エレミヤ37

「ゼデキヤ王は命じて、エレミヤを監視の庭に入れさせ、都からすべてのパンが絶えるまで、パン屋街から毎日パン一つを彼に与えさせた。こうして、エレミヤは監視の庭にとどまっていた。」エレミヤ37:21

戦乱や災害、国の荒廃は、人の心を荒ませます。エレミヤが悪気なくベニヤミンの地に行ったのに、人々は逃亡だと誤解し、彼を長い間牢屋に入れました。
人間不信と恐れは裏切りや疑心を生みます。主への信仰から離れてしまった場合はなおさらでした。

神のエレミヤへの守りはどうなったのでしょうか。
エレミヤは王に謁見した後「監視の庭」に身柄を移されました。自由ではありませんでしたが、そこでは彼の安全が確保され、毎日パン一つが配給されました。それで、彼は殺されることも飢えることもありませんでした。

不条理に思える拘束の中にも、神の守りの御手を見ます。
今日もし不自由さを感じるならば、エレミヤをはじめ創世記のヨセフ、使徒パウロ、ヨハネの働きが牢獄や流刑地で多く行われていたことを思い出しましょう。
神様の働きは、場所に制限されません。

祈り:神様、私たちの肉体は制限がありますが、あなたには限界がありません。
療養中や看病・介護・育児で思うように出かけられない方々に、主にある豊かな自由な心と希望が与えられますように。そうして、今まで以上に「祈りの勇士」として用いられますように。ベッドから、自宅から、世界に開けた熱い祈りができますように。
信仰ゆえに投獄されている方を励ましてください。今日も地下教会で礼拝を守るクリスチャンたちに、勇気と希望を与えてください。アーメン