士師記2

「主が彼らのためにさばきつかさを起こしたとき、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさが生きている間、彼らを敵の手から救われた。...しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らは元に戻って先祖たちよりもいっそう堕落し、ほかの神々に従い、それらに仕え、それらを拝んだ。彼らはその行いや、頑なな生き方から離れなかった。」士師記2:18~19

士師記では、

人々が主を忘れて堕落する
→困難が起こる
→人々が主を思い出して叫ぶ
→士師(さばきつかさ)が立てられ、敵から救われる
→士師の死後、また主を忘れて堕落する

というパターンが何度も繰り返されます。
「なぜ前の失敗から学ばないのだろうか」と感じます。

でも、自分の歩みを振り返ると、イスラエルの人たちと似たところがあることに気づきます。主がよくしてくださったことへの感謝がうすれ、今の小さな問題や自分の弱い部分でうろたえたり悩んだりしてしまいます。

主のよくしてくださったことを自分の心に記念碑のように立て、ことあるごとに確認するには、あかしをするのが一番だと思います。
あかしは自慢やメッセージではなく、自分の人生そのものに主が何をしてくださったか、主の恵みを分かち合うものです。あかしを準備し、シェアするプロセスを通して、自分自身が主のみわざを再確認でき、記憶を新たにできるからです。

祈り:
「わがたましいよ 主をほめたたえよ。
主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」

神様、あなたがこれまで私の人生にしてくださった良いことを感謝します。独り占めして忘れるのではなく、恵みをあかしできますように。苦手意識を持つことなく、恵みの感謝をありのままで分かち合うことができるよう、助けてください。アーメン