申命記11

「今日、心得なさい。あなたがたの子どもたちが、あなたがたの神、主の訓練を、その偉大さを、その力強い御手と伸ばされた御腕、そのしるしとみわざを経験し目撃したわけではないことを。」申命記11:2

こう前置きした後、モーセは新しい地が素晴らしいところであることと共に、どんな時でも主に従うことを命じます。子どもたちに主の教えを繰り返し聞かせることを命じます。

それは、彼らが生き証人だからです。荒野での困難も、主の助けとみわざも、体験したからです。日本的に言えば「語り部」でしょうか。
あかしほど説得力のあるものはありません。私たちも、自分が救われた体験、神様に導かれた体験、十字架が心深くわかった体験があるなら、それをそのまま話せばよいのです。脚色しなくても、流暢でなくても、主がすばらしいことをそのまま普通の人が普通に話すなら、聖霊が働いてくださいます。

祈り:神様、あなたが私の人生にこれまでしてくださった素晴らしいことの数々を感謝します。私もあかし人になりたいです。誰かのようになろうとせず、うまく言えないと落ち込むこともせず、そのままの私で語らせてください。アーメン