創世記49

「主よ、私はあなたの救いを待ち望む。」創世記49:18

息子のひとりひとりを名指しして、過去や未来にあまりにも即した祈りがされています。親とはいえ、人の能力では到底知り得ないこと(例えば10節の「王権はユダを離れず」)や、「これが祝福?」と言いたくなるような内容も含まれています。
ヤコブは言葉を中断し、18節で主を見上げました。私たちもことごとに主を見上げ、主のまなざしで見ることを期待するよう招かれています。同時に、孤独な人、寂しい人が私たちの心の目に留まったら、イエス様がされるように行動することも、私たちには期待されています。

祈り:神様、あなたの知恵なしには私たちは今日明日のこともわかりません。でもあなたはご存じです。今日の歩みもどうぞ導いてください。また、どなたに私が声をかけ、お手伝いし、あるいはそうっと祈ることを望まれるでしょうか。あなたが私の心の目を開いて気づきを与えてください。アーメン