ミカ1

「これはみな、ヤコブの背きのゆえ、イスラエルの家の罪のゆえだ。『ヤコブの背きとは何か。 サマリアではないか。 ユダの高き所とは何か。 エルサレムではないか。』」ミカ1: 5

旧約聖書の後半には、なぜ同じような預言書が長々と続くのでしょう。難しいし、自分と関係ないことばかり、と思うかもしれません。
しかし、預言書には当時だけでなく、今日の私たち、あるいはこれからの希望について記されている部分が多くあります。

今日の部分は、私たち人間の罪の大きさを教えてくれます。「ヤコブ」「イスラエルの家」はどちらも神の民のことです。本来は「ユダの高き所」つまり礼拝所のあった当時の「エルサレム」で主なる神を礼拝するべきでした。
それなのに「サマリア」で偶像礼拝に陥ったのが罪である、ということです。

何度も何度も教えられても、主なる神をすぐに忘れ、別のものを神としてしまう、それが人間の愚かさであり「的外れ」の罪の本質です。
だから繰り返し預言者を送り、主に立ち返るようにと呼びかけられたのです。

今日の私たちにも、主は生きて呼びかけておられます。

祈り:神様、あなたの呼びかけに応答したいです。私の霊の耳を開き、あなたに喜ばれることと喜ばれないことを区別できるように導いてください。
____さん、____さんも、イエス・キリストを救い主として受け入れ、愛の主の呼びかけに答えることができますように。アーメン