Ⅱコリント4

Ⅱコリント4、詩篇60−62

「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」Ⅱコリント4:7

この章では
「落胆することがありません」(1節)、「落胆しません」(16節)と2度も書かれている。神への務めが割り当てられ、それは神のあわれみによる。私たちの外見の弱さや、私たちの能力の足りなさに左右されない。なぜなら、私たちは土の器であり、神が私たちを召された、ということを述べている。

パウロにも外見の弱さや人格的な足りなさがあった。しかしながら、神がパウロを用いられたのは、神のご計画と召し、あわれみによるということである。
私自身も、自分の未熟さ、心身の弱さ、傷つきやすさを見るとき、主の働きには到底耐えることができない者であると思う。人からの妬みや恨みも買いたくないし、不安定な将来を生き抜くことができるとも思わない。しかし、ただ主が召されたから、そして主が望んでおられるから、あわれみによってこの働きに集中するように導かれたから、光栄なことと受け取り、はいと従うのみである。