ヨシュア5

「イスラエルの子らはギルガルに宿営し、その月の十四日の夕方、エリコの草原で過越のいけにえを献げた。」ヨシュア5:10


変化(引っ越し、就職、卒入学、出産、介護、退職、病気、離別...)の中で主を礼拝するのは、普段より難しいかもしれません。礼拝する気持ちになれないときもあるでしょうか?

ヨルダン川を渡り、40年ぶりの割礼が施されました。新しい宿営地で民がしたことは過越を守ることでした。慣れない宿営地で、強固なエリコの町を前に礼拝する気持ちになれない人もいたのではと想像します。それでも、淡々と(いつものように)過越のいけにえを献げることを「選びとり」ました。
そこから、また約束の地に向けての前進が始まりました。

礼拝したいかしたくないかという感情や気分に任せるのでなく、礼拝することを「選びとる」かどうかに集中してはどうでしょうか。意志を働かせて選択することそのものが、私たちの信仰のあらわれです。

祈り:神様、あなたへの礼拝を「選びとる」意志を与えてください。
礼拝の中で、あなたが新しい心を与えてくださると信じます。たとえ劇的でなくても、あなたが日々つくり変えてくださることに期待します。アーメン

「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える(エゼキエル36:26)。」