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ヨブ記17-19

通読:    ヨブ記  17–19;  使徒  10:1-23 「私は知っている。 私を贖う方は生きておられ、 ついには、土のちりの上に立たれることを。」ヨブ記  19:25 旧約聖書の中でも、やがて来る希望がこのように明らかに宣言されていることを知ります。 しかもそれが、苦難の真ん中を通っているヨブの口から発せられたというのは驚きです。 彼は苦しいながらも、人生をあきらめていませんでした。 神の働きに期待していました。 私たちの人生観はどうでしょうか。 祈り:神様、あなたに頼る日々の歩み、人生は幸いです。祈りながら優先順位をつけ、与えられた人生をまっとうできますように。祈りつつ今週も歩みます。アーメン

ヨブ記14-16

通読:  .  ヨブ記  14–16;  使徒  9:22-43 「私の友は私を嘲る者たち。 しかし、私の目は神に向かって涙を流します。 その方が、人のために 神にとりなしてくださいますように。 人の子がその友のためにするように。」ヨブ記16:20~21 友人は何度も、ヨブの訴えに付き合ううち、いらいらしてきたのでしょうか。 上から目線で、なんとかなだめよう(あるいは正論を押し付けよう)とします。 しかし、ヨブにとっては 「そのようなことは、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、人をみじめにする慰め手(16:2)」でしかありませんでした。 見舞いに来たのに、励ましになっていませんね。 人のために神にとりなしてくださる方...それがイエス・キリストです。 神に向かって涙を流すとき、真の友となってくださいます。 そしてキリストの霊である聖霊が、信じる人の内に住まれます。 その方がとりなしていてくださるというのは、どれほどの慰めでしょう。 祈り:神様、出口がないような思いで苦しんでいる○○さんを覚えていのります。イエス様がまことの友であり、とりなしの祈りをしてくださる方だとわかりますように。深い慰めと希望を感じることができますように。アーメン

ヨブ記11-13

通読: ヨブ記  11–13;  使徒  9:1-21 「ああ、あなたがたが沈黙を守っていたら、それがあなたがたの知恵となっていただろうに。」ヨブ記13:5 ヨブの友人たちは、ヨブの苦難が罪を犯したからだと考えます。 しかし、苦難=罪の結果 ではありません。 短絡的な因果応報ではないのです。 「正しい人がなぜ苦しみにあうのか」はヨブ記を通じたテーマです。 そして、今日の私たちの問いでもあります。 神の深いご計画を、知り尽くすことができないからです。 それでも、苦難にある人を知ったかぶりで励ましたり教えたりするのは、その人をますます傷つけ苦しめます。 うまく良いことを言えない、と思う必要はありません。 祈り心で「黙して寄り添う」ことが最上の励まし、ということもあります。 ヨブにとってもそうでした。 祈り:神様、苦難を通る人への言葉に、慎重になれますように。「聴く」者にならせてください。まずあなたに聴き、他者の心を聴く者としてください。アーメン

ヨブ記8-10

通読: ヨブ記  8–10;  使徒  8:26-40  「そのとおりであることを、私は確かに知っている。しかし、人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのか。」ヨブ9:2 理想はわかっていても、そうできないところに葛藤がある...。私たちの多くが思うことです。 完璧な人間はいません。 完璧な神様の前に、正しくあり得る人はいないのです。 しかし、キリストが私のために十字架にかかり、彼を救い主と信じる者には義の覆いをかけてくださいました。 「キリストを着る」なら、正しい者とみなされます。 何度考えても、「なぜそこまで」と不思議に思えるほどの、神の素晴らしいあわれみです。 祈り:神様、あなたの計り知れないご計画を感謝します。ただただ一方的な恵みで受け取りました。素晴らしい主をもっと愛したいです。アーメン

