士師記3

「これは、彼らによってイスラエルを試み、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうかを知るためであった。」士師記3:4


2節に「(主が敵を残されたのは)イスラエルの次世代の者、特にまだ戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためであった」と書かれているので、一見「好戦的な神」のような印象を受けます。
でも、神様の目的はイスラエルの信仰を試すためでした。勝利は武器や人の力ではなく、神の力と知恵に頼るものであることを教えようとされたのです。

聖書全体を見るなら、方向は平和と和解です。ある聖書学者は

・旧約では戦争が多くあり、目立っており、聖戦とさえ宣言されているにもかかわらず、旧約自身の各部分からでさえ、神の目的の方向性が平和に向かっていることは明らかである。

・旧約のある箇所における偏狭な国家主義への傾向にもかかわらず、神がすべての民のために、ご自分の民を選び、旧新約における神の目的の方向性が国際的であることは明らかである。

(リチャード・ボウカム「聖書と政治~社会で福音をどう読むか」いのちのことば社、p.16)

と述べています。

イエス様もご自身が十字架にかかられる前に「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます(マタイ26:52)」と言われました。
戦いだらけのように思える士師記でも、計算すると平和な年数の方が多いことを知ります。
(被支配 111年、平和 200年、士師の統治 99年、計 410年: Cultural Background Study Bibleより)

祈り:神様、旧約聖書の中の戦いも今日の戦争も、私たちの罪と頑固さから生じた暗く悲しい出来事です。私たちが聖書の真意を読み取ることができますように。信仰者として、平和と和解のために祈り続けることができますように。国家間だけでなく、私の周りの痛んだ人間関係に、平和と和解がやってきますように。私をあなたの愛で満たしてください。

明日は子どものデイキャンプです。あなたの愛が子どもに届きますよ
うに。私たちもあなたの恵みと愛を動機として働きます。どうぞ導いてください。アーメン