エゼキエル11

「わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。」エゼキエル11:19

エルサレムでは、新しい指導者が「エルサレムは鍋だ。私たちは鍋の中の肉だ」、つまり、エルサレムは安全な場所でそこにいれば大丈夫だ、と言っていました。
しかし主はよこしまな彼らの思いを打ち砕かれます。合わせて、やがて捕囚の民が戻ってくることを述べられます。

回復される民は、いのちのない頑固な「石の心」ではなく、いのちのある「肉の心」を持つ、というのでした。つまり、主ご自身と生きた関係を持てる、砕かれた心を持つ民となり、主が彼らの神となると言われました。

私たちも年齢や経験、こだわりのせいか、ともすれば主よりも自分の考えに固執することがあります。黙して、主の細いみ声を聞くことができますように。柔らかな肉の心をもって、軌道修正できるでしょうか。

祈り:神様、私に石の心ではなく肉の心を与えてください。主の前にへりくだって出ます。___のこと、____のことについて、私に語ってください。「しもべは聞いております(第一サムエル3:10)」と言えますように。アーメン