ヨブ記5-7

通読: ヨブ記  5–7;  使徒  8:1-25  「 人とは何ものなのでしょう。 あなたがこれを尊び、これに心を留められるとは。」7:17 苦悩の中にあるとき、格好をつけている余裕はありません。 あの(立派だった)ヨブも「ですから、私も自分の口を制することをせず、 霊の苦しみの中で語り、 たましいの苦悩の中で嘆きます(7:11)」と言いました。 神様は、どんな祈りをぶつけても怒られる方ではありません。本音で祈る、心からの祈りを受け入れてくださいます。 それは、神である主が人を造り、人を愛し尊び、心を留め、ご自身とコミュニケーションをとることを喜ばれるからです。 AIに話しかけ、相談にのってもらう人が増えているそうです。うまく用いれば、私たちの生活を助けてくれるでしょう。 しかし、AIには人格がありません。学習させられたことを出力しているにすぎません。 でも、人格を持たれ、誰よりも私たちをよく知って愛してくださる神様に、私たちは話しかけることができるのです。 祈り:神様、あなたともっと親しくなれますように。孤独を感じている人が、主とお出会いできますように。私たちを造り愛してくださる方に、信頼することを教えてください。アーメン 祈り: 「ああ、幸いなことよ、神が叱責するその人は。 だから、全能者の訓戒を拒んではならない。」5:17

ヨブ記 3–4

通読:ヨブ記  3–4;  使徒  7:44-60 「しかし今、これがあなたに及ぶと、あなたはそれに耐えられない。これがあなたに至ると、あなたはおじ惑う。」 ヨブ記 4:5 元気な頃は、周囲の人や友人をケアし、助言を与え励ましてきたヨブ。 今は彼にも、彼のたましいのケアをしてくれる人が必要でした。 周囲のケアをしてきた人なら、自分自身にもケアが必要なことを自覚しているかもしれません。 カウンセラーのためのカウンセラー、コーチのためのコーチが必要です。 牧師のための牧師も、やはり必要です。 私たちは生身の人間ですから。 時に疲れ、弱さを覚える私たちにとって、相互にケアする信仰の友は貴重な存在ですね。 祈り:神様、私に信仰の友を与えてくださり感謝します。お互いに祈り支え合い、弱さを主の元にともに持っていける友である○○さん、○○さん、..の存在を感謝します!アーメン

ヨブ記 1–2

通読: ヨブ記 1–2; 使徒 7:22-43 「彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられなかった。彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。」ヨブ2:12 妻の他すべてを失い、病気にまでなったヨブでした。 そこに友人たちが「慰めようと、互いに打ち合わせて」来ました。 遠くから見てもヨブとはわからないほどになっていました。 かれらは泣き、嘆きました。 かける言葉もなく、七日間黙してヨブと共に座っていました。 この後対話が続きます。 慰めるどころか、かえってヨブを苦しめるような言葉もありました。 でも、この最初の部分、かけつけて共に泣いたことは、彼らのベストの慰めだったのではと思います。 専門家でなくても、私たちも「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」ことはできます。聖霊の働きとキリストのあわれみの心を頂いて。 祈り:神様、自己中心的で冷たい心から、主の愛と深い共感のできる心を与えてください。比較から生じる優越感や嫉妬から解放され、純粋な心で歩ませてください。アーメン

エステル9-10

通読: エステル記 . 9–10;  使徒  7:1-21    「自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。」 エステル記 9:22 「プリムの祭り」の由来と内容です。 敵からの解放が、毎年喜び祝い、貧しい人々へ手を差し伸べるお祭りの日になりました。 私たちも記念日にお祝いすると共に、感謝を慈善団体への寄付や記念献金で表すことができます。 次の誕生日には試してみませんか。 祈り:神様、生かされていること、罪の支配から解放されたことに感謝します。実際にも感謝を表す者とさせてください。アーメン

エステル6-8

通読: エステル記 6–8;  使徒  6 「こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。」 エステル記 7:10 逆転、胸のすくような見事な展開です。 でもこれがおとぎ話でなく、命のかかった出来事だったということに、身の引き締まる思いです。 神への祈り、そして神のみわざは、命がけです。 イエス・キリストご自身も、いのちをかけて十字架で見事な救いの道を開いてくださいました。 祈り:神様、信仰はファッションでも観念でもなく、いのちのかかった重大なことです。キリストの救いを、素晴らしい人生の一大決断として受け取り分かち合います。アーメン

エステル3-5

通読: エステル記 . 3–5;  使徒  5:22-42 「もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」エステル4:14  世界情勢が変わり、日本の国内が変わり、世代も常識も経済も変わり、先行きが見えない(どの時代も私たちに先行きは見えないのですが)中、何のために生きているのかと思うでしょうか。 エステル記を読む中、私たちが今ここに生きているのは、「このような時のためかもしれない」のです。 ある人はエステルのように、ある人はモルデカイのように、ある人は共に断食し祈った民のように。 名前が残るかどうかは問題ではありません。「その他大勢」 の一人一人の人生はストーリーです。「私は、死ななければならないのでしたら死にます。(4:16)」と覚悟を決める瞬間があります。 神様は、その一つ一つの決断、信仰を覚えてくださっています。 祈り:神様、私たちが信仰に立って行う小さな選択、大きな決断を導いてください。私たちには先を見通すことはできませんが、主に祈り、みことばと確信を頂いて決めることができて感謝します。アーメン

