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詩篇54-56

通読:詩篇  54–56;  ローマ  3 「あなたの重荷を主にゆだねよ。 主があなたを支えてくださる。 主は決して 正しい者が揺るがされるようにはなさらない。」詩篇55:22 デイキャンプが無事に終わりました。感謝でした。 大人も子どもも福音に変わりはないことを改めて教えられました。 主がささえてくださることの経験、主の守りを体験することも、年齢に関係ないのだと改めて感じたことでした。 祈り:神様、あなたの守りに感謝します。福音は何歳の人にとっても、どんな境遇にあっても、同じ希望をもたらすことを覚えて感謝します。アーメン

詩篇51-53

通読: 詩篇51–53; ローマ2  「神へのいけにえは 砕かれた霊。 打たれ 砕かれた心。 神よ あなたはそれを蔑まれません。」詩篇51:17 キャンプ当日です。 子どもたちより、大人の参加、お手伝いが多くなりました。 とても感謝なことだと思います。 子どもたちのために祈り奉仕する人、自分の子どもに付き添う人、感謝です。 また、興味があるからと参加してくださる方、歓迎です。 子ども向け、大人向けの福音がそれぞれあるわけではありません。 キリストの福音は同じです。 そして、福音はいのちに関わる事柄です。 砕かれへりくだった子どものような心で、共に味わい、受けとり、感謝する一日になりますように。 祈り:神様、キャンプの子どもも大人も、あなたの前にへりくだり福音を味わい受けとる一日となりますように。引き続き、被災地のことも覚えて祈ります。アーメン

詩篇49-50

通読: 詩篇 49–50;  ローマ 1  「しかし 神は私のたましいを贖い出し よみの手から 私を奪い返してくださる。」詩篇49:15 最近、スーパーにお盆のお供えを見かけます。お盆は、死んだ先祖の霊が帰ってくるというのです。 聖書は死後について、違った見解を持ちます。 先祖を敬い、思い返して感謝することは大切です。しかし、死んだ人はたたることもないし、生きている者の行為で天国と地獄の行き先が決まることもありません。 唯一、「神は私のたましいを贖い出し よみの手から 私を奪い返して(地獄に行くことのないようにして)くださる」方です。 「人は死ぬとき 何一つ持って行くことはできず その栄誉も、その人を追って下る(栄誉がついてくる)こともない(17節)」のですが、神を信じることで永遠のいのちが与えられます。 祈り:神様、私は、先祖たちの存在を通して生まれました。あなたの深い摂理によって、今日もこうして生き、永遠のいのちを頂いていることを感謝します。 暑さの中、熊本とその周辺の地震で被害を受けた方たちをお守りください。必要が届きますように。私たちも祈りで支えます。アーメン

詩篇46-48

通読: 詩篇46–48; 使徒 28  「川がある。その豊かな流れは 神の都を喜ばせる。 いと高き方のおられる その聖なる所を。神はそのただ中におられ その都は揺るがない。神は朝明けまでに これを助けられる。」詩篇46:4-5 台風で大きな被害が出た時、詩篇46篇の1~3節は教会への励ましのことばでした。 自然災害だけでなく、戦争や紛争の中にある人たちにも、この詩篇を通して神様の励ましがあふれています。 4節は、同じ水でも洪水ではなく、豊かな流れの川、喜びの水を描写しています。 5節で、神がその真ん中におられる都はゆるがない、とあります。 淀川を電車で渡る時、都市の命綱は水資源で、それを上手に治め利用してきたことを思います。 同じように、神の豊かな恵みと聖霊のあふれる流れが、川のように教会、そして一人一人を潤し生かしてくださいます。 何より、中心に神がおられ、私たちを治めてくださいます。 祈り:神様、あなたが私のただ中に住まれ、豊かな恵みを受け、どのように用いるかも導いてくださいます。与えられている時間や賜物を、豊かな聖霊様の働きにゆだねつつ、主のために用いさせてください。アーメン

