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士師記11–12

通読: 士師記11–12、ルカ 6:1-26  「エフタがミツパの自分の家に帰ると、エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もなかった。」士師記11:34 非常にショッキングな光景です。 それは、エフタが主に「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、・・・無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます(11:30-31)」 と誓ってしまったからでした。 誓う必要はありませんでした。神の求めでもありませんでした。 自主的に(あるいは自分勝手に)誓願を立ててしまったのでした。 その結果は、一人娘を失うことになりました。 もしかすると、彼は調子に乗っていたのかもしれません。 必死だったのかもしれません。 しかし、神様は人間をいけにえにすることは、決して求められません。 唯一、身代わりのいのちを捧げてくださったのは神ご自身、イエス・キリストです。 それがどれほど例外的で大きな犠牲だったのか、それほどまでの愛をご自身が注いでくださったのです。 祈り:神様、あなたの愛の大きさに感謝します。一人一人を愛し、救いたいと思ってくださいました。生きる意欲を失って自死を願う方が主の愛に触れ、希望を見出せますように。アーメン

士師記 9–10

通読: 士師記 9–10、ルカ5:17-39   「彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。」10:16 主はあわれみ深い方です。「見るに忍びない」と思ってくださる方です。 今日の前半では、弱い者が思いがけなく用いられました。 「そのとき、一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。(9:53)」 また、人々が呼び求めるたびに助け手を送られました。 たとえ、人が自分勝手に罪を犯し堕落していったとしても、神は「見るに忍びない」のです。 旧約のこの時代だけではありません。 全人類が罪に支配されるのを「見るに忍びない」と、救いの計画を実現してくださいました。 イエス・キリストは弱い姿で地上に来られました。十字架にかかられる時も、弱い姿でした。 しかし、そこに素晴らしい解放と救いへの道が、みこころによって成し遂げられました。 祈り:神様、あなたが今日も人々がイエス・キリストにある救いを知らないのを「見るに忍びない」と思っておられることを受けとります。イースター前のこの時期、イースターの素晴らしい意味を分かち合うことができますように。アーメン

士師記7-8

通読:士師記7-8、ルカ5:1-16   「しかしギデオンは彼らに言った。『私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。主があなたがたを治められます。』」士師記8:23 ギデオンの大勝利よりも、主が主権をとっておられると断言し、神を最優先にしたことこそ彼が勇士と言われるゆえんです。 もっとも、彼にも失敗はありました。やがて彼はたくさんの妻を持ち、生まれた息子の一人がやがて家族中をかき回し、国にも悲劇をもたらしました(8:31)。 一つの勝利が人生の価値や幸せを決めるわけではありません。 しがみついている過去の栄光が、かえって油断や足かせになることもあります。 素のままの自分で神の前に出ましょう。 プライドやしがらみが頑固な心を生んでいるなら、それを手放せるように祈りましょう。 祈り:神様、手放しであなたの元に駆け込みます。本当に必要なもの、大切なものを霊の目で見せてください。恥やプライドでかたくなな心になることがないように助けてください。アーメン

士師記4-6

通読: 士師記4-6、ルカ4:31-44   「主の使いが彼に現れて言った。『力ある勇士よ、主があなたとともにおられる』。」士師記 6:12 ギデオンは敵を恐れながら農作業をしていました。 「勇士よ」と呼ばれるにはあまりにも等身大の、弱さのある人でした。 その後、しるしを何度も求めることも、慎重で怖がりだとわかります。 しかし、主が召され「主があなたとともにおられる」ことが、ギデオンが勇士であることの一番の証拠です。 ニッキー・ガンベルの、ひび割れた容器で水を汲む人の例話があります。 二つのつぼがあり、一つは割れていない完璧な容器、もう一つはひび割れた容器でした。 棒の両端に二つの容器をつけ、肩にかけて農夫は水を運びました。 ひび割れた容器からは、せっかくくんだ水がぽたぽた漏れています。 ところが、しばらくして あぜ道の片側にだけ、きれいな花が咲き始めました。 なぜでしょう。 それは、ひび割れた容器から落ちた水で養われたからでした。 このように、欠けのある者でも、いや欠けがあるからこそ、主にあって用いられるのです。 祈り:神様、立派過ぎるリーダーばかりでなく、ギデオンのような人物を召し、主のご用に用いてくださることを覚えます。今週を振り返ると、あんなこと、こんなこと、失敗が多くありました。それでも、主が見捨てない方であることを感謝します。悔い改め、再び主に手を引かれ、慰めを受けて前を向きます。アーメン

