ゼパニヤ2

「すべてこの国の、 主のさばきを行う柔和な者たちよ、 主を尋ね求めよ。 義を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。 そうすれば、主の怒りの日に、 かくまってもらえるかもしれない。」ゼパニヤ2:3

ユダの国に住む「柔和な者たち」への呼び掛けがされます。
「主を尋ね求めよ」「義を尋ね求めよ」「柔和さを尋ね求めよ」と。人間的な戦略や情報から目を離して、主のまなざしに自らの視点を重ねることが勧められます。

人々のうわさ話は、元々戦略的に生き残るための手段だったそうです。そして今日も、私たちの脳は、うわさ話をすると快感を感じるそうです。
木曜集会では、うわさが高じた「陰口」が教会の一致を妨げる主要因だと学びました。誰か(働き人でも)が陰口を始めたら、優しく諭すこと、祈りで終えることも学びました。

陰口が生き残りのためだとすれば、私たちは陰口を言う時、神の恵みでなく自分の力で生き残ろうとしているのでしょう。陰口を言うか言わないかは、主に生かされている信仰があるかどうかが問われているとも言えます。今日、どちらを選びますか。

祈り:神様、あなたを尋ね求めたいです。義と柔和を尋ね求めたいです。私に純粋で柔和な心を与えてください。

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。(マタイ5:5~6)」

アーメン