エゼキエル10

「彼らは、かつて私がケバル川のほとりで、イスラエルの神の下に見た生きものであった。私は彼らがケルビムであることを知った。」エゼキエル10:20

1章で、エゼキエルに捕囚の地で現れたのと同じケルビムが、再びエルサレムの神殿でも見えました。そして、神の栄光がそこにありました。白昼夢ではなく、確かに同じ主がそこにおられることの確証でした。

10月も下旬になり、来年に向けての導きを祈っている人もいることと思います。私自身も、毎年個人的な指針となるみことば、そして公私の諸分野(霊的成長、宣教、家族、社会、知的成長...)においての神様からの方向性を求めて祈ります。

さまざまなことが思い浮かび、考えは飛躍します。しかし、どこまでも同じ主がおられます。「これに歩め」という道に歩むには、自分の願いを正直に主の前に出し、動機を点検し、主にある平安を頂くことなのだと思います。

祈り:神様、あなたの変わらない臨在に感謝します。私を「これに歩め」というあなたの道に導いてください。導きを求めている___さん、___さんにも主の道がはっきりと示されますように。アーメン