士師記1-3

通読: 士師記1-3、ルカ4:1-30    「ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、民は主に仕えた。 ...主が彼らのためにさばきつかさを起こしたとき、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさが生きている間、彼らを敵の手から救われた。これは、圧迫し、虐げる者を前にして彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。」士師記 2:7,18 人は当てになりません。あんなに苦労して旅をし、約束の場所にたどりついた民は、ヨシュアと長老たちが死ぬと、すぐに堕落してしまいました。 しかし、神のあわれみによって士師が起こされ、主に立ち返ると国が平穏になりました。 はじめの士師オテニエルは、実はヨシュアの義理の息子でした。 「カレブの同族ケナズの子オテニエルがそれを攻め取ったので、カレブは娘アクサを彼に妻として与えた。」(ヨシュア記15:17、士師記1:13) すでに神様は、よい計画を進めておられました。 私たちも、行き詰まりを感じて前に進めないと感じます。でも、「すでに神様は」備えてくださるお方です。 祈り:神様、あなたのよいご計画に信頼します。心がどうしようもなく行き詰まった時にも、脱出の道をすでに備えてくださっていることを信じます(第一コリント10:13)。アーメン

ヨシュア記22-24

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通読: ヨシュア記22-24、ルカ3  「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」ヨシュア記 24:15 10代、20代の頃と異なり、限られた体力をどのように使うか工夫が必要になりました。 大切なものにエネルギーを集中させるために、優先順位が問われます。 もっとも、その順位は自分の思いだけではうまくつけられません。思い込みだったり自分のこだわりに過ぎなかったりします。 一方で、神が導き順位をつけさせてくださるなら、思いがけなくはかどり、何より喜びがあります。 神がそうさせてくださるのです。 きっとヨシュアもそうだったでしょう。 彼の信仰は素晴らしいですが、そうさせてくださったのもまた主であることを覚えます。 祈り:神様、私が自分の力でやったと言うのでなく、主がそうさせてくださったと力強く言えますように。 今日の歩みを導き、主が私に望まれることをさせてください。アーメン

ヨシュア記19-21

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通読: ヨシュア記19-21、ルカ2:25-52  「地を地域ごとに相続地として割り当て終えたとき、イスラエルの子らは、自分たちの間に一つの相続地をヌンの子ヨシュアに与えた。主の命により、ヨシュアが求めた町、すなわち、エフライムの山地にあるティムナテ・セラフを彼に与えた。彼は町を建てて、そこに住んだ。」 ヨシュア記 19:49-50 すべての部族への割り当てが終わった後で、ヨシュアは自身の相続地を与えられました。 聖書のリーダー観は、仕えるリーダーです。 自分がいちばん先に得をしようというのではありません。また、自分がいちばん豊かになるというのでもありません。 イエス・キリストが、その模範を示してくださいました。 十字架への道を進んで通ってくださった、真のリーダー、導き手の姿です。 祈り:神様、私の利己主義的な部分を悔い改めます。イエス様の足跡にならいたいです。私の人格を日々きよめ、造り変えてください。アーメン