詩篇43-45

通読: 詩篇 43–45;  使徒  27:27-44 「すばらしいことばで 私の心は沸き立っている。 王のために私が作った詩を 私は歌おう。 私の舌は巧みな書記の筆。」詩篇45:1 心から賛辞があふれ、舌がペンのように豊かな言葉を紡ぎ出す、そんな詩人の喜びが伝わってきます。 王をほめたたえ、喜びと賛辞にあふれるこの詩篇は、キリストを預言したものとされています(ヘブル1章)。 麗しく、優しさが流れ出て、祝福される方(2節)、 変わらない王座、公平なさばきをし(6節)、 神からの喜びの油注ぎがあり(7節)、 民が世々限りなくほめたたえる方(17節)です。 あなたにとってキリストは、どんな描写でほめたたえる方ですか。 祈り:神様、あなたを賛美する口が与えられていることを覚えます。良いことのためにこの舌を用いることができますように。アーメン

詩篇40-42

通読: 詩篇 40–42;  使徒  27:1-26  「わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。 なぜ 私のうちで思い乱れているのか。  神を待ち望め。 私はなおも神をほめたたえる。私の救い 私の神を。」詩篇42:11 心が疲れてしまったことがありますか? この詩篇では何度も「たましいがうなだれている」という表現がされています。 落胆し、希望を見失いそうになり、混乱で圧倒される様子です。 ダビデは「神を待ち望む」こと、「神をほめたたえる」ことで内面の混乱に対処しました。 一国の王も、平凡な私たちも、自分の心を治めるという同じ課題が与えられています。 ひとりで祈ること、友に話し一緒に祈ってもらうこと、神が与えられた様々な資源を用いること... すべてが望みなしと思える時、望みを与えてくださる主に信頼します。 祈り:神様、私のたましいがうなだれた時、あなたを待ち望みます。脱出の道を与えてくださると信頼し、主とともに通ります。アーメン

詩篇37-39

通読: . 詩篇37–39; 使徒 26 「主によって 人の歩みは確かにされる。 主はその人の道を喜ばれる。 その人は転んでも 倒れ伏すことはない。 主がその人の腕を支えておられるからだ。」詩篇37: 23-24 「正しい人は、主の導きに従って歩みます。主はその一歩一歩をお喜びになるのです。 たとえ倒れても、それで終わりではありません。主がしっかり支えておられるからです。」(リビングバイブル) 「倒れてもそれで終わりではない」というのは、かつて燃え尽き、もう立てないと思った私にとって、希望の光となることばでした。 そして、不完全な者が主に導いて頂くことの大切さを改めて学びました。 私たちは、一足でゴールに着くことはありません。人生はよちよち歩きのような、少しずつの歩みです。 主がその一歩一歩を喜んでくださる、そんな歩みをしたいと願います。 この夏、ご一緒に歩みをふりかえり、これからの方向を主に導いて頂くよう祈りませんか。 「あなたの道を主にゆだねよ。 主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(5節) 祈り:神様、あなたの道を歩ませてください。向きが違う時には、転んでも主が立たせ、あなたの望まれるところに導いてください。アーメン

詩篇35-36

通読: 詩篇 35–36;  使徒  25 「神よ あなたの恵みはなんと尊いことでしょう。 人の子らは 御翼の陰に身を避けます。」詩篇36:7 暑い日が続きます。昼間は、涼しい所に避難したくなります。 屋根があり、陰があるところです。 神様の恵みは、まるで涼しい日陰を作る屋根のように私たちを覆います。 自分の力でふんばらなくても、平安と安息の中で主に持ち運ばれていきます。 無理をしていることがありませんか。主にゆだねて、主がしてほしいと望まれていることを、恵みの中でさせていただきましょう。 祈り:神様、あなたの恵みは私の日々の生活にも及んでいます。今日の恵みを数え、肩の力を抜いて主とともに歩めますように。アーメン

