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Ⅰ列王記 8–9

通読: Ⅰ 列王記  8–9;  ルカ . 21:1-19 「それで私の父ダビデの心にはいつも、イスラエルの神、主の御名のために家を建てたいという思いがあった。」 列王記 第一 8:17 昨日の聖会で引用された聖句の一つでした。 キリストの満ちる教会、それを建て上げることをいつも考えていたご両親のことをあかしされていました。 ソロモンは、父ダビデの願いを自分の思いとしました。 前の世代の方たちが願い祈り続けた教会は、キリストの満ちる主の家です。 だから、私たちもキリストにある教会を愛することをわが思いとし、祈っていきたいのです。 祈り: 神様、キリストのからだである教会を愛し、霊の家族として互いに赦し合う群れとしてください。アーメン

Ⅰ列王記6−7

通読: Ⅰ 列王記 6–7;  ルカ2 0:27-47 「こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させた。」Ⅰ列王記6:14 何気なく書かれた一文の背後に、どれだけの労力と時間、財が費やされたかと思います。 小さな工事や普通の家屋を建てるのにも、私たちはあれこれ悩み、ハプニングに戸惑います。 まして、神殿を建てる大工事となれば尚更です。 淡々と書かれる工事の記録には、主の守りと導きがありました。 今、教会の周辺も工事が始まろうとしています。 規模や目的は違っても、工事の守りと、隣接する教会の存在が主の手に導かれることを信じてお祈りしましょう。 祈り:神様、あなたの守りで一つ一つが進みます。不安や混乱ではなく、主のご計画がなることに信頼します。アーメン

Ⅰ列王記3–5

通読:  Ⅰ 列王記 . 3–5;  ルカ . 20:1-26 「しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」 Ⅰ 列王記5:4-5 主に知恵を願ったソロモンは、その知恵を用いて主の宮、神殿を建てることになりました。 それは、ただ父から命じられたという理由でなく、彼自身も主に感謝して行おうとしたものでした。 この純粋な思いと信仰が、彼の生涯の最後まで続いたら...と読むたびに思います。 私たちも、信仰が揺らいだら原点に戻ることが大切です。 救われた時、召 された時の恵みを思い返すことができますように。 祈り:神様、恵みを忘れてしまいやすいものです。 もう一度原点に戻ります。これから記されるソロモンの心の変遷を反面教師としつつ、信仰にとどまり続けさせてください。アーメン

Ⅰ列王記1-2

通読: Ⅰ列王記1-2、ルカ19:28-48   「主が王とともにおられたように、ソロモンとともにいて、その王座を、わが君ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」 Ⅰ列王記1:37 祭司の祈りは、王の栄えよりも強さよりも、主がともにおられるように、というものです。 私たちは、自分の家族や親しい人に、功績や暮らし向きより、主がともにおられることを第一の価値として願っているでしょうか。 祈り:神様、一時的なものにでなく、永遠に続くものに価値を置くことができるよう、私たちの目を開いてください。点数よりも所有物よりも、もっと大切なものを大切にできますように。アーメン

Ⅱサムエル23–24

通読: Ⅱサムエル23–24; ルカ19:1-27  「ヒッタイト人ウリヤ。 合計三十七人。」Ⅱサムエル23:39 ダビデの生涯で「勇士」と呼ばれた人の名前、功績が列挙されています。 ...三人の勇士はペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、 こう言った。「主よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。」彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士は、そのようなことまでしたのである...(23:16-17) こうした勇士の働きがあったからこそ、ダビデは生き延び、王として治めることができました。 最後の節に、あのバテシェバの夫、「ヒッタイト人ウリヤ」の名が挙げられています。 戦死するよう仕向けられた彼は、王に最後まで忠実だった人です。 切なく、ダビデの汚点のしみのようです。 でも同時に、神が決して彼を忘れてはおられないということも、思い起こさせます。 祈り:神様、生きている時にはねぎらいのないこと、理不尽なことがあります。でも、あなたの目にはすべてが明らかで覚えられていることを感謝します。日本で伝道を続け、今は母国にいる宣教師たちに、あなたの豊かなねぎらいがありますように。アーメン