ヨシュア記16-18

通読:  ヨシュア記16-18、ルカ2:1-24 「山地もあなたのものとしなければならない。それが森だとしても切り開いて、その隅々まであなたのものとしなさい。カナン人が鉄の戦車を持っていても、強くても、あなたは彼らを追い払わなければならない。」ヨシュア記 17:18 イエス・キリストは、戦争や殺人を肯定されていません。 旧約聖書もキリストの光に照らして読むことが必要です。 旧約の記事は、新約時代を生きる者にとっての実物教材であったということがわかります。 今日の箇所からは、神が約束通り与えてくださる方であること、与えられた領域をよく見張り、余計なものや神に喜ばれないものは取り除くようにと学ぶことができます。 心のすべてはキリストの十字架によって買い取られました。 その中に、誘惑や罪の余計な性質を見るなら、神に取り扱っていただきましょう。 祈り:神様、あなたにあって自由と解放が与えられたことを感謝します。自分勝手に元の習慣に戻ることがないよう、主の光でいつも照らしてください。アーメン

ヨシュア記13-15

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通読: ヨシュア13-15、ルカ1:57-80  「私とともに上って行った私の兄弟たちは民の心をくじきました。しかし私は、私の神、主に従い通しました。」ヨシュア記 14:8 「ご覧ください。イスラエルが荒野を歩んでいたときに、主がこのことばをモーセに語って以来四十五年、主は語られたとおりに私を生かしてくださいました。ご覧ください。今日、私は八十五歳です。」ヨシュア記 14:10 カレブは40歳で偵察隊の一人としてカナンを調査しました。 不信仰な他の10人とは異なり、カレブはヨシュアと共に信仰に立ちました。 ヨシュアとは、いわば45年来の同志、同僚でした。 そして85歳の今も、ヨシュアと変わらぬ信仰を語り合えます。 カレブの姿から、人生の終わりまで信仰に立つ人が真の勇者だと学びます。 信仰が揺るぎそうな時、荒野をあきらめずに旅し続けたカレブの豊かな人生と幸いを思い出しましょう。 祈り:神様、最後まで主を信じ従う人生を歩ませてください。アーメン

ヨシュア記10–12

通読: ヨシュア記 . 10–12;  ルカ . 1:39-56 「ヨシュアはすべて主がモーセに告げられたとおりに、その地をことごとく奪い取った。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族への割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに与えた。そして、その地に戦争はやんだ。」ヨシュア記11:23 ある注解には次のようにあります。 「イエスなら、ヨシュアの軍事、戦いは、現代のどの人にとっても模範となるものではないと説明したであろう。」 では、戦いの記述がなぜ旧約聖書に載っているのでしょうか。 注解は続きます。 「しかしながら、その勝利という一つの側面は、神がイエスの死と復活を通してもたらすことになる、偉大で全く異なるタイプの勝利の予兆であり、影である。」 全く異なるタイプの勝利とは、暗闇の力との戦い、霊的な勝利です。 心の中の、また見えない領域の戦いに、私たちは日々さらされています。逃げることはできません。 都度イエス・キリストの御名を掲げるとき、都度勝利があることを覚えましょう。 祈り:神様、私の心の中に恐れ、疑い、不安が生じる時、キリストの名を呼び求め宣言します。勝利の主に感謝します!アーメン

ヨシュア記7–9

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通読: ヨシュア記 . 7–9;  ルカ . 1:21-38 「そこで人々は彼らのヨシュア記7–9の一部を受け取った。しかし、主の指示を求めなかった。」ヨシュア記9:14 今週何かしようとする前に祈れましたか? それとも後でしまった、と思ったでしょうか。 私はいつも失敗だらけです。 アカンの罪とアイへの戦い、ギブオンにいたヒビ人とのやり取りは、残念ながら当初から本質を識別することはできませんでした。 それは主に尋ねなかったからでした。 今の世界も、感情と政治家の思惑だけではうまくいきません。 だからこそ、私たちはとりなしの祈り手に召されています。 いつも共にいてくださる聖霊様はカウンセラーです。ことあるごとに相談できますように。 祈り:神様、あなたの声をもっと聴くことができますように。そして、この国や世界のためにもっと祈る者とならせてください。アーメン