エステル1-2

通読: エステル記 . 1–2;  使徒  5:1-21 「さて、モルデカイが引き取って自分の娘とした、彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」2:15 エステル記の舞台は、バビロン捕囚から3~4代が経ったペルシアです。 エステルは在留異国人で、両親を早くに亡くし、いとこモルデカイの養女となっていました。 育ちは恵まれた境遇ではありませんでしたが、エステルの性格と性質、態度には品格があり、周りの人からも好感のもてるものでした。 私たちには、生育境遇や容姿など、変えられないものがあります。でも、神を愛し従う中で、キリストの品性を身にまとうことができます。素晴らしいと思いませんか? 祈り:神様、私の人格と生き方にイエス・キリストが影響を与えてくださることを感謝します。一歩一歩、良い香りを放つ者となれるよう、今日も導いてください。アーメン

ネヘミヤ12-13

通読: ネヘミヤ記 . 12–13;  使徒  4:23-37 「また私はレビ人に、安息日を聖なるものとするために、彼らが身をきよめ、門の見張りとして来るように命じた。 私の神よ、このことにおいても、どうか私を覚えていてください。そして、あなたの豊かな恵みにしたがって私をあわれんでください。」ネヘミヤ13:22 ネヘミヤは忍耐し、祈り続けました。 あんなに忠誠を約束した人々は、すぐ好き勝手な方向に流れました。妨害する敵の思うつぼのような行動をしました。ネヘミヤにとってはショックと落胆の連続だったかもしれません。 しかし、彼はたゆみなく主を見上げて頼り続けました。「人間に頼るな。鼻で息をする者に(イザヤ2:22)」。人は当てになりませんが、神だけが変わらず真実な方です。 祈り:神様、人にがっかりさせられ、陰口やうわさで人間関係が怖くなっている人にお語りください。あなたこそ変わらない、唯一の真実な方であることがわかりますように。主に頼れば安心できることを体験させてください。アーメン

ネヘミヤ10-11

通読: ネヘミヤ記 . 10–11;  使徒  4:1-22 「彼らの親類のすぐれた人々と歩調を合わせつつ、神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に歩み、私たちの主、主のすべての命令、その定めと掟を守り行うという、次のような、のろいの誓いに加わった。」ネヘミヤ10:29 日本語で「のろいの誓い」というとドキッとしますが、決してしないと決意表明した「のろい」と誓いです。 親類と相談しつつ、どのように律法を守るかをよく吟味し決意したことは、捕囚前後の社会を改革することでした。 もっとも、それを守り続けることは難しく、堕落はたやすいことでした。 私たちも「聖書を必ず○○だけ読もう」「毎日○分祈ろう」と決めても、それを続けることの難しさを知っています。古い良くない習慣をたちきることも、自分の力では難しいのです。 しかし、イエス・キリストはそんな私たちのために十字架で救いを完成されました。そのキリストの霊、聖霊の力が、自分ではどうしようもない悪い習慣や堕落から解放してくださるのです。 祈り:神様、どんな人にも弱さがあり、私自身も自分の限界をいやというほど知ります。聖霊の助けと十字架の解放に日々戻り、頼ることができますように。アーメン

ネヘミヤ7-9

通読: ネヘミヤ記  7–9;  使徒  3 「捕囚から帰って来た全会衆は仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエルの子らはこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。」ネヘミヤ8:17 城壁は、わずか52日で完成しました(6:15)! 人々は喜びの礼拝をささげます。集まり、エズラが律法の書(みことば)を朗読すると「アーメン、アーメン」と礼拝しました。毎日みことばが朗読され、ずっと休止していた主の祭りの準備がされ、これまでの罪を告白して悔い改めました(9:2)。 そして、それらを表した文書に調印しました。 主の前にライフスタイルを整え、主を第一とした時に、平和と喜びが来ます。お金で買うことのできない、心の深いところの平安です。 アメリカとイランの合意が整ったということです。世界に平和が来ますようにという祈りも、私たちが日々ささげるとりなしの祈りです。 祈り:神様、私のライフスタイルを整えることができるよう、助けてください。第一のものを第一にします。人生の目的が主の元にあります。また、平和を祈るものとならせてください。一つの戦争が終わりに向かうことに感謝します。貧困、差別、搾取にあえぐ所に、主の愛と必要が届きますように。私の身の回りの小さなところでも、祈りながら実践できますように。アーメン