Ⅱサムエル21–22

通読:Ⅱサムエル21–22; ルカ8:24-43  「主のほかに、だれが神でしょうか。 私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。神は私の力強い砦。 私の道を全きものとされます。主は、私の足を雌鹿のようにし、 高い所に立たせてくださいます。」Ⅱサムエル22:32-34 ダビデの歌ったこのことばは詩篇18篇にも記されています。 王といっても、様々な危機や問題の連続でした。プレッシャーやストレスは、現代の猛烈ビジネスマンに匹敵するかそれ以上です。 ふっと気を抜いた時には、バテシェバを巡る罪を犯してしまいました。 目に見える敵だけでなく、霊的な敵の誘惑とも戦わねばなりませんでした。 そんな彼は、主は「私の力強い砦」だと宣言します。 そして「私の足を雌鹿のように」軽やかに引き上げ、「高い所に立たせてくださいます」と言います。 新年度から1ヶ月、疲れが出ているでしょうか。 霊的なリフレッシュが必要でしょうか。 どんなにストレスがあっても、主はその上から全てを俯瞰しておられます。 祈り:神様、あなたが全てをご存知で、私の今の問題への解決も、もっと大切な人生そのものも支配しておられることに感謝します。一時の問題で視野狭窄に陥らないよう助けてください。「私の足を雌鹿のように」し、砦であるあなたのそばで憩わせてください。アーメン

Ⅱサムエル19–20

通読: Ⅱサムエル19–20; ルカ18:1-23 「こうして、民はみなヨルダン川を渡り、王も渡った。王はバルジライに別れの口づけをして、彼を祝福した。それで、バルジライは自分の町へ帰って行った。Ⅱサムエル19:39 息子アブサロムと戦い、自らの息子が戦死し自分が勝利するという矛盾と悲しみは格別だったでしょう。 しかし、そのような中でも、ダビデは周囲の人々をあわれみ深く扱いました。 自分を呪ったシムイ、戦いに来なかったメフィボシェテをゆるしました。 自分によくしてくれた、高齢のバルジライへの感謝を忘れませんでした。 私たちは、心に悲しみと大きなストレスがある時はそれだけでいっぱいになり、自己憐憫と混乱に陥りやすいものです。 神様の広い視野が私たちを引き上げてくださり、主のよくしてくださったことを覚える者とされますように。 祈り:神様、忙しさや雑事、問題にばかりとらわれることがありませんように。あなたの恵みと良くしてくださったことを思い巡らし、新たな視野を開いて頂けるよう、今日も導いてください。アーメン

Ⅱサムエル16–18

通読: Ⅱサムエル16–18; ルカ17:20-37  「おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」サムエル記 第二 16:12 シムイという人がダビデを非難中傷して呪った時、ダビデはこのように言いました。 今のSNS時代、オンラインでの炎上や誤解は起こります。 そうでなくても、メールや書き込みの言葉に傷ついたことがあるかもしれません。 返信によっては、さらに事態が悪化しかねません。 特に、信仰のこと、聖書に関することについては、今日のダビデの対応を見習いたいものです。 主が心を知っておられること、怒りに任せず冷静でいること、主の祝福と報いを信じることです。 祈り:神様、非難中傷に心乱れ悲しむ者です。主が心を見てくださり、誤解を和らげ、よい解決で報いてください。アーメン