ヨシュア記4–6

通読: ヨシュア記 . 4–6;  ルカ . 1:1-20 「マナは、彼らがその地の産物を食べた翌日からやみ、イスラエルの子らがマナを得ることはもうなかった。その年、彼らはカナンの地で収穫した物を食べた。」ヨシュア記5:12 神様は、必要なものを必要な時に与えてくださいます。そのことを信じます! そして主は、ヨシュアに必要なこと、すなわちリーダーの確信と主との個人的な出会いを与えられました。 「主の軍の将はヨシュアに言った。『あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。』そこで、ヨシュアはそのようにした。( 5:15)」 この主は、私たちにも個人的に出会ってくださるイエス・キリストです! 祈り:神様、あなたとの個人的な出会いを感謝します。日々祈りを通してあなたに必要を申し上げ、満たされる経験を与えてください。アーメン

ヨシュア記1-3

通読: ヨシュア1-3、マルコ16 「あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」ヨシュア1:5 卒業式シーズンです。 小中高校で、自分のすぐ上の学年が卒業した時、なんともいえず寂しくぎこちない気持ちになりました。 それは、最高学年になるにはあまりに頼りない、自分の弱さへの不安だったかもしれません。 今日から、モーセからリーダーシップを引き継いだヨシュアが中心となります。 人間的には不安だったでしょう。 しかし、神様は繰り返し「強くあれ。雄々しくあれ」と語られます。 そして、ともにいるから大丈夫だと何度も言われました。 1章5節の「あなた」に自分の名前を入れて読んでみてください。 今日も神様は、同じ約束を私やあなたにくださいます。 祈り:神様、あなたが私を決して見捨てず、見放さない方であることを信じます。ひとりぼっちで判断する必要がないことを感謝します。あなたの判断についていきます。アーメン

申命記32-34

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通読:申命記32-34、マルコ15:26-47 そして主は彼に言われた。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに『あなたの子孫に与える』と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。」 申命記 34:4 秋から植えていた早咲きのチューリップがつぼみをつけました。 もうすぐ咲きそうで、開花が楽しみです。 冬の間、ずっと花の咲くのを待っていたからです。 ところで、人生の歩みも、花の咲くような結果に価値をおきがちです。 約束の地に入ることこそ一番のクライマックス、報酬と考えます。 目標としてきたことだからです。 しかし、神はモーセの生涯を目的地の直前までと定められました。 「その場所で、主のしもべモーセは主の命によりモアブの地で死んだ(34:5)」のでした。 あれほど入りたかったのに、最終的には主のご意思に従ったことこそ、モーセが信仰の人と言われる所以だと思います。 私たちは花が咲くのをなんとしても見たいでしょうか。 それとも、つぼみのままでも、主にお捧げすることができるでしょうか。 祈り:神様、あなたのお考えは深くて私には理解が及ばないことがあります。自分の思いと違う時、モーセのように従いたいです。主がよい方であると信頼できるよう助けてください。アーメン

申命記30–31

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通読: 申命記 . 30–31;  マルコ . 15:1-25 「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」申命記 31:6 私事ですが、このところ体調がよくありませんでした。 季節の変わり目で、自律神経の不調だと思われます。 エネルギーがなく、判断力が落ち、何もかもがうまくいかない気がしました。 失敗だらけでも「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」という励ましを、自分のものとして受け取ろうと思います。 「まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。(30:14)」 遠い空のかなたではなく、今日もみことばはすぐ近くにあります。 祈り:神様、あなたが共にいてくださり、日々みことばで養ってくださることを感謝します。私が弱いとき、あなたの強さがより輝き出ますように。アーメン

