続けるわなから守ってください。主にある健全なセルフイメージを持ち、あなたの恵みにとどまることができますように。アーメン

Ⅱ歴代誌34-36

通読: Ⅱ歴代誌34–36; ヨハネ19:1-22 「これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」 Ⅱ歴代誌36:21 無理をして休みなく働き続けると、体調を崩してもっと休まなければならなかったという経験がありますか? 神に造られた身体のリズムは、神が最もよく知っておられます。 それで、人に安息日を定められたのでした。 土地をはじめ、被造物のリズムと休息も、神が定められました。 限度を越えると土地はやせ、環境破壊が起こります。 ヨシヤ王の治世の後、国は荒れ、とうとう滅びとバビロン捕囚が起こりました。 「彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の住まいをあわれまれたからである。ところが、彼らは神の使者たちを侮り、そのみことばを蔑み、その預言者たちを笑いものにした」(36:15-16)結果でした。 しかしそれは、地にとっては安息の時、帰還に備えて回復する時でした。 70年後、主の約束通り帰還が始まります。 当初の読者は、直接的に主のあわれみと真実さを悟ったことでしょう。 この主は今も生きておられ、働いておられます。 祈り:神様、一時的な痛みや苦しみも、あなたの恵みにより回復することを感謝します。歩みをふりかえり、あなたのリズムと摂理に謙遜に従えますように。次世代への信仰のバトンを渡すことができますように。アーメン

Ⅱ歴代誌 32–33

通読:  Ⅱ歴代誌  32–33;  ヨハネ 18:19-40 「しかし、彼は苦しみの中で彼の神、主に嘆願し、父祖の神の前に大いにへりくだり、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうしてマナセは、主こそ神であることを知った。」歴代誌 第二 33:12-13 ヒゼキヤとは対照的に、偶像礼拝と身勝手な統治をしたマナセ王でした。 しかし、人生の危機の中で、とうとう彼は悔い改めました。 すると、神は彼の祈りを拒絶することはありませんでした。 今、主を拒絶したり侮辱したりしている人でも、その人が悔い改めるなら神はあわれみ、救ってくださいます。 家族、同僚、友人知人のために、祈り続けましょう。 祈り:神様、あなたの恵みとあわれみは尽きないことを改めて知りました。だからこんな私も救われました。これからも祈ることをあきらめないように、希望を失わないように助けてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 30–31

通読:  Ⅱ歴代誌 30–31;  ヨハネ . 18:1-18 「ヒゼキヤはユダの全地でこのように行い、その神、主の前に、良いこと、正しいこと、真実なことを行った。」  Ⅱ歴代誌 31:20 どんな人の人生も完璧ではありません。 それでも、後世の記者にこのように覚えられる王は幸いです。 今も残るヒゼキヤトンネル(ヒゼキヤが建設した地下水路)は、人々が今日も彼を慕っていることを表しています。 私たちは、生涯をどのように覚えられたいでしょうか。 祈り:神様、あなたの前に真実な人生を歩めますように。アーメン

Ⅱ歴代誌 28–29

通読:  Ⅱ歴代誌  28–29;  ヨハネ 17  「ヒゼキヤ王と高官たちが、ダビデおよび先見者アサフのことばをもって主を賛美するようにレビ人に命じると、彼らは喜びつつ賛美した。そして、一同はひざまずいて伏し拝んだ。」Ⅱ歴代誌29:30 親を反面教師とした王が、ここにいました。 ヒゼキヤは悪王アハズの子であるのに、父親とは異なる姿勢で臨みました。 彼は主の宮をきよめ、賛美とささげものしました。かつての統一王国の王、ダビデの楽器に合わせて、主の歌とラッパが始まりました。 しかも、一同は「喜びつつ」賛美し、礼拝しました。彼らの喜びは主から来ました。 今日も、主を見上げて心から礼拝するとき、不思議な平安と深い喜びが与えられます。問題からひととき目を離し、主を見つめることができますように、と祈りつつ集いましょう。 祈り:神様、様々な問題の中で歩んできました。それでも、今日も礼拝をします。人との比較や目先を見るのでなく、主が支配しておられることを信じることを選び取ります。導き、平安を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 25–27

