創世記42

「彼らは互いに言った。「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。」 創世記42:21


窮地に陥った時に、その人の考えていること、本音が出ます。兄たちは、ヨセフを売った罪責感が20年以上経っても消えていませんでした。このままの状況なら、父親に秘密を持ったまま一生罪責感とともに歩んだかもしれません。

キリストは罪をすべて取り除くことのできる方です。もちろん、罪を犯したという事実は残りますが、重荷は十字架によって洗われ、たとえ自分の心が責めたとしても、もう罪責感のなわめからは自由にされたのです。外科手術をした傷跡は残るものの、病気そのものは治って健康であるのと似ています。
心がいまだ責められるなら、今日もうひとたび十字架で解放されたことを宣言し、ゆるしの恵みを互いに受けとりましょう。

祈り:神様、キリストの十字架により、私の罪も、罪責感もすべて赦されたことを感謝します。もう_____(それぞれ気になること)の罪の奴隷にならなくてよいことを今日もう一度確認しました。十字架による罪や律法からの解放を宣言します。キリストの内に憩い、安息をいただいて歩めますように。アーメン