申命記28–29

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通読: 申命記 . 28–29;  マルコ . 14:54-72 「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。」 申命記 29:29 だから、現されたことは神を見上げればよく、 隠されていることも神の御手にあるから安心です。 祈り:神様、異動やまだ見えない不安に心が揺れる時、すべてがあなたの手のうちにあると思い出させてください。アーメン

申命記26-27

通読: 申命記26-27、マルコ14:27-53   「今日、主は、あなたに約束したとおり、あなたが主のすべての命令を守り主の宝の民となること、」申命記26:18 あかしです。 数日前に、新しく来日予定の宣教師のビザ手続きに先立って、 現在の宣教師と共に入国管理局に行き、書類申請に付き添うことがありました。 少し離れた安い駐車場に停め、急いで向かいました。 現在の宣教師はすでに列に並んでいて、書留切手を買ってくるよう頼まれた時です。 財布がないことに気づきました。 駐車場までは確かにあったのです。 車に戻って探しましたがありません。 道で落としたようです。 祈りつつ、「日本といってもいろんな国、文化の人たちがいる場所だから、戻ってこないかもしれない」と思いました。 交番に行って遺失物届を出しました。 半時間ほど、内容や私の個人情報などを尋ねられました。 すると・・・奥の部屋から保管された財布を警官が持って来てくれました。 散歩中の人が届けてくれたそうです。 お礼はいらないとのこと。 硬貨やカード1枚も失われず、すべてそのままでした。 奇跡だと思いました。 私たちは、与えられているものの一部を初物、あるいは感謝の表れとして主にささげます。 しかし、主はすべてを所有し、すべてをご存知です。 財布を受け取った時、主が「私はすべて知っていたよ。そして、あなたのことを宝のように愛しているよ」と語ってくださったように感じました。 主は、旧約の民を「主の宝の民」と表現されました。今のクリスチャン一人一人も「宝の民」という眼差しで見てくださっています。 祈り:神様、私のことをすべて知り、宝のように愛して大切に思ってくださっていることをありがとうございます。あなたの眼差しを感じる日も、感じられない日も、あなたは変わらず愛してくださっていることを感謝します。アーメン

申命記23-25

通読:  申命記23-25、マルコ14:1-26  「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを覚えていなければならない。それゆえ私はあなたに、このことをせよと命じる。」申命記24:22 記憶にとどまるようにと、記念されていることは色々あります。 誕生日や記念日のように喜ばしいこともあれば、 地震や原爆投下日のように辛いメモリアルもあります。 聖書は、人々がエジプトの奴隷生活でどれほど苦労したかを覚えているようにと述べます。 それは、虐げられた人に対してあわれみ深く、寛容であるようにです。 主ご自身もあわれみ深い方です。 祈り:神様、あなたのあわれみ深さに感謝します。私たちも苦境の中でも主のあわれみを思い返し、恵み深いあなたの愛を分かち合うことができますように。アーメン

申命記20-22

通読:   申命記20-22、マルコ13:21-37    「あなたがたが戦いに臨むときには、祭司が進み出て民に語りかけ、」申命記20:2 「あなたが、ある町を攻略しようとしてその町に近づいたときには、まず降伏を勧めなさい。」20:10 戦いに際しては、司令官でも王でもなく、祭司が激励をします。 また町のリーダーが、それぞれの事情を勘案するように語りかけます。 相手方とも、まず平和的な解決を求めます。 22章まで、事件の処理や女性の保護などについても語られます。 やみくもに傷つけ合うことを避け、人格を尊重する姿勢は、国家間だけでなく私たちにも必要です。 家族の中での失言や不誠実について、悔い改めと和解が広く行われますように。 祈り: 神様、心の戦いについて思い巡らしています。主にあって平静と安心を得るよう、柔らかくしてください。強硬に走る肉の頑固さ、固さを砕いてください。アーメン