通読:    Ⅱ歴代誌  25–27;  ヨハネ 16 「しかし、彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は自分の神、主の信頼を裏切った。香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入ったのである。」Ⅱ歴代誌26:16 フィッシング・ウェル・ミニストリーのワング牧師によると、良い終わり方をすることはとても難しいそうです。信仰に立っていたのに、最後はうまく終われなかった、という例が実に多いそうです。 ウジヤ王もその一人でした。初めは良かったのに、強くなると心が高ぶり、ついに滅びを招きました。この記事を読むと、 「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(1コリント10:12)」 のみことばを改めて思い出します。 このとき、「祭司アザルヤが、主に仕える八十人の勇敢な祭司たちとともに入って来(26:17)」ました。 王にとっては、正しいことを言う彼らが煩わしかったでしょう。しかし、こうした人の存在が貴重であることは、聖書があかししています。 私たちも、合わない人、気に入らないことを言う人が身近にいるかもしれません。しかし、それが聖書的で主のこころにかなっているなら、そうした人の存在が私たちを失敗から救ってくれるのかもしれません。 祈り:神様、良い終わり方ができるように助けてください。愛と信仰をもって助言してくれる人を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 23–24

通読: Ⅱ歴代誌  23–24;  ヨハネ  15  「エホヤダは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。死んだとき、彼は百三十歳であった。 16 彼はダビデの町に王たちとともに葬られた。彼がイスラエルにおいて、神とその宮に対して良いことを行ったからである。」Ⅱ歴代誌24:15-16 歴史を描いた小説やドラマは好きですか?時に血なまぐさい戦いのシーンは苦手ですが、昔と今の人間模様が変わらないのは興味深いです。 歴代誌が記録しているのは、日本の戦国時代のような旧約聖書の分裂王国時代です。 食うか食われるか、という時代に、祭司エホヤダの果たした役割は大きいものでした。 国と王が正しい決断をするために助言しただけでなく、「七年目に、エホヤダは奮い立って...(23:1)」と、神の霊により勇敢に行動を起こした人でした。 今の時代、信仰者は万人祭司として召されています。言い換えれば、エホヤダと同じ責任があります。今日、身辺の状況にどのように反応しますか。 祈り:神様、身の回りで起こることについて、祈り判断できるように助けてください。聖霊によって奮い立たせてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 21–22

通読:  Ⅱ歴代誌  21–22;  ヨハネ  14  「しかし、王の娘エホシェバは、殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し、寝具をしまう小部屋にその子とその乳母を入れた。祭司エホヤダの妻でアハズヤの妹である、ヨラム王の娘エホシェバが、ヨアシュをアタルヤから隠したので、アタルヤは彼を殺せなかった。」 Ⅱ歴代誌  22:11 かくれんぼで隠れ、見つかりそうになる時のドキドキを思い出します。息を殺し、探しに来た人があきらめて離れるのを待ちます。それが命がけなら、どんなに緊張しドキドキするでしょう! ユダ王国の悪い時代、ヨアシュっは乳母と小部屋にかくまわれて命拾いをしました。その後も6年間、神殿に身を隠しました。 ニッキー・ガンベルは彼の状態を、「彼の前のモーセのように、また彼の後のイエスのように」と形容しています。 モーセもかごに入れられ、ナイル川に流されて命びろいしました。 イエスもエジプトに逃れ、ヘロデの虐殺から命びろいしました。 彼らは、神の計画がなるために生かされました。 今日、私たちが生かされているのも、神のご計画のうちにあります。 生きがい探しをしているなら、神のご計画という視点をもって人生を眺めましょう。 祈り:神様、私たちが生きているのは、あなたの愛と良いご計画のためであることを感謝します。生きがいを失ってむなしく感じる人がいるなら、主の導きを求め、主にあって生きる希望を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌19–20