ネヘミヤ4-6

通読: ネヘミヤ記 4–6;  使徒  2:22-47 「…ああ、今、どうか私を力づけてください。」ネヘミヤ 6:9 ネヘミヤのうめきのようなこの祈りに、読むたび励まされます。 素晴らしいリーダーや人格者でも、私たちと同じ人間です。問題が降りかかってきた時、うろたえたり腹を立てたりするのは当然です。 「彼らの抗議と、これらのことばを聞いて、激しく腹を立てた」( 5:6) しかし、 「十分考えたうえで、有力者や代表者たちを非難して言った」(5:7) のは、十分祈って考え、責めたのでした。その祈りは、うめきと天を仰いで助けを切望するものだったでしょう。 今日、天を仰いでうめきの祈りをするなら、今日も生きておられる主は聞いていてくださいます。 祈り:神様、今日も私の切なる祈りを聞いていてくださり感謝します。あなた以外に頼るものはありません。万事休すの状態にあっても、絶望して心がしなびないよう、私たち一人ひとりをお守りください。アーメン

ネヘミヤ1-3

通読: ネヘミヤ記 . 1–3;  使徒  2:1-21  「王は私に言った。『では、何を望んでいるのか。』私は天の神に祈ってから、王に答えた。『もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。』」エズラ2:4-5 ネヘミヤは有能な政府の高官でした。彼を一言で表すなら「祈りの人」です。 エルサレムの荒廃を聞いた時、彼はまず「泣き」、「断食して天の神の前に祈った」とあります(1:4)。 王の前でも、心は祈りでした。エルサレム城壁の再建が神からのみこころだと確信し、この後大胆に自分の願いを王に伝えます。 一人の部屋での祈りがあり、瞬間の祈りがあります。 私たちもネヘミヤのように様々な祈りをもって一週間を過ごせますように。 祈り:神様、都度都度に祈る心を与えてください。あなたがどんな時でも共にいてくださり、聞いてくださり、導いてくださる方であることに感謝します。アーメン

エズラ9-10

通読:エズラ記  9–10;  使徒  1  「エズラが神の宮の前でひれ伏して、涙ながらに祈り告白しているとき、男や女や子どもの大会衆がイスラエルのうちから彼のところに集まって来た。民は涙を流して激しく泣いた。」エズラ10:1 いたずらをした子どもの反応には2通りあります。一つは知らないふりをする、あるいは人のせいにする反応。もう一つは、「ごめんなさい!」と非を認め、時には泣きながら謝る反応。 どちらが好ましいかは明らかです。 エズラが指導した当時の人々は、後者の姿勢で父なる神の前に出ました。 そして、そこから「希望」(10:2)が生まれました。 大人になって、素直に非を認めることは難しいですが、勇気をもって決断した人たちには希望が与えられました。 祈り:神様、私もなかなか非を認めにくい者です。柔らかな砕かれた心で、主の前に、また人の前に出ることができますように。アーメン

エズラ記6-8

通読: エズラ記  6–8;  ヨハネ . 21  「すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。」エズラ7:9 6章と7章の間には期間があります。7章でエズラが登場します。 「エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた(7:10)」人でした。 そして、「神の恵みの御手」があったことが繰り返し語られます。 それは、信者でない異国の王にも恵みとあわれみの心を起こさせました。 日本はクリスチャンが少ないと言われます。それでも、教会や聖書に好意的な人たちは多いです。神の恵みの御手は、私たちの身近にも及んでいます。 祈り:神様、主の恵みの御手が私たちにも及んでいることを感謝します。身近な生活の中で、主の恵みを数える心で過ごせるように導いてください。アーメン