申命記17-19

通読:  申命記17-19、マルコ13:1-20 「その王国の王座に就いたら、レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。」申命記17:18~19 王が間違った方向に行かないための秘訣は、主の教えを手元において一生学び続けることです。 聖書の知恵は今も生きています。 国々のリーダーがそこから学ぶことができるよう、またリーダーだけでなくすべての人が聖書の神に出会うよう祈りましょう。 祈り:神様、国々のトップの人が主のみこころを求め、へりくだって平和を目指すことができますように。災害や試練にある人たちが、聖書の神に出会い、慰めを受けますように。アーメン

申命記14-16

通読:申命記14-16、マルコ12:28-44  「必ず彼に与えなさい。また、与えるとき物惜しみをしてはならない。このことのゆえに、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださるからである。」申命記15:10 聖書の神様は、気前の良い方です。 7年目に、同胞に貸したものを帳消しにせよと言われます。 貸した人が損じゃないか、と思います。 しかし、主に従う人には「主が必ずあなたを祝福されるので、あなたのうちには貧しい人がいなくなるであろう」(15:5)と約束します。 また困った人、貧しい人を助けるようにも命じておられます。 信仰者や教会が、海外宣教の働きや緊急支援にささげるのは、この気前のよい主のみこころを果たすことだ、と信じます。 自分の損得だけ考えるなら、せっかくの祝福を体験できないままになることもありえます。 祈り:神様、あなたの気前のよさで、私はたくさんのものをいただきました。何より、永遠のいのちを信じるだけで、ただでいただきました。感謝します。私も気前よくささげることができるよう、主にある大胆さと勇気を与えてください。アーメン

申命記11-13

通読:申命記11-13、マルコ12:1-27  あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。13:4 主に従うことがいかに大切で幸せになる秘訣かが、繰り返し民に語られています。 人間がいかに感謝を忘れやすい存在かの現れでもあります。 私たちにも心当たりがあります。 でも、自分がじかに通った経験は、単に聞いたことよりもはっきり覚えています。 戦争や災害を伝える「語り部」の話は、それを体験したからこそ聞き手の心にいっそう響きます。 「これら主がなさった偉大なみわざのすべてを自分の目で見たのは、あなたがたである(11:7)」と荒野でモーセは民を励まします。あかし人、主のみわざの語り部になるように、と。 私たちも、キリストの救いを体験しました。その語り部、あかしとしてどんな人でも体験を伝えることができます。 祈り:神様、私の救いの体験、信仰の体験を伝えたいです。つたなくても、聖霊が共にいて働いてくださり、相手の心に届けてくださると信じます。アーメン

申命記8-10

通読:申命記8-10、マルコ11:19-33 「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを知らなければならない。」申命記 8:5 私たちの信じる聖書の神様は、人格をもった方です。ロボットのように機械的に処理したり、切り捨てたりする方ではありません。 「あなたがたの神、主は神の神、主の主、偉大で力があり、恐ろしい神。えこひいきをせず、賄賂を取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる。」(10:17-18) 「恐ろしい」恐れるべき偉大な方であると同時に、弱いものには優しくあわれみ深い方です。 そのような方だから、親が子を訓練するように、私たちのために訓練されることがあります。 それは私たちの成長のため、私たちの益となるためです。 祈り:神様、あなたの訓練を受け取り、成長の糧とさせてください。辛い時あなたに頼り、信頼し、呼び求めることを教えてください。アーメン

申命記5-7

通読: 申命記5-7、マルコ11:1-18   「主はこの契約を私たちの先祖と結ばれたのではなく、今日ここに生きている私たち一人ひとりと結ばれたのである。」申命記 5:3 主の約束は、旧約の時代を越えて今もよいものであることに変わりありません。 「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(5:10) 「彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るようになってほしい。そうすれば、彼らもその子孫も永久に幸せになる。」(5:29) 「それで主は、私たちがこのすべての掟を行い、自分たちの神である主を恐れるように命じられたのである。今日のように、いつまでも私たちが幸せになり、私たちが生かされるためである。」(6:24) 私たちの幸せを願ってくださる主に感謝します。 祈り:神様、あなたの教えは私たちを愛するがゆえのものです。聖書の約束がよくわかり、信仰のチャレンジに応答できますよう導いてください。アーメン