通読:  Ⅱ歴代誌 19–20;  ヨハネ . 13:21-38 「彼は民と相談し、主に向かって歌う者たちと、聖なる装いをして賛美する者たちとを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう言うためであった。『主に感謝せよ。 その恵みはとこしえまで。』」Ⅱ歴代誌20:21 ヨシャファテ王が戦いのため最前線に立てたのは、武器を持った者ではありませんでした。 賛美をする者たちでした。 しかも、戦いに際して、作戦会議ではなく国中で断食と祈りを行いました。 ばかばかしいと思いますか?いいえ。その結果、相手には同士討ちが起こり、ヨシャファテ側は流血することなく勝利を治めました。 第一のものを第一にすることを学びます。 私たちは、追い詰められると自分で動きたくなります。しかしその前に、主への賛美と祈りを置くことができるなら幸いです。 祈り:神様、どうしたらよいのかわからなくなる時は、主への賛美と祈りで始めることができますように。主の導きを求める者としてください。アーメン

Ⅱ歴代誌17–18

通読:  Ⅱ歴代誌 17–18;  ヨハネ 13:1-20 「彼(ヨシャファテ)の心は主の道を大いに誇りとし、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。」Ⅱ歴代誌17:6 「ミカヤは答えた。「主は生きておられる。私の神が私に告げられることを、そのまま述べよう。」」Ⅱ歴代誌18:13 「推し」という言葉を知っていますか?「私の推しは○○です」のように使われます。この言葉は近年のものですが、ファンクラブや熱狂的ファンは昔から存在しました。 有名なグループの解散前コンサートは、推し、ファンにとってとても大切な時だったようです。 「私の推しは主です」と言えますか。ヨシャファテ王や預言者ミカヤはそうでした。キリストの弟子たちもそうでした。 また、今日まで多くの人が同じ熱い気持ちで礼拝し、ささげ、時には迫害や殉教の道をたどりました。 人は老い、引退し、やがて変わっていきます。しかし、主は決して変わらず、いつも共にいてくださいます。私たちを愛し、永遠のいのちを与えるこの方こそ「推し」にふさわしい方です。 祈り:神様、私に熱い信仰を与えてください。あなたをより深く知り、愛し、ついていきたいです。その思いをクリスチャン一人一人に与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌15–16

通読: Ⅱ歴代誌 15–16、 ヨハネ  12:27-50 「そのとき、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来て、彼に言った。「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手から逃れたのです。」Ⅱ歴代誌16:7 困った時、誰に相談しますか?頼りになる人たちがいてくれるのは幸いです。 でも、主以上に人に頼るなら、立ち止まって見直すようにと今日の箇所は教えてくれます。 「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。」(16:9) 「心」は何を第一としているでしょうか。2レプタをささげたやもめの、主を愛する心を思いめぐらしましょう。 祈り:神様、あなたの愛と力を過小評価することがないように、もっと聖霊に頼ることを教えてください。主の声を聞き、誰よりも頼りにできるよう、信仰を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌13-14

通読: Ⅱ歴代誌13-14、ヨハネ12:1-26  「アサは自分の神、主を呼び求めて言った。『主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。私たちの神、主よ、私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に向かって来ました。主よ、あなたは私たちの神です。人間が、あなたに力を行使することのないようにしてください。』」Ⅱ歴代誌14:11 アサ王は治世の前半、主に祈りながら治めました。 それで、危機を経験したときも揺らぎませんでした。 もっとも、聖書は当時の文脈を理解しながら読む必要があるわけで、 戦争が良いというわけではありません。 名前だけで、キリストの福音を理解しない「自称クリスチャン」が海外の政治リーダーの中にもいるのは残念です。 また、信仰を自分の政治イデオロギーの道具に利用することも本末転倒です。 イエス様は「平和をつくる者は幸いです」と言われました。 祈り:神様、信仰が戦争や紛争の道具に用いることがありませんように。イエス様の姿は、平和と柔和、寛容でした。私にも聖霊の実を結ばせてください。尋ねる人には、優しく、親切に、主の霊によって説明できますように。アーメン