エズラ3-5

通読: エズラ記  3–5;  ヨハネ  20 「そこでシェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた。」エズラ5:2 教会で大きな取り組みや新しいミニストリーを始める時、必ずといってよいほど問題や攻撃がやってきます。 エズラたち帰還の民が神の宮を再建しようとした時も同じでした。 ...彼らは主を賛美し、感謝しながら 「主はまことにいつくしみ深い。 その恵みはとこしえまでもイスラエルに」 と歌い交わした。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな主を賛美して大声で叫んだ。(3:11) と始めたのに、敵が妨害してしまい、工事が中断していました。 しかし、ゼルバベルとヨシュア(ヨシュア記とは別人)が再び「立ち上がり」ました。また、預言者たちが「一緒にいて」彼らを助けました。 立ち上がる人、そして一緒にいて助ける人がいるなら、主の事業は進んでいきます。今問題に圧倒されているなら、主が助け手を起こしてくださるよう、また自分自身もよい助け手となれるよう祈りましょう。 祈り:神様、問題がきた時、主のみこころなら必ずなると信じる信仰を与えてください。また、その確信に基づいて、立ち上がる人、一緒にいる人とならせてください。教会の各リーダー、一人一人の霊性を強め、励ましてください。アーメン

エズラ記1-2

通読:   エズラ記  1–2;  ヨハネ 19:23-42  「バビロンの王ネブカドネツァルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。」エズラ2:1 エズラ記の始まりは、歴史映画の幕開けのようです。威厳のあるペルシア王の宣言で始まります。しかもそれは、主がかつて約束された通りでした! まさに歴史を動かす神、歴史を支配される神です。神にとって不可能はありません。 帰還する人のリストが2章にあります。しかし、あの12部族の名前は見当たりません。 捕囚の地で細分化され、ルーツがよくわからない人もいました。 生粋のベツレヘム人はわずか123人でした(2:21)。 この後長年にわたって人々の往来や変遷があり、イエス・キリストの生まれる村としてベツレヘムは用いられていきます。 小さくても、目立たない群れでも、神様の摂理とご計画に用いられることがあるのだという恵みを知ります。 祈り:神様、あなたが小さな者にも目を止めてくださることに感謝します。卑下し続けるわなから守ってください。主にある健全なセルフイメージを持ち、あなたの恵みにとどまることができますように。アーメン

Ⅱ歴代誌34-36

通読: Ⅱ歴代誌34–36; ヨハネ19:1-22 「これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」 Ⅱ歴代誌36:21 無理をして休みなく働き続けると、体調を崩してもっと休まなければならなかったという経験がありますか? 神に造られた身体のリズムは、神が最もよく知っておられます。 それで、人に安息日を定められたのでした。 土地をはじめ、被造物のリズムと休息も、神が定められました。 限度を越えると土地はやせ、環境破壊が起こります。 ヨシヤ王の治世の後、国は荒れ、とうとう滅びとバビロン捕囚が起こりました。 「彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の住まいをあわれまれたからである。ところが、彼らは神の使者たちを侮り、そのみことばを蔑み、その預言者たちを笑いものにした」(36:15-16)結果でした。 しかしそれは、地にとっては安息の時、帰還に備えて回復する時でした。 70年後、主の約束通り帰還が始まります。 当初の読者は、直接的に主のあわれみと真実さを悟ったことでしょう。 この主は今も生きておられ、働いておられます。 祈り:神様、一時的な痛みや苦しみも、あなたの恵みにより回復することを感謝します。歩みをふりかえり、あなたのリズムと摂理に謙遜に従えますように。次世代への信仰のバトンを渡すことができますように。アーメン

Ⅱ歴代誌 32–33

通読:  Ⅱ歴代誌  32–33;  ヨハネ 18:19-40 「しかし、彼は苦しみの中で彼の神、主に嘆願し、父祖の神の前に大いにへりくだり、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうしてマナセは、主こそ神であることを知った。」歴代誌 第二 33:12-13 ヒゼキヤとは対照的に、偶像礼拝と身勝手な統治をしたマナセ王でした。 しかし、人生の危機の中で、とうとう彼は悔い改めました。 すると、神は彼の祈りを拒絶することはありませんでした。 今、主を拒絶したり侮辱したりしている人でも、その人が悔い改めるなら神はあわれみ、救ってくださいます。 家族、同僚、友人知人のために、祈り続けましょう。 祈り:神様、あなたの恵みとあわれみは尽きないことを改めて知りました。だからこんな私も救われました。これからも祈ることをあきらめないように、希望を失わないように助けてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 30–31

