レビ記1

「その全焼のささげ物の頭に手を置く。それがその人のための宥めとなり、彼は受け入れられる。」レビ記1:4


「犠牲を払う」という言い方が好きでない人もおられますが、レビ記で「犠牲」と「ささげ物」は同義だそうです。「主への献げ物として時間・お金・賜物...を用いる」時に「犠牲を払って」と表現するのはある意味でふさわしいのですね。

ささげる動物の頭に手を置くのは、自分の罪を身代わりの動物に移すしるしでした。残酷に思えるかもしれませんが、動物の犠牲は私たちの罪の汚さ、重さを示す実物教材でした。
キリストの十字架は、この「ささげ物」「犠牲」の完成であり罪の完全なゆるしの成就なのです。その重みを感じながら、レビ記を読んでいきたいと思います。


祈り:神様、キリストが私の罪の身代わりの犠牲となってくださったことを感謝します。4月に入りました。この愛をかみしめながら新年度も歩ませてください。アーメン