Ⅱ歴代誌10-12

通読: Ⅱ歴代誌10-12、ヨハネ11:30-57  「主が、彼らのへりくだった様子をご覧になると、シェマヤに次のような主のことばがあった。『彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与える。わたしの憤りがシシャクの手を通してエルサレムに注がれることはない。』」Ⅱ歴代誌12:7 レハブアムは良い王ではありませんでした。 長老の助言に従わず、若者たちの勢い(ノリ?)に従い、王国の分裂を引き起こしました。 しかし、神は預言者シェマヤを通して警告や助言を与えてくださいました(11:2-4, 12:5)。 ダビデやソロモン、そして信仰に立つ預言者や人々の祈りに応え、語りかけることをやめないでいてくださったのです。 さらに王がへりくだると、神は守りと助けを与えてくださました。 神様の忍耐深さと愛には圧倒されます。 反抗する者に対する恵み深さを知った私たちも、反抗期の子どもたちや批判的な人たちに、もっとおおらかで広い心を持てるよう、主に助けていただきましょう。 祈り:「われらに罪をおかす者を われらがゆるすごとく われらの罪をも ゆるしたまえ」と主の祈りにあります。神様、あなたが私をゆるしてくださったゆえに、私もゆるす者となれるよう、狭い心を造り変えてください。○○さんをゆるしたいですから、心の苦みを取り去ってください。アーメン

Ⅱ歴代誌7-9

通読: Ⅱ歴代誌7-9、ヨハネ11:1-29  「わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす。」Ⅱ歴代誌7:14 捕囚から荒れた故郷に帰り、生活を再建していた民にとって、これは希望のことばでした。 「人の罪の故に土地が荒れ果てる、と聖書は繰り返し語っています。 現在、地球温暖化の影響で砂漠化が進み、海面が上昇するなどして、人や他の生き物が住めない地域が急拡大しています。それに加えて、紛争や戦争、貧困と自然災害によって飢饉が広がっています。大地が癒されるために、人類に何が求められているでしょうか。」(聖書を読む会『歴代誌』より) 今の世界情勢、そして国内の戦前を思わせる空気感、邪魔な運動を排斥しようとする動きなどに、危うさを感じます。 このような時こそ、主の名で呼ばれている信仰者が、へりくだって悔い改めの祈りをささげるように召されています。 祈り:神様、あなたの前にへりくだって祈ります。国内外で罪ゆえに起こる、紛争や破壊をとどめてください。SNSの中傷や、従わない者を邪魔者として排斥するような全体主義の動きをとどめてください。アーメン

Ⅱ歴代誌4-6

通読: Ⅱ歴代誌4-6、ヨハネ10:24-42  「ラッパを吹き鳴らす者たち、歌い手たちが、まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルと様々な楽器を奏でて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた。」Ⅱ歴代誌5:13 神殿が完成すると、ソロモンは契約の箱を運び込みました。そして賛美をささげました。 「まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた」とは、何と美しい光景でしょう。 賛美に神はこたえてくださいました。 「祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。」(5:14) 賛美できないと思える時こそ、意志を用いて「賛美をしてみる」という選択をしましょう。 自分では感じなくても、そこに聖霊が働かれ、神の栄光が表されます。 祈り:神様、嬉しい時も、到底賛美できないと思える時にも、あなたを見上げ待ち望むことに気づかせてください。イエス様が疲れた人を招いてくださったことに感謝します。私もそこに憩うことを選びます。アーメン

Ⅱ歴代誌1-3

通読: Ⅱ歴代誌1-3、ヨハネ10:1-23 「ソロモンは、エルサレムのモリヤの山で主の宮の建築を始めた。そこは、主が父ダビデにご自分を現され、ダビデが準備していた場所で、エブス人オルナンの打ち場があったところである。」 Ⅱ歴代誌3:1 金剛山の登山口に行く時、いつも千早赤阪村の「森屋」という交差点を通ります。 通るたびに同じ発音の「モリヤの山」を思い出します。 エルサレムのモリヤの山は、旧約聖書の重要な場所です。 アブラハムがイサクをささげるために行った場所で、徹底的な従順を学びました。 また、ダビデが正当な対価を払ってオルナンから土地を買った所でした。 そして今、そこにソロモンが神殿を立てようとしています。神がいなければできない、大変な事業でした。ソロモンは神への信頼を学びました。 定点観測のように、聖書の出来事と人々への神のレッスンが行われています。 私たちは、同じ所で日々寝起きしているかもしれません。 平凡に見えても、そこが神からさまざまなレッスンを受ける特別な場所として与えられていることを信じます。 祈り:神様、平凡な日々の風景の場所で、主が導き訓練し、大切な信仰のレッスンを与えてくださることを信じ感謝します。アーメン

