詩篇100

詩篇100、詩篇97ー99

「知れ。主こそ神。
 主が 私たちを造られた。
 私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。」詩篇100: 3

自分のアイデンティティについて考えることが多かった。とくに牧師夫人というユニークな立場で仕えていた時には、自分自身の召しと違うような、それでも教会に住んで教会の雑務をし、さらに同じ牧師夫人でも立ち位置が様々で、とても悩んでいた。

しかしある時、「主がそれをよしとされた」ということを教えられ、自分に何度も言うようにした。牧師夫人という召しも主から来ていること、主が期待してそれをゆだねられたことを覚えた。今牧師の立場で牧会をしているが、自分の足りなさ、人格的な弱さを覚える時、やはり同じことを確認する。

「私たちは主のもの」「主の民」「主の牧場の羊」である。羊は広い牧場の中で安心して過ごせる。私たちも、主の采配とゆるしの中で今日も生き、動き、話し、仕え、進んでいくのである。