申命記3-4

通読: 申命記3-4、マルコ10:32-52  「ヨシュアに命じ、彼を力づけ、彼を励ませ。彼がこの民の先頭に立って渡って行き、あなたが見るあの地を彼らに受け継がせるからだ。」3:28 リーダーとして長年仕えたモーセ。 しかし、約束の地に自らが入ることはできませんでした。 代わりに次のリーダー、ヨシュアがその祝福にあずかりました。 モーセは神の目には充分果たした、それでよしとされたのでした。 直接の成果を受けることができない時、私たちは複雑な気持ちになります。 神がよしと言われるなら、目に見える手柄や成果は次世代に譲る用意ができているでしょうか。 なかなか難しいチャレンジです。 その神に従ったモーセは、やはり信仰の勇者だと言えます。 祈り:神様、モーセのような信仰の姿勢を与えてください。謙遜に、また次世代の祝福のために祈る者となれますように。アーメン

申命記1-2

通読: 申命記1-2、マルコ10:1-31     「事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」申命記 2:7 旧約聖書の歴史は、神の守りの歴史でもあります。 滅びてしまいそうな民を、神が御手をもって守られました。 特に荒野での四十年、「何一つ欠けたものがなかった」のには驚嘆します。 また、神様はアブラハムとの契約を守られました。 たとえば2:5に 「彼らに戦いを仕掛けてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほどさえも、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイルの山を、彼の所有地として与えたからである。」 とあるように、該当する民とはぶつからないようにと命じられました。 私たちの人生の旅も、神は守ってくださいます。 なぜなら、私たちが信じているのは同じ聖書の神様だからです。 旧約聖書と変わらず、私たちを今日も見守ってくださいます。 祈り:神様、あなたに守られて人生の旅をしていきます。 新年度を前に、環境の変化に直面している信仰の友をお守りください。まだ知らない道、登ったことのない山にも、主が共にいて導いてくださることを感謝します。アーメン

民数記34-36

通読: 民数記34-36、マルコ9:30-50  「これらは、エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、主がモーセを通してイスラエルの子らに命じられた命令と定めである。」民数記36:13 長かった民数記も終わりです。通読お疲れ様でした! この主の命令と定めが、オフィスや定住地でなく、モアブの草原で与えられたことに注目します。 いわゆる現場で、まだ途上でこのような大切なことが語られたのです。 私たちが日々雑事に追われる中でも、神は語ろうとしておられます。 大切なことを聞き逃さないように、そして祈りの必要をつかめるように願いましょう。 祈り:神様、あなたは今日も語られます。引退してからとか休暇中にとか、言い訳をしないよう助けてください。 戦争で危険にさらされる人、不安になる人、戦地にいる人をお助けください。主の平和が速やかに来ますように。格別にイランの教会とクリスチャンたちを守り励ましてください。アーメン

民数記31-33

通読: 民数記31-33、マルコ9:1-29   「祭司アロンは主の命によりホル山に登り、そこで死んだ。それは、イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四十年目の第五の月の一日であった。」民数記33:38 家族の終末期医療(どこまで延命するか)について、医療スタッフと話す機会がありました。 また、エンディングノートにも、自分の人生の終わり方の希望を書くところがあります。 ただ、どんなに希望していても、いのちは人が完全にコントロールすることはできません。それは神の領域です。 旧約のイスラエルの民は、困難な中で主の計画を歩みました。 ガド族とルベン族は、最後まで従うことを約束しました。 アロンは神の命令で山に登り、そこで生涯を終えました。 生涯の最後までキリストに従う決心ができていますか? 祈り:神様、あなたについて行く人生は幸いです。たとえ苦労や困難があっても、主が見捨てず、共にいてくださること、脱出の道を備えてくださることを信じます。生涯の最後まで導いてください。アーメン

