創世記37

「兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。」創世記37:11

今日でも、ねたみや憎しみが大きな事件を起こします。兄たちはヨセフを売り飛ばし、父には野獣に殺されたと偽りの報告をして、この件は終わったかに見えました。
しかし、罪は自分の心が覚えています。そして、自分がいかにねたみや憎しみに支配されていたかも。
後に窮地に立たされ、ヨセフの兄たちは「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。(42:21)」と言いました。ずっと、苦い記憶は残っていたのです。

私たちを罪の責めから解放するのは、キリストの十字架の贖いです。悔い改めて赦された恵みに押し出され、他者を許すことができます。それはまた、私たちの心を恨みやこだわりから解放します。

祈り: 神様、十字架の恵みを感謝します。キリストにある兄弟姉妹を与えてくださり感謝します。教会を、共に祈り悔い改め、許し許された者の喜びがますます流れ出す共同体としてください。アーメン