ガラテヤ1

ガラテヤ1、詩篇100-102

「今、私は人々に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようと努めているのでしょうか。もし今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではありません。」ガラテヤ1: 10


パウロは救われたときにすぐに使徒のところに以降ともせず、神との関係に生きるようになった。パリサイ派の人々からは裏切り者といのちをねらわれ、自分自身もすべての後ろ楯を失い、それでも本当に価値のある福音に生きることを確信した。

アラビアの砂漠での年月を通し、その後も知られることなく歩み、主ご自身がパウロに語ってくださったことと救いの確信とを持ち続けた。
パウロの態度は一貫して、人の顔色ではなく神の御顔を見上げていた。
それゆえ、人の評価ではゆるがないこと、神の評価であることを求めていた。
異端児かもしれない。しかし、神がお立てになったものは実現する、そのことをパウロは今日も全身で教えてくれる。
私たちは自分の立場が弱く力がないと思う。しかし、主がよしと言われればその確信に立つ勇気と信頼を持とう。人の顔色ではなく、神の思いをうかがい、その召しを感謝して受け取ろう。