エゼキエル12

「そこで、私は命じられたとおりにした。自分の荷物を捕囚のときの荷物のようにして昼のうちに持ち出し、夕方、自分の手で壁に穴を開け、彼らの見ている前で、暗いうちに荷物を背負って出て行った。」エゼキエル12:7

エゼキエルが穴を開けたのは、自宅の壁だったと思われます。泥のれんが作りとはいえ、大切な家の壁は誰が修理してくれるのでしょうか。神様が修繕費を送ってくれるのでしょうか。
そういえば、イエス様のところに病人を連れてきた4人の友達も、屋根に穴をあけて病人を吊り下ろしました。その後の修理はどうしたのでしょうか。

聖書はすべての顛末を語っていません。それは、もっと大切なことに集中しているからです。癒し、救い、そして永遠のいのち、すべての所有者は神であるという信仰、それらに焦点が当てられています。

私たちの思考はあてもなくさまよい、些細なところで立ち止まり、本筋でないところにこだわり、葛藤します。その一方で、大切なことが盲点になっているのかもしれません。神様が信仰の友や先輩を通して、その盲点を指摘してくださいますように。

祈り:神様、近視眼になっている私の視点を、あなたのみ手で引き上げてください。空から見下ろす時のように、本当に大切なものに意識を向けることができるよう、助けてください。些細なことは気にしすぎないよう、私の心を守ってください。アーメン