I歴代誌28–29

通読: I歴代誌28–29; ヨハネ 9:24-41 「ダビデ王は全会衆に言った。『わが子ソロモンは、神が選ばれた、ただ一人の者であるが、まだ若く力もない。しかしこの工事は大きい。なぜなら、この宮は人のためではなく、神である主のためのものだからである。』」歴代誌 第一 29:1 王となるソロモンのことを、ダビデは「まだ若く力もない」と言いました。 それに比べて、神殿建設は一大プロジェクトでした。 謙遜になり、民の協力がなければできない、ということを示そうとしたのでしょう。 同時に、ダビデが自分の財産を工事のためにささげたこともわかります。 「そのうえ、私は、私の神の宮に対する喜びとして、聖なる宮のために準備したすべてのものに加えて、自分の宝としていた金銀を、私の神の宮のために献げる。」(29:3) 「そうして、今日、自ら進んで、その手にあふれるほど主に献げる者はいないか」(29:5) とチャレンジしました。 リーダーがまず見本を示し、続く人たちが同じようにできるように整えました。 ここに、聖書的なリーダーシップのあり方を見ることができます。 祈り:神様、ダビデの姿勢を学びました。イエス様ご自身が、まず先頭に立って仕えることをなさいました。私も謙遜に仕える者となりたいです。今立てられているリーダーたちのことも覚えてお祈りします。私がよいフォロワー(従う者)にもなれますように。アーメン

I歴代誌25–27

通読:    I歴代誌25–27;  ヨハネ . 9:1-23 「彼らは、下の者も上の者も、達人も弟子も、みな同じように任務のためのくじを引いた。」 I歴代誌25:8 この時、奉仕をする人たちは年齢や地位、役割にかかわらず、平等にくじを引いたのでした。 今も、神の前には全ての人が平等です。 救いも平等なら、やがてさばきも平等に行われます。 祈り:神様、あなたの公平なまなざしを感謝します。アーメン

I歴代誌22–24

通読:   I歴代誌22–24;  ヨハネ . 8:28-59  「そこで、わが子よ、主があなたとともにおられ、主があなたについて語られたとおり、あなたが、あなたの神、主の宮を立派に建て上げることができるように。」Ⅰ歴代誌22:11 自分がしたかったことを他の人がした時、うらやましくなりますか。 「私がやりたかったのに」と。 でも、一人であれもこれもすべてをすることはできません。 特に、主の働きは世代や場所を越えたチームワークなのだと思います。 ダビデは資材を豊富に用意しましたが、自身で神の宮を建てることは許されませんでした。 代わりに、子どものソロモンが建てるのだ、と神様はおっしゃいました。 ダビデは、自らの役割である素材集めに徹しました。 そして、建設そのものはソロモンに託します。 ソロモンは、建設計画の青写真があって、どれほど助かったでしょう。 私たちも、誰かの召しのために素材集めをするダビデのような役回りかもしれません。 主にある誇りを持って、その働きをしていきましょう。 祈り:神様、ゆだねられたことを忠実にして、次世代や他の人が建て上げるための助けとなれますように。私に与えられた奉仕を、主がくださった名誉な働きとして受け取ります。アーメン

I歴代誌19-21

通読:   I歴代誌19–21;  ヨハネ . 8:1-27  「ダビデ王はオルナンに言った。『いや、私はどうしても十分な金額で買いたい。あなたのものを主に献げるわけにはいかない。費用もかけずに全焼のささげ物を献げたくないのだ。』」 I歴代誌21:14 ダビデは、主の宮を建てるために人のものを利用しようとはしませんでした。 自分で正当な対価を払って土地を得ました。 アブラハムも、かつてサラを葬る墓地を対価を払って買いました。 教会の中では互いに支えあっています。 しかし、この世に対してはあかしとなるよう、そして主のものとなるように、常識的な取引が大切な時があります。 一時的に損をしたように思っても、主のために正当な手順をふみ聖別することが、結果としてよいことがあると学びます。 祈り:神様、周囲の方たちを覚えてお祈りします。教会の周辺で予定されている工事の一切に、主が守りと導きを備えてください。教会が鳩のように素直で蛇のように敏くありますように。アーメン

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