通読:  Ⅱ歴代誌 30–31;  ヨハネ . 18:1-18 「ヒゼキヤはユダの全地でこのように行い、その神、主の前に、良いこと、正しいこと、真実なことを行った。」  Ⅱ歴代誌 31:20 どんな人の人生も完璧ではありません。 それでも、後世の記者にこのように覚えられる王は幸いです。 今も残るヒゼキヤトンネル(ヒゼキヤが建設した地下水路)は、人々が今日も彼を慕っていることを表しています。 私たちは、生涯をどのように覚えられたいでしょうか。 祈り:神様、あなたの前に真実な人生を歩めますように。アーメン

Ⅱ歴代誌 28–29

通読:  Ⅱ歴代誌  28–29;  ヨハネ 17  「ヒゼキヤ王と高官たちが、ダビデおよび先見者アサフのことばをもって主を賛美するようにレビ人に命じると、彼らは喜びつつ賛美した。そして、一同はひざまずいて伏し拝んだ。」Ⅱ歴代誌29:30 親を反面教師とした王が、ここにいました。 ヒゼキヤは悪王アハズの子であるのに、父親とは異なる姿勢で臨みました。 彼は主の宮をきよめ、賛美とささげものしました。かつての統一王国の王、ダビデの楽器に合わせて、主の歌とラッパが始まりました。 しかも、一同は「喜びつつ」賛美し、礼拝しました。彼らの喜びは主から来ました。 今日も、主を見上げて心から礼拝するとき、不思議な平安と深い喜びが与えられます。問題からひととき目を離し、主を見つめることができますように、と祈りつつ集いましょう。 祈り:神様、様々な問題の中で歩んできました。それでも、今日も礼拝をします。人との比較や目先を見るのでなく、主が支配しておられることを信じることを選び取ります。導き、平安を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 25–27

通読:    Ⅱ歴代誌  25–27;  ヨハネ 16 「しかし、彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は自分の神、主の信頼を裏切った。香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入ったのである。」Ⅱ歴代誌26:16 フィッシング・ウェル・ミニストリーのワング牧師によると、良い終わり方をすることはとても難しいそうです。信仰に立っていたのに、最後はうまく終われなかった、という例が実に多いそうです。 ウジヤ王もその一人でした。初めは良かったのに、強くなると心が高ぶり、ついに滅びを招きました。この記事を読むと、 「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(1コリント10:12)」 のみことばを改めて思い出します。 このとき、「祭司アザルヤが、主に仕える八十人の勇敢な祭司たちとともに入って来(26:17)」ました。 王にとっては、正しいことを言う彼らが煩わしかったでしょう。しかし、こうした人の存在が貴重であることは、聖書があかししています。 私たちも、合わない人、気に入らないことを言う人が身近にいるかもしれません。しかし、それが聖書的で主のこころにかなっているなら、そうした人の存在が私たちを失敗から救ってくれるのかもしれません。 祈り:神様、良い終わり方ができるように助けてください。愛と信仰をもって助言してくれる人を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 23–24

通読: Ⅱ歴代誌  23–24;  ヨハネ  15  「エホヤダは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。死んだとき、彼は百三十歳であった。 16 彼はダビデの町に王たちとともに葬られた。彼がイスラエルにおいて、神とその宮に対して良いことを行ったからである。」Ⅱ歴代誌24:15-16 歴史を描いた小説やドラマは好きですか?時に血なまぐさい戦いのシーンは苦手ですが、昔と今の人間模様が変わらないのは興味深いです。 歴代誌が記録しているのは、日本の戦国時代のような旧約聖書の分裂王国時代です。 食うか食われるか、という時代に、祭司エホヤダの果たした役割は大きいものでした。 国と王が正しい決断をするために助言しただけでなく、「七年目に、エホヤダは奮い立って...(23:1)」と、神の霊により勇敢に行動を起こした人でした。 今の時代、信仰者は万人祭司として召されています。言い換えれば、エホヤダと同じ責任があります。今日、身辺の状況にどのように反応しますか。 祈り:神様、身の回りで起こることについて、祈り判断できるように助けてください。聖霊によって奮い立たせてください。アーメン