詩篇33-34

通読: 詩篇 33–34;  使徒  24 「私はあらゆるときに 主をほめたたえる。 私の口には いつも主への賛美がある。」詩篇34:1 ダビデがピンチに陥っていたことは、表題を見るとわかります。 サウルに追われ、アビメレクの前でおかしくなったかのようにふるまい、見破られて追われた時のものです。 彼はのんきに「主をほめたたえ」ていたわけではありません。 「助けてください」とすがるしかない状況でした。 それでも「いつも主への賛美」をするよう、自分の心に言い聞かせ、それを宣言しました。 どうしようもない内外の状況でも、そこに埋没すると不安が増大し、恐れと心配で心が支配されます。 主を賛美すること、主をほめたたえることは、自らの心を取り扱うことでもあります。 悩みや不安から目を離して主を見上げ、心の深いところまで開け渡す時、主の恵みと平安のスペースが開きます。 祈り:神様、あなたの恵みと真実に目を留めます。危機の時の救いは主にあります。私が肉で行うものを取り除き、霊の目を開かせ、持ち運んでください。アーメン

詩篇31-32

通読:    詩篇  31–32;  使徒  23:16-35  「主よ 私はあなたに身を避けています。 私が決して恥を見ないようにしてください。 あなたの義によって 私を助け出してください。」詩篇31:1 「主よ 私が恥を見ないようにしてください。 私はあなたを呼び求めていますから。」31:17 「恥 (shame)」は、私たち日本に住む者にとって、よく理解できる感覚です。 というより、とても影響があり、避けたいものです。 ダビデは恥を見ないよう、主に呼び求めました。 私たちも、同じように呼び求めてよいのだと思います。 キリストご自身が最も恥を受け、十字架にかかってくださったことを思いつつ。 祈り:神様、私が恥を見ないよう守ってください。同時に、人の目ではなく、あなたを知ることを第一に求めることができますように。アーメン

詩篇29-30

通読: 詩篇 29–30;  使徒  23:1-15  「私のたましいが あなたをほめ歌い 押し黙ることがないために。 私の神 主よ 私はとこしえまでも あなたに感謝します。」詩篇30:12 「家(あるいは宮)をささげる歌」と表題にあります。大切なものを主にささげ、賛美する詩篇です。 主を心から賛美できず、「押し黙る」ようなことはありませんか。 もしそうなら、何が障害になっているのでしょうか。 そのものを手放し、主に心向けることができるよう祈りませんか。 祈り:神様、良いことであっても、手放すことを学ばねばならないときがあります。あなたより大切にするものがありませんように。私の心が、いつも主を賛美できますように。アーメン

詩篇26-28

通読: 詩篇 26–28; 使徒 22 「たとえ 私に対して陣営が張られても私の心は恐れない。たとえ 私に対して戦いが起こってもそれにも私は動じない。 」詩篇27:3 歴史ドラマで、城をぐるりと囲まれた戦国武将が出てくると、どんな気持ちだったかとあれこれ想像します。 ダビデも似た状況を経験しながら、しかしこのように宣言しました。 平静の秘訣は次の節です。 「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り 主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために。」(4節) 見えるものと見えないもの。 どちらに目を留めますか。 祈り:神様、見えるものにではなく、見えないものに目を留めることができるよう導いてください。アーメン

詩篇23-25

通読: 詩篇 23–25; 使徒 21:18-40 「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。」詩篇23:4 手術前の同意書に、家族としてサインをします。考えられる合併症に「死亡」とあります。確率は低いけれども、ゼロではない。 ダビデはもっと緊迫した中を通りました。 死の陰が濃く迫る中、慰めは主のむちと杖、主が私を導いてくださるという信仰でした。 手術に限らず、日々私たちの死の確率はゼロではありません。急病や事故、怪我や災害など、日常も死と隣り合わせだとも言えます。 今日も主にあって生かされていることを覚えつつ。 祈り:神様、あなたのむちとあなたの杖で、今日も私を導いてください。闘病中の方、手術を控えた方、リハビリ中の方にも、主の慰めと励ましが豊かに臨みますように。アーメン

