ガラテヤ2

ガラテヤ2、詩篇103~104

「しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると氏って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。」ガラテヤ2:16

パウロは救われてから14年もの間、アラビアの砂漠で過ごしたり、ダマスコを中心に福音を宣べ伝えたりして、いわば目立たない生活を送っていた。その下積みの年月があって神にさらに用いられるようになる。いずれの場所でも、信仰生活では走り続け、神の栄冠を目指して一心に励み続けたパウロだった。

そんなパウロがガラテヤの人々に言いたかったのは、割礼ではなく恵みで救われるということだった。パウロ自身も恵みで救われた。
私たちの回心の方法や環境は問題ではない。ある人は劇的に、ある人は平凡な日常の中での気づきがあって救われた。その恵みのありがたさ、大きさをわかればわかるほど、神の愛に答えたくなる。

今も世界各地で、信仰ゆえに迫害を受けている人々がいる。この恵みとひきかえなら命も惜しくない、キリストを裏切ることはできないという信仰にたっている。
彼ら、彼女らは、まさにパウロと同じく信仰の勇者である。世界情勢が揺れ動くなか、今日も命がけで過ごす彼らを特に祈りに覚える。