詩篇102

詩篇100-102、詩篇110-112

「苦しむ者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの。

 主よ 私の祈りを聞いてください。
 私の叫びが あなたに届きますように。」詩篇102:表題、1節

詩人がどれだけ気落ちしていたかは4節の「私の心は青菜のように打たれてしおれ パンを食べることさえ忘れました」という表現からよくわかる。抑うつ状態にある時には、自分の気力や意欲もなく、希望がもてないような心境になる。

それでも、詩人は主に祈ることをした。ありのままを主に申し上げ、自分の弱さも神への嘆きもすべて祈りにした。

祈る時に、不思議に混乱していた心が落ち着くことがある。一人で祈るだけでなく、何人かで祈っていると顕著である。
それは、自分で問題が整理できるというだけでなく、祈りの大切な側面、神から平安をいただくという側面である。

最後には、神の永遠の恵みと信じる者の希望まで述べられている。
「しかし あなたは変わることがなく
 あなたの年は尽きることがありません。
 あなたのしもべたちの子らは 住まいを定め
 彼らの裔は 御前に堅く立てられます」(27―28節)

祈りの力、祈りの恵みと祝福である。