詩篇20-22

通読: 詩篇 20–22; 使徒 21:1-17 「しかし 私は虫けらです。人間ではありません。 人のそしりの的 民の蔑みの的です。」詩篇22:6 イエス様の十字架の苦難を預言した詩篇です。 ここまで貶められ、人からも見下げられて十字架にかかった苦難は想像以上です。 もはや人間でもない、「虫けら」とまで無価値の状態になられたお方がイエス様です。 先日、非常に横柄でこちらの非を指摘する(ように聞こえた)電話対応を受けました。気持ちが落ち込み、自分の価値がなくなったような気分になりました。 そんなこともイエス様はわかってくださるお方です。しかも、その方が私たちの主、全能の神様です! 祈り:神様、弱さを知ってくださる方であることを感謝します。落胆し、自分の価値を見失いそうになる時もあなたは見捨てず、何よりもイエス様ご自身が苦難を通ってくださったことに感謝します。アーメン

詩篇18-19

通読: 詩篇 18–19; 使徒 20:17-38  「だれが 自分の過ちを悟ることができるでしょう。 どうか 隠れた罪から私を解き放ってください。」詩篇19:12 誰もが神の前に罪人であるのと同様、知らずに犯している罪があります。 気づかずに人を傷つけたり、隠れた動機(恐れ、過去の傷、競争心、比較、その他無意識のもの)に動かされたり...。 知らなかったとしても、神の前に罪であることに変わりありません。 「隠れた罪から私を解き放ってください」というのは、すべての人の祈りとなります。 祈り:神様、隠れた罪から私を解き放ってください。十字架の血潮で、それらが許されることを感謝します。気づきが与えられた時には、すぐに柔らかい心で悔い改めることができますように。アーメン

詩篇16-17

通読: 詩篇 16–17; 使徒 20:1-16  「私はいつも 主を前にしています。 主が私の右におられるので 私は揺るがされることがありません。」詩篇16:8 昨日に続き、揺るがされない人についてです。 ダビデは「いつも主を前に」し、「主が私の右におられるので」揺るがされないと言いました。 周りを主が取り囲んでくださっているのです。 私にとっては、病院や保健室のベッドのカーテンをぐるりと閉めると、その中で安心して療養できるイメージです。 自分の力だけで立ち向かわなくてよいのです。 主はいのちを与え、守り、平安を与えてくださるのです。 祈り:神様、今日も、そして永遠までも、あなたの守りが現実であることを覚えます。ハプニングが起こっても、あなたにすがり頼れることを覚えます。アーメン

詩篇13-15

通読: 詩篇  13–15; 使徒 19:21-41 「...このように行う人は 決して揺るがされない。」詩篇15:3 状況や人の言葉で心乱れることがあるでしょうか。 詩篇は「揺るがされない」のはどのような人か、あげています。要約すると、次のとおりです。 ・主の前に誠実に歩み、信仰を実践し、真実を語る人(2節) ・否定的な言葉や陰口を言わない人(3節) ・主の評価に従い、目先の損得で動かない人(4節) ・金銭にクリーンで、人の不幸に乗じて儲けようとしない人(5節) 主が導いてくださいますように。 祈り:神様、私の態度を支配してください。否定的なことを考え口にする悪からお守りください。私自身からも、そして教会の中からも、主に喜ばれないものを除き去ってください。アーメン

詩篇 10-12

通読:    詩篇  10–12; 使徒 19:1-20  「主よ あなたは貧しい者たちの願いを 聞いてくださいます。 あなたは彼らの心を強くし 耳を傾けてくださいます。」詩篇10:17 神が願いを聞いてくれるという希望があります。 では、どのくらいこの神に向かって願いを述べているでしょうか。 自分の周りのことだけ、時々思い立ったら、というのはあまりにもったいないですね。 自分や家族のこと、知人友人のこと、地域、社会や体制、日本、世界・・・ 信仰者の祈りは範囲を限定しなくてよいのです。 どんなことを今日、祈りますか。 祈り:神様、あなたに向かってもっと祈り、話したいです。あなたのみ顔をあおぎます。祈りへと導いてください。アーメン