Ⅱ歴代誌 21–22

通読:  Ⅱ歴代誌  21–22;  ヨハネ  14  「しかし、王の娘エホシェバは、殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し、寝具をしまう小部屋にその子とその乳母を入れた。祭司エホヤダの妻でアハズヤの妹である、ヨラム王の娘エホシェバが、ヨアシュをアタルヤから隠したので、アタルヤは彼を殺せなかった。」 Ⅱ歴代誌  22:11 かくれんぼで隠れ、見つかりそうになる時のドキドキを思い出します。息を殺し、探しに来た人があきらめて離れるのを待ちます。それが命がけなら、どんなに緊張しドキドキするでしょう! ユダ王国の悪い時代、ヨアシュっは乳母と小部屋にかくまわれて命拾いをしました。その後も6年間、神殿に身を隠しました。 ニッキー・ガンベルは彼の状態を、「彼の前のモーセのように、また彼の後のイエスのように」と形容しています。 モーセもかごに入れられ、ナイル川に流されて命びろいしました。 イエスもエジプトに逃れ、ヘロデの虐殺から命びろいしました。 彼らは、神の計画がなるために生かされました。 今日、私たちが生かされているのも、神のご計画のうちにあります。 生きがい探しをしているなら、神のご計画という視点をもって人生を眺めましょう。 祈り:神様、私たちが生きているのは、あなたの愛と良いご計画のためであることを感謝します。生きがいを失ってむなしく感じる人がいるなら、主の導きを求め、主にあって生きる希望を与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌19–20

通読:  Ⅱ歴代誌 19–20;  ヨハネ . 13:21-38 「彼は民と相談し、主に向かって歌う者たちと、聖なる装いをして賛美する者たちとを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう言うためであった。『主に感謝せよ。 その恵みはとこしえまで。』」Ⅱ歴代誌20:21 ヨシャファテ王が戦いのため最前線に立てたのは、武器を持った者ではありませんでした。 賛美をする者たちでした。 しかも、戦いに際して、作戦会議ではなく国中で断食と祈りを行いました。 ばかばかしいと思いますか?いいえ。その結果、相手には同士討ちが起こり、ヨシャファテ側は流血することなく勝利を治めました。 第一のものを第一にすることを学びます。 私たちは、追い詰められると自分で動きたくなります。しかしその前に、主への賛美と祈りを置くことができるなら幸いです。 祈り:神様、どうしたらよいのかわからなくなる時は、主への賛美と祈りで始めることができますように。主の導きを求める者としてください。アーメン

Ⅱ歴代誌17–18

通読:  Ⅱ歴代誌 17–18;  ヨハネ 13:1-20 「彼(ヨシャファテ)の心は主の道を大いに誇りとし、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。」Ⅱ歴代誌17:6 「ミカヤは答えた。「主は生きておられる。私の神が私に告げられることを、そのまま述べよう。」」Ⅱ歴代誌18:13 「推し」という言葉を知っていますか?「私の推しは○○です」のように使われます。この言葉は近年のものですが、ファンクラブや熱狂的ファンは昔から存在しました。 有名なグループの解散前コンサートは、推し、ファンにとってとても大切な時だったようです。 「私の推しは主です」と言えますか。ヨシャファテ王や預言者ミカヤはそうでした。キリストの弟子たちもそうでした。 また、今日まで多くの人が同じ熱い気持ちで礼拝し、ささげ、時には迫害や殉教の道をたどりました。 人は老い、引退し、やがて変わっていきます。しかし、主は決して変わらず、いつも共にいてくださいます。私たちを愛し、永遠のいのちを与えるこの方こそ「推し」にふさわしい方です。 祈り:神様、私に熱い信仰を与えてください。あなたをより深く知り、愛し、ついていきたいです。その思いをクリスチャン一人一人に与えてください。アーメン

Ⅱ歴代誌15–16

通読: Ⅱ歴代誌 15–16、 ヨハネ  12:27-50 「そのとき、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来て、彼に言った。「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手から逃れたのです。」Ⅱ歴代誌16:7 困った時、誰に相談しますか?頼りになる人たちがいてくれるのは幸いです。 でも、主以上に人に頼るなら、立ち止まって見直すようにと今日の箇所は教えてくれます。 「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。」(16:9) 「心」は何を第一としているでしょうか。2レプタをささげたやもめの、主を愛する心を思いめぐらしましょう。 祈り:神様、あなたの愛と力を過小評価することがないように、もっと聖霊に頼ることを教えてください。主の声を聞き、誰よりも頼りにできるよう、信仰を与えてください。アーメン