民数記28-30

通読: 民数記28-30、マルコ8:22-38  「イスラエルの子らに命じて彼らに言え。 あなたがたは、わたしのための食物、わたしへのささげ物を、わたしへの食物のささげ物、芳ばしい香りとして、定められた時に確実にわたしに献げなければならない。」民数記28:2 「芳ばしい香り」として、どれほどの動物や穀物が焼かれささげられたか、想像もつきません。 たとえとして適切かどうかわかりませんが…、 焼肉屋さんが何十軒も並んでいるようなにおいが、立ち込めていたと想像します。 イエス・キリストにより、これらの規定は不要になりました。 しかし、どれほどの規模があがないのために必要だったか、私たちが知る助けになります。 「こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません。 これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。」 コロサイ人への手紙 2:16-17 祈り:神様、私たちの暮らしとは無縁のように思える箇所が、聖書として与えられている意味がわかりますように。キリストの福音の素晴らしさが、日常生活の実感となりますように。 同時に、世界の戦争や迫害で苦しむ人々のために祈る者となれますように。アーメン

民数記26-27

通読: 民数記26-27、マルコ8:1-21 「アムラムの妻の名はヨケベデで、レビの娘であった。彼女はエジプトでレビに生まれた者で、アムラムにアロンとモーセと彼らの姉ミリアムを産んだ。」民数記26:59 レビ族の、モーセの母についての記述です。 モーセが生まれた時には、殺しきれずにかごに入れて水に流しました。 ファラオの娘がモーセを見つけた時、姉ミリアムの機転で乳母としてモーセを養育することになりました。 王子になったモーセがエジプト人を殺して逃亡した時、もし彼女が生きていたらひどく悲しんだでしょう。 しかし、アロン、モーセ、ミリアムの3人は、百万人を越える民をエジプトから脱出させるリーダーとなりました。 ヨケベデは死に、アロンとミリアムももう死んでいました。 約束の地を前に、モーセも間もなく死のうとしています。 誰がこのような生涯を想像できたでしょう。 神のご計画ははかり知れません。 同じ神は、私たちの人生にも、そして家族の人生にも、私たちの想像できない計画を持っておられます。 その計画は、私たちのいなくなった後で実現することもあります。 祈り:神様、あなたのご計画は大きくて及びもつきません。でも、あなたが良い方であること、約束を果たされる真実な方であることを覚え、信頼します。今週もあなたに聞きながら、一歩一歩歩めますように。アーメン

民数記23-25

通読: 民数記23-25、マルコ7:14-37  「バラムはイスラエルを祝福することが主の目にかなうのを見て、これまでのようにまじないを求めに行くことをせず、その顔を荒野に向けた。」民数記 24:1 バラムという人は、まじないなど、主に喜ばれないことをしていました。 それでも、主の霊が臨んだ時だけ、彼は主の目にかなう言葉を告げます。 「...ヤコブから一つの星が進み出る。 イスラエルから一本の杖が起こり、 モアブのこめかみを、 すべてのセツの子らの064脳天を打ち砕く。(24:17)」 メシアの預言さえしています。 なぜこのような人物を神が用いられたのか、私たちの常識で説明することは難しいdえす。 新約聖書ではバラムは非難されています(2ぺテロ2:15、ユダ11、黙示録2:14)。 それでも、神の知恵は人の知恵に勝っています。 反面教師にしつつ、自分の先入観の危うさと神の知恵の深さとを考えさせられます。 祈り:神様、私の勝手な思い込みや先入観を取り除いてください。弱く思える人でも主は用いることができます。みこころかどうか、聖霊により頼んで判別できますように。アーメン