詩篇7-9

通読: 詩篇  7–9; 使徒 18 「あなたの指のわざである あなたの天 あなたが整えられた月や星を見るに 人とは何ものなのでしょう。 あなたが心に留められるとは。 人の子とはいったい何ものなのでしょう。 あなたが顧みてくださるとは。」詩篇8:3-4 創造主のわざである広大な天と月や星を見ると、人はちっぽけで、何十億分の1の私など取るに足りないと思えます。 しかし神は、そんな私のことを愛し、目を注いでくださいます。 私の髪の毛の数、私の心の思いまで読み取られます。 夏の夜空を眺めて、七夕どころのスケールではない神の全知全能の素晴らしさを思いめぐらしませんか。 祈り:神様、あなたの素晴らしさを覚えます。どうぞ私の心を知り、私を導いてください。アーメン

詩篇 4–6

通読: 詩篇  4–6; 使徒 17:16-34  「平安のうちに私は身を横たえ すぐ眠りにつきます。 主よ ただあなただけが 安らかに 私を住まわせてくださいます。」詩篇4:8 ~弦楽器に合わせて。 「主よ 朝明けに 私の声を聞いてください。 朝明けに 私はあなたの御前に備えをし 仰ぎ望みます。」詩篇5:3 ~フルートに合わせて。 メンターの一人が「人生のリズムを大切にね。漫然と同じことをしていては、リズムがとれませんよ。」とアドバイスしてくれたことがあります。 ダビデは主の平安のうちに眠ると言い、この詩を弦楽器に合わせるよう指定しました。ゆったりとしたリズム、静かな呼吸と耳をすまして主の臨在を感じる時間です。 一方、早朝にはフルートの明るい音色に合わせて、今日も主を見上げて歩むという、霊の備えとスタートのリズムです。 私たち、あなたの一日、一週間、一ヶ月、一年・・・の過ごし方を、神様はどのように願っておられるでしょうか。 祈り:神様、あなたが私に願われるリズムを教えてください。惰性でなく、いつも新鮮な喜びと感謝で満たしてください。アーメン

詩篇 1-3

通読: 詩篇1-3、使徒17:1-15 「私は身を横たえて眠り また目を覚ます。 主が私を支えてくださるから。」詩篇3:5 実の子アブサロムに裏切られただけでも辛いのに、それが過去の自分の罪に由来するというなら、普通はおちおち寝ていられないと思われます。 しかし、主が盾となって支え守ってくださるので、ダビデは安眠できると賛美します。 昔から、奈良や京都のように四方を山で囲まれた町は安全でした。 同じように、主が私の回りを囲んでくださると想像してみましょう。 今日、何が心を揺るがしていますか。 重荷を自分の力で抱え続けることがありませんように。 祈り:神様、今日も重荷をキリストの元にゆだねます。批判や問題が来るとき、私の心を守り、謙遜に対応できますように。アーメン

ヨブ記41-42

通読: ヨブ記  41–42;  使徒  16:22-40   「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにされた。さらに主はヨブの財産をすべて、二倍にされた。」ヨブ記42:10 ある宣教団体が「マッチング・グラントMatching Grant」を行っていました。ある気前のよい寄付者が、誰かが捧げたら私もその同額を捧げます、と約束したそうです。それで、あなたの献金が宣教団体には2倍となる、という取り組みでした。 神様はこの寄付者以上に気前のよい方です。 なぜなら、すべての持ち主、全能者だからです。 「あなたには、すべてのことができること、 どのような計画も不可能ではないことを、 私は知りました。」(42:2) なぜ苦難があるのか・・・その答えは全能者の神がお持ちで、ある部分はわかるけれどある部分は私たちの理解が及ばないものでしょう。 しかし、ヨブ記の結末は、主はよいお方、信頼に足るお方だという確証を与えています。 祈り:神様、あなたがよい方であり、「すべてのことができること、どのような計画も不可能でないこと」を信じます。アーメン

