レビ記27

「地の十分の一は、地の産物であれ木の実であれ、すべて主のものである。それは主の聖なるものである。」レビ記27:30

いよいよレビ記も最後の章になりました。多くのいけにえやささげ物が出てきました。十字架であがなわれた私たちには、キリストがすでにささげげ尽くしてくださったものもあります。
最後の章には、罪のあがないとは別に、進んでささげるものについて、そして全体の原則が出てきます。
主の原則はシンプルで、すがすがしい限りです。元々は、すべて創造主のものです。そのうち、十分の九を私たちにゆだね、管理し楽しむことを許してくださったのです。なんと気前のよいお方でしょう。シンプルな暮らし、シンプルな人生の原点があります。地上の生涯を終える日まで、ゆだねられたものを賢く管理できるよう、みことばと聖霊の導きを受け取っていけますように。


祈り:神様、十字架のあがないによって、レビ記の多くの動物のいけにえが不要になったことを感謝します。私たちの生涯を自由と恵みで満たしてくださり感謝します。私たちをあふれる愛で愛される主、恵みとあわれみに富む主、気前のよい主、真実な主、あなたを「お父さん(アバ、父)」と呼べる特権を感謝します。地上の生涯を終え、あなたのみ元で安らいでおられる兄弟姉妹を覚えます。

「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。
あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです(第2コリント9:7~8)。」  アーメン


*明日からは民数記です。こうしてご一緒に読んでくださることを感謝します。
筆者も、毎日共に祈り会に集っている思いで、兄姉の顔を思い浮かべながら書いています。