詩篇103

詩篇103-105、詩篇123-125

「天が地上はるかに高いように 
 御恵みは 主を恐れる者の上に大きい。
 東が西から遠く離れているように
 主は 私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。」詩篇103:11-12

「わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(2節)が有名だが、主はどのような目で私たちを見てくださっているのかが、11~12節を読むとよくわかる。

天の父なる神は、私たちの視点よりもっと高いところにおられる。そして、その恵みも私たちの予想をはるかに越えて高いところから、思いもよらない注がれ方をしている。逆境の時にも、恵みが取り去られたように思えても、はるか天のかなたからそれは確実に注がれている。

そして、罪の意識や悔恨にさいなまれていたとしても、私たちの罪は東と西が正反対にあるがごとく、主が私たちから隔て分かたってくださった。私たちは、自分の罪がまだすぐそばにあるようにこだわっているが、神の目には私たちはそこからすでに抱き抱えられている。最近、情勢の緊迫するアフガニスタンから多くの人々の脱出作戦が行われている。命の危険にさらされ、脱出が必要な人々が安全に出国できるようにと祈らされている。もちろん、作戦を遂行する人たちの守りも願ってやまないが、爆発で命を落とした米軍の兵士もいると聞き、心が痛む。

霊的には、神は私たちが混沌とした情勢から脱出してほしいと、救出作戦をたててくださった。イエス・キリストがその作戦の仲介となられた。他に適任者はいなかった。そして、キリストは救出作戦のためにご自身のいのちを捨ててくださった。
イエス・キリストこそが救出者だと信じる者は、霊的な死の運命から救出される。神の脱出作戦が完了した者は、霊的いのちが保証されている。時々混沌の中での体験がフラッシュバックすることがあるが、事実は今現在安全なところ、保証されているところにいるのである。そして約束されているのは永遠のいのちである。

地上のニュースに心騒がせるのと同様、神の定められた霊的な脱出作戦の完璧さと脱出の事実をもっと喜んで受け取ろう。