ヨブ記38-40

通読:ヨブ記  38–40;  使徒  16:1-21   「ヨブは主に答えた。『ああ、私は取るに足りない者です。あなたに何と口答えできるでしょう。私はただ手を口に当てるばかりです。』」ヨブ記 40:3~4 神の摂理の前には、文句も不平もないこと、 自分を正しいと主張するのもむなしいことを、 ヨブは悟りました。 不完全さを認めた人に、神は恵みを与えてくださいます。 あれもこれもどっちつかずになるよりは、 焦点をしぼって主の望まれることを行うことが大切だと思います。 誕生日ごとに、半年ごとに、自分の進む方向を主に聴き、確認する時間を意識的に持ってみませんか。 祈り:神様、あなたの知恵と望まれる方向性を教えてください。雑多なことで私の小さな心がかき回され、あなたが見えなくなることがありませんように。大切なことを大切にできますように。アーメン

ヨブ記36-37

通読: ヨブ記  36–37;  使徒  15:22-41 「今、光は見ることができない。 それは雨雲の中に輝いている。 しかし、風が吹いて雲を払いのけると、北から黄金の輝きが現れ、 神の周りには恐るべき威厳がある。」ヨブ記37:21-22 雲の上には太陽が輝いている、と神の絶え間ない臨在を語るエリフ。 先が見えない状態の時、それは励ましとなることもあります。 しかし、エリフ自身も神の姿が見えていないのではとも思えます。 神がヨブにかけたいことばをかけておらず、彼自身も神を雲の向こうにしか見えていないからです。 うつの人に「がんばれ、がんばれ」と言うのは逆効果です。 頑張ってきて、これ以上頑張る力がないほど枯渇し、うつになるからです。 良かれと思ったことが逆効果になります。 神の励ましと人の励ましもこれに似ているかもしれません。 自らの限界と不完全さを知ることが、神を見る第一歩ではないでしょうか。 祈り:神様、自分の正しさや理論をふりかざすことがありませんように。謙遜な心を今一度与えてください。知っていると思う者が何も知らないという事実に、目を開かせてください。アーメン

ヨブ記34-35

通読: ヨブ記  34–35;  使徒  15:1-21 「『ヨブは知識もなしに語る。 彼のことばは聡明さに欠けている』と。どうか、ヨブが最後まで試されるように。 彼は不法者のように、ことばを返すからだ。」ヨブ記34:35-36 聡明なはずのエリフも、だんだんヨブを批判する言葉を発するようになりました。 他の3人と同じことを繰り返しています。 疲れもあったでしょう。 しかし、話しているうちにだんだんと感情が高まり、口に制御がきかなくなったのかもしれません。 私たちも、冷静でいようと思います。しかし、言葉数が多くなるにつれて私たちの心の底にある罪深い性質が口から出てしまいます。 ご一緒に、ヤコブの手紙3章の、舌(口から出る言葉)の危険を読み直しましょう。 祈り:神様、失言やことばの失敗を重ねてきました。許してください。傷つけた人に慰めを、愛に満ちた心で徳をたてあげる言葉を与えてください。アーメン

ヨブ記32-33

通読:ヨブ記  32–33;  使徒  14    「なぜ、あなたは神と言い争うのか。 自分のことばに、 神がいちいち答えてくださらないからといって。神はある方法で語り、 また、ほかの方法で語られるが、 人はそれに気づかない。」ヨブ記33:13-14 「神が即答されないから祈っても無駄だ」、という短絡的な思考に陥りがちです。...特に疲れている時には。 ですから、静まり安息することは、神の前に正しいことなのだと教えられます。 私たちが生きているのは忙しくするためではなく、神の栄光を表すためです。 神は彼をあわれんで仰せられる。 「彼を救って、 滅びの穴に下って行かないようにせよ。 わたしは身代金を見出した」と。(33:24) エリフの言葉の「彼」に自分の名前を入れて読んでみましょう。「身代金」はすでにキリストによって支払われています。あくせくしなくても大丈夫です。 祈り:神様、あなたにあって安息することを教えてください。主の素晴らしさを味わい、深い心の喜びと平安を見いだすことができますように。アーメン