Ⅱサムエル14–15

通読: Ⅱサムエル14–15; ルカ17:1-19 「もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、主が良いと思われることをこの私にしてくださるように。』」サムエル記 第二 15:26 息子アブサロムが反乱を起こし、ダビデは急いで逃げなければなりませんでした。 その時、このように告白しました。 イエス様がゲッセマネで祈られた「みこころがなりますように」ということばを思い出します。 共通点は、神にゆだねるという姿勢です。 それだけではありません。ついてきたガテ人イタイへも配慮します。  「あなたは昨日来たばかりなのに、今日、あなたをわれわれと一緒にさまよわせるのは忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたの兄弟を連れて戻りなさい。恵みとまことがあなたとともにあるように。(15:20)」 砕かれた心、罪の悔い改めを通ってへりくだったダビデの姿勢に学びましょう。 祈り:神様、私にもへりくだりを与えてください。試練も過去への悔い改めも、砕かれた柔らかい心にされ、あなたに近づくために用いてください。アーメン

Ⅱサムエル12–13

通読: Ⅱサムエル12–13; ルカ16 「ダビデはナタンに言った。『私は主の前に罪ある者です。』ナタンはダビデに言った。『主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。』」サムエル記 第二 12:13 ダビデは、罪の結果に直面することにはなりました。 生まれた子はすぐ死にました。 また、ダビデの子どもたちがレイプの当事者となったり、その復讐をし合うという悲劇にも合いました。 もしかすると、自分の過去と重ね合わせ、心痛めたかもしれません。 けれども、ダビデは罪をナタンに指摘され、ただちに主の前に悔い改めました。 それで、主はダビデに赦しを与えられました。 先日、堕胎した女性へのカウンセリングを専門にしているクリスチャンとお会いしました。 罪の呵責と心の傷、トラウマに悩む女性たちが、神の愛を通して完全に解放される姿を見てこられました。 過去の罪を洗いきよめてくださる主のあわれみを感謝します。 祈り:「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。(詩篇51:17」神様、どうか私の心を探ってください。そして悔い改めとゆるしへの感謝で満たしてください。アーメン

Ⅱサムエル9–11

通読: Ⅱサムエル9–11; ルカ15:11-32 「ダビデは言った。『サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。』」サムエル9:1 ダビデはサウルの孫でもあるメフィボシェテに、ヨナタンの家族だという理由で真実を尽くしました。 足が不自由な彼でしたが、何をしたか、しなかったかではなく、ヨナタンへの恵みが彼に及び、王の息子のように王の食卓で食事をするようになりました。 しもべも与えられ、生活が保障されました。 神の救いも、これと同じような一方的な恵みです。 私たちが何をしたからではなく、神を信じたゆえに神の子とされ、御国で神の食卓につけるのです。 祈り:神様、あなたの子どもにしてくださる、主の食卓に招かれるものとしてくださり感謝します。あなたの恵みと親切な心を分かち合う機会を与えてください。アーメン

Ⅱサムエル6–8

通読: Ⅱサムエル6–8; ルカ15:1-10  「ダビデ王は主の前に出て、座して言った。『神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。』」Ⅱサムエル7:18 ダビデは王となり、主のために家を建てようとしました。 自分が杉の家に住んでいるのに、主の家がないではないか、と思いました。 その動機は良いものでした。 しかし、主は逆に、ダビデの家(家系)を堅く立てよう、と言われました。 ダビデは感謝の祈りをささげます。 王であっても、羊飼いであっても、立場や身分にかかわらず主は私たちを治め、恵みを注いでくださる方です。 私たちが悪い点数をとっても、退職しても、社会から取り残されたように感じても、主は変わらず恵みを与えてくださいます。 祈り:神様、「私をここまで導いてくださったとは」なんという恵みでしょう。感謝します。私がどのような状態でも、これからもあなたが導いてくださることを信じます。アーメン

Ⅱサムエル3–5

通読: Ⅱサムエル3–5; ルカ14:25-35 「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」 サムエル記 第二 5:12 サムエル記第一では、サムエルが主の語りかけを聴きました。 サムエル記第二では、ダビデが主にこのように立てられたことを知りました。 私たちには、今日主がどのように語り、今のところに置いてくださっているでしょうか。 そろそろ主にあって移動する時期でしょうか、あるいはじっととどまる時でしょうか。 自分の思い込みで先走ることないよう、あるいは現状維持に固執しないよう、 「主が」どう導いておられるか知ることができるよう、祈りましょう。 祈り:神様、私の人生、そして私の今日という日はあなたのものです。あなたに生かされています。主の日々の導きを受け取ることができるよう、私の霊を養ってください。アーメン

