ヨシュア20

「人がこれらの町の一つに逃げ込む場合、その人はその町の門の入り口に立ち、その町の長老たちに聞こえるようにその事情を述べよ。彼らは自分たちの町に彼を受け入れ、彼に場所を与える。そして彼は彼らとともに住む。」ヨシュア20:4

当時の中東では、目には目、いのちにはいのち、と、同じだけの復讐が認められていました。けれども過失で人を殺してしまった場合には、逃れの町に避難することが定められました。その町に入る際に長老たちに事情を話し、もっともだと思われれば町に受け入れられ、命が守られました。

聖書は「罪の報酬は死です(ローマ6:23)」と語ります。「いのちにはいのち」と同様に、本来は「罪には死」でした。
しかし、キリストの十字架の死が、私たちの罪のために支払われました。キリストを救い主と信じる者には「罪にはキリストの死」となりました。
逃れの町は各地に置かれ、どこからでも半日以内で到達できたようです。
私たちには、キリストの十字架という逃れ場所がいつもそばにあることに感謝します。


祈り:神様、逃れの町はあなたの愛の配慮でした。十字架は、あなたの愛とさらに素晴らしい逃れの道であることを覚えます。キリストの十字架の死が私の罪の代価として支払われたので、もう必死で逃げ回る必要はなくなりました。この恵みを、一日を始めるにあたり日々心にとどめることができますように。アーメン