ヨブ記30-31

通読: ヨブ記  30–31;  使徒  13:26-52 「神は私の道をご覧にならないだろうか。 私の歩みをすべて数えておられないだろうか。」ヨブ記31:4 ヨブはこれまで自分が正義と善行に歩んできたことを列挙します。 確かに、彼は正しく人格的にもすぐれた人でした。もちろん正しい人は祝福されるでしょう。 しかし、神の恵みは行いだけではありません。 なにもできず、十字架でイエスの横にはりつけられた強盗にも、救いの御手はのばされています。 立派な人ほど、自己義のわなに陥りやすいとも言えます。 恵みを受けた弱い人とも、共に喜べる者になれますように。 祈り:神様、あなたの恵みを感謝します。私が救われたのも恵みによることを覚えます。自分の弱さを棚にあげて他者を裁くことがありませんように。永遠のいのちをいただいた恵みを、共に味わわせてください。アーメン

ヨブ記28-29

通読: ヨブ記  28–29;  使徒  13:1-25  「神は知恵の道をご存じであり、 神こそ、それがある場所を知っておられる。それは、神が地の隅々までを見渡し、 天の下をことごとく見ておられるからだ。」ヨブ記28:23-24 いくつもの用事が重なるときや、判断を迫られる場面が多いとき、「知恵がないなあ」と痛感します。 そして後でくよくよ考えたり反省したりします。 ヨブ記は「神は知恵の道をご存じだ」と明確に述べます。 神は、人間のカウンセラーやすぐれた指導者をはるかにしのぐ方です。 その方に日々祈ってすがることができる幸いに感謝します。 祈り:神様、あなたの知恵と導きが必要です。懸案の○○について、主におゆだねします。導いてください。アーメン

ヨブ記25-27

通読: ヨブ記  25–27;  使徒  12 「見よ、これらは神のみわざの外側にすぎない。 私たちは神についてささやきしか聞いていない。 御力を示す雷を、 だれが理解できるだろうか。」ヨブ記26:14 神様の働きは、時に私たちの想像を越えすぎて、理解できないことがあります。 計画のスケールが大きすぎて、働いておられることが見えないことすらあります。 後ではっと気づくとき、偉大さに畏れを抱きます。 そんな経験があるでしょうか。もしあるなら、素晴らしいあかしです。 祈り:神様、あなたがすべてを支配し、治めておられることを信じます。アーメン

ヨブ記22-24

通読:ヨブ記  22–24;  使徒  11  「今そうでないからといって、 だれが私をまやかし者だと言えるのか。 だれが私のことばをたわごとと見なせるのか。」ヨブ記24:25 「人はうわべを見るが、主は心を見る(サムエル記第一16:7)」ということばを思い出します。 難民キャンプ、ホームレスの人々は、ともすれば「助けてあげる存在」と低く見られがちです。同じ人間なのに。臭いや身なりでも、人を判断しがちです。 いかに、その時のうわべしか見ていないかと思わされます。 ヨブの得てきた信頼も、親切も、すべて人の印象には残らなくなりました。うわべが悲惨だからです。 しかし、主はどんな時もその人の心を見てくださいます。主に造られたかたちとしての人格を尊重してくださいます。 祈り:神様、私たちの認知がいかに表面的なものかを知りました。へりくだって主の前に出ます。アーメン

ヨブ記20-21

通読: ヨブ記 20–21;  使徒  10:24-48  「なぜ悪しき者が生きながらえて 年をとっても、なお力を増し加えるのか。」ヨブ記21:7 ここまででなくても、「信仰のない人が楽しくうまく豊かにやっている。それなのに、私には苦労がやってくる」と聞くことがあります。 苦難の底辺にいたときのヨブの素朴な問いは、私たちの多くによぎる問いかもしれません。 短期的にはそう見えるでしょう。しかし、2つのことが考えられます。 1.第三者が外から見ていては、本当の状況はわからない: 「隣の芝は青い」と言います。よさそうに見えていても、当人はたまらない苦労を抱えていることがあります。表面の印象だけで実情ははかれません。 2.地上の人生だけで終わりではない: 永遠の視点で眺めた時、必ず主の前に立ち裁きを受けることが決まっています。神を否定し、自分勝手に生きていくなら、その報いを必ず受けます。逆に主に信頼した人は、永遠のいのちとよい報いを受けます。 祈り:神様、比較のわなから救ってください。そして永遠の視点、信仰の視点から物事を見ることができますように。アーメン