Ⅱサムエル1–2

通読: Ⅱサムエル1–2; ルカ14:1-24  「ダビデは、サウルのため、その息子ヨナタンのために、次の哀歌を歌った。」サムエル記 第二 1:17 戦死した王家のために、ダビデは哀悼の歌を歌います。 大親友のヨナタンのためだけでなく、自分の命を脅かしたサウルのためにもです。 それは「主に油注がれた方(1:14)」という理由でした。 人格や行動によらず、主がその立場に寘かれたからだした。 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。(ローマ13:1)」 「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。(出エジプト20:12)」 同じように、これらの立場の人を敬うよう、主はチャレンジしておられます。 祈り:神様、あなたが立てられた立場にある人を敬うことができるよう、私を整え導いてください。アーメン

Ⅰサムエル30–31

通読: Ⅰサムエル30–31; ルカ13:23-35  「ダビデは言った。『兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。... 戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。』」Ⅰサムエル30:23-24 ダビデの部下のうち、疲れ切って川を渡れなかったのが200人、追撃を続けたのが400人でした。同じ報酬は不公平に思うかもしれません。 でも、ダビデは待機した200人にも、また帰ってからユダの長老たちにも、戦利品を気前よく分け与えました。 ぶどう園のたとえを思い出します。 早朝から働いた人にも、午後遅くからの人にも、主人は同じ賃金を払いました。 神様の気前よさは、このような性質です。 自分の成功や業績を気前よく分け与え、何より主にお返しできるよう祈りたいと思います。 祈り:神様、すべてはあなたのものです。私たちが任された物質も、才能や技術も、すべて主から発しています。ダビデのような気前良い態度を与えてください。アーメン

Ⅰサムエル27–29

通読: Ⅰサムエル27–29; ルカ13:1-22  「ダビデとその部下は、翌朝早く、ペリシテ人の地へ帰って行った。ペリシテ人はイズレエルへ上って行った。」Ⅰサムエル29:11 ペリシテ側についてイスラエルと戦うために、ダビデと部下たちは出ていきました。 ダビデも忠誠を示しました。 ところが、ぺリシテ人の領主たちのは、ダビデが裏切るのではと反対しました。 それで、ダビデたちは引き返すことになりました。 これも神の守りと言えます。 自分の民と戦うことが避けられました。 また、その土地にとどまっている家族に危機が及んでいたので、早急に救う必要がありました(戻ってみてわかります、30章~)。 私たちも、自分の知らないところで、神の守りとご計画がなされていることを信じ感謝しましょう。 祈り:神様、あなたの守りと確かな采配を感謝します。私の思いを越えて主のご計画があることを信じ、祈り続けます。アーメン

Ⅰサムエル25–26

通読: Ⅰサムエル25–26; ルカ12:32–59 「ダビデはアビガイルに言った。『イスラエルの神、主がほめたたえられますように。主は今日、あなたを送り、私に会わせてくださった。』」Ⅰサムエル25:32 絶妙なタイミングでアビガイルとダビデは出会いました。 急いでパンや肉の準備をした時のアビガイルは、必死に間に合うよう祈っていたことでしょう。 ダビデのこの反応は、彼女の力だけではなく主が引き出してくださったといえます。 新年度、どんな出会いがありましたか? うまくいきそうな出会いも、まだ不安だらけの出会いも、 最善のタイミングを知っておられる主に信頼し、期待しましょう。 祈り:神様、自分で計画したと思っても予想外のことが起こります。 主に祈りながら、主のタイミングと出会いに期待します。今日も一日導いてください。 慣れない職場やクラスにいる人たちの不安な心に、主の導きと平安がありますように。アーメン

