イザヤ50

「神である主は、私に弟子の舌を与え、 疲れた者をことばで励ますことを教え、 朝ごとに私を呼び覚まし、 私の耳を呼び覚まして、 私が弟子として聞くようにされる。」イザヤ50:4

イエス様がまさにこうしたお方でした。疲れた人には「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と励まし、いつも父なる神の声を聞いて過ごされました。

信仰者も、同じように神様に呼ばれています。「弟子の舌」は自分の栄誉でなく主の栄光のために用い、疲れた人々に福音の慰めと希望の励ましを伝えるよう召されています。
自分の知恵では限界があります。しかし「神に聞」き聖霊の促しに従う時、上からの知恵が与えられます。今日はデイキャンプです。ただ行事を消化するのではなく、子どもたちの霊にふれる一日となりますように。

祈り:神様、私も主の「弟子」として励ましの言葉を与える者としてください。今日しか福音を聞けない子どもがいるかもしれません。あなたが与えてくださる機会を、上からの知恵で用いることができますように。「弟子」として謙遜な仕える心を与えてください。
「しかし、上からの知恵は、まず第一に清いものです。それから、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。(ヤコブ3:17)」 アーメン