ガラテヤ6

ガラテヤ6、詩篇119:1~88

「失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。」ガラテヤ6:9

互いの重荷を負い合いなさい(2節)、すべての良いものを分かち合うこと(6節)など、パウロが勧めていることがある。

人間関係を見直してみると、様々な発見がある。自分にとって本当に大切な家族を大切にしているか。また、他者がわかってくれると思って依存しすぎていないだろうか。
私自身の人間関係のスタイルは、表面的なつきあいよりも少数で深くかかわることを好む傾向にあると思う。よい面もあるのだが、自分はわかってもらっているはずという期待や依存あるいは共依存が生じる可能性がある。
しかし、私が手放しですべての本音を話せるのは神様ご自身だけであるということを確認すべきだ。

時にその事実は、人間同士では100パーセントの理解者がいないことの確認と失望とにつながりかねない。では、なるべく関わりを控えたほうがよいのか。

いや、そうではない。聖書は善を行うことを「失望せずに」励み続けるようにと語ってくれる。あきらめないことである。時が来て、刈り取る恵みにあずかることがある。それはもしかすると、他の人がまいた種の刈り取りかもしれないし、私たちの種蒔きを他の人が刈り取ることかもしれない。いずれであっても、聖書はあまり意に介していないようである。重要なのは、誰がまいたか、刈り取ったかではなくて、蒔かれた種が刈り取りの時を迎えるのだというメッセージである。