Ⅰサムエル22–24

通読: Ⅰサムエル22–24; ルカ12:1-31 「サウルの息子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた。」 Ⅰサムエル23:16 ダビデの逃亡生活の中で、一番励まされたとも言えるのはヨナタンの存在だったかもしれません。 しかも、単なる戦術とか物資の援助ではなく、じかに彼のところに来て、祈りで神によって励ましてくれたのでした。 母が入院生活をしていると、真心で足を運んでくれる親戚のさりげない愛がありがたいものです。 そして、信仰の友に心をこめて祈られていることがどれだけ励ましか、よくわかります。 ヨナタンのように、他の人を神によって励ます者となれたら素晴らしいですね。 祈り:神様、みことばと祈りによって励ます者とならせてください。口先だけでなく、行いと愛をもって真心から接することができますように。アーメン

Ⅰサムエル19–21

通読: Ⅰサムエル19–21; ルカ11:29-54 「サウルは、ダビデを殺すと、息子ヨナタンやすべての家来に告げた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。」Ⅰサムエル19:1 王子ヨナタンの寛容で謙遜な人格により、ダビデの命は救われました。 自分以上に王位に相応しい人物を、妬まず助けることができたヨナタンの品性は、キリストの謙遜な品性を思い起こさせます。 また、危急の時にも主を信頼して叫び求める人には、主の恵みと助けがあることを覚えます。 祈り:神様、ヨナタンのように謙遜さと愛を聖霊の実として結ぶことができるよう、私を取り扱って造り変えてください。またダビデのように、焦らず、諦めず、主を待ち望む者になれますように今日も導いてください。アーメン

Ⅰサムエル17–18

通読: Ⅰサムエル17–18; ルカ11:1-28 「ダビデはペリシテ人に言った。『おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。』」サムエル記 第一 17:45 自分はダメだ、と思うような瞬間、どうしようもない不安や罪責感が湧き出る瞬間がありますか? もしかすると、それは霊的な戦いかもしれません。 霊的な攻撃には、霊的な武具と備えで対応する必要があります。 それは、主の御名を掲げることです。 ゴリヤテに向かったダビデのように。 主はすでに勝利をとっておられます。 もう恐れず、自分ではなくキリストに目を向けましょう。 祈り:神様、私の弱さ、心の貧しさ、失敗を、すべて知ってくださり感謝します。新年度のペースにまだ慣れません。あなたの慰めと励ましで、この週末も安息し備えたいです。導いてください。アーメン

Ⅰサムエル15–16

通読:  Ⅰサムエル15–16; ルカ10:25-42  「主はサムエルに言われた。『彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』」 Ⅰサムエル16:7 ある人を覚えて祈り、福音を分かち合い、気にかけて親切にしてきたのに、その人が離れていったり無関心だったりして、裏切られたような気持ちになったことがありますか? サウル王に対するサムエルの落胆も、同じような状態だったでしょう。 「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。(15:11) 神様、なぜですか!と、サムエルは思いを主にぶつけたと思われます。 その嘆きを主は怒らず受け入れてくださいます。 主はサムエルに言われた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。(16:1) サウルが間違った選択をしてみこころからそれていっても、サムエルの失敗ではありませんでした。 主は新たなミッションを与えてくださいます。 そして、サウルのような「容貌や背の高さ」ではなく、「心を見る」ことを示してくださいました。 家族や友のために祈り誠実に接してきた人を、主がさらに広い霊的な畑へと導いてくださいます。 収穫のためにたゆまず祈り続けましょう。 祈り:神様、あなたのわざに期待します。一喜一憂せず、あきらめず、祈り続けられるように助けてください。アーメン

Ⅰサムエル13–14

通読: Ⅰサムエル13–14; ルカ10:1-24  「サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた。」Ⅰサムエル13:1 サウルは2年間の間にいくつもの失敗をしました。 ・サムエルを待たずに全焼のささげ者を献げたこと(13:9) ・兵士たちに食べるなという愚かな禁止令を出したこと(14:24) ・危うく自分の息子を殺すような誓いを立てたこと(14:39) 傍目には失敗と見えなかったかもしれません。 なぜなら、それは体面を保つためのものだったからです。 しかし、神を後回しにし、神より人の目を気にした彼の軽はずみな言動は、王の交代という結果になりました。 実力がなかったからではありません。 霊的な部分、見えない部分を大切にしなかったからです。 霊的な事柄は、良くも悪くも私たちの人生に影響を及ぼします。 主の事柄、霊的な歩みを見つめ大切にできますように。 祈り:神様、一時しのぎの自分の思いでなく、主が望まれることを見させてください。ある時は待ち、手放し、ある時は思い切って前進できるよう、みことばと聖霊の語りかけを受け取る者とならせてください。アーメン

Ⅰサムエル10–12

通読: Ⅰサムエル10–12; ルカ9:37-62 「ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。」Ⅰサムエル12:24 民の気ままと不信仰を目の当たりにしつつも、サムエルは主が言われたことに従いました。 民に対し、彼は忍耐深く戒めています。 それは、サムエル自身が神のみわざと真実さを体験してきたからです。 神の計画と備えは、映画や推理小説の絶妙なプロット(筋書き)よりももっと素晴らしく、私たちには到底理解できないものです。 サムエルはそれに信頼しました。 私たちも、今見えなくても神の筋書きに信頼し、失望せずに祈り続けましょう。 祈り:神様、混沌とする世界情勢や国内の問題への解決を祈ります。主の計画が行われていきますように。また、私の人生にも最も幸いな筋書きを、あなたが一番よく知っておられます。私の自我や罪がそれをとどめることのないよう、探ってください。アーメン

Ⅰサムエル記7–9

通読: Ⅰサムエル記7–9; ルカ9:18-36 「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて告げておられた。」サムエル記9:15 サムエルの働きは、国のリーダーから、神と王との橋渡し役に変化しようとしていました。 はじめは葛藤しつつも、神の指示に従い、民に告げサウルに告げたサムエルでした。 サムエルの立場は変化しても、神との親しさは変わりませんでした。 仕事や教会での役割が変わり、自分が重要でなくなったような錯覚にとらわれていませんか。 決してそんなことはありません。 神との関係はより親密になり、違った角度のさらにユニークな仕え方へと召されていくと信じます。 祈り:神様、私の行く道をいつも導き、希望と主にあるやりがいで満たしてください。信仰の歩みの豊かさを味わわせてください。アーメン

Ⅰサムエル4–6

通読: Ⅰサムエル4–6; ルカ9:1-17  「彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその椅子から門のそばにあおむけに倒れ、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。エリは四十年間、イスラエルをさばいた。」 サムエル記 第一 4:18 エリの息子は死に、エリ自身も倒れて死にました。 主の箱が奪われ、返されるまでの記事が続きます。 暗い時代です。 だからといって、主がいなくなられたわけではありません。 主はおられ、情勢と動向を支配しておられます。 今、暗い中を歩んでいても、主がすべてを知ってくださっているとは慰めです。 祈り:神様、世界の状況も私の周りも暗く思え、気がかりが多くあります。そんな中でも主が変わらないこと、すべてご存知であることが慰めであり、私の生きる意味です。今週も導いてください。アーメン

Ⅰサムエル1–3

通読: Ⅰサムエル1–3、ルカ8:26-56  「さてサムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼いしもべとして、主の前に仕えていた。」Ⅰサムエル1:18 母ハンナは、彼のために毎年小さな上着を作って届けました(1:19)。 幼いサムエルの姿は、どんなにかわいかったことでしょう。 ひたすら可愛かったサムエルは成長し、神の声を聞き、やがて民全体のリーダーとなりました。 子どもには、主にあって無限の可能性があります。 教会にも幼い子どもが来ます。 時に汚したり、手がかかったりするかもしれません。 しかし、幼い時に聞いたこと、経験したことがその子どもの人格を形作っていきます。 イエスの十字架と復活を聞いた子どもは、それを心に蓄積して大人になり、人生を歩みます。 そう考えると、1回1回の子どもメッセージは、子どもに霊的な財産を分かち合うことになりますね。 イースターおめでとうございます! 祈り:神様、子どもたちの柔らかい心に、主の愛と福音が届きますように。大人も子どもも、みことばを共に味わい受けとるイースターの一日を導いてください。アーメン

ルツ記1–4

通読: ルツ記1–4、ルカ8:1-25  「主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」ルツ記 2:12 ボアズの言葉に、落ち穂広いをしていたルツはどれほど慰められたことでしょう。 しかもそれは単なるほめ言葉ではなく、「主が報いてくださるように」という祈りにも代えた言葉でした。 イエス様も十字架の上で人々のために祈られました。 木曜集会で、「祈っています」と言われると嬉しい、というあかしを聞きました。 社交辞令でなく、本当に祈ることがわかるからだと思います。 とりなしの祈りの力を覚えます。 祈り:神様、家族の____、地域の_____、職場や学校の_____、その他周囲の人々_____のために、名前をあげて祈ります。祈り続けられるよう助けてください。アーメン

士師記19–21

通読: 士師記19–21、ルカ7:31-50  「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」士師記21:25 王のない人々を、主が直接導いておられました。 しかし神を認めないなら、王なく、神なく、 価値観とモラルの堕落、国の衰退へと進んでいきます。 ギブアの町の乱れは、まるでソドムとゴモラそっくりです。 そこからベニヤミン族との内戦が起こりました。 国と同じく、私たち個人の歩みも神抜きだと同じように混乱します。 「彼らは何をしているか分かっていないのです(ルカ23:34)」とイエス・キリストは十字架の上で祈られました。 私たちの心の王をイエス・キリストと認める時、混乱を治める方が働きはじめてくださいます。 祈り:神様、イエス・キリストの十字架の身代わりで私は救われました。毎日の生活で、あなたを心にお迎えしていることを意識させてください。私の心をキリストの平和が支配しますように。アーメン

士師記16–18

通読: 士師記16–18、ルカ 7:1-30 「サムソンは主を呼び求めて言った。『神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。…』」士師記 16:28  サムソンも、士師記のミカ(預言者ミカとは別人)も、なぜそんな愚かなことを、と思えます。 しかし、それは第三者として客観視できるからです。 自分がその時代に生きていて、愛する者からの圧力があったら、やはり葛藤するのではないでしょうか。 いえ、現代でも、愛する人から迫られたら、あるいは自分の欲が高じたら、私たちだって失敗しやすい弱い者です。 だから、日々神を認め、みことばと聖霊の光で生活することが大切です。 新年度、生活リズムが変わる人も多い時です。 このような時だからこそ、デボーションを一日の優先順位に入れ、主に導かれて共に歩みましょう。 祈り:神様、あなたのあわれみに感謝します。環境が変わる時だからこそ、変わらないみことばと聖霊に導かれて一つ一つを決めることができますように。今日も導いてください。アーメン

士師記13–15

通読: 士師記13–15、ルカ6:27-49 「このとき、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。」士師記 14:6 奔放なサムソンの言動は、わがままで未熟な人格のようです。 しかし激しい主の霊に動かされた時に(14:6,19; 15:14...)、常識を越えたことを成し、結果として20年も人々を治めることができました。 獅子を引き裂く力も、聖霊により与えられました。 自分自身の未熟な人格に悩んでいますか? そう、サタンはひたすら責め立てます。 「あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています(1ベテロ5;8)」 けれどもこの時、獅子を引き裂く聖霊の力が、霊の次元でも勝利を治められたと思い出しましょう。 祈り:神様、あなたが勝利してくださいました。聖霊の力で覆ってください。責め立